神田。
お隣の御茶ノ水が楽器の街、そして同じく隣の秋葉原が電気街と称されるのならば、此処はスポーツの街と言えるだろう。
サッカー、バスケ、野球などの一般的なスポーツ用品のみならず、武道や登山用品、スキー用品などまで完備した、様々なスポーツ店が軒を連ねる専門街だ。
学生、特に大学生や高校生などの姿が目立つ御茶ノ水とは異なり、ここはオフィス街でもあるからか背広を着こんだサラリーマンが多く見受けられた。楽器やスポーツは確かに老若男女が愛するものだとはいえ、普段からそこで過ごしている人たちの色は、やはり濃い。
もちろん暑い盛りだ。特にマリンスポーツに使うグッズを求めて、色んな人達がこの街を訪れている。例えばその一人に、やはりどうしても周りから浮いてしまう浴衣姿の少女がいた。
「‥‥ほんと、好きなことが目の前にあると女の子も放って夢中になってしまうんだから。うちの提督はダメな人ですね」
夕焼けよりも薄い、柿と同じオレンジ色の浴衣を羽織、長い黒髪を簡単に結い上げた少女は、どんなに大きくても高校生ぐらいだろうか。浴衣自体は街から浮いてしまっていても、不思議と浴衣の着こなしは完璧であった。
手に提げた少し大きな買い物袋の中身は水着。マリンスポーツにはまってしまった提督に誘われるがままに外出に同伴し、プライベートで使う水着を買いに来たのだが‥‥。生憎と提督自身は銛突き、スピアーフィッシングに興味深々のようで、肝心の水着選び自体は自分でやってしまった。
確かに本来、艦娘の装備自体が防水加工であるから、海水浴だって普段の装備のままで構わない。とはいえ自分も年頃の女の子であり、やはりプライベートな身なりは気になるものだ。
それにこういう時は男子が女子の買い物に付き合うのがセオリーではないのかと思うのだが、まるで子どものままのはしゃぎっぷりを見ると何とも言えなくなってしまうのは、損な性格というものなのだろう。
もっとも、フラフラとしているのは性格には自分ではなく、提督の方。迷子になったのは自分ではない、提督なのだと言い聞かせる。いや、事実その通りなのだけど、このままだと再会した時に自分が迷子扱いされてしまいそうで、それは癪だった。
「ちゃんと会えた時はすぐに、こっちから探してたんですよって言わなきゃいけませんよね。一航戦の誇り、しっかり守らなければ‥‥」
と、気合を入れた瞬間にぐぅと腹が鳴った。小さいが、自分にはしっかりと分かってしまう空腹のサイン。そういえば気が付けば朝ごはんから四時間ほども経ってしまっている。十時のおやつも食べてないし、もうお腹がペコちゃんになっても仕方がない時間だ。
やはり腹が減っては戦は出来ぬ。提督を探すのも、先ずはお腹が満たされてからだろう。
「きっと提督も、あと半刻ぐらいは道具探しに夢中になってるでしょうし‥‥。何処かで軽く、そう、お蕎麦でもたぐっていくのもいいかもしれませんね」
せっかく東京に来たのだから、粋でいなせな蕎麦屋に行ってみたいと思う。昔どこかで読んだ本では、それこそ気風のいい大工の棟梁が暖簾をすぱっと小気味よく音を立ててくぐり、スタスタと一直線に席について躊躇いなく注文をするのだ。「親父、盛り一丁!」と。
少女にとってみればそこまで
「ふーむ、何処かに美味しいお蕎麦屋さんはありませんかねぇ‥‥?」
スポーツ用品店が集まった通りを離れて、駅の方へと向かう。辺りを見回すと、あまり興味を惹かせてくれる店は見当たらない。
それこそこの辺りはチェーン店が幅を利かせているのだろうか。見慣れた牛丼屋や、ファストフードの店は多いが求める粋や風情とは程遠い。とてもじゃあないが、立ち食い蕎麦なんてところには入る気がしなかった。
「ガアド下のお店、っていうのもいいですね。雰囲気ありますよね。居酒屋が多いから、お昼に開いてるお店は少なくて残念ですけど」
