(略)のはAce -或る名無しの風-   作:Hydrangea

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読み辛いルビが多い話が今回+次話と続きますが、偏に「お年頃」な語り手の所為です。
俺は悪くねぇ!


番外3-1:Buβe von Eve

「……ひとまず、此処にいた人達の避難は終わったみたいね」

『Irgendwie ist es solch』

 

 目の前の「敵」から視線を外す事なく相棒(デバイス)を起動、睨みあう状態をそのままに、騎士甲冑(バリアジャケット)を展開させてゆく。

 第一線を退いた「お母さん」より受け継いだ赤きパートナーは、本来であれば()の資質――ミッドチルダ式に合わせて調整された自立意識保有型魔導器(インテリジェントデバイス)であり、古代ベルカ式を操る自身には適合しない筈の逸品。にも関わらず“彼女”は、まるで長年連れ添ってきた半身であるかのように()()私へと馴染み、あまつさえベルカ言語によるサポートまでもを行ってくれている。

 それはあたかも、私という存在が抱える「全て」を、既に知っているかのようにさえ思える。

 

 全く気にならない と言えば嘘になる。

 進級を機に受け継いでより2年程の付き合いとはいえ、未だ“彼女”について知らない事は多い。

 そも、前マスターである母や、更にその前の所有者であった父でさえ、“彼女”の出自については把握しきれていないのだ。それより以前の資料が残されていない以上、日々の直接的な交流以外に情報を得る術は無く、しかし自身がマスターとなるより以前……10余年の歳月を経て尚、“彼女”が自身の出自に関して語った記憶も、母がそれを問い質した覚えも無い。

 文字通り命を預ける存在である以上、「知らない」という事は、本来それだけで致命的な不安要素(ばくだん)となり得る。例え小さな綻びであっても、やがては致命的なすれ違いを誘発しかねないのだ。単なる道具(ツール)に留まらない「魔導器(デバイス)」の位置づけを鑑みれば尚更だろう。

 

 だが、その様な状況であっても母に、そして自分に対し全力で向き合ってくれている“彼女”の存在は、嬉しくも誇らしくもあり、また今この場においては何よりもありがたいものでもあった。

 

 

 未だ成長途中の身体を()()()光が包み込み、超常のエネルギーが四肢の隅々にまで行き渡る。St.ヒルデ中等部の制服は瞬時に分解され、濃紺のボディスーツの上へ蒼の装甲を配した戦闘形態……嘗ての己を模した姿が一瞬で完成。同時かそれよりも早く、思考もまた「戦い」の為のそれへと最適化されてゆく。

 “嘗て”の幼少期では何の疑いも抱かずに喜び、成人してよりは当然のものと意識の外へ追いやられていたそれも、今となっては淀み無きプロセスの一つ一つさえ恨めしく思えてならない。

 この太平の時代、平穏なる世界において、その力は紛れもない“異物”であり、また今回の小旅行……日々学業に励み、夢と希望とに溢れる少女達が心待ちにしていた一時へ、不作法なる闖入者を引き寄せてしまったその原因は、そんな“異物”を抱える自分を置いて他に無いのだから。

 

 

 そうして臨戦態勢を執った自分を、「最も優先すべき」敵性反応と認識したのだろう。目の前に佇む鉄の巨人……長閑な自然公園には不釣り合いな超合金で身を固めた機械兵は、鈍い音と共に仄暗い瞳へ怪しげな光を灯した。

 作業用や「警備用」として普及している傀儡兵(ゴーレム)や、十数年程前に次元世界を騒がせた「ガジェット」と呼ばれる兵器群とも異なる、より洗練された人型を有する鉄巨人。

 文字通り“空間を裂いて”突如出現したそれは、合法/非合法の区別を問わず、現在次元世界において確認されているどの機種とも異なる姿を、力を、存在を以て、穏やかなる午後(へいおん)を打ち破った。

 

 私は知っている。否“記憶し(しっ)ている”。今世においては、欠片の記録たりとも残されてはいないそれが齎した厄災を、戦果を、悲劇を。

 識別番号CX-612M、通称「斜十字」。遥か昔、ベルカ―ミッドチルダ間で起きた次元間戦争において投入された兵器の一つにして、禁忌の都・アルハザードによって生み出された“悪魔”が一体。意志も感情も無く、与えられた命令(プログラム)のままに殺戮(さぎょう)を遂行してゆく金属の魔物。

 

 その全てが失われたとされる戦役を如何にして潜り抜け、またどの様にして戦闘行動が可能な状態のままに現代まで息を潜め、何の契機を以て、何処から現れたのか。

 彼の存在に対する疑問は尽きないが、それが「脅威」である事だけは疑いようも無いお墨付き(じじつ)。本来であれば、それこそ時空管理局の一部隊が掛かりきりで鎮圧に当たるべきような相手であり、言わずもがな一学生が、それも単騎で相手取れるような、相手取るべき存在ではない。

