双星の雫   作:千両花火

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Chapter9 幻影の告死天使編
Act.84 「Discord」


 暗い。

 

 

 目を開けても、そこがまるで奈落の底であるかのように、光のない地獄の底であるかのように、なんの希望も抱かせない醜悪な存在の巣窟に思えた。おおよそ、命が生まれる場所とは思えない無機質な地下の空間。

 ここが、ゆりかごだった。

 

 

 ……暗い。

 

 

 自分自身、という限りなく近く、そしてそれゆえに認識できない、誰にも呼ばれない彼方に在るかのように、曖昧な意識が茫洋と泳ぐ。果てのない、終わりのない海を漂うように、先の見えない意識の漂流が続く。

 

 

 ――暗いよ。

 

 

 自身を構成するものは、はじめから与えられた知識と、この肉の器だけ。名前も知らない、ただ戦うことだけを覚えてもいないのに知っているという矛盾。それがたまらなく不安定で。不安で。苦しくて。

 

 

 ……暗いんだよ。

 

 

 光の反射で映るガラスから見える自分の顔。おおよそ計算され尽くされたかのような完璧な造形と、それらすら忘れるようなほどの妖艶に輝く金色の瞳。人造の魔眼、魔性の化現。自分の命よりも価値のある、超常の瞳。

 これが自分の価値。命以上の、価値。

 

 

 ―――どこだろう?

 

 

 すべてを見通すこの眼で、言われるがままにすべてを超越し、……そしてまた眼を閉じる。その繰り返し。

 

 

 ―――わたしは、どこだろう? どこに、いるんだろう?

 

 

 いったい、どうすればこの眼は、見たいものを見ることができるのだろう。そんな疑問を抱きながら、ただただ否定し続ける日々。自分自身さえ、肯定できないのに。

 

 

 ―――わたしは、誰なんだろう?

 

 

 なんのために、生み出されたのだろう。戦うため。それなら、なにと戦えばいいのだろう。誰が、わたしの敵なのだろう。この瞳の前に敵なんて、いるわけないのに。はじめから完成されているのに、いったいなにを目的にすればいいのだろう。なにを、目的に生きればいいのだろう。

 

 

 ―――わたしは、なんなのだろう?

 

 

 戦うだけなら機械でいい。殺すだけなら武器さえあればいい。こんな奈落の無機質な空間で飼われているわたしは、なんのために生きているのだろう。

 わたしを作った科学者たちは、そんな機械にもできることをするだけでわたしを賞賛する。わたしの、能力を賞賛する。あいつらにとってわたしのこの瞳が、この力が重要であってわたしの意思は関心すらないのだろう。

 

 

 

 ―――わたしは。

 

 

 

 なら、どうしてわたしに意思を与えたのだろう。虚無感を抱きながら、誰かを、何かを否定することだけを強要されることに、どうしてわたしの意思が必要なのだろう。

 こんなことなら、わたしは生まれなければよかった。ただ、意思のない人形でよかった。

 それなら、こんな虚しさだって感じないのに。

 

 

 

 ―――わたしは、………なんで、心があるのだろう。

 

 

 

 誰か、その意味を教えてほしい。

 わたしは、言われたように魔眼が人の形をしただけの存在なのだろうか。なら、こんな人間みたいに悩むのはなぜなんだ。ツギハギだらけの心だけ与えられて、足りないものが多すぎるわたしの意思は、なにをすれば完成されるんだろう。

 心が欲しい。わたしが、わたしであるための、自分自身を肯定できる定義が欲しい。

 

 もしそんなものがないのだとしたら、わたしは人形でしかないのだろう。

 

 それは、嫌だ。

 

 

 

 ―――だから、誰か。

 

 

 

 わたしを、見つけて。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

「っは、ふぅ……」

 

 シールは頭を押さえながら反射的に身を起こした。呼吸が荒い。脈拍も早くなっている。

 身体中が汗でぐっしょりと濡れていた。気持ちの悪い夢、いや、過去に実際にあった出来事を追体験したような悪夢に不愉快になりながら、そっと身体を起こしてのろのろとベッドから這い出した。

 うっとうしそうに汗で湿った銀髪をかきあげ、乱雑に濡れたシャツを脱ぎ捨てる。露になった雪のような白い肌が窓から差し込む月明かりに照らされる。

 

「……ずいぶん懐かしい夢をみたものです」

 

 下着姿のまま窓際まで歩き、ネオンの光が散りばめられた眼下の街を見下ろした。真夜中だというのに、中心街は夜とは切り離されているかのように明るく、はっきりの街の全景を照らしている。

