双星の雫   作:千両花火

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Act.15 「夢の魔法」

 すすり泣く簪の頭を優しく撫でながら、アイズは妙な既視感を覚えていた。

 その正体はすぐにわかった。これは自分だ。自分とセシリアだ。いつもこんな風にセシリアに頭を撫でられていたアイズは、撫でる側になったことで妙なくすぐったさを感じていた。ほんの少し、セシリアに近づけた気がしたから。

 そうして、弱々しいこの少女のように、自分もこんな触れば壊れそうな感じだったのだろうか、と意味のないことをぼんやりと考える。しかし、すぐにその思考はシャットアウトされる。

 

 今のアイズにとって重要なのは、簪ただひとりなのだから。

 

 しばらくすると簪がもう大丈夫だと言ってハンカチで目元を拭った。アイズは本当に落ち着いたか簪の気配を探って、確かに落ち着いたようだと判断すると簪の隣に腰をかける。

 そして、セシリアがアイズにそうしてくれるように、簪の手を取り掌に指を這わせる。それは傍にいるというサインだった。そんな意図をなんとなく察したのか、簪も指を絡めてアイズの手の暖かさを確かめている。普通なら過剰なスキンシップでも、視力に頼れないアイズにとってはそれは重要な手段で、誰かに縋りたい今の簪にとっても非常に適切な距離感を与える行為だった。

 

「なにがあったの、簪ちゃん? なにか嫌なこと言われたの?」

「ううん、そうじゃないの。………私は、謝りたかったの」

「謝る? 誰に?」

「………あなたに」

「ボク……?」

 

 それは意外な告白だった。アイズは、簪が自分に謝罪するようなことがあるなどまったく思っていないし、いったいなんのことを言っているのかさえわからない。

 しかし、簪の気配からそれは本当に思いつめているようだと感じ、アイズは不安を強くした。

 

「私は、………結局、ひとりじゃ無理だった。自分の限界が、わかっちゃった、から……」

「…………」

「私じゃ、アイズの希望になれない。私は、アイズを励ますこともできない」

 

 その言葉で、アイズは理解した。

 そう、確かに言った。簪がひとりで頑張ろうとする姿に、自分は勇気づけられる、と。それは本音だった。今でも簪には尊敬の念を持っている。

 でも、その言葉が簪を追い詰める一因になっていたということにアイズはショックを受けた。そんなつもりで言ったわけじゃない、でも、事実としてそれは簪の重荷になっていた。それがアイズには耐え難いことだった。

 

「ボクは、……ボクが、簪ちゃんを追い詰めたの?」

 

 ここで「そうだ」と言われたらきっと立ち直れない。それでも聞かずにはいられなかった。

 

「違う……私が、勝手にアイズのために頑張りたいって思っただけ……アイズは悪くない」

 

 それから簪はゆっくりと心中を吐露し始めた。

 あのアイズの発言を受け、簪の中で小さな変化があった。

 今までただ姉に追いつきたい、自身が平凡じゃないと証明したい、そんな簪自身が利己的と思っていた理由でがんばっても、なにもできないのではないかと思った。限界を感じていたこともあり、ほかの理由が欲しかった。

 だから、簪はアイズに縋った。

 自分を羨ましいと言ってくれた人、尊敬できると思ってくれた人、そんな人に、こんな自分でも希望を与えられるなら、それはきっと簪にとっても素晴らしいことだと。

 

 でも、現実は優しくはなかった。自身の専用機をたったひとりで作り上げることが、どれだけ困難なことか、やればやるほどそれは簪を追い詰めていった。前向きに頑張れる理由ができても、今度はその理由を裏切ってしまうのではないかという恐怖が次第に大きくなっていった。

 

 そんなとき、クラス対抗戦でのあの事件が起きた。簪もちょうど見学のために会場を訪れていた。そこで見たものは、ビーム兵器という強力な武器を携え、集団で襲いかかる機体を鎧袖一触にする四人の姿。遠目でよくわからなかったが、アイズであろう赤い軌跡を目で追っていた簪は、アイズの凄さを改めて知りつつ、そんな人がかけてくれた期待に応えられない自分を嫌悪してしまった。

 もともと内向的な性格の簪は、一度ドツボにはまってしまえばそれは泥沼のように自分自身を追い詰めてしまった。自分だけでない、アイズを気にかけているからこそ、それは深く沈むように簪の意気を落としていった。

 

 そうして途切れ途切れになりながらもすべて話した簪は、まるで怒られるのを待つ子供みたいにビクビクと怯えるように黙り込んでしまった。

 しかし、それはアイズとて他人事ではなかった。まさか自分の言ったことが、そこまで簪を追い詰めていたとは露ほども思わなかったアイズにとってまさに青天の霹靂だった。

 

