【side 鈴】
気という概念は実は自分にもよくわかっていない。丹田に溜め、身体を巡らせる気合のようなもの、という漠然とした解釈をしているだけだ。
お師匠からは明確に言葉にできなくても感性で理解すればいい、と言われているのでそれ以上考えたこともない。ただ、己の身体をめぐるなにかの力は常に感じている。
その力……気を身体に巡らせ、それに乗せて己の意思を宿す。
強く在りたい、もっと、もっと。意識を抽出させ、練りこむようにすると身体も活性化する。そして体内を巡る気を操り、拳へと集中させる。淀みなく流れるように繰り出す。もちろん、いつもいつもこんなことを考えてやっているわけじゃない。身体に染み付いた動きを言葉にしてみたら、こうなっただけだ。
「撥ッ!」
ドン、という音を立てて掌を当てた大木が震える。触れた幹には罅が入り、真っ二つになるように大木に割れ目が走った。
…………ふむ、まぁこんなものか。お師匠ならあっさりと木っ端微塵にできるだろうけど。くそ、あの脳筋、いったいどんな鍛え方してんだ?
「相変わらずお見事ですね」
「なんだ、見てたんだ」
「よく言うよ。僕たちがいるって気づいていたくせに」
振り向くとそこにいたのはドリンクを持ったセシリアとシャルロット。確かに気配はずっと感じてたけど、誰かまでは断定できてなんかないし。そこまでいくとアイズ級の気配察知が必要だろう。
二人ともずいぶんラフな格好をしているからか、薄着のせいなのか、忌々しい胸のふくらみがやたらと目を引く。おのれ、その胸はあたしに対する皮肉かちくしょう。ラウラはともかく、アイズなんか背丈はあたしと同じくらいなのに、発育が段違いだ。くっ……!
「なんで悔しそうな顔してるのかな?」
「鈴さんにもいろいろあるのでしょう」
黙れ金髪巨乳コンビめ! 女はなぁ、胸じゃないんだよ! 脚だよ! みなさいこの自慢の美脚を! ………青痣だらけじゃねぇか!
「ぐぬぬ……っ、こほん。それよりセシリア、あんたアイズについてなくていいの?」
さきほどまで、波乱万丈という言葉でも足りないくらいの凄まじい昔話を聞かされた。篠ノ之束博士の、そしてアイズとセシリアの過去の話だ。あたしはISに対して、この三人のような強い思い入れはないかもしれない。相棒である「甲龍」はもちろん大切だが、兵器だなんだのという議論は正直あまり興味がない。
お師匠がいつも言っていることだけど、力はあくまで力。それをどう使うのかは結局は人間。そして人間とはそういうものだ。個人の意思が、やがて波となって世界を覆う。それが、兵器としてのあり方だった。そりゃあ、裏事情を聞けばそう誘導したやつらには敵意しか抱けない。ただ夢のためにがんばってた博士を利用し、アイズを利用し、そしてすべてを壊そうとした連中だ。どうあっても好きにはなれない。
そして、そんなやつらを相手に抗い続けるアイズたちには、素直に尊敬の念を抱いた。あたしにはそこまで空への渇望はないが、大好きな親友たちの願いだ、応援したいという気持ちは大きい。
あたしがISに関わるのは、ぶっちゃけ、たまたまだった。
熱中したいものを探していて、日本に戻りたくて、そんな中見つけたのがISだった。もちろん、今ではISは、「甲龍」はあたしの大切な相棒で、こいつと一緒にどこまでも、いけるところまでいきたいと思っている。
でもアイズたちは違う。いけるところまでじゃない。しっかりと行きたい場所があって、そこに届かせるために戦っている。
刹那的な衝動のままに突き進むあたしとはまったく違う。そんな生き方が、少し眩しい。
まぁ、アイズも、そしてあったばかりの束博士も、どうやらかなりの寂しがりのようだけど。あの二人が同じ夢を持ったから、ここまでやってこれたんじゃないかと思う。ひとりだったら、どちらも志半ばで折れてたか、もしくは歪んだ夢に変質でもしていたか。そうやって気持ちを共有できる存在がいるっていうことは、きっと救いだったんだろう。
「昔話をしたせいか、けっこうナイーブになってるみたいだったじゃん? ああいうときってそばにいてあげたほうがいいんじゃない?」
「毎回思いますけど、鈴さんはそういうことには敏いですよね。将来はカウンセラーなど似合うのではないですか?」
「あたしがカウンセラーしたら、拳で悩みを吹き飛ばすくらいしかできないわよ」
