双星の雫   作:千両花火

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Act.107 「脆く愛しい傷痕」

「ボクをISに?」

 

 セシリアからの提案にアイズは思案するように首を傾ける。

 公園のベンチに座り、三日ぶりに会ったセシリアの手を取って指を絡ませながらアイズはその言葉の真意を考える。

 二人が九死に一生を得た謎のISの襲撃から既に二ヶ月。結局犯人は不明であり、事件の真相もわからぬままだったが、今を精一杯生きようとするアイズにとってそれは大した問題ではなかった。

 あの事件のあと、アイズは一時的にセシリアの元を離れ、放浪生活へと戻った。当然セシリアはそれに反対したが、今のままではセシリアの負担になるだけだということはアイズが一番わかっていた。数日のうちに何回か会っているので断絶したわけではないが、それでも寂しいことには変わりない。しかし、そうした中でアイズは、自分の価値を、できることを見つけられなければ近い将来、必ずセシリアにとっての弱点となると直感で理解したのだ。

 あの傷を舐めあうように堕落にも等しい生き方をしていたら、きっとそうなっていたと……皮肉にも、あの日、共に命の危機にさらされたことで悟ったのだ。

 

「はい、イリーナさんにも話は通してあります。前向きに検討してくれるそうです。もちろん、テストはあるようですがアイズならきっと大丈夫です」

 

 セシリアは叔母にあたるイリーナのもとで彼女が社長を務めるカレイドマテリアル社に協力しており、その高いIS適正からIS技術開発部のテストパイロットとして従事している。大切な屋敷を焼き払ったISに関わることに思うところがないわけではないが、それでもアイズと同じく、セシリアも無力であることの恐ろしさを知ったのだ。

 だからセシリアはなにより力を求めた。

 

 力があれば、無力でなければ――――。

 

 大切なものを守れる。両親を失い、輝くような日々を過ごした屋敷も燃えた。残っているのは受け継いだオルコットという家名と、ずっと隣にいてくれるアイズだけ。

 力がなく、ただ失って悲しむだけだったセシリアは、もうそんな思いをしないとただ残ったものを守るための力を欲した。

 しかし、現実は優しくはない。なんとかオルコット家の財産はイリーナのおかげで群がる有象無象から守れているが、それはセシリアの力ではない。今のままではなにもかもが足りない。

 そしてISによる襲撃という恐ろしいことも実際に起きてしまったのだ。そんな悪夢がまた起きないとは限らない。いや、ISがどんどん世界に浸透していくことを考えればまたそんな暴挙を行う人間が現れることも十分有り得るだろう。

 

 だから、必要だった。すべてを跳ね除ける、絶対の力が。

 

 幸い、セシリアはIS適正は最高クラス。セシリアの潜在能力の高さもあり、着々とその実力を開花させていた。恐ろしいことに既にセシリアに敵う操縦者を探そうとすれば国家代表候補生でも連れてこなければならないほどだった。未だ発展途上ゆえに体力と精神にはやや脆さを見せるが、技術とセンスにおいては既に右に出る者はいなかった。

 無論、セシリアには才能があった。しかし、なによりそれを完全に活かす努力を積み上げてきた。ISという、世界を変えた力の象徴。わかりやすい力に具現に、セシリアはそのすべてを賭けるようにただひたすらに努力し続けた。

 

 強くなること。誰よりも。それがセシリアが選んだ手段だったのだ。そのもっとも近道だったものが、戦闘用としてのISだった。ISに空を駆ける夢を馳せていたアイズと相反するものだったが、決してセシリアはアイズを否定しているわけではない。むしろ自分のほうが邪道だと理解していた。

 それでも、セシリアは自分自身の夢や願いより、アイズの夢を守ることを選んだのだ。

 

 尊敬していた母のようになってオルコット家を立派に継ぐという、子供のときにただ漠然と、しかしはっきりと抱いていた目標は既にセシリアにはなかったのだ。なぜなら、もうそれを証明できないから。たとえそれを成し遂げたとしてもそれを褒めてくれる人はもういないのだから。

