双星の雫   作:千両花火

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Act.60 「夢への供物」

「そっからずっとここでやっかいになってる。未だにあのときの契約は果たせていないしね」

 

 長時間、過去の出来事を話していた束が冷めた紅茶で喉を潤す。聞いていた面々はそれぞれ思うところがあるようで、神妙な顔で束を注視している。

 束から語られたのは、世間では天才と呼ばれる偉人の物語でなく、夢を追いかける一人の女性の物語だった。華やかさなどなく、地面を這いつくばっているような泥臭く足掻いてきた束の真実が語られた。

 世界の現実は変わらずとも、それを成したのは束ではなく、束は利用されていただけというやりきれない真実であった。

 鈴などはあからさまに苛立ったように表情を歪めているし、他の面々も暗い表情を浮かべている。

 

「何者なのよ? そのマリアベルって。ずいぶんムカつくわね」

「亡国機業のトップを自称したようだが………本当なのか?」

「さぁね。どうせ偽名だろうし、………でも、たぶん本当だよ」

 

 束は今でもあの邪気のない聖母のような笑みを吐き気と共に思い出す。自身が汚れていない不可侵の存在であるというようなあのマリアベルの声や態度が思い出すたびに束の苛立ちを加速させる。

 しかし、その能力は束に比較しうるほどのものだとわかっている。束とは道が重なることがないとわかりきっているが、それでもその技術だけは認めざるを得ない。

 

「でも、博士が逃亡したのも納得です。たしかにそれなら、逃げるくらいしかできなかっただろうし……」

 

 シャルロットの言葉は的を得ていた。

 少なくとも、当時の束は天才でもあくまで個人だった。組織や国の力に対抗するには、あまりにも備えがなさすぎた。

 立ち向かうには遅すぎて、かといって諦めればさらにISが悪用される。束が逃亡という手段を選んだこともISが世界へ浸透するまでの時間稼ぎでしかなかったが、それでも他に選択肢があったわけじゃなかった。雌伏して時を待つ。それしか夢を生かす道がなかっただけだった。

 だから、誰にも告げずに姿を消した。妹の箒にも、親友の千冬にもなにも告げなかった。もし接触すれば、それは弱みを見せることになるからだ。だからあえて無視した。居場所を知らせても、知っているという可能性があることも、危険にしてしまう。だから何も語らず、なにもせずに無関心を装って箒たちの前から消えたのだ。

 それが、当時の束にできる精一杯のことだった。

 

 だが、束はそれを言い訳にしない。理由はどうあれ、妹を見捨てたと罵られても反論することなんてできない。

 辛そうに見つめてくる箒に、束はただ困ったように弱々しい笑顔をなんとかつくることしかできなかった。

 

「…………まぁ、そっからなんやかんやあってね………これ以上は私の都合だけじゃないから……」

「束さん」

 

 話を打ち切ろうとする束に、アイズが声をかける。目隠しで目を隠していても、じっと束のほうを“見る”。

 

「話してください。ここにいるみんなには、聞いてほしいから」

「………、セッシー?」

「私も、構いません」

 

 ここから先は、束だけじゃない。アイズとセシリアの過去、それも辛く凄惨なものを語る必要が出る。だから束は言葉を濁そうとしたが、その本人たちからの希望となれば、言わないわけにはいかないようだ。アイズもセシリアも、ここに集まった仲間たちをそれほど信頼しているということなのだろう。

 

「…………私たち三人は、ほぼ同時期にこの会社に所属したわけだけど……私は当然表には出ない。表に出ていたのはセッシーだけ」

「姉様はどうなのですか? 目のことがあったとしても、いくらでも隠す手段はあったのでは……?」

「それどころじゃなかった、が正しいかな。アイちゃんは、――――だって」

 

 

 

 

 ――――死んでもおかしくなかった。いや、生きていることが奇跡だった。

 

 

 

 

 周囲を絶句させる束の言葉と共に、再び過去への追憶が始まる。それは今から三年前。公式上は記録すら残っていない、世界初のISによる大規模侵攻が発生した。

 

