××ちゃんが大人になった姿が見たかった。
それが前世でのたった一人の家族、俺の祖母の最後の言葉だった。
俺は家族を愛している。この世界の何よりも尊び、何よりも貴び、そして何よりも大切に思っている。
だから泣いた、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、そうして泣き疲れて眠る。
起きたらいつも通りの朝が始まって、けれどそこに最愛の祖母の姿は無い。
そのことに悲しみを覚えながら、けれど決意する。
立派な大人になって、婆ちゃんの墓前に報告しに行くんだ。
そう思った、思っていた、きっとできると思った、思っていた。
その数日後に俺は死んだ、あっさり死んだ。
赤信号を無視して、横断歩道を渡ろうとしていた女の子がいた。
ちょうど高校生くらい、良く見たら俺と同じ学校、しかもクラスメートだった。
何か急いだ様子だった、その様子を見ていた、同時に車がやってきていた、進路上にはちょうどその少女がいた。
少女は気づいていなかった、車の運転手は携帯を弄っていた。
どちらも気づいていなかった、気づけなかった、気づいたときには遅かった。
だから助けた。
少女の腕を引っ張った。
名前を呼ばれた。
計算外だったのは引っ張った勢いで俺と入れ替わるような状況になってしまったこと。
名前を呼ばれた。
車の運転手が気づき、ブレーキを踏むが、もう遅い。
名前を呼ばれた。
意識が暗転し、気づいたら病院のベッドの上だった。
なんだ、生きていたのか。
そう思った、けれどすぐに気づく全身がろくに動かないことに。
全身骨折でもしたのか? そう思ったが、痛みは無い。というかそういう感じでは無い。
まるで体の動かし方を忘れてしまったかのように、思うとおりに動かない。
せめて首だけでも、と動かそうとし、ごろん、と体が回転する。
瞬間、違和感を覚える。なんだこれ? なんだこれ? なんだこれ?
世界に違和感がある、なんでこんなに世界が大きく見えるのだろう。
病院の一室、そこにあるベッド。普通の大きさだと思っていたそれは、部屋の大きさと比べるとやけにサイズが違いすぎる。
まるで子供を寝かせるための…………。
その瞬間、自身の体に違和感を覚えた。
自分が死んで生まれ変わったのだと気づいたのは、その一年後だった。
えらく時間がかかったとは思う、だが簡単に飲み込めなかったのだ、自身が死んだと言う事実。
そしてそれを飲み込むと同時に思うのは。
婆ちゃんの墓参り、できなかったなあ。
そんなこと。いや、そんなことなんて言い方はおかしいか。
大人になった俺が見たい、それが前世でたった一人の家族の最後の言葉だったのだ。
夢半ば、死んでしまった。
けれどあの状況では仕方ない、とも思う。
あそこであの少女を見捨てて生き残って、それで俺は胸を張って婆ちゃんに顔を見せれるだろうか?
