未来に対する予測であり、過去に対する結果である。
Act.0 「運命が歩き出す」
かつて、人類には幾度となく技術革命が起きた。
車輪、火薬、鉄、繊維。それらの登場は、やがて人間社会に変化をもたらし、その恩恵を最大限に受けようとするかの如く、生活が変遷していく。
そして現在も、幾度目かによる世界の変革を迎えていた。
それをもたらしたものが、インフィニットストラトス(Infinite Stratos)。無限の成層圏と名付けられたそれは、宇宙での活動を視野に入れたパワードスーツであり、その圧倒的な性能は世界を驚愕させた。
しかし、その兵器には致命的な欠陥があった。
女性にのみ、扱える兵器。
そのために起きた世界的な軍事的バランスの変化は歪んだ女性優位の土壌となり、女性への優遇と男性の軽視が生まれた。しかし、その力に魅せられた各国はそんな歪みを無視するように突き進む。
問題は次々と生まれ、世界の変化は徐々に、しかし、確実に堕落へと向かう。
ある者はISに職を奪われ、酒に溺れた。
ある者はISによって下克上を果たし、傲慢の味をしめた。
ある少女はISのために生まれ、ISのために生きた。
ある少女はISによって家族を壊され、そのISに縋って生きた。
そんな、多くの恩恵の影で多くの不幸を生み出した発明。それを作り出した者は尊敬、そして憎しみの対象となった。
それが、IS開発者、篠ノ之束。
彼女は世界にISの命であるISコアを467個を世界にバラまき、雲隠れをした。
ある者は言う。彼女は逃げたのだ、と。
またある者は言う。彼女はどこかの国に捕まったのだ、と。
そしてまたある者は言う。彼女は裏から世界を征服するのではないか、と。
誰もが真実を知らないままに、それでもそれが事実として世界が変わっていく。
「くだらんな…………相も変わらず、バカしかいないとみえる」
そんな呟きを発したのは、イギリスに本社を置く、世界有数の企業であるカレイドマテリアル社のトップに立つ女性だった。名をイリーナ・ルージュ。今年で28になるという若さで社長という地位についた彼女であるが、本人の気性も言葉遣いも、その地位にふさわしくないとその本人が自覚しているほどに悪い。
それを証明するかのように、苦い表情をした側近を他所にまるでマフィアのボスのように異様な威圧感を出しながら悪態をつきまくる。
「それともあれか、小娘ひとり捕まえることもできずに陰口をたたくくらいのガキでもなれるのが今の各国のトップなのか?」
「社長、自重してください」
「おいおい、私は世辞も言わないが嘘も言わないぞ。バカが動かしている世界、それが今だよ。おそらく歴史書にこの時代の政治家はバカしかいなかった、と書かれるんじゃないか? お前もそう思うだろう? ……束?」
イリーナが視線を向けた先には、社長室のソファーでくつろぐひとりの女性がいる。白衣を纏い、なぜかウサギの耳を模したカチューシャをつけている。端正な顔立ちに、モデル顔負けのメリハリのある肢体。そんな全身をフリルのついたドレスで覆い、棒付きキャンディーを咥えながら髪の毛を手持ち無沙汰というように弄っている。おおよそこの場にそぐわない、まるでメルヘンの世界から飛び出してきたかのような格好だった。
その人物こそ、世界の変革者と言われるインフィニット・ストラトスの開発者、――篠ノ之束本人であった。
偉人とも狂人とも言われる束であるが、まるで子供が面白くない話を我慢してきいているかのような態度でぶっきらぼうにイリーナを見返して返答する。
「んー、どうでもいいし。とりあえず私をかくまってるイリーナちゃんが言うセリフじゃないと思うけど?」
「おまえにはやってもらわなきゃならないことが多いからな。それまではしっかり首輪付きで飼ってやるよ。文句は言うな、感謝はしろ」
「ま、三食出て研究環境も最高待遇だから私としては文句ないけどー……で、今日はなんで呼び出されたの?」
「いいニュースと悪いニュースがあるんだが、どちらから聞きたい?」
「どっちでもいいよ。そんなの大差ないでしょ?」
まるで決め付けるように言う束に、イリーナもそうだな、と返す。
「まだ表立って発表はされていないが、男性適合者が見つかったそうだ。おまえの言っていた、彼だ」
「……! そ、そう。いっくんが……」
「おまえにとっては悪いことでも、こちらにとってはまさに僥倖だ。まぁ、おまえは複雑だろうがな」
「そう、だね。で、もういっこのニュースは?」
「治療転用の目処がついた。これであいつが完治する可能性が出た」
その言葉を受け、束が立ち上がる。おそらく、彼女を知る者が見れば、「誰だお前」と言うくらい、束の顔はおかしかった。いや、おかしいわけじゃない。彼女は精一杯の嬉しさと安堵を表情に出している、ただそれだけなのだから。
「既存の機器でナノマシンのスタンピードを制御できたの?」