 

 違う、そうじゃない。

 

 本当に言いたかったことは、伝えたかったことは―――。

 

 

「………簪ちゃん」

「アイズ?」

「ボクも同じなんだよ、簪ちゃん。ボクも、ひとりじゃできることなんてたかがしれてることなんだよ」

 

 たしかに、今のアイズには自信がある。いままで積み上げてきたものを誇りとして大切に思っている。しかし、そこに至るまでの道程は、決してひとりの力だけで歩いたものではなかった。

 

 ISの操縦はセシリアをはじめとした多くの人に教わった。目の見えないハンデは思いのほか大きかったため、それを克服することにどれだけ努力を重ねたか、そしてどれほどの努力が実らなかったか……。

 

 自身の駆る機体『レッドティアーズtype-Ⅲ』は束が本当の意味でアイズ専用となるように開発してくれた機体。束は寝る間も惜しんでこれをアイズに渡してくれた。それを使いこなせるようになるまで、また多くの時間を必要とした。

 

 身分なんてないアイズに社会的な地位と保証を与えてくれたのはイリーナだ。先行投資だ、と言いながら莫大な資金をアイズに使った。その額を知ったとき、アイズは目を回して気絶した。

 

 

 この学園に来てからも、多くの人にアイズは支えられている。それは常に思っているし、感謝することを忘れたことはない。自分の力で恩を返したいと偉そうなことを言ったにも関わらず、アイズは支えられなければ生きていけない。いったいなにをすれば恩を返せるのか、それはアイズにもまだわからない。

 むしろ、それをずっと考えている。探している。

 

「ねぇ簪ちゃん、ボクは、いったいなにを返せると思う?」

 

 簪は応えられない。それは、形は違えど、簪の答えの出ない悩みとよく似ていた。

 

―――――自分にはいったいなにができるのか。

 

 アイズも簪も、突き詰めればそこに集約されていた。それは誰もが抱くものだろう。しかし、この二人に限って言えば、それはアイデンティティに直結するほどの心の奥深くに根付いた命題だった。

 

「ボクはね、この問を一度セシィに聞いたことがあるの」

「……セシリアさんは、なんて?」

「―――答えなんてないほうがいい。それがセシィの答えだった」

 

 そのときはアイズも驚いたものだ。それはアイズにとって悩み続けろ、と言っているようなものだからだ。しかし、そのあとに続いたセシリアの言葉は、アイズにとって忘れられないものだった。

 

 

 

 

―――だって、目標が決まってしまったら、そこで止まってしまうでしょう?

 

 

―――アイズ、特にあなたは目のことがあるから、自分に限界があると思っている。だからできる範囲での目標を欲しがっている。

 

 

―――それは悪いことではないでしょう。ですが、それを為したとき、あなたはどうするのですか?

 

 

―――きっと、止まってしまうでしょう。そうなったら、きっとアイズは耐えられない。あなたは、妥協に耐えられない。

 

 

―――だから、夢を持つことです。あなたが、自慢したいくらいに、心の底から見たい景色を思い浮かべてください。それが、あなたの夢。

 

 

―――みんなと一緒に見たい景色があるなら、あなたはみんなと一緒になってがんばれるでしょう。そうなれば………。

 

 

―――あなたは、もう………どんなときでも、ひとりではないんですよ。

 

 

 

 

 その言葉をアイズは生涯忘れないだろう。セシリアがくれた、心の寂しさを無くす言葉。

 アイズは、自分の力でなにかを返したいという思いを捨てたわけじゃない。それは感謝の思いと同義だから。だからずっとこれからも考え、悩むだろう。

 

 でも、アイズは同時に夢を持とうと思った。みんなで見たい、そんな夢を。

 

 そして、そんな夢はあった。セシリアと、束と、イリーナと、みんなと一緒になって見る夢が、あった。

 

 それは今の世界では、実現するにはとても難しいものだ。でも、それを目指したい、実現させたい、それは不可能なんかじゃない。そう思える夢が、確かにあったのだ。

 

 こんな自分でも、一緒になって目指したいと思える夢。それがこの身を、心を支えるもの。

 

 それ以来、アイズは不安になることが少なくなった。ひとりで頑張ろうとすることも、その夢につながっている。そう思えるようになった。

 だからアイズは、ひとりでいてもひとりじゃない。そう思えるようになった。それはまさしく“魔法”だった。

 

 そんな“魔法”を、簪も知って欲しい。アイズが救われたように、簪も今の無力感から救われて欲しい。

 

