指先に絡みつく黒曜のような髪の感触が心地よかった。丁寧にロクに手入れもされていなかったその髪を優しく梳きながらゆっくりと編み込んでいく。可愛らしく左右対称に髪を結い、仕上げに同じように草で編んだ王冠を頭に乗せてやる。
「はい、できましたよ。とっても可愛いですわ」
「うー、ボクにこんなの似合わないよ」
「見てもいないのに」
「見なくてもわかるよ」
すとん、とセシリアの腕の中に収まるように少女が身を倒す。それを優しく受け止め、微笑みながら抱きしめた。
「それにしても、ずいぶん素直になりましたね。はじめの頃とは別人のようですわ」
「恥ずかしいから言わないでよ」
セシリアが少女と出会ってからおよそ一年。これほど濃密な一年はおそらくセシリアの人生の中でももう訪れないかもしれないと思うほどに多忙だった。両親を亡くし、家に仕えていた使用人たちも去っていく中、まだ幼いといってもいい年頃のセシリアは血のにじむような努力の末にこの家を守り続けていた。
既にオルコット家とは縁を切っていた叔母のイリーナを頼り、なんとか彼女の助力のおかげでかろうじてではあるが家を立て直すことができていた。
イリーナのおかげで若すぎるセシリアでも当主という肩書きを得ることができた。その多くは後ろ盾となっているイリーナのおかげであり、彼女に対し大きすぎる借りを作ってしまったが、それはこれからのセシリアの人生の多くを費やして返していくつもりだ。イリーナもさほどセシリアになにかを要求するつもりもないらしく、叔母と姪と呼ぶにはやや疎遠であってもそれなりに上手く付き合っていた。
「ボクをこんなにしたのはセシィだよ。責任とってよねっ」
「……どこでそんな台詞覚えましたの?」
「ん? なんか町でそんなこといって男に迫ってる女性がいて……」
「はぁ、教育に悪い……でももう一度言ってもらえます? もっとこう……頬を赤らめてツンとする感じで」
「えっと……ボクをこんなにした責任とってよねっ!」
「ブリリアント」
満面の笑みを浮かべながら抱きしめる腕に力を入れる。こうして触れ合っているだけでセシリアは辛く苦難の日々が癒される気がしていた。いや、事実そうなのだろう。セシリアにとってこの少女は既にそういう存在なのだ。
はじめはほんの気まぐれだったのかもしれない。しかし、いつの間にか不思議な縁ができていた。
互いに弱い部分を見せあったせいもあってか、すでに虚勢や見栄といったものは二人の間には存在していなかった。周囲を常に警戒して敵意をにじませていた少女も、セシリアと触れ合ううちにその頑なだった壁をなくしていった。後ろ向きで惨めだった生きる理由は、明るく素敵な理由へと変わっていった。
そんな内面の変化は外にも現れる。
少しづつ、少女は笑顔を見せることが多くなった。変わらず悪意や敵意には敏感でも、自分に向けられる好意や善意には笑顔で応えられるようになっていった。
その変化はもはや変貌といってもいいかもしれない。それほどまでに今と昔の少女の印象は大きく違っていた。
セシリアとの出会いが転機であったことは間違いない。しかし、もうひとつ大きな転機があった。
「アイズ」
「うん、……えへへ」
少女は自身を示す名を呼ばれたことで嬉しそうにはにかむ。これまで名前すらなかった少女に与えられた宝物。
アイズ・ファミリア。
それが今の少女の名前。それを呼ばれる、名乗ることができるという幸せは、少女の心に劇的な変化をもたらしていた。
これまで自分自身を含めてどこか無機質な灰色に感じられていた世界に鮮やかな色がついたのだ。物心つくころから人の悪意の中にいた少女――アイズにとって、それほどまでに優しさや善意に触れたことはいい意味で衝撃だった。無垢な人間が悪意に触れて堕ちていく様とは真逆に、悪意の中にいたアイズは与えられた慈愛によって希望を見出したのだ。
これまでそんなものを知らなかったアイズはこれにどっぷりと溺れてしまった。特に無償の好意をもって自分と接してくれるセシリアからの愛情を貪るように求めるようになった。広すぎるオルコット邸に二人で住み始めて以降、ここが楽園だと言わんばかりにアイズはその幸福感に浸っていた。
「くすっ……」
