アイズは恐怖していた。
目の前にいる女性―――亡国機業の首領であるというマリアベルと対峙したアイズは、自身の持つすべての力を発揮しているにも関わらずになにもできない、なにも“視えない”ことにこれまで経験したことのない未知の恐怖に支配されていた。
「反応速度、判断力、そしてその眼を宿してなお自分を保つ精神力。どれも素晴らしいわ。こんなこといったらあの子は怒るかもしれないけど、シールとほとんど遜色ないわ。失敗作がよくここまでなったもんだわ。シールがこだわる理由もわかる気がするわね。ふふっ」
「ボクは……、……!」
「純粋な賞賛よ? あなたは強い。その心がね。ただの失敗作かと思えば、えっと、なんだっけ? 棚からぼた餅? やっぱり心が伴っていなきゃダメってことねぇ。シールもそう思い始めているわ。あなたの影響かしらね」
「………」
「もっともっと、シールと戦って欲しいわぁ! そうすればあの子はもっともっと人間らしく、そして人間を超えていける。本当に天使になれるかもしれないわね」
「……人間なんて、超えたって意味なんか、ない。ボクも、それにシールだって、ただの人間でよかった。特別なんかじゃなくてよかったんだ」
「それはあなたの願望でしょう? 残念だけど、夢や理想を見つけることも叶えることも本人の意思だけど、運命だけは理不尽に与えられるものなのよ?」
「あなたが、それを言うんですか! あなたが……、セシィの母であるあなたが! そんな言葉で!」
「うふふ。私は魔女だもの。私は与える側。理不尽に、理不尽な運命を、理不尽な気まぐれで配るの。それが私―――マリアベルという存在だから」
その言葉は傲慢なものであったが、しかしマリアベルはまるで純粋さをそのままにしたような笑顔で言ってのける。それが自分という存在だと、心の底から思っているようで。
隠し事などない、すべて本音だというように、マリアベルはオープンにアイズと接している。そしてそれは、アイズの並外れた洞察力と直感をもってしても真実かどうかも判断できなかった。しかし、唯一、アイズが絶対に確信が持てることがあった。
この人を、セシィと会わせちゃダメだ――――!
ただそれだけがはっきりと認識されていた。
マリアベル。彼女は自分がセシリアの母親だと語った。それを笑い飛ばすことも、無視することもできた。しかし、アイズは理解した。理解してしまったのだ。
それは、――――おそらくは真実だと。
確証があったわけじゃない。ただ、そのマリアベルが見せる仕草が、笑顔が、言葉が、そのすべてがセシリアと重なるのだ。似ているわけじゃない。むしろまったく質が違うのに、そのオリジンがひとつに重なってしまう。アイズにはそう感じられたのだ。
そして、アイズ自身は直接的な面識はなくとも、何度もセシリアから聞いていたセシリアの母――――レジーナ・オルコットの印象とマリアベルはほぼ完璧に一致する。頭脳明晰、才色兼備であり、見るものを魅了するかのような魔性の美貌を持ち、それでいて誰とでもフレンドリーに接するフレンドリーな女性。いたずら好きで、よく気分だからという理由で突拍子もないことを実行したりしていたらしく、そして少しだけ嘘つきだったという。
それが正しかったように、勝てば教えるといった舌の根が乾かないうちにマリアベルはあっさりと自身の正体を暴露した。おそらくは、隠すより言ったほうが面白そうだという理由で。
それだけでなく、今回のこの舞台を演出するためにわざわざでっちあげた理由でシュバルツェ・ハーゼを反逆罪として陥れたこと。そんなシュバルツェ・ハーゼをわざと逃がし、アイズたちセプテントリオンの介入を誘ったこと。そのすべては、ただセシリアと会うことが目的だったこと。
それだけのために、いったいどれだけの人間を陥れたのか。おそらくマリアベルも理解している。その上で、笑ってこのような暴虐を行っている。
「くす……さ、もっとがんばってみましょっか?」
どこか子供っぽさを残しながら、誰よりも先を見据える母としても、女性としても尊敬できる人だった、と……ほかならぬ、娘であるセシリアが誇らしげに語っていたのだ。
しかし、その人はセシリアにとって最悪の存在として現れてしまった。これまでセシリアを苦しめ、挙句に明確に敵対するという裏切りをやったこの魔女を、セシリアに合わせればどれだけ傷ついてしまうだろう。どれだけまた苦しんでしまうだろう。アイズは、ただそれが許せなかった。