 観光地として急激に発展した一等地に建てられたビルから見下ろす景色はまさに絶景といえるだろう。

 人の営みが作り上げた、夜の繁栄した街の姿。色鮮やかな光で作られた景色は、たしかに綺麗だと思わせるほど鮮烈で輝かしい。

 しかし、その光景はかつて地下深くで生み出された自身の作られた場所を想起させるようで、知らずに眉をしかめていた。

 そんな景色を自身の象徴であり、存在意義のひとつでもある金色の瞳――ヴォーダン・オージェで見通し、やがて鼻を鳴らして視線を逸らした。

 

「世界は変わっても、人は変わらない、か」

 

 新型コアと無人機が世界に拡散し、揺れている現実を目の当たりにしても特になにも感じることはなかった。あるとすれば、どんなに変わっても人は己の優位性を得ようと時には不快で暗い手段ですら平気で及ぶ人間の愚かさだけが妙に納得していた。

 

「罪深いものです。私が言えたことではないのでしょうが」

 

 そんな人間たちの欲望によって生み出されたものが自分なのだ。そんな自分が反旗を翻し、生みの親ともいえる人間すべてを皆殺しにしたのだから自分も同じ穴の狢なのかもしれない。

 しかし、それを後悔したことはない。むしろ自らの意思でできたことを喜んですらいる。だからこそ、今ここにいるのだから。

 

 珍しく自嘲するように笑い、……シールはふと視線を上へと向けた。

 

 まるでこの瞳そのもののような丸く輝く月がシールを照らしている。それは、さながら天がシールを見つめているかのようで。

 シールはただじっとその満月を見つめる。クレーターの形まではっきりわかるほどの瞳力を持ちながら、その威容すべてを捉えきれない雄大さ。そして月が浮かぶ宙は、この魔眼をもってしても見通せないほどの深淵だ。遥かな天に存在するにもかかわらずにまるで奈落のような底知れなさを感じさせるそれは、まさに“未知”の領域だ。

 シールはそれをただ茫洋と見つめるだけだった。

 シールにとって、空は夢を馳せて見上げるものではなく、ただ下を見下ろすための領域でしかない。なにかを見出しているわけじゃない。

 

「……そういえば」

 

 シールの脳裏に、能天気な笑顔を浮かべる少女の姿が浮かび上がる。

 

 アイズ・ファミリア。

 シールを生み出すためのプロトタイプとして使い捨てにされるはずだった少女。そして今、シールの目の前に“敵”として立ちはだかる存在。シールがただ一人、関心を持つ少女。

 幾度となく戦い、そして互いが引き合うように宿命づけられた運命の相手。失敗作の烙印を圧されながら、自身に迫るほどの力を発現させた存在。

 そんなアイズと心を共鳴させたときに垣間見た彼女の心の中には、常にこの宙があった。羨望と渇望と少しの不安、アイズが抱くのはそうした“夢”と称される想いだった。

 見下すシールとは逆に、ずっと見上げているアイズ。

 アイズは、常に宙へと夢を馳せている。それが、シールとアイズの絶対的な違いに思えた。

 

 だからだろうか。シールが復讐にも似た反逆をしたというのに、アイズはただ怒りを覚え続けるだけで実際に行動に移したことはない。シールは、それがただのやせ我慢かと思っていたが、アイズは心の底から恨みを沈静化させている。忘れているわけじゃない、むしろ煮えるような憤怒の感情は今でもくすぶっている。呪詛のようなその憎悪は確かにアイズには存在する。

 

 そして、それを抑えられるほどの何かを、アイズは持っている。それがなんなのか、まだシールにはわからない。そんなものがあるのなら、シールもそれを知りたいとすら思ってしまう。

 

「アイズ、あなたは……、この宙になにを見ているのですか」

 

 羨望する心は伝わっても、それが何故、というところまではわからない。シールにとってアイズが持つ感情は自分が持たないものだ。それを自身が羨んでいることを半ば自覚しながら、シールはアイズという少女のことを思い続けていた。

 アイズをもっと知りたい。アイズがなにを感じ、なにを考えているのか知りたい。アイズという少女は、シールがありえた可能性のひとつの形でもあるのだ。だからシールは気がつけばアイズを知りたいと強く思い始めていた。

 

 それが戦い、倒すという手段と目的であっても、それはもう“恋心”と呼べるものだと、シールはまだ気がついていない。

 

「あなたを倒せば、私は、……」

 