そしてそんなアイズの存在がセシリアの支えであった。
家族を失い、会ったことさえない自称身内の有象無象たちから遺産を守り、イリーナの庇護に入る条件として彼女にも協力している。今年でようやく十歳となるセシリアだが既に同年代の少女と比べても異常ともいえる激務をこなしている。ここが頑張りどころだと理解しているセシリアだが、それでもストレスも疲れも貯まる一方だ。そんなセシリアにとって無条件に自身を慕ってくれるアイズの存在は癒しであり救いだった。
失敗を重ねながらもアイズも家事を覚え、日々の激務に疲れ果てて帰ってくるセシリアを温かく迎えるその様はまさに夫婦そのものである。本当ならイリーナから家政婦を雇っても構わないとも言われていたセシリアであるが、今のアイズとの二人暮らしを壊したくないためにわざわざ断ったくらいだ。他にいるのは時折この屋敷の維持のために訪れる数人くらいしかいない。
互いに甘え、甘えられる関係は傷の舐め合いに近かったし、セシリアもアイズもそれをわかっていただろう。しかしそれでも、二人はそんな甘い関係に浸かっていたかった。
未だ年端もいかない少女である二人には、無条件に浸れるこの甘さが必要だった。はじめから愛されなかったアイズと、愛を注いでくれる存在を失ったセシリア。愛を知らずに飢える少女と愛を喪失して焦がれる少女だからこそ、互いの空いてしまった隙間を埋め合って慰めている。それが停滞しか生み出さなくても、今この二人には確かに必要であり、そして子供だからこそ必要なものであった。
普通ならば、愛を注がれて育つまでこのように心を許した誰かと共にいる“当たり前”の幸せを謳歌すればいい。
それが子供の特権だ。
――――しかし、この二人にはそんなものは許されてはいなかった。
「…………っ!」
突然セシリアに甘えていたアイズが跳ね起きた。普段は痛むために閉じている眼を見開き、周囲に視線を走らせる。
「アイズ?」
「…………、が」
「え?」
「よくないものが、来る……!」
久しく感じていなかった悪寒。生死の境界線を綱渡りで生きてきたアイズだからこそ得られた説明することも難しい直感が脳内で凄まじいアラートを鳴らしていた。生きるために鍛え抜かれた危機察知能力が変化した空気を感じ取ってアイズに逃げろと訴えてくる。それがいったいなぜなのか、なにがそうさせるのかはアイズにもわからない。しかし、この場にいればなにかに巻き込まれる。そう確信めいた予感があった。
かつては毎日のように感じていた恐怖や不安、恐れを圧縮したかのような死の宣告ともいうべきその予感が幸せに浸っていたアイズに襲いかかった。
「う、うう……!」
「ど、どうしましたの?」
呼吸が乱れ、うまく肺に空気が入らない。ほとんどショック症状に近い恐慌状態に陥りながらも、アイズは自分の手を握りしめているセシリアの手の感触でギリギリのところで意識を保っていた。
「はっ、あっ、ハぁッ……!」
そして霞みそうになる視界の中で、ソレを捉える。アイズの知識にはない、見たこともないものだった。それは歪な人型をしており、腕に相当する部分からはまるで銃のような形状のものを持っている。全身を覆う装甲は白色で、自由に空を飛ぶ様子は鳩か白鳥を連想させた。
「あれ、は」
「……あれは、IS?」
横からセシリアの声。IS――言葉だけならアイズも聞いたことがあるし、何度か画面越しに見たことがあったことを思い出す。世界の軍事力を塗り替えたとされる現代の技術革命とすら言われた代物だ。しかしそれが空を自由に駆けるためのものと聞いていたアイズは密かにそれに憧れすら抱いていた。
しかし、はじめて実物を目にしたアイズが抱いた感情はそんないいものではなかった。
怖い。
あんなにも空を自由に飛んでいるというのに、アイズはそれに羨望の念ではなく、まるで死の象徴のように感じられた。
そしてそれが正しかったと証明するように空に浮かぶそのISから明確な“殺意”がアイズの意識を射抜いた。
「ッ!? セシィ、伏せてッ!!」
「きゃっ……!」
セシリアを押し倒すように無理矢理に地面へと伏せさせる。セシリアが小さく悲鳴を上げたが、それは直後に響いた爆音によってかき消されてしまう。爆音だけではない、地面が大きく揺れるほどの凄まじい衝撃が二人に襲いかかった。
