双星の雫   作:千両花火

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Act.129 「似て非なる愛情の果て」

  朝日が顔を出すと同時に起床し、手早く身支度を整えて朝食を作る。香ばしく焼いたパンにベーコン、目玉焼きにハッシュドポテト、さらに生野菜とベイクドビーンズ、マッシュルームをひと皿に盛り付ける。伝統的なイングリッシュ・ブレックファストだ。

 窓から入る気持ちの良い朝日を浴びつつ、丁寧に淹れたコーヒーを口にする。こだわりの配合を施しているオリジナルブレンドを味わいながら、フォークを手にとってマッシュルームから口にする。

 外はカリカリ、中はホクホクのハッシュドポテトを堪能し、まろやかに仕上げたベイクドビーンズをパンに乗せて一口。程よくマッチした味が口の中に広がる。

 一通り楽しんでからテレビをつけてめぼしいニュースをチェック。トップニュースは変わらずIS委員会の不祥事とテロ行為によるその実行犯たちの死亡と新たにIS委員会の委員長に就任した女性の話題だった。そして次に注目度が大きいものはカレイドマテリアル社が進める軌道エレベーター建設について。これまでその建築する場所も明かされていなかったが、その大きさが秘匿できるものではなくなったことから公開、同時にその警備が恐ろしく厳重であることの報道だった。

 

「小さな島を改造しての、移動式とはすごいわね」

 

 テレビのレポーターも興奮気味に報道用の船の上から話しているが、この軌道エレベーターが造られているのは北海に浮かぶ人工島。外観はおおよそ自然の島のように見えるが、ところどころに人工物が垣間見えるソレは島を丸ごと改造した巨大プラントだ。小型の島を基礎に、外周を構築、拡大させていった極めて自然に近い人工島だ。材料は海からメタンハイドレートを抽出し、炭素系繊維を形成して仮想大地の基盤とする。人工島と聞けば機械的なイメージが強いが、これは自然生体的手法で作られた人工島だ。カレイドマテリアル社の技術力と資金力があって初めてできるものであり、世界中の技術者、研究者にとっても極めて価値のある“陸地”となる。さらにこれを改良すれば稲作、放牧すら可能な人工島を作れる可能性も秘めており、難民問題を抱える国にとっても注目の的となっている。

 軌道エレベーターのための大地でありながら、これだけでも計り知れない価値を持つイリーナの持つカードの中でも上位に位置するものだ。この技術力をちらつかせるだけで、未だに残る反対勢力の取り込みができる。イリーナは敵とするべきものと味方にするべきもの、それの見極めはまさに神がかっていた。世論は必ず味方にしなくてはいけないし、“まともな”政府機関を持つ国に対しても十分な利益を示している。カレイドマテリアル社はあくまで企業。国同士の駆け引きとは無縁とはいわないが縛るほどの枷はなく、多国籍企業という一面を最大限に利用して世界情勢とバランスを崩さないようにその利益を演繹している。

 

「世界を取り込み、変革を促す。さすが暴君の二つ名は伊達じゃないわね」

 

 表向きはあくまで利益を優先させてその利潤で世界を回す。多くの国にとって利益となる事業である以上、反対勢力が育ちにくい。これも当然イリーナの狙い通り。反論を聞かないどころか、反論すらさせない。そういう手腕だった。

 

「素晴らしい発想と技術、そしてそれを扱う手法も文句なし。彼女ならどこかの国の首相になってもやっていけるんじゃないかしら? どう思うかしら、ミス?」

 

 女性は優雅に笑いながら背後に立つ人物に声をかける。見惚れそうな笑顔と仕草で語りかけられたその人物は、しかしうさんくさそうにする表情を隠さないままに返答する。

 

「……今日はなんのモノマネなんです?」

「できるキャリアウーマンだけど、それっぽくなかったかしら?」

 

 補佐でありお目付け役でもあるスコール・ミューゼルからの言葉にあっさりと被っていた猫をほっぽり出す。先程までの凛とした姿はあっさりと霧散し、だらけた仕草でコーヒーをずずっと飲み干す姿は私生活ではダメな女の姿そのものだった。

