既にミサイルは発射された。クラックして目標地点を変更するにしても、それは結局は日本の国土に落ちることになる。今から海に落すには時間も距離も足りなすぎる。
残された手段はひとつしかない。
「迎撃するしかない……!」
手元には何機かのISがある。ISの絶対防御があれば高速機動でヒットアンドアウェイでブレードによる斬撃でもなんとかなる。ブレード、という名のただの災害救助用に試作した電磁カッターだ。本来はある程度の硬さのものを斬るための装備でしかない。
銃器系統はまったくないので、狙撃するという手段もとれない。ミサイルに向かって特攻するという手段しか残されていない。冗談ではないが、それが現実だった。
「ア、ハハッ……」
束は思わず笑った。
あまりにも絶望的だ。ミサイルを切り払いながらの高機動など正気の沙汰じゃない。だが、できるはずだ。自らが生み出したISならば、それができる。
問題は、それを実行に移す度胸。束は問題ない。恐怖がないといえば嘘になるが、それでもこの事態を引き起こした要因に関わっている以上、なによりこのままでは束の数少ない大切な人たちに危険が及ぶ。それも、なにもしなければ確実に死が襲いかかってくる。
だが、これを防ぐための最大の障害がある。
「一人じゃ、無理だ……ッ」
束一人だけでは全てを防ぐのは不可能だ。日本政府と自衛隊の防衛網で迎撃しても、このミサイルの数ではいいとこ半数だ。つまり、半数の千発以上のミサイルを撃墜しなければならない。少なく見積もってこの数だ。実際はどれだけのミサイルが迎撃圏内を突破するかわからない。
時間と距離があれば束一人でもなんとか迎撃は可能だ。だが時間も距離も足りない。せめてあと一人、ISに精通した人間が要る。今からISの使い方を教えてどうにかなるほど簡単なものではない。自転車とはわけが違うのだ。
だから、自ずと頼れる人物というのは限られる。いや、もう一人しか存在しなかった。だが、その人物を巻き込むことを、束は躊躇った。これは間違いなく自分が巻いた種だ。実行犯は違うにしても、そうさせる土壌をせっせと耕す手伝いをのうのうとしてしまった自分に責任がないなどとは言えない。
束にとっては見ず知らずの人間がどうなろうが、多少良心が痛む程度のことだ。だが、こんな事態を引き起こして、箒に嫌われることがたまらなく怖かった。いや、それ以前に箒だって命を落す危険がある。この町にいる人間は、等しく命の危機であるのだ。
絶対であったはずのプライドは既にヒビが入っている。束は悔しくてらまらない気持ちを抑えながら、たった一人、無条件で信じられる親友へと助けを求めた。
***
それから先のことは束はよく覚えていない。半泣きになりながら千冬に助けを求め、手元に残されていた試作型三機のうちの二機を戦闘行動用に急造して、たった二人で防衛行動を取った。
終わりなんてないと思えるほど多くのミサイルを迎撃した。千冬も束も、常識から見ればオーバースペックと呼ばれるほどの身体能力を持った人間であったが、それでも精神、肉体ともにボロボロになるまですり減らして戦った。それでもやりきったのは、二人の能力も然ることながら、この悪意の先に大切な存在がいるという事実だった。
しかし、そんな最大の功労者というべき二人を待っていたのはさらなる試練であった。ミサイルをおおよそ無力化したあとに、図ったかのように今度は世界の軍隊に襲われたのだ。領海侵犯までしながら襲いかかってきた軍に、二人は戸惑い、怒り、悲しみ、心がぐちゃぐちゃになりながらも必死で逃走した。
人と戦うことにストレスを急増され、特に束はかなり精神的に追い詰められていたために、千冬に叱咤されながらなんとか戦闘区域から離脱した。その際、二人は自己防衛のために襲ってきた戦闘機や艦隊の半数を戦闘不能にするという驚異的な戦果をたたき出している。
皮肉にも、二人の努力がISという存在を完全な『兵器』としての価値を確立させてしまったのだ。
なんとか逃げ出してセーフハウスへと転がり込んだあとに、千冬は束を残して一夏や箒の安全の確認のために一度帰宅した。束も同行したかったが、事態が事態なのでその場にとどまり、情報収集を行った。あのマリアベルという女は、忌々しいが謀略という点では束の遥か上をいく人間だ。長年人との触れ合いを避けていた束ではおそらく相手にもならないだろう。
だから、束は自分の利点……技術力をこれ以上渡さないために行動した。
屈辱だが、IS技術の何割かは奪われただろう。コアのブラックボックスは解明できていないはずだが、表層プログラムを改変したことから油断すれば喰われかねないほどの脅威でもある。
そして、これは想像でしかないが、束がミサイルを迎撃することも、そして軍隊による襲撃も、すべてはマリアベルの掌の上だろう。