地下鉄が多くなってしまった東京の街も、昔からある鉄道の高架線下には場末の匂いが漂っていた。この場末という言い方も決して悪い評価ではなく、むしろ風情のある、親しみの持てるという良い評価を表している。
場末の空気というものを吸うのが初めての自分でも、不思議と感じる居心地の良さ、安心感。何ともおかしな話だけれど、悪い印象は抱かなかった。カレー屋、定食をやっている居酒屋、そして東南アジアの料理を出すお店など、雑多に色んな種類のお店が並んでいるのは中々に壮観。
そういえば東南アジアは対深海棲艦戦の最前線。遠い異国の海で戦う姉妹達の様子が、少し気にかかった。
「‥‥む、困りましたね。これ以上歩くと駅から離れすぎてしまいます。流石にあんまり遠くに行くと提督が心配するでしょうし、どうしましょうか」
ガード下の雑多なお店を眺めて楽しみながら歩いていたら、いつの間にか駅から離れてしまっていた。まだ大した距離ではないが、おそらくこの辺りが限界だろう。これ以上お店を探し歩くのは難しそうだ。
しかし残念なことに中々お気に召したお店に巡り会えない。そもそも蕎麦屋がない。一件ぐらいあっても良さそうなものだが、もしかして路地裏にあるのだとしたら、ちょっとそこまで入り込む気分にはならなかった。
「もう、麺なら何でもいいかしら」
完全に諦めムードである。とにかく今は何か美味しいものを食べたい。よし、もうこの場所から動かないぞ。今ここから見える場所に入ってしまおう。
半ば意地を張りながら辺りを見回す。背後のガード下のお店はなんとなく今日は入る気分ではない。かといって他には路地の奥にお店らしき看板が見えるくらいで、何をやっているのか分からない。
これは参った意地を張り過ぎたかと途方に暮れ、ふと気がつく。
「あんなところにも、拉麺屋さんですか‥‥」
少し大きな道路を挟んだ、反対側。通りの角を占拠して、決して大きくはない拉麺屋と思しき店舗が異色の存在感を放っていた。
真っ黒な壁に、真っ赤な看板。そして近づいてみれば、微かに店内から漏れ聞こえる太鼓のBGM。かなり異色だ。かなり気になる。美味しそうか美味しそうじゃないか、以前に気になってしまう。
「‥‥よし、これも何かの縁ですよね。せっかくですから、ここにしましょう」
がらり、と扉を開けて中に入る。偶然外に並んでいる客はいなかったようだが、中はほぼ満席で、何人か立っている客も見受けられた。
店内はかなり狭い。壁際ギリギリ、一人が通れるぐらいの隙間しかなく、カウンター席しか存在しない。そして暑い。調理場と接近しているからか、拉麺の熱さが直撃する。ついでに言うと少し暗くて、最前線の海の秘境や、駆逐艦の子達を引き連れて突入する夜戦のような雰囲気が漂っていた。
先程お店の外でも漏れ聞こえた太鼓の音は、店内では腹を揺るがせるぐらい堂々と響き渡っている。それこそ空きっ腹に響いて食欲が増す。
壁には至る所に恐ろしげな鬼の面が飾ってあって、これもまた実に店の雰囲気と言うものに合っていた。
「あぁ、ここは券売機で注文すればいいんですね。さてさて‥‥」
無骨な券売機に並んだメニューは決して多くない。どうやら基本は味噌ラーメンで、トッピングやサイドメニュー、僅かな別メニューが用意してあるようだ。
こうなると初めての店では基本メニュー、というセオリーを守った方が間違いがなさそうだ。基本メニューを頼むなんて素人のやること、とバカにされるかもしれないが、逆に言うと基本メニューこそがその店が最も自信をもって提供する品。通い慣れた場所ならともかく、初めてのお店では相手に敬意を表することも必要だろう。
‥‥しかしそうと決まれば、今度はトッピングが問題だ。あまり何でもかんでも乗せるべきではないし、何より水着を買ったおかげで懐もそこまで振るわない状態だ。贅沢厳禁とまでは行かないが、まぁ節制はするべきだ。
