双星の雫   作:千両花火

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Act.128 「心を溶かして Ⅲ」

 夜の宙に銀色の閃光が交差する。その二つの閃光は触れ合うように火花を散らし、そして互いの獲物をかすめて消える。

 片手でありながら凄まじい膂力で振られた大型のランスが紅い装甲を弾き飛ばす。その一撃は未来予知といっても過言ではない少女の“瞳”を容易くすり抜けて直撃していた。少女にとって切り札となるはずの力を一蹴するほどの力の差を見せつけながらも、少女はそれに臆することなく迎撃した。

 少女が手にするのは異質な太刀。宇宙の闇と、そこに散りばめられた光を凝縮したかのような黒い刀身と淡い光を宿す不可思議な実体剣。今の少女は目視で相手を捉えきれないはずなのに、その一閃は目の前の白い天使へとその刃を届かせた。

 

 超常の存在のようなその天使を模したISに、明確に傷を刻んだ。特別なことはしていない、少なくとも、相手はそう見えた。しかし、完全に回避したと思った一撃は確かにその身へと届いていた。

 

 

「―――――。」

 

 

 傷をつけられた。

 その事実が、第三形態へと移行したISを駆るシールには少なくない衝撃だった。相対していたアイズも第三形態移行機の操縦者なのだから、などということは理由にならない。シールと彼女の愛機パール・ヴァルキュリアが第三形態となって獲得した能力は、まさにアイズに対して絶対的なアドバンテージを取れるほどのものだった。ほかのIS乗り達が相手では【使うまでもない】【使ったところで意味もない】というものだが、アイズを相手にしたとき、それは【アイズに対して絶対的優位となる】ほどの能力と化す。アイズ・ファミリアとレッドティアーズtype-Ⅲに対する完全な特攻能力。

 アイズと決着をつけたいと、“ただそれだけを願った”先に得た能力。アイズ以外が相手ならば完全なオーバーキル、使う必要すらないほどの超常能力。

 

 それがシールとパール・ヴァルキュリアの特異型単一仕様能力―――【■■■■■

 

 それを使った。手加減はした、しかし容赦はしていない。それなのに、アイズは仕留めきれず、あまつさえ反撃を許した。

 それは屈辱でもあり、歓喜でもあった。

 

「あなたは、どこまでも私を退屈させないでくれますね……!」

「言ったでしょ……ボクに飽きることなんて、させないよ!」

 

 明らかにダメージはアイズのほうがあった。現にアイズの顔は痛みで歪んでおり、しかしそれでも不敵な笑みをシールに向けている。

 アイズとレッドティアーズtype-Ⅲの能力は完全に封殺している。その脅威となる情報統合・処理能力は今のシールの前では八割方無力化している。

 しかし、それでもアイズは抗う。人智を超えているとすら思える信じられないほどの勘の良さ。いや、もはやその直感自体が予知とすら思うほどに的確にシールを捉えている。最大の力が無力化されても気落ちする間もなく即座に対抗策を編み出してくる。策がなければ無理矢理にでも押し通す。自らの意思を通すことを諦めない強靭な精神力こそがアイズ・ファミリアの最大の脅威だった。

 

「それに、その剣……確かに、奥の手というだけはありますね」

「“解析不能”の剣。それだけでボクたち、ヴォーダン・オージェを持った者にとっては脅威になるでしょ?」

「それだけではないようですね……まぁ、いいでしょう。いいものを見せてもらいました」

「あっそ。たいして脅威とも思ってないくせに」

「ふふ……まぁ、そんな小細工でこれまで戦況をひっくり返してきたあなたです。侮りはしませんよ」

 

 確かにアイズの言うように、この魔眼でも解析できない剣というのは脅威だ。ナニカを内包していることはひしひしと感じられるが、それがいったいどういうものなのか、それが判別できない。ただ固いだけなのか、なにかしらの特性があるのか、それがわからない。

 もしそれが初見で防げなくてはマズイ類のものなら、この魔眼の天敵となる。

 あいにくと、この剣に関してはその特性の予想もできない。なぜなら、それは“解析不能”のものだとわかるからだ。シールがその剣を見て、解析して得たものは、それが既存のものではない完全な未知だということだった。

