双星の雫   作:千両花火

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Act.24 「あなたがあなたであるために」

「ヴォ―ダン・オージェの実験体、だと……?」

 

 ラウラはまるで宇宙で漂っているかのような不思議な空間にいることを忘れてしまうほどにその告白にショックを受けた。

 たしかにどんな技術であれ、その開発にはそのような過程があって然るべきだが、ラウラはヴォ―ダン・オージェは不適合を起こさない画期的な移植強化法と説明を受けていた。しかし、事実としてラウラの左目は不適合を起こし、今のような金色へと変色した。その時点でその説明も信用できないものだとは思ったが、それ以前にどんな事情で作られたかという背景など考えもしなかった。

 

「ああ、それも間違い。ラウラちゃんのその左目は適合してるよ。本当に適合したヴォ―ダン・オージェは、その証として瞳が金色に変色するんだよ。ボクみたいに、ね」

「そ、そうなのか? だったら、なぜ私は………」

「でも、ヴォ―ダン・オージェが完全に機能した場合、人には耐えられない負荷を与えてしまう。だから人間が使うには、“不適合こそが適合している”という欠陥技術なんだよ、これは」

 

 十全なヴォ―ダン・オージェはスペックが高すぎて人間が扱えるものではない。だから人間に扱える域にまで機能を落としたものが、適合していると判断される。だから、ラウラ以外で移植された人間は、本当の意味では適合率はかなり低いということになる。

 ラウラが片目のみとはいえ、十全なヴォ―ダン・オージェを宿したのは彼女自身の資質が高かったため、という理由でしかない。

 

「ボクはずっとヴォ―ダン・オージェを、人間の域に落とし込む実験をさせられていた。ボクの目にあるものは、人間に移植して生きていられる限界の性能のもの………つまり、理論上、ボクの目は死なないギリギリ限界のものになる。ラウラちゃんのものは、もっと調整がされているはずだから、ボクよりリスクは低いはずだよ」

「………」

「ああ、別にドイツ軍にされたわけじゃないよ?」

 

 自分も実験体扱いだったのか、と思いかけていたラウラが顔をあげる。ならば、アイズはいったいどこでそんな扱いを受けていたのだ。ラウラのそんな疑問を察したアイズは苦笑して言葉を続ける。

 

「ボクも、いったいどこの誰がそんなことをしていたかはわからない。わかってるのは、ドイツがそこからヴォ―ダン・オージェの技術を買ったってこと」

「買った、だと……? それは軍の技術部が開発したと……」

「それは嘘だね。考えてもみてよ、軍の技術が開発したっていうなら、どうしてラウラちゃんのその左目が真に適合しているって知らないの? ボクがそうであるように、バックアップすればちゃんと制御することも可能なんだよ?」

 

 ラウラはハッとなってアイズを見る。自身が落ちこぼれの烙印を押された忌まわしい記憶の象徴というべき金色の瞳。その同じ瞳が、優しい光を宿してラウラの姿を写していた。

 

「軍はきっと知らなかったんだね。いや、そもそも売った組織が教えなかった、が正解かな。………これはボクの想像だけど、軍はその売った組織にヴォ―ダン・オージェの実動データを送るっていう取引をしてるんじゃないかな?」

「………ま、まさか」

「心当たり、あるみたいだね」

 

 そう、ラウラが所属する部隊の隊員は全員ヴォ―ダン・オージェの移植がされており、定期的にそのデータを軍に提出することを義務付けられている。それは当然のことだと思っていたが、軍が不適合だとして無能の烙印を押し付けたラウラにも執拗にデータの提出を迫っていたことは疑問だった。

 事実として、制御しきれない左目を眼帯で封印したラウラにも、定期的に暴走しかしない左目のデータをとっていた。にもかかわらず、なにも改善方法を提示もしない。データを取るだけで調整や治療行為はいっさい行われなかった。

 