 こんな考えは傲慢だろうか。ふとそんなことを思う。でも、アイズはいつも自分の思いのままに行動する。それが正しいとか、正しくないかとか、そんなことよりもアイズがそうしたいと思ったから、そうするべきだと感じたから、そうするのだ。

 

 

「簪ちゃん、ボクの目を見て――」

 

 アイズが唐突にいつもしている目隠布を取り去る。

 なにも覆うもののないアイズの素顔は、年齢よりも幾分か幼く見える。いつも閉じられている瞼がゆっくりと開かれ、中からずっと閉ざされていた瞳が顕になる。

 

 初めて見たアイズの瞳に簪は息を呑む。この瞳を見た人間は、おそらく多くはないだろう。焦点の合っていない白濁した瞳。可愛らしい顔立ちにあって、違和感を発する瞳だった。

 アイズはそのまま顔を近づけ、ほとんど密着するような距離で簪と目を合わせた。簪は、眼鏡でしか隔たれていないその瞳に釘付けになる。

 

「………ここまで近づいて、ようやく簪ちゃんの目が、うっすら、ぼんやりとだけ見える。こうしなきゃ目を合わせられない。でも、薄暗く見えるから、本当にぼんやりとしかわからない」

「…………」

「こんな目だから、ボクは怖かった。ボクの傍に誰がいるんだろう、ボクはひとりなんじゃないだろうか。そんな不安はずっとあった」

「アイズ……」

 

 簪は無意識に握っていたアイズの手を強く握り締める。

 

「でも、こんなボクでも、ひとりなんかじゃないって信じられる夢がある。夢をみんなで見たい。その夢がある限り、ボクはがんばれるんだよ」

「…………わた、しも……」

「ん?」

「私にも、……そんな夢があれば、………アイズみたいになれる? 私は、アイズの強さが欲しい……」

「簪ちゃんは、ボクにはなれないよ。簪ちゃんもボクも、自分にしかなれない。だからこそ、……」

 

 そう、だからこそ。

 

「一緒に見ることができる夢が、きっとあるよ」

 

 それが、アイズがたどり着いた、答えに至るための、答え――。

 

「簪ちゃん」

「なに?」

「簪ちゃんの専用機の作成、ボクにも手伝わせて欲しい。………ボクは、簪ちゃんと一緒に、空を飛びたい。ボクは、一緒に同じ光景を見てみたいよ、簪ちゃん」

 

 

 

 ***

 

 

 

「思うんだけどさ、アイズって同性からモテるでしょ?」

「それがアイズですから……所属している会社にはアイズ愛好会なる組織まで存在してますし」

「どうせあんたが会長なんでしょ?」

「いえ、会長は頭のいいバカなウサギさんです」

「なにそれ?」

 

 アイズがなにやら簪とまた随分と友好を強めてきたらしい日の翌日。セシリアはアイズと別行動で、現在は鈴とともにアリーナで定期的に行っている模擬戦と機体調整を行っていた。いつもならアイズや一夏といった面々もいるのだが、今日はこの二人だけだ。一夏は知らないが、シャルルとなにか話があるらしい。同室になったと言っていたし、なにかしら話でもしているのかもしれない。

 

 アイズは今頃簪と一緒に整備室だろう。

 昨日の夜、なにやら嬉しそうに帰ってきたアイズが言うには、簪の専用機を一緒に作り上げることになったという。そこに至るまでいったいなにがあったのかは詳しくは聞かなかったが、アイズがやたらと簪に入れ込んでいる姿を見てセシリアにはなんとなく事情がわかった。どうせまた同性を落としてきたのだろう。異性より同性にモテるのは、ずっと一緒にいたセシリアにはよくわかっていた。

 

 

「アイズは気に入った人にはとことん好意的になりますからね。好きだから助けたい、好きだから力になりたい。ただ、それだけなのでしょう」

「あの子の場合に、それについてくる打算的な結果も、ただのついで、ってことね。どうすればそこまで純粋に成長できるのか知りたいわね」

「…………知らない方がよいでしょう。アイズの純粋さは私も好きですが、………それがすべて尊く正しいとは思っていません。あの子のあり方は好ましくも苦しいものですから」

 

 アイズのあり方は確かに羨むものかもしれないが、だから苦しんでいる、という側面もある。白と黒がまざりあっている世の中で、白いままでいることがどれだけ奇異で異常なのか。それは、きっと幸せとはほど遠いあり方だろう。

 

「まぁ、そういうのがあの子なんです」

「みんなして、難儀なもん背負ってるわねぇ」

 

