双星の雫   作:千両花火

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Act.101 「過ぎ去りし家」

 かつてはきらめくような豪邸であっただろうその建物は今ではその半分ほどが無残な瓦礫の山となっており、半壊したその屋敷がただただ不気味な静寂を携えて来訪者たちを迎えていた。

 手入れがされなくなった庭木は無造作に成長し、敷かれた石畳をも侵食しかけていた。錆て赤く変色した門の鉄格子が、人の手が離れてからの長い年月を物語っているかのようだ。

 

「ここが……セシリアの実家?」

「完全に廃墟じゃない……どうしたらこうなるのよ?」

 

 呆然とする一夏たちの言葉を聞きながら、アイズは目隠しを静かに外す。最低限の視力を確保する程度にAHSシステムによって失われた視力を回復させる。柔らかな琥珀色に染まるその両の瞳をそっと開け、アイズ自身も久方ぶりに見る思い出の場所を見つめ、寂しげに表情を歪めた。

 

 変わっていない。セシリアとともにこの家を出たあの時から、なにひとつ……。

 

「中に入るよ」

 

 無骨な鉄の錠を取り出し、門の鍵穴へと入れると重々しい音と共に開錠する。ギィ、という音を立てながらゆっくりと門が開いていく。

 

「さぁ、こっち」

 

 アイズに先導され、一同がそのあとに続いていく。全員が周囲に視線を向けているが、この屋敷のあまりの衰退ぶりになにも言えずに沈黙が続く。

 そして次第に各々がそれに気付く。

 

「これは……銃痕じゃない」

「この壊れ方は自然災害などではない。兵器による破壊だ」

 

 ラウラが断定するように、これは地震や火事などでは決してない。人の手による、悪意の結果だ。その形跡がいたるところに見られた。

 それだけでセシリアとアイズの過去に恐るべきことがあったのだと容易に想像がついてしまう。少なくとも、かつて住んでいた屋敷がこんな有様であることが普通なわけがなかった。

 

「アイズ……これは」

「五年くらい前かな……セシィを狙って、ISが襲ってきたんだ」

 

 あっさりと言ったアイズの言葉に全員が絶句する。ISによる襲撃……しかも、当時まだ十歳ほどの一人の少女を狙っていたなど、信じられない。五年前といえば、ISが普及しはじめた頃だろう。当時はまだISは民間で手が出るようなものではなかった。そんな中でISでこのような暴挙を行う存在がいたこともショックだった。

 

「そのころ、二人は……?」

「……そのちょっと前に、セシィのお母さんが亡くなって……、うん、亡くなったってことになって、いろいろ大変だった。そのあと、ボクもこの屋敷に住むようになって、そのころからイリーナさんとも知り合ったんだ」

「姉さんと出会ったのも、そのときか?」

「うん。この家が襲われて、ちょっと経ったくらいだったかな」

 

 淡々と話すアイズだが、その表情には苦渋の色が見て取れる。おそらく、この家はアイズとセシリアの思い出の場所なのだろう。そんな大切な場所が廃墟と化しているという現実は、アイズの心にどれだけ大きな影を落としているのか、想像もできない。

 かつて、束からアイズとの出会った話を聞いたことがあったが、そのとき語られなかったアイズたちの壮絶だとわかる過去に皆がなにも言えずに黙ってしまう。

 皆が気圧されたように口を閉ざす中、そんな様子を見ていた鈴が小さくため息をついて口を開く。鈴とて気分は重いが、誰かが進行役をする必要があるとわかっていた鈴は自分の役どころを自覚していた。

 

「みんな萎縮してるみたいだからあたしが聞くわ。アイズ、それでどうしてここに来たの?」

「確認したいことがあるんだ」

「それは?」

「……亡国機業のトップの正体は聞いた?」

 

 その問に頷いたのは鈴とシャルロット、そしてラウラの三人だ。ほぼ確実となったその正体はすでにセプテントリオンのメンバーには伝えられていた。今更隠すより知っておいたほうがいいというイリーナの判断だった。しかし一夏、簪、箒の三人は合流したばかりでどんな戦いがあったのかも詳しく聞かされてはいなかった。だから告げられた内容に絶句した。

 

「亡国機業のトップ……マリアベルと呼ばれる女性の本名はレジーナ・オルコット。死んだはずだった、セシィのお母さん」

「っ……!」

「イリーナさんは薄々気づいていたみたい。できることならセシィに知らせたくなかったんだと思う。もちろん、ボクも知らなかったし、そもそもボクは直接会ったこともなかったから」