「そ、それではおまえはどうして……」

「………ボクもラウラちゃんと同じ。扱いきれない目なんて役に立たないって、捨てられたんだよ」

「そ、そんな!?」

「適合率が高くても、扱えないものに意味はないってね……最後ヴォ―ダン・オージェを活性化させるためのナノマシンまで埋め込まれて、実験データを取ったら廃棄される、はずだったんだけど」

「に、逃げたのか?」

「そ。殺処分される直前に隙を見て排気口から真冬の海に身投げして、ね。あのときは冗談抜きで何度死ぬかと思ったか……」

 

 まるで雑談でもするように言うアイズだが、その内容は恐ろしいとしかいえない。ラウラは自分たちに使われた技術の裏で、アイズのような存在がいたことに言いようのない恐怖を覚えた。

 

「なぜ、生き残れたんだ?」

「………皮肉にも、この目のおかげだった。逃げ出せたのも、夜の海を死なずに陸まで渡ったことも、その後に組織に見つからずに隠れて生きていたのも……」

 

 警備の隙をつけたのも、逃走経路を判断できたのも、海流を計算して岸に流れ着けたのも、すべてヴォ―ダン・オージェからもたらされる情報のおかげであった。あのときは生きるために必死だったため、火事場のバカ力といえる状態になっていたために過剰負荷による激痛を無視してこの目の情報処理を駆使してなんとかそこから逃げることに成功した。死ななかったことが不思議なくらいの逃走劇であった。

 

 これがアイズが九死に一生を得た最初の出来事。

 

「でも、そのあとが大変だった。目は見たものすべて過剰に情報化して、そのたびに頭が割れるように痛くなって………日常生活を送るだけでも死にそうだった。まぁ、なんの後ろ盾もないボクは、路上で廃棄された食べ物漁るくらいしかなかったんだけど……」

 

 路上生活というのは殺人や人攫いといった危険も多かったが、そうした危険はすべて激痛を代償としたヴォ―ダン・オージェによって回避していた。この頃からアイズは目には頼らずに、人の悪意や敵意といったものに敏感になっていく。わずかでも嫌な予感がすれば、ヴォ―ダン・オージェによって危険がなくなったと判断できる場所まで逃げる。その繰り返しだった。

 やがて、ヴォ―ダン・オージェの活性がある程度収まり、小康状態へとなってもアイズが危険を感じればすぐさま最高適合率で発動するという暴走っぷりは健在。当然そのときの負荷による激痛も最高クラス。アイズにとって危機に遭遇するということは、それだけで自身の身を蝕んでしまう。生きるために命を削る力に頼らざるを得ないというジレンマを抱えた生活は八ヶ月にも及んだ。

 

「何度か血の涙も流して、それを見た子供に泣かれたこともあったなぁ。まぁ、そのときはボクも子供だったけどさ」

 

 ケラケラと笑うアイズがラウラには信じられない。

 アイズの言葉を通して、当時のアイズの記憶がアイズの心と一緒にラウラへと流れ込む。ブツ切りにされたような映像が絶え間なく見えるが、それは楽しさなど欠片もない、ただただ悲惨で凄惨としか言えない過去の事実。

 目の前の笑うアイズとは裏腹に、過去のアイズは笑顔などまったく見せていない。そして生きることに絶望し、運命を呪い、未来に希望なんて抱かない、そんな子供だったことが信じられない。

 今のアイズは優しさで溢れ、愛くるしく、笑顔で夢を語る。昔のアイズとはまるで別人だった。

 

 幸せそうに親と歩く子供を見ては妬み、自身をゴミのように見る大人を恨み、自分をこんな目に合わせたすべてを憎んでいた。完全にベクトルが逆転している姿に、過去の記憶とわかっていてもラウラは本当に同一人物かと疑った。

 

「…………ボクの過去、見苦しいでしょう?」

 

 アイズが苦笑して言う。それはアイズ自身も今と過去のギャップに驚いているようでもあった。

 

「ボクが生きていたのは、ただひとつの理由だけだった。………“自分の存在に意味が欲しい。それが見つかるまで、まだ死ねない”……ボクは、それだけだった。死にたいほど苦しくても、ボクは自分が無価値に死にたくなかった」

 