カウンセラー(物理)とか誰得よ。てかそんなんカウンセラーとは言わないわ。少年漫画じゃないっつーの。
まぁ、あたしはお師匠と違って脳筋じゃないし。これでも頭はいいほうだ。でなきゃ国家代表候補生なんてなれないわけよ。特に理数系は先生から徹底的に仕込まれたし、戦術論だってそうだ。まぁ、あたしがそう見られてないこともわかってるけど、それはあくまであたしの性格のせいだし。
「で、アイズは?」
「今は簪さんとラウラさんがついています。あの二人なら大丈夫でしょう」
あー、そりゃあ、あの二人は特にアイズのことが大好きだからなぁ。ラウラは初対面の態度が信じられないようなほど懐いてるし、簪のほうは完全に恋する少女だ。まぁ、あたしもアイズのことは大好きだし、なんか、こう、あの子ってすっごい可愛がりたいのよねぇ。甘えさせたいっていうか、小動物系っていうか、とにかくそんな魅力がある。それでいてあたしらの中じゃ一番頑固で意地っ張りなのもアイズだ。ま、昔の話を聞いた今じゃ、その覚悟のほどは少しはわかるけど………見ていて心配になるのよねぇ。
「あんたは大丈夫なの、セシリア?」
「私の場合、アイズや束さんほど純情ではありません」
「とか言ってるけどどう思いますかシャルロットさん?」
「セシリアさんも同じで意地っ張りだって思いますよ、鈴音さん」
二人してそう言うとセシリアが苦笑していた。あんたもけっこう背負い込むタイプだろうに。話を聞いただけだけど、アイズが目を失ったっていうとき、あんたがどれだけ傷ついて、自分を責めたことか………少しでも吐き出せば楽になるかもしれないのに、こいつは全部抱え込んじゃうし。
「そういえば気になったんだけど………」
「なんです?」
「アイズや博士はともかく………あんたも同じ夢を持ってるの?」
アイズと博士の夢についてはよくわかったけど、セシリアの夢は聞いていない。ただ、セシリアがアイズを守ることに執着しているのはわかる。だけど、それは夢とは違うだろう。なら、セシリアにそういった願いはないのだろうか。
「………先程も言いましたが、私はアイズたちのように純情ではありません。確かに素敵なことだと思いますが、夢というほど純粋なものではありません」
「そうなの?」
シャルロットが不思議そうに言うけど、あたしはなんとなくわかる。セシリアはもっとリアリストな感じがするし。
「そうですね。………私は、もう夢を失ってしまったから、ですかね」
「どういうことよ」
「昔はあったんです。でも、それはもう不可能になってしまった。しかし、私にはするべきことがあります。義務と責任を果たしていく中、ただひとつ、我侭にも似た自分の願いがあるのです」
「それが、アイズね」
「あの子の夢を叶える。そして幸せにする。それが私の我侭です」
きっぱり言い切ったな。まぁ、潔いのは好感がもてる。穿った言い方をすれば、今の世界は例え誘導されたとしてももう受け入れられてしまった世界だ。それを覆そうっていうのは、どちらかといえば反逆者といってもいいかもしれない。そこに正しい、正しくないなんてあまり意味はないのかもしれない。夢っていうのは、つまりは自分勝手な我侭にも似ている。そして、きっとセシリアは、アイズや博士もそれを自覚している。今まであたしはセシリアやアイズから言い訳のようなものを聞いたことすらない。
夢のために世界を変革する。いろんな思惑はあるのだろうけど、こいつらは、カレイドマテリアル社は、そのために動いている。
世界を変えてまで叶えたいもの、か。
「面白いわね」
「なにがです?」
「あんたらよ、あんたら。ほんとうに一緒にいて退屈しないわ。きっとこれからもそうなるでしょうしね」
今回も相当だったけど、きっとこれからもセシリアたちは大きな厄介事に自ら飛び込んでいくだろう。そしてあたしは、きっと同じように飛び込む。
理由? さぁ、どうでもいいんじゃないの? ただ、あたしがそうしたい。あたしの心が、そうしたいって言っている。それだけであたしが戦う理由としては十分なのだ。
「そういえばあたしは明日には戻るけど、あんたらはしばらくここにいるって?」
「ええ、新学期から欠席するのは申し訳ないですけど……」
「こんな状況だしね。仕方ないかな」