「まさか、セシリアを落としたのも……!?」

「……うん」

 

 一夏たちだけでなく、既にそれを聞かされていた鈴たちも表情を歪ませる。それは悲しみだったり、怒りだったりするが、全員が実の娘を傷つけたマリアベルに強い憤りを感じていた。そして同時にセシリアが目覚めないという理由がわかった気がした。

 ここにいる全員が、セシリアが母を敬愛していたことを知っている。セシリアが笑顔で目標とする人だと語っていた姿を知っている。

 

 そんな人に、裏切られたのだ。

 

 生きていたことさえ隠し、あまつさえずっと敵として立ちはだかってきた組織のトップという、裏切りとしか言えない現実を突きつけられたセシリアを思い胸が痛んだ。だが、そんな痛みを一番感じているのは表面上は冷静に見えるアイズだろう。落ち着いているように見えて、アイズにはいつもの爛漫さが見られない。その姿は本当は泣きたいほど辛いのに、必死に我慢しているかのようだった。

 

「あった」

 

 気がつけばリビングと思しき部屋へと入っていた。話の内容が重すぎて周囲の様子すら目に入っていなかったようだ。アイズは埃をかぶっているキャビネットの扉を開けると、中に入っていた数冊の本を取り出し、同じように埃と灰をかぶっているテーブルの上へと置いた。

 

「それは……アルバム?」

「うん。セシィは全部ここに置いていっちゃったから。まだあってよかった」

 

 そのうちの一冊を開くと、幼い姿をしたアイズとセシリアの二人が写った写真が顕になる。十歳と少し程度だろうか、まだ背も低い二人が仲良さそうにくっついて写っている。アイズの目は閉じられているが、目隠しをしていないその素顔はとても愛らしく、簪やラウラは無意識に「か、かわいい……!」とつぶやいている。

 

「あは、懐かしい。今ある写真はこの家を出た以降のものしかないからなぁ」

 

 優しげな笑みで写真を見つめるアイズだったが、すぐに表情を引き締めて二冊目のアルバムを手に取り、ゆっくりと開いていく。そこに収められている写真は、どれもが平和で穏やかな時間を切り取ったような写真ばかりだった。見るだけで幸せな気分になるようだった。アイズが写っている写真はそう多くないが、それでも大切な時間を写したものだということはすぐにわかる。

 

「…………いた」

 

 アイズが声を震えさせて言った。全員がアイズの手元にあるアルバムへと視線を向ける。そこに収められている写真に写っていたのは二人。一人は青い服を着た幼い金髪の少女、もう一人はその少女によく似た妙齢の女性……その容姿は似通っており、二人が親子であろうことが推測できる。

 

「こいつは……」

「うん、たしかに、この人だった」

 

 同じく写真を覗き込んだ鈴とシャルロットが眉をしかめながらその女性を見て声を上げた。穏やかに笑ってこそいるが、その顔はつい最近戦場で見たばかりだ。

 セシリアとアイズを撃破し、セシリアの精神を追い詰めた張本人。亡国機業首領マリアベル―――本名をレジーナ・オルコット。セシリアの母とされる女性だった。

 

「この人が、セシリアを……?」

 

 一夏が戸惑ったように難しい表情をしている。無理もない。写真の中のその人は、愛情をこれでもかというくらいセシリアに注いでいるということが見ただけでわかるほどなのだ。穏やかな笑顔の中に少しばかりの茶目っ気があり、そして幼いセシリアもそんな彼女に甘え切ったように幸せそうに笑っている。

 

「信じられない……」

 

 簪がどこか恐ろしいものでも見るように写真を見つめながら呟いた。そしてそれは全員の共通した思いだった。こんなにも優しく笑う女性が、自分の娘をこうも傷つけられるものなのか。しかも、どうやら愉快犯のような動機でやったようにも思え、それがなおさらアイズたちに混乱と困惑を与えていく。少なくとも、ここにいる者たちにはマリアベルの思考がまったく理解できなかった。

 憎んでいるわけでもない、嫌っているわけでもない。本当に純粋な好意を抱いているとわかるほどの笑顔を向けながら、刃を向けられる―――そんなことができる人間が、理解できない。

 