 

「もう少し私生活もしっかりされては?」

「嫌よ。私は表は完璧、裏はダメダメなギャップが好きなの。ギャップ萌? とかいうやつなのよ」

「もうあなたはIS委員会のトップでもあるんですからそのうちどこかのゴシップ紙で叩かれるかもしれませんよ」

「そうしたら潰すからいいわよ」

「社会的にです? それとも物理的にですか?」

「私の好みは蹂躙よ」

 

 ケラケラ笑いながら恐ろしいことを口にする。そしてそれが冗談でもなんでもなく、本気であろうこともスコールにはわかっていた。スコール自身もどちらかと言わなくともサド気質であるが、この上司に仕えていると悪党としての格の違いが否応にもわかってしまう。ある程度自覚しているスコールとは違い、マリアベルは天然モノだ。目的に関わることなら神算鬼謀だが、それ以外は割と自由でおおらか、さらに言えば遊びがかなり入ったマイペースでお気楽な姿をよく見せている。それでもその結果として誰かを不幸にしているのだから生まれながらの魔女であった。

 

「今日の予定はなんだったかしら?」

「表も裏も、雑務ばかりですが」

「必要なこととはいえ、少し働きすぎねぇ。今日はオフにしないかしら?」

「……それが命令ならそういたしますが」

「うふふ。冗談よ。そうなったらスコールの仕事が倍になるものねぇ。そこまで私も鬼じゃないわ」

「…………どの口が言うのやら」

「あら?」

「いえ、なんでもありません」

 

 頬を引きつらせながら笑みを浮かべるスコールを一瞥してマリアベルもケラケラ笑いながらコーヒーを片手に立ち上がる。

 マリアベルがレジーナ・オルコットという、本人からしてみればどちらが本名か偽名かもわからない複雑な名を名乗って表舞台に出てから仕事量が倍となっていた。マリアベルからしてみれば表向きのIS委員会の立場など半年後には捨てることが決定している仮のものだ。そして結果的にIS委員会そのものも無くなってしまうだろう。それが社会的なのか、物理的なのかは、ともかく。

 亡国機業が大々的にカレイドマテリアル社と衝突する状況を作るためだけに得たものだ。そこに未練もなにもない。その気になれば世界を支配することもできる立場を謀略で得ておきながら、それは使い捨てることが前提でとっただけだ。そのためにおおよそ数えるのも嫌になる数の人間を陥れ、殺したがそれこそマリアベルの眼中にもなかった。

 数ある拠点の内、イギリスのロンドンにある高層ビルの上層に位置するフロアから街を見下ろしながら頭の中では“その時”に至るまでで一番面白そうな方法を模索する。それはさながらプレゼントになにを強請ろうかと考える子供のような無邪気さで持って行われていた。もし彼女が面白そうだと思えばこの目の前に広がる町並みを炎で蹂躙することさえやってしまうだろう。

 

「…………おや?」

 

 何気なく見ていた町並みの中で、マリアベルの目にとまるものがあった。大抵の人間はゴミ同然の彼女にとって誰かを見て気にかけるということ自体が非常に珍しい。そしてその姿を追っていくと、どうやらこのビルを目指しているらしい。

 そして、その人物がふっとマリアベルのほうを“正確に”見上げた。その視線がマリアベルのものとはっきりと重なる。マリアベル本人も大概だが、その人物もこれほど離れていて、しかも屋内から見下ろしている人間の視線を正確に重ねている。どうやらマリアベルの視線をはっきりと感じ取っていたようだ。

