まずは【表】鈴ちゃんメインとなります。
「うわ、ひどいわね」
鈴は車から降りて開口一番にそう言った。
目の前に広がるのは、大規模な鉱山施設であった。ところどころにみえる人工物は錆色になり、この鉱山が長い年月を経てきたことを容易に理解させる。
しかし、今残っているのは既に破棄された施設のみ。ゴミや廃材があちこちに点在しており、中には不法投棄と思しき車や家電製品も見える。
急速に経済成長をした名残か、はたまた古い時代の象徴か、おそらくは破棄されて長い年月を放置されて朽ちていったのだろう。
そんな鉱山跡地のところどころに炎と黒煙が見える。なにか爆発があったことは明らかであった。爆音と煙に気付いた火凛が通信傍受をしてわかったことは、鉱山跡地で爆発物が発見され、その一部が起爆したらしい。もともと周辺は居住区ではないために人的被害は確認されていないが、この近くには否認可の難民キャンプが存在している。そのため、若者や子供の遊び場になっていたらしい。
現状としてこのような難民キャンプは国内には数多に存在し、さらにISの台頭によって職を失った人間が急増してスラム街を増加させる要因にもなってしまっている。IS技術は確かに世界の技術レベルを押し上げたが、急激な進歩は多くの問題も生じさせていた。
間違いなくISが生み出した負の一面である。そしてその負の感情は開発者である束に向けられることも少なくない。しかし、そんな声を聞くたびに真実を知らされた鈴はやりきれない思いを抱いてしまう。
そんな場所で起きた騒動であった。
政府は周辺のキャンプ難民も避難させようとしているが、正確な名簿があるわけでもなく、避難民の確認に手間取っているらしい。急いでやってきた鈴たちが到着したときも慌てている政府関係者の姿があちこちに見られた。
「ちょっと、爆発物があるんでしょ? なに悠長にやってんのよ! 早く避難させなさい!」
現場でのろのろと指揮をしている太った中年の男性へと怒声を浴びせるように声をかける。実際、鈴はイラついていた。既に爆発が何箇所で起きているにも関わらずに周辺には未だに民間人の姿も見える。
対応が遅い。判断も遅い。鈴たちがこの事態に気づいてここに来るまで二時間弱の時間があったのに、未だに避難が完了していない。鈴は政府の無能さに怒っていた。こんなことなら甲龍を使ってでも飛んでくればよかった、と後悔したくらいだ。
「なんだお前は? 部外者が邪魔をするな!」
「あたしは代表候補生の凰鈴音よ。政府から火急の際は協力することになってるわ、そう話が通っているはずよ」
「! ほう、お前が噂の。今更ISなどに金をかけて、無駄金を使うこともなかろうに」
「……あ?」
「ふん、女子供が偉そうに。この場にお前は必要ない、下がっていてもらおうか」
いきなり喧嘩腰の言葉に鈴の額に青筋が浮かぶ。確かに無人機を得たことでこれまでの鬱憤を晴らすように男が女に仕返しでもするように見下す風潮が生まれていたが、こんな露骨なものは初めてだった。大体無人機そのものに男の復権を促す要素はないのだが、新型コアと同時期に広まったために無人機を得ることが男の手柄のような扱いにされていた。それを女性側が指摘することもあるが、未だに政府上層部は男性が主流のために不毛な言い争いへと発展している。
そんなくだらない茶番に付き合いきれない鈴は容易く怒りが沸点を超えた。
「んなこと言ってる場合か! 要救助者は? 逃げ遅れはいないの!?」
「ちっ、もう大体の人間は避難したはずだ」
「はず? そんな曖昧なことでいいわけないでしょうが! 坑道は全部調べたの?」
口出ししてくる鈴を鬱陶しそうにしているが、鈴としてはもしもの事態を考えれば自身の行為が間違っているとは思っていないし、思えない。
「………調べた形跡はないね」
うしろからポツリと火凛が言った。実際にそのような行動は起こしていなかった。やっていたことは、周囲の人間を追い払っただけに等しかった。杜撰、という言葉すら当てはまらないほどの怠慢であった。
「どうして無人機を使わないの?」
「え? 無人機があるの、先生?」
「外にあるトレーラー……無人機の輸送車でしょう?」
「だったら無人機を使えばいいでしょうが! こんなときのためのものでしょう!?」