「場所はここ。アヴァロン島に無人機五十機が襲撃したんだよ。当時も最低限の防衛機能があったから死者こそ出なかったけど、重軽傷者は百人以上。セッシーも全治二ヶ月の大怪我、そしてアイちゃんは、………その戦いで一度目を失ったんだよ」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 銃声が鳴り響く射撃場では一人の女性が狙撃銃を構えていた。身体を地につけ、寝そべるような姿勢で自身の身の丈ほどある長大な銃を支えてスコープ越しに標的を見据えていた。

 

「Trigger」

 

 ランダムで出現する的の中心を撃ち抜き、すぐさま次弾を装填して再び発射体勢へ。的が出現すると同時にトリガーを引く。そして命中。まるで淡々と作業をこなすようにすべてを撃ち抜いていく。

 最高難易度で命中率100パーセントを軽々と叩き出したその女性がゆっくりと立ち上がる。いや、まだ少女といっていい年齢だ。美しい金糸のような髪に、まるで絵画に描かれているような端正な顔立ちはひとつの芸術作品のようだ。

 そんな少女は今度は着込んだサバイバルウェアからナイフを抜くと、振り向きざまにそれを投げる。スローイングナイフが綺麗に回転しながら背後から近づいていたイーリス・メイの顔面めがけて飛んでいった。

 

「はい、よくできました」

 

 そしてイーリスがそのナイフをなんなく二本の指で掴み、少女を賞賛する。最後まで油断なく気配察知を行った少女に対して満足そうに微笑んだ。

 

「セシリアさんも大分気配がわかるようになってきましたね」

「……アイズに比べたら、微々たるものですけど」

 

 あっさりと対応されたことに少し拗ねたようにしながらセシリア・オルコットが答えた。セシリアはタオルで汗を拭いながら先ほどの射撃結果の検証データに目を通す。その姿は歴戦の戦士のようで、見た目麗しい顔も真剣そのものだ。まだ顔も声も幼さが見える故か、少々背伸びしているようにも見えるが、その挙動からはもはや大人といえるほど成熟したものを感じさせる。

 

「………サイティングに時間がかかりすぎてます。あと0.2秒は縮められるはず……」

「十分な腕前だと思いますけどね」

「この程度で満足していては、最強には程遠いですので」

 

 セシリアが目指すのは“最強”の称号だ。IS操縦者として、数年後には世界最強の地位を狙っている。しかし、それはアスリートのようなひたむきなものではなく、自らに課した義務や誓いといったものだ。それでもセシリアはストイックに己を鍛え続けている。才能に恵まれ、努力も惜しまなかったセシリアはすでにイギリスから次世代試作機『ティアーズ一号機』の操縦者に選ばれている。未だ未完成機ではあるが、若干十四歳で選ばれたセシリアの名は瞬く間に欧州、そして世界へと広がっていった。

 そんなセシリアを全面的にバックアップしているのがカレイドマテリアル社であった。この数年でカレイドマテリアル社はIS産業と通信産業を中心に多くの分野で多大な業績を残し、一躍世界有数の大企業へと変貌していた。来年にはイギリスの行政特区に新たに自社ビルを建築するなど、その成長ぶりは恐ろしいものがあった。異常ともいえるほどの成長を見せるカレイドマテリアル社は多くの敵を生み出すことになるが、水面下で行われたいた謀略は、そのすべてをイリーナが圧殺した。そして正攻法で対抗するとしても、篠ノ之束を擁したカレイドマテリアル社の技術部は科学に魂を売り渡してネジのブッ飛んだマッド達が集う魔窟と化していた。そんなマッド達が日夜欲望の赴くままに科学に没頭して作り出したものは軽く時代を超越する代物ばかりであった。

 ISの存在が明かされたときのインパクトがあまりにも大きかったために目立った騒動はなかったが、量子通信を確立させるなど、確実に技術革命レベルのものを実現させてきたとんでもないマッド達である。世界から追われるほどの束を筆頭に、性格や嗜好がぶっとんだ問題児たちがイリーナ・ルージュという暴君の統制の下で日々働いている。

 

「セシリアさんの機体ももうじき仕上がるそうですよ? あくまでプロトタイプですけどね。今は束博士の手が回っていませんから」

「………アイズは、今も?」

「……」

「そうですか」

 