 その感覚と視力は、それこそシール並のスペックを持つ証明だろう。それだけでも大したものだが、マリアベルが感心したのはその胆力だった。

 おそらく、はじめからマリアベル目当てでここにやってきたのだろう。ここは敵であるカレイドマテリアル社の目と鼻の先、そして表向きの事柄として、レジーナ・オルコットの行動予定にここでの宿泊がある。公表してもいないが隠してもいないことだ。調べればすぐにわかるだろう。だからといって暗殺でもない、監視でもない、マリアベルという正真正銘の怪物を相手にして真正面からの訪問という手段を取る。それは嘲笑に値する蛮行であり、賞賛に値する英断である。

 

「うふふ」

 

 マリアベルが楽しそうに笑う。それは獲物を見つけたような獰猛さを秘めながらも、どこか優しげな雰囲気を纏っていい笑顔で背後のスコールへと振り返った。

 

「スコール、やっぱり今日の仕事はお休みにします」

「え?」

「些事は適当な者にやらせておきなさい」

「些事、ですか……?」

「優先するものができた以上、そんなものは雑事で、些事よ。それよりスコール、下へ行ってお客様を出迎えてきなさい」

「客、ですか?」

「最高級の待遇で通しなさい。もちろん美味しいお茶と菓子も忘れずにね」

 

 再び視線を遥か眼下へと向ければ、ちょうどその人物が建物へと入っていく姿が確認できた。

 

 

 

 

 ――――間違いない、彼女は、私に会いに来たのだ。

 

 

 

 マリアベルは、その小柄な身体をした少女を少しも侮ることもなく迎え入れた。見た目はただの少女でも、彼女は歴戦の戦士であり、地獄から這い上がってきた紛れもない格別な存在なのだ。

 

「うふふ……、歓迎するわよ、アイズちゃん?」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

「あー、きっとボク、とんでもないことしてるんだろうなぁ」

 

 アイズはエントランスに入ってから感じた明らかに洗練された気配を数多く感じて少しだけ後悔する。おそらく一般人を装った護衛だろう。ここに目的の人物……マリアベルが宿泊しているのは確認済みだ。マリアベルの動向はカレイドマテリアル社の諜報部が常にチェックしているので、そこから少しだけ情報を拝借して得たものだ。建物に入った瞬間に自分に向けられる警戒の視線を感じてそれが間違いないことを確信する。

 アイズ・ファミリアという存在は亡国機業にとっても重要人物であることくらい自覚している。だから自分の顔も知られているのは当然だ。今のアイズはノコノコとネギを背負ってやってきたカモと同じだった。先ほどからアイズの直感には危険を訴えるアラートが絶えず鳴り響いている。しかし、それでもアイズが逃げに徹すれば逃走は確実にできる。自慢ではないが、アイズはこれまでどんな窮地からも脱してきたという、……本当に自慢にならない実績がある。

 

 

 

――――エントランスに八人、……うん、まだ逃げきれる。

 

 

 

 あとは本当にヤバイと判断するギリギリまでこのエントランスでくつろいでいればいい。

 入口近くのソファに座り、傍目にはくつろいでいるようにしながらじっと待つ。ただでさえ小柄で幼く見えるアイズなので、それはまるで親を待っている子供にしか見えない。さらに普段している目隠しは目立つし、かといって金色の瞳を晒すのもまた目立つ。だからアイズは座って目を閉じ、緊張感を維持したままリラックスする。

 そうして少し経つと、コツコツと靴音を響かせながらまっすぐ近づいてくる気配を感じ取る。見えなくても足音や気配でそれが誰か判別できるが、それはアイズの知らない気配だった。

 いつでも動けるようにしていると、目の前にその人物が立った。目を閉じたままゆっくりと顔を上げると、その人物がわずかに微笑んだことがわかった。

 

「ようこそ」

「……どうも。突然ごめんなさい」

「こちらへどうぞ」

 

 先導するようにゆっくりと歩き出す気配を追ってアイズも立ち上がり、それに続いた。気がつけばアイズを囲んでいた気配は距離を離しており、警戒していたピリピリとした空気も散っていた。

