熱気。ここにあるのはまさにそれだ。
地下だとわかるジメジメとした空気、特有の冷たさ、人工の光によって照らされたその空間には多くの人間が中心にあるリングへと群がっていた。
しかし、リングというにはいささか荒々しい。金網で仕切られた四角の無骨な、まるで檻のようなリングには一人の男が腕を組んで立っている。丸太のような太い腕に筋肉の鎧で覆われた肉体、まさに全身が凶器となるかのような巨漢だ。体中につけられた傷はその男が歴戦の戦士であることを証明している。
彼はこの地下格闘場におけるチャンピオンであった。ここで幾多もの挑戦者を血祭りにあげてきた生ける伝説であった。
そんな男が今、まさに新たな獲物の登場を待っていた。強いことこそがここで生きる術であり、金を稼ぐために最も必要な要素だった。彼はもはや敵なしと呼ばれ、まさにここの支配者だった。
「…………あん?」
そんな彼の前に、今回の獲物が現れる。だが、彼はその姿を見て唖然としてしまった。
現れたのは、まだ年端もいかない少女だった。低い背に、細い四肢。戦闘服と思しき改造されたチャイナドレスを纏っている。
まるで縁日の屋台で売っていそうな妙な意匠の仮面をつけているが、それはまるでお祭りから迷い込んだただの子供のようにも見える。仮面の両脇から伸びる結った長い髪をなびかせながらしっかりとした足取りで近づいてくる。その少女は金網の傍までやってくると、コテンと可愛らしく首をかしげながら声をかけてきた。
「あんたがここのチャンピオン?」
「おいおい、なんの冗談だ? いつからここはガキの託児所になったんだ?」
「あんたを倒せば賞金がもらえるんでしょ?」
「だからなんだガキ。おまえが倒すってのか?」
「あたしも気乗りしないんだけどさぁ………だって、……」
少女はその場から軽く跳躍すると、金網に足をかける。それを二歩、三歩と繰り返し、高さ二メートル以上はあった金網を腕を使わずに登りきり、くるくると回転しながら軽い身のこなしでデスマッチのリングへと降り立った。その忍者のような軽い身のこなしに少々びっくりするも、未だに男は不機嫌そうな顔のままだ。
だが、次の少女の言葉が男の平静を根こそぎ奪ってしまった。
「やっぱめんどいなぁ、いくら旅代を稼ぐためにお師匠から言われたこととはいえ…………あんた、そんな強くないじゃん」
肩をすくめながら、まるで期待はずれだとい言うような少女は、仮面越しにわかるほど大きなため息をついた。
舐められている。これまでこの地下格闘場で何人もの人間を血祭りにあげ、無敗の王者として君臨した自分を舐めきっている!
プライドの高い彼はその事実だけで容易く激昂した。相手が少女だろうが、もう関係ない。
その丸太のような腕を振り上げる。こんな細い少女など、これに打たれただけで折れて崩れるだろう。
「死ねやガキィ!」
上段から振り下ろされたその腕を―――。
「お断りよ」
少女は、その男の腕を、あっさりと受け止める。まるで当てつけるように、同じ右腕一本だけで。
「は?」
男はその光景が信じられなかった。少女の細腕が、自身の自慢の腕をあっさりと止めたのだ。
いったいどういうことだ。意味がわからない。受け止められるような質量差でも力でもないはずだ。にもかかわらずに、少女は苦もなくそれを為してしまう。
もし、男がまだ冷静だったのなら気づいたかもしれない。少女は決して力で対抗したのではない。柔らかく衝撃を拡散させるように、振り下ろされる腕の力のベクトルを霧散させていたのだ。浸透勁を受身で使うことによる高等応用技の衝撃拡散である。
「あんた、やっぱ弱い。お師匠の足元にも及ばない」
すると少女は男の腕を足場に大きく跳躍し、その小さな身体を回転させてその勢いのままの右足を振り抜いた。
「ごがっ!?」
爪先が男の顔面を捉える。振り抜かれた足は男の首を大きく揺らし、意識もかき乱す。そうしてゆっくりと、大きな音を立てながらリングに倒れる。痙攣するように震えていたが、やがてゆっくりとその巨体を起こし始める。