 アイズはラウラと違い、試験管で生まれたわけではない。ちゃんと母の胎内で育ち、生まれた普通の少女だった。

 しかし、アイズの記憶に両親の姿はわずかな影ほどしか覚えがない。そしてその最後の記憶は、アイズの身と引換に大金をもらっている光景だった。当時はわからなかったが、今ではそれがよくわかる。

 自分は売られたのだ、と。

 

「名前すら、つけてもらえなかった。あったかもしれないけど、ボクの記憶に名前で呼ばれたことはなかった」

「…………」

 

 ラウラは自身の境遇と無意味と思いながら比較してしまう。

 ごく普通の親がいて、その人たちから名前で読んでもらうという、そんな平凡な幸せが一般的というのは知っていた。戦うためだけに試験管で生まれた自分には到底得られないものだと思っていたし、それが少し羨ましいと感じたこともある。

 だが、アイズはラウラが思うそんな平凡で幸せな生き方ができるはずの生まれでありながら、名前すら貰えず、人権なんて存在しない境遇へと落とされた。

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒという名前を与えられ、戦うという目的も与えられ、生きていく分には不自由のない衣食住が与えられてきた。それは、アイズと比べてどうだ?

 幸せ、と言えなくても、不幸だとは言えない。

 

 そして、そんなアイズのような存在の犠牲の上に、ラウラは立っているという事実がラウラにとって受け入れがたい事実だった。

 

「なぜ、だ」

「うん?」

「なぜ、おまえは笑っていられる? なぜそこまでのことをされながら、おまえは笑っているんだ!?」

 

 ラウラが叫ぶ。それが理解できない。アイズの過去では確かに、アイズ本人は狂うほどの激しい憎悪と諦めがあった。アイズの心と溶け合っている今のラウラはそれが理解できる。

 

「なのに今のおまえは笑って、夢を語って、暖かい気持ちで溢れている。おかしい、おまえは狂ってる! なぜそれほどの憎しみを忘れられる! なぜ、希望なんて持てる!?」

「……………それは少し違う、かな。ボクは憎しみをなくしたわけじゃない。ただ、どうでもよくなったんだよ」

「どう、でも?」

「ボクは、今でもボクを苦しめたものが大嫌いだよ。でも、だからそんなもののために、ボクがボクであることを賭けてまでこだわりたくない。そんなことにあげるほどためにボクの人生はあるわけじゃない。ボクは、大嫌いなもののためじゃなくて、大好きなもののためにこの命を使うって決めたんだよ」

 

 だから憎しみはあっても復讐はしない。そんなことにこだわることすらする価値がない。自分の過去なんて、苦しみしかなかった。だからそんな苦しみにこだわることなんてしない。

 

「もちろん、そんな過去があった上で、今のボクがいることはわかってる。でも、ボクは………過去じゃなくて、未来のために生きたい。ボクの過去に、価値なんて見いだせなかった。だから、ボクはボクの意味が欲しいから、そうなるような未来のために生きたい……!」

 

 当然、自然にそう考えるようになったわけではなかった。あるきっかけがなければ、アイズは復讐に生きたかもしれないし、すでに死んでいたかもしれない。

 でも、そうならなかった。そうしてくれた存在がいた。

 

 これまでの凄惨で冷たい過去とは違う、暖かいアイズの記憶がラウラに流れ込む。

 

 アイズの記憶が見せるのは、ひとりの少女の姿。肩まで伸ばされたよく手入れをされた金糸のような髪に、よく教育されているとわかるほど仕草が毅然とした少女だった。

 

 セシリア・オルコット。それがその少女の名前。

 

 アイズが疎ましいと思っていた目を見て、綺麗だと言ってくれた人。

 

 アイズと一緒にいることが楽しいと言ってくれた人。

 

 アイズが好きだと言ってくれた人。

 

 それは、アイズが生まれて初めて与えられた愛だった。はじめて感じる暖かさに戸惑いながら、アイズは次第にセシリアとの交流が生きる目的となっていた。

 上流階級でありながら、いつも泥まみれのアイズと一緒にいてくれて、優しく微笑みかけてくれるセシリアのことを好きになるまでそう時間はかからなかった。

 