「……ちょっと待って」

 

 そこで唐突に鈴が声を上げる。今までとは別種の怯えにも似た感情を垣間見せながら、鈴が震える声で言った。

 

「……容姿が同じって、おかしいでしょ? あたしが見たのはこの写真と同じ顔だった。“なんで若い姿のままなのよ?”」

 

 その言葉を理解するのに数秒の時間を要し、そしてその言葉の意味を悟ると全員が唖然とする。少なくとも、この写真は十年以上は前のものだ。セシリアの成長具合から見てもそれは間違いない。それにもかかわらずに、マリアベルだけは写真の姿のまままったく変化していないのだ。戦場で顔を見たアイズ、鈴、シャルロットの三人は、マリアベルの姿がこの写真のもの、そのものだとはっきりと断言できる。

 それが意味することは――――すべて、ろくなものではなかった。

 

「偽者ってこと?」

「可能性はあるね。でも――」

 

 しかし、アイズの直感はそれを否定していた。対峙して、会話をしたアイズには恐ろしいことに、マリアベルがセシリアを本当に愛していると感じられた。そしてその愛情は、この写真から抱くイメージと正しく合致する。感覚的なものなのではっきりと断定はできなくても、アイズは半ば確信があった。

 

 この写真の女性とマリアベルは、同一人物だ、と。

 

「同じだっていうの? じゃあなんで……」

「クローン、ということは考えられないでしょうか、姉様」

「クローンって……そんな」

「なにを言っているんだ一夏。私のことを忘れていないか?」

「え? ……あっ」

 

 一般常識の観点からクローンという予想に難色を示す一夏だったが、ほかならぬラウラの指摘にハッとする。以前のタッグトーナメントの際にわずかだがラウラの意識を垣間見た一夏はそれを知っていた。

 

「そうだ。私も試験管ベビー……人工生命体だ。クローンという可能性は大いにあるはずだ」

 

 そしてヴォーダン・オージェに適合するために調整されて生み出された人間であるシールとクロエ。この二人も遺伝子と身体を修正されたクローン体だ。倫理観という問題を捨て去れば、確かにクローン人間という存在はこの世界に在るのだ。

 

「それに亡国機業はおそらくクローン技術をほぼ確立させているはずだ。一夏、おまえにもその疑念がある相手がいるだろう」

「……マドカ、か」

 

 姉の千冬にそっくりな容姿を持ち、織斑一夏という存在を敵視する亡国機業のエージェント。その正体について幾度となく考えた。それとなく千冬にも聞いたが、やはり一夏には「織斑」の親類関係に心当たりはなかった。そもそも、一夏と千冬、姉弟だけで生きてきたのだ。両親の顔すらもはや覚えていない一夏にはせいぜい、他にも姉か妹でもいたのか、という想像しかできなかった。

 だが、ここでもうひとつの可能性を示唆されたことで一夏の顔色が変わった。

 

「千冬姉の、クローンだっていうのか……」

「すでにVTシステムで織斑先生の戦闘能力の再現はしている。なら、本人そのものもコピーすればいい。そう考えたってこと?」

「笑えないわね」

 

 簪の言った懸念に一夏は背筋が寒くなった。それは脅威とかそういうことではなく、自分たちの知らないところで分身ともいえる存在が生み出されているかもしれないという、狂気が宿った現実の可能性が恐ろしかった。

 

「亡国機業にはそんな倫理観はないのかもしれないね。だから平気で誰かを模倣して、誰かを利用して、誰かを生み出すのかもしれない」

「ここまでわかりやすい悪の組織があるとはね。クソッタレどもが」

「……その組織を知るために、家探しをはじめようか」

 

 アイズの言葉に皆が視線を向ける。その視線を琥珀色をした瞳で受け止め、にっこりと笑いながら誰にも逆らえない“お願い”をした。

 

「オルコット家が、亡国機業とつながっていたっていう証拠探し。これだけの人数がいるし、なんとか今日中に終わらせよう! みんな、お願いねっ」

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 作業は難航した。

 半壊しているとはいえ、広大なオルコット邸をすみずみまで見て回るだけでも相応の時間を有した。本来ならもっと大人数で行う、人海戦術をとってしかるべき作業だ。

 それをしなかった理由は、その許可が降りなかったからだった。当然、イリーナはこの屋敷を一度徹底的に調査している。めぼしい資料はすべて押収しており、残っているのは先程のアルバムのような個人的なものばかり。つまりはただの廃墟に等しい状態だった。