「お肉もそそられますが、普段から脂っぽい中で生活してるようなものですし、ここはもやしにしましょうか。あ、それに味玉もつけちゃいましょうね」
あまりラーメンを食べることはないけれど、お昼時には少し早い時間帯でこれだけしっかりお客さんが入っているというならば、このお店は中々期待できそうだ。
千円札を二枚入れて、味噌ラーメンにもやしと味玉のトッピング券と、忘れずに大盛りのチケットも購入する。出費は少し激しかったが、その分だけ期待も高まるというものである。
「お客さん、お一人様ですか? お先に食券の方をお預かりしますね!」
「あ、はい。お願いします」
「申し訳ありません、お二人でお待ちのお客様がいまして‥‥。お席が空くまで、もう少々お待ちください」
どうやらこの店は並んでいる間に食券を回収してもらうシステムらしい。黒いTシャツと頭に巻いたタオルが特徴的な店員さんに、チケットを渡す。
成程、自分の前に並んでいるのは二人組。この店では例えば席が一つ空いて、二人組の後ろに一人の客が並んでいても、先に二人組を座らせるために待たせる方式を採用しているようだ。
ふむ、と考える。まぁ別に急ぎでもあるまいし、これだけ小さな店だと回転率も悪くはないだろう。あまり気にするほどのことでもないか。
「辛さと山椒の量は如何いたしますか?」
「‥‥はい?」
「マシ、ふつう、少なめ、ヌキとご用意してます。あと追加料金でさらに足すことも出来ますが」
予期せぬ問いかけに店員さんの指差した看板を見ると、なるほど確かに辛さと山椒の量が選べるスタイルだ。このお店、この二つのスパイスが自慢なのか。
しかし困った、食券を買う時に選ぶならともかく、こうやって口頭で伝えられると面喰ってしまう。しかも「考えさせてください」とは言いづらい雰囲気だ。すごくやりづらい。こういう状況に突き落とされてしまうと‥‥。
「ま、マシマシでお願いしますっ!」
「かしこまりましたー! マシマシ一丁ッ!」
―――ほら、こうして普段ならやらない間違いを犯してしまう。ついうっかり辛さも山椒もマシで頼んでしまったが、この店のスタンダードな辛さが分からないというのに馬鹿をやった。
いや待て、慌てるな。後悔なんて後ろ向きな感情を持ったまま食事と向き合うのは失礼だ。もっとポジティブに考えるべきそうするべき。辛さと山椒が自慢の店で、ヌキとかふつうなんて注文は面白くない。やはりおすすめを食べて然るべきというもの。
‥‥うん、そうだ、そうなのだ。それによくよく考えてみれば辛いものはそこまで苦手じゃない。前に寮の食堂で麻婆豆腐が出たときも、自信満々に「どうした赤城、箸が止まっているぞ。フフフ、怖いのか?」とか言っていた天龍ちゃんが食べきれなかったのに対して、自分はしっかり美味しく頂けたではないか。
(此の身は一航戦の誇り、正規空母赤城。辛いだけの料理なぞに負けはしません!)
慢心? 否、これは自信である。南雲機動部隊の一員たる我が身が敗れることなどありはしない。
全身から歴戦の猛者の覇気を放出しながら案内されるがままに席につく。相手にとって不足はなし、我、食事に突入す!
「‥‥ナプキンぐらいは、つけておきますか」
とはいえラーメンである。汁が浴衣に跳ねてしまったりしたら流石に泣いてしまうかもしれない。備えあれば憂いなしである。そそくさと壁際に据えてあった箱から紙ナプキンを手に取った。
浴衣も決して高いものではないが愛着がある品だ。汚さない自信もあるとはいえ、まさかということもある。
「はい、辛さが少ないものからお出ししますねー。こちら両方抜きの味玉、こちら両方普通のもやし、こちら普通マシのパクチー」
(パクチー? 知らない名前ですね。いえ、そんなことより、もうすぐですよ‥‥ッ!)