 答えにくそうにするイーリスを見てセシリアも表情を暗くするが、すぐに毅然とした態度へ戻ると一礼をして射撃場から退室する。更衣室でシャワーを浴びて素早く着替えると、そのままアイズがいるであろう束のラボへと向かう。

 束のラボは秘匿レベルが社での最高のもので、そこに行くためには何重ものセキュリティゲートを通っていく必要がある。社の人間でも、ごく一部の者しか許可されていない。セシリアはその数少ないうちの一人だ。記録上は存在しない地下深くまで降りて部屋の前まで行くと、最後に暗証キーを入力して中にいる束へと取り次ぐ。

 

『入っていいよー』

 

 そんなのんきな声と共に扉のロックが解除される。中に入れば、一面ファンシーに彩られた部屋が目に入ってくる。

 束の生活スペースを兼ねるため、精神衛生のためにもかなり快適な生活ができるようにカスタマイズされている。その部屋の奥へと向かい、機械ばかりの研究スペースのさらに奥、セシリアにも理解できない数多くの機械類と、医療器具が並べられている診療スペースへと足を踏み入れる。

 

「ん………セシィ?」

 

 そこにアイズと束はいた。アイズは部屋の中央にあるベッドに寝かせられ、束はその脇にある作業机の前でなにかのデータを検証していた。アイズの身体には医療器具や、用途不明の機械がいくつも装着されている。中でも両目は完全に目隠しで覆われ、目隠しからたくさんのコードが束の手元にあるパソコンに接続されている。

 

「具合はどうですかアイズ」

「ん、今日は調子いいから大丈夫。来てくれて嬉しいな、………手を繋いで、セシィ」

「はい、ここにいますよ」

 

 ベッド脇の椅子に腰掛けながら伸ばされたアイズの手をしっかりと握る。アイズが嬉しそうに笑って弱弱しい力でセシリアの手を握り返す。そのすぐ消えそうな儚さにセシリアが表情を曇らせるが、すぐに表情を隠す。見えなくても、アイズはそんなセシリアの機敏を敏感に感じ取る。だから不安にさせないように、精一杯明るく振舞った。

 

 セシリアとアイズがカレイドマテリアル社に所属して二年後。

 活躍するセシリアとは対照的に、アイズはその身に宿った呪いに蝕まれていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 束がイリーナと契約を結び、二年の歳月が過ぎた。この二年は束にとって新鮮はものだった。ISを開発してからというもの、五年もの間逃亡生活を続けてきた束にとって、この二年はめまぐるしい変化の日々だった。

 気兼ねなく研究に没頭できる環境を提供され、科学者として思う存分研究に取り組んだ。そして世界を変えて宇宙へと出るという目的のためにふっきれた束は、世界最高のISを作ろうとこれまでの葛藤や後悔を消し去るように精力的に開発に取り組んだ。おかげでその恩恵を受けたカレイドマテリアル社の業績は急激に上がり、一躍大企業への仲間入りを果たした。それどころか、量子通信技術をほぼ独占していることで国に対しても大きな影響力を持つまでに成長した。

 アイズ、そしてセシリアという才能溢れる少女たちと一緒にISに没頭した時間は、束にとって確かな楽しい時間として記憶に刻まれた。

 

 そう、楽しかった。確かに夢へと向かっているという実感があった日々は、束にとって五年ぶりに訪れた安らぎの日々でもあった。

 

 しかし、そんな日々も長くは続かなかった。アイズが倒れたのだ。

 

「アイズの具合はどうなんですか?」

「………正直言って、かなり厳しいね」

 

 部屋を出て、束はセシリアと二人だけで話し合っていた。話の内容は、もちろん今も苦しんでいるアイズのことだ。

 

「長年小康状態だったみたいだけど、最近になってやたらと活発になってる。目のナノマシンがもともと未調整段階のものだったから……なんらかのきっかけですぐスタンピードを起こしちゃう」

「悪性ナノマシンを摘出できないのですか?」

「無理だよ。完全にアイちゃんの目に癒着してるから、排除は不可能だよ」

 