無人機を強く嫌悪しているアイズやセシリア達と違い、鈴はある程度は無人機という存在を許容していた。私怨のない鈴は、無人機という価値もちゃんとわかっていた。人が活動できない極地や、災害時の活動など、使い方はいくらでも思いつく。それを戦争やテロ行為に使用することは許せないが、そういった使い方をするなら、それは“アリ”だろうと思っていた。
なのに、それをしない。その理由もまた、すぐに思いつく。
IS委員会がバカみたいに無人機を世界に拡散させているとはいえ、高価な代物であることには違いない。提供という形式ではあるが、ちゃんとそのための対価として莫大な金を必要とするし、維持費などのコストもその国が賄っている。
だから、もったいないのだろう。いるかどうかもわからない避難民の捜索に使うことを躊躇うほどに。
なにより国は災害救助ではなく国土防衛という戦力のために無人機を入手したのだ。こんないつ爆発するかもわからない危険地帯に投入してもし破壊でもなれば大赤字どころではなくなる。だから渋っているのだ。
鈴の頭がその結論を察したとき、とうとう限界を超えた。もはや怒りをぶつけることさえ不毛だと判断した鈴は怒りの感情を腹の奥底に溜めて底冷えするような声で告げた。
「もういい…………あたしが確認してくる」
「なんだと?」
「あたしが坑道内を調べてくる。地図をよこしなさい」
既に見限った鈴は口調も苛立ちを隠さずにむしろあからさまに怒りを示していた。鈴は礼を尽くすべき相手にはちゃんと対応するが、尊敬できない相手にははっきりと態度に出てしまう性格だ。どこまでも自分に正直であった。
「あたしの甲龍なら龍鱗帝釈布もあるし、いざというときは絶対防御もある。だから……」
「ダメだ! ISにどれだけの金がかけられていると思っている。万が一にも破損する危険を冒すわけにはいかん」
鈴ではなくISの心配をする時点でこの男の感性はおおよそ理解できる。もちろん、承服などするはずもない。
腹に溜めた怒りが熱を帯びてきたように感じられ、それが火山が噴火するかのようにせり上がってくる感じを覚えた。そろそろ本当に限界かと思われたとき、――――。
「まぁ、いいではないですか」
と、鈴が怒りで吠えそうになった寸前で新しく声がかかる。落ち着いた声だ。見れば鈴が苛立っていた男の後ろからスーツを着て人の良さそうな笑顔を浮かべた男性が近づいてきていた。
「凰さんといえば、我が国でも有数のIS操縦者です。協力してもらえるのならありがたいことではありませんか」
「だがっ」
「無人機を動かすだけでも予算を使います。なら、ここはひとつ彼女のお言葉に甘えてみては?」
「……ふん、勝手にしろ。ただし、責任はもたんぞ」
責任者の男はそれだけ言って苛立ちながら去っていく。そんな男に向かって鈴は思いっきりあかんべーをしてやった。
そんな鈴に申し訳なさそうに先程の男性が謝罪してきた。
「申し訳ありません。政府の内情も、あれが現実です。混乱が続き、まともに機能していない場合が多々あるのです」
「いえ、とりなしてくれて感謝しています」
「そう言ってもらえると助かります。私、補佐官を務めています楊と申します」
「凰鈴音です。ども」
こうした礼儀はしっかりと仕込まれている鈴はちゃんと敬語で返す。敬意の持てない相手には先程のようにあからさまな口調になるが、一応これくらいの分別はわきまえている。それでも少しやんちゃな口調なのはご愛嬌である。
「しかし、本来なら無人機を使えば話は早いんですが……李さん、今の責任者なんですが、あれは災害支援のものではない、と言って。せっかく政府が送ってきたのですが」
「ったく、もっとしっかりやって欲しいわ。でもあなたみたいな人もいるから助かります」
「いえ……それに、実は、ですね。いるかもしれないのです、要救助者が」
「どういうことですか?」
「十分ほど前に、無線で救助を求める声が入ったらしいのです。その後はなぜか音信不通になったのですが……」
「それを報告は?」
「当然、いたしました。しかし、信憑性が薄いとして……」
「ほんとなんであんなのが責任者してんのよ。でもいいわ、……最後に通信が来たのはどこからですか?」
「地図を用意してあります。申し訳ありませんが、任せてもよろしいでしょうか?」
楊の申し訳なさそうな声に、しかし鈴は笑って応える。こうやって期待してくれている人がいると知れただけでも鈴のテンションは上がる。調子がいいように見えるが、それは気持ちをバネにできる鈴の強みでもある。