 わかったことといえば、その剣を構成している物質が地球上には存在するはずがない、というものだ。

 シールはアイズが持つ剣を改めて観察する。ISの装備にしては異質な武器。材質はおそらくカレイドマテリアル社が流した特異金属、通称でオリハルコンと呼ばれているものだ。もっとも、その純度は比べるべくもないが、おそらくはこの剣の構成こそが本来のものなのだろう。

 ヴォーダン・オージェでも完全な解析はできなかったものだが、おそらくは宇宙外物質と地球由来の物質を掛け合わせた合金だろうと言われている。その詳細は未だにどの国の研究機関も解明していないが、おそらくこの剣はその刀身を最高純度のオリハルコンで構成している。

 軽く打ち合っただけでも、その強度は信じられないほどに高い。そして同時にしなやかさすらある。太刀という形状も、おそらくは強くしなやかという特性故だろう。これほど破格の性能を持つ金属など、地球上には存在しない。

 武器破壊は難しい、と冷静に判断する。

 篠ノ之束が生み出したこれまで存在しなかった未知の合金。原材料や製法すら明かされていないその剣は、マリアベルといえども再現はできないだろう。

 

 しかし、だからどうしたというのだ。たとえそれがどんなものでも、シールという存在はそれだけで超えられるようなものではない。

 

「……面白い」

 

 再びランスによる一閃。いや、その連撃を放つ。

 一合のうちに突きを十回。大質量のランスを常識外の速度で振るう。ただそれだけで必殺の技となってアイズに襲いかかる。空気の壁を容易く突き破り、衝撃波が物理的な破壊力を伴って周囲すらも蹂躙する。一点突破の攻撃でありながら面制圧に等しい成果をあげる理不尽な攻撃に、完全回避できるはずもなくレッドティアーズの装甲が削られていく。

 しかし、それでもアイズは確実に致命傷は避ける。それ以外は無視という割り切った戦い方はシールでもできるかわからない。自身へのダメージを即座に許容し、最悪を防ぐ決断力。確実にダメージを負っているにも関わらずにその目は反撃の機会を待つようにギラついた光を宿している。

 そしてわずかな隙を付いてその剣を振るう。

 ダメージ覚悟で振るわれたその反撃は、回避するには踏み込み過ぎたシールをわずかに掠めて再び白亜の装甲に罅を刻む。

 シールに一撃を与える間にアイズは十もの攻撃に晒されているが、追い詰められているとはとても見えないほど戦意を高揚させている。

 

 はっきり言えば、この時追い詰められているのはアイズだけでなくシールもそうだと言えた。どれだけの攻撃を受けようと、反撃される。反抗の意思は萎えるどころか激しさを増し、笑みすら浮かべて立ち向かってくる。絶対的な力を持った者にとっても、そんな敵は悪夢のようだろう。

 しかし、シールはそれを歓迎する。それでこそアイズ。それでこそ唯一宿敵と認めた存在。そんなアイズだからこそ、シールは戦うに相応しい敵として認められる。

 第三形態に移行したパール・ヴァルキュリアの相手も慣れてきたのか、次第にアイズの反撃も増している。完全に能力を封殺しているために、これは純粋なアイズの技量だろう。シールも本気は出していないが、どこか戦うことが楽しくなってきたことも自覚していた。このまま、今、ここで決着をつけてもいいとすら思うが、しかしそれではせっかく舞台を整えてくれているマリアベルの気遣いを無駄にしてしまう。ただの挨拶というには激しすぎる戦いをしておきながら今さらという思いもあるが、少々名残惜しそうに攻撃の手を止め、真っ向からの鍔迫り合いへと持ち込む。

 膠着状態のまま睨み合う。いや、睨むというよりは見つめ合う、と表現したほうが適切だろう。それほどにアイズとシールの眼差しは穏やかなものだった。

 

「ここで、このまま最期までいってもいいって思ってる?」

「見透かしたようなことを言わないでもらえますか? まぁ、否定はしませんが、それは、あまりにも“もったいない”」

「……そうかもね」

「あなたとは、特別な時に、特別な場所で最後を迎えるべきでしょう」

「それはいつ?」

「遅くとも半年以内……場所は、お誂え向きな場所をちょうど作っていますね」

「…………バベル、タワー」

 