 そこから先の言葉はなかった。言っても意味のないことだから。言えば、迷いになる言葉だから。

 

「どうにも感傷的になりますね……まったく、らしくない」

 

 そしてそのタイミングでベッド脇のサイドテーブルの上に乗せられた通信端末が音を発した。それを手に取ると、着信相手の名前を見て静かに応対する。

 

「シールです」

『おう、オータムだ』

「どうしましたオータム先輩? たしか任務中では?」

『そうなんだがよ、その過程で情報が手に入った。プレジデントが言っていた対象の居場所がわかったぜ』

 

 シールの表情が変わる。それはここ半年、ずっと探していた情報だった。

 

「……! どこです?」

『委員会が占拠したプラントのひとつだ。こっちの衛星監視にひっかかった情報から逆算して、そこに潜伏している可能性が八割…………場所は大西洋の孤島だな。プレジデントからもオーダーが来たぞ、六時間後に強襲しろとのことだ』

「無人機プラント……なら、多数の機体があるはずですが」

『施設ごと破壊しろとさ。対象以外も、な』

「殲滅戦ですか。人員は?」

『おまえと私の二人だ。心配か?』

「余裕です。では二時間後に第二中継点で合流しましょう」

 

 通信を終えるともう一度だけ月を見上げ、しかしすぐに興味をなくしたように視線を逸らし、一度別のどこかへ一方的に連絡をしてからシャワー室へと向かう。

 軽く汗を流してテキパキと私服に着替える。全身白を基調とした服を纏い、最後にやはり真っ白なコートを羽織る。病的なまでの白い肌や銀髪と合わさり、その瞳の色を神秘的に際立たせる。

 シールの住居があるこのビル自体がシールの所有物だ。もともとマリアベルから誕生日プレゼントにもらったものだが、当然管理は他の者に任せ、フロアのいくつかをプライベートで使っているだけだ。

 そうして誰にも咎められることなく屋上のヘリポートまで行くと、すでに待機状態のヘリへと乗り込む。揺れるヘリの中で端末に送られていた詳細情報に目を通しながら、緩んでいた意識を瞬時に戦闘用へと切り替える。

 

 戦うことが、この身に宿る意義。生きる意味はまだわからなくても、生まれた意味は間違いなくそれなのだ。

 

 だが、……とも、思う。

 

 

「……“私は、シール。名前はまだない”………か」

 

 

 ふと、昔言われた言葉を思い出した。

 思えば、それが今の自分を作った言葉だ。しかし、その言葉は滑稽で、笑えない。

 

 シール。それは自身を表す記号だ。それは正しくは名前ではない。それは、自分が自分になるまでの仮のもの。

 アイズもそうだが、ヴォーダン・オージェの発現体として作られたために名前は規格番号とイコールだった。だから軍隊に所属し名前を与えられたラウラはまだ幸せなのだ。

 

 だから名前を与えられるまで、二人は自分自身を定義しきれずにいた。

 

 “アイズ”の由来は、自身を苦しめる呪われた金色の瞳。だが、セシリアによってその瞳からつけられた名前は希望で上書きされた。だからアイズは前向きに望まずに与えられた自身の瞳と向き合っている。

 

 そして“シール”の由来は、シールがシールであるための言葉だった。それはマリアベルからもらった道標だ。もっとも、マリアベルは面白半分だったのだろうが、それは確かに今のシールにとっての希望であった。

 

 つまらないきっかけからもらった名前かもしれない。しかし今ではそれなりに気に入っているし、少なくとも戦う理由を示す名前としてこれ以上のものはない。

 だからシールは、名乗る。戦うために、弱さを、迷いを封印して。

 

 

「シール。それが今の私の名前」

 

 

 生まれたときから持つ自分の弱さを封印(シール)して。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

「よくきたわねぇ二人共、もう準備は万全かしら?」

 

 亡国機業が所有する原子力潜水艦に乗り込んだシールとオータムはそこで待ち受けていた人物を見て唖然としてしまった。

 そこにいたのは自分たちの組織のトップ。世界に根を張る犯罪組織を統べる女傑。陽気で気まぐれ、おおよそ犯罪者とは思えない笑顔を振りまく魔性の女性――その名は、マリアベル。

 いつものように妖艶な美女と、無垢な少女を掛け合わせたかのような笑みでシールとオータムを迎え入れた。しかし、そんな機嫌のよさそうな彼女とは逆にシールとオータムはただ困惑して立ち尽くすだけだった。

 