「鈴ちゃんにお任せ、ってね!」
「じゃ、私は寝てるから。がんばってね」
「ちょ、先生!? バックアップしてくれないの!?」
「だって情報少なすぎてねぇ……姉さんと一緒にお昼寝でもしてるよ」
「むむ、もう! わかりましたよー、あたしだけでやってやりますよ!」
白状な姉妹はほっといて早速爆発物が見つかったという坑道へと行こうとする鈴の耳に、ふと火凛が呟いた言葉が飛び込んできた。
「え?」
はじめはなにを言っているのかわからなかった鈴であるが、真剣な目で見つめてくる火凛になにも言えずにただじっと見返してしまう。
いつもの眠たそうな目はしっかりと開かれ、まっすぐに鈴の瞳を射抜くように見つめてきている。そんな視線に鈴もわずかであるがたじろいでしまう。
「いいね、鈴音?」
「は、はい。そうすればいいんですよね?」
「くれぐれも内密に、ね?」
「はい……」
火凛の意図がよくわからない鈴であったが、時間もないし、とにかく師の言葉を胸に刻み込んでISを展開した。
***
「こりゃマップがなきゃ骨が折れるわ」
坑道に入って既に十分が経過していた。
ひたすらにマップに表示された、要救助者がいるらしいポイントを目指して駆け抜ける。廃棄されて久しい坑道はところどころに落石があったような痕跡があり、爆発物云々などなくても明らかに危険地帯であると否応にも理解する。通信で聞こえた声から、小さな女の子のようだったと聞いている。きっと心細い思いをしているだろう。だからもし本当にいるのなら、早く救助しなくてはいけない。
しかし、鈴の甲龍は機動力でいえばそれほど高いわけじゃない。瞬発力と敏捷性はかなり高いが、長距離加速は並程度の性能しかない。それこそラウラのオーバー・ザ・クラウドと比べると雲泥の差がある。それでも世界最高峰の技術の結晶であるISの、しかも第二形態に移行した専用機だ。決して遅くないペースで止まることなく進んでいく。
「……でも、これおかしくない?」
もうずっと深く、遠くに潜っているのにまだ目的地には届かない。救助という目的のためにとにかく急いでいるが、ISもなくただの子供が、こんな最深部にまで来るだろうか。照明もわずかしかないためにほとんど暗闇の状態だ。まだ一応配電が生きていたらしく、電気を通したことで少々の灯はあるとはいえ、こんな暗くて深い坑道の奥底へ行こうとする子供がいるとは考えにくい。ISのハイパーセンサーでようやく周囲の状況を確認しているくらいだ。子供でなくても、暗視スコープでもなければここまで到達することすら難しいだろう。
「先生の言ったとおり、なのかしら」
とにかく、ここまで来たら行くしかない。嫌な予感がどんどん強くなるが、もう出たとこ勝負するしかないだろう。ここで後退するという選択肢は、鈴の辞書には存在していない。
「もうちょい、ね。……最下層の中心部じゃない、なんでこんなとこに……」
少々狭い通路を甲龍で無理矢理に押し通る。こうした強行突破ができることもISの利点だろう。もっとも、今回のように地下坑道では崩落を危惧してあまり力技をするべきではないのだが。
そして救助を求める声があったというポイントにたどり着く。主坑道の終着点であろうその場所は大きなドーム状の空間となっており、トロッコを動かすための車線や無造作に積み重ねられた石材や廃材があちこちに見られた。
そしてなにより薄暗い。多少の灯はあるものの、目視だけでは自分のわずかな周囲しか視認できないだろう。
「誰かいる!? 救助にきたわ!」
大声を張り上げるが反応はない。しかし、ほんのわずかに何かが動く気配を捉える。アイズほどではないにしても、鈴も雨蘭との山奥でのサバイバルな修行をしてきたために気配察知にはそこそこ自信がある。
慎重に近づいていくと、物陰に隠れるように小さな女の子がうずくまっている姿が見えた。意識が少し混濁しているようだったが、その子がゆっくりと目を開けて鈴を見つめてきた。
「う、う……」
「大丈夫? こんなとこでどうしたの?」
「あ、うう」
少女は怯えたようにして身をすくませる。無理もないか、と鈴も苦笑する。こんな奈落の底のような場所で、目の前には正体不明のIS。ISは力の象徴でもある。力のない人間からしてみれば、暴力が形となったようなものだ。開発者である束にしてみれば顔をしかめるであろうこの現実も、鈴は何度も実感していることだった。