「けっこうタフね」
「て、てめぇ、このガキ……!」
「お師匠が言うにはちょうどいいサンドバックにはなるってことらしいけど…………なるほど、もうちょっと遊んでも良さそうね」
「し、師匠だと?」
「ああ、なんかお師匠も昔はここで荒稼ぎしたって言ってたけど? もしかして知り合い? 紅雨蘭っていうんだけど」
「ほ、紅雨蘭だと!?」
男だけでなく、その言葉を聞いていた全ての人間が驚愕し、恐れ慄いた。そんな様子を見ていた少女は「どんだけ暴れたのよお師匠……」とか呟いている。
紅雨蘭。その名はこの地下格闘場において一種の伝説であった。最強不敗の女、羅刹の化身、鮮血の修羅など様々な二つ名を持ち、ある日姿を消すまで畏怖の象徴となっていた存在だった。
「紅雨蘭の弟子だってのか!?」
「まーね」
「そ、そんな話は聞いてねぇぞ!?」
雨蘭の名を出した途端にうろたえる男に、少女はもうやる気すらなくしていた。自らの師匠の悪名だけで勝手に戦意喪失した相手に興味など抱くはずもない。
「ほらほらどーすんの? まだやる? やらないんならとっとと白旗をあげなさい」
「ぐ、ぐぐ……っ!」
「こんな小娘に気圧される時点でアウトよ、とっとと……」
「ぐ、うおおおおあああ―――ッッッ!!!」
「お?」
男は自棄にでもなったように雄叫びを上げて突進してくる。如何に技量差があれど、これだけの体重差がある相手に体当たりをされるだけでかなりのダメージを受けることになるだろう。
しかし、それを目の前にしても少女は揺るがない。
「根性あるじゃない。なら、あたしも相応の礼をしないとね」
腰を落とし、足を大地に縫い付けるようにしっかりと踏み込んだ。弓のように身体をしならせ、向かってくる男に対してゆっくりと狙いをつける。
「お師匠直伝の奥義っぽい技……」
「死ねやぁぁぁーッ!!」
身体中から気を練り上げ、衝突する瞬間に淀みのない美しいほどの力の伝達が爆発的な威力を生み出す力の奔流となってその自慢の右腕へと収束する。
「練功雀虎架推掌」
それはまるで交通事故でも見ているようだった。
まるで小型の車が大型のダンプカーに衝突して跳ね返るような、そんな光景によく似ていた。激しい衝突音が轟き、宙に舞った。
ただ、違和感があるとするならば。
吹き飛んだのは、小柄な少女ではなく巨漢のほうであった。まるで野球のボールのように少女が放った掌打によって勢いよく跳ね返された男はそのまま金網へと激突して動かなくなった。一瞬で意識を刈り取られたようだ。少女は「あ、やべ、やりすぎた」などと言って少し焦っているが、男がちゃんと生きていることを確認するとほっと安心したように頭を押さえた。
あまりの光景に誰も彼もが口を閉ざす中、件の少女だけが元気よく腕を振り上げて声を張り上げた。
「と、とにかく、これであたしの勝ちね。賞金よこせオラー!」
もはや、追い剥ぎのようであった。
***
「よくやった、我が弟子よ」
「よくやった、じゃねーよお師匠!? なんであたしがあんな胡散臭い世紀末チックなとこで格闘漫画みたいなことしなきゃなんないんだっつーの!」
「楽しかったろう?」
「雑魚ばっかで話になんないわよ! アイズやラウラのほうがよっぽど強いわ。……というかお師匠! あんたの悪名なんなの!? 修羅? 羅刹? いったいなにしたの!? というか旅費を稼ぐならお師匠が出ればよかったじゃん!?」
「私は出禁だ」
「マジでなにしたの!? あたしだって今の情勢でどんだけ価値があるかは疑問だけど一応国家の代表候補生って立場があるんだからね!? 正体バレたらまずいから仮面かぶったけど、あんなアンダーグラウンドの戦い完全にアウトだよ!」
「…………よく飽きずに毎日喧嘩できるね、二人共。それより鈴音、ごはんまだー?」
「ああもう! このズボラ姉妹! なんでお師匠も先生もこんなに女子力低いんだー!?」
