双星の雫   作:千両花火

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Act.35 「龍吟虎嘯」

「ぶはぁっ!? ごほごほっ! ア、アイズじゃなくても死ぬごほごほっ、死ぬって、これ!? お師匠、殺す気ですか!?」

 

 滝壺から必死に泳いで陸地へ上がった鈴が咳き込みながら師匠の雨蘭へ罵声を浴びせる。その割には元気そうに水を吸った衣服を絞りながら目をギラギラとさせている。

 

「なに甘ったれたこと言ってんだこの阿呆。勝手に日本に行ったくせに、侘びのひとつも入れずに飛び蹴りかますたぁいい根性してんじゃねぇか。あァ?」

「このチンピラめ。そんなんだから未だに独身なんだ、この脳筋」

「いい度胸だな、鈴音。そんなに私にかまって欲しいか?」

「かまって欲しいのはお師匠でしょ? ツンツンしてるくせに寂しがり屋なんだから。どこのギャルゲヒロインだっつーの。このツンデレめ!」

「よし、てめぇ死んだ。今死んだよてめぇ? つーかまだ痛めつけられたいらしいなぁ?」

「はっ! 昔のあたしと思ったら大間違いだぞお師匠! 今日こそそのツラ、涙と血で化粧してやる!」

「そんな挑発をする前にその貧相な胸を少しは張れるようにしてから出直してこい、高校生になってそれって………恥ずかしい、ああ恥ずかしい。中学生? いや、小学生?」

「今なんつった、お師匠ぉぉおおおお!!?」

 

 あっさりと挑発にキレた鈴が怒髪天を突く勢いで突撃する。そんな猪のように突進する鈴を軽くいなし、その勢いを利用して雨蘭が鈴をもう一度滝壺へと投げ込んだ。

 数秒後、また必死に泳いで這うように陸地に上がった鈴が水を吐きながら先ほどのリプレイのように雨蘭に向かっていく。その目は完全に獣のソレであった。野性味溢れる虎のような女、凰鈴音の目には既に師匠である雨蘭しか映っていない。何度も何度も挑みは返り討ちにされ、その度に水中へ落とされる。

 どんどん体力が減っていく鈴は、それすら構わずに雨蘭の顔を殴ろうと向かい続ける。よく言えば我武者羅、悪く言えば学習しない行為を既に十回以上繰り返している。

 

「ぜっ、はっ、はぁ! うぇ、げほっ!」

「………」

 

 息も絶え絶えになりながら、足もふらふらになりながらなおも自身へ向かってくる鈴を雨蘭は静かに見つめる。はじめは互いに言い合っていた罵声はいつの間にか聞こえなっている。

 

「ふむ……」

「ま、まだまだ……!」

「技術はそこそこ上達している。体力もそれなりに上達している………が、まだ足りない」

「んなこと………わかってんのよ……! だからあたしは、ここに、来て……! あたしは、まだまだ強く、なって……!」

「だが、これが今の現実だ」

「がっ!?」

 

 無造作に振られた腕が、正確に鈴の顎を捉える。脳を揺らされ、平衡感覚を狂わされた鈴が朦朧と地面へと倒れる。否、倒れようとした。

 

「……!」

「か、くっ……!」

 

 膝を付きながらも、倒れまいと必死に耐える。焦点の合わない瞳は、それでも目の前の雨蘭を睨みつけている。その根性に雨蘭は感心したように僅かに笑う。

 

「肉体より先に精神がその域にまで至ったか。私でもそこまで至ったのは二十を数えてのことだが……大した女だ、おまえは」

「はっ、……はっ……!」

「ならば教えてやろう。おまえがまず知るべきこと。それは………」

 

 雨蘭が言い終わる前に、鈴が拳を放つ。それは、ほぼ無意識で放たれたものだった。その拳は、鈴の前で屈んだ雨蘭の頬へと当たる。

 しかし、それだけだった。雨蘭は瞬きすらせず、なにごともなかったかのように平然と言葉を紡ぐ。

 

「今、おまえが知るべきこと、……………お前は、弱い」

 

 鈴の額を指で軽くつつく。それだけなのに、頭がのけぞるほどの衝撃が鈴を貫き、今度こそ鈴は意識を失って地面へと倒れ伏した。

 

 

 

***

 

 

 