マリアベル――――レジーナ・オルコットは、セシリアに絶望を与える存在。それを、許せない。
「あなたを、セシィに会わせるわけにはいかない!」
「なぜ?」
「あなたが―――――本物の、母なら。それは、セシィを苦しめるだけだからだよ!」
「あら、あなたはそこまであの子を想っているの?」
絶望を与えようとするマリアベルをはっきりと拒絶するアイズに興味をそそられたように目つきを変えてアイズの金色の瞳を凝視する。その眼はごく普通のものに見えるのに、まるでアイズやシールと同じ魔眼のように見る者を見透かしてしまうほどの深淵があった。
「あなたがすることは、セシィのためなんかじゃない」
「まぁ、そうね。半分くらいは違うわね」
「そんな人に、セシィは渡せない。セシィは、ボクが守る……ッ!」
「どうしてそこまで?」
「ボクは、セシィが好き。愛しているから!」
その言葉に、マリアベルの笑みの質が変わる。
もはや人の良さそうな純粋無垢な笑顔ではない、まるで獲物を視界に捉えた爬虫類のように、粘着するような視線を舐めるように這わせてくる。中身がまるごと変わってしまったのではないかと思うほどに、その表情のギャップはそれだけでアイズを戦慄させた。
「へぇ、面白いことを言うのね。でも私だってセシリアを愛しているわ。娘だもの。母である私が愛を抱かないわけがないわ」
「その愛は、誰のためのものなの?」
「もちろん、私とセシリアのためよ」
「それじゃあ、セシィは幸せにはなれない。愛情は、一方的でも、一人ぼっちでもダメなんだ。分かりあわなきゃ、ダメなんだ!」
それはアイズが抱く愛というものの価値観そのものだった。独りよがりではない、心から信頼している人と一緒に育むもの、それが愛情だと信じていた。
マリアベルのように、愛していると言いながらその相手を騙し、裏切り、弄ぶ行為を平然と行うことでは決してない。アイズは、それが認められない。
「なるほど。確かにあなたは正しいでしょう」
しかし、そんな指摘を受けてもマリアベルは揺るがなかった。
「あなたはそう愛せばいいわ。でも、私の愛は、私だけのものよ」
「そんな勝手……ッ!」
「あなたはそのままでいいわ。これからもセシリアと仲良くしてあげてね」
話にならない。アイズがどれだけ訴えても、マリアベルはそれをすべて受け入れ、それでも自分の考えを一切曲げようとしない。対話をしているのに、その中身はすべて一方通行だ。アイズが一人相撲をしているみたいにまったく意に介されていない。どこまでも不遜に、自己を貫く様は潔さを通り越して世界から切り離されている絶対の孤高のような虚しさや寂しさすら覚えてしまう。
「でも、ひとつだけ譲れないなぁ」
「え?」
「セシリアを一番愛しているのは、この私よ」
目の前に傘を模した武器が迫るそれを視認したアイズが防御すら間に合わせられずに弾き飛ばされる。ゴロゴロと地面を無様に転がりながら必死に体勢を立て直して武器を構える。だが、その顔は苦渋さがにじみ出ていた。
「……み、見えない……ッ」
マリアベルの行動が一切見えない。いったいいつ武器を構えたのか、いったいいつ距離を詰めたのか、いったいいつアイズのヴォーダン・オージェの解析をすり抜けたのか。
気がつけばマリアベルはアイズに攻撃を加えていた。防御すら間に合わない。アイズはただ気がつけば攻撃されているという不可解な事態にただただ困惑するだけだった。まるで時間でも止めているのではないかという荒唐無稽なことすら思ってしまうほどに、その理不尽な現象にアイズはそれでも戦おうとする。だが、それはあまりにも無謀だった。
なぜなら、――――アイズは既に“【L.A.P.L.A.C.E.】を発動させているにも関わらずにマリアベルの影すら捉えられていない”のだから。
あらゆる情報を獲得し、数秒先の未来を絶対の予知とするアイズの奥の手――第二単一仕様能力【L.A.P.L.A.C.E.】。それがまったく通用しないのだ。
それはすなわち、マリアベルはヴォーダン・オージェでさえも及ばない領域に存在することを意味していた。しかし、あらゆる事象を観測し、予測するこのアイズの能力から逃れる存在など想像することもできない。目の前にいるこの存在がまるで幽霊のように思えてくる。