 そんな場所をもう一度調べたいというアイズの要望の許可は出したが、カレイドマテリアル社とて猫の手も借りたいほど多忙なときに人を回す余裕がなかった。なにか残っているという確証もなかったためになおさらだった。

 しかし、ここしかないのだ。セシリアとマリアベルを繋ぐなにかがあるかもしれない場所はここ以外には存在しない。

 マリアベルの正体。それを明かすためには、些細なことでもなにか新しい情報が必要だった。だからアイズはそれを探しに来たのだ。

 

 セシリアがなにに絶望し、昏睡しているのか。

 

 マリアベルがなにを思い、敵となって立ちはだかっているのか。

 

 この母娘には、いったいなにがあったのか。

 

 セシリアに一番近いアイズでさえ、そこまでのことは知らない。ならば、少しでも可能性があればそこに賭けるしかない。

 それに、実際無策というわけではなかった。一度調査したとはいえ、そのときにアイズがいなかったために“コレ”を使ってはいなかった。

 

「アイズ、どう?」

「…………ここは、違う。次に行こう」

 

 アイズは瞳を金色に輝かせながら部屋の至る場所を凝視する。

 そう、ヴォーダン・オージェによる解析である。普通ならば一見なんの変哲もない場所でも、この瞳の解析によって擬態しているものはすべて暴かれる。隠し扉、不自然な立て付けなど、人の手が加えられているものはすべて看破する。

 アイズとラウラの二人を中心に、他の面々はなにか違和感のありそうな場所の洗い出しを行い、気になった箇所を二人が見て回っている。

 

「本当に、なにかあるのかな?」

「可能性としては一割もないだろうけど、ね」

 

 コンコン、と壁を叩きながらアイズが答える。

 音の反響具合から判断しても隠し部屋があるとは思えない。ヴォーダン・オージェの解析にも違和感はない。この部屋もハズレだろう。次の部屋に向かおうとアイズが一歩踏み出したときだった。

 

「……ん?」

 

 足元に違和感。正確には足音だ。もう一度同じ場所を踏みつける。音の反響がわずかに違う。気づかなくてもおかしくない微差であるが、聴覚と直感に優れたアイズはそれを敏感に感じ取る。すぐさまその場にかがんで瓦礫や砂利で覆われた床に顔を近づける。邪魔なものをどかしながらアイズはじっと床に視線を這わせた。

 

「なにかあったの?」

「……配線されている」

「配線?」

「通した形跡がある。この先には……」

 

 顔を上げながら床下に敷かれているとみられる配線の先へと視線を向けていく。この先、部屋を出て廊下を進み、そして壁を超えて外へ――――。

 窓から外へと飛び出し、さらにその先を探す。どうやら庭園の石畳の通路沿いに敷かれているらしい。さらにそれを追いかけていくと、噴水の裏手の死角、そこで形跡が途絶えた。

 

「簪ちゃん、みんなを」

「もう呼んだよ」 

 

 携帯を手にしながら簪が答え、すぐにアイズの横で地面を掘り起こす作業に取り掛かる。手に持ったスコップがなにか硬いものにぶつかる感触を伝え、それが岩盤や地層の硬さではなく、人工物によるものだとすぐにわかった。

 おそらく地下に作られた隠し扉だ。

 

「アイズ、ここ」

「この扉の開閉のための配電のためなのかも。電気なんて今は通っていないし、旧式とはいえどうせプロテクトもかかってる。ここは……」

 

 そこで他の場所を探していた面々が合流してくる。アイズが顔を上げ、駆け寄ってくる皆の中でもっともこの場に必要な彼女に目を向けた。

 

「鈴ちゃん、出番だよ!」

「うん?」

 

 いきなり呼ばれた鈴が首をかしげるも、地下にあったそれを見ておおよそのことを悟ってISを起動させた。右腕だけを展開し、他の面々を下がらせる。

 

「マジであったとはね。いいのね?」

「お願い」

「よいしょおッ!」

 

 鈴は貫手を扉へと放ち、力づくで分厚い鋼鉄製の扉に穴を開ける。グッと力を入れ、扉を変形させながらゆっくりと引き剥がしていく。

 いくら分厚い鉄製の扉でもかなり古いもののようだ。対ISを考えているようなものではなく、鈴と甲龍のパワーであっさりとその中身をさらけ出した。

 