次々に配膳されていく丼に胸が高鳴る。カウンターの向こう、厨房で準備をしている時から、自分の分までしっかりと用意されていることはチェック済みだ。
もう今の内から割りばしを取り、少し滲んだ汗を拭い、第一種戦闘配備は万全である。
「こちらお待たせしました! マシマシもやし味玉大盛りです!」
(待ってましたぁッ!)
立って並んだ時間が長かった分、喜びもひとしお。待ちきれなかったとは言わないが、満面の笑顔で丼を出迎える。
湯気が立ち上り、スープの煮えたぎる音が聞こえる。まるで溶鉱炉のような丼の中を覗き込み、小さく歓声を上げた。
『大盛りもやし味噌ラーメン味玉』
→真っ赤に自己主張する店の名物。ナプキンはあるので、豪快に啜ろう。
スープは予想の通り、真っ赤に染まっている。とはいえ完全な赤ではなく、茶色の味噌スープがベースであるようだ。細かく脂も浮いていて、かなりこってりとしている。蓮華を動かすと、湯気まで躍るぐらいに熱い。
麺は汁の中に埋没してしまっており、積まれたもやしの山が美しい。全体に散らばされたのは青ネギだろうか、目にも彩があり、山の頂上には何故かベビーコーンが君臨していた。勿論、特性スパイスと思しき赤い粉末と唐辛子もしっかり己をアピールしていた。
「これはすごい、まるで工廠の溶鉱炉ですね!」
丼を目の前にするだけで汗が流れ落ちていくようだった。そもそもこの店、先程述べたように厨房とカウンターの距離が近く、スペース自体も狭いために室温はやたら高かった。
焦る心を抑えきれず、勢いよく割り箸を開き、手を合わせる。こればかりは欠かすわけにはいかない。
「―――いただきます」
もやしの山をかき分け、スープを突き抜け、麺を掴む。
口元へと運ぶ、その動きだけで汁の奥深くに眠っていた濃厚な香りと味が立ち上ってくる。堪らず、おそるおそる、ゆっくりと一口だけ啜った。
「‥‥ッ!!」
口に含んだ瞬間、咥内を吹き抜けて鼻の奥まで伝わる熟成された味噌の香り。深く、濃い。たっぷり混ぜられた脂が舌を転がり、実に心地よい。そして訪れる、舌を焼き喉を焦がす灼熱。
「ゴホ、ゴホッ! ゴホッゴホッ!!」
あまりの辛さに、思わず咽せ込む。それでも無論、口に入れたものを吐き出すなんて無様な真似はしない。しかし反射的に零れた涙ばかりは止められず、素早く近くの箱からティッシュは一枚抜いて目元を押さえた。
これは、辛い。嘗めていた。まさかここまで辛いとは思わなかった。あーあやっぱり、という店員の顔が癪だったが、こればかりは度肝を抜かれた。今まで食べてきたものとは一線を画する辛さだった。
だが不思議と箸は動いて、もう一口啜る。流石にゆっくりではあったが、しかし止まらない。降参したわけでは断じてない。これは、美味しい。
(辛い、だけではありません。奥の深い辛さ、凄く美味しい。あぁ、不味くない。決して不味くない。美味しい、美味しいです!)