さらに二人のすぐそばにまでなにかが落下してきた。それはレンガだったり木材だったり、そのすべてが無残に破壊され、焼かれた残滓となって降り注いだ。
「な、なにが……?」
突然のことにパニックになりつつもセシリアが状況を確認しようと顔をあげ、そして絶句する。
目の前にあったはずの屋敷の半分が吹き飛んでいた。それどころか、残された屋敷も火の手が回っており、炎が残されたそれらも呑み込もうと激しく猛っている。必死に苦難に耐え忍び、守ってきた家が一瞬で瓦礫になった光景を目の当たりにして思考が停止する。
しかし、徐々に大きな喪失感に支配され、セシリアの瞳が揺れる。しかし、手を掴まれ引っ張られたことでハッと我に返った。
「セシィ! 逃げて!」
細い腕からは考えられない力でアイズがセシリアを引っ張る。とっさのことに動けないセシリアと違い、多少鈍っていたとはいえ火事場の判断と反応は的確だった。あのISが友好的でないばかりか敵意をもって攻撃してきたことを瞬時に理解して逃走を決めた。
このオルコット邸の敷地は広い。特に庭は森のように緑が生い茂っている。その中を行けば丸ごと焼き払われない限り逃げる時間とルートくらいは確保できるはずだ。もっとも生存率の高い方法を選ぶ。炎で空気が炙られる中、二人は炎に照らされて赤く染まる林の中へと飛び込んだ。
「い、いったいなにが、どうして……! なんで……!?」
「今は逃げることだけ考えて! 話し合いができる相手じゃない!」
未だ混乱しているセシリアとは別に、アイズは既にそれに気づいていた。あのISの狙いは、あの殺意の向かう先は、アイズが手を握りているこの存在――――セシリア・オルコットであると。
理由なんてわからない。わかるはずもない。アイズはただ目の前の脅威からセシリアを救うために走る。もう背後を振り向かなくてもわかる。あのISは、まだこちらを探している。危機はまだ去っていない。
アイズはこれまで幾度となく修羅場をくぐり抜けてきた経験と直感による危機察知能力を駆使してなんとか助かる方法を……いや、セシリアを逃がす方法を考える。ISの性能はまだ把握できていないが、制空権を取られている時点で完全に逃走するのは難しいだろう。
せめて、あれの注意をひきつけられれば――――。
「………………」
覚悟を決めるのは一瞬だった。アイズ自身でも、驚く程その覚悟は自然に心の奥底から形作られた。
手に触れるセシリアの感触。愛しい親友の存在だけが今のアイズが誇れるものだった。そのためなら、とっくになくしているはずのこの命を賭けることさえ躊躇う必要もなかった。
「っ、アイズ?」
突然手を離し、立ち止まるアイズにセシリアが不安そうに見つめる。そんなセシリアにアイズは微笑みながら口を開く。
「このまま走って。ボクとは、ここで別行動ね」
「ど、どうしたのです?」
「このまま二人だとみつかっちゃう。バラバラに逃げよう。ボクはこっち。セシィはあっち。追ってきてもどちらかは助かるよ」
「…………」
「運試しだね。セシィの運がよければいいね」
ヘラヘラと笑って言うアイズの態度は軽薄そのものだったが、当然のようにセシリアにはそんな虚勢は通じなかった。
「嘘が下手ですね、アイズ。いったい私がどれだけあなたと共にいたと思っているのです?」
「なにがさ?」
「囮になるつもりですね?」
「…………知らないよ」
「あなたに嘘は似合いませんよ。出会った時から、あなたは正直だったじゃないですか」
「身勝手に、セシィに暴力を振るったじゃないか」
「だから今回は、身勝手に私を庇うのですか? 罪滅ぼしのつもりですか?」
「そんなんじゃないッ!」
気の入っていない怒声を上げるも、そこには焦りが混じっていた。
「あいつはっ! セシィを狙ってる! ボクがやらなきゃ、殺される! ボクにはわかるんだ、あいつは本気だって!」
「だったらなおさら、あなたを見殺しにできるわけありませんわ!」
「わかってよ! これしかないんだよ!」
「イヤです! そんなことをして私が喜ぶとでも!?」
「わからずや!」