「古臭いシェルターね。……いや、これは」

 

 はじめに中を覗き込んだ鈴が言葉を詰まらせるように沈黙する。そんな鈴の反応を訝しげに思いながら、アイズも続けて中を覗き込む。

 中はそれほど広いわけでもないが、人が二人くらいは入れそうなスペースがあり、机と椅子。そしてたくさんのモニターが備え付けられていた。所狭しと様々な機械で埋め尽くされたそこは異様な空間だったが、この隠された空間がどんな場所だったのかはすぐにわかった。

 

 ここは―――――監視部屋だ。

 

「…………」

 

 アイズは表情を険しくしながら中にあった資料と思しき紙束を掴み取るとさっとそれに目を通す。書いてあることはまさに観察記録とでもいうべきものだ。事細かに、観察対象の動向を記したものだった。すぐにそれの最も古いものを探り出し、その日付を見て絶句する。

 身体の成長から思考傾向にいたるまで、ありとあらゆることが記された記録。それが、少なくても十年分。おそらくこの家で過ごしたほぼ全ての日を余さず記録しているのだろう。

 どんなに友好的に見たとしてもホームビデオの延長にはとても見えない。まるで実験対象を逐一観察し、記録しているかのような、そんなまるで実験室で飼っている動物の観察記録のように、淡々と対象の変化を記したそれにおぞましい狂気があるように思えた。

 

 そしてその対象者の名前は―――セシリア・オルコット。

 セシリアが生まれ、この家で過ごした十年の月日の記録がまったく温かみのない無機質なものとしてここにあった。

 

「…………」

 

 表情を険しくさせながらいくつかに目を通す。どれもこれも、まるでモルモットの観察日記のように人を人とも思わないような表現ばかりだ。しかも内容を見るに、やはり母であるレジーナの指示だったことも文章から見て取れる。娘に対しこんな真似ができるというだけでも悪魔のように思えてしまう。そんな不快な文章を流し読みしていくとやがてある日付の記録に目が止まった。

 それは、おそらくアイズがセシリアと出会った頃のものだ。そこに記されていたのは「対象が逃亡した被検体ナンバー13、廃棄対象者と接触」という、アイズにとって忌まわしい名称だった。

 この被検体ナンバー13とはアイズのことだ。廃棄対象とあることからも間違いないだろう。そしてかつてアイズにつけられていたこの名前とも呼べない分別記号を知っているのは本人を除けばひとつだけ。アイズを改造し、この眼と脳をナノマシンで侵した組織だけだ。

 そしてシールから、それは亡国機業の前身であるという情報を得ている。一応はまだ偏屈な愛を抱いていただけの可能性もあったが、これでほぼ確定だろう。

 

「レジーナさんは……ううん、たぶん、オルコット家そのものが亡国機業とつながっていた」

「でも、そんなことが……」

「秘密裏に、だとは思う。イリーナさんも疑念はあっても確信はなかったみたいだし、今はもう無関係になっているだろうし」

「なら、やはり……」

「本物かどうかはまだわかんないけど、……マリアベルさんがセシィと関わりがあるのはほぼ確定かな」

 

 レジーナ・オルコットでも、そのコピーでも。どちらにしてもセシリアと関わりがあることは間違いないだろう。ただのブラフだったらよかったが、そんな安易な希望はそもそも存在していなかったらしい。

 

「じゃあセシリアはずっと……」

「亡国機業がなにか目的をもって育てていた、ってことに、なる……んだろうね」

 

 もっとも、こんなものを見せられては育てるというより飼われていたと言える有様だ。表向きは幸せそうな家族に見えるのに、裏ではこうも冷え切っていたなど、いまでも信じられない。まるで、二重人格か別人のような印象さえ受ける。アイズは少々混乱していた。

 

「……とにかく、これで確証は得られた。記録が途切れているのはちょうどレジーナさんが亡くなったとされる時期だから、それ以降はセシィの監視はなくなったと思うけど、でも」

「それが今になって、また現れたと……残酷な真実付きで」

「真実はまだわからないけど、事実ではあるだろうね」

 

 確かにレジーナは亡国機業と深く関わり合いがあり、そして今現在自分たちにとって最大の脅威となる敵には違いないだろう。しかし、なぜそうなってしまったのか、どうして敵対するのか、どんな目的があってセシリアを育て、そして手放したのか。おおよそ非道な行いをしていることがわかってもその理由までがまだ見えてこない。

 なによりも―――――。

 

 

 

 ――――――どうして、こんなものが残っているのだろう?