否、できるはずが無い。
だから、あれは正しかったのだ、きっと。
そう、思うことにした。
そう思い込んで、隠した。
そう思って、自身を騙した。
それがただの必然だったと知ったのは、それからしばらく後のことである。
伊織と言う少女に出会ったのは、まだ五歳の頃。
それが隣に佇む大きなお屋敷に住んでいる少女の名前だと知ったのは、さらにその半年後。
そして彼女が前世で自身が助けたはずのクラスメートだと知ったのは、その一年後だった。
死の運命に瀕した少女。それが前世での彼女だった。
病魔に冒された体はすでにボロボロであり、学校に通っていたのは彼女の生涯最後の願い。
けれどそれも長くは続くはずも無い、何度も欠席を繰り返し、それでも何とか卒業までこじつけれそうだったあの日。
とうとう病がその牙を剥いた。
体が重かった、ただひたすらに、助けを求めることすら忘れて通い慣れた病院への道へと急いだ。
そうして、その道中、車に轢かれそうになって、一人の少年を身代わりとして助かった、助かってしまった。
もうすぐ死ぬだけの欠陥人間のために、一人の人間の人生を奪ってしまった。
少女にはそれが耐えられなかった、目の前で死んだ少年を直視し、自身を生へと繋ぎとめていた最後の糸を離してしまった。
同時刻、あっさりと少女が死んだ、病に犯され、ボロボロの体が悲鳴を上げ、そしてそのまま息絶えた。
そうして次に目を覚ますと、病院の上だった。
自身が生まれ変わったことに気づいたのはその数日後。あれだけ重かった体が今は軽かった。
そうして五歳の時、一人の少女に出会った。
一目見た瞬間にどこかシンパシーを覚えた。
仲良くなるには時間はかからなかった。
そうして出会って一年経つ頃に、ようやく気づく。
目の前の少女が、かつで自身を助けた少年だったことに。
何度もあり得ないと思う、けれど探るように尋ねるごとにそれが正しいのだと思い知らされる。
さらに半年経つころに、ようやく少女は告げた。それから二人の仲が変わったかと言われれば…………変わった。
と言っても、柚希は何も変わらなかった、伊織のせいで死んだと言うのに、一言も責めなかった。
そうか、とだけ呟き、それで終わった。
だから変わったのは伊織のほうだ。
柚希に対して一歩引き始めた。当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。その経緯を考えれば。
けれど柚希にとってそれは、どこか寂しいものであり、不満でもあった。けれどこちらから何かを言っても相手が遠慮してしまうだけ。だから待つしかなかった、いつかどうにかなると、ただ待つしかなかった。
変わったのはその半年後。
まさしく急転直下。
あまりにも突然の出来事ではあるが。
結果だけ言おう。
玖珂柚希は同化型虫憑きとなり、長月伊織は柚希に関する一切を忘却した。
さて、話は変わるがここで一人の少女を紹介しよう。
柚希と年子であり、同学年ではあるがほぼ一年の差がある妹を、柚希は可愛がっていた。
元来柚希…………否、××にとって家族とはこの世界で最上級に大切なものだ、生まれ変わったとしてもその思いは変わらない、いや、増えた家族に与えられた愛情によって、むしろさらに高まったと言っても良い。
その中でも、自身が庇護すべき対象である妹は、彼女にとって最早自身の命よりも大切な宝物だと言っても良い。
そしてそんな姉の愛情を一身に受けた妹もまた、純粋に姉を慕っていた。
さてそんな妹であるところの雨音ではあるが、五歳の頃から不思議な夢を見るようになった。
自分にそっくりな誰かが夢の中に登場している。その誰かは自分の知らない場所で、自分の知らない何かを習い、そうして自分の知らない友達と会話している。ただそれだけの夢。
けれど所詮それは夢。現実には関係ないことと思っていた、その時はまだ。
六歳の頃、両親が交通事故で死ぬ夢を見た。
その翌日はさすがに不安になった。両親に出かけるのを止めるように言うが、両親は雨音の頭を一度撫でて、結局でかけていった。
そうして両親は帰ってこなかった。
夢の通りに出かけ行き、夢の通りの場所を通り、そして夢の通りに死んだ。
気が狂いそうな状況で、けれども狂わずに済んだのは、偏に姉がいたからだ。
姉がずっと抱きしめてくれたから、姉が一緒に寝てくれたから。
一人で不安で、悲しくて、辛くて、気が狂いそうな状況でも。
一緒にいるよ、ここにいるよ、どこにも行かないよ、と姉が傍に居てくれたから少女は正気のままでいられた。
そしてだからこそ、全て話した、夢の話も何もかも。
夢を見るようになった頃から、自身の周囲を飛ぶ一匹の虫についても。
そして。
中学生くらいの年恰好の姉が、死ぬ夢についても。
他人の夢を喰らうことで、夢を喰らった人間の未来の一部を読み取る。
それが自身の妹の虫に宿った力だった。
自身の妹が知らぬ間に虫憑きとなってしまっていたことはさすがに驚きだったがどうやら、他人の夢を喰らう、と言う性質上、本人の夢をはそれほど消費しないらしい。
原作にもいたなそんなやつ、などと思いながらこの性質はそれなりに好都合だと思う。と同時に、こんな虫は確かに異端であり、極力知られることに無いようにしなければならないとも。
この世界がムシウタと言う前世でのライトノベルの世界だと言うことはさすがに気づいていた。自身の住んでいる地域の名前がもろにそれだったから。
だから虫の存在も知ってはいたが、まさか妹に憑くことになるは思わなかった。
そしてそれ以上に、妹から告げられた自身の未来に何よりも愕然とした。
どうやら自身は高校生の頃に死ぬ運命にあるらしい。
呆然とした、愕然とした、また死ぬのか。二十にもなることなく。
また誓いを果たすことも無く、死ぬのか?