ぎゃー! と悲鳴を上げながらも凄まじい速さでキャベツを切っていく。
荒野のど真ん中、満天の星空の下で素晴らしい手際で吠えながら料理を作る少女がいた。彼女の名は凰鈴音。現在IS学園を休学中であり、国からの帰国命令が出されたためにやむなく中国のあちこちをさまよっている野良龍虎である。
「ほら、鈴音の自分探し青春の旅に同行してあげてるんだし、食事の面倒くらいいいじゃん?」
「先生は食事どころか、炊事洗濯掃除全部ダメでしょ!」
「できる弟子をもった私は幸福だね」
「先生は頭いいくせに興味もったことしかしないし、お師匠は脳筋だしバカだしツンデレだし! あたしがいないとほんとダメなんだから!」
「おいてめぇなんつった?」
喧嘩みたいな会話であるが、恒例となったやり取りである。
凰鈴音は確かに紅雨蘭、火凛姉妹を尊敬しているが、同じくらいこの姉妹の生活力の無さにがっくりしていた。昔からこの二人はこうした私生活の面では残念すぎた。IS学園に入学する前までずっとほとんど同居していた鈴が家事を引き受けていたくらいだ。
おかげで料理の腕はますます上がったし、いつ嫁にいっても大丈夫なくらい生活におけるスキルを手に入れることになった。鈴がいろいろとハイスペックな理由はいい意味でも悪い意味でもこの姉妹のおかげである。
「あー、でもこんな生活が懐かしいと思っちゃうあたしももう手遅れかも」
日本から離れ、そして再び日本のIS学園へと入学するまで鈴はほとんどの時間をこの姉妹のもとで過ごした。ゆえに一夏たちとバカをやっていたときと同じくらい、この二人と一緒にいる時間が好きだった。
新型コアの登場によって世界が揺れに揺れている中、鈴自身も身の振り方に悩んでいたときだからこそ、こうして自分に付き合ってくれる二人の恩師には感謝している。
鈴自身はIS学園に残っていようとも思ったが、国から強制帰国命令が出されたために止むなく再び中国に帰国することになった。鈴のように一時的に帰国を命じられた生徒もかなりの数になる。鈴も帰国した当初は国からの要請で国内の治安維持などの仕事を請け負ったりしていたのだが、新型コアの支持派と反対派による対立が深まるにつれて鈴は居心地の悪さを感じるようになってしまった。
そして、中国は新型コアではなく、無人機による戦力増強を選択した。つまり、カレイドマテリアル社ではなくIS委員会寄りとなった。しかし、これは仕方のない選択ともいえた。中国という国は国土も広く、そして世界有数の人口を持つ国だ。数が制限されている現状では新型コアを十分量確保することは難しく、それに対して無人機ならば数を揃えることが容易だった。
ISという戦力が再び拡散されたことで国土防衛の必要性が高まり、そのためにも少数で慣熟に時間もかかる新型コアのISではなく、人を必要としない無人機が選ばれたのだ。
そうした背景から、鈴も微妙な立場となってしまった。無人機の有用性は鈴も認めるところだが、そこだけしか見ない政府関係者からは冷たい目で見られ、もはや国家代表候補生など必要ないなどという議論すらされる始末だ。鈴とて、その実力は大いに示しているはずなのだが、国にとって必要なのは個の強さではなく安定した数の戦力だった。
かなりストレスが溜まっていた鈴は火凛の提案で中国各地を回る旅に出ることにした。国からもIS支持派と無人機支持派の対立に余計な波風を立てないように定期的な連絡と国の中にとどまること、そして各地における暴動の鎮圧などの協力を条件にこれを承諾した。
ちなみにこれらの交渉を行う前にデモンストレーションと称して発破解体が決定しているビルを武装を使わずに拳だけで一撃粉砕して見せてやったおかげですんなりと鈴の意見が通ることになった。担当官は顔を青くしていたが気のせいだろう。
脅し? 勝手に向こうがビビっただけである。