鈴は身をかがめ、なるべく少女と顔を近づける。悪戯っぽい笑みを浮かべながら、少女に話しかけた。
「あたしは凰鈴音、鈴って呼んでね。あなたの名前を教えてくれない?」
「……麗華(リーファ)」
「可愛い名前ね。親は?」
「いない」
「そっか。なんでここに?」
「……わかんない」
少し落ち着いてきたらしい麗華から話を聞けば、彼女自身も現状が理解できていないらしかった。彼女はやはりこの近くの難民キャンプで他の同じような天涯孤独な子供たちと一緒になんとか暮らしていたらしく、今日もたまたまこの鉱山跡地周辺で廃材拾いのために足を運んでいたらしい。
しかし、気がつけばどこかもわからない暗闇の中にいた。混乱するのは当然だろう、そんな中で手元になにかしらの機械があることに気付いた麗華はそれが通信機の類だと悟ると、必死に助けを乞うた。どこに繋がっているかもわからないそれに縋ったのは、他に手段がなかったからだ。結果、その声は外にいた人間に届き、そして鈴にも伝えられることになる。
しかし、それまでだった。通信機は数分で反応しなくなり、あとはひたすらに暗く、粉塵が混ざる空気の悪い中で耐えるしかなかった。やがて大声で助けを求め続けたせいで呼吸が苦しくなり、再び意識が遠のいてしまっていたようだ。
「………」
その説明を聞いていた鈴は、どんどん顔を強ばらせていく。
これは、災害ではないのではないか。明らかに人為的なものだ。どうして麗華をこんな目に合わせたのかはわからないが、これではまるで……。
鈴はこの場において無意味な思考を頭をふって斬り捨てる。そんなことより、今は麗華の救助が先決だった。
「………でも、ここから動こうとしなかったの?」
「動けないの」
「え?」
そして鈴は見た。
麗華の足につけられた拘束具と、それに繋がれた鎖。それが伸びて、あるものへと接続されている光景を。
それは人の形に似ていた。頭部があり、四肢があり、まるで鎧のような装甲で全身を覆った人形がいた。鈴は、それをよく知っていた。
これまで幾度となく戦い、破壊してきた、そしてこの国が受け入れた機械人形。ISを模した無人機であった。
――――これは、罠なんじゃないか?
鈴の直感が、激しく危険信号を発していた。
***
状況は最悪と言ってよかった。
麗華から聞いた話と、周辺を調査した結果わかったことは、あまりにも詰んでいるという状況だった。
無人機に接続された拘束具は、いわばスターターと連動しているらしい。つまり、麗華を助けようと拘束を解いた瞬間に“なぜか”存在するこの無人機が起動する。ならば先に破壊すればいいとも思うが、どうやらこの無人機は既に自爆シークエンスに入っているらしく、起動したら数秒後に大爆発。もちろん下手に手を出しても大爆発だ。鈴は甲龍があるので耐えられるかもしれないが、麗華はまず助からない。
そしてどうもこの坑道内のいたるところに妙な電波を発するなにかが設置されているらしい。それがなにかなど容易に想像できた。この無人機か、もしくは爆発物だろう。坑道内を広域スキャンした結果、見事に連鎖爆破で坑道をまるまる破壊できる位置に設置されていることが判明。
この場を乗り切っても、脱出に手間取ればこの坑道自体が崩落して生き埋めコースに直行ということだ。クソッタレ、と心中で吐き捨てた。
こればかりはISがあってもアウトだ。絶対防御とはいえ、これだけの大質量に押しつぶされれば耐え切れるものではない。
ISの絶対防御を貫通して操縦者に危害を加える方法として、生命維持の難しい空間、または状況に長時間拘束するというものがある。鈴は火凛から授業の一環として絶対防御を過信しすぎないようにと教わったものだ。たとえば臨海学校のときのアイズのように、意識を失って海底に沈むといったこともかなり危うい。そして今回のこれもまさにそんな状況に該当する。
しかも最悪なことに、今は通信がまったく届いていなかった。地下に潜り過ぎたら通信ができなくなる可能性があるとは聞いたが、いくらなんでも出来すぎなくらい悪状況に拍車をかけていた。いくらなんでもここまで状況が揃えばわかる。誰かは知らないが、鈴はまんまと罠にはめられたのだ。
「どうしたもんかしらねぇ」
現在の鈴はなんとISを解除して生身であった。地面に腰を下ろし、あぐら座りをしてそこへ麗華を後ろから抱くように抱え込んでいる。