 両親を失い、そして屋敷を燃やされたことでそんな夢はすくい上げた砂が指の間から零れ落ちていくように消え失せてしまった。残ったものは、そんな彷徨う手を握りしめてくれるアイズだけだった。

 

 だから、セシリア・オルコットはなによりもアイズ・ファミリアの幸せを優先する。

 

 そのためにこの先、庇護を得る代価として生涯をかけてでもイリーナに尽くすと決めている。その庇護に、確実にアイズも入れなければならない。それがセシリアの考えだった。しかし現状、なんの後ろ盾もない、戸籍すらないアイズに、言葉は悪いが利用価値はない。イリーナはその価値を示さないものを助けるほど酔狂ではない。だからアイズ自身の力を示す必要があった。

 その瞳から特異性で言えばアイズはセシリアよりも際立っているが、それはアイズの傷に触れる行為だ。矛盾と葛藤を孕みつつも、セシリアはそれでも安全を図るためにもアイズに力を与えたかった。アイズの持つ魅力や行動力などは誰よりも知っているセシリアであるが、現状必要とされるのは誰が見てもわかる普遍的でわかりやすい実力――――そう、たとえば、ISの操縦。

 アイズがセシリアと同じようにその力を示せばカレイドマテリアル社という巨大な企業が持つ権力という盾を手に入れられる。その先にアイズの目指す道があるかはまだわからないが、それでも今のままよりは選択肢は多くなるはずだ。

 

「…………」

 

 セシリアの気遣いは察していても、アイズは即答できなかった。

 セシリアの意図はなんとなくだがわかる。現状、なんの力もない自分では生きるだけで精一杯。いや、それどころかセシリアに多大な負担をかけるだけだ。半分強がりのようなもので本格的にカレイドマテリアル社に従事しはじめたセシリアとは別行動を取るようになったが、それはただセシリアに甘えていただけの自分を恥じたからであり、具体的にどうすればいいのか明確な目的があったわけじゃない。そもそもなにもないアイズにはなにかを選ぶことすらできなかった。

 しかし、これからはそんなわけにはいかないだろう。なぜなら、なにもできないと諦めていたからこそ、なにかを得ようとすることすらしなかったのだ。その結果、アイズは自身の無力を思い知った。

 だからアイズは甘えを捨てられなくても、溺れてはいけないと思った。夢は見るだけでは届かない。あの空へと近づきたいのなら、セシリアのそばにいたいのなら、足掻くように求めるべきだったのだ。

 そんな後悔をしたアイズは、立ち止まることをやめた。未だなにかに甘え、すがってもいい子供でありながらそれが許されるような立場ではないと自覚した。だからセシリアの提案は渡りに船だったことも確かだった。それほど今の時代、ISという存在は大きかった。

 

 しかし――――。

 

「怖いのですか?」

「…………」

 

 アイズは無言で頷く。

 そう、アイズは怖い。ISが、ではない。ISを使って空を目指せないことが怖い。アイズでもわかる。今、世界でISを躍起になって広めているのは、それは空を駆けるためではない。純粋なその戦闘力を軍事力として使うため――それは民間企業の研究でも同じ。競技用と銘打っているが、その実それは将来の国の戦力育成にほかならない。あと数年もすればそれこそISは空を目指すものとしてではなく、空から下を押さえ付ける抑止力として君臨するだろう。

 それに対抗するには、やはり『翼』としてではなく『力』としてISを振るうしかない。アイズには、それが辛かった。

 しかし、セシリアはそれを理解してアイズに提案しているはずだ。それを無粋とも不躾とも思わない。セシリアはただアイズの身を案じているだけなのだ。それにただアイズの我侭だけで悩んでいるだけだ。自分が利己的でいやしい存在に思えてアイズは表情を曇らせる。

 

 しかし、そんな葛藤しているアイズの頭をセシリアが優しく撫でる。

 