 アイズが倒れた原因は、その目だった。望まずに与えられた金の瞳、ヴォーダン・オージェ。未調整の試作段階のナノマシンを移植されたアイズの目は、絶大な力を発揮する代償に、アイズの目と脳に多大なダメージを与える諸刃の剣であった。いや、本人の意思に関係なく常に過剰反応していた瞳は、アイズにとっては呪われた瞳でしかなかった。

 アイズはその瞳によって人生を狂わされ、そして皮肉にもその力のおかげで生き延びた。そして今、その瞳はまたアイズの命を削る呪いと化している。

 しばらく小康状態が続いていたのだが、半年前からナノマシンが過剰活性状態に陥った。もともと不安定だったため、これまで無事だったことが奇跡だったのだ。

 もはやなにかを見ることが、そのまま命を削る行為となってしまったアイズは、その両目を封印した。そうしなければ間違いなく、アイズは死んでいた。しかし、これすらもただの対処療法でしかなかった。じわじわと少しづつ、しかし確実にアイズは弱っていた。

 今は束がつきっきりでアイズの看病と、ヴォ―ダン・オージェの制御の研究を行っている。それがアイズには嬉しく、そして申し訳なく思っていた。自分のせいで、束が夢のために進むことを妨げているのではないかという不安を常に持っていた。しかし、束は笑ってアイズの悩みを吹き飛ばしてやっていた。

 

『私の夢は、アイちゃんと一緒に叶えたいからね』

 

 束のその言葉に救われたアイズは、今では前向きに自身を蝕むヴォ―ダン・オージェを受け入れようとしていた。この瞳は、もう消えることはない。だから、受け入れなくてはいけない。恨みや憎しみを抱くものだとしても、今のアイズには必要なものだった。

 しかし、そんな健気なアイズの決意を裏切るように、確実にアイズは衰弱していった。ずっと一緒にいたセシリアは、そんなアイズを救えない自身の無力さを呪いたくなるほどであった。

 

 そうして俯き、唇を噛むセシリアを見ながら、束も表情を歪める。

 セシリアがどれだけアイズを愛しているかは束もよくわかっているつもりだ。出会ったときは警戒されていたが、今では普通に接するようになった。そして知れば知るほど、セシリア・オルコットにとってアイズ・ファミリアという少女がどれだけ大切な存在なのか、否応にも理解した。

 目的のためなら他者にはどこまでも冷酷になれるセシリアだが、アイズの前では笑顔と愛情に溢れるただの少女になる。幼くして両親を亡くし、人間のドロドロした暗い感情に晒されてきたセシリアにとって、アイズの存在がどれだけ救いだったか。

 はじめはただの好奇心で声をかけただけだった。そして一緒にいるようになり、次第に明るくなっていくアイズを常に見守ってきたセシリアは心情的にもアイズの姉のようなあり方を自身に見出していた。アイズはセシリアに救われたと思っているが、それはセシリアも同じだった。セシリアは、アイズに救われた。

 はじめは拒絶された、それでも受け入れてくれた。憎しみで見つめられた瞳は、今ではたくさんの愛情を込めて見つめてくれる。はじめから仲が良かったわけじゃなかった。はじめから笑うような少女ではなかった。

 それでも今日に至るまで共に過ごし、セシリアと関わるうちにどんどん明るく、そして可愛らしさを増していくアイズに入れ込んでいくのは当たり前のことだったかもしれない。

 アイズの笑顔を守ることが、自分のするべきことだと思うほど、セシリアはこの少女の笑顔が好きだった。その笑顔が、どれだけの痛みを代償にしているのか、知れば知るほど、その尊さと儚さに胸が圧迫されるような抑えられない愛しさを感じている。

 

 その気持ちは、束も共感できるものだった。だからはじめはお互い警戒し合っていたが、今ではアイズを守るという目的を持つ同志だ。アイズの笑顔のため、アイズの夢のため、二人は似た想いを持つ仲間であった。

 そんな愛情を一身に受けるアイズが苦しんでいる。その原因を取り除いてやることもできない現状は、二人にとって苦々しいものでしかなかった。

 