 シールが言う場所はすぐにわかった。アイズたち―――正確にはその上部組織であるカレイドマテリアル社が今現在、もっとも力を入れているものは軌道エレベーターと宇宙ステーションの建造だ。

 宇宙開拓のための一手、その橋頭堡となるべく建造している最大級の超巨大建造物。テロ行為の危険性から場所はまだ公式では発表していないが、着々とその建造は進められている。そして半年後という期間は、その主要部分が完成するスケジュールとなっている。機能的に宇宙へと上がるエレベーターとしての使用が可能となるには十分な時間だ。

 

「宇宙へ上がろうとするあなたたち。それを邪魔する私たち。雌雄を決するにはちょうどいい舞台でしょう」

「趣味が悪いよ」

「あの人は、そういう人なのです。それに、おそらくはそちらもわかっていたのではないですか? バベルタワー、などと言われているくらいです。決戦の場所としてはこれ以上ないと思いますが?」

「そう、かもね。イリーナさん、あれで割とロマンチストな部分があるもの。言ったら怖いけど」

「さすがは姉妹ですかね。どうやら互いに最後に相応しい舞台を考えていたらしい」

 

 アイズもシールも、互いの上司のことを苦笑して言う。振り回されているという点では同意するものがあるのだろう。

 妙なところで親近感を覚えながらも、二人は剣を振るう腕を休めることはない。弾かれるように再び剣戟の応酬へと突入する。先ほどのリプレイ、アイズが十の被弾を代償に、シールに届くのはカスリ傷ひとつ。アイズにとっては割に合わない攻防だが、アイズの戦意は未だに衰える気配すらない。その精神力にはシールも素直に感嘆する。

 

「それでッ、軌道エレベーターを、どうする、つもりな、のッ……!?」

「どうすると思います?」

「壊す、ってのは、ない。あの人、そんなつまらないことを、するようには思え、ないもんっ」

「でしょうね」

 

 戦闘中によく喋れるものだ、と思いながらシールも律儀に返答する。とはいえ、それは別に漏らしてもいい情報、そしてどうせマリアベルが面白おかしく宣言するであろう内容だ。

 

「なんのためにあの人が表向きの権力を得たと思っているのです?」

「………まさか」

「せいぜい、守れるように準備をしておくことです。あの人は……マリアベルという人間は、正真正銘の“怪物”です。魔女という異名は、伊達でも誇張でもありません。この私でも、あの人に敵うなど、思うことすら烏滸がましい……そういった存在なのです」

 

 まるで助言するようなシールの言葉だが、その響きにはまるで呪いでも言っているかのような不気味さがあった。マリアベル―――レジーナ・オルコット。やはり、最期まで目の前に立ち塞がるのはどうあっても変えられないらしい。

 

「どうして、そこまでボクたちに……セシィにこだわるの?」

「さぁ……私には見当もつきませんね」

「それは嘘でしょう? あなたはあの人を慕っている。なら、あの人のことを知らないでこんな我侭を通すわけがない。あなたがボクと戦うことが、あの人の邪魔にならないってわかっているからこんな機会を作ったんだ」

「…………ならば、どうだというのです? どうあれ、私もあなたも、あの親子の因縁には関わりがありません。あなたは、私との因果だけ知っていればいいでしょう?」

「それはセシィに対して無関心でいることと同じだよ。そんな生き方、ボクには無理だ」

「本当に……お人好しですね」

「できることなら、戦うことがあってもあの二人にはわかり合おうとして欲しい。セシィは向き合う覚悟はあっても、とても悲しんでいるから―――だから」

「それは無理でしょう」

 

 友を想うアイズの言葉は、あっけなく否定された。ムッとして拗ねたように顔を顰めるアイズに、シールは表情を変えずにはっきりと断言した。

 

「あの人は、理解など求めてはいません」

「どういうこと?」

「言葉の通りです。あの人は、ただセシリア・オルコットと戦い、そしてその果てにしか興味がないのです。これまでのことも、すべてそのための舞台を整えるための余興です。私とあなたが戦うことも、そんな余興のひとつでしかないでしょう。言ってしまえば、私たちの戦いもただの前座です」

「どうしてそこまでセシィにこだわるの?」

「知ったところで、どうにもできませんよ」

「やっぱり知っているんだね? 教えて! あの人がセシィに向けているものは、愛情だっていうことはわかる。なのに、どうして傷つけるような形でしかそれを表せないの!?」