「アイズ、私と同じ道を往く必要はありませんわ」

「え?」

「あなたは、あなたの思うように、好きなようにISを使えばいい。確かに自衛のためにも戦う術は身につけるべきですが、それをどう使うかはあなたの自由です」

「でも、そんなこと……」

「イリーナさんもそれを望んでいます」

「えっ」

「イリーナさんの目的は詳細は聞かされていませんが、ISを使って“宇宙”へと上がることです。私はそのための“手段”として尽力し、あなたはその“目的”に尽力すればいい」

「セシィは、それでいいの?」

 

 それはセシリア自身の願いや目的といったものを捨て去っていることだ。それでいいのかと、アイズは問いたかった。

 

「…………アイズの夢は、どこまでも続くあの空を飛ぶことでしょう?」

 

 アイズは無言で頷く。

 空に恋して、求めた。それがアイズの夢。その夢へ至るためのものとして、ISにその可能性を見出していた。本音を言えば、たとえ時代に逆行していたとしても確かにアイズはそのためにISと共に空を目指したかった。

 

 しかし、セシリアはどうだ?

 夢を追いかけたいと願うアイズとは対称的に、彼女は既に諦めている。それがアイズにはわかってしまった。

 

「……私の夢は、もうありません。これから先、新しい夢を抱くこともあるかもしれません。しかし、今の私にはあなたのように夢を抱くことができません」

「セシィ」

「そんな私が望むことは、あなたが笑うことだけです」

 

 夢を失った少女は、夢を抱く少女を守ることを選んだ。それしか縋れるものがなかった、と言っても間違いではなかった。

 苦しいとき、辛いとき、ずっと一緒にいてくれたのがアイズだった。これまでセシリアが信じていたもの、すがっていたものがすべて消え去り、精神が不安定となったセシリアはもし一人だったら歪んでしまってもおかしくはなかったかもしれない。

 そうならなかったのは、間違いなくアイズの存在のおかげだ。

 

 そんなアイズのために。

 そんなアイズを守ることこそが、セシリアに残された最後の希望だった。

 

 最愛の親友を守ること。――――それがセシリア・オルコットの傷痕であり、存在証明だった。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 

 あの日をそのまま再現したような光景がそこにあった。

 

 あたり一面炎に包まれ、かつて楽しく優しい思い出で満たされていた屋敷もオレンジ色の火炎に呑み込まれていく。丁寧に手入れがされていた庭園も炎に舐められ、無残に融解していくその様子は地獄の釜の中でも覗いているような錯覚に陥ってしまいそうだった。

 しかし、これはあくまで精神世界に映されたイメージの投影だ。実際に熱があるわけでもない。世界そのものがスクリーンとなっているだけで、そんな舞台の上で四人の影が浮かび上がっていた。

 

 セシリア・オルコットにとってそれは喪失の象徴であろうイメージであるし、アイズにとっても自身の甘さを痛感した転機となった出来事だ。

 燃えていく屋敷を見つめているセシリアと、そんなセシリアを見つめるアイズ。そしてそんな二人に寄り添うようにそれぞれの相棒であるコア人格のルーアとレアが佇んでいる。

 

 それは、まるで現在と過去が交錯しているようだった。

 

 背も伸び、体つきも女らしい曲線を描くように成長したセシリアとアイズ。

 そしてその横に立つコア人格たちはそんな二人をオリジナルとして学習し、その姿を模倣して人格を得るにまで成長した、言わば写身だ。その姿は二人の幼少期の姿と酷似しており、偶然ではあるがちょうど転機となったこの出来事が起きたときの二人の姿そのものだ。

 それは過去と現在が並んで立っているかのような光景だった。そんな四人が対峙する様子を観客席から眺めていた一夏たちは口を挟まずにそんな不思議で複雑な光景を見つめている。

 もはやここに至っては一夏たちができることはない。そんな行為は無粋だとわかっている。だからただ黙って見守るしかなかった。

 

 

「――――夢があると人は強くなる。よく聞く言葉ですが、それは事実だったようです」

 

 

 初めに口を開いたのはセシリアだった。その声は重く、そして暗い。

 

「ひたむきに夢へと走っていたあなたと、諦めて逃げていた私では比べることも烏滸がましかったようです」

「セシィ、そんなこと言わないで」

 