おかげで鈴はこうして紅姉妹と一緒になって国内を気ままに巡れることになった。火凛が設計した大型キャンピングカーを使って揺れ動く国内の情勢を実際に見て回っているというわけだ。移動手段であり家でもあるこのキャンピングカーは火凛特製だけあってISの整備も可能な代物で、おかげで鈴はこの半年、雨蘭から鍛えられ、さらに火凛に甲龍をカスタマイズしてもらいさらなる成長を遂げていた。
比較対象がいないためにどれくらい強くなっているか鈴本人も気づいていなかったが、既に鈴は中国でも最強格のIS操縦者だ。その力を危惧して鈴からISを取り上げようという声もあったが、それを躊躇わせるほどに鈴の単機戦力は魅力的だった。データ上でも鈴と甲龍に対し、この国には単機で対抗できる存在はISも無人機も存在していないのだ。
実際、この半年で鈴は単独でありながら散発的に破壊工作をしている無人機を十六機を撃墜し、さらに一度だけ寝込みを襲ってきたどこかの国の特殊部隊らしき集団を雨蘭とともに生身で撃退している。(のちにこれは大国の非正規特殊部隊だと知ることになる)
そんなおかしい成長を遂げている鈴であるが、私生活面ではこうして師二人の雑用・世話係でしかなかった。
「おっしゃ、鈴ちゃん特製酢豚と回鍋肉だ!」
「料理は鈴音には敵わないね」
「鈴音、酒も出してくれ」
「はいはい、お師匠の大好きな清酒ですよーっと」
文句を言いながらも鈴は慣れた手つきできっちりと家事をこなしている。
星空の下でランプの灯に照らされながら三人はゆっくりと食事を楽しむ。こうした旅を続けて半年近く。もともと山奥で生活していたこともあってすっかりこの生活も板についてきた。
「でも本当にどこ行っても混乱してるよね。田舎はそうでもないけど、ISだー、無人機だーって言い合いばっか」
「しょうがない、とも思うけどね。ここ十年の常識がひっくり返ったわけだし。そもそもたった十年で女尊男卑が広まったことだって異常なんだけど…………今にして思えば、誘導されてたのかもね」
「くだらんな。男だろうと女だろうと、結局は強いか弱いかだろうに」
「生身でISに対抗できそうなお師匠が言うことじゃないよ。というか、たまに暴動まで起きるってなんなのよ……そしてあたしが狙われるってどういうことなのよ」
「無人機支持派がIS乗りを妬んだか、はたまた女性が憎い男の逆恨みか、それとも昔鈴音にフラれた男の復讐とか?」
「やられたほうは冗談じゃないわよ、まったく。あと先生、あたしは告られたことなんてねーよ畜生」
鈴はぷんぷんと怒りながら回鍋肉を口の中にかき込んでいく。どんな慈善行為をしても、鈴が女だから、IS乗りだから、と理由で謂れのない中傷を受けたことも一度や二度ではない。もともと男とか女で優越が決まるなんて考えは好きではなかった鈴にとって、そんな主義主張をぶつけられるほうが鬱陶しかった。
「ホント、あいつらはなにがしたいのやら」
「でもいいの? スカウトされたんでしょ?」
そう、鈴はセシリアからセプテントリオンに来ないかと誘いを受けていた。この情勢では国家代表候補生という肩書きもあまり大きなものではないし、カレイドマテリアル社の暴君がそのへんのことはどうにかしてくれると言っていた。
嬉しい誘いであったが、未だ揺れる世界で通すべき己の意地や目的が希薄な鈴はその誘いを保留にしてもらった。ある程度は予想していたのだろう、セシリアもその気になったら連絡をくれと言って直通のアドレスを教えてもらっている。
「んー、あいつらの力にはなってやりたいけど、なんか今のままだと気持ちが中途半端になりそうで……せめて、あたしがあいつらと一緒になって戦う理由ができなきゃ、ね。そうじゃないとなんかあいつらにも、あたしにも失礼な気がするし」
「おまえはそういうところは繊細だからな」
「お師匠は脳筋だけどね」
「表に出ろ馬鹿弟子」
「もう表だよバカお師匠!」
乱闘を始める馬鹿な師弟を見ながらマイペースに火凛は酢豚を食べる。
今日も、一応は平和であった。
***
「ぐぅおォッ!? がはっ、ゲホっ!!」