セシリアもシャルロットも揃って苦笑している。まぁ、殴り込みをしたあとだ。報復を警戒するのは当然か。
あたしと一夏、箒と簪は明日には日本のIS学園へと戻ることになる。だけどセシリア、アイズ、シャルロットにラウラの四人は二週間ほど遅れて戻るという。
「あんたら、いずれ辞めたりしないわよね?」
「それはない、と言い切れないのが辛いところですね」
「僕たち、今はちょっと立場が特殊だから」
カレイドマテリアル社技術部試験部隊。秘匿部隊ゆえに部隊名もないそうだが、そこはある意味カレイドマテリアル社の命運を背負った部隊だ。その隊長であるセシリア、そして社長令嬢となったシャルロット。いろいろ複雑なものが多いのだろう。
「もともと私とアイズが入学した理由からズレてましたしね。将来的に味方を増やすためのパイプ作りが目的でしたから」
なるほど、IS学園に入学する連中はエリートばかりだ。将来重要なポストに就くことも十分考えられる。今の段階で味方を作っておけば、世界の変革にも有利に働くってわけね。
「あと、アイズに普通の学校生活を送らせてあげたかったですから」
「そっちが本命なんでしょ」
アイズの場合は純粋に学校を楽しんでいた。そしてセシリアはそれを優しく見守っていた。まるで妹を心配する姉みたいに。あんな姿を見れば、セシリアの本心がどっちに傾いているかなんて一目瞭然だった。なんだかんだいって一番アイズに甘いのはセシリアだ。怒るときは怒るけど、誰よりもアイズのことを思っているのは間違いなくこいつだ。
「あたしも、あんたらがいなくなるのはつまらないからね。先に行って待ってるわ」
でも、いずれ自分はセシリアたちも同じ道を行くような気がする。ただの勘だけど。
まぁそれもいいじゃないか。
あたしは、凰鈴音は、そんなバカみたいに突き進むこいつらが大好きなのだから。
***
【side 箒】
目の前に姉さんがいる。
あれから時間をおいてある程度落ち着いた皆はそれぞれの時間を過ごしているが、私は一夏と一緒に久しぶりに会う姉さんの部屋で三人で過ごしていた。ここに千冬さんがいないことが惜しいね、と姉さんが苦笑していたけど、それでも私にとっても懐かしいと思える時間だった。
今まで行方知らずだった姉さんと再会して、そしていなくなってしまった理由を聞いて、それでもまだどこか複雑な思いは晴れなかった。
夢を追いかけていただけの姉さん。それを利用され、逃げるしかなかった姉さん。私になにも言わなかったことも、私の安全のためだった。姉さん自身に対する交渉カードとして私が保護プラグラムを受けたことも、身の安全を確保する手段がそれしかなかったから。
それでも、姉さんは後悔しているのだろう。寂しい思いをさせてごめん、と何度も泣きながら謝ってくれたのだから。
確かに私が寂しい思いをしてきたことは確かだし、姉さんを恨んだことも、………正直にいえば何度もあった。どうしていなくなったんだ、なぜ連絡ひとつしてくれないんだ、と。
でも、もともと不器用な人だ。それが姉さんにとって精一杯のことだったと聞いて、どこかほっとした。
私は捨てられたわけでも、愛想をつかされたわけでもなかった。それが嬉しくて、自分でも不思議なくらいに安心した。
それで気づいた。私は、姉さんに嫌われたんじゃないかと、ずっと不安だった。恨み言もその裏返しだった。だから、私は今でも、姉さんのことが好きなのだと再認識できた。それだけで、救われた気がした。
そう言ったら、姉さんはまた大泣きしてあやすのが大変だった。こういうところは昔から妹の私より子供っぽいんだから。
そして、姉さんの過去から今に至るまでの道は私が思っていた以上に苦難に満ちたものだったのだろう。どこか疲れた顔を見せる姉さんだったけど、それでも昔のように子供のような純粋な笑顔を見せてくれた。
私も、おぼろげだけど思い出した。姉さんが、「いつか、とっておきのものを箒ちゃんにあげるからね」と言って笑いかけてくれていたことを。
それが、ISだったのだ。でも、それは姉さんの望んだ形から歪められ、姉さんを苦しませることになった。それでも、姉さんは諦めていない。私に今でも「とっておき」のものをあげるために頑張っている………それがわかる。姉さん自身の夢だからというのもあるだろう。でも、きっかけは私だったのだ。今でもそれを追いかけている姉さんを嬉しく思う自分がいる。