 どうやら、それなりに歓迎してくれるようだと判断したアイズは意を決してとうとう怪物の腹の中へ踏み込む。

 エレベーターに入ったところで、アイズは瞳を解放する。回復した視力が、目の前の女性を明確な像として映し出す。女性にしては長身で、プラチナブロンドの長髪。表情のせいか、少し冷淡な印象を受けるその女性は呆れたような視線をアイズに向けていた。

 

「えっと、はじめまして」

「はい、はじめまして。亡国機業首領補佐、スコール・ミューゼルよ」

 

 どうやら思った以上の大物だったらしい。まさか敵組織のナンバー2が迎えてくれるとは思っていなかった。首領補佐ということはマリアベルの右腕、そしてシールの上司に当たる人間だろう。

 よく覚えておこう、とアイズはスコールの気配や音、匂いを記憶する。視力に頼らないアイズは犬のように相手を認識してしまう。

 

「その様子だと、ここに誰がいるのか理解して来たようね、お嬢さん?」

「あ、はい。マリアベルさんに会いに来ました。あ、これ、つまらないものですが」

「あら、お土産まで。ここまでバカ正直な子は今時珍しいわね。殺されるとは思わなかったの?」

「そんなつまらないことを、あの人がするんですか?」

「面白い子ね。ついてきなさい」

 

 エレベーターから降りると、そこは飲食店が並ぶフロアだった。その中でオシャレで高そうなカフェへと入るスコールについていくと、店の中には誰もいなかった。せいぜいスタッフがいるくらいだろうか。

 

「一時間ほど貸切ったわ。奥の席へどうぞ、レディ?」

「……亡国機業ってお金持ってるんですね。お邪魔します」

 

 つい最近も店を丸ごと貸し切ってのディナーに招待されたが、これが亡国機業の接待なのだろうか、と無意味なことを考えながらトコトコと奥へと進む。普段は賑わっているであろう店内はただ一人の女性のみがいる。

 

「うふふ、コーヒーは飲めるかしら?」

 

 茶目っ気のある笑みでアイズを迎え入れたのは、アイズにとって、―――いや、カレイドマテリアル社にとって、世界にとっての敵として君臨する最悪の魔女。一見すれば無邪気で人の良さそうな笑みをしていながら、なんの躊躇いもなく誰かを不幸にできる災厄の化身。

 マリアベル――――またの名を、レジーナ・オルコット。格も、話術も、頭脳も、単純な戦闘能力さえも、アイズの遥か上をいき、あの束やイリーナでさえ脅威と認識する正真正銘の怪物である。

 

「……ミルクはありますか?」

 

 そんな怪物を前に、アイズは変わらぬ笑顔で応えた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 スコールが用意したミルクがたっぷり入ったコーヒーを飲む。ほかにもアイズが見たこともないような高価そうな菓子の盛り合わせが置かれている。

 もそもそと菓子を頬張りながら、ニコニコと微笑ましそうにしているマリアベルを見る。朗らかで明るく、アイズのような小娘が相手でも楽しそうにもてなしてくれる。その姿はまさに娘の友達をもてなす母親のようだった。警戒心すら融かしてしまいそうなその姿に、しかしアイズは警戒心を解けずにいた。

 それも当然だろう。目の前のこの女性は、アイズとセシリアを完膚なきまでに打倒し、セシリアに至っては心身ともに再起不能となる寸前にまで追い詰められたのだ。その蹂躙された記憶は、アイズにはっきりと恐怖を与えていた。

 シールを相手にしてもほぼ互角に戦えるアイズが、まったくなにもできずに圧倒されたのだ。本人は相性が悪すぎる、と言っていたが、特異な能力無しでもおそらくマリアベルはアイズのはるか上を行くだろう。頭脳でも、格でも、謀略でも、騙しあいでも、どんなことでもアイズはマリアベルには勝てない。それはアイズも重々承知だった。あのイリーナや束でさえ、マリアベルという存在を最大の脅威と認識しているのだ。アイズではどうにかできるはずもなかった。マリアベルがほんの少しでもその気を起こせば、アイズはただではここから帰れないだろう。

 