「セシィは、ボクに心をくれたんだよ」

「心………」

「あったかい、そんな心。もっとそんな心を感じたい、欲しい。ボクはそう思った。そして気がつけば、憎しみとかどうでもよくなっていた。ただ、セシィと一緒にいたかった」

 

 そしてこのとき、セシリアから「アイズ」という名前をもらう。アイズにとって苦しみの象徴でもあるこの目が綺麗という理由でつけられた名前。

 それは自分の忌まわしい過去を、希望に塗り替えられた瞬間でもあった。

 

「ボクは、アイズ・ファミリア。アイズになったときが、ボクがボクになったとき。ボクが、ボクである名前をもらった」

「…………」

「ラウラちゃん。あなたは、自分が自分である証が欲しいんでしょう?」

「っ!?」

「わかるよ。ボクも、そうだった。どんなによく見える目があっても、自分だけは見えなかった」

 

 ラウラは、アイズが自身の心を代弁しているかのように感じられた。そう、ラウラは自分が何者なのか、その答えが欲しい。

 

「でもね、ラウラちゃん。その答えは、ひとりじゃ絶対にわからない」

「ひとりじゃ、わからない………?」

「だから、誰かに認めてもらいたいと思うんだよ。そして、ボクにはセシィがいた。ラウラちゃんには、そんな人はいる?」

 

 ラウラが思い浮かんだのは千冬だった。しかし、千冬に憧れはしたが、しかしラウラは千冬になりたいと思ってしまった。千冬のように強くなりたい、と。それは、ラウラがラウラであるため、というには少しズレていた。結局ラウラは千冬になれず、力を真似た出来の悪いVTシステムなんてものに支配される始末だ。

 

「わ、私には、そんな人は………」

「それはそう思い込んでいるだけだよ。もっと話をしよう。もっと遊ぼう。ラウラちゃんが思っている以上に、みんなはラウラちゃんを見ているよ。ボクも、あなたを見ている。あなたを、知っている」

「おまえ、も」

「そうやって、みんな少しづつ前に進んでいくんだよ。だから、ひとりじゃないって、それに気づかなきゃいけないんだ」

「だが、私は望まれて生まれてきたわけじゃなかった。私は、ただ兵器として作られただけの命なんだ。そんな私が………」

「それは違うよ、ラウラちゃん」

「なぜだ! おまえこそ、私を恨んでもおかしくないのだぞ!? 私みたいな兵器に使われるこんな目のために人生を潰されて、そんな私はこんな無様を晒す有様だ!」

 

 ラウラはアイズに恨まれたかったのかもしれない。

 そうすることでアイズが犠牲になったこの目を持った自分の不甲斐なさを責めて欲しかった。自分に宿った“力”のために、犠牲になった人たちがいる。知らずにそんな人たちの命を、人生を背負ったにも関わらずに、ろくな制御もできず、自棄になってまったく違う紛い物の力に頼るという有様だ。

 ラウラはアイズの半生を垣間見たことで、自分のこれまでの行いを恥じていた。意図していなかった、知るはずのないことだったとしても、何人もの犠牲の上に生きている自分の境遇、そしてそんな自分の半生を、ただ戦うだけの価値しかないと思っていたことがラウラに罪悪感を与えていた。

 

「………ラウラちゃん」

「………」

「ボクは、嬉しい」

「え?」

「ボクは、あなたに会えて、嬉しい。ボクと同じ目を持っていて、ボクの苦しみや憎しみも理解してくれて嬉しい。だから、ボクも………」

 

 アイズは金色の瞳を潤わせながら、ラウラに手を差し伸べる。

 

「ボクも、あなたのことが知りたい。ラウラちゃんも、ボクに、ボクである証をくれたんだから。だから、ボクはあなたが好きだよ、ラウラちゃん」

「っ………!」

「たとえ、ラウラちゃんがボクの犠牲の上にいたとしても、………それを恨むなんてありえない。だって、それは、ラウラちゃん。あなたが、ボクが無価値じゃなかったっていう、証になるんだから」