恐怖で震える麗華を落ち着かせるためにあえて絶対防御という手段を捨て、鈴も同じ状況にしてみせたのだ。おかげで麗華の混乱もずいぶんマシになった。こうした子供は目線を合わせてやるだけでもずいぶんと落ち着いてくれる。
しかし、いくらなんでもいつ爆発してもおかしくない無人機を背にISを解除することは無謀が過ぎた。鈴でなければそんな度胸はなかっただろう。
「そっか、麗華はなかなか頭がいいのね」
「そんな大したものじゃないよ」
「大したもんよ。自信もちなさい」
そして今行っていることは雑談であった。和気藹々とした会話はここが地獄の一歩手前であることを忘れるようである。
しかし、鈴とて現実逃避をしていたわけではない。彼女はただ、待っていた。起死回生の一手を得るために、心を落ち着けて冷静にそこに鎮座していた。
「………!」
そして、その時は来た。鈴は一度深呼吸をすると、ゆっくりと麗華を放し、立ち上がった。
「おねえちゃん?」
「麗華、あなたは頭がいい。この状況の悪さもわかっているわね?」
「……うん」
未だに困惑しているが、いつも子供達のまとめ役をしていたというだけあって頭の回転は速かった。自分が、絶体絶命の状況であり、鈴の救助もかなり難しいということもなんとなく理解できていた。
「今から、ここから脱出するわ。あたしは麗華を守る。だからあなたもあたしを信じて欲しい」
「……」
「あたしも覚悟を決める。だからあなたも覚悟を決めなさい。必ずここから脱出するって」
麗華はじっと鈴を見つめ、そしてはっきりと頷いた。いい面構えになった麗華の頭を乱雑に撫でてやった鈴は改めて甲龍を展開した。
麗華に丸くなるように指示すると、龍鱗帝釈布をそっと巻きつけていく。くるまれた麗華を左腕でしっかりと抱え、さらに龍鱗帝釈布を命綱代わりにしっかりと機体に巻きつけていく。最後にまるでローブのように機体すべてを覆い、両足と右腕、頭部だけを晒して他はすべて防御を固める。
左手は完全に麗華を守るために防御に回す。しかし右腕は最大の攻撃手段として自由にさせておく。単一仕様能力のために必須の両足をしっかりと解し、能力発動の準備を行う。
ぎゅっと麗華を抱く腕に力を入れ、最後にもう一度深呼吸をして、そして手刀で麗華を縛り付けていた鎖を断ち切った。
ここからはスピード勝負だった。
無人機が稼働し、自爆のためのオーバーフロー状態へと急激に変化していく中、鈴はその無人機から離れるのではなく、逆に無人機に向かって跳躍した。
「お勤めご苦労さまッ!!」
両足を勢いよく突き出し、無人機に叩きつけた。見事なドロップキックであった。そして同時に能力発動、単一仕様能力【龍跳虎臥】の応用技、足裏部攻性転用衝撃砲“虎砲”をゼロ距離で叩き込んだ。激しい音を立てて吹き飛び、破壊される無人機には目もくれず、虎砲による反動を利用した鈴がまるでスタートダッシュのように一気にスピードを上げて飛翔した。
同時に爆発音と衝撃、あの無人機が自爆したのだろう。もちろん振り返るなんて無駄な動作をする余裕はない。
甲龍は短距離における瞬時加速や踏み込み、敏捷という点では屈指の性能を見せるが、ただ“駆けっこ”という点では平均よしマシな程度だ。近距離戦に特化したがゆえであるが、こんな曲がりくねった迷路のような坑道を駆け抜けることは少々不利だ。オーバー・ザ・クラウドならこの程度なら散歩するように余裕で駆け抜けるだろうが、鈴ができることは力技で駆けるだけだ。
「ぐうぅッ!!」
曲がり角でも鈴はスピードを緩めない。【龍跳虎臥】により足場を作り、無理矢理に軌道を変えていく。さすがに無理な方向転換に鈴の、そして甲龍の足にも負担がかかるが、その程度は根性で耐える。耐久力という点では鈴も、そして甲龍もトップクラスだと自負している。
そこでふと、目の前に無人機の姿が見える。ご丁寧に自爆直前のオーバーフロー状態だ。鈴は舌打ちしながら衝撃砲を発射し、もはやただの爆弾となっている無人機を吹き飛ばす。
そして急いで離れていくとやはり後方から爆発と衝撃。発勁掌では衝撃をそのまま内部にぶち込んでしまうので爆発に巻き込まれてしまう。だから衝撃砲でなるべく遠くへと吹き飛ばすしかない。
「よし、このままいけば……っ!?」
しかし、今度は前方で爆発。ISや無人機の反応はなかったようだ。つまりははじめから仕掛けられていた爆発物だろう。目の前の脱出ルートが落盤で塞がれてしまう。急ブレーキをかけ、落石に巻き込まれる前に停止する。その場で数秒の停滞、そして再び迷いもなく別ルートへと突き進む。