「あなたに言われたくありませんわ!」
久しくしていなかった喧嘩に発展してしまうも、互いが譲ろうとしない。命がかかっている場面でおかしなことだったが、だからこそ二人共引けなかった。引けば、目の前の親友が死ぬかもしれないことがわかっていたから。互いが相手を思いやればこそ、妥協できない泥沼へと陥ってしまう。しかし、そこで悩むという時間ほど命取りとなるものはなかった。
アイズの直感が最大級の脅威を感じ取る。そしてその正体を確かめる間もなく、あたり一面が爆炎に薙ぎ払われた。
直撃こそしなかったが、その衝撃にどちらが地面かわからないほど平衡感覚を揺さぶられ、気づいたときには地面に叩きつけられていた。強制的に肺から空気が吐き出され、痛みで全身が麻痺したように動けなくなる。
「がはっ……! ぐ、うう……!」
必死にあたりを見回すと、少し離れたところで倒れている人影を見つける。綺麗な金色の髪は煤で汚れ、雪のような肌には不釣り合いな血が塗られている。意識がないらしく、微動だにしない。わずかに胸が上下しているのでおそらく気絶しただけだろうが、それでも容態は軽くはないだろう。
しかし、それ以上にアイズも決して軽傷ではない。痛みに慣れているとはいえ、決してアイズは超人ではない。無茶はできても無理を押し通すことはできない。事実、今のアイズは指一つ動かすだけで精一杯だった。意識を保っていただけでも奇跡だった。
「セシィ……!」
だが、アイズは諦めてはいなかった。しかし確実に焦りはあった。こうなっては二人の命は風前の灯だが、それでも必死に生き残る方法を探る。奇跡でもなんでもいい、とにかくセシリアだけでも逃がす方法を懸命に探す。しかし、だんだんとアイズの意識も薄れていく。このままではアイズも気絶するだろう。
最後の悪あがきとばかりになんとか首だけを振り返って襲撃者であるあのISを確認しようとする。
「……………え?」
そこで見たのは、意外な光景だった。襲撃してきたであろう白いISと対峙するように、もう一機―――まるで鴉のように漆黒のISがいた。
黒いISは背を向けて白いISと向き合っている。白い機体とは違い全身装甲で顔を隠しているわけではないようだが、アイズからでは顔までは見えなかった。かろうじてわかるのはその長い金色の髪だけ―――その人はまるで、こちらを守るように白いISへと襲いかかっていって―――。
「――――う」
そこで、アイズの意識は闇に落ちていった。
あとにして思えば、このときから運命は確実に紡がれていた。
もし運命の女神というものがいるのだとしたら、それはきっと意地悪な笑みを浮かべている。
***
どうしてだろうか、このセシリアの影と対峙してからアイズは不思議と昔のことを思い出していた。
かつて、セシリアと過ごした日々と、そんな日々を守ることすらできなかった無力感。幸せを噛み締めるだけではなにもできないことを思い知らされたあの日からアイズはずっと力を欲していた。そしてそんな力を、今はセシリアへ向けて振るっていることに思うところがないわけではないが、今はそれが必要だとわかっているからアイズも一切手を抜かずに戦っている。
それに、少し不謹慎だったが、この戦いはかつての喧嘩の続きのようだとも感じていた。互いを守ろうとして、結局お互いがなにもできなかったあの時以来、アイズもセシリアもそのときの無力感を消し去るように強さを得てきた。しかし、それでも二人とも自分こそがやるんだというわがままは貫いたままだった。
セシリアにとってアイズは未だに守るべき存在で。
アイズにとっても、セシリアは何よりも守りたいと願う人で。
呆れるくらい仲が良い二人が唯一意見が平行線となっているものがこれだった。お互いに助け合おう、という妥協案が存在しないくらい、それは二人にとって強さを求めた原初の理由であり、そして意地だった。それは表面上はそんな様子は見せてはいなくても、常に二人が同じように抱いていたものだ。
現実は戦闘力ではセシリアのほうが一歩前を行っていたが、ここぞというときの粘り強さはアイズが優っている。
どちらもがどちらを守ろうと傷つき、それでも戦いを止めることはない。