 そんな事は、()()()()()()自分自身が何よりも判っている。

 

 だがそれでも。それを理解して尚、私はこの戦いを管理局に、他の人間に任せるつもりはない。

 何故なら私は「王」だから。民を守り、民の盾とならねばならぬ「聖王」なのだから――

 

 ▽ ▽

  ▽

 

 私にはある“秘密”がある。心の底より慕う両親にさえひた隠し、一生明かすまいと誓った秘密。

 古代ベルカにおける王が一人にして、“最後の聖王”たるオリヴィエ・ゼーゲブレヒト。()()()()()()そう呼ばれている人間の記憶を――否、単なる「記憶」に留まらず、その根源たる「魂」までもを、私は有している。

 この身は『ヴィヴィオ』であり、同時に『オリヴィエ・ゼーゲブレヒト』でもあるのだ。

 

 何故“このような事”が起きたのかは、「ヴィヴィオ」としての齢が14を迎えた今となっても尚明らかにはなっていない。

 古代においては、似たような事例(ケース)として『転生』と呼ばれる技術が存在しており、「記憶の残存」「人格の継続」といった特徴からも、自身に起きたのがそれに類するものであると見当は付けている。しかし、生憎そういった分野に精通している訳ではなかった自分には、「何が起きたのか」は判っても、「何故起きたのか」まで判断する事はできないのだ。

 

 何より、どれ程思案を重ねようとも、導き出した結論(それら)が推論の域を出る事は叶わず、確証を得る為の解が得られるあても無いのだ。

 恐らく、この「謎」が解明される時は永遠に訪れないのだろう。多少の納まりの悪さはあれど、他の悉くを投げ打ってまでも解き明かさんとする執着を持てなかったのは、ある意味では幸いであったのかもしれない。

 

 

 「オリヴィエ」としての最期の記憶は、唯只管に、いっそ笑えてしまう程までに「絶望」の一色で塗りたくられたものであった。

 如何に歴代最高と謳われ、それだけの武技を有していると自負する聖王オリヴィエ・ゼーゲブレヒトとて。古今東西の叡智を結集させた、ベルカ最強の至宝たる「ゆりかご」とて、“星そのもの”が上げる怨嗟の声に叶う筈も無し。まして、当時の自分はその全身を余す事無く病に蝕まれていたのだ。数多の戦乱を抱きとめてきた母なる大地が、その渾身の叫びが、どうして“その程度”の戦力で受けきれようか。

 

 判っていた。敗北しか残されていない戦いである事は、舟を出す以前に理解していた。二度と帰れない事は、覚悟していた筈であった。

 けれど、そうであっても尚、愛した故郷の無残なる最期を悲しまずにはいられない。一時は悲しきすれ違い故に離れ、しかしその危機を前に心を通い合わる事のできた同胞達の無念を、推し量らずにはいられないのだ。王として、一人の人間として。

 

 

 そうして、既に真っ当な機能を有していなかった五臓六腑七感の髄にまで断末魔を染みつかせながら、「オリヴィエ・ゼーゲブレヒト」はその生涯を終えた。崩れゆく愛馬(ゆりかご)と共に肉体は焼き尽くされ、その魂は次元の海へと還った。その筈であった。

 

 けれども、再び浮上した意識が知覚したのは根源の渦ではなく病院の薄明かり。そして、目の前にあったのは血の惨劇ではなく、満面の笑みを湛え微笑みかける一組の男女。

 ――それが、「ヴィヴィオ」の始まりであった。

 

 ▽

 

 極当たり前の家庭に極当たり前の身体。そして、混じり気の無い感情に溢れた両親。

 平穏なる“現代”においては然程珍しくも無いそれらの一つ一つが、乱世を生きた自分にとっては新鮮なものであり――眩しすぎる程に、輝いて見えるものであった。

 

 どの様な理由が、大義名分があったにせよ、この身は返り血で染まった咎人。行き着くべきは流刑の地であり、安寧の園ではない筈。

 そんな自戒の念は、罪の意識は、「ヴィヴィオ」の殻を被ったオリヴィエに決して安息を与えてはくれなかった。両親の笑顔を、そこに込められた愛情を感じ取る度に、この心は見えざる鎖で締め上げられていった。同胞達の怨念を夢に見て、か細い喉元へ衝動的に刃を突き立てようとした夜は数知れない。

 

 だが、それは決して「現実」ではなかった。「真実」には程遠かった。

 嗚呼、そうだ。その時の自分は、只「悲劇のヒロイン」という配役に酔っていただけの、現実を捉え損ねた小娘でしかなかった。真実から目を背け、身勝手で見当違いな「罪の意識」を周囲へ押し付け愚か者であったのだ。今となっては、まさしく古ベルカの格言の通り“思い出すのも憚られる一時”である。