麺は普通の拉麺に比べると、かなり太い。そして硬めに茹でてあり、どろりとした味噌スープに非常によく絡む。それに食べ応えもある。もやしもシャキシャキしていて、これぞもやしというもやしであった。
ベビーコーンもコリコリと、普通のラーメンの具材とは全く違った食感。辛くて濃い味付けの中ではとっても爽やかで特徴的な存在。かなり尖った方向にではあったが、拉麺丼という小宇宙の中でしっかりと調和のとれた一つの芸術作品である。
‥‥あぁ、しかし熱い! そして暑い! 箸は止まらなくても、食べながらどんどん体温が上がり、汗が滴っていくのを感じる。スープの中に汗が溶け込んでしまいそうだ。
「ふほぉん、まるで私は人間正規空母‥‥いえ、まさにその通りなのですが」
手慰みに汗を拭い、前髪が目に入らないようにしながらも一心不乱に麺を啜りもやしを噛む。周りからの視線があるような無いような、しかし気になりはしない。
とにかく今はこの丼一つに集中して。もう自分の世界はこの丼一つだけだ。夢中で食べ進め、あっ、と思わず呟いた。
「失敗しました、大事にとっておいたら肉が余ってしまいましたね‥‥」
大振りではないが、存在感たっぷりな豚の角煮がぽつんと残ってしまっている。麺ともやしに構い過ぎた。勿論まだ麺は残っているから一緒に食べてしまえばいいわけだが、少しバランスが悪い。
食事にはリズム、バランスというものが重要。自分ともあろう者が慢心しただろうか。いやいや断じてそんなことはない。しかし、これは悩み所である。なんとか満足いく打開策を見つけなければいけない。
「店員さーん」
「はい!」
「すいません、半ライス下さい」
「かしこまりました、百円頂戴いたしますねー!」
少しだけ手を止めて考えていると、隣の客から手が上がった。
気になってチラリと横目で見てみれば、なんと直接カウンターの向こうの店員さんに注文し、お金を渡しているではないか! そして店員さんは何事もなく注文を受け、炊飯器からご飯をお椀に盛って渡したではないか!
(ライス! そういうのもあるのですか‥‥!)
となると話は大いに変わってくる。この余ってしまったお肉、これが生きてくる。箸で触るだけでふわりとした感触が伝わってくるほどにしっかりと煮込まれた角煮。正にご飯との相性は抜群だ。
いや、それだけではない。この濃厚な辛味噌スープを遠慮無くご飯にかけて食べたら‥‥それはどれぐらい美味しいことだろう。普通のラーメンのスープとは段違いに美味しいはずだ。あぁ、それを考えるだけで我慢できない。
「す、すいませんっ!」
「は、はい、なんでしょう?」
「ら、ライスをくださいっ!」
「ライスですね、かしこまりました!」
お財布から出した小銭を手渡し、代わりに受け取るのはホカホカと湯気を立てる炊飯器から盛ったばかりの白米。少し硬めで、これもまたラーメンによく合う。
先ずはスープの底に沈んでしまった角煮を取り出し、真っ白な丘の上に据える。まるで子どもの頃に絵本で読んだ、郊外の丘の上にある小さなお家のようだ。なんだかとても可愛らしい。
「この角煮、すっごく柔らかい。それに汁がたっぷり染み込んでて、噛みしめるたびにお肉の味が滲み出てきます‥‥!」
濃い味付けをされた角煮は味噌スープによって柔らかく、かつ刺激的に進化して、ご飯の良い友となっていた。ほぐして麺と絡めても美味しかっただろうが、やはりご飯の美味しさも捨てがたい。
そして少しはしたないかなと思いながらも、蓮華で掬ったスープをご飯にかける。濃いながらもスープ自体はさらりとご飯に染み込み、よしとそのまま蓮華でご飯を口へと運ぶ。
「‥‥あぁ、やっぱり思い切って選んでよかった。お淑やかではないけど、これぞ食べてる!って感じです」
米一粒も残さず、綺麗に最後まで頂く。あとはスープだけだが‥‥。流石にこれを飲み干すのは年頃の女性として気が引ける。というか、喉はおろか胃まで焼けてしまう気がする。
夢中で食べてたから気がつかなかったけど、もう顔はおろか体中汗びっしょりだし、舌は痛いのと痺れてるのと相まってトンデモないことになってしまっている。確かにこのラーメンは美味しい。今まで食べたことのある味噌ラーメンと比べてしまえば天と地。しかし、辛い。如何せん辛い。そしてダメージが重い。