 

 ラウラにとって驚くべきことに、その言葉はアイズの本心だった。今なら、嘘でも冗談でもないことが理解できる。その言葉は、アイズが心の底から思っていることで。

 そして、アイズがラウラに対し、純粋に好意を持っていることも、ラウラは感じ取っていた。

 

「だから」

 

 そのアイズが、言葉を紡ぐ。それは言葉にせずとも、ラウラにはアイズの気持ちがわかっていた。真摯なその感情が、溶け合った心がそれを伝えてくる。

 

 でも、ラウラはその言葉を待った。アイズの口から、アイズの声で、それを聞きたかった。

 

 そしてもちろん、アイズにもラウラのそんな心が伝わってくる。だからアイズも、精一杯の気持ちを込めて、ありったけの心を込めて、言葉を紡いだ。

 

「ボクは、あなたが好きだよ」

 

 ボクがボクであるために。あなたがあなたであるために。

 

 それが、アイズの愛のカタチなのだから。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

「止まった?」

 

 アイズとラウラが取っ組みあったかと思えば、そのまま静止してしまった。その体勢のまま一分ほど経ったとき、警戒していた面々が拍子抜けするくらいあっさりと暴走したラウラから戦意が消え、そのままアリーナの地面へと降り立った。

 

 アイズの両目は、次第に金色の輝きが薄れ、そのまま光を失った白濁したものへと戻ってしまう。そのままISも解除され、脱力したアイズが前のめりに倒れてしまう。

 慌ててセシリアや簪がアイズのもとへと向かうが、その前にアイズを黒い装甲の腕が支えた。

 

 ラウラであった。

 

 ラウラは、全身を覆い尽くしていた黒い装甲が徐々に解除されていく中、正気を取り戻したかのように目に光を宿してアイズを見つめていた。

 そして暴走したVTシステムとISそのものが完全に解除され、ラウラはその手だけでアイズを支える。

 

 見た目通り、小柄で軽いアイズの身体。しかし、ラウラにはそのアイズの重さが、とても重いものに感じられた。

 そんなラウラも限界だったのか、やがてアイズと抱き合うようなカ形で倒れてしまう。VTシステムの暴走によってラウラの体力もかなり消耗されていた。

 加えて、アイズもラウラもヴォ―ダン・オージェの使用が目と脳に多大な負荷を与えていた。気絶してしまうことは、むしろ当たり前だった。それくらいで済んで幸運だった、と思うべきだろう。

 

 二人はすぐさま保健室に運ばれた。幸い、精密検査では後遺症など深刻な症状は出ていない。そのことにセシリア達は一様に安堵した。

 さすがに暴走したラウラはアイズとは別室に隔離されたが、ISを取り上げられた以上、あのような危険な状態になることはないだろう。そもそも、ラウラの専用機はすでに修復することも困難なほど破壊されていた。コアが唯一無事だったことだけが救いだろう。

 

 しかし、トーナメント本戦でVTシステムによる暴走なんて起こしてしまったラウラと、ドイツ軍は十分に問題行為といえる。これらの後始末は決して簡単ではないだろう。ラウラの退学や処分すら有り得るし、国際問題に発展すればもはやどうなるかはわからない。

 

 

「………これで終わり、とはならないでしょうね」

 

 眠り続けるアイズを看病しながらセシリアは呟く。

 事態は収まったかに見えるが、なにも解決していない。結局ラウラの暴走を止めたのはアイズで、そのとき使ったヴォ―ダン・オージェの代償として疲弊したアイズは今も眠り続けている。

 もうひとり、ラウラも眠り続けているが、ラウラの寝顔はどこか穏やかなものに感じられた。セシリアたちは、あのときアイズとラウラになにが起きたのかわからない。

 しかし、なんとなく察することはできる。

 

 アイズは、きっとラウラの心に触れたのだろう。それがどうやって、どうして、という疑問は関係ない。アイズという人間は、人と本音で接する。そうして、気づけば相手も本音を晒してしまう。どんなときでも、誰でも心のままに触れ合わせてしまう。