 

 それがアイズが知りたいことだった。そして最も理解できないことだった。一度邂逅して、直接対話したからこそアイズにはわかる。マリアベルは、確かにセシリアを愛おしく想っている。セシリアに向ける感情は真摯で、そして気遣う様子すら感じ取れた。

 一番セシリアを愛しているのは自分だ、とはっきりと言うほどに自分自身が抱くものが愛情だと強く思っている。そこに嘘は見られなかった。人間の感情変化に敏感なアイズだからこそ、それ自体は素直に納得できた。

 だが、どうしても納得できないのはそうした愛情を宿していながら、どうしてやっていることはセシリアを傷つけるような行為であるのかということだった。

 死んだと思わせて何年も姿を見せず、現れたかと思えばそれは最悪の敵として立ちはだかる。創作ならば面白い設定なのかもしれないが、実際にそんな立場になったときのセシリアの絶望はアイズにとっても苦しくなるほどのものだった。

 あのとき、マリアベルに完膚無きまでに蹂躙されたセシリアの死んだように生気のない、虚ろな姿をアイズは忘れたことはない。

 

 最愛の親友をそうさせたマリアベルに、当然怒りはある。しかし、彼女の愛情を感じとったアイズはそれ以上に困惑した。

 なぜ、愛が、痛みとしか表せないのだ。

 どうして、その手で抱きしめてやることができないのだ。

 

「どうしてなの!?」 

「………」

「シール、あなただって、なぜ疑問に思わないの!?」

「無駄な問答です。あなたは愛を美化しすぎて………いえ、そうではありませんね。愛に、理想を求めすぎです」

「ボクに、それを言うの?」

「あなたの過去は知っていますし、まぁ、同情もしましょう。私に言われたくはないでしょうけど……。しかし、愛情なんて、そんなものでしょう」

「あなたこそ、……あなたが、それを言うの……!」

「皮肉の言い合いも飽きました。時間もそうありません。………今日の礼として、あなたの問いにひとつだけ答えましょう」

「えっ?」

「初めに言っておきましょう。…………知ったところで、あなたの過去も、私との因縁も、あの親子の果ても、今さらどうしたって、変えられないのです――――!」

 

 シールの瞳が輝きを変える。

 瞳の中の虹色の螺旋が蠢き、抗うことさえできない無限迷宮へと誘われる。アイズがそれに気づいたときには意識の半分が持って行かれた。

 

「強制共、鳴……!」

「今回だけ特別です。……私の記憶を見せましょう」

「……!!」

 

 波に呑まれるように意識が海の底へと沈んでいく。ヴォーダン・オージェのナノマシンが共鳴して発生する意識共有。互いにこの瞳を持っていることが前提となる超常の現象。アイズがこの共鳴を経験するのはこれで三度目、シールとは二度目となる。一度目のときよりも遥かに情報量が多く、あまりの情報過多にアイズの意識が一瞬ブラックアウトしかけてしまう。

 おそらくシールが意図的にしているのだろう。記憶そのものを鮮明に見せるつもりはなく、ただ断片的な光景がアイズの脳裏に焼き付けられていく。

 

 

 

 

 

 

 

 【彼女】はただ人形として、実験という名で誰かもわからない多くの人間を虐殺した。

 

 

 物心ついたときから殺戮を繰り返していた中で現れた一人の魔女。

 

 

 魔女によって、はじめて自分の意思で、殺意と憎悪を持って虐殺した。

 

 

 名前を与えられ、そして自由意思を許されたまま、魔女の僕となった。

 

 

 そして、その魔女から語られる魔女の真実とその目的。

 

 

 魔女の願いは、■■■■■こと。

 

 

 そのために魔女は【彼女】に命じた。そして忠実にそれを実行した。誰でもない、自らの意思で魔女の願いを叶えることを選んだ。

 

 

 それは恩返しでもあったし、同時に復讐でもあった。なによりも誰かのためにこの力を使いたいと願ったから。

 

 

 魔女の願いによって生じる多くの不幸を理解していたし、それが悪だということもわかっていた。

 

 

 そして、願いが叶ったとしても、その先にあるものもわかっていた。

 

 

 それでも、魔女に付き従う道を選んだ。

 