「火凛、こいつを風呂に入れてやれ。ついでにおまえもそろそろ身体洗ってこい」

 

 山奥に建てられた住居。場違いなまでな豪邸に二人で住む紅姉妹の家は、生活スペース以外は妹の火凛の研究施設だ。機械、本、書類、用途不明な数々の装置、そして開発、研究のためのハンガーなど、個人所有とは思えないほどの施設や備品があり、オイルの匂いが鼻をつく。

 そんな家に戻ってきた姉の雨蘭は、肩に担いだ鈴を無造作にソファに投げながら妹にそう促した。鈴は意識を失っており、身体のあちこちに打撲痕や擦り傷が見える。それに対し、雨蘭は多少服が汚れている程度だ。

 

「また激しく遊んだね、姉さん。鈴音はどうだった?」

「遊んでいたわけじゃなさそうだ。ま、私に勝てるわけはねぇが」

「姉さん、お気に入りの鈴音をISに取られたからって、そういじめることないのに」

「そんなんじゃねぇよ!」

 

 顔を赤くしてそっぽを向く姉が面白くてクスクス笑いながら火凛は鈴を担いで風呂場へと向かおうとする。とりあえず見た目に反してそれほどダメージはない。水でもぶっかければ目を覚ますだろう。

 

「で、とうとう姉さんに一撃入れたの?」

「ん? ああ、そんな立派なもんじゃねぇが……」

 

 雨蘭は気絶する鈴を見る。先ほどまで鈴は力尽きるまで雨蘭に挑んでいた。そのすべてを雨蘭は返り討ちにしたが、思った以上に鈴が成長していたのは理解した。IS学園に入るために日本に行く、と鈴が言ったときに師弟喧嘩をしたのが最後だったが、そのとき鈴はなにもできずに雨蘭にボコボコにされた。しかし、今日の闘いでは鈴は不格好ながら、雨蘭に一撃を入れたのだ。これは素直に成長したと認めてやるべきであろう。

 どうやらそうとう肝を舐めたようだ。鈴の拳には、強くなりたいという意思が以前に比べ遥かに強く宿っていた。以前の鈴はそうではなかった。確かに強くなりたいという思いは持っていたが、それはあくまで二次的なものだった。

 八つ当たりのため、暇つぶしのため、ISに乗るため、代表候補生になるため、日本に行くため、そんな理由で、鈴は強さを求めていた。それを悪いとは言わない。しかし、それでもあとひとつ足りないものがあったのも事実。鈴の才能は雨蘭をしても天才と言わざるを得ない。わずか一年数ヶ月で、どんどん成長する鈴は、雨蘭がいずれ自分のもてるもの全てを継がせようと思うほどの才があった。ISで雨蘭から師事された技術を再現するといったことまでやってのけたのだ。それを今までずっと持て余していたのだから、雨蘭としてはそれがもったいないと思うと同時に無駄にしているようにイラついていたこともあった。

 結局鈴は、代表候補生になり、日本にいけるとわかるや否や、雨蘭と火凛のもとを離れた。そのときは互いに大喧嘩を繰り広げ、結局鈴がボロボロになって終わったために喧嘩別れみたいな形となってしまったが、今思えば、それはよかったのかもしれない。

 ISに興味が薄い雨蘭からしてみれば、ISに関わってなにを得たのかは知らないし、想像もできないが、それでも鈴が遥かにいい顔になって戻ってきたことは嬉しかった。そして、貪欲に、無心に、ひたむきに強さを求めるようになったことが雨蘭には本当に嬉しかった。おそらく、そうあるべくする理由を得たのだろう。

 

 それは、鈴が話したくなったら聞けばいい。今は、この馬鹿弟子の願いを叶えてやるだけだ。

 

「ふふっ」

「嬉しそうだね、姉さん。やっぱ鈴音が戻ってきて嬉しいんじゃない」

「おまえはどうなんだ火凛。今までどんな要請も無視してきたおまえが、鈴音だけには専用機まで作ってやるくらいだ」

「私が作ったんじゃないよ。ただ、鈴音が乗るには不適合だから、鈴音に合うように『甲龍』を調整しただけ」

 