「あなたから来てくれるとは思わなかったわ。ケガはもういいの?」

「はい。ボク、痛みとか怪我には慣れてるんで」

「そう。ちょっとやりすぎちゃったって思ってからよかったわ」

「あはは……」

「でもごめんなさいね。次は殺しちゃうかもしれないから、今度は戦場でばったり会わないように気を付けてね?」

「………」

「まぁ、余程のことがなければ見逃してあげる。シールがアイズちゃんと戦いたがっているからね」

「ボクも、シールとは決着をつけたいと思っていますから」

「うふふ。そう心配しなくていいわ。ちゃんと今日は見逃してあげるから。こんな機会、もうないわよ? せっかくだからなんでも言ってちょうだいな」

 

 まったく悪意もなく恐ろしいことを平然と言ってのけるマリアベルに、アイズは捉えどころのない未知の恐怖を感じていた。アイズの直感が言っている。マリアベルは、本当に何の悪意も害意もなく、無邪気なままなのだ。ここまで透明無垢でそして濁り狂った心を持った人間をアイズは初めて見た。かつて、アイズを地獄に落とした人間たちでさえ、こんな存在ではいなかった。

 

「あなたは……」

「うん?」

「なにが、したいんですか?」

「あら、それはもう知っているんじゃないかしら? シールと、会ったのでしょう?」

「あなたのやろうとしていることは、シールの記憶から見えました。救いもなにもない、誰も幸せになれない。そんなことを……どうしてしようとしているんですか?」

「それを聞くために、こんな危険を冒してまでここに来たのかしら?」

 

 愚行だろう。アイズも自覚している。

 だが、シールの言っていたように、これは誰にも言えることではなかった。―――張本人である、マリアベル以外には。

 

「ふふっ、きゃはッ、あなたのような気持ちのいい馬鹿は大好きよ? でもちゃんと線引きはわかっている。頭のいい子ね。もしセシリアに話そうものなら殺されることもわかっていたのでしょう?」

「…………はい」

「そうでしょうね。私情を抜きに、あなたがそれを話すだろうと判断したら躊躇いなく殺せとシールに命じてあったもの。よかったわね、そんなつまらない結末にならなくて」

「そうですか」

「あら、驚かないの?」

「そんな気はしてました。あの時、シールからの殺意が中途半端に感じられたから」

 

 平静を装いながらもアイズは冷や汗が止まらなかった。覚悟していたつもりだが、マリアベルとこうして話しているだけで正気でいることが苦痛になってきそうだった。どうして、善意と悪意をごちゃまぜにして正気を保っていられるのか、アイズにはわからなかった。慈しみ、同時に侵す。そんな相反する善悪が常に見え隠れしながら、彼女は笑うのだ。そんなマリアベルが怖くて仕方ない。

 しかし、それでもここにいる理由がアイズにはあるのだ。

 

「マリアベル、さん」

「なにかしら?」

「セシィと、仲直りをしてください。“そんな手段”じゃなくったって、できるはずです」

「そうねぇ……まぁ、できるでしょうね」

「だったら!」

「でも、それにいったい何の意味があるの?」

「えっ?」

「シールの記憶を見たのなら、私がどういう存在かも知っているんでしょ? ならわかるでしょう? セシリアは、――――――愛情だけでは、なにも変えられないのよ」

「………っ」

「あなたもわかっているのでしょう? 痛みと理不尽によって育てられた薄幸のアイズちゃん? あなたが今、そうやっていられるのは愛だけじゃない。もっとドロドロとした、呪いのような運命があったからこそでしょう?」

「それ、は」

「ゆりかごで人は救えても、谷底に落とさなければ変わらないものもあるのよ」

「だからって……だからって!」

「あなたはセシリアを愛しているからやすらぎを与えられる。私はセシリアを愛しているから、谷底に突き落とす。私とあなたは、同志よ。一緒に、あの子を愛していきましょう?」

「ぐ、うう……!」

 