 

 

 それは、果たして何歳ぐらいの頃であっただろうか。少なくとも、自分の足で自由に動き回れるようになっていた事は間違いないだろう。

 嘗ての敵国ミッドチルダの中心同然の地で、どちらかと言えばミッドチルダ系の資質を有する両親の間へ生まれた身ではあるが、魂の奥底にまで刻まれた故国への思いがそう容易く風化する筈も無し。親の目を盗み、様々な場所で古代ベルカの歴史やその趨勢、散り散りとなった民の行く末などを、見目の年齢に似つかわしくない内容まで徹底的に調べ上げた。あらゆる手段や理由を尽くし、その現代の姿を一目見ようと試みた。

 

 そうして見えたもの……それは、嘗ての「敵」と手を取り合い、朗らかに語り合う故国の民の姿と、しかしその内で確かに脈動する「ベルカ」という存在。そして、“道具”としての在り方しか許されなかった古の戦友達が魅せる、何よりも人間らしい笑顔であった。

 

 なんという幸福。此の上無い充足。

 およそ「聖王」が求めて止まなかった光景が、そこには広がっていた。心の底より渇望し、幾度となく涙を堪え、数えきれぬ程の躯の山を築き上げても尚手に入れられかったものが、この世界には存在していたのだ。

 しかもそれは――時を越えた聖王(オリヴィエ)の悲願は、他でも無い、彼女が愛して止まなかった民自身によって成されたのだ。平和を、それを築くモノを尊ぶ身にあって、どうしてこれ以上の喜びが存在しようか。

 

 

 国土(ほし)でも軍事力(ちから)でも無い。国とは“人”であり“魂”。王が欲し、民が望んだ「ベルカ」は、幾多の戦乱と悲しき破滅を乗り越えて尚、此処に在る。

 なればこそ、“平和”を作り出す為の道具(ツール)たる「王」ではない、一切の権威(しがらみ)を有さぬ「一人の人間」として生きるべきではないのだろうか。血の運命(さだめ)によって課せられた使命を全うするだけの安易なる道ではなく、“自由”であるが故に険しい、嵐吹く荒野を突き進む事こそ……その果てにある「光」を、自らの手で掴みとる事こそが、再誕を果たした「一人の人間(ヴィヴィオ)」の務めではないのか。

 

 そう、自らの“二度目の生”の意義を結論付けた自分は、「ベルカの敗北」という歴史(じじつ)をそっと胸に納め、両親の待つ日常へと帰っていった。「ヴィヴィオ」としての生を歩み始めた。

 

 “前”の生を卑下するつもりはない。確かに血と暴力とに溢れたものではあったが、そこにもまた独自の「誇り」が――受け継がれし「魂」が存在していたのは、紛れもない事実であるからだ。

 しかし、二度目となる今世が、私にとって一層輝かしく思える事もまた否定できない。

 

 両親からの愛を一身に受け、自らもまた真っ直ぐな思いを以てそれを返す。

 極当たり前の少女として学び舎に通い、同年代の友人達と親交を重ね、共に笑い合う。

 その何れもが、「王」である自分には手の届かなかったものであり、そんな自分にとっては、次元世界の如何なる宝玉よりも美しく思えるものであった。そして、そんな中で生きる事のできる今世の自分は、その生は、間違い無く満ち足りていたのだ。

 ――只一つ、“彼女”の事を除いては。

 

 

 

 

 アインハルト・ストラトス。その本名をハイディ・E・S・(Einhald=Stratos)イングヴァルト。

 真正古代ベルカ武術“覇王流(カイザーアーツ)”の正統後継者にして、「オリヴィエ」と同じ時代を生きた王が一人/我が永遠の盟友、クラウス・G・S・イングヴァルトの血を引くとされる少女。

 否、その説明は()()()()()()正しいものとはいえない。何故なら、私には“判る”から。彼女が「クラウス本人」と呼んでも差し支えない存在である事を――自分と同様、王としての魂を宿した『転生者』である事が。

 

 今でこそ麗しき少女の見目ではあるが、自身のそれ(ゼーゲブレヒト)同様の、イングヴァルト家特有の髪色と虹彩とは尚も健在。そして、寡黙なる瞳の奥に燃える輝きは、嘗て超兵器が跋扈する戦場において、両の拳一つで覇を唱えていた人物のそれと一分の差異も無し。

 

 当人の口から直接聞いたのでも、明確なる裏付けがある訳でも無い。先の『転生』と同様、これもまた所詮は「推論」でしかない。

 だが、始めて出会った時にも感じたこの「勘」については、先のそれとは異なり間違いなく「真実」であるのだと確信している。他の人物ならいざしらず、()()()()抱いたのだ。その想いが、誤りである筈がない。