 

 悪意を振りまく愛だとしても、世界を壊す愛だとしても、それを否定することはできなかった。

 

 

 空虚だった【彼女】の器に、唯一愛情を注いだのだ。それが気まぐれでも、酔狂でも構わない。

 

 

 どんな結末を迎えても、最期の時まで魔女の剣となって戦う。

 

 

 それが、【彼女】が、生まれてはじめて自らの意思で決めた生き方だった。

 

 

 ――――、。

 

 

 ……。

 

 

 

 

「―――――どうして」

 

 視界が暗転し、再び現実の光景が目の前へと広がった。

 わずかな、それこそ刹那に脳裏に刻まれた過去のシールの記憶の断片が、熱を持ったようにアイズの心を焦がした。

 それはこれまで知らなかった彼女の過去、そして気持ち。マリアベルと出会い、そして今に至るまでの変遷の記憶。そして魔女の――――マリアベルの真の目的。

 

 

 シールの記憶通りなら、マリアベルは、こんなことのために、セシリアを苦しめたというのか―――!

 

 

「どうしてッ!」

「………」

「こんなッ、こんなことのために! こんな方法じゃなくったって!」

「言ったでしょう? ……理解を求めたつもりなどない、と」

「シール、あなただって、これがどれだけ愚かしいことかわかっているんでしょう!?」

「ええ、それはもう……」

「こんな、こんな……! どんな結末でも、誰も幸せになれないじゃないかッ!!」

 

 アイズは怒りは正当なものだろう。シールの記憶から、彼女が―――マリアベルが、本当にセシリアを愛していることははっきりと確信が持てた。しかし、それなのに、その愛情によって選んだ道は、誰もが幸せになることができない茨の道だった。いや、茨なんてものじゃない。マリアベルが本懐を遂げたとしても、その先には笑顔になれる者など、誰ひとりとしていないのだから。

 それは、誰も救われない破滅の道そのものだった。

 

「それでも、あの人のやろうとしていることは理解できるのでしょう?」

「……っ!」

「私も、あなたも、それなりに地獄を見てきたのです。だからこそ、あの人がやろうとしていることもわかるはずでしょう?」

「―――ッッ!!」

 

 ギリ、と歯を食いしばる。悔しいことに、アイズは確かにそれを否定する反面、マリアベルがやろうとするその理由も、そしてそれがセシリアへの愛故のことだとわかってしまう。自己中心的、そしてやっていることは間違いなく悪なのに、その根幹にある愛情はどこまでも真摯にセシリアを想っている。

 マリアベルがやっている行為は否定できても、その心を、アイズは認めてしまっていた。

 

「……どうしてボクに、これを教えたの? ボクがセシィに話したら、あの人の目的は……」

「話せますか?」

「……!」

「あなたには無理でしょう。今、セシリア・オルコットがこれを知れば、残されているものは絶望だけです。言ったはずでしょう、あの親子の運命に、私たちは関わることさえできないと」

「…………」

「あの二人にあるのはパンドラの箱です。あなたはせいぜい、あるかもわからない一抹の希望でも探していることです。まぁ、もっとも……」

 

 苦しげに顔を歪めて沈黙するアイズに、容赦なくランスを突き立てる。ハッとなってそれを防ぐアイズだが、完全には裁けずに装甲に深い亀裂が刻まれる。痛みと、そして不甲斐なさからさらに表情を曇らせるアイズは、そんなアイズを憐れむように見つめるシールの虹色の瞳へと視線を向ける。

 

「私を越えられなければ、すべてが無意味でしょうけどね」

「そう、か。そう、なんだね」

 

 アイズが剣を握る腕に力を込めてランスを押し返す。性能差からもパワー負けしているアイズが押し返してくることにシールはほんの少し驚いた。

 アイズの瞳は深紅色に染められていたが、その紅とは別種の、意思の炎が宿っている様が垣間見えた。そしてそれに呼応するように、レッドティアーズtype-Ⅲの出力も目に見えて上昇している。搭乗者とISが人機一体の境地にあることを証明する光景だった。

 

「背負うものが、また増えちゃった。ああ、そうだ、確かにボク達は決着をつけるべきだ。このままじゃあ、なにも変えられない、なにも得られない!」

 