「プレジデント……なにをしているのですか?」

「今回は私も同行します!」

「いや、あの、あなたは最重要人物で……」

「だから?」

「戦闘に連れて行くなんて論外かと、思うんですが……」

「オータム、あなたは私より弱いでしょう?」

「うぐっ……!?」

「それにシール。あなたはちょっと精神的に視野が狭いから、もしかしたらあの子を殺しちゃうかもしれないでしょ?」

「……問題でも?」

「あらやだ、反抗期かしら? でも嬉しいわぁ、人間味が増してきたじゃない、“シール”?」

「……っ。いえ、プレジデントに従います」

「ふふっ」

 

 簡単に言い負かされたことに思うことがないわけではないが、シールは黙して従う。どのみち、マリアベルに口で勝てるとは思っていない。戦闘能力など関係なく、絶対に勝てないと思わせる人物などこの人以外には存在しない。

 

「それにちょっと試験運用もしたかったのよねぇ」

「試験運用?」

「そう。私の機体、そろそろ完成なのよねぇ」

 

 シールとオータムがゾクリと悪寒に身体を震わせた。

 無邪気に笑うマリアベルに反し、マリアベルが技術の集大成をつぎ込んだ機体が恐ろしかった。ただでさえ、マリアベルは天才だ。そしてそこに宿る狂気じみた無邪気さはおぞましいほど純粋だ。そんなマリアベルが作り上げた自分専用の機体。話には聞いていたが、いったいどんな化け物が出てくるのか、想像するだけで恐ろしかった。

 

「まぁ、露払いは任せます。私はあとから適当にやるから、二人に任せることは変わらないわ。それでいいでしょう?」

「なにがいいのかわかりませんが……」

「スコールには言ってるんスか?」

「ああ、それは………あ、ちょっと待って待って」

 

 マリアベルは懐から通信機を取り出すと気軽にポチっとボタンを押す。そして途端に凄まじい大声が鳴り響いた。

 

 

 

『プレジデント! いったいどこにいるんですかッ!?』

 

 

 

 あまりの怒声にシールとオータムもビクゥッと震えて直立不動の姿勢をとってしまう。声の主は亡国機業の経営を実質的に支えているマリアベルの片腕と称される女性、組織においてナンバー2に位置するスコール・ミューゼルであった。

 スコールは普段の落ち着いた声ではなく、苛立ったような声で主であるマリアベルに罵声を浴びせる勢いで叫んでいた。それなりに付き合いも長く、親しいオータムでもこれまで見たことのないスコールの姿に仰天している。

 それほどまでにストレスが溜まっているであろうスコールはマリアベルののほほんとした態度にさらに怒りが怒髪天を突く勢いで増していた。

 

「あらスコール、もうバレちゃった?」

『プレジデント! 手の込んだ工作までしてどこに行ってるんですか!』

「あら、それは逆探できるんだからわかるでしょう?」

『ええ、わかりますとも。シールやオータムと一緒に潜水艦に乗り込んでいることなんてわかっていますとも。まさか、プラントに襲撃をかけるなんて言いませんよね? 新型機を持ち出したこととは関係ないですよね?』

「大正解! すごいわねスコール、そこまでわかってるんだ」

『なにを考えてるんです! あなたは亡国機業のトップなのですよ!? 万が一があったらどうするのです!?』

「王が動かずに下が動くものか! ……昔の人はいいこと言ったわ。それにちょっとプラントひとつを潰すだけよ?」

『そんな雑用はシールとオータムで十分です。あなたの仕事じゃないでしょう』

「仕事? これは趣味よ」

『~~~!!!(声にならない)』

「あら、すごい唸り声よ、スコール。ふふっ」

 

 シールからみても、もうスコールがかわいそうだった。のらりくらりとスコールの怒りを受け流すマリアベルは終始笑っているが、そばで聞いている二人はもう冷や汗しか出てこない。

 しばらく唸っていたスコールは、やがて嵐の前の静けさのような沈黙を産み出し、腹から

響くような低い声で言った。

 

『……シール、オータム。そこにいますね?』

「お、おう」

「……います」

『プレジデントに傷ひとつたりともつけることは許しません。もしなにかあれば………――――ワカッテルナ?』

「ッッッ!!? わ、わかってるぞ!?」

「だ、大丈夫です。問題ありません、命にかえても守ります」

『くれぐれも、くれぐれもしっかり頼みます。…………プレジデント! 終わったらすぐに戻ってもらいますからね?』

「はいはい、しょうがないからお説教でもなんでも受けますよ」

 