私は、……おねえちゃんっ子だったようだ。
しかし、そんな姉さんの作ったISを今までずっと敬遠してきたことは、申し訳なく思う。ISに関わるたび、いなくなった姉さんを思い出すことが嫌だった。今にして思えば、寂しい気持ちが想起されるからだったのだろう。
だから積極的に関わろうとしてこなかった。事情を知った今、そんな気持ちは薄れているが、今から私がISに乗って皆のように戦おうとしても足でまといにしかならないだろう。生身ならいざ知らず、ISに関する技術はIS学園内でも底辺に近いはずだ。
アイズをはじめとした皆とは、その実力の差は比べることすら烏滸がましいだろう。
なら、私には、いったいなにができるのだろうか。
「姉さん」
思考から意識を戻して顔をあげる。姉さんと一夏、久しぶりにこの三人で顔を合わせていることも私の弱音を吐き出すことを後押ししていたのかもしれない。
「私も……姉さんを手伝いたい。でも、なにができるのかわからない」
「箒ちゃん……」
「なにか、なにかできることはないだろうか」
自分の力を過信することはない。一夏は皆からその高いセンスを認められているが、私にはそんな才能はない。
「箒ちゃん、気持ちは嬉しいけど………私たちがしていることは、決して綺麗なことじゃない」
「でも」
「私たちは、目的のために世界に革命を起こすことだってためらわない。あのアイちゃんだって、自分たちのエゴを自覚して戦ってる。確かに今のこの世界は、私の夢を汚された世界。でも、それでも受け入れられた世界には違いないんだよ」
そう自嘲気味に笑う姉さんだったが、その顔には苦渋の色が見て取れた。
「私はね、競技としてのISも、兵器としてのISも………ある程度は受け入れるつもりがある。でも、そのために空を目指せなくなることだけは認められない」
「…………」
「私たちはね、自分たちの我侭のために世界を変えようとする大馬鹿なんだよ。私も、アイちゃんも、セッシーも、そしてカレイドマテリアル社そのものがね」
世界を変える。姉さんの願いのため、アイズたちの願いのため、そこにはいくつもの願いがあって、そのすべてが世界の変革を望んでいるのだろうか。世界を変えてまで叶えたい願い。そんなものを持たない私には、そこまで強く思えることに少し憧れてしまう。
そんなことを思っていると、姉さんは今度は一夏に向き直った。
「あと、いっくんにも謝らないと」
「え、俺に?」
「いっくんがただひとり、男性でISに乗れることも、………まぁ、私が半分は原因だからね」
それはどういうことだろうか。そういえば、一夏がなぜISに乗れるのかは話していなかった。一夏と顔を見合わせると、二人そろって姉さんを見つめた。
「これは他言しないで欲しいんだけど………もともとISは箒ちゃんといっくん、そしてちーちゃんに喜んでもらおうと思って作った。だから、はじめのコアにはこの三人の遺伝子データが登録されてたんだ」
そうだったのか。でも私のIS適正はそれほど高くなかったはずだが……。
「今のコアはそうだけど、最初に作った二機のコアは違うんだ。そしてそのコアだけに限って言えば、コアに適合するのは私をいれて四人だけ。完全に専用として作られていたんだ」
身内だけ乗ることを想定して作っていたという。ならばそれも納得だが、なら一夏が動かせる理由って……。
「そしてそのコアを基に、今世界に散らばったコアが造られた。そこに干渉されて男性には動かせないって改変をされたわけだけど………オリジナルとなったそのコアにいっくんの遺伝子情報は登録されたままだったんだ。コアネットワークを通じて、いっくんにはコアに適合するマスターレベルの情報登録がなされてたんだよ。そしてマスターレベルの登録者は四人、その中でいっくんは唯一の男性」
「だから、ISが俺の遺伝子に反応した、……それで、世界で唯一の男性適合者になった?」
「ついでにいえば、今の『白式』はもともと私がちーちゃんにあげた『暮桜』をベースに造られた機体なんだ。ちーちゃん専用に作ったけど、近しい遺伝子をもついっくんに高い適正が出ているのもそのため」
今、さらっととんでもないことを言わなかっただろうか? 千冬さんが乗っていた『暮桜』が、一夏の『白式』だと?