 否定したい。同じじゃない。自分の愛は、そんな痛みじゃない。

 しかし、それでもその言葉が出ない。認めがたい二律背反。マリアベルの主張を理解できてしまう自分に絶望しそうになる。わかるのだ。どこかで何かが違えば、アイズ自身もマリアベルと同じ思考をしていた可能性があることに。

 

「でも」

 

 しかし、それでもアイズはそれを認めない。確かにマリアベルの言葉に思うところはある。その目的もまったく理解できないわけではない。だが、アイズが持つ答えは、マリアベルのそれと道を交えることはない。なぜなら、アイズにはどれほど苦悩しても揺るがない、絶対順守の信念があるのだから。

 

「ボクは」

 

「うん?」

 

「ボクは、なにがあってもセシィの味方で在り続けます」

 

「そう」

 

 アイズの不退転の決意が込められた言葉を聞いても、マリアベルはただ笑うだけだった。しかし、その笑みには嘲笑の色はない。それはただアイズを褒めるような愛情の込められたかわいらしいとすら思える笑みだった。

 

「あなたがセシリアを守るのかしら?」

「セシィは、守られなきゃいけないほど弱くない。ボクは、セシィの願いが叶うように、二人で先に進めるように、………セシィを信じて、ボクの運命を終わらせる」

「シールに勝てるの?」

「勝ち負けじゃない結末を手にして見せる」

 

 それはマリアベルに、シールに対する宣戦布告だった。そちらの思うようにはならない。その描いている計画を覆してやる。その込められた意味も、当然マリアベルも気づいている。マリアベルの思い描く計画を知り、救いのない未来を前にしてアイズはそれに立ち向かうことを敵の首領たるマリアベルに真正面から言ってのけた。

 

「なにも知らない小娘なのか。それとも希代の傑物なのか。わざわざそんなことを言いにここまで来たのでしょう? あなたは、果たして莫迦と英雄、どちらなのかしらね?」

「バカでしょう。自覚はあります。それに英雄なんて、ボクには似合わないし、……」

 

 英雄というのならそれこそふさわしいと思える人間は他に多くいる。鈴はそういうヒーローが似合っているし、一夏もそうした気質があるだろう。イリーナや束あたりは暴君とか黒幕とかいうほうが似合いそうだが、稀代の英傑には違いあるまい。

 それに比べて、アイズはちょっと変わった少女だ。運よく地獄から抜け出し、愛情を知り、たまたま戦闘力があって役立っているだけだ。特異ではあるだろう。しかし、特別な存在ではない。そう思ったことはアイズにはない。アイズが望むのは、そんな大それたものじゃない。

 

「ボクは、ボクにとって特別なセシィの…………セシィにとっての特別になれればそれでいい」

 

 それははじめからセシリアにとって【母親】という唯一無二の特別であるマリアベルにとってどう聞こえたのだろうか。笑みを浮かべているのは変わらないが、アイズのその言葉を聞いた瞬間にその質を変えた。

 ゾクリと背筋が凍るような錯覚を覚えながらも、意地でそれを表情には出さない。マリアベルの瞳の奥底に澱んだ狂気染みたものをヴォーダン・オージェが嫌でもアイズにその悍ましさを伝えてくる。朗らかな笑みはその口が三日月形に歪み、その隙間から除く鋭い犬歯が威嚇するようにアイズの精神を震えさせる。

 しかし、アイズはそれに立ち向かう。心を叱咤し、同じでありながらまったく違うセシリアへの愛情に対して真っ向から相対する。

 にらみ合うようにしばしの時間、互いに無言で相手の瞳の奥底の、そのさらに深淵へを意識を通す。ヴォーダン・オージェがもたらす共鳴などなくても、瞳を見れば相手をわずかに理解できる。

 理屈などない、それはただ自身の感受性がもたらす“共感”だった。

 

 悟ったことは、互いに妥協も諦めもない一途な感情。それが、どちらが正しいかなんてわからない。そんなことはどうでもいい。アイズもマリアベルも、二人が同じ理念を宿しているとすれば、それは―――――“そうするべきだと思ったことを、貫く”、ただそれだけだった。