「………アイズは治るのですか?」

「治る、って話じゃとっくになくなってるよ。私ができるのは、過剰反応する目のナノマシンを抑制することだけ。対処療法でしかないから、抑制じゃなくてきちんと制御しなくちゃ、いつまで経ってもリスクは減らない」

「………」

「………まぁ、方法がないわけじゃないけど」

「っ! それはどのような……!?」

 

 セシリアは束の言葉に食いついた。このまま、いつ命の危険にさらされるかもわからないアイズの現状を脱したいセシリアは、強い口調で束を問い詰める。普段の落ち着いた物腰はすっかり消え去り、ただ藁にもすがるような必死さだけがあった。

 

「まずわかって欲しいのは、私は科学者であって医者じゃないってこと。そして医者じゃ、今のアイちゃんは救えない」

「………ええ」

 

 その前提にどんな意味があるのかわからないが、言っていることはわかる。どんな有名な医者でもアイズは救えない。なぜなら、アイズの目は『兵器』となるべくして調整された禁忌の代物だからだ。

 

「だから、私の案は………人体実験にも等しい、ってこと」

「人体、実験……」

「実行するかどうかは、あなたとアイちゃんが決めて」

 

 そうして、束は自身が持つ唯一といっていい解決策を話す。それは医療でもなければ救済でもない。束が言ったように、過去に人体改造されたアイズを、さらに改造するような悪魔の所業とすら思えるものだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「どうしたのセシィ? なんか元気ないよ?」

 

 目を閉じていても、アイズは近くにいるセシリアの雰囲気だけでおおよそのことを悟ってしまう。良すぎる目を持つアイズだったが、高すぎるリスクを持つこの目に頼らないように生きてきたために気配を察することに長けていた。そしてなによりずっと一緒だったセシリアのことは、たとえセシリアがなにも喋らなくても纏う空気だけでわかってしまう。

 そんなアイズを複雑そうに見つめるセシリアは「大丈夫」と柔らかい声で応え、アイズの細く小さな手に、自身のそれを重ね合わせる。

 

「ごめんねセシィ、ボク、いつまでも迷惑かけちゃって……」

「あなたがそんなこと、気にすることはないんですよ」

「でも………ボク、なにもできない。やっとセシィの隣に立てると思ったのに、こんな……」

 

 アイズは悔しそうに言葉を詰まらせる。倒れる前、アイズは努力を重ねてその実力で試作専用機『ティアーズ二号機』の操縦者という栄誉を勝ち取ったのだ。しかし、今はティアーズ二号機は開発段階で一時凍結されている。肝心のアイズの容態が悪化したためだ。

 やっとセシリアに追いつけると思っていた矢先のことだ。アイズは表面上は心配かけまいと笑顔でいるが、内心では苦々しい思いでいっぱいだった。

 これでは、今までとなにも変わらない。ただ守ってもらうだけの、そんな存在でしかない。そうやって自分の不甲斐なさに泣きたい思いだった。

 

「ボクは、みんなにもらってばかりだ。でも、なにも返せない……ISにだって、乗れるかわからない……ねぇセシィ。こんなボクが、いったいなにができる? こんなことになって、ボクはなにを目標にがんばればいいの?」

 

 それは紛れもないアイズの弱音だ。セシリアでさえ、初めて聞いた弱音だった。

 どんなときでも笑顔を絶やさず、はじめて会ったときすら、弱音でなく仮初でも強がっていたアイズが、こんなふうに弱音を言う姿に、セシリアも驚きと悲しさを感じてしまう。それほどまでに弱っているのだ。こんな姿を見せてしまうことに、セシリアも大きなショックを受けた。

 そんなアイズを、その心だけでも軽くしてやりたいとセシリアは泣きそうなほどの悲しさを抑えて、精一杯の笑顔を浮かべ元気づける言葉を優しく紡ぐ。

 

「そんな目標はいりません」

「え?」

「そもそも返す、というのが間違いなんですけど………でも、目標なんてないほうがいいんです。だって目標が決まってしまったら、そこで止まってしまうでしょう?」

 

 その言葉にアイズはビクリと身体を震わせた。そのセシリアの言葉で、自分がどれだけ弱音を言っているのか今自覚したというように。そんなアイズにセシリアはそっと語りかける。