勿論、妹の予知が外れる可能性だって、ああ、あるだろうさ。
だが少なくとも両親は死んだ。予知されていながら。
その時、思ったことは非常にシンプルな一言。
ふざけるな!!!
どうしてまた死ななければならない。
死にたくない、まだ死ねない。
だがこのままいけば死は確実に訪れる。
どうすればいい?
そんな時のことだ。
伊織が、アリア・ヴァレイに取り憑かれたのは。
《キミの夢はナニかな?》
けれどそれについて語るべきことは無い。
《嫌だ、忘れたくない。私は、私は!!!》
それは最早終わった過去の出来事であり。
《ごめんなさい…………ごめんなさい》
消し去った昔の話だから。
だから。
《何もかも忘れて、それでもあなたが許してくれるのなら…………その時は》
玖珂柚希は最早そんな何の価値も無い話は切り捨てた。
火種一号指定同化型虫憑き“キラービー”
柚希がそう呼ばれようになってからおよそ三年が経つ。
初めて号指定を受けた虫憑きに対して、さしもの特環も本腰を入れて対処をしてきた。それがおよそ六年前。
それから一号指定を受けるまでの三年間、幾度と無く特環と戦った。時にはあの“かっこう”とすらも。
けれど生きた、勝ったこともあるし、負けそうになったこともある。だが生きた、死ななかった。欠落者になることなく三年、生き延び…………そうして一号となった。
そうしてようやく気づく。
自身の特別性に。
転生、などと言う経験をしておきながら。
原作、などと言う知識を得ておきながら。
玖珂柚希は自身を特別だと思ったことは無かった。
“死にたくない”そう願い。
“大人になりたい”そう夢を見た。
ただ必死だった。必死に生きてきた。来るべき死を迎え撃つために。
そしてそれはやってくる、中学生最後の日、卒業式の日。
式の最中、虫に憑かれたとある男子学生が暴走した。
ただの暴走ではない、それは成虫化。
号指定の無いものの成虫化ですら号指定の虫憑きが複数人必要とされている。
原作では火種一号指定の利菜の成虫化した虫を、かっこうが一人で倒していたが、それはその実、かっこう自身もまた成虫化しかけていたせいである。事実その戦いを切欠として、かっこうの成虫化は加速していく。
卒業生四十数名のうち、半数以上が死んだ。
けれど残りは死ななかった。その前に、柚希が虫を殺したから。
事件発生からすぐさま特環がやってくる。学園を封鎖し、事件を隠蔽し…………そしてたった一人で成虫化した虫を殺し、壊し、蹂躙しつくした柚希は一号へとなった。
土師と契約を結んだのは、その時である。
土師にとって、たった一人信頼するのは“かっこう”だけだった。
だから土師にとって、かっこうを失うことは何よりも避けねばならないことだった。
さてかっこうが戦い始めてからどれだけの時間が経つのか、今はまだ良い、だがこれから先も戦い続けることができるとは限らない。
虫憑きにとって、夢とは有限の産物だ。
それはあらゆる虫憑きに共通しており、自身もまた例外ではない。
だがその容量には大きな隔たりがある。
たった数年で虫に夢を食い尽くされた人間もいれば、十年以上戦い続けて未だに成虫化の兆しを見せない人間もいる。
例えば、自分のような。
夢を食い尽くされれば虫憑きは死ぬ。自身の虫の成虫化によって。
土師は何よりもそれを警戒していた。かっこう、とて一号指定。通常の戦闘行動で早々負けるはずが無く、何よりも死ぬはずが無いと確信していた。否、信頼していた。
だが虫憑きである以上、夢を食い尽くされる危険性はいつだって孕んでいるものだ。