流石にこの辛さと痺れの産出元である熱湯の泉を飲み干してしまっては内蔵器官へのトドメになりかねないだろう。あぁ、しかし飲みたい、足りない。もっともっと味わいたい。
(‥‥半分ぐらいに、しておきましょうか)
丼を持ち上げるのはマナー違反というか、淑女として有り得ないので蓮華で静かに掬って飲み干していく。
思わずお水に手が伸びかけても、何とか我慢。ここまで来ると辛さにはすっかり慣れてしまって、舌へのダメージは山椒の痺れの方が問題。しかし程よく冷めてきたスープは今までに比べれば飲み易く、気がついたら半分どころか殆どを飲み干してしまっていた。
あぁ、まぁ、美味しいものは仕方がない。普段から激務で体も栄養を欲していたに違いない。うん、きっとそうなんだ。
「―――ごちそうさまでした」
紅もかくやというぐらいに赤くなってしまった口元を拭い、ナプキンを外して、掌を合わせる。そして我慢に我慢を重ねた氷水を煽った。
とことん熱せられた体に冷水が気持ちいい。入渠から出たばかりで海に飛び込んだ時みたいな、爽快な気分だ。満喫させて貰った。素晴らしい昼食であった。
「ありがとうございましたー!」
元気のいい店員さんの挨拶を背中に受けて、外に出る。夏の盛り、まだ暑いはずなのにさっきまでもっと暑くて狭い室内にいたからか、むしろ風を涼しく感じた。
そういえば途中からやたら混んできたと思ったが、成る程やはり、店の外まで行列が出来ている。丁度会社勤めの人達の昼休憩の時間なのだろう。混む前に来られて良かったものだ。
「‥‥提督、もう流石にお買い物も終わってますかねぇ」
駅の方へとのんびり歩きながら、少し汗で張り付いてしまった浴衣を整えた。
寮の麻婆豆腐など比較にならない辛さの拉麺‥‥。もし天龍ちゃんと神田の辺りに来ることがあったら、ここに誘ってみるのも悪くないかもしれない。別にいじめるつもりはないけれど、是非とも反応を見てみたいものだ。
ふふ、と少し笑みを零し、のんびりと進む。スポーツの街、神田。中々どうして、美味しいお店も多いものだ‥‥。
◆
「赤城ー。おい赤城、大丈夫かー?」
「天龍ちゃん、どうしたの~?」
鎮守府。
深海棲艦との戦いを続ける最前線艦隊に所属する艦娘達が、日夜訓練に励み、体を癒し、任務に出撃する場所。
その鎮守府の女性用洗面所で、軽巡洋艦の天龍が心配そうに個室の中へと呼びかけていた。
「あぁ龍田か。いやな、さっき赤城と一緒に花摘みに来たんだが‥‥。私が出てって、暫くしてもう一度ここに来たら、まだ入ってやがるんだよ。大丈夫なのか心配になってな」
「そうだったの~。もしかしたら病気かしら~? 赤城さ~ん、大丈夫~?」
頭に天使の輪っかのような部品を乗せた軽巡洋艦龍田も、のんびりした不思議な喋り方ながら不安げに声をかけた。
そりゃあ女の子が長いことお手洗いに籠もっているのでは何かあるのではないかと勘ぐってしまう。ただでさえ艦娘は身体的に普通の女性よりも頑丈であり、不調もそこまでは多くない。というか、軍人の一種であるから体調管理は厳しくするものなのだ。
ツー
ツー
ツー
ツー
トン
ツー
「‥‥“OK”かしら~?」
「なんでわざわざ壁叩いてモールス信号なんだよ‥‥? まぁいいや、大丈夫ならオレは帰るけどさ、なんかあったら通信でもいいから呼べよな!」
「赤城さん、何があったのか分からないけど、お大事にね~?」
まだまだ訝しげな様子は拭えないが、本人がそう言うならと天龍と龍田はお手洗いを後にした。
二人の足音が離れていくのを聞き取って、個室の中の赤城は安堵の吐息をついた。一応、艦隊の旗艦も担うことのある正規空母としては、旗下の艦娘達にはあまり無様な姿は見せられない。
‥‥特に、なんというか、理由を説明しづらい時には。
「‥‥まさか、お腹と、あまり口にしたくない場所が熱くて痛くて、なんて言えませんよ―――ッ!!」
舌と喉は無事でも、内蔵というものは随分と脆い。
そんな当たり前の事実を思い知らされた、正規空母の赤城さんであった。
Q.試験勉強どうしたよオイ?
A.なるようになる。
Q.もうすぐに学会もあるでしょ?
A.なるようになる。
Q.お尻大丈夫?
A.熱い。