甲龍のパワーがあれば強行突破も可能だが、麗華を抱えている以上、それは最後の手段だ。まだルートがある以上、そちらに懸けるしかない。
そのあとも二度、進行ルート上で爆発があり進路変更を余儀なくされたが、鈴はその度に最適なルートを即座に選択してほとんど止まることなく坑道を駆け抜ける。
しかし、あと少しというところで最奥のほうから巨大な爆音が響き渡ってきた。鈴が一瞬だけ振り返ると、暗闇の中から炎が迫る光景が目に入ってきた。どうやらここを潰すための本命の爆発なのだろう。暗闇のなから生まれ、迫ってくる炎はまるで悪魔が這い出てくるように見えた。
坑道という狭い空間ゆえに、爆発で生じた衝撃と炎の進行速度が予想以上に早い。あと少しではあるが、このままではかなりまずい。
内心の焦りを抑えながら、鈴は脱出口に繋がる最後の直進ルートへと躍り出る。ここを直進すれば地上へと逃げられる。
「あと少しよ!」
「う、うん……!」
麗華も背後から迫る炎のプレッシャーは感じているのだろう。顔を青くしながらも、しかし力強く返事をする。最後の直進ならもう加減はいらない。鈴は瞬時加速とさらに虎砲の反動までも利用して可能な限り加速をかける。既に坑道の崩落は始まっている。時折襲いかかってくる頭上の落石を右手で砕きながら一心不乱にとにかく前へと進む。
しかし、それでも鈴に襲いかかる悪意は止まらない。
ようやく外の光りが見えたと思えば、まるでその希望を消すかのように落石によって道が塞がれてしまう。そして背後からはもうすぐそこまで迫っている爆炎。前門の壁、そして後門の炎。絶体絶命であるが、鈴は迷わずに右腕を構えた。
壁か、炎か。選ぶのは当然、壁であった。なぜならば。
「あたしと甲龍に砕けないものなんか、ないッッッ!!!」
鈴と甲龍にこの程度の壁では障害にすらならないのだから。
その自慢の拳を手加減なしで目の前の障害物へと叩きつける。凄まじいまでの力が圧縮され、そして浸透して爆発する。まるで風船が破裂するように障害となっていた岩壁が砕け散った。そして無理矢理に作った穴から甲龍が飛び出してくる。全身を龍鱗帝釈布で覆い、左半身を下方にすることで抱えた麗華を完全に守りきる。しかし、それと同時に背後から迫ってきた爆炎が鈴に追いついてしまう。さすがにあの炎に呑まれれば麗華の命はない。炎の熱までは防げないからだ。
鈴は唇を噛みながらこの先に見える憎らしいくらいの青空を睨んだ。
「麗華、丸くなってじっとしてなさい!………お師匠! 頼んだ!」
鈴は即断して無茶苦茶と思える打開策に賭けた。
龍鱗帝釈布でくるんだ麗華を、なんと脱出口へと向けて投げ飛ばしたのだ。まるでボールのように真っ赤な布にくるまれた麗華が坑道から飛び出て空へと舞った。
そしてその直後、鈴と甲龍が背後から迫っていた爆炎にその身を呑み込まれた。
***
「死ぬかと思ったわ」
一時間後、ケロッとした姿でそこでくつろいでいたのは炎に呑み込まれたはずの凰鈴音であった。
多少疲れた様子は見せているが、まるで死にかけたようには見えない。
「甲龍が守ってくれたからね。あたしはなんともないわ」
もちろん鈴自身も身体中に激しいダメージを受けているが、それ以上に甲龍のダメージが大きかった。装甲は焼け爛れ、コアにも多大な負荷がかかり現在は強制スリープモードで休眠状態となっている。しかし、それでもなお甲龍は相棒である鈴を守ったのだ。
「ホントに、最高の、自慢の相棒よ」
「ちゃんと私が直すから、心配しないでいいよ」
「ありがと、先生。……ほんと、先生がいなかったら今頃生き埋めだった」
「鈴音も、よくがんばったね」
「ん……」
優しく頭を撫でてもらいながら鈴も素直にその賛辞を受け取った。実際、麗華を助けられたのは誇りだ。最後にぶん投げた麗華は無事に雨蘭がキャッチして無傷だった。相変わらず恐ろしい身体能力を見せる師に頼もしさより呆れを感じてしまうのはお約束だろう。
その麗華も先程まで鈴を心配して見舞いにきてくれたのだが、無事だと知るや喜びでわんわんと泣いてしまい、今は極度の緊張から開放されたためか、ぐっすりと眠っている。雨蘭が付き添っているので心配もないだろう。
「あー、でもホント政府にはしっかりしてもらいたいもんよ。はじめから無人機でもなんでも使ってれば、あたしだってこんな苦労しなくてよかったのにさ」