 IS技術者、紅火凛。どこにも属さず、時折嘱託としてどこかの企業に入り、その会社のIS関連の技術を大きく進化させ、そして飽きたように去っていく『野良猫の天才』。本来、そんないくつもの企業を渡り歩く真似など許されるものではないが、それを黙認してでも彼女を得るメリットが大きため、未だにいくつもの企業が火凛を招こうとしている。束が零から一を作り上げた天才なら、火凛は一から百を生み出す天才といえる。火凛本人は篠ノ之束博士には遠く及ばないとし、束を尊敬していると公言しているが、その実力に偽りはない。事実、試作段階であった『甲龍』の龍砲を完成させ、格闘戦仕様にチューンしたのは火凛だ。

 そして、雨蘭の師事を受けた鈴が、そのままISで再現できるようにしたのも火凛である。特に鈴の十八番となった発勁効果を付加させる技は、雨蘭から教わった鈴の技術と、それを再現できるように試行錯誤しながら機体を調整した火凛が作り上げた一種の作品といえるものだ。

 

 鈴は雨蘭と火凛の姉妹によって支えられているといって過言ではなかった。今ある凰鈴音という少女は、この二人がいなければまったくの別人になっていたかもしれない。

 だから、鈴はこの二人のもとに戻った。たった一年半ほどでも、それでも鈴にとって、家よりも落ち着ける場所であり、自身の欲しいものを得られる場所でもあるのだ。それ相応の代償を払えば、それは必ず得られると信じている。

 

 代償はただひとつ。諦めずに貫く、ド根性のみ。

 

 その心配はいらないだろう。なぜなら、姉妹が拾ったときから、鈴は根性だけは誰よりもあった。決して折れない不屈の精神、だからこそ鈴は拷問のような雨蘭のシゴキに耐えてきた。

 はじめは雨蘭を殴りたいという理由だった、そして強くなることでIS候補生になるという理由ができた。そして今は、純粋に強くなりたい、ならなくちゃいけないという意思でここにいる。

 

「だが、足りない。いや、惜しい、というべきだろうな」

 

 雨蘭はだからこそ、惜しいと思う。

 鈴は確かに強くなりたいという強い意思を持った。だが、その強さを求める理由を鈴は気づいていない。雨蘭は、鈴のその必死といえる姿を見て、それを察していた。

 

「そういう精神論はよくわかんないな」

「私にしてみれば、そのプログラムのほうがわかんねぇよ」

「………ISは興味深い。そんなISで姉さんの強さを再現しようとする鈴音に研究者として感謝している」

 

 火凛は『甲龍』のデータに目を走らせながらそう呟いた。

 

「インフィニットストラトス。これを作った篠ノ之博士は天賦、という言葉でも足りないくらいの人だよね」

「おまえがそこまで言うほどの人なのか」

「姉さん、私は世間がISを兵器として見ていることにとやかく言うつもりはないけど、そんな人はこのISの真価に気づいていないだけだと思うんだ」

「どういうことだ?」

「知れば知るほど、確信する。きっと博士は、ISに心を持たせようとしていた」

「心?」

 

 雨蘭にはその真意がわからない。世間一般ではISは世界最強の兵器という認識であり、表向きはスポーツとしていてもあくまで機械だ。そこに心が備わるということがわからない。

 

「成長するコア……それを持っているのがISなんだよ。だからISを活かすも殺すも、人次第。でも、きっとすべてのISには心を得る可能性がある」

「それで……?」

「鈴音の『甲龍』もそう。前にみたときとくらべて、コアに内包された情報量が段違い。まるで、いろいろなことを学んで、なにかを願うように。『甲龍』のコアから流れるデータを見ると、おぼろげながらそんな意思が垣間見える気がする……本当に興味深い」

 

 火凛は楽しそうにそう語る。ここまで楽しそうにしている火凛を見るのも珍しいのか、雨蘭も興味を引かれたように耳を傾ける。

 

「で、その機体はなにを願ってるんだ」

「………鈴音の戦いから、もっとも最適な形へと自己進化しようとする形跡が見られる。ただのフィッティングじゃない。しかも鈴音の癖をしっかりわかってる………現状で鈴音に足りないものを補おうとすらしている」

 

 特に空中機動においてそれが見られる。空中機動が得意でない鈴を補うように、空中戦時にはとにかく鈴の操縦が、地上戦のときと同等の効果が得られるように補助しようとするプログラムが、データログに試行錯誤した形跡そのままに残っていた。