 鈴は苦笑してセシリアを労うように肩をポンと叩いてやる。鈴はなにかとこうした事情を察してくれることが多々あるためにセシリアも鈴の気遣いはありがたかった。猪突猛進に見えて、なかなか気を配れる鈴にはセシリアも助けられている。

 

「そういえばそろそろ学年別トーナメントがあるじゃない」

「ああ、そういえばそうですね。今回はたしかツーマンセルのタッグ戦でしたか」

 

 先のクラス対抗戦のときの無人機襲撃事件を受けて急遽決まったことだ。おかげで学園内で良くも悪くも一番ホットな話題である。

 

「あんたも出るんでしょ? やっぱりアイズと組むの?」

「いえ、それはなるべく禁止だ、とやんわりと織斑先生に言われてますから。『おまえたちが組めば優勝が決まってしまう』だそうです」

「ま、悔しいけどそうでしょうね。遠近で相性も抜群のあんたらが組んだらはっきり言って勝てるやつなんかいないわ。千冬ちゃんも英断ね」

 

 前衛のアイズと後衛のセシリア。この二人のタッグに対抗できる存在は更織楯無ぐらいだろう。楯無級がもうひとりいればわからないが、そんな強者はそうそういない。しかも長い間パートナーだった二人には連携に隙もない。付け焼刃のタッグでは瞬殺されるのがオチである。

 

「そういえば気になっていたんですが、なぜ織斑先生は“千冬ちゃん”なのですか?」

「ん? ああ、昔よく一夏の家にも遊びに行ってたからね。そのときはまだもうちょっと柔らかい雰囲気で、一緒に遊んでくれたりもしたのよ?」

「へぇ、あの織斑先生が……」

「あたしにとっては、ブリュンヒルデというより、近所の優しいお姉さん、ってイメージのほうが強いわね。だから千冬ちゃん、って呼んでたのよ。今でもプライベートじゃ、普通にそう呼んでるしね」

「是非ともそのあたりの話を聞いてみたいですね。あの織斑先生の、そういう話は興味がありますね」

「そう? じゃあ今度アイズも交えて女子会でも………っ!?」

 

 瞬間、なにかが飛来する気配を察した二人は瞬時に警戒態勢へ移行する。それが砲撃だと理解する前に反射的にその場から離脱する。二人の中心に着弾した砲撃が地面を抉りとるように爆発する。

 

「直撃コースではなかったとはいえ、いきなりぶっぱなしてくるとは………誰よあんた」

 

 砲撃を放った人物を睨みつける鈴と違い、セシリアはとうとう厄介事が絡んできたと半ば諦めながらため息をついた。初日の教室の出来事から、いつかはこうなるだろうとは思っていた。

 乱入者の名は、ラウラ・ボーデヴィッヒ。ラウラは自らの専用機シュヴァルツェア・レーゲンを纏い、見下すように笑いながら二人に近づいてきた。

 

「中国の『甲龍』にイギリスの『ブルーティアーズ』か………イギリスのほうはデータと違うようだが……ふん、データで見た時の方がまだ強そうだったな」

「あなたは声のかけ方も知らないようですね、ラウラ・ボーデヴィッヒ。それとも時代遅れな果たし状のつもりですか?」

「ああ、こいつがドイツの………なに、こんなのが代表候補生やってんの? あたしよりアウトローなんじゃないの?」

「衝撃砲にBT兵器、そんな実験機を積んだ欠陥品に乗った程度でその地位にいる貴様らが同じ第三世代機乗りとは恥ずかしい限りだ」

「あァ?」

 

 鈴の目つきが変わる。それは不良が集まる路地裏でよく見かけるような目であった。挑発は買う、喧嘩も買う。そう鈴の目が言っていた。

 

「鈴さん、そんな簡単に挑発に乗って………こんな礼儀知らずの相手をしても時間の無駄でしょう?」

「なら下がってなさい、セシリア。あたしはこの手のバカには地面とキスさせてやらないと気がすまないのよ」

 

 どこまでも好戦的な鈴にセシリアもやれやれと首を振る。ともかく、自分がこんな茶番に付き合う理由はない。負けるとは思わないが、仮にも代表候補生。国の責任の一旦を背負っている立場だ。私闘で厄介事を招くことは避けたい。セシリアはラウラの挑発を適当に流しながら観戦でもしようかと思っていた、が………。

 

「ここまで言われてなにもしない腰抜けとはな。所詮、目の見えない役たたずのお守りしかできない低能だったか」

 

 ラウラが盛大に地雷を踏み抜いた。




一夏くんは原作通りにシャルさんとラブコメ中です。

次回は「スーパーセシリア対普通の黒兎」、「簪といちゃつくアイズ」の二本立てだよ!

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