 アイズ本人は気づいていないかもしれないが、アイズにはそんな不思議な力がある。

 

 あの穏やかなラウラの顔を見れば、わかる。アイズは、きっとラウラの心を救った。そのために、リスクの大きいあの目まで使って………。

 

 ここまで聞けば美談にも思えるが、そううまくいかないのが人生だ。

 

 アイズのその優しさは、裏切られたほうが多いのだから。人に、状況に、運命に。そうして報われないことが常になっているのが、アイズであり束であった。そんな二人を見てきたセシリアには、どこか今回の事件もこれで終わるはずがないという確信めいた思いを抱いていた。

 

 アイズにとって因縁の深い、ヴォ―ダン・オージェを継いだラウラ。おそらく、この二人に平穏が訪れることはないだろう。金の瞳は、ただそれだけで呪いのようにその人の運命を歪めてしまう。それを持つこと自体が、多くの波乱を呼び寄せてしまう。

 二人の持つあの目は、そういう代物なのだ。

 

 だから、せめてアイズが救いたいと願った少女の心は救われてほしい。

 

「でも………嫌な予感がしますね」

 

 そんなセシリアの予感は見事に的中する。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 ラウラの暴走事件から一週間後。

 教室でアイズは力なく机に突っ伏しながらうーうーと唸っていた。まるで悪夢に魘されているように苦しんでいるが、隣に座るセシリアはそんなアイズをジト目で見つめている。

 

「うぅ………セシィの説教コワイ……」

「あなたが無茶をするからです。反省してください。わかっているのですか、アイズ?」

「うぅ、ごめんなさい」

 

 目覚めたアイズを待っていたのは般若のような形相をしたセシリアによるお説教だった。セシリアが怒っている理由は言うまでもない。危険すぎるアイズのプロトタイプのヴォ―ダン・オージェを使ったことが原因だった。

 軽く三時間は正座のまま説教をされ、半泣きで耐えたアイズをさらに待っていたのは鈴をはじめとした友たちのお小言であった。「無茶をするな」「心配した」「おねがいだから自分を大事にしてくれ」というありがたい言葉を散々言われ、最後に簪に泣かれたことがトドメとなった。あの簪がわんわんと泣きながら「アイズが死んだら私も死ぬ(意訳)」と言ってすがりつかれたときはさすがのアイズも呆然としたものだ。

 自分がどれだけみんなに愛されているのかわかって嬉しい。どれだけ心配をかけたのかわかって申し訳ない。そんな感情がアイズを満たしていた。

 これ以上は心配をかけられないとして、アイズは火急のとき以外はヴォ―ダン・オージェをもう二度と使わないと約束した。というか約束させられた。

 

 それ自体アイズはこだわりはない。今のアイズにとっての心配事はラウラであった。

 

 あの暴走事件以降、アイズはラウラと会っていない。自身もずっと眠っていたし、ラウラも衰弱していたこともあるのだが、それ以上にラウラにはなにかしらの面倒事があったらしいという話は聞いた。セシリアに聞いてもはぐらかされ、すぐにわかるとしか言われなかった。

 事情が事情だけに心配だった。もしかしたら学園を退学なんてことも有り得ると考えていただけにアイズの心配は大きかった。

 

「大丈夫ですよ、アイズ。ほら、きましたよ」

「お?」

 

 アイズは見えないが、しかし気配と匂いでラウラが教室に入ってきたことを察知する。どうやら千冬と一緒に教室にきたようで、二人は壇上で立ち止まった。

 

「さて、おまえたちも知っている通り、トーナメントにおいてISに積まれたシステムによる暴走が起きた。その本人であるラウラ・ボーデヴィッヒに処分が下った。……ラウラ」

「はい」

 

 ラウラが一歩前に出る。いつかの転校初日を思わせる光景であるが、クラス全員が感じていたことがあった。

 ラウラの表情が、雰囲気が違うのだ。一夏に当たっていたときのようではなく、穏やかでわずかに笑みすら浮かべている彼女は、はじめに深々と頭を下げた。

 