意識をシンクロさせたコア人格であるレアも困惑と恐れを感じていることがアイズに伝わっていた。おそらくなにかしらの能力――単一仕様能力だと思われるが、それがいったいどういうものなのかまったくわからない。シールのように人間の限界を超越した反応速度で対処されることはあっても、それでもシールの動きはすべて観測できていた。それなのに、マリアベルにはそれすらも通用しない。そもそも観測すらできないという事態ははじめてだった。だから対処法さえわからない。対処するための情報がまったく得られないのだ。
「ごめんねぇ、私とあなたの能力じゃ相性が悪すぎるわ。一方的になっちゃうけど、―――でも、許してくれるわよね? だって敵同士ですもの、ね」
「くっ……」
「さて、せっかくだし、あなたにはセシリアのための生贄になってもらいましょうか。でも安心してちょうだい。シールがあなたとの決着を望んでいるから、殺すなんてことはしないわ。ちょっと眠ってもらうだけだから。セシリアをその気にさせるために利用するだけだから」
「そんなこと、嫌だね!」
「残念だけど、拒否権は弱者にはないのよね。あなたもよく知っていることでしょう?」
マリアベルが一歩、アイズに向かって歩く。全神経を集中させてそんなマリアベルの挙動を見据えるアイズであるが、それはまたしても一瞬で突破される。
二歩目でマリアベルの姿がアイズの視界から消え失せ、同時に頭部に衝撃。意識が遠のいていく中で、アイズは最後の力を振り絞って右手に握ったハイペリオンを振るった。ほんのわずかに剣先がかすめる感触を覚え、アイズは「やっぱり幽霊じゃなかったんだ」という、どこか場違いなことを思った。
それは絶望が現実に具現化したという、証左だった。
***
「う、うう……」
次にアイズが意識を取り戻したとき、既にアイズが恐れていた光景が目の前に広がっていた。
傷ついたセシリアと、そんな彼女と対峙するマリアベル。セシリアの表情はアイズでも見たことがないほどに歪んでおり、絶望に染まりかけているとひと目でわかるほどだった。おそらくマリアベルの正体を知り、その現実を拒みたいのに拒めない。そんなジレンマに陥っているのだろう。
アイズでさえ、マリアベルという存在そものに強い忌避感と恐怖を覚えたのだ。それは、娘であるセシリアが見ればどれほどの絶望なのか。こういう事態を避けたかったのに、結局なにもできなかった。強い無力感に打ちのめされそうになりながらアイズは身体に力を入れる。
まだ、最悪じゃない。母娘で殺し合いなんて、させちゃいけない。もし仮にセシリアがマリアベルを――母であるレジーナを殺めるようなことがあれば、きっともう立ち直れない。そしてセシリアをよく知っているアイズはわかっていた。セシリアは、射てない。冷静に見えてセシリアは感情で動くタイプだ。普段はそれを立場や理性で抑えているだけで、本当なら感情のままに引き金を引くような人間だ。だからこそ、セシリアは好意を持っている人を射つことができない。冷静になればなるほどそれは顕著になるだろう。迷っていればまだよかった。だが確信をもてば、それは絶対に無理だ。
そして、今のセシリアはおそらく確信を持っている。マリアベルが、自身の母であると。
だから、もうセシリアは戦えない。黒か白よりも、灰色ならまだよかった。だが、確定してしまえば、セシリアの感情が否定しても理性は肯定してしまう。結果、心の板挟みとなって身動きが取れなくなる。そうなれば、抗うことさえできずに敗北が決定する。
それは、ダメだ。
「セ、シィ……!」
思った以上にアイズとレッドティアーズtype-Ⅲの損傷が深刻だった。嬲られるようにして蓄積されたダメージは既に機体損傷度のレッドゾーンにまで至っている。そしてアイズ自身もヴォーダン・オージェの過剰使用のためにAHSシステムが完全にナノマシンの活性を抑える強制抑制モードになっている。視力を確保することがやっとで、とても解析や未来予測をする力までは残っていない。
それでもここでなにもしなければセシリアを助けることなんてできない。
「セシィ……!」
口の中に溜まっていた血を吐き出し、機体出力を上昇させる。エラーとアラートが響いたが、レアに謝りながら機体に無理をさせて立ち上がる。
セシリアは戦えない、ならば自分が盾になってでも守らなければ―――!