 アイズは覚悟し、決意する。

 このままだとたとえどちらが勝っても残されるものは虚しい結末だけだ。ならば、それを覆すことが自分の役目だと、そう見定める。誰に言われたからでもない、アイズ自身が“そうあるべき”だと判断したからこその答えだった。

 アイズのそんな内心を正確に悟ったシールは、アイズの不屈の精神を呆れ半分で感嘆する。ここまでのことを教えても打ち負かされずに、逆に奮起する前向きさ―――ここまでくればアイズのそれも狂気と紙一重かもしれない。

 

「負けられない理由が増えたって、やることは変わらない……! シール、……あなたを超えて、そんな結末を変えてやる!」

「あなたに、できるんですか?」

「やってみせる!!」

 

 その意思に呼応するようにソレが震える。異変を感じとったシールがその得体の知れない感覚に危機感を覚えて離脱するが、その直前に放たれたそれがパール・ヴァルキュリアの装甲に深い亀裂が刻まれた。剣の一閃が直撃したのだ。このヴォーダン・オージェの解析を摺り抜けてきた。その事実を否応なくも理解する。

 前を見ればあのブルーアースと呼んだ剣を振り切った姿のアイズ。そしてブルーアースの刀身からはエネルギーの余波のようなものが漏洩していた。

 なるほど、と内心で呟きながらシールはそのブルーアースという剣のおおよその能力を推し量った。推測通りなら、この剣は確かに初見殺しな上に対ヴォーダン・オージェに特化した力を宿している。第三形態になったパール・ヴァルキュリアと、それによって得た単一仕様能力を使っても封殺しきれない。冷静にそう判断し、そしてそれでも自身の有利は揺るがないことを確信する。そして、それでも揺るがないアイズの意思も。

 

「あなたの意思は確認しました」

「シール……!」

「これ以上は無粋でしょう。あなたのその決意……どこまで貫けるか、見せてもらいましょう」

 

 シールがわずかに視線をアイズの背後へと向ける。気になったアイズが視線はそのままに背後の気配を探れば、接近してくる気配がいくつか感じ取れた。この速さはおそらくラウラ達だろう。流石に異変を察知して追ってきたようだ。こうして悠長に喋っていられるのも、これまでだった。

 

「あなたが、いったいなにができるのか、楽しみにしていますよ。そして……」

「ボクたちの運命に、相応しい結末を」

「ええ。その時まで、壮健で――――さようなら、アイズ」

 

 別れの言葉を口にして、シールが離脱する。巨大な翼を広げ、夜の闇を切り裂くように凄まじい速さで彼方へと飛翔していくシールを、アイズはただじっと見送った。やがて雲に入り、完全に目視できなくなったところで後方から一機のIS、【オーバー・ザ・クラウド】が合流してきた。

 それを駆るラウラは焦った表情を隠せないままに急制動をかけてアイズの目の前に停止した。機体のところどころには交戦した痕跡がある。

 

「姉様ッ! ご無事ですか!?」

「あ、ラウラちゃん」

「ッ、ね、姉様、お顔に傷が……!?」

「ん? ああ、あのときの……」

「おのれ、あの天使気取りが……! よくも姉様の顔に……!!」

 

 憤慨するラウラを宥めつつ、アイズはシールとの邂逅、そして得られた情報を改めて思い返していた。

 シールやマリアベルの思惑など、まだ整理することはあるにせよ、現状では最も重要な情報はただひとつ。

 

「遅くても半年以内…………軌道エレベーター、か」

「姉様?」

「ラウラちゃん、近いうちにイギリスに戻るよ。ご丁寧に告げてくれたんだ。たぶん、そう遠くないうちにIS委員会がなにかしら宣言するはず……ウチと、IS委員会の正面衝突の名分を言ってくると思うから」

「……!」

 

 表情を険しくさせながら、ラウラもその時が来たかと覚悟する。マリアベルが表向きの立場と権力を得たときから、そうなることは予想されていたことだ。

 それがいつ、どこで、どのような手を打ってくるかはわからなかったが、今回のシールの言葉でそれが現実味を増した。嘘、ということはないだろう。向こうははじめからそれを隠そうともしていない。とうとう舞台が整ったから“ついでに”先行してアイズに伝えただけ、というのが本当のところだろう。