 アイズは悲痛なセシリアの言葉を遮ろうとするが、それでもセシリアは止まらない。

 

「ここまで迎えに来ていただいて本当に感謝しています。姿は見えませんが、一夏さんや鈴さんたちの存在も感じます。私は、良き友を多く持ったことを嬉しく思います」

「セシィ」

「……しかし、私はそれに報いる方法を知りません。私は、……ここまで弱かったのですね」

 

 セシリアが振り返る。その露になった顔に表れているのは諦めだった。

 

「母のようになりたいとずっと思っていました。あの人のように、あの人に誇れるような自分でありたいとずっと思っていました」

 

 母であるレジーナこそがセシリアの理想の現れだった。彼女のように強く、美しく、気高い人間になりたいと願いながら努力してきた。はじめてアイズに声をかけた理由も、母のように誰かに優しく接せられるようになりたいと願っていたからだ。

 もちろん、そこから始まったアイズとの縁はセシリアが望んだ絆だ。そこに嘘や欺瞞は一切ない。アイズが支えとなってくれたことも本当だ。どれだけ感謝してもし足りない。

 だが、それ以前のセシリア・オルコットという存在の根幹にあるのは、母の存在だった。常に自分を愛し、守ってくれていた母のようにセシリアもアイズを愛し、守ろうとした。それは母から学んだ愛するという行為のひとつのあり方だと思っていた。

 アイズへの愛し方、そしてセシリアのこれまでの姿勢や見方、そのすべての原点が母なのだ。

 

「ですが――――そんなお母様こそが、私たちの敵だった。それも、おそらくはお母様自身が望んで……」

「………」

「あの人と対峙してわかってしまったんです。偽者でもなんでもない、あの人は私が確かに慕っていたお母様本人だと」

 

 それはアイズの直感も同じだった。マリアベルとして出会ったあの人は確かにそのあり方はどうあれ、セシリアに愛を抱いている。それは確証はないが、ほぼ間違いないと確信している。クローンという可能性ももちろんあるが、少なくともセシリアと直接触れ合ったことがあるような口ぶりだった。ならば、おそらくセシリアを育ててきた母であることは間違いないはずだ。

 

「それを認められなかったから心を閉じたわけじゃないんです。ただ…………そんなお母様ともう一度会うことが怖くて……!」

 

 だから夢の世界から出られなかった。アイズも薄々気付いていたが、セシリアは現実を拒絶していたわけじゃない。ただ目を向ける勇気が、立ち向かう勇気がなかったのだ。いつか必ずそれと向き合わなければならないと理解してもなお、今の自分自身を形作っている母のイメージを壊したくなかった。だから甘い夢の中でまどろんでいた。そのすべては、現実が怖かったからだ。

 それこそ、アンチマインドがアイズを排除しようとするほどにその恐怖は大きかったのだろう。

 しかし、それでもセシリアは現実への帰還をしなければならないとわかっていた。そしてアイズたちがわざわざ迎えに来たことも理解していたのだろう。

 アイズがそれに気付いたのはアンチマインドとの戦闘中だ。おそらく他の皆は気付いていなかったが、明らかにアンチマインドは途中から弱くなっていた。いや、手を抜いていた、というべきだろう。タイミングとしては【I.F.L.S.】を使い始めて少ししたくらい。

 はっきりいえば、あのアンチマインドを仕留めるためにもう二、三手は必要だと思っていたし、実際それだけの隠し球をアイズは用意していた。最後の零落白夜を借りた一撃もセシリアの実力なら対処できたはずだし、そもそも掃射砲を使ってもビットの半数を犠牲に半数を離脱させることもできたはずだ。だからあの時もアイズは思わぬ戦果に内心では少しだけ困惑していた。

 最悪、束からもらったあの“切り札の剣”すら使うつもりだったアイズにとってどこか拍子抜けした感すらあった戦いだった。

 

 そしてその理由は明白だ。おそらく、セシリアはアイズが来たことに気付いたのだろう。アイズは誰よりもセシリアの近くにいた人間だ。半身といっていいほどに、ずっと一緒に歩いてきた親友だ。