「じゃあ、もともと束さんが作った機体だったのか」
「いや、私が作った機体を改変したっていうのが正しいね。そのためにコアそのものの蓄積データすらリセットして、ね……」
不機嫌そうに舌打ちする姉さんだったけど、気持ちもわかる。そこまで好き勝手にされれば怒って当然だろう。
「じゃあ、もしかして強化できないって言われたのは……」
「そもそも、強化できなかったからリセットしたんだよ。それを素体に新しく作ろうとしたみたいだけど、私が丹精込めて作った機体だよ? 凡人程度にどうにかできるわけないじゃない」
つまり『白式』は『暮桜』の素体のような機体ということか。たしか拡張領域も少なく、他の武装を積むことすら難しいと一夏がぼやいていたことがあった。最新型にしては片手落ちだとは思ったが、そんな裏事情があったとは……。
見れば一夏もなんともいえない複雑そうな顔をしている。
「ま、今はいっくんの専用機だよ。いっくんは世界で二番目にあの機体に適合できる。前向きに考えれば、一度リセットされたことでいっくんに適した進化をする可能性があるってこと。大切にしてあげてね」
「はい、もちろんです」
一夏がしっかりと頷いている。きっと一夏も戦う道を選ぶのだろう。姉さんたちのような理由ではなくても、今回のようなことがあるとわかれば、一夏はその道を選ぶだろう。一夏はそういうやつだ。
それに比べ私は……。
「私も……」
「箒ちゃん、今答えを出さなくてもいい。私を手伝ってくれるっていうなら、それはそれで飛び跳ねるくらい嬉しい。でも、箒ちゃんは箒ちゃんが本当にやりたいことを見つけてほしい」
「姉さん……」
「もし、それが私と同じ道だったのなら…………そのときは、世界を敵にしても、箒ちゃんを守るよ。あ、もう敵にしてるようなもんか」
私が本当にしたいこと、か。………今の私ではすぐに答えは出せそうにない。これまで流されるように生きてきた私には、なにかしたいという目標もない。思いつくのは剣道だが、それが私が本当にやりたいことなのかどうかまではわからない。
「………うん、これからはもう少し前向きに考えてみるよ」
「うんうん! なんだっておねえちゃんは応援してるよ! 箒ちゃんが望むなら世界の半分くらいあげちゃうよ!」
「束さんがいうと冗談に聞こえないな」
言うな一夏。頭痛がしてくる。ああ、そうだ、こういうのが姉さんだった。一応常識人だけど、エキセントリック過ぎてどこかズレてる、全力で生きるために常識を簡単に放棄する。
そんな子供っぽい姉さん。
…………やっぱり、姉さんは姉さんのままなのだな。
一夏と一緒になってハイテンションな姉さんに釣られて笑ってしまう。こんな風に自然と笑顔になることも、ずいぶんと久しい。
それでも、久しく感じていなかった安らぎが、たしかにあった。
***
【side ラウラ】
「二人してどうしたの?」
「もちろん、アイズを抱きしめているの」
「姉様に寂しい思いをさせないためです」
姉様に割り当てられた部屋に示し合わせたように簪と一緒に訪れた私は姉様の腕を胸に抱きながらそっと身体を寄せている。簪は姉様を後ろからぎゅっと抱きしめている。三人でいるときのいつものスキンシップだが、鈴やシャルロットからは「百合度がやばい」とか言っていた。百合度とはなんの基準だ?