「おまえの作ったあのシステムはISありきだったからな。それをIS無しに落とし込むのは苦労しているが、数年先には本格的な医療転用も可能だろう」
「そっ、か……」
「まぁ、おまえは機械工学が専門だからな。医療分野はまだまだ発展途上……とはいえ、外部に漏らせるものでもないから、どうしても時間はかかる。それまでにあいつにもしものことがあればアウトだがな」
「大丈夫だよ、あの子はあれで奇跡が得意だから。幸せを諦めるような根性はしていないもの」
「実体験があると、説得力のある台詞だ」
「あの子は強いから」
「さすがはお前の弟子、か?」
「弟子じゃないよ。仲間で、同志で、友だち、だよ」
束にそこまで言わせる人間がいる。それだけで篠ノ之束という人間を知る者たちが聞けば驚愕するだろう。身内以外にここまで束が心を砕いている存在がいることが信じられないだろう。
「まだ時間はかかる、が……そろそろ動くとしよう。ちょうどよく、入学時期だしな」
イリーナはIS学園と書かれたパンフレットを手に取り、フン、と一度嘲笑を浮かべてから放り投げた。この時代に在るべくして作られた場所。IS操縦者の育成という表向きの理由と、独占が不可能という技術の向上を目的とした搾取の場。そこに通う生徒たちは夢を馳せ、そんな生徒を送り出す国は甘い汁を啜ろうとする。
そして、今のイリーナにとって、その在り方は邪魔でしかない、無粋な場所。それでも、利用価値があるからこそ、イリーナも存分に利用する。イリーナの望むように、目的を叶えるために。
「さぁ束、そろそろ竹林の賢者から脱却してもらうぞ。世界は動く、私たちが動かす。おまえがかつてそうしたように、お前の手で再びそれをなせ」
「……ふふーん、この束さんにそんなオーダーを出したイリーナちゃんは愉快なバカを眺めたいだけなんでしょ? まぁいいよ、私も待つだけの現状には飽きていたことだし、盛大に世界を揺るがしてあげるよ。本気になった束さんに不可能はないんだからね!」
「さしあたっては、あの二人に予定通りに動いてもらおう。なに、あいつらなら囮としても本命としても十二分に果たしてくれるだろうよ」
イリーナは人の悪い笑みを浮かべ、ながら側近に命じた。
「アイズ・ファミリアとセシリア・オルコットを呼べ」
***
「それでは今回はここまでといたしましょう」
艶やかな金髪を惜しげもなく晒し、容姿も言葉も秀麗な少女は周囲に倒れる面々にそう声をかける。死屍累々となった光景はいつものことであり、そこからゾンビのように何人かが立ち上がる。
男女比は半々といったところで、全員の目にはその少女に対する敬意と畏怖の念が見え隠れしている。
しかし、今この光景に何も知らない人間が見たら驚き、声をあげるだろう。
全員の共通点、それは、男女ともにISを装備していることであった。
ISを使えるのは女だけ。そんな世界の常識はこの場には存在していなかった。男も女も、平等にISを扱い、努力し、切磋琢磨する。それは、本来のISがもたらす変革の光景であった。
そんな中で最強として君臨するその少女は、蒼の装甲に身を包み、その手に持ったライフルを掲げて笑みを浮かべている。
「しかし、さすが束さん。いい仕事をしてくれます。……スターライトMkⅣ……じつに馴染みます」
少女は試験運用を終えたIS専用レーザーライフル、スターライトMkⅣの出来に満足して微笑んでいる。自身の新たな愛銃に満足すると、装備していたISを解除する。競泳水着のようなインナースーツが、少女のメリハリのついた肢体のラインを美しく投影している。汗で頬に張り付いた髪を払いながら、ふぅっと息を吐く。
美と強さを兼ね揃えた、まさにヴァルキリーと称するにふさわしい少女だった。
彼女こそ、カレイドマテリアル社が誇る欧州最強とされる操縦者、―――名を、セシリア・オルコット。オルコット家の現当主であり、次代を担う存在として注目を集めている少女だった。その鮮烈な活躍から、イギリスの星とも呼ばれる
そして、そんなセシリアに近づくもう一人の“星”がいた。
東洋系を思わせる少しくせのある黒髪を肩ほどまで伸ばし、無邪気で子供っぽい笑みを浮かべている。まるで子犬が飼い主に寄り添うようにトテトテという擬音が似合う走り方でセシリアへと近づいていった。
「お疲れセシィ。社長と束さんから招集だよ」
「あら、そうですの?」
「なんか動くみたい。ボクたちにも出番がくるかな?」
表舞台に出なかった、しかし、その実力はセシリアに並ぶとされる、もうひとりの操縦者。カレイドマテリアル社の、もうひとつの切り札。
「楽しみだなぁ。早く、空……飛びたいな。青くて、広くて、どこまでも続く空……束さんが目指した宇宙へと続く道……ああ、早く、飛びたいなぁ」
本来はいなくなるはずだった少女……アイズ・ファミリアは、表舞台へと上がる。まるで、それが運命のように。
この物語の束さんはラスボス系ではありません。