思惑もここまでくれば想像できる。束は自らの手で、否定していた兵器としてのISを証明してしまった。最新鋭の装備をもつ多国籍の軍隊をたった二機で退けることが可能なパワードスーツ。この世界がどうなってしまうのか、束は優秀な頭脳を持つがゆえに悪い想像ができてしまう。
そして、そんな束の不安を肯定するような音が鳴り響く。束が顔を顰めながらその相手がわかっている端末へのメールを開封する。
『Congratulations. You are innovator.』
メールの文章を見た瞬間、束はその端末を投げ捨てた。
その翌日、ミサイルを迎撃したISの映像と同時にマルチフォームスーツ『インフィニット・ストラトス』が全世界へと明かされる。製作者は篠ノ之束。これにより、束は世界一有名な科学者となり、千冬が纏っていたミサイルを迎撃した白いISを『白騎士』と呼称され、その戦闘能力が軍隊すら凌ぐことが示された。
もう一機のIS、束の機体は記録から抹消され、『白騎士』という存在しないISが世界を震撼させた。
この映像記録とともにISを発表した存在は不明とされているが、誰もそのことを気にかけることはなかった。
***
「はぁ、はぁ……っ」
束は夜の山中を駆けていた。夜空には見惚れるような満月が輝いていたが、そんなものを気にする余裕は今の束にはない。背後には追いかけてくるバカバカしいほどの多くの気配がする。頭も身体もオーバースペックであると自認している束だが、相手は完全装備の特殊部隊。対してこちらはロクな装備もない普段着で、靴はもうボロボロになっている。もうこれで逃走劇も三日目の夜だ。しかも昨日は丸一日豪雨であったために地面のコンディションも最悪だ。一歩ごとに確実に体力を奪われていた。
「おか、しいな……っ……なんで、こん、なことに、なっちゃったんだろ………!」
ふと、内心の不安が口から出た。
いったいどこで間違えた?
どこで止まればよかったんだ?
誰が、悪いんだ?
そんな疑問を抱きながら、束は逃げる。
ISの発表と同時に世界は揺れた。これまでの軍事力が意味をなさないものがいきなり現れたのだ。しかも、それは既に全世界へと配られている。女性しか乗れない、というディスアドバンテージすら無視して世界は突き進んだ。
各国は自国のアドバンテージを得ようと競争開発に乗り出し、その開発者たる束の確保に躍起になった。
束の協力が得られれば、世界最高の権力を握ることも不可能ではない。それほどのものだと既に証明されているのだ。
だから強引な手段を取ってでも束を追いかけた。はじめは日本政府に保護を求め、軟禁に近い生活を強いられていた束も、このままでは日本か、他国かは別としても国家の言いなりになってISを兵器として生み出さなくてはならなくなるとして、監視の目を掻い潜って逃亡した。
その際、家族である箒にはなにも告げなかった。箒の周辺は監視があったし、なにより箒を人質にされないようにあえて箒を無視するように行動した。そうすれば表立って箒を餌にすることはできないし、それでも箒を束と繋がる重要人物として保護するはずだ。そうすれば少なくても、テロ組織のような危険な存在からの防波堤になる。
これにより箒の性格を歪めてしまう一因を作ってしまうことになるが、当時の束にしてみればそれが箒の身の安全を確保する最大の手段だったのだ。
そして親友である千冬にもなにも告げなかった。彼女をこれ以上巻き込みたくなかったし、それに今更どんな顔をして会えばいいのかさえもわからなかったからだ。
そして束は手元に残っている最後のISと共に、日本を脱出した。
ISを使えば他国への密入国も容易であったし、同じISを使われない限り逃げ切ることは難しくなかった。
そうして束は気付けば五年ほど逃走を続けていたが、とうとう恐れていた事態に遭遇してしまった。
すなわち、戦闘用ISによる襲撃である。
もちろん、自己防衛のために束のもつIS『フェアリーテイル・ゼロ』もある程度の戦闘行動を可能としているが、攪乱を目的とした特殊装備型だ。さすがに戦闘用IS十機を相手に逃げ切る自信はない。五年という歳月はISを兵器として実用化させるまでには十分なものだったようだ。
常識的に見ればそれでも十分早すぎる発展であるが、背後にある組織が後押ししていることは疑いようがない。この五年、束はその情報を可能な限り集めていた。そして見え隠れする組織の影が世界中に存在した。
用意周到に捕獲作戦を練ってきたのだろう。束が気づいたときには既に絶対的な包囲網が完成されていた。状況的に今はもう詰みに近い。
森林の上空にはIS十機、そして背後からは特殊部隊の追撃。空へ上がれば的になり、このまま森を抜けようとしてもいずれは捕まってしまう。ここまで接近されては電子攪乱も意味はない。
「くそ、くそ、くそ!」
束にしてみれば、自分の子供が言いなりになって武器を振りかざして追いかけてくるような心境だった。一緒に夢を叶えるために、果のない空を飛ぶはずのISが、自分を捕まえようと見下ろしながら襲ってくる。