「……鈴音」
「そうでしょ? あんなの災害救助に使ってこそのもんじゃない。それなのに出し惜しみしちゃってさ、そんなんだから……」
「鈴音、無理しなくていい」
「…………」
火凛がそう言うと、鈴は今までの元気が嘘のようにうつむいて、口を閉ざしてしまう。握った拳は震え、呼吸する音も乱れている。
鈴は今、混乱していた。そしてショックで心が揺れていたのだ。
「せ、先生……」
「なに?」
「今回のこと、あれって、あたしを、……殺そうとした、……そうですよね?」
「……」
火凛は無言だった。だが、それが答えだった。
最奥部にいた、まるで鈴をおびき出すように麗華がいたこと。そして麗華に仕組まれた爆破トラップと脱出を妨害するかのような不自然な爆破。実際に、鈴単独の力ではおそらくこの場にはいられなかっただろう。冷静に考えてみても、おそらくあそこで麗華ごと生き埋めになっていた確率のほうが高い。
なによりこんなことは偶然ではありえない、人為的に引き起こされたものだ。
そしてそれは、鈴を殺そうとしたことにほかならない。
「あたしが、なんで……」
「鈴音、落ち着く」
火凛が鈴を優しく抱く。鈴は勝気だし、前向きな性格でムードメーカーな少女であるが、それでもまだ子供なのだ。自身の命を狙われたと実感して、ひどく混乱している。どんなに優秀でも、十代半ばの少女にこの現実は辛すぎた。幾度となく他者の悪意によって死に直面してきたアイズのような存在は稀有なのだ。
「鈴音が憎いんじゃない。今の情勢で、突飛した力を見せるIS乗りが狙われたんだよ」
「ど、どうして? 確かに愛国心は強いわけじゃないけど、あたしは、ずっと国に協力して……!」
「鈴音、あなたはまだ悪意を知らない。人の悪意っていうのは、個人だけで国すら揺るがしてしまうほどに愚かで、怖いものなんだよ。鈴音はたまたまそんな悪意にかかってしまった。あなたが悪いわけじゃない、あなたは褒められることをしたんだよ」
アイズ達から話を聞いていても、鈴はまだ実感できていなかった。
混迷するときだからこそ、人の悪意は動くのだ。そしてそれは、誰彼構わずに危険にさらしてしまう可能性を孕んでいる。鈴は優秀だ、そしてそれゆえに狙われたのだ。
鈴とて、これまで羨望や嫉妬を向けられたことはあるが、こんな悪意に晒されたことはなかった。だから怖かった。かつて、学園では負けることの恐怖を学んだ鈴であったが、こんな理不尽な悪意による恐怖は始めて知ったのだ。
怖い、人の悪意が、こんなにも怖い。
アイズは、セシリアは、そして束は、こんなものと戦ってきたのか。友たちの覚悟のほどが、このときになってようやく理解したのだ。
鈴は火凛に幼子のように抱きしめられながら、じっと目を閉じて考える。
迷いもあった。葛藤もあった。それでも鈴は自分の意思で、考えでそれを決めた。
「先生……あたし、ようやくわかったの。アイズたちが、なんでああも無人機を嫌悪しているのか」
ISでありながら、人の意思が通わない鉄の人形。それが許せないのだ。空を飛び、夢へと翔けるためのものを、ただの人間の悪意によって利用される存在になり下がっている。
だから許せないのだ。同じ形をした、意思を宿さない、人と共存しないその存在が。
「そっか、そうだね。それで鈴音はどうしたの?」
「あたしは……」
この判断はきっと感情的なものだ。でも、鈴にとってこの決断は後悔しないと思えるだけのものだった。今の自分を捨てることでも、それでも決して後悔しない未来にしたいがために。
「……なんか騒がしいなぁ」
こんなときになにやら外が騒がしい。どうやらあの偉そうな高官がきているようだ。鈴はなにか覚悟をしたように顔付きを変えて立ち上がると、扉を開けて外へと出た。
そこではやはりあの高官が苛立たしそうな顔で立っており、守るように立っていた雨蘭とにらみ合っていた。
「お師匠」
「おう、もういいのか?」
「はい、それで、なんの騒ぎです?」
「おまえを拘束するんだと」
するとただでさえ真っ赤にしていた顔をさらに紅潮させて李が叫んだ。
「保護だと言っているだろう! あれほどの力をもった者を自由にさせておくわけにはいかん! これからは政府の管理のもとでその力を使ってもらう」
「つまりは飼い殺しか? せめてもう少し言葉を選べ」