 この世界はセシリアの精神そのもの。たとえ強がりや虚勢でも、アイズを完全に拒絶することなどできるはずもなかった。

 

 しかし、そんなアイズの来訪は同時にセシリアの逃亡の終わりを意味していた。

 

 アイズが迎えに来た以上、現実に戻りはっきりと認識しなければならない。敵となった母のこと、そしてそんな母にこれまで弄ばれていただけだったのかもしれないという悪夢のような現実が怖く、だから弱音を吐いてしまった。もし、これが一夏や鈴といった他の面々だったら間違いなく言わなかった。

 しかし、アイズに対してはそれも無意味だった。アイズがなにかしたわけじゃない、それ以前にセシリアはアイズに対し嘘や強がりを言えなかったし、なによりそんなことが無意味だとわかっていたからだ。

 

 そしてアイズはそんなセシリアの弱さを否定しない。逆に強がりを言われたほうが心配していただろう。

 

「私は……もう、戦えないかもしれません。あの人を前にして、私は銃を向けられる自信がありません」

 

 事実、そうすることができずにセシリアは敗れ、あまつさえ目の前でアイズを斬られるという暴虐を許してしまった。その反省を活かす以前に、母に銃を向けるという行為に今なお強烈な忌避感を抱くセシリアは己の力を信じられない。アイズを守りたいという願いに嘘はない。しかし、母と敵対することが恐ろしい。セシリアはあのとき縛られた精神的な鎖にいまなお雁字搦めにされたままだった。

 敵をすべて撃ち貫くという誓いを立てておきながらこんな体たらくを晒す自身に失望すらしながらセシリアは告白した。

 

 

 

「それのなにがダメなの?」 

 

 

 

 そしてアイズは、そんなセシリアの苦渋に満ちた言葉を、その一言で返した。

 呆然とアイズを見つめるセシリアに、アイズは微笑みを返す。それはセシリアを賞賛しているかのような笑みで、それがますますセシリアを困惑させた。

 

「セシィ。お母さんを撃てないことを嘆くなんて、そんなの悲しすぎるよ」

「…………」

「それに、ボクだってもう弱いままじゃない。セシィを助けることだってできる。ボクも、もう無力だったあのときとは違うんだよ。レアだっているしね」

 

 横に立つレアの頭を撫でながら自慢するように言うアイズに、レアも嬉しそうにしながら笑っている。

 

「たしかに、それでもボクだって無敵なんじゃないし、誰かの助けがなきゃできないこともたくさんある。でも、それってそんなに恥ずかしいことなのかな?」

「ですが、私は……」

「わかってる。セシィが、ずっとボクを守ろうとしてくれたことも、そしてボクが結局それに甘えていたことも。だから、セシィがもし自分が不甲斐ないって思っているのだとしたら、それはボクにも原因がある」

「アイズ、それは……!」

「結局、ボクたちはまだ未熟だったんだ。お互いを思っていたはずなのに、縋って甘える味を忘れられなかった。それはきっと甘さって言われるものなんだ。シールだったら絶対皮肉を言うくらいに」

 

 しかし、それでも。

 

「でも、ボクは結局セシィに甘えちゃうんだ。これは傲慢な意見かもしれないけど、ボクも、そしてセシィも、もう一人じゃダメなくらい、依存しちゃった。それがボクたちなんだよ」

 

 それを否定することは、支えあってきた半生を否定すること。だからアイズはそれを甘さだとしながらも肯定した。

 

「それでも! 私は、……!」

 

 しかし、セシリアは容易く同じ答えにはたどり着かない。目の前で母の凶行を見せつけられ、血まみれになって沈むアイズが目に焼きついて離れない。あの時、セシリアが引き金を引けていればアイズをあんな目に会わせることもなかったかもしれない。すべてはイフであると理解していても、自身を責めてしまう。

 

「そりゃあ、あの人はボクも怖い。なにが怖いって、わからないことが怖い」

 