腹部を抑えながら激しく咳き込む。綺麗に浸透勁を叩き込まれたために下手にダメージが残るような怪我ではなかったが、痛いものは痛い。内蔵がかき乱されるような衝撃にその場でうずくまって悶えるしかなかった。
そんな鈴の様子をじっと見ていた雨蘭が小さくため息をついてそんな鈴を介抱してやる。
「どうだ? 役に立つ技だろう?」
「こ、んなん、反則、でしょ……!」
「奥義っぽいのを教えてほしいと言ったのはお前だろう、阿呆。だから実践してみせたんだろうが」
「まず、は……口で言えって、の………だ、から脳筋だ、っての」
「身体で覚えるほうが得意だろう?」
「いつか、ぶん殴ってや、るからな……ッ!」
確かに言った。
日課である朝の修行のとき、鍛え直す意味で基礎ばかりやっていた鈴がふと雨蘭に奥義っぽい技とかないのかと聞いたことがきっかけだった。すると奥義ではないが覚えておくと便利な技があるとのこと。興味を持った鈴が是非見たいと言うと、「発勁掌を叩き込んでみろ」と右腕を掲げたのだ。
いったい何をするのかと思いながら、鬱憤を晴らすように思い切り言われたように雨蘭の右手に発勁掌を叩き込んだ鈴であったが、次の瞬間には鈴は地面に倒れていた。対して発勁を叩き込まれたはずの雨蘭はケロッとしており、まるでダメージがあるようには見えない。
それは当然だった。なぜなら、鈴の叩き込んだ浸透勁のダメージは全て雨蘭の身体を伝ってそっと鈴の腹に添えられた左手を介して鈴に返されたのだ。
結果、鈴は自らの発勁掌の破壊力をその身で受けてしまう。
発勁流し、と呼ばれる技法であった。身体に入り込んでくる発勁の衝撃の逃げ道を作り、ダメージを素通りさせる超高等技術である。タイミングを誤ればダメージは受け流すどころかすべてダイレクトに受けてしまう危険があるものだ。しかし、これを極めれば自身に対するダメージを直撃したにも関わらずに受け流すことができるようになる。外傷はどうにもならないが、内傷のダメージを無効化できるという点で凄まじい技である。
「けほげほっ、ようやく回復してきたわ……それにしても発勁の硬気功による防御手段は教わったけど、まさか無効化手段まであるなんて……」
「身体を伝達させて別のものへと流す技法だからな。その特性から硬気功との両立はできないがな。だから成功すればでかいが、失敗すれば直撃だ」
「ハイリスクハイリターンの技か……」
「欲しいか?」
「欲しい!」
目をキラキラさせて言う鈴は、まるで母親に餌を強請る猫のように見えた。子猫、というにはいささか荒っぽいが、ネコ科の動物を思わせる野性的な笑みは鈴の魅力でもあった。
「ようはあれだ。自分の身体に入ってきた衝撃を一切の抵抗なく受け入れて、そのまま吐き出すようなもんだ」
「言いたいことはわかるけど、もっとうまい説明ないの?」
「うるさいな、こういうのは身体で覚えればいいんだよ。オラいくぞ、今からお前に発勁ブチ込んでやるから受け流せ」
「へ?」
「オラァッ!!」
「ぐべらぁッ!!?」
***
「それでそんなボロボロなんだ」
「あの脳筋お師匠、いつか絶対ぶっ飛ばしてやる」
「しょうがないよ、あれは姉さんの愛だから」
ボロボロになった鈴が文句を言いながら火凛と一緒になって甲龍のメンテナンスを行っている。鈴はもう一人の師である火凛からISの基礎理論から応用、さらに実際の整備に至るまで一通りの手ほどきを受けている。自身の相棒をちゃんと自分で整備するのは当然だった。
そんな鈴でも理解しきれない部分の整備は火凛がやってくれているが、基本的には鈴が自分でやることにしている。とはいえ、龍鱗帝釈布や単一仕様能力【龍跳虎臥】など、特殊なものについては全面的に火凛が見ている。このあたりの機構は今の鈴でも理解が難しいくらい複雑だった。
「……で、その発勁流しをISで再現したいって?」
「そうそう」
「あのね、簡単に言うけど、ISで発勁を打てるようにすることだってめちゃくちゃ苦労したんだけど?」