 

「通常の自己判断じゃ、ここまでのことはありえない。だって、これはまるで……」

「………鈴音を助けようと思っている、か?」

「そう。それって鈴音をしっかり見てなきゃ、助けたいと思わなきゃできないことだよ。事実、私が知る『甲龍』は、ただ鈴音に操られていただけって感じだった。いったい日本でどんな経験をしてきたかはわからないけど、経験を積んだのは鈴音だけじゃないってことだね」

「経験して、考える機械、ね」

「すごいなぁ、篠ノ之博士。どうやったらこんなプログラムができるんだろ? 会ってみたいなぁ」

 

 感情表現が少なく、人に対してもあまり興味を抱かない火凛がここまで入れ込むのは稀だった。それほどまでに、ISという存在は火凛を興奮させるほどの可能性を秘めていた。残念ながらISに関心の薄い雨蘭はそうでもなかった。雨蘭にできることはただひとつだけ。

 

「……まぁいいさ。私はこいつをいじめるだけだからな」

「姉さんって好きな子ほどいじめたくなるタイプだよね」

「だからそんなんじゃねぇって言ってんだろ!?」

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 鈴の意識は海を漂うように茫洋としながら、ゆっくりと覚醒しつつあった。ぼんやりと思うのは、また自分は負けたのだということだった。最後はどうなったのかはよく覚えていないが、結局雨蘭に一矢報いることすらできずに負けた。勝てると思ってはいなかったが、それでも負けてたまるものか、という気合で臨んだ。

 しかし、現実はどこまでも正直だ。鈴は、雨蘭に勝てない。それが今の現実。そもそも年季が違うのだ。勝てる理由など皆無だ。

 だが、それでも、鈴は負けたくなかった。誰にも負けたくない。それが今の鈴の正直な気持ちだ。だから鈴はもう一度ここに戻ってきた。

 『甲龍』を預けられる火凛がいて、自己を鍛えてくれる雨蘭がいる。凰鈴音という人間を形成している理由の一つが、この姉妹に出会ったことだ。鈴自身でそう思えるほど、雨蘭と火凛には感謝しているし、信頼もしている。

 

 今にしてみれば、この出会いは運命だったかもしれない、と鈴はガラにもなくそう思ってしまう。

 

 あれは、そう。両親が離婚して、中国へと戻ってきて一ヶ月ほどが経った頃だ。その当時の鈴は、心地よかった日本から離れ、さらに家族間のギクシャクを引きずったままの帰郷にかなり荒れていた。家にいても親と顔を合わせるたびに言い争い、そんな環境に辟易していた鈴はほとんど非行同然の生活を送っていた。

 最低限のことはしていたが、イライラすると学校をサボって町に出ては喧嘩をするという、おおよそ年頃の少女とは思えないことをやっていた。

 暴力という手段は、相手さえ選べば負い目を感じずに八つ当たりできる最高の手段だったからだ。

 その日も鈴は絡んできたムカつく不良どもを血祭りにあげ、戦勝祝いに大好きなサイダーを飲んでいた。一夏や弾と一緒に飲んでいたサイダーと何ら変わらない味のはずなのに、やたらと不味く感じるそれを乱暴にゴミ箱に投げ捨てる。こんな風になってもポイ捨てもタバコもカツアゲもしない鈴は妙なところで不良にはなりきれずにいた。気の晴れないまま路地に座り込んでいると、目の前に誰かが立った。

 

「今時珍しい礼儀正しい不良だね。野良猫さん」

「………誰、ですか?」

 

 鈴に声をかけてきたのは二十歳過ぎくらいの女性だ。白衣を纏い、ぼんやりとした表情を変えずに鈴を見下ろしていた。

 

「怪我」

「え?」

「気づいてない? 頭、怪我してる」

 

 言われて鈴が頭を触ってみると、確かにけっこう出血していた。ツインテールの片方がいつの間にか血で染められているように赤く濡れていた。

 

「あー、そういえば鉄パイプで一撃もらったっけ……」

「野性味溢れる子だねぇ。猫というより虎のほうだったかな?」

「それで………なんの用ですか? あたしに構ってもしょうがないですよ」

「私は別に善人じゃないけど、そんな怪我してる女の子をほっとくほど無神経でもないつもり。手当てしてあげるからついてきなよ」

「構わないでください。いつものことですから」

「ついでに荷物がたくさんで辛くてね、悪いけど持ってくれない?」

 