何よりもかっこうは、原作キャラ曰く『虫憑きをめぐる戦いの、まさにド真ん中を突っ走ってきたよーなヤツ』である。他の虫憑きより夢の磨耗は遥かは多い。
だからこそ、契約した。定期的に“かっこう”へと夢を供給することを。
中学校を知られた、政府公認組織である特環ならば、そこから自身の本名を調べることも容易だろう。
それだけなら良かったが、何よりも妹と幼馴染に手を出されることは避けたかった。
だからこそ、契約した。自身たちを見逃すことを。
魅車八重子が世果埜春祈代を殲滅班に取り入れたように。
自身もまた、土師と同盟を結んだ。
そうして今に至り、ようやく原作が始まった。
「何してるの?」
「…………ん? 別に」
縁側に座って、山積みにした余りのトマトを一つ取り出し齧っていると、ふと声をかけられる。
視線をやると、玄関からぐるっとこちらの庭先まで回ってきたらしい、見知った少女がそこにいた。
「伊織こそ何やってるんだ?」
「んー…………ユキちゃんに会いに着たんだよ」
自身の隣に少女もまた座り、こてん、と自身の肩に頭を預ける。
「そうか…………」
短く答え、そして互いに沈黙する。
何も語らない時間、けれど存外、悪くない気分でもある。
そうして、シャリシャリとトマト一つ食べ終える頃、伊織がふと口を開く。
「ねえ、ユキちゃん」
「なんだ?」
そう、尋ね返して、そうして伊織から出た言葉は。
「好きだよ」
唐突な告白。
「ああ、俺も好きだよ」
それに慌てることも無く返すと、伊織が残念そうな表情で。
「あーあ…………また私の片思いか」
そう、呟いた。
好き、言葉にすれば短く、簡単な二文字。
けれど、俺の好きと、伊織の好きは致命的なまでに間違っている。決定的にすれ違っている。
俺の好きは、家族としての好き。もしくは友達としての好き。親愛の感情。
そして、伊織の好きは、恋人としての好き。つまり、恋愛感情だ。
「…………んー。でもまあ、いいか」
「ああ…………勝手にしろ」
そう言って、伊織が体を預けてくるのを、されるがままに受け止める。
伊織に告白されたのは今の高校に入ってすぐの頃だ。
前提として言って置くが、俺は女だ。けれど前世のせいか自意識は男だ。
だからこそ、男を愛せるはずも無く、女を愛することにも違和感が残る。
中途半端な存在。きっと一生恋愛することなんて無い。
そんな中途半端なやつに、告白してきた馬鹿がいた。
それが伊織だった。
伊織は、七歳以前の俺に関する記憶を全て失っている。
だからこそ、もう一度関係を築いた。
元々、例の件が分かるまでは仲良くやっていたのだ、もう一度仲良くやれるのに時間はかからなかった。
そして仲の良い友達、幼馴染、家族。そんな関係を続けれていると思った矢先に、これだった。
当たり前だが、断った。
だって俺は女だ。こいつも女だ。そんな非生産的なことして誰が喜ぶのだろうか。
それでも良いと、こいつは言った。
だから俺も、言ってやった。
「俺の好きとお前の好きは決定的に食い違ってる。それでも良いなら俺はお前を受け入れる。例えどんなお前でも、お前のありのままを俺は受け入れるさ」
だってこいつは家族だ。血は繋がっていなくても、もうずっと長年一緒に生きていた家族だ。
だから、こいつがそれでも求めるなら、俺は応えても良い。そこに恋愛感情は一切無くとも、お互いに向ける気持ちがすれ違っていても。
そんな歪さが。
そんな奇妙さが。
そんな異常さが。
「俺たちらしいっちゃ、らしいな」
呟き、山積みになったトマトへと、もう一つ、と手を伸ばした。
次のスレッドの開始は三年後です(嘘