束にとってはまさに悪夢であった。
こうならないようになんとかしようと思った。何度もISの兵器開発を止めようとした。それでも、世界は止まらなかった。女尊男卑の世界へと変わり、ISが空を支配して弱者を空から押さえ込み、空を見上げることすら億劫になる。そんな世界の変化を目の当たりにした束は、それでも無様に足掻き続けていた。
狂気の沙汰としか思えない研究もされていた。表向きはスポーツとして受け入れられてきたISだが、ふと裏を除けば権力争いや戦争の道具にされている。それらを知るたびに束の心は軋み、ISを作ってしまったことに対する罪悪感すら覚えるようになった。
それでも、束は諦めるわけにはいかない。もうプライドすら擦り切れそうだったけど、最後に残った束自身の夢だけが、壊れそうなところをギリギリで支えていた。
ISで、空を飛びたい。どこまでも続く空を、どこまでも広い宇宙を。
この夢を叶えなければ、束は世界を混沌とした最悪の変革者になるだけだ。せめて、この夢をほんのわずかでも叶えなければ、自分のしたことはなにひとつ誇れない。最低最悪の人生になるだけだ。
そんな、強迫観念のような思いに駆られた束の夢は、もう希望ではなく呪いになっていたかもしれない。
束の脳裏に、あのときのマリアベルの笑い声が響く。
きっと、この世界も、今の束も、あの女の思惑通りなのだろう。だが、それを認めない。絶対に、あいつには屈しない。だから、こんなところで終わるわけにはいかない。
「………?」
そんな束に味方するように、月光が束にあるものを映しだした。キラキラと月の光を反射する水面………川だ。そこに反射した光が、束の視界で煌めいた。束は方向転換して川へと向かう。かなり流れが早い。束はISを通じて周辺地図を検索。どうやら山中から麓の町の近郊まで流れているようだ。雨のために水嵩が増し、流れが激しくなっている。普通ならば避けるべき激流だが、束にとってはむしろ都合がいい。
「お月様に感謝!」
ISを保護モードで起動し、束は勢いを緩めることなくその激流へと飛び込んだ。妙な動きをすれば勘ぐられる恐れもあるため、束はなにもせずにただその激流に身を任せて流された。保護モードのISをまとっているとはいえ、二転三転して、疲労していた束はすでに平衡感覚もおぼろげなものになっていた。
少しして一瞬の浮遊感。そして落下していく感覚。真っ逆さまに滝から落ちながら、束はふと目を開ける。
煌く月だけが変わらずに束の視界に映る。
ああ、綺麗だ。いつか、あそこまで………。
かすかに笑って、束は意識を手放した。
***
「う、うう………」
どれくらいの時間が経っただろうか。束はふと頬に感じる妙な感覚に意識を取り戻した。
「っ!?」
追手に追いつかれたと思い反射的に身を起こして警戒体勢を取るが、するとすぐ近くから「ひゃっ」という可愛い悲鳴と共に小さな女の子が尻餅をつく姿が目に入った。
月光に照らされたその少女はびっくりしながら束を見つめる。その少女と目を合わせた束は、思わず息を飲んだ。
その瞳そのものが月光のような金色。おおよそ、ありえない瞳の輝き。夜でありながら、淡く光り輝くその両の瞳にしばし魅入られたように見つめてしまう。
「どうしたの? おなかでも痛いの?」
コテン、と可愛らしく首をかしげる少女の言葉に我に返った束がようやく今の状況を把握しようと思考する。
――――ISは保護モードが解除されてるけど、安全圏と判断しての省モードにシフトしただけか。………なにかされた様子もないし、第一発見者が子供だったのは運が良かったかな。
これで敵に見つけられたのだとしたら目も当てられない状況だっただろう。現実には妙な瞳をした少女だけ。どうやら幸運はまだ続いているらしい。
「ねぇどうしたの? お姉さん、外国の人だよね?」
「ん? んー、まーね」
「いきなり流れてくるからびっくりしちゃった。でも引き上げられてよかった」
「ああ、それはお手数をかけちゃったか、な………?」
束はその少女の言葉に違和感を覚えた。
言葉からして、どうも流れてきた束を川辺へと引き上げたのはこの子らしい。だが、まだ手足も伸びきっていないような子供が、いくら下流とはいえ、水量の多い川から人一人を引き上げることなどできるのだろうか。疑問に思った束は「よくそんなことできたね?」と怖がらせないように聞いてみた。すると、……。
「ホントはおねえさんが浅瀬にくる位置がわかっただけ。ボクはそこでおねえさんが引っかかるようにあそこにあるタイヤを転がしただけだよ」
見れば不法廃棄されたとみられる車のタイヤが浮かんでいた。流れてきた束はあれに引っかかり、結果川辺のほうへと漂着できたらしい。なるほど、あの程度のタイヤなら転がせば確かに子供の力でも動かせるだろう。
………だが、流れてくる位置がわかったのはどういうことだ?