 もちろんそれも非常に重要だが、おそらくシールが最も伝えたかったことは――――。

 

「行こう、まずは今回の後始末と報告をしなきゃ……ラウラちゃん、先導をお願いね?」

「わかりました!」

 

 先行するラウラの後を追うようにアイズも飛翔する。既に第三形態は解除。強い脱力感を味わいながらも、その目にはこれまで以上の強い意思を宿らせていた。

 

「あなただって、セシィたちの運命を変えたいと思っているんでしょう?」

 

 そうでなければ、アイズに話したりはしない。アイズがこれを知れば、静観するのではなくどうにかしようと抗おうとすることはシールにはわかっていたはずだ。どうやっても無駄だと言っていたその反面、これをどうにかできるのか、という問いかけでもあったのだと気付いていた。

 確かに、かなり厳しい。マリアベル側の事情を知っても、それをセシリアには伝えられない。それどころか、誰かに言うことも憚られた。それだけの内容だった。

 いったいどうしたものかと悩ませながらも、アイズはもう一つの疑問を思い返した。

 

「そういえば、あの記憶……」

 

 断片的に見た、いくつものシールの記憶。半分は血なまぐさく、痛ましいものだったが、その中でも気になるものがあった。さっきはマリアベルのインパクトが強くて問いただすことも忘れてしまったが、あれはいったいどういうことなのか―――。

 

「ボクたち……どこかで会っている?」

 

 アイズの主観ではシールと出会ったのは入学して少ししたところ……IS学園にちょっかいかけてきた時が最初だった。しかし、シール主観の記憶では違った。

 もっと前に、まだ身長も低く、幼い頃―――傍らにセシリアがいて、まだ子供だったときのアイズを見た記憶があったのだ。

 そんなときにシールと出会った記憶など、アイズにはない。

 

「いったい、どこで……どこで会ったんだろう?」

 

 見たのはあくまで断片的なものばかり。それがいつ、どんなときなのかはわからない。しかし、アイズとシールを結ぶ因果は、アイズが知っている以上にまだなにかあるようだ。未だに計り知れないほどの因果の糸で雁字搦めにされているような錯覚を感じながら、アイズはそれでもこれから先に待ち受けるであろう苦難に立ち向かう意思を滾らせる。

 

 

 逆境に、苦難に、壁を前に立ち向かう。

 

 

 それは、アイズ・ファミリアという存在意義そのものだったから――――。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「足止め、ご苦労様でした」

 

 シールは合流してきたクロエにそう労いの言葉をかける。いくらクロエでもラウラをはじめとしたシュバルツェ・ハーゼを足止めすることはかなり厳しかったはずだが、それでもシールとアイズの邪魔をさせることはなかった。ゆえに心からの賞賛と感謝を送った。

 

「いえっ、そんな。無人機も十体ほど使い捨てにしてしまいましたし……」

「それだけであの部隊を抑えられたのですから上出来でしょう。クロエもやるようになりましたね」

「あ、ありがとうございます」

 

 滅多にない賞賛にクロエが嬉しそうに表情を緩ませる。実際に鬼気迫るラウラと戦い、死に物狂いで時間を稼いだクロエにとってその言葉だけで満ち足りてしまうだろう。

 そして、シールもはじめはただの部下程度としか思っていなかったクロエに対してこうも気遣った言い方をする自分自身にも驚いていた。それこそ、はじめは自身の模造品だとして嫌悪の念すらあったというのに、今ではそんな感情はまったくない。

 アイズはラウラを自慢の可愛い妹だ、と言っていたが、そんな気持ちも今ならわかる気がした。これではもうアイズのことを笑えないだろう。

 

「姉さんのほうは?」

「ええ、恙無く」

「でも、よかったんですか?」

「プレジデントの許可はもらってますよ。お節介をしてもいい、と」

「私には……あの人の考えが、よくわかりません」

「それは私も同じですよ。でも、まぁ…………きっと、楽しみたいんでしょう。あの人は神算鬼謀ですが、どこか予想外の事態を歓迎して楽しんでいる節がありますし」

 

 それはまるで自分の野望が潰えてもいい、と思っているようだった。それは半分は正解だろう。どこまでも他者を、世界をいいようにできる魔女は、状況をひっくり返されることを望んでいる面もある。だから追い詰めてもあくまで遊びを入れてしまう。それは慢心ではなく、期待を込めた油断だ。もしマリアベルがその気になっていれば今頃世界は完全に彼女に掌握されていたとしてもおかしくなかった。