そんな二人が戦うことは、いつか訪れる必然だったのかもしれない。
「でも、影に負けるわけにはいかない」
戦う必然があったとしても、その相手はセシリアであるべきだ。どこか甘く、感情に走りそうになる脆さがあることがセシリアの弱さではあるが、そうしたものをすべてひっくるめてセシリア・オルコットの強さである魅力だ。だからアイズが己の意思を示す相手はそんなセシリアであるべきなのだ。
だから、心の入らない、ただ戦うだけの影――――純粋な強さはたとえ本物より上だとしても、影に負けるわけには、いかないのだ。
「そろそろ、決着をつけよう」
アンチマインドの強さもおおよそ把握したし、対処法もある程度はわかった。脅威となるビットとそれを使った戦術も、そしてその対抗策も既に構築した。加えて束と仲間たちによるバックアップによる武装・能力の再現システム【I.F.L.S.】がある今のアイズには戦術の幅はほぼ無尽蔵と思えるほど十全に存在する。
完璧に戦ってきたはずのアンチマインドの唯一にして最大のミス。それは短時間でアイズを倒せなかったことだ。
アイズは確かに強い。ヴォーダン・オージェを持ち、機体も束が丹精込めて作り上げた一級品。しかも第三形態への移行を可能とした潜在能力でいっても世界での上位の実力者といえる。
しかし、そんなアイズでも最強という称号は遠い。
総合力でもセシリア、シールには上をいかれ、鈴やラウラといった特化タイプの土俵では対抗しきれない。そしてマリアベルには完膚無きまでに瞬殺された。
だが、アイズの持つ真価は、その経験を尽く吸収し、活かす力。生きるために培ってきた直感と経験則から来る危機察知、ヴォーダン・オージェという魔眼の解析と高速思考という特性、それらすべてがアイズを不屈を底上げしている。
諦めない。その不屈の精神こそがアイズが誰よりも勝る力の原動力。そしてレッドティアーズtype-Ⅲも、そんなアイズに合わせて作られた機体。回避重視の継戦能力、ヴォーダン・オージェの力をフルに発揮する対応力、アイズの意思とリンクしてそれに応えるコア人格。それらすべてがアイズの意思を実現するための力となる。
「いこうか、レア」
『データも十分、戦術構築も完了。反撃だね』
「最後までよろしくね」
『勝つまで付き合うよ』
鈴の甲龍のデータから再現した龍鱗帝釈布をローブのように全身に纏ったまま再び飛翔する。即座にビットがアイズを包囲するが、それでもアイズは止まらない。時折襲いかかってくるレーザーを剣で弾きながらアンチマインドに踏み込む隙を伺っている。しかし、それが容易でないことはこれまでの戦いからわかっているはずだ。
戦いを見ていた仲間たちもアイズの狙いがわからずにハラハラしながら見守っていた。
『アイズはなにを狙ってるんだ?』
『このままじゃ、今までのリプレイだよ……?』
そんな不安が現実になるかのようにビットの動きが変わる。強襲と狙撃を組み合わせたコンビネーションで再びアイズを狙うつもりだ。
このままではまた狙い撃ちにされる――――そんな危機にいながら、アイズはしかし焦ることさえしなかった。
「――――――かかった」
そして、――――アイズを狙っていたビット二機が切断された。突如として空中で真っ二つに切り裂かれたビットが数秒の後に爆散する。そこではじめてアンチマインドが動揺したかのようにわずかに動きを止めた。それほどまでになにが起きたのか理解できなかったのだろう。そしてそれは見ていた仲間たちも同じだった。気がつけばビットが斬られているという光景に目を丸くして唖然としていた。
『な、なにが起きたの? え、斬ったの?』
『アイズ得意のトリックスキル? でもどうやって……!?』
そこではじめて気付いた。いつの間にか、レッドティアーズtype-Ⅲの背部に搭載されていた兵器がいつのまにかパージされている。その兵器は二機の近接仕様BT兵器レッドティアーズ。本来ブルーティアーズのビットと同じく誘導兵器として攪乱・奇襲を目的としたものだが、アイズの持つこれにはもう一つ大きな役目がある。それがレッドティアーズtype-Ⅲに搭載されている中で最も切断力の高い兵器である微細切断徹甲鋼線【パンドラ】の展開ユニットでもあるという点だ。