 そう言って目の前の女性は、持っていたスーパーの袋を掲げてみせる。確かに量は多いが、今も平然と持っているため重いわけでもなさそうだ。そんな無理やり考えたような理由が少し面白かったので、鈴はついていくことにした。このときの鈴はやはり寂しかった、人との暖かい触れ合いに飢えていたんだろうと思う。

 そしてその女性、紅火凛についていき、そこで双子の姉という雨蘭と初めて顔を合わせることになる。それが紅姉妹との出会いだった。

 あとになって聞いたことだが、火凛が鈴を見かねた理由は、姉にそっくりに見えたから、という理由だったらしい。

 そこで鈴は姉妹にご飯をご馳走になった。このとき食べた雨蘭の不味い料理の味は今も忘れられない。美味しくないのに、でも不思議と好物よりも美味しいと感じた。まずいまずいと言いながら笑顔で食べる鈴を見て、間抜け面をした雨蘭の顔もいい思い出だった。

 

 それから紅姉妹との奇妙な交流が始まった。姉の雨蘭は武闘派で、二十代という若さで中国拳法の達人。妹の火凛は頭脳派で、天才とすら言われるIS技術者。鈴がこの二人に感銘を受けるのは必然といえた。しばらくして鈴は雨蘭に弟子入り、火凛にもIS関連技術を教わるようになる。火凛はともかく、雨蘭は弟子を取る気はなかったらしいが、気づけば構っているうちに鈴をしっかり鍛えていた。

 さらにこの二人は日常生活を送るにはいろいろと残念なレベルだったので、中華料理店を営んでいた父から教わった技術を駆使して二人の食事や身の回りの掃除や洗濯をするようになっていた。炊事や洗濯といったことでも、鈴がしっかりここで役立てるということも鈴が居心地良いと感じる理由のひとつだったのだろう。

 

 やがて姉妹が本来の住処であるという山奥へと帰るときも鈴はついていくことに決めた。その頃には鈴にとっての居場所は家ではなく、紅姉妹になっていた。学校へは最低限の日数だけ通い、あとは雨蘭に鍛えられ、火凛に教授される日々。やがて火凛からIS適正が高いことを教えられると、その道へと進むことになる。文と武の師を持つ鈴が選んだもの、この二人に育てられた凰鈴音という存在を表現するもの、それがインフィニットストラトス。

 ISなら、火凛の智を駆使し、雨蘭の武を再現できる。そして代表候補生になれば、揺らいでいた自身の証明になる、なによりIS学園へ入学する権利を得られる。そうなれば、また一夏や弾と一緒になってふざけあった、あの時が取り戻せる。そんな具体的に思っていたわけではないが、そうした願いを胸に一心不乱に努力した。その努力は報われ、キャリアに劣っていたはずの鈴はあっという間に他の競争相手を追い抜き、瞬く間に代表候補生の地位を得て、『甲龍』を手にした。

 

 

「そっからが、たいへんだったけど……」

 

 夢の中で回想していた鈴の意識がはっきりと覚醒する。寝かされていたベッドから身を起こす。やたらぶかぶかする服だと思えば雨蘭の服だった。

 懐かしい夢を見ていたことで、少し感傷的な気分だった。だが、悪くない。自己を知ることは、自己を強くする第一歩。それも雨蘭の教えだ。

 『甲龍』を手にし、火凛がその専属技師となってくれたことで『甲龍』は格闘戦を主体に置いたチューンがなされた。ここまで近接格闘に特化したISは他にないだろう。ただ、火凛からもこのままではどうしても壁にぶち当たると言われていた。このままでは、どうしても足りないままだ、と。それを証明するように、セシリアやアイズには総合的な能力で一歩劣っている。

 

「………これが、今のあたしの限界」

 

 代表候補生として認められたときは正直有頂天の気分だった。目的に近づいた、自己を証明できた、そんな気持ちだったし、少なくとも同年代では誰にも負けないと本気で思っていた。それほどの努力を重ねてきたのだ。