「難しいのはわかってるけど、だからこそロマンがあるじゃない?」
「衝撃を流すってことは、力の伝達が恐ろしく滑らかだということ。つまり抵抗がほぼない状態を作り出さなきゃいけないわけで、外部、IS、人体、IS、外部、というプロセスを淀みなく通すことは、それこそ複数の針の穴に同時に糸を通すくらい難しいよ。そもそもシールドエネルギーの干渉をどうにかしなくちゃいけないし……」
「できないの?」
難しい顔をする鈴に対し、火凛はあくまで表情を変えずに返す。
「そうだね、……鈴音と甲龍が人機一体にまで至ればまだ可能性はあるかもね」
「人機一体…………あのアイズの領域、か」
アイズの奥の手がISとの人機一体、二心同体の境地へ至ることだと聞いたことのある鈴はすぐに天然な笑顔を浮かべる友の顔を思い浮かべた。
「もちろん、鈴音も甲龍もたくさん精進しなきゃいけないけど………なかなかに至難だねぇ」
「でも、だからこそ面白い! でしょ?」
「そうだね。面白そうだね…………わかった。可愛い弟子の頼みだ、なんとかやってみようじゃない」
「さっすが先生!」
火凛もなんだかんだいって興味を優先する性格をしていた。鈴からはいつも突拍子もない注文を受けるが、それでも最後には鈴が応えてくれるのでIS技術者としても鈴と甲龍の進化には興味がある。それにこれまでこんな武術をISで再現しようなんて思う人間はいなかった。あの篠ノ之束でさえ感嘆させたくらいだ。
少し考えただけでもかなり難しいが、できないことはないかもしれない。鈴は努力家だし、理不尽には理不尽でもって切り拓いてきた少女だ。もっともっと進化していく愛弟子を見ることも一興であった。
だから鈴にはもうちょっとがんばってもらわなければならない。火凛は笑顔で鈴に地獄を勧めた。
「それじゃまずはデータ取りからだね。IS装備状態での発勁の伝達と抵抗値を調べるから姉さんにボコられてきて」
「またぁ!? というかお師匠の発勁ってIS装備しててもめちゃくちゃ痛いんですけど!」
規格外だと言われる鈴から見ても師匠のデタラメっぷりは呆れるほどだ。きっとISが空を飛ばないという条件下なら生身で倒してしまうんじゃないかというくらいに紅雨蘭という女は化け物だと認識していた。そしておそらくそれは正しい。簡単ではないだろうが、雨蘭の拳がISの防御を突破できる以上、機体は破壊できなくても操縦者を気絶させることくらいはできるだろう。本当に恐ろしい師匠である。
「いいからいいから。ほら、鈴音って痛みを糧にするタイプじゃん?」
「好きでそうしてるわけじゃないんですけど!? あたしはこれでも頭脳派のつもりなんですけど!」
「いや、どうみても鈴音は肉体派でしょ。……それに、強くなりたいんでしょ?」
「ぐ、ぬぬ………いいよ、やってやんよ! かかってこいや脳筋ツンデレ!」
鈴がそう叫びながら再び雨蘭のもとへと走り出していく。
元気なバカワイイ弟子の微笑ましい姿にくすくす笑っていた火凛であったが、ふと視界に入ってきたソレを見て眉をしかめた。
「…………煙?」
山を二つか三つほど超えたあたりだろうか。
かなりの規模の火災でも起きているんじゃないかというほど膨大な黒煙が立ち上っていた。そして、それだけではなく―――。
「………爆発音?」
重い振動と音が、今度ははっきりと火凛にまで届いていた。
鈴ちゃん編の前編です。
毎度鈴ちゃんを描くのは楽しいです。今回でまた鈴ちゃんのパワーアップフラグが立ちました。鈴ちゃんもどんどんチート化していくなぁ。
後編ではタイトル通りに鈴ちゃんがプッツンしちゃう話になります。実は鈴ちゃんって仲間内でも冷静な部類に入るキャラなんですよね。原作でもわずかな期間で代表候補生の専用機持ちになったことを考えればおそろしく優秀ですよね。
だから原作でももっと強くてもいいんじゃない? とか思ったのでここでは自重しません(笑)
感想や要望お待ちしております、それではまた次回に!