それだけを考えてアイズは気力を振り絞る。セシリアを守れるのなら、この身を犠牲にすることだって厭わない。そんな悲愴ともいえる覚悟でアイズは痛みをすべて無視して立ち上がった。軋む身体と機体を無理矢理にでも動かし、まったく動けないセシリアの前へと躍り出る。
すでに戦うこともできないアイズはただその身を盾にするために二人の間に割って入る。手を広げ、退かない意思を込めてマリアベルを睨み―――――そして、アイズは自分のミスを悟った。
マリアベルは笑っていた。邪魔に入ったはずのアイズを見て、その視線をしっかり重ねた上でアイズに微笑みかけたのだ。まるで、よくできたね、と褒めるように。そして同時に、嘲るように。口の端を釣り上げ、歪んだ三日月のような魔性の笑みを見たアイズは、自分のこの行動すらもマリアベルの掌の上だったと理解してしまった。
―――――しまった、この人の狙いは………!
気付いてももう遅すぎた。今更ここで退くこともできない。この状況こそが、マリアベルの本当の狙いだったのだ。
だから痛めつけても行動不能まで追い込まなかった。マリアベルからセシリアを守ろうとすることさえも、マリアベルがそう誘導させた結果――!
すべては、“セシリアの目の前でアイズを斬る”。そのためだけに、こんな馬鹿げたことを仕組んだのだ。
アイズからすればこんなことを思いつく事自体が信じられないといえるほどの愚かで、悪意に満ちたことだというのに、マリアベルはただ当たり前のように実行してしまった。魔女の異名に相応しい、無垢な害意の蛮行だった。
だが、それに屈した。アイズはマリアベルの思うように動き、ただ道化としての役目を全うしてしまった。それが悔しく、そして自身の無力さを思い知らされた。
アイズにできることはもうひとつしか残されていなかった。
笑う魔女に斬られ、意識が暗闇へと染まっていく中、アイズはセシリアへと振り返る。現実が受け入れられていないように唖然として固まっているセシリアに悲しげに微笑み、ただ一言、偽りのない気持ちを言葉にした。
「ご、めん……セシィ……」
友を想うことすら蹂躙され、アイズは深い闇へと落ちていった。
***
――――――――。
――――――。
―――……。
……。
「……………ん、ん」
次にアイズが意識を取り戻したとき、慣れ親しんだ暗闇の中にいた。未だ茫洋とする意識の中で無意識に手を目元へとやると、包帯が仰々しいほどに目に巻かれていることがわかった。試しにAHSシステムを起動させようとすると、完全に抑制モードに入っていてアイズでも解除できなかった。使用者であるアイズ以上のシステム権限を持っているのは束だけだ。どうやら束がこの眼の処置をしてくれたようだ。
そうしているとほとんど真横に一人の気配があることに気付く。その気配でその人物を探ろうとする前に、きゅっと優しく手を握られた。手の大きさと温度、握り方でそれが誰かすぐにわかった。
「無事だったんだね、ラウラちゃん」
「……姉様」
沈んだ声のラウラに、アイズも胸が締め付けられそうになる。まただ。また妹にこんなにも心配させてしまった。自分はダメなお姉ちゃんだ、と自省しながら、ラウラを安心させるように笑いかける。
「クラリッサさんたちは無事?」
「はい、皆、無事に保護していただきました」
「そっか。よかった。ラウラちゃんががんばったおかげだね」
「私など……、皆の協力があったおかげです。でも、姉様とセシリアが……」
「………セシィは?」
「……まだ、意識を取り戻していません」
「そっ、か」