 

「姉さん、ひとつ聞いても?」

「なんですか?」

「なぜ、記憶を見せたのですか? あれほど姉さんは干渉されることを……」

「ふふ、嫉妬ですか?」

「そ、そうではありません!」

「冗談ですよ。……まぁ、ただの気まぐれです。あの人のように、どうせなら最期を盛大に演出したいという、ただの酔狂ですよ」

 

 それはどこかごまかしているような響きがあったことにクロエも気付いていたが、それ以上はあえて聞かなかった。シールが内心を語ろうとしないことはよく知っている。それなのにアイズ・ファミリアには特別に共鳴現象まで起こして記憶を見せたことに、先ほどは否定してもやはり嫉妬してしまう。

 我ながら小さいことだ、とクロエはかつての自虐癖を思い出して自嘲する。

 

「これであとは最後の締めだけです。半年はこちらにとっても準備期間……忙しくなりますよ、クロエ」

「はい」

「ゴミどもの残党の処理は先輩たちに任せてあります。私たちは軌道エレベーターを襲撃する準備をします」

「かなり難しいと思いますけど……」

「それがあの人のオーダーです。それに手段を選ばなければそれほど難しくはありません。まぁ、あの人からのオーダーはあくまで“舞台を整える”ために落とせということです。それなりに苦心はするでしょうね」

 

 そう考えればアイズに軌道エレベーターの襲撃を言うことはなかったのだが、それでは意味がない。より正確に言えば、マリアベルからのオーダーは【役者全員を舞台に上げた上で軌道エレベーターを落とせ】だ。

 だからカレイドマテリアル社、特にセプテントリオンのメンバーは真っ向から抵抗してもらう必要がある。そのための今回の情報漏洩だ。なにより、その場、その時にセシリア・オルコットの参戦は必須だ。そしてシール個人もアイズの参戦は必要だった。だから必然的に敵対するセプテントリオンの全てを敵に回して、その上で真っ向からぶつかることになる。

 相変わらずに滅茶苦茶なオーダーしかよこさないマリアベルだが、それでもシールはマリアベルのやろうとしていることに賛同しているし、マリアベルが約束したようにこれ以上ないほどの決着の舞台となるだろう。シールは自分でも珍しいと思うほどにその時を楽しみに思っていた。

 

「もうカウントダウンは始まっている………これほど待ち遠しいと思ったことは初めてですよ」

 

 その時に思いを馳せて、シールは微笑んだ。

 

 アイズとの決着も最重要事項だが、それとは別にシールにも抗いたい運命はある。しかし、それを変える術をシールは知らない。だからこそ、今回のアイズとの邂逅はそのため――――。

 

 魔女が紡ぐ愛と破滅の物語。

 

 アイズにそれを教えたのは、それを変えるための布石だった。

 

 しかし、それもアイズがシールを倒せない限り変えることはできないだろう。無理だと断じながらも、仄かな希望を与える。酷いマッチポンプだと思いながらも、少しばかりアイズに期待している自分がいることにも気付いていた。

 

 しかし、今はそんな矛盾も心地よい。人間そのものといえる感情と理性のパラドックスは、シールにとって不思議と心地よかった。

 

 自分でも気づかないほど柔らかい笑みを浮かべ、夜の空を飛翔する。

 

 次にシールがアイズと顔を合わせるのは、今から五ヶ月と一週間後。世界の行く末を賭けた歴史上最大規模のIS同士による戦いの最中―――。

 

 

 互いに多くのものを背負い、星と宙の狭間で二人は刃を手に最期の邂逅を果たすことになる。

 

 

 

 




一週間出張に行ってきました。やっと終わったと戻ったら、三日の追加出張を言い渡されました。最初からそう言えよ! 

…………という具合でハンパない忙しさでした。


というわけで最終決戦の舞台は軌道エレベーターです。亡国機業側のエピソードを挟んでとうとう最終章へと入ります。
シールの言葉でアイズがなにやら最期にやらかしそうな感じに。最近ますますアイズがヒーローなのかヒロインなのかわからなくなってきました。


それではまた次回に!

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