 

「これからも、セシリアと仲良くしてあげてね?」

「もちろんです」

「もう帰りなさい。ああ、お土産にケーキでも用意してあげる。セシリアの好みは変わらずかしら?」

「はい」

 

 アイズは立ち上がると、お辞儀をして出口へと向かう。無邪気に手を振るマリアベルに苦笑しつつ、いつしか感じていた恐怖や戸惑い、それらはすべてアイズの決意へと変わっていた。

 確かに怖かった。でも、同時に親しみすら感じていた。マリアベルとの会話は、確かにアイズにとって有意義な時間だった。

 相手の真意をすべて理解できたわけではないが、マリアベルは絶対に妥協せず、退くこともしないだろう。それがわかっただけでも収穫だった。

 マリアベルの目的には賛同できないし、シールとの決着もある。アイズ個人としても、彼女たちとは敵対するしかない。しかし、それでもアイズは確かな意志でもって、彼女たちと戦うと決意する。誰かに強要されたわけでもない、立場からの責任感からでもない。相手が憎いわけでも、嫌っているわけでもない。

 ただ、そうするべきだと思ったから。

 

 だから、マリアベルの目的を果たさせるわけにはいかない。

 

 

「マリアベルさん」

「なにかしら?」

 

 最後に一度だけ振り返る。マリアベルは変わらずにアイズを見つめていた。すでにその目には狂気はない。

 

「ボクは敵だし、今度会うときは決戦だろうから、最後に宣戦布告でもと」

「あらあら」

「あなたの願いは叶わない。なぜなら、ボクがいるから。だから―――」

 

 だから、マリアベルが望む暴挙を、許さない。

 

 彼女が望む結末など、認めない。

 

 それが、アイズの抵抗だ。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

「今ならまだ始末できますが」

「無粋よ、スコール。せっかく挨拶にきてくれた子なんだもの。怪我ひとつ負わせることなくお返ししなきゃ」

 

 アイズを見送ったマリアベルは冷静に始末するかと言ってくるスコールを嗜める。スコールとて、マリアベルの性格は知っているのでここでアイズをどうこうしようなどとは本気で実行しようとはしていなかったのだろう。あっさりと引き下がった。

 

「そう仰るのなら」

「むむ、それにしても美味しいわね、このマカロン。ちゃっかりシールの好みを知っているあたり、あの二人もいい友達になれるかもね」

 

 アイズが土産としてもってきたマカロンを美味しそうに頬張りつつ、本当に楽しげにケラケラと笑っている。スコールからしてみればアイズをこのまま返すのはデメリットが大きいと思うのだが、主であるマリアベルはそれを容認している。そんな些細なデメリットなど構わないというほどに、アイズとの邂逅は有意義と感じているらしい。

 

「本当になんであの子が失敗作扱いされて、しかも廃棄までされかかっていたのかしらね。もし私があの子を育てたらもっと上手く使ってたのに。これだから亡国機業の人間はバカなのよ」

「あなたがその首領ですけど」

「だから私が組織を乗っ取ってからは掃除してるでしょう?」

「掃除というか、皆殺しでしたが」

「あなたも楽しそうに加担したじゃない、スコール。この間だって委員会のブタ共を丸焼きにしたんでしょう?」

「日頃のストレス発散ですよ」

「あら、そんなにストレスが溜まる職場なの?」

「気疲れは常にある職場ですから」

 

 スコールの無礼とも取れる言葉にもマリアベルはただ笑って許す。亡国機業なんてもの自体がただのマリアベルの持っている玩具みたいなものだ。そしてこの組織も、そう遠くないうちに無くなってしまうだろう。理由は簡単だ。ただマリアベルにとっての価値が終わるからだ。

 