でも、姉様はこうするととても喜んでくれる。
AHSシステムの恩恵を受けているとはいえ、普段は目を封印している姉様はこうした触れ合いをとても喜ぶ。
私自身も、今まで体験したこともない安らぎを感じるために姉様とこうして触れ合うことは大好きだ。
「………そんなに心配させちゃった?」
相変わらず、姉様は察しがいい。
そう、私も、おそらくは簪も、姉様の過去を知ったから、姉様と触れ合いたかった。姉様を心配したこともたしかにある。でも、それ以上に怖かったのだと思う。
死にかけた……いや、死んでもおかしくなかった。生きていたことが奇跡だったという、過去の現実。両目を失うという悲劇に遭いながらも、それでも繋がれた細い道を突き進む姉様。
夢のため、というけど、姉様が以前言っていたことがある。
―――ボクには叶えたい夢がある。でもそれはボクの我侭。
綺麗な言葉だけでは済まない覚悟をもって姉様は夢を目指している。
それだけではない博士やそこに関わる人たち、同じ部隊の皆もなにかそれぞれの理由があって世界の変革に加担している。
それは、見方を変えれば『悪』にもなる行為だと、ほかならぬ姉様が言っていた。
それでも、それを目指す。その覚悟がいかなるものか、私は圧倒されるようだった。
「二人とも、暖かい………」
身を寄せた姉様が頬を合わせてくる。柔らかい姉様の頬の感触と、姉様の匂いが私に幸福感を与えてくる。
「アイズは、どうしてそこまでして戦うの?」
簪が、私と同じ疑問を口にした。そこまでの苦難にあってなお、戦い続ける姉様。夢のため、という言葉だけでは納得できないほど、姉様の決意は苛烈だ。そこには、他の理由があるのかもしれない。
姉様は少し考えたように黙ったが、やがて恥ずかしそうに口を開いた。
「ボクはね、空が好きなんだ。ううん、もっともっと、親しみをもっているんだ。それこそ、簪ちゃんやラウラちゃんみたいに」
それは少し意外な告白だった。姉様にとって、空に親愛の念を抱いているということだろうか。
「束さんが言っていたように、ボクは昔からこの目のせいでまともになにかを見ることすら苦痛だった」
私と同じ瞳、ヴォーダン・オージェ。私の場合は安全性がある程度は確保されたタイプであるが、姉様は実験のデータ取りのために人間の適合限界値にまで高められたハイリスクなプロトタイプだ。私の目も、以前暴走してしまったことから、その危険性はよくわかっている。
そんな瞳を姉様はずっと持っている。今でこそ、博士の作ったAHSシステムで制御できているが、それがなかったとき、本当に姉様が安らげるときはなかったのかもしれない。
「そんなボクが、痛みもなく、安心して見ることができるものがあった。それが空だった」
昔から、姉様はよく空を見上げていたという。ヴォーダン・オージェの力をもってしても、“視る”ことができないほど広大な空は、姉様をずっと慰めていたのだという。
だから、姉様にとって初めての友が“空”だった。だから、友達に会いたい、お礼を言いたい。だから、空へ、そしてどこまでも続くあの空の先まで……宇宙にまで行ってみたい。
まるで初恋の人に告白したいとでも言うように、姉様は気恥かしそうに言ってくれた。
なんだろう。とても素敵なことだけど、そこまで姉様に思われていることに嫉妬してしまいそうだ。簪も同じ気持ちなのか、姉様を抱く腕に力を入れている。
“空”に嫉妬するとは、私も簪もおかしいかもしれない。だけど、やはり姉様にそこまで言わせる存在を、やはり羨ましいと思ってしまう。
「姉様?」
「ん?」
「姉様は、夢を叶えたあとどうするのですか?」
それはいったいいつになるのか。おそらくはこれからも数多くの苦境が待ち構えているだろう。その全てを姉様は受け止める覚悟がある。そして、その先に届いたら……姉様はどうするのだろうか。
「そうだなぁ……考えたこともなかったけど………」
そう言いながら姉様が笑う。