 いったいどんな精神構造をしているのか疑問を通り越してもう未知のもののように感じてしまうほどマリアベルはフリーダムだった。これが素なのだからこの人は恐ろしい。

 スコールは最後に大きなため息をして疲れきったように通信をカットした。シールもオータムも内心で合掌したのはもう必然だった。

 

「よし、スコールの許可は出たわ。心配しなくても後ろで適当にやってるから大丈夫よ」

 

 まったく安心する要素はないのだが、頷くしか選択肢がない。もっとも、どうせ拒否権などありはしないのだ。いつもの無茶ぶりに頭を抱えつつも、二人は万が一にもマリアベルに傷がつかないようすべてを完膚無きまでに殲滅することを心に誓った。

 

「私は私の用事を済ませるから、あなたたちは任務に集中しなさい。では……行きましょうか。悪党同士の無益で楽しい戦争に」

 

 それでもマリアベルは、ピクニックに行くような気軽さで笑って告げる。それが、愉快でしかたないというように。

 それに追随するシールとオータムも顔を引きつらせながらマリアベルに続き、潜水艦へと乗り込んでいく。今から三時間は海の底だ。そして目標地点から数百キロもの距離を空け、ステルス装備で飛行していくことになる。プラントの規模から長時間の戦闘となる可能性が高いため、三時間の待機時間はISの入念なチェックが必須となる。

 だが、マリアベルの「お茶にしましょう」という提案に逆らえるはずもなく、シールとオータムは潜水艦内に設けられた場違いなまでの豪華な客室で高価な茶葉の香りを味わうことになる。

 

「心配しなくても、一時間前に私がメンテしてあげるわ。それでいいでしょう?」

 

 わずかに残っていた抵抗もその言葉に霧散する。マリアベル以上のメカニックはこの亡国機業には存在しない。もともとパール・ヴァルキュリアとアラクネ・イオスを作成したのもマリアベルなのだ。彼女が万全な状態にすると言った以上、それは確定だ。そこにあるのは絶対の信用だった。

 

「そうねぇ、せっかくだからもうちょっと改造しようかしら? 二人共倒したい相手がいるみたいだし、リクエストはあるかしら?」

「いえ、そんな恐れ多い……」

「あら、私の提案が聞けないの?」

「もっと頑丈にしてください」

「反応速度をもっとあげてください」

 

 具体的に言えばオータムは鈴の発勁に耐えられるような硬い装甲を。シールは、自身の全力の反応速度に追いつく機体性能を。

 すでにハイスペックな機体の改良はかなり難しいが、マリアベルは「ふむふむ」とわざとらしく考えるポーズを取りながら、やがてにっこり笑って了承した。

 

「ん、なんとかなりそうね。今回の作戦が終わったら本格的に改良してあげる」

「ありがとうございます」

「うちのボスは頼もしいぜ……おっかねぇけど」

「最近は無人機ばっかりいじってたから、ちょっと気分転換したいのよ。無人機はスペックと量産性との両立が条件だけど、専用機は好き勝手に改造できるから楽しいのよね」

「なんかほんと趣味みたいだな」

 

 オータムがふと言ってしまった言葉であったが、それは正しかった。

 

「くすっ」

 

 マリアベルは、本当にそうなのだ。世界征服なんて無益と思えることをする理由の半分は義務だが、もう半分はただの趣味だ。野望なんて大それたものはない。

 どうせやらなきゃいけないのなら、面白おかしくやりたいだけだ。

 

 そのために、多くの人間を不幸にすることも。

 

 妹と敵対することも。

 

 娘と敵対することも。

 

 マリアベルにとって、すべてを取り巻き、すべてを内包するこの世界すらただのスパイスでしかないのだから。それが悪と称されることも理解している。

 それでも止まらない理由は、マリアベルだけしか知らない。いや、もしかしたら本人すら言葉にはできないことなのかもしれない。

 

 それでも明確に、はっきりした意思を持ってマリアベルはいまなお、世界を揺らし続ける。

 

 悪意のない邪悪さに突き動かされながら。

 

 

 

 




亡国機業編の開始です。

形は違えど、アイズはいつのまにかシールも攻略していたようです(笑)
この章はだいたい四話前後くらいになると思います。最近はシールを可愛く描きたいと思ってきているのでもっと彼女のいろんな面を描きたいです。

あとマリアベルさんがフリーダムで書くのが楽しいです。お気楽系なラスボスっていいのかそれ(汗)

ご要望や感想、お待ちしております。

それではまた次回に!

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