束が概算で脳内シュミレーションを行う。上流よりマシだがまだ川の流れは荒れている。スペックのいいリアルタイムで物理演算ができるパソコンでもない限り、そんな計算は不可能だ。しかも、完璧なタイミングでタイヤとの接触を誘発するなど、いったいどれだけ緻密な計算をしているというのだ。
もちろん、ただの勘や幸運だったと言われればまだ納得できるが、その少女は明らかに確信を持っている。
疑念にも似た思いを抱きながら少女を見ていると、まるで恥ずかしがるように少女は薄汚れたサングラスをかけた。明らかに大きく、似合っていなかったが、少女は構わずにそれをかけて瞳を隠した。
「なんでそんなものを?」
「えっと、目が痛くなるから」
光に弱いのだろうかとも思ったが、先ほどからそんな様子は見られない。むしろ、見ること事態を躊躇っているような感じだ。
「…………こんなところでなにをしていたの?」
「このあたりは野草がよくあるから。ごはんを探しに」
「おうちは?」
「ないよ」
「親は?」
「いないよ」
「…………」
それだけで少女の境遇がわかってしまう。いたたまれない気持ちになるが、だからといって束がなにかしてやる義理もない。そもそも逃げている自分がどうにかできることじゃない。だけど、助けてもらった恩はある。どうやら一応の安全は確保できたようだし、その恩返しだけして別れるべきだと判断した。
「あと、空を見ていたの」
「え?」
なにか食べ物を買うお金でも渡そうと濡れた衣服を漁っていた束の耳に、少女の嬉しそうな声が届く。
「空は、いつでも変わらないから。ずっとずっと、あの遠くにあるなにかを見ていたの」
少女は笑顔だった。それがとても楽しいことだとその表情が語っていた。
束は、そんな少女に不思議な既視感を覚えた。その正体はすぐにわかった。
―――ああ、そうだ。この子は、私だ。まだ夢が綺麗なままだったころ、空を見上げていた私自身だ。
それでも、これほど無垢な顔はしていなかっただろうな、と自虐的なことを思う。
そんな綺麗な少女の笑顔を見ていると、束は自分の夢がいつの間にかずいぶんと擦れてきていたのだと漠然と理解できた。ここまで真摯に、純粋に空を見上げたのは、いったいいつが最後だったのか。少なくとも、あの事件が起きてからはこんな風に空を見上げた記憶はない。
束は少女に習うように夜空を見上げた。
昨日の悪天候が嘘のように、晴れた空に星々がまるで天蓋のように視界いっぱいを覆っている。
これまでの疲れが吹っ飛んだようだった。束は心が澄んでいくような感じにずいぶん久しぶりに笑みを浮かべた。
「綺麗だね」
「…………よかった」
「うん?」
「一目見たときから、おねえさんならボクと同じことを思ってくれるって気がしてた」
「おやおや、もしかしてあなたは超能力者か魔法使いかい?」
「そんな力、要らないよ。ボクはそんなものより……」
冗談を肯定されたことにも少し驚いたが、少女はそんなものは要らないと言った。そして本当に欲しいものを告げた。それは、束にとって神託に似たものだった。
「ボクは、あの空まで届く翼が欲しい」
「―――――」
このときの気持ちを振り返ると、束は今でも思う。
この出会いに、精一杯の感謝を。この言葉に、ありったけの感謝を。同じ夢をもってくれたことに、心からの感謝を。
「あなた、名前は?」
「ボクの名前を聞いてくれるの?」
いったいなにが嬉しいのか、名前を尋ねられた少女は嬉しそうに目を輝かせて聞き返してくる。それに頷いてやると、少女は宝物を自慢するように、大切にその名を口にした。
「アイズ。ボクはアイズ! もらったばかりの、ボクの大事な名前なんだよ」
仕事がデスマーチ中です(汗)今月の残業代が楽しみだぜちくしょう。
今回はダイジェストみたいな話で少し短めでアイズとの出会いまで。このときのアイズは12歳ほど。過去編はアイズの過去話もけっこう絡みます。
ここからイリーナの出会いと、兵器としてのIS作成の決心、セシリア・アイズとの交流、そしてアイズの視力喪失の出来事まで………けっこう消化すべきことが多いです(苦笑)
しかし、アイズが出てきた途端に書きやすくなる。たぶん過去編のアイズは完全にヒロインポジションです。