 実際にマリアベルと対峙したアイズも、彼女の得体の知れないその存在に恐怖した。直感に優れたアイズも、マリアベルの考えがまったくわからなかった。言動と行動が不一致でありながら、そのすべてが思惑通りだというような態度、愛を言葉にしながら剣を向ける矛盾。理解できないそのあり方は確かな恐怖としてアイズにも刻まれている。

 おそらくセシリアも同じ恐怖を味わっているはずだ。それに加え、これまでの幸せだった記憶すべてが嘘になることが怖いのだ。

 

「でも…………わからないってことは、まだあの人の本音を聞いていないってことだもの」

「……!」

「セシィ、絶望するには早すぎる。ボクたちはまだあの人のことをなにも知らない。セシィとの思い出だって、それが嘘かどうかもわからない」

「…………」

「深い深い、絶望の中に飛び込むようなものかもしれない。でも、立ち向かうことをやめたら、そこで止まっちゃう。手を伸ばしても届かない場所で見上げることしかできなくなる」

 

 それはアイズの体験談でもあった。かつて諦めてただ空を見上げるだけだったあのとき、アイズはどうしたらいいのかもわからずにただ届かないものに手を伸ばすだけだった。しかし、本当にそれを手に入れたいと願うなら、やはり動かなければいけないのだ。

 

「ボクは酷なことを言っているのかもしれない。その自覚はある。でも……諦めたくないって思っているなら、どんなに辛い現実でも、それを追いかけるべきなんだと思う」

 

 その言葉はセシリアに向けられていたが、同時にアイズ自身にも向けられているようだった。はじめからどん底にいたアイズは一生かかっても届かないと思っていた空をずっと見上げ続け、そしてとうとうそれに届くところまできたのだ。今でもまだ多くの壁はある。しかし、ただ諦めない、立ち向かうことだけをひたすらに貫いてきたアイズには、ただそれだけの行為に希望が、可能性が宿ると信じている。

 

「それに、これはボクの直感だけど、あの人は本当にセシィを愛してると思う。その愛情表現にはボクも文句を言いたいけど、なにか目的があるのかもしれない。それがどんなものであれ、それを知ってからでもいいと思う」

 

 すべてを知って、それでどうするというのか。セシリアにはまだそれもわからない。しかし、アイズの言うこともわかる。なにか理由があるんじゃないのか、あの人は本当は偽者なんじゃないのか、救いとなる可能性は確かにある。

 しかし、それを確かめようとすることの、なんと勇気のいることだろう。セシリアはその救いに縋る以前に、もしそれでも絶望しか残らなかったら、という可能性に恐怖する。

 

 震えるセシリアに、アイズはゆっくりと近づくとそっと両手をその頬に添えてまっすぐに顔を向けさせる。無理矢理に顔を上げさせられたセシリアは、キスでもしそうなくらい近くにあるアイズと顔を合わせる。至近距離から見つめあったアイズの金色の瞳に、美しいと感じながらもそれに怯えたような自分の顔が映る。なんて情けない顔なのだろう。セシリアは恥じ入るように視線を外そうとするが、アイズはそれを許さない。アイズの運命の象徴であるその金の眼に見つめられ、半ば金縛りにでもあったように固まってしまう。

 

「守りたいと思うなら、立ち向かおう」

「…………」

「セシィが守りたいって思う、あの人との記憶が嘘じゃないって、本当だったって、それを証明しよう」

「でも……」

「そんな可能性は低いかもしれない。でも、だからって諦められるほどの思い出なの? 諦めたくないから、縋りたいから、前にも後ろにも行けなかったんでしょう?」

 

 アイズの言葉はセシリアに言い訳をさせないくらい的確に言い当てていた。もともと高い直感や超能力のような洞察力を持っていたこともあるが、なによりセシリアのことならアイズは誰よりも知っていると自負している。

 だから、アイズはセシリアの背中をほんの少し押すだけでいい。セシリアも、本当はどうしたらいいのか、どうするべきなのかはわかっているのだ。

 ただ、そこに勇気が少しだけ足りなかっただけだから。

 

「一人で怖いなら、ボクがいる。ボクは、こんな無責任なことしか言えないけど、それでも絶対に約束できることがある」

 