 恐らく、彼女(アインハルト)もまた同様の心境にある事だろう。自身でさえ辿れた思考に、聡明なる(クラウス)が至れぬ道理も無し。この髪色と虹彩と、自身も感じた第六感とを組み合わせれば、ヴィヴィオと名乗った人間が有する「もう一つの名前」を推察する事も容易い筈。

例え言葉を交わさずとも、私達は互いの抱える「秘密」を判りあえているのだ。

 

 ――そして、それを理解し合って尚、現在の二人の関係があるのだろう。

 

 

 決して、決して仲が悪い訳ではない。

 そもそもが“古代”においても付かず離れずな関係であり、“現代”となってその距離感が激変した訳でも無い。

 現在の彼女(アインハルト)との付き合いは少等部よりのものではあるが、逢えば普通に挨拶も交わしはするし、共に笑顔を浮かべた事だってある。あまり感情を表に出したがらない彼女(かれ)の性分を鑑みれば、それだけでも十分及第点と言えるのかもしれない。

 

 だが、そんな評価も所詮は上辺だけのものでしかない。彼女が浮かべる笑顔は、何時だって何処か「ぎこちない」ものであったのだから。

 見えない「壁」が立ちはだかるように。透明な「枷」が掛かっているかのように。私と彼女との間は、その心の距離は、出会ってより数年の時が流れても尚、決して縮まる事はなかった。どれ程自分がアプローチを試みても、歩み寄ろうとも、決して彼女の琴線に触れる事は無い。表面的な笑みを得られようとも、その奥底にある心の扉は、堅く閉ざされたまま隙間一つ開きはしない。

 

 否。そもそも、この考え方こそが誤りなのかもしれない。

 まるで彼女にこそ責があるような物言いだが、その本当の原因は、本当に心の距離を開けているのは、或いは彼女の方ではなく――

 

 

 

『Ein Feind kommt; seien Sie bitte vorsichtig.』

「……そうね。

 今の私に、余所見しているだけの余裕なんて無いんだから」

 

 “雑念”としか言いようの無いその感情を端に寄せ、今一度戦局を見聞してゆく。

 先の奇襲は、第一の目的こそ達成できたものの、“高望み”できる程ではなかったらしい。如何に認識されるより先に仕掛けたとはいえ、此方も又準備不足であったのは事実。つまらない思慮に浸れるだけの混乱(じかん)こそ得られたものの、特殊コーティングが施されたネオ・ベルカニュウム合金製の装甲には傷一つ無く、その機能に不全は見られず――つまりは、さしたるダメージは与えられていない という事である。

 尤も、そんな結果を「仕方が無い」と言えるだけの戦力差が存在している事もまた、誤魔化しようの無い事実ではあるのだが。

 

 言い訳じみてはいるが、「機械」としての強み――“当時”と何ら変わりのない性能(スペック)を有する敵と比べ、移ろい往く存在(な ま み)の自身に残されているそれは、あまりにも心もとないのだ。

 両の腕こそ、当時とは異なり自然のまま動かす事が可能ではある。が、そんな「普通の肉体」である事が或る意味では災いとなり、この身へ付いているのは常識の範疇へ収まってしまう程度の性能であり、かつ成長期中途のレベルでしかない。当然、血によって受け継がれてきた“聖王の虹”も無ければ、“鎧”を顕現させる事も叶わない。およそ“武器”と呼び得るだけのものを、現在の私は有していないのである。

 一応、今世(ヴィヴィオ)においても(オリヴィエ)同様に武技を修めてはおり、また年齢を越えた相応の実力である自負もある。が、“太平の世における強さ”でしかないそれは、残念ながら修羅の時分そのままを切り抜いてきたCX-612M(ゴーレム)にあっては「武器」足り得ない。決して今の世とそこに栄える武術を軽んじるつもりは無いが、その様な情念が通用する相手でも無いのだ。

 

 以上の事から判断しても、今の自分にまず勝ち目は無い。そも、“聖王”として十全の力を有していた古代(むかし)でさえ、生身の一対一では抑え込むのがやっとの相手だったのだ。その最低ラインさえ満たしていない現状で、どうやって打倒できようか。

 

 

 だが、それでも自分は戦う。勝ち目の無い(いくさ)であると理解しても、命の尊さを識りながらも、この身は戦場へ立つ。立たなければならない。

 それが、数えきれぬ血を流した者が負わねばならぬ罪だから。「王」が果たすべき“贖い”であるのだから。

 

 

「悪いけど、もう少し付き合ってもらうね。相 棒(レイジングハート)

『Ich erreiche Sie durch jede Art von Zeit.』

 

 




次話は微調整やら様子見の後に投稿予定。最後のパート3は鋭意執筆中でございます。

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