 

「アイズ、特にあなたは目のことがあるから、自分に限界があると思っている。だからできる範囲での目標を欲しがっている。それは悪いことではないでしょう。ですが、それを為したとき、あなたはどうするのですか?」

 

 動揺しているアイズの心情を察しながら、セシリアはそれでも言葉を重ねる。

 

「あなたはきっと、止まってしまうでしょう。そうなったら、きっとアイズは耐えられない。あなたは、妥協に耐えられない」

 

 そしてアイズにも、それが真実だろうとわかってしまう。妥協と諦めの人生、それはアイズの忌み嫌う過去の自分そのものだった。だからそうなれば、アイズは耐えられない。

 そしてそれは恐怖でもあった。

 

「…………だから、目標なんかじゃない、“夢”を持つことです。あなたが、自慢したいくらいに、心の底から見たい景色を思い浮かべてください。それが、あなたの夢。そして……みんなと一緒に見たい景色があるなら、あなたはみんなと一緒になってがんばれるでしょう。そうなれば、あなたは、もうどんなときでも、ひとりではないんですよ。そうやって怖がることも、諦めることもないんです」

 

 その言葉に、アイズから恐怖が薄れていく。そして嬉しそうに笑うアイズを見て、セシリアも理解する。

 アイズは、夢がなければ生きていけない。アイズにとって、それは原動力なのだ。だからこそ、セシリアは――――束が人体実験と言った手段しか、アイズを救えないと悟ってしまう。

 

「アイズ、あなたには、そんな夢がありますか?」

「うん、ある」

「はい、知っています。だからあなたの夢を叶えるために、――」

 

 

 

 

 

 

『Emergency,Emergency.アヴァロンへ敵性アンノウンの接近を確認。防衛隊は即時戦闘準備、非戦闘員は速やかに避難せよ。危険度は最上位と認定。繰り返す。危険度は最上位認定……―――』

 

 

 

 

 

「ッ!? 敵性体が接近………っ!?」

「確定ってことは……もう攻撃を受けてるの?」

 

 いきなり施設内部に響いたアナウンスにセシリアが立ち上がり、アイズが不安そうに呟く。そして即座にセシリアの持つ端末に束から着信が入った。

 

『セッシー! すぐにISで出て!』

「なにがあったのですか?」

『ISの大集団の襲撃を受けてる! このままだとアヴァロンが落ちる!』

 

 焦る束の声も、その内容もセシリアとアイズを戦慄させるには十分なものであった。

 すぐさまセシリアは防衛行動に出るために駆け出そうとするが、その手をアイズが引き止める。その手は、震えていた。

 

「セシィ……!」

「……大丈夫です。あなたはなにも心配せずに、ここで待っていてください」

「でも……っ」

「アイズ、アイズの夢に私は必要ですか?」

「ひ、必要だよ! セシィがいなくなったら、ボクは……!」

「私が、アイズの夢を否定すると思いますか? 私はいつでも、あなたの味方です。あなたが必要と言ってくれるなら、私は無敵です。どんな戦場からだって帰還します」

 

 あからさまな強がりだ。ISによる文字通りの戦場など経験したことなどあるわけがない。だがそれでも、セシリアは決意して赴く。

 

 ここにアイズがいる。

 

 それだけで、セシリア・オルコットは戦える。

 

「………無事で、いて」

「はい」

 

 指を絡ませてそう約束する二人を、運命は容赦なく呑み込んでいく。しかし、それは当然なのかもしれない。

 良し悪しはどうあれ、世界の流れに逆らっているのは間違いないのだから。

 それぞれの理由はあれど、世界を変革するという目的を持った者たちに襲いかかるのは、無情なまでの破滅の光と絶望の暗闇であった。

 

 

 

 




ゴールデンウィーク忙しすぎワロタ(笑)皆様は楽しくお過ごしでしょうか?


次回で過去編クライマックス。

過去編で主要キャラの戦う理由が明かされます。過去編が終われば番外編を挟んで亡国機業側の逆襲が始まります。
そろそろ敵サイドのネタバレも入れていこうと思ってます。

ではまた次回に!

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