それを聞いたアイズが痛む身体を無視して起き上がろうとする。しかし、無視しようとしたそばから本当に激痛がアイズを襲った。痛い。本当に痛い。ISでダメージを緩和しているとはいえ、それでも操縦者にも多大なダメージを受けていたためにアイズの身体も絶対安静一歩手前くらいの大怪我を負っていた。痛みでバランスを崩すアイズをラウラが慌てて受け止める。
「姉様! 無茶をしないでください!」
「あー、痛い。痛い、けど、行かないと……」
「姉様……!」
「ラウラちゃん、ごめん、セシィのところまで連れて行って」
「ダメです! 姉様も重傷なのですよ!?」
悲痛な顔でやめてくれと訴えるラウラに申し訳ないと思いながら、それでもアイズはそれを拒む。
「お願いします姉様、これ以上の無茶は本当に危険です! 姉様は私のわがままに大怪我までして……! 私はそんな姉様に報いることができないのに、これ以上私のせいで姉様が苦しむのは……ッ!」
「ラウラちゃん、それは違うよ」
有無を言わせないほどの力が込められた言葉でラウラの言葉を遮った。そして、アイズは心の底から想っている本心を一切の誇張も謙遜もせずに言葉へと変えた。
「ボクは、ラウラちゃんのために戦ったことを、苦しいだなんて思っていない」
「……ッ」
「ボクは、妹のために戦えることが嬉しかった。ラウラちゃんの助けたかった人たちを助ける手助けができて、誇らしいとすら思う」
「…………」
「その結果がこれでも、ボクは後悔なんてしない。するわけがない。それにボクが報いたいっていうなら、言ってほしい言葉は謝罪じゃないよ」
「姉様……」
「“ありがとう”。それだけで、ボクは報われるんだよ」
眼を閉じていても、それでもアイズの心がラウラへと伝わってくる。まっすぐな気持ちを向けてくる姉に、ラウラもそれ以上のこは言えなかった。いや、言えることはある。言わなければいけないことだけは、あった。
ラウラは目に溜まった涙を乱暴に拭うと、すっと立ち上がる。
「………総員、集合!」
「へう?」
ラウラが突然姿勢を正し、号令をかけると部屋の外にいた複数の気配が一斉に動き出したことをアイズが察知する。バタバタ、ドタドタと慌ただしい音が響き、そして部屋の中へと大勢の人間の気配がなだれ込んできた。それはアイズがまだよく知らない気配ばかり。しかし、その気配の数からそれがシュバルツェ・ハーゼの隊員たちだとすぐにわかった。
眼を閉じていたために気配しかわからなかったが、アイズの前にはクラリッサをはじめとした今回保護されたシュバルツェ・ハーゼの全員が揃って整列していた。何人かは目が赤くなり、涙を拭った痕もある。そんな隊員たちに再びラウラが腹に力を入れて号令をかける。
「今回の救援、シュバルツェ・ハーゼ一同、心より感謝いたします!」
全員が揃って深々と頭を下げる。
気配からそれを察していたが、アイズは急な事態に困惑したようにオロオロするように挙動不審になっている。
「そして……私と、シュバルツェ・ハーゼのすべては大恩ある姉様に、……この身を惜しまず、いついかなるときも姉様のために。我ら、もう今は無き黒ウサギ隊は我ら自身の願いと意思で、姉様に尽くすことを誓います。我ら全員の命運は、すべて姉様と共に」
そんな宣誓を聞いても未だにアイズの困惑は続いていた。
「え、えっと……イ、イリーナさんからは?」
「もう戻れないだろうからうちで預かってやると。その気があれば馬車馬のごとく扱き使ってやると言われています。私たち全員がその所存です」
揺ぎのない意思の込められた言葉を聞いて流石のアイズもどうしたらいいのかわからずに狼狽えてしまう。すべては貴方のために、と……そんな献身の誓いを告げられればどう答えたらいいのかも見当もつかなかったが、それでも彼女たちの本気さは痛いほど伝わってきた。正直、自分にそれほどの価値があるのかもわからないが、応えることが礼儀だと感じた。