「さて、それじゃあそろそろイリーナにちょっかいかけましょうか。戦力はどうなっているかしら?」

「おおよそ、予定通りに。国を相手に殲滅戦を仕掛けられる程度には揃っています。これまでIS委員会を泳がせておいたおかげで、データ取りに不自由しませんでしたから」

「うふふ、何度もIS学園を攻めたからねぇ」

「加えて専用機の改修も始まっています。【サイレントゼフィルスⅡ】、【トリックジョーカー】の強化パッケージ換装は完了。私の機体もです。あとは【アラクネ・ギガント】の調整が残っていますが、こちらも数日以内に」

「結構」

「【パール・ヴァルキュリア】は第三形態移行に伴い、自己進化に任せています。そしてプレジデントの機体ですが」

 

 タブレットを操作し、ISと思われる機体の映像がとスペックデータが表示される。それはIS技術者が見れば正気を疑うような言葉や数値が示されていたが、マリアベルはそれを見て満足そうに頷いている。

 

「ふふ、これもほぼ完成ね。前は完成度が八割くらいだったからあまり遊べなかったものね。今度は思いっきり遊べそうね」

「………これで全力稼働するのですか?」

 

 そんなことをしたら天変地異が起きるんじゃないか、と本気で心配するスコールを他所に、マリアベルはわくわくとした表情を隠さない。

 マリアベルが作製した専用機。表示されている機体名称は【Reincarnation】―――“輪廻”の名を冠する魔女の鎧。

 アイズとセシリアを一蹴したときは本気どころか、ただの慣らし稼働程度だったが、制限のあった単一仕様能力も設計された武装もすべて完成している。他に比較することができないほどの特異性ゆえにこの機体の世代すら定義できないが、単純なスペックでいえば第三世代型を軽々と凌駕しており、オーバー・ザ・クラウドに匹敵するだろう。しかも、こちらはオーバー・ザ・クラウドと違いなんのリミッターもかけられていない。

 これが全力で戦えば、おそらく戦場そのものが無事では済まないだろう。

 

「うふふ、楽しみねぇ、本当に」

 

 窓から眼下を見下ろせば、ちょうどアイズが建物から出て行くところだった。スコールに命令した通りに、その手にはたっぷりとお土産のお菓子の箱を抱えている。

 そしてやはり、視線に反応したアイズは振り返ってマリアベルを見返した。ほんの少しだけ見つめていたアイズが、やがてペコリと頭を下げて今度こそ去っていく。

 

「ふふ、可愛らしいお客様だったわね。見た目に反して、その意思も強固。セシリアにとっても自慢の友でしょうね。それに――――」

 

 最後にアイズが切った啖呵を思い出す。強がりでも、ハッタリでもない。ただ自身の心の内を出しただけであろうその言葉は、危うさこそあったが、非常に好ましくマリアベルは受け入れた。マリアベルに反抗するという決意でもあったそれは、しかしそこまで真摯にこの親子を想ってくれていることに少なからず嬉しさを感じていた。

 本当にいい子だ。だからこそもったいない。どれほどいい子だとしても、場合によっては始末しなくちゃいけない。そうならないように願うが、どうせアイズの相手はシールが務めるだろう。アイズが本当にセシリアとマリアベルの結末を変えたいのなら、あのシールを超えなければならない。

 それができるとは思えないが、アイズならやってしまうかもしれないという淡い期待を抱かせる。これもアイズの人柄だろう。そんなアイズが、悲愴とも思える覚悟で言った言葉を、マリアベルは忘れないだろう。

 

 

 

 

 

 

『――――――セシィに、あなたを殺させることなんて、………ボクが絶対にさせない』

 

 

 

 

 

 

「さぁアイズちゃん、あなたの抵抗、楽しみにしているわよ。……うふふふッ」

 

 

 

 




お久しぶりです。仕事がクソ忙しい。長野に出張行ってすぐ金沢行きってどういうことだって、ばよ……!?

ようやく次回から最終章に入ります。ここまで長かった。

最後の決戦は戦争レベルの決戦です。そしてアイズが知ってしまったマリアベルの目的を防ぐことができるのか……と、ここでようやく主人公っぽく戦えそうです。

それではまた次回に!

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