 

 

 

 探しておいてなんだが、アイズとてこんな重要資料が残されているとは思っていなかった。最悪、写真かなにかでマリアベルがレジーナであると知ることができれば御の字だと思っていた。

 こんな確定的な資料が残っていることが不自然すぎた。イリーナが行った調査にひっかからなかった理由はまだわかる。ヴォーダン・オージェで注視してやっと気付いた仕掛けに、建物ではなく庭園部にあった隠し部屋だ。本来なら壊すつもりで調査、解明するであろうイリーナがセシリアの生家ということでそこまでをしなかったことも、あの暴君の意外に情に厚い性格を知っていればわかる。

 

 だが、――――どうしてマリアベルはこれを回収しなかったのだろう。

 

 これは残していいい資料ではない。すぐさま処分するべきものだ。それなのに、それをしていない。レジーナが健在なら、すぐにでも行うべき隠蔽のはずだ。

 なら、どうしてこんなものが未だに存在しているのだろうか。そもそも、自分のことも知られていたのなら、どうして見逃したのだ。廃棄対象となったとはいえ、当時でもヴォーダン・オージェを発現させていた。処分しようとするくらいしてもおかしくはないのだ。仮になにか目的があってアイズを泳がせていたのだとしても、それでもやはりこの資料を残しておく理由がない。

 

 

 

 

 ――――回収できなかった? いや、でもそんなはずない。別にこの家に警備がいたわけじゃないし、亡国機業の力をもってすれば強引に破壊することだってできるはずなのに……。

 

 

 

 わざと残していた、というのも疑問が残る。見つかるかどうかもわからないし、なにより残しておくメリットが思いつかない。

 

 

 

 ――――まさか……知らなかった?

 

 

 

 ふと思いつくがそれもないだろう。レジーナがやっていたであろうことを、どうしてマリアベルが知らないのだ。そんなわけないか、と思いながらアイズは奇妙な違和感を覚えてしまう。

 だがその違和感がどういうものなのかわからず、アイズはただ困惑するだけだった。

 しかし、これである程度のことはわかった。あとは予定通りの手段で確認するしかないだろう。束からは明日にはその準備が整うと言われている。

 

 でも、それで真実はわからないかもしれない。それでもセシリアを取り巻く、セシリアの現実と運命を垣間見ることはできるはずだ。

 

「アイズ、どうするのだ?」

 

 黙り込んだアイズに箒が声をかける。アイズと同じように胸糞が悪くなる資料を見て顔をしかめていた面々もアイズに注目した。全員の視線を受けて、アイズはしっかりと見つめ返した。

 

「まだ真実はわからない。でもわかったことはある」

 

 敵の事情とかはこの際どうでもいい。大事なことは、今の現状がセシリアにとって悪夢としか思えないほど残酷なものだということだ。

 だから、迎えにいかなくちゃいけない。今なお眠り現実へ帰還しないセシリアを。

 

「今、セシィをひとりにしちゃいけないんだ」

 

 残酷な現実でも、それだけではないことを伝えるために。

 

 かつて、セシリアがそうしてくれたように。

 

「どうするんだ?」

「……ボクのヴォーダン・オージェとISコアネットワークを使って、セシィの深層意識に同調するの。みんなにも、協力してほしい」

 

 

 王子様のキスでも今の眠り姫は目覚めない。

 

 ならば、夢の中にまで迎えに行けばいい。現実が辛いなら、手を引いて一緒に行けばいい。一人じゃあ怖いことがたくさんある。立ち向かえないこともたくさんある。

 

 それでも、一緒なら立ち向かえる。

 

 それが、アイズの答えだった。

 

 

 




過去への探求回。こうした回はあまり面白くないかも(汗)
次回からセシリアの記憶の中へと舞台を移します。セシリアとマリアベルを結ぶ因果に迫る過去編となります。

しかしISがまったく出てこない(苦笑)このチャプターではIS戦は最後くらいしかない予定です。
ある程度の伏線回収と新たな伏線を張り巡らせるチャプターなのでいろいろ気を遣いながら書いています。

ご要望、感想等お待ちしております。

ではまた次回に!

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