「…………ラウラちゃん、それに黒ウサギ隊のみんな」
「はい」
「ありがとう。そう言ってもらえて、ボクも嬉しい」
もどかしくもあるし、気恥ずかしい思いもある。だけど、それ以上にアイズは好意を向けられることがたまらなく嬉しかった。
目を隠していてもわかる溢れんばかりの笑顔を浮かべたアイズがラウラ達に向かってはっきりと告げる。
「みんな、ボクの自慢の妹たちだよ。姉として、ボクは幸せだよ!」
「ね、姉様ぁ~!」
「「「「義姉上様ーッ!!」」」」
セプテントリオン分隊となる新生黒ウサギ隊誕生の瞬間であった。
***
ラウラに支えられ、アイズはセシリアのいる病室へと向かった。ここはアヴァロン内の医療区画の中らしく、島の警戒レベルも最大に上げているためにおそらく一番安全な場所とのことだ。
シュバルツェ・ハーゼ――――黒ウサギ隊の全員がカレイドマテリアル社へと参入することになり、そのあたりの手続きをするためにクラリッサ達はイーリスに連れられて本社のほうに向かった。イリーナとしてもIS部隊の隊員たちを丸ごと手に入れられる機会を逃すつもりはなかっただろう。もちろんそのリスクはあるが、そのあたりはイリーナの得意の謀略でどうにかするのだろう。その手の手腕は暴君の二つ名に相応しいものだ。そのあたりはアイズもあまり心配はしていなかった。
ともかく、これでセプテントリオンの戦闘要員も大幅に増員されることになる。この分ならもしかしたらもうひとつ部隊を作るかもしれない。
アイズとセシリアが落とされた今、戦力確保は急務だったこともあるだろう。今もセプテントリオン内は小さくない動揺がある。対処は早いほうがいいだろう。セプテントリオンにとっても、アイズ自身にとっても。
「……ここです」
ラウラに先導され、その部屋に入るとアイズが最も慣れ親しんだ気配があった。今のアイズは視力がないが、それでもその気配がセシリアで、そして衰弱していることがすぐにわかった。
ベッドに寝かされているセシリアに近づき、その手をぎゅっと握る。かろうじて体温を感じ取れるほどその手は冷たく、まるで仮死状態にでもなっているかのように生命の鼓動が感じられなかった。ただ静かに伝わってくるゆっくりとした心音がその手を通じてアイズへと響いている。
「セシィ……」
「怪我自体は、重傷ではありますが致命的なものはありません。ですが……」
「目を覚まさない?」
「はい。もう意識を取り戻してもいいのですが、……」
セシリアの精神が弱っている。もしくは、現実を拒絶している。そういう状態の可能性が高いらしい。今もセシリアは時折苦しそうにしており、まるで悪夢に魘されているかのようだった。いや、それはまさに……。
「……悪夢が、現実になっちゃったんだ」
「姉様?」
「ラウラちゃん、もしボクが敵になったら戦える?」
「……! む、無理です。私は……」
「セシィも、きっと今はそうなんだ。でも、それが現実で、どうしようもないから苦しんでいるんだ。どうやって現実を受け止めればいいか、わからないんだ。だから目を覚まさないんだよ」
アイズはセシリアの現状を直感で理解していた。セシリアが、今なお苦しみ続けていることも。そして、おそらくこのままではセシリアは潰れてしまうであろうことも。
だから、アイズは自分がどうするべきなのか、どうしたいのか。はっきりと自分の役目もわかっていた。自分は、セシリアの親友。
アイズにとってセシリアは半生を共に生きてきた唯一無二の相棒。誰からも祝福されず、ただ使い捨てにされ消えるはずだったアイズがはじめて愛を抱いた人だ。