 そんな鈴の自信を木っ端微塵に砕いたのがセシリアだ。候補生同士の交流戦で戦ったセシリア・オルコット。彼女は見た目はいい育ちの世間知らずのお嬢様みたいだったが、戦いになればその目は一切の甘さはなく、冷徹に鈴を見据えて鈴のすべてを完封して倒した。鈴も意地でセシリアのビットの半数を落としたが、どう考えても鈴の完敗だった。

 あれから、強さを求める鈴に「負けたくない」という理由が新たにできた。その後もさらに熱を入れて雨蘭にボロボロにされながらも自己鍛錬を続け、IS学園入学の機会が訪れた。日本に行きたい、という理由ももちろんあったが、このときの鈴にはセシリアをはじめとした、同じIS操縦者として誰にも負けたくないという強い思いを形にしたいという理由も大きかった。だから、雨蘭の反対を押し切ってIS学園へと向かった。

 

 再会したセシリア、それにアイズや簪といったライバルたちとの出会い。昔の自分が如何に井の中の蛙であったか知ると同時に、こんなにも強い友がいることに高揚感を覚えた。

 夢中になれるものを見つけたことが嬉しかった。目標となる人間、競いあえる人間が傍にいることが嬉しい。つまるところ、過去も、今も、そしてこの先も、鈴は夢中になれるなにかが欲しかったのだ。鈴はそれに満足だった。満足していた。

 

 だが、それだけじゃダメだった。

 

 詳しい背景も理由も鈴にはわからない。だが、あの無人機のように、自分たちに牙をむく存在がいる。そして、それに対抗できる力を、自分は持っていない。肝心なところでセシリアたちに任せきりだった。それは、認められるものではない。

 足りない、まだ、自分は足りない。

 

 欲しい。どんな苦難も払いのける、強さが欲しい。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ようやく起きたか。ほら、おまえも食え」

「お師匠……」

「味は相変わらずだけど」

「うるせーよ火凛」

 

 生活スペースへいくと姉妹がくつろいでいた。雨蘭は風呂上りなのか、濡れた髪に上気させた肌をさらしている。火凛は膝を抱えてソファに座り、メガネをかけてなにか分厚い本を読んでいた。

 雨蘭が以前と変わらない不味そうなスープを勧めてくる。それを一目見て、相変わらずの二人が少しおかしくて苦笑する。

 しかし、表情を引き締めるとその場に膝をつき、床に手を当てて深々と頭を下げる。下ろされた鈴の長い髪が床に広がった。

 

「お師匠、先生………恥知らずにも戻ってきたことをお許し下さい」

 

 そんな鈴の土下座を、雨蘭は静かに見下ろし、火凛も本から顔を上げる。

 

「でも、あたしは強くなりたい。もっと、誰にも負けない強さが欲しい。だから………あたしを、もう一度鍛えてください……! あたしは、あたしは……!」

 

 顔を上げる。わずかに涙ぐんだ瞳が烈火のような気合を映していた。

 

「あたしは、もう誰にも、なににも! 負けたくない!」

 

 そう叫ぶ鈴に、雨蘭が近づきその頭を乱暴に撫でる。気づけば火凛もその傍へとやってきて、にへら、とした間の抜けた笑顔を見せていた。

 

「私はISはさっぱりだが………鈴音、お前は、私が手塩にかけて強くしてやるよ」

「本格的に政府にまた『甲龍』をいじる認可をもらわないと………今度は、完璧な鈴音専用の最高の機体にしてあげる」

 

 紅姉妹の力強い言葉を受け、鈴の目から、先ほどとは別種の涙が浮かぶ。ああ、本当にこの人たちに出会えてよかった。そう、心から思う。

 応えたい、応えなきゃならない。凰鈴音にそんな期待をかけてくれる二人に、そして共に戦った友たちに。

 

 凰鈴音は、新たな決意を胸に、強さを求める。そう願う本当の理由に、未だ気付かないままに。




まずは鈴編から。2~3話くらいになるかと思います。鈴編のタイトルは虎と龍からなる熟語からつけるつもりです。

鈴ちゃんは完全に熱血ストーリーにしたいと思ってます。鈴ちゃんのパワーアップと甲龍の進化、これは熱くせざるを得ない(笑)

もちろん最後には戦闘が入ります。しかし、これだとなんだか「ISファイト、レディゴー!」的になりそうだ(汗)

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