その二機のレッドティアーズが、地面に突き刺さっているのだ。
当然そこから伸びる不可視の微細鋼線はアイズの機動とともにこの空間一帯へと展開され、触れたものを微塵に切り裂く切断領域を形成している。そこへ入り込んでしまったビットが抵抗することもできずにパンドラに触れた瞬間に真っ二つに斬り裂かれたのだ。
『ッ、そうか、さっき落とされたときに……!』
『全身を隠したのは、レーザー防御じゃなくてビットのパージを隠すため!?』
そうしている間にもアイズは高度を上昇させ、アンチマインド、そしてそれに付き従うビットすべてを眼下へと収める。手に持ったハイペリオンを一時的にストレージへと収納して、今度は大型の重火器をリンクを通して具現化する。
シャルロットのラファール・リヴァイブtype.R.C.が持つカタストロフィ級兵装の一つ……【ミルキーウェイ】。その圧倒的は破壊力と砲撃範囲を持つゆえに膨大なエネルギーを必要とするためにこれに加えて一緒にウェポンジェネレーターも併せて具現化する。
『掃射砲!?』
『でもあれなら……!』
「そう、これなら射撃が下手くそなボクでも、狙う必要はないッ!」
チャージ完了と同時にトリガーを引く。普段は扱い慣れていない砲撃兵器ゆえに態勢も悪く反動を殺しきれずに射線がブレるが、それでもこの【ミルキーウェイ】には関係ない。前面すべてを掃射範囲とする次元違いの魔砲ともいうべきオーバースペックウェポンだ。その尋常ならざる砲撃は範囲内にいたすべてのビットを撃ち抜き、爆散させる。その威力はダメージを蓄積させていたイージスビットすら問答無用で葬り去った。
「やっぱり撃つのって苦手だな……でもこれでチェックだよ!」
ビットは一機を残しすべて破壊した。あとは本機であるアンチマインドのみ。無論、それも脅威なのは変わらないが、ビットを失った今が勝機だ。残ったビットは防御用のイージスビットのみ。仕掛けるのはここしかない。
『ビットをほとんど破壊した!』
『さすが姉様!』
『上手いわね、奇襲と力押しの選択が絶妙だわ。やっぱあの子、土壇場に滅茶苦茶強いわね』
とにかく、これで王手だ。ビットがなければクロスレンジに持ち込めばセシリアはアイズには敵わない。今のアイズには防御手段も数多く存在するため、レーザー狙撃だけでアイズの踏み込みを阻むのは難しいはずだ。
「これで終わりにするよ!」
アンチマインドへ向けて最後の一撃を放つべくブーストをかける。当然それを阻害しようとレーザーを放ってくるが、その程度ではアイズを止めることはできない。機動力はブルーティアーズが上だが、展開したパンドラが邪魔となって本来のスペックを発揮しきれない。正攻法と搦手、両方を掛け合わせて相手の行動を阻害し、こちらの土俵で仕留めるのがアイズの戦い方だ。それを十全に発揮し、とうとう王手をかけた。
最後まで表情を変えることなく最適解を出してきたアンチマインドであるが、ここに至っては完全に追い詰められていた。最後の悪あがきとばかりにイージスビットを盾にして離脱しようとするが、それを許すアイズではない。是が非でもここで倒すつもりだった。
もちろんビットを捌くこともできるが、アイズはあえて最後は自身の全霊を込めた正面突破にこだわった。
「一夏くん、箒ちゃん! 力を借りるよ!」
アイズが手にした剣はハイペリオンではなく、一夏の白式の代名詞ともいえる雪片弐型。さらに単一仕様能力【零落白夜】を発動。ブレードが展開し、エネルギーで形成されたそれ自体が絶大な威力を誇る魔剣を構える。一夏から借り受けた剣を手に、アイズは妨害してくるレーザー射撃に対し前面へ龍鱗帝釈布を広げて射線を遮る。そしてそれを目くらましとしてさらに踏み込み、とうとうアイズの間合いに捉える。
零落白夜のプレッシャーに圧されたのか、アンチマインドも焦ったようにレーザーで迎撃するが、それに対しアイズは左手に展開した剣を振るった。
【空裂】――――箒専用に束が調整した機体に搭載された斬撃そのものをエネルギー刃として放出するブレード。箒でさえまだ完熟訓練でしか使用したことがない武装であり、当然セシリアの経験をデータとして持つアンチマインドにも未知の武器だった。初見でその飛来するエネルギーブレードを避けることができずに、とうとう最後の武装であるスターライトMkⅣを破壊される。