「そもそも貴様には関係ないことだろう! 保護者でもないくせにでしゃばってくるな!」
「ああん?」
「お師匠、もういいよ」
キレそうな雨蘭を抑えて鈴が前に出る。あくまで冷静な対応をしつつも、鈴はそれをはっきりと断った。
「お断りします」
「なんだと?」
「あたしは、今の政府に使われるなんて嫌だと言っているんです。守るべき国民を見捨てるような人に、誰が従うんです?」
「国家に逆らう気か?」
「それがそうなるというのなら国家反逆罪でもなんでも構わないわ。そりゃあ平時なら許されないことでしょうけど、今の信用できない政府に振る尻尾はないわ」
「貴様!」
「それに、あんた、…………あの子も、あたしも見捨てる気だったでしょう? そんなやつの言うことなんか、聞くわけないでしょうがぁっ!!」
「がぁっ!?」
殴った。しかも平手ではなく拳だ。見事な右ストレートが李を吹っ飛ばした。ついてきていた補佐官たちが慌てているが鈴は威圧するように表情を歪めている。しかし、その顔はどこか悲しげだった。
「あたしは、代表候補生をやめる」
「なに!?」
「あんたみたいな人は権力や金で飼えるんでしょうけど、生憎ね」
腰に手を当て、胸を張る。少女が出しているとは思えない威圧感がその場を支配する。平然としているのは師の雨蘭と火凛くらいだった。
「龍を飼うことなんかできない。あんたは、龍の逆鱗に触れたのよ!」
***
「やっちまったぁ……」
後悔こそしていないが、あまりにも感情的になりすぎたと反省していた。あのムカつく男を殴ってからはそのまま熱で暴走するように大暴れして逃亡してしまった。完全にアウトな行為だ。間違いなく国家反逆罪としてISと資格の剥奪だろう。
しかし、あんな卑劣な手段で謀殺されそうになった以上、鈴はもうこの国にいる気はなかった。無人機という存在を駆除しなければ、おそらくこの先もずっとこんな目に会う。
ならば、もういっそのこと抜けてしまったほうがいいかもしれない。幸いにもその手段もツテもある。それに何を考えたか、ありがたいことに火凛と雨蘭も付き合ってくれるらしい。
というか、もうそうするしかない。なぜなら、火鈴と雨蘭も政府高官を殴り飛ばすという暴挙を行ったのだ。おかげでみんなそろって大逃亡をするはめになった。今は火凛と雨蘭が野暮用があるとかでどこかへと行ってしまったが、これから先のことを考えると胃が痛くなりそうだった。
「……おねえちゃん、大丈夫?」
「大丈夫よ、……でも麗華、ついてきてよかったの?」
隣に寄り添う麗華には申し訳ない思いしかなかった。混乱から逃げる際、どうしても麗華を放っておけなかったのだ。心情的ではなく、利用された麗華一人を残していくことがどれだけ危険か危惧した結果だ。それに麗華もそれを望んだ、というのもある。
「うん。ついていく」
「……まぁ、どっかちゃんと預けられるとこを見つけるまでは面倒みるわ。そういうアテも知ってるし」
鈴はセシリアからもらった特殊な端末を取り出した。カレイドマテリアル社が作った特別製で、これを使えば直通でセシリアと連絡が繋がる代物だった。
「まだ、はっきり戦う理由が決まったわけじゃない………でも、戦わなきゃいけない理由は見つかった」
「……おねえちゃん?」
「とりあえず、麗華みたいな子が利用されるような世界は、受け入れられないからね」
考えなしの感情論だろうか。だがそれでもいい。こんなことがまかり通る世界は、国は許せない。それが偽りのない鈴の本心なのだから。
麗華の頭を撫でながら鈴は通信を繋ぐ。数秒後に、久しぶりに聞く友の声が響いてきた。
『お久しぶりですね、鈴さん。ごきげんいかが?』
「絶好調よ。いろいろとね。…………セシリア、頼みがあるのよ」
『なんでしょう?』
「誘いを受けようと思うのよ。今ならあたしの他に優秀な科学者と、化け物級の戦闘員、あと期間限定で可愛い女の子もついてくるわ」
『それはお買い得ですね』
「だから………あたしを買ってほしい。できる?」
『社長の許可はとってあります。“灰色な合法”で鈴さんを買い取らせてもらいます。歓迎しますよ』
「悪いわね……理由とかは、あとで話すわ」
結局はこうなる運命なのかもしれない。鈴はガラにもないことを考えながら、自身の未来を選択した。
「あたし、セプテントリオンに入るわ」
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