「まずは謝罪を。今まで、数多くのご迷惑をおかけしたこと、申し訳ありませんでした」

 

 その言葉に全員が驚く。ラウラが、こんな殊勝なことを言うとは信じられないといった面持ちでその言葉を聞いていた。

 

「そして、今回の暴走事件を起こしてしまった責任を取り…………私は、ISを国に返却し、軍を除隊いたしました」

「なっ………!?」

「もし、皆さんの許しが得られるのであれば………ただのラウラとして、このクラスの一員としてありたいと思っています」

 

 しばし静寂がクラスを包むが、頭を下げたままのラウラの姿にそれが本音だと全員が察する。やがて、セシリアがぱちぱちと拍手をする。そしてそれはひとり、またひとりと伝わり、クラス全員がラウラを拍手で迎えることになる。

 ただひとり、アイズを除いて。

 

 そしてラウラが、そんなアイズへと近づく。それを気配で察したアイズは、泣きそうな顔でラウラへと向き直る。

 

「ラ、ラウラちゃん………」

「なぜ、そんな泣きそうなんですか?」

 

 以前と違い、敬語で接してくるラウラ。しかしアイズはそんな違いすら認識する余裕はなかった。

 

「軍を辞めたって……どうして……」

「………」

「アイズ、ドイツ軍はVTシステムを搭載していた責任を彼女ひとりに負わせたのです。除隊処分は、その結果です」

 

 セシリアから聞かされた事情に息を呑む。まさか、そんなことになっているとは思いもしなかった。VTシステムという違法なものを搭載し、ラウラを苦しめたのに、その責任を負わせて捨てたというのか。あまりにもひどい仕打ちにアイズのほうがショックを受けていた。

 

 しかし、事件が明らかになった翌日にはドイツ軍はVTシステム搭載の責任をラウラが独断で行ったとしてラウラを除隊処分とすることを発表していたのだ。それは明らかにトカゲの尻尾切りであった。ラウラひとりを犠牲に保身を図ったのだ。

 ラウラは自身を生み出したものに尽くしてきたにも関わらず、それに捨てられる結果となった。それはラウラが目覚める、わずか二時間前の出来事であった。目を覚ましたとき、ラウラは自身を取り巻く状況が一変していたのだ。

 

「そんな、ひどい……」

「いいんだ。あのシステムに頼ってしまったことは、紛れもない私の責任なのだから」

「で、でもっ!」

「確かに喪失感も大きい。信じられないという思いもある。でも、私はそれを受け入れたのです。幸い、私の部隊には優秀は副官がいます。彼女にならあとのことを託せる」

 

 ラウラの副官であったクラリッサも当然今回のラウラへの処分は不満であった。そして部隊でなくラウラ個人だけを処罰したことも納得できることじゃなかった。だが、IS部隊をそうやすやすと手放すわけにはいかない軍は、ISを没収し、隊長であるラウラのみを捨てたのだ。

 ラウラの目の価値を知らない軍は、潜在能力は高いが扱いきれないラウラよりも汎用に使える部隊だけを軍規で不満を押さえつけて残した。

 クラリッサからは「隊長が戻るまで部隊を預かります」という言葉をもらっていた。その可能性は少ないだろうが、彼女はそのつもりでラウラのいなくなった部隊を守るだろう。ラウラは、自分をこんな風に慕ってくれる部下たちのためにも、このままただ終わるわけにはいかなかった。そのためにも、ラウラはまず自分自身をしっかり知ろうと思った。

 

「それに………私は知りたいんです。私は、今まで戦うことだけしかなかった。そんな私が、いったいなにができるのか、なにがしたいのか。それを、見つけたいのです」

「ラウラちゃん………」

「だから、………その、……わ、私は、これからも姉様の傍にいたいのです」

「ね、ねえさま?」

 

 いきなり妙な言い方で呼ばれたことにアイズが困惑する。ラウラは顔を赤らめながらもじもじとしながらそんなアイズを見つめている。

 