空裂を手放し、両手でしっかりと雪片弐型を握り締める。まるでアイズの意思に応えるように零落白夜で形成された刃が肥大化、天を衝くかのように膨大なエネルギーを放出して巨大な刀身を形成する。一夏が編み出した形状変化の力と、アイズの戦意が作り上げたアイズの意思が集約された化身だった。
「や、あ、あああああああああぁ――――ッッッ!!!!」
咆哮を上げながら、その光り輝く刃を振るう。
アイズの意地、願い、覚悟、そんなすべてが込められた剣が、とうとう届く。一瞬とも思えるほどの速さで振り切られたその一閃が、その強さを見せつけていたアンチマインドを斬り裂いた。
その一撃でアンチマインドは粒子となって溶けるように消えていく。いや、アンチマインドだけではなかった。戦場となったかつてのオルコット邸、その敷地まで含め、この空間自体が形を失うように溶けていく。
そしてハリボテとなっていた平和な光景から一転し、その下にあった真の姿が現れていく。
「―――――」
アイズは言葉を発することもなくそんな変貌していく世界を見つめていた。変わり果てたその世界に降り立ち、ISを解除する。疲れた様子のレアが再び姿を現し、少し怯えたようにアイズの手を握ってきた。その気持ちもわかる。なにせ、今アイズが足をつけている大地は焼け爛れ、炎と灰によって埋め尽くされていたのだから。
まるで地獄のような光景に身をすくませるレアを安心させるように握った手に力を込めながら、アイズが歩き出す。
懐かしかった。この景色は、あの日の場所そのもの。幸福だった場所が、一瞬で破壊され、炎に蹂躙されたあのとき、そのものの光景だった。
半壊し、炎に包まれる屋敷を前にルーアが待っていた。ルーアはアイズとレアに視線を向けながら、ある人物の傍で佇んでいた。
その人物はアイズに背を向けながら炎の中に消えていく屋敷を見つめていた。熱せられた風に髪がなびき、火の粉が舞う中で輝くように映えるその金糸のような髪が美しかった。アイズよりも背が高く、女性らしいボディラインは魅惑的でアイズも羨望するような視線を向けながらそんな少女へと向かっていく。
やがて5メートルほどまで近づいたアイズは、炎の中で浮かび上がるそのシルエットへと声をかけようとする。しかし、その少女のほうが先に口を開いた。
「―――――――わかっては、いたんです」
その声は凛としていたが、どこか寂しさが織り交ざっていた。
「思い出の、あの光景は砂上の楼閣だった。そして、この光景こそが現実なんだと」
あんな幸せな光景がずっと続いていたらどれだけよかっただろうか。あの人が生きていたらどれだけ嬉しかっただろうか。そんなささやかな思いすら踏みにじられ、現実という悪夢が思い出まですべて壊してしまった。
「そしておそらくこの光景を作り上げた存在も―――――お母様なのだということも」
少女が振り返る。
青い瞳からは涙こそ流れていなかったが、悲しみが宿り、それが溢れるように揺れていた。アイズは抱きしめてあげたい衝動に駆られながらも、じっと悲しみと諦めに染まる表情をじっと見つめた。
「本当は、もうわかっていたんです――――それでも、諦めきれなくて。それでも、――――」
セシリア・オルコットは、ただそう言った。
どうもお久しぶりです。更新が遅くなってすいません(汗)ちょっといろいろあってモチベーションが下がってました。
今回でアンチマインド撃破。次回は対話編。そして今回の過去エピソードはあからさまな伏線がありますが明かされるのは終章になりそうです。襲ってきたISと介入したIS、その正体は勘のいい方ならわかるかも。
最近は特に暑いですね、皆様も体調管理にはお気を付けください。
あと数話でこのチャプターも終わりで、次章は再び戦闘メインとなります。最終決戦前の最後の大規模戦闘となり、同時に最終決戦前のお膳立てにもなります。マリアベルさんが再び大暴れします。いや、あの人は暴れてばっかですけど。
ご要望、感想等お待ちしております。それではまた次回に!