「ラウラちゃんや簪ちゃん、セシィに鈴ちゃん、シャルロットちゃんに箒ちゃん、一夏くん、……それに束さん、皆で………なにか、美味しいものを食べたいな」
あまりにも平凡、そして姉様らしい言葉にわずかに唖然としていたが、やがてクスクスと笑い声をあげてしまう。簪も同じように笑って、また三人で抱き合った。
姉様の目指していることはとても大きなことだけど、その根源にあるのは、いたって普通の願いなのだろう。友に会いたい、みんなで笑いたい。
今まで普通とはかけはなれた境遇だった私としては、それがとても新鮮に思えるものだった。それがどれだけ姉様にとってかけがえのないものなのかはわからない。
でも、それが姉様の幸せになるのだとしたら。
私の願いは、姉様の幸せの中に、私がいること。私という、戦うために造られた存在でも、姉様の幸せになれるのだと示したい。
………姉様は気遣ってくれているが、私は、私が造られた理由を束さんから聞いていた。「アイちゃんは背負い込むから、それを受け入れた上で姉妹となれ」と………あの人なりの気遣いだったのかもしれない。確かに知ってショックだった。姉様を消そうとする忌々しいあの女……シールの劣化量産型。それが私。
確かに、これはなかなかにキツイ真実だった。それでも、姉様に救われたことには変わらない。今も、私の生まれた理由を知ったのに、変わらずに可愛がってくれる姉様から感じる安らぎに、私はそれを受け入れる決心がついた。
確かに私は戦う兵器として生み出され、そのためのヴォーダン・オージェという姉様と同じ瞳を宿された。それは変わらない事実。でも、姉様はそんな私を、妹と言ってくれるのだ。
はじめは私が無理に姉と呼んだから。でも、姉様はそれを嬉しそうに受け入れてくれた。たったそれだけで、私は、救われた。
束さんから「なんならファミリア性に変えちゃってもいいんじゃない?」と言われたが、いずれ名実共に姉様の妹となるのもいいかもしれない。それだけでなにか変わるわけじゃないが、それでも私は声を大にして自慢してみたい。
このラウラが、姉様の妹なのだ、と。
だから、私は姉様についていく。姉様のため、私自身のため、姉様の隣に立って、姉様の力になる。それが、私が戦う理由。誰かに強制されたものじゃない、私自身が抱く、私の戦いの理由。
「姉様」
「どうしたのラウラちゃん?」
「私は、ラウラは、これからも姉様の妹として傍にいてもいいですか………?」
答えなんてわかっている。それでも言葉が欲しい。だからこれはただの甘えだ。
姉様は繋いだ手の指を絡ませながら優しく言ってくれた。
「ラウラちゃんは、ボクの自慢の妹だよ。今までも、そしてこれからも」
「はい」
私には姉様がいる。それだけで私の出生から始まる運命は変えられると思った。
なら、姉様の運命は?
呪いのような瞳を持ち、そして姉様や私と同じその金色の瞳を持つシールと戦う運命なのだという姉様。それが本当にそうだとしても、私は、私が姉様を守る。
私が、姉様を守るのだ。
「二人だけでずるい。私だってずっと一緒」
「あははっ、もちろん、簪ちゃんもずっと一緒だよ」
「うん、アイズ大好き」
「ボクもだよ、簪ちゃん」
のけものにされたようで面白くないというように簪が口を挟んでくる。今まで幾度となく交わされたやりとりだったが、私たち三人にとってはぬくもりを再確認する大事なことだった。
姉様。
私は、あなたのぬくもりに救われました。
だから私が、姉様の夢と、幸せを守ります。
過去の回想後のキャラたちの掛け合い。捕捉としてこれはいるだろうと思い書き上げました。
鈴、箒、ラウラの三人を中心とした話。ラウラ編が百合っぽいのは書いてたらこうなった。簪さんのせいだ(笑)
ちょっと伏線を仕込みましたが、次章のはじめはアイズたちカレイドマテリアル組は登場しません。鈴や簪、一夏を中心として戦いが始まります。
鈴たちが根性を見せることになりそうです。
ではまた次回に!