「ダ、ダメでしょうか? 私は、姉様がいたからここにいます。それに、これからお世話になるのですから」

「え、どういうこと? ………セシィ?」

「ああ、言い忘れていましたが、ラウラさんの身は、カレイドマテリアル社が身請けすることで話が纏まっているんですよ。イリーナさんも優秀な人材が手に入って嬉しそうでしたよ?」

「わざと言わなかったでしょセシィー!? ちょ、いつのまにそんな話が!?」

「あなたがぐっすり寝ているうちから話は進んでましたよ」

「うぐ………ってことは、ラウラちゃんもボクたちと同じ……?」

「はい! カレイドマテリアル社研究部門のテストパイロットとして尽力させていただきます! よろしくお願いします!」

 

 ビシッと敬礼のポーズを取るラウラ。既に軍属でなくなったというが、そうした仕草は癖になっているのだろう。

 

「………いいの? ラウラちゃん、それで後悔しない?」

「姉様、私も見てみたくなったのです。………姉様のように、私が私であるための、そんな夢を見たいのです」

「……そっ、か。うん、わかったよラウラちゃん。一緒に、そんな夢を見れるようにがんばろう」

「はい、姉様」

「あー、でも姉様っていうのは……ちょっと恥ずかしいなぁ」

「や、やはりダメでしょうか……?」

 

 不安そうに落ち込んだような仕草を見せるラウラ。はじめは狂犬みたいだったのに、今のラウラはまるで従順な子犬みたいだった。

 

「ううん、いいよ。おいで、ラウラちゃん」

「姉様……!」

 

 立ち上がり、腕を広げたアイズにラウラが抱きつく。互いにぎゅっと力強く抱擁を交わすそれは、クラスメートが見つめる教室のど真ん中で行われたことであった。

 小柄な少女二人が、熱く抱き合う光景にそれを見ていた大半が顔を真っ赤にしてしまう。しかも、方や目隠し、方や眼帯をしているという、どこか背徳染みた光景に、一部の女子は興奮して鼻血すら出しそうになっていた。

 

「姉様、大好きです」

「ボクもだよ、ラウラちゃ、んん!?」

 

 アイズはなにをされたのかわからない。ただ、口に柔らかい感触があることだけがわかる。もしここでアイズが見えていれば、目の前にはドアップになって自身の唇を押し当てるラウラが見えたことだろう。クラスの何人かがあまりの背徳的で百合な光景を見て倒れる中、ゆっくりとラウラが唇を離す。

 アイズはまだあたふたと混乱していた。

 

「え? え? 今ボクなにされたの?」

「な、なにかおかしかったですか? クラリッサから最高級の愛情表現だと聞いたのですが……」

 

 すでに教室は嵐のように大騒ぎであった。

 しかし、百合色に侵食される教室でどす黒いオーラを纏わせた者が立ち上がった。その瘴気というべきオーラはその場にいた人間を悉く圧倒していた。

 

「わ、私の、私のアイズにいったいなにをしてやがりますかこの駄ウサギがぁぁぁぁ――っ!!?」

 

 大魔王よりコワイ淑女の咆哮が響き渡った。その目は完全に殺る気であった。

 

「わー!? セシリアさんがキレたー!?」

「ちょ、やばいって! その顔放送禁止レベルだって!」

「ちょ、みんな! セシリアさんを止めるのよ!」

「離しなさい! そこの駄ウサギと、妙なことを教え込んだクラリッサとかいう俗物を駆逐してさしあげます!」

 

 さらなる喧騒に包まれる一組。それは、千冬ですら沈静化させることが困難なほどの混沌の坩堝であった。




ラウラ攻略完了。やったね、妹ができたよ!

イリーナや束の介入もあったラウラの除隊の裏事情は臨海学校編の前に幕間でまた補完する予定です。ともあれ、これで黒兎さんも味方陣営に。アイズと二人で金眼目隠しシスターズの誕生です。専用機を失ったので束製の魔改造機ゲットします。

それにしてもアイズはどんどんヒロインを落とすな、おい。

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