 じっとセシリアを見つめていたアイズが柔らかく微笑む。

 

 ――――それは、アイズが心に秘める絶対心理。

 

 

 

「ボクは、いつだって、どんなときだって、セシィの味方で在り続ける。だから、……こんな場所で、独りで我慢することなんてないんだよ」

 

 

 

 それが当然のように、それでも強い意思を込めて宣言する。それは、アイズがセシリアを好きになったときからずっと変わらずに抱き続けた想いだった。無力だった頃から、なにもできなくても、なにかできるとしても、変わらずセシリア・オルコットのそばにいる。共に生きる限り、絶対に孤独にはさせないというアイズ・ファミリアという一人の少女が宿す小さな、しかし絶対の誓いだった。

 

「あ、……あ……!」

 

 セシリアは崩れ落ちるように跪き、両手で顔を覆う。その指の隙間からぽたぽたと雫がこぼれ落ちていく。

 ああ、そうだ。アイズは、ずっとそうだった。命の危険があったとしても、必ずセシリアのために行動してきた。それがアイズ自身の願いであり、そんなアイズにハラハラしながらもセシリアはそれが言葉にできないほどに嬉しく、そして自慢だった。

 自分には、こんなに想ってくれる友がいる。こんなに自慢したい親友がいる。

 それが、虚飾に揺れる記憶の中でも揺るがない真実だった。それを証明するように、アイズはリスクがあるにも関わらずに恐怖から逃げていたセシリアの心の中にまで迎えに来てくれた。アイズは、その想いを既に行動を伴わせて証明したのだ。ただの言葉じゃない、それがアイズの、アイズである所以だと言うように、アイズはただセシリアのそばで、孤独になりかけたセシリアを抱きしめるためだけにここまでしたのだ。

 それを、“嬉しい”と言わずなんと言えばいいのか。

 

 アイズが無言で差し出してきた手を、すがりつくように握り締める。こうして手をつなぐだけで、心が通うような気がした。

 

 

『辛い時、寂しい時……誰か傍にいるだけで救われる』

 

 

 それは過去にアイズが言った言葉。そして今なお、アイズはそれを忘れずにこうしてそばにいてくれる。そう実感するだけで、今までなかった勇気をもらえたような気がした。

 確かに、どんなに抗っても絶望しかないのかもしれない。本当に過去の母との思い出はすべて嘘でしかなかったのかもしれない。

 でも、たとえそうだったとしても、アイズが隣にいてくれるだけでセシリアは立ち向かえる気がした。たったそれだけしかできないというアイズに、しかしセシリアはなによりも勝る勇気をもらえた。

 

「ごめんなさい、アイズ。私は、もう一つの大切な思い出を忘れていたようです」

「ん?」

「母のようになりたい。それも確かに私が抱いた夢でした。その夢を失ってもなお、私が願ったのは……あなたのそばにいることだったんです。そして、あなたを護りたい。それが私の願い……しかし、それは独りよがりだったのかもしれません。私は、ただ……あなたのそばにいたかった。それだけなんです……」

「だったら、一緒にいられるよ。ううん、違う。一緒に、いたい。ボクもそう思ってるから、ここまで来たんだもの」

 

 その太陽のような笑顔が、暗がりにいたセシリアを照らす。真っ暗に思えた道が見えた瞬間だった。

 

 

「帰ろう、セシィ。その不安も、恐怖だって。幸せへの糧なんだから」

「はい………、はい………ッ!」

 

 

 抱き合う二人から少し離れた場所で、レアとルーアがそんな二人を見守っていた。

 アイズとセシリア。二人の半生を糧に学習し、成長したコア人格たちが自分たちのオリジナルとも言うべき二人がかつてそうしていたように、手をつないで笑いあった。

 

 

 

 




これでセシリア復活となります。幕間の後始末と次章への導入を挟んで新たな展開へと向かっていきます。

この「双星の雫」というタイトルを決めてから一番書きたかった回です。あえて多くは語りませんが、これを読んで少しでも印象に残ってもらえることを願います。


ではまた次回に!

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