そんな人のためにアイズ・ファミリアという存在すべてを捧げることさえ躊躇うこともない。アイズが絶望と暗闇の中にいたとき、そこからすくい上げてくれたのはセシリアだ。ならば、次は自分の番だ。あまり自分の過去を語ろうとしないセシリアのことを一番知っているのもアイズだ。だからこそ、アイズは自分がやらなくちゃいけない。使命とも思えるほどの決意で、アイズは覚悟を決めていた。
「アーイーちゃーん~!!」
「わぷぷっ」
そのとき突然現れた束に真正面からホールドされる。セシリアのことばかり考えていてまったく束の接近に気がつかなかった。束の柔らかい胸に埋もれながらも束が心配そうに気遣ってくれていることを察したアイズがやがて甘えるように束に抱きついた。
「束さん」
「もう、心配したぞ? アイちゃんをこんな目に合わせた馬鹿をぶっ潰す計画を二十八通りも考えちゃったくらいに! そのうちいくつか実行しようとしたけどイリーナちゃんに止められちゃった。ひどいよね!」
「ごめんなさい、いっつも心配ばっかりかけて」
「それがアイちゃんだもんね。私はそんなアイちゃんをいつだって、何度だって助けてあげるよ!」
「もちろん、それは私も、黒ウサギ隊も一緒です」
「ボクは、幸せ者だね」
こんなにも多くの人が支えてくれる。それを確かに実感できることがさらにアイズの胸を熱くさせる。
だから、アイズも思い切り甘えようと思う。アイズだけでは無理だから。アイズだけでは救えないから。でも、アイズにはこれだけ力を貸してくれる仲間がいる。
人誑しとすら言われることもあるアイズだからこそ紡いできた多くの人たちとの絆。それもアイズ・ファミリアの持つ確かな力のひとつなのだから。
「束さん、お願いがあります」
「なんだいなんだい? アイちゃんのお願いならなんだって聞いちゃうよ!」
「ISコアネットワーク、type-Ⅲコア、そしてボクのヴォーダン・オージェ」
アイズが告げた三つに束の表情が変わる。その三つでなにができるのか、束はすぐに理解した。そしてそれはおそらくアイズも同じ結論に至っているはずだ。理論だけであるが、それは確かに束がアイズに以前教えたことだし、今のセシリアを目覚めさせるには確かに有効かもしれない。
だが、それは決して軽くないリスクがある。アイズとてそれもわかっているはずだ。しかし、アイズは一切揺らがずに束に言った。
「この三つがあればできるはずです」
強い意思が込められている言葉に、束も悟ってしまう。アイズはこれでもかなり強情だ。自分が為すべきだと思ったことは、どんなに苦しくても、辛くてもやり遂げようとする。たとえそれがどんなリスクを孕んでいようとも、それはアイズを止めることはできない。
束もそれがわかっていた。だからきっと止めることもできないであろうことも。束自身、アイズには甘いことも自覚しているし、アイズが本当に願うことなら反対しても最後にはその手伝いをするだろう。
「アイちゃん、それは……」
「危険はわかっています。でも、お願いします。……ボクの意識を、セシィの中にマインドダイブさせてください」
倒れても立ち上がる。自分のために、友のために。何度でも。その意思は尽きることなく宿っている。
それが、アイズ・ファミリアなのだ。
今回でこのチャプターは終了です。この章の細かい事後処理関係はまた次章のはじめに捕捉を入れる予定です。
そして次章はまるまるセシリアとアイズ、二人のエピソードとなります。ここでセシリアが真に覚醒していきます。
そのあとはいよいよラストに向かって物語も収束していきます。ぶっちゃけ、マリアベルさんが思った以上のチート&暴虐の大活躍でした。ホントにこの人を倒せるのか?(汗)
大規模な戦闘はあと二回ほどの予定です。最終決戦とあとひとつ、どんな戦いになるかはお楽しみです。
ご要望、感想等お待ちしております。それではまた次回に!