まどマギキャラは完全に出てきません。
かつて僕は五歳の時、母さんを亡くした。
内向的で人付き合いが大嫌いだった僕は、完璧に母さんに『依存』していた。
母さんさえ居れば、他に他者なんか要らないと本気で思っていたのだ。
それほどまでに母さんが僕に与えてくれた『愛』というものは、暖かで、心地よいものだった。
だからこそ、その愛を失った僕は壊れた。
人込みを嫌い、自分以外の他者を拒絶し、父さんすら
母さんの部屋の片隅で、母さんの形見のオレンジ色のレースのハンカチを握りしめて楽しかった思い出に浸り、そして、それが母さんがこの世に存在しないことを思い出し、泣き喚いて物を壊した。
今、思い出しても、自分の幼稚さに腹が立つ。
『政夫はいつまでそうやっている気なんだい?そんな生き方をしていて、弓子が喜ぶとでも思っているの?』
精神科医の父さんは、僕に淡々と落ち着いた声で、軽く質問するように対話をしてきた。
『叱る』のでも、『怒鳴る』のでもなく、筋道立てた正論を僕に投げかけ続けた。
「……ぼくにはなしかけるなっ、このひとでなしが!おまえなんかおとうさんじゃない!なんでおまえがいきて、おかあさんがしんでるんだよぉ。しねよ!おまえがしね!!しねしねしねしねしねしねしねしねしねぇっ!!!!!」
だが、当時の僕は、そんな父さんが大嫌いだった。
母さんの死を受け止め、涙一つ流さずに葬式の喪主を務め、その後も特に変わらず悠然としていた父さんは、当時の僕には、母さんの死に悲しみを抱いていない冷血な人間にしか見えなかったのだ。
精神を病んだ人を治療する父さんの仕事の性質上、自分が取り乱している暇なんてなかったわけだが、当時の僕にはそんなことを考える余裕なんてなかった。
錯乱気味だったとはいえ、父さんには信じられないくらい酷いことを何度も言ってしまった。よくもまあ、こんなどうしようもないガキを見捨てずに育ててくれたなと関心する。
『政夫、今日は君に会ってほしい人たちが居る』
父さんには珍しく、僕が抵抗しても放さしてくれず、強引に引きずるように連れて行った。
着いた場所は当時の父さんが勤めていた大手の精神病院だった。
『さあ、中に入って』
その診察室の中には、十数名の男女が椅子に座って、僕を見ていた。年格好は大体高校生か、中学生くらいだったか、その全員が皆どこか陰のあるような人たちだった。
なぜか、父さんに渡された洗面器を持って、僕はその人たちの前にある小さな椅子に腰掛けた。
『じゃあ、さっそくだけどこの前頼んだとおり、皆の身の上話を僕の息子に聞かせてあげてほしい。いいかな?』
全員が頷き、一人づつ自己紹介をした後、彼らの話が始まった。
不幸、という言葉が陳腐な表現に聞こえるほど、悲惨な話の数々だった。
グロテスクで、インモラルで、救いようのない過酷な身の上話。話はどれも淡々としていたが、生々しく、臨場感に満ち溢れていた。
親に兄弟共々虐待を受けて、死んだ弟の肉を食べされられたお兄さんの話。
再婚してできた義父に性的虐待を受け、無理やり妊娠させられてしまったお姉さんの話。
不良に脅されて、不良が殺した死体を埋めさせられたお兄さんの話。
かつて差別を受けていた人間の家系だから、という理由で地域の住民すべてに迫害され、家を燃やされたお姉さんの話。
これらは『まだ』比較的何とか耐えられたが、他の話は聞いているだけでこちらが死にたくなってくるほどの
そして何より、彼らがその辛い過去を背負い、その過去を克服しようと努力して、どれほど頑張って生きているのかを事細かに話してくれた。
感受性の強い幼稚園児に聞かせるべき話ではなかったが、当時のクズそのものだった僕には良い薬だったと思う。
僕は、何のために父さんが洗面器を渡したのか理解した。
堪えきれずに胃の中に入っていた物をすべて、その中にぶちまけた。
胃液しかでなくなっても、吐き気が止まらず、カエルのような声を出しながら、吐き続けた。
吐きながら、自分の愚かさを知った。
この世で一番不幸な人間のような顔しながら、自分はするべき努力を何一つしてこなかったことを痛感した。
父さんの少々スパルタな『治療』のおかげで、僕は母親の死を努力して乗り越えようと決意することができた。
「おとうさん……」
『何だい?』
「ぼく、おかあさんのこと、のりこえてもういちどがんばってみるよ」
『うん。政夫なら、そう言ってくれると思ってたよ』
父さんは僕の頭を撫でながら、優しく微笑んだ。
それから、僕は自分の弱さに向き合うことを決めた。
だが、その道のりは口で言うほど簡単なものではなかった。
人込みに入っていく覚悟をするのに二週間かかった。
人の話し声が耳に入ってくるたび、それがすべて自分の悪口に聞こえ、胃が締め付けられる痛みを感じられた。
他人に話しかける覚悟をするのに一ヶ月かかった。
それまでは、同い年のクラスメイトにすら、拒絶されるのが怖くて、傍に寄っても話しかけることができずに縮こまっていた。
どもらずに話すのに二ヶ月かかった。
それまでは、うまく言いたいことが表せず、笑われてはしないかと不安でいっぱいだった。
人の目を見て話せるようになるまで四ヶ月かかった。
それまでは、相手の目を見るとどうしても言葉が詰まってしまい、いつも目を泳がせてしまっていた。
相手に合わせて、話ができるまでには一年以上かかった。
それまでは、話に着いていけずに場を白けさせてしまっていた。
もちろん、排他的で仲の良い友達も居なかった僕に好意的だったのは先生くらいのもので、クラスからはほとんど
泣きそうになった時は、唇をかみ締めて一人で耐えた。自分よりも辛い境遇で頑張っているお兄さんやお姉さんのことを思い出し、己を
小学生になってからは、幼稚園児だった自分がどれだけ父さんや先生に守られて生きて来たかを知るはめになった。
片親だからという理不尽な理由で虐めてくる虐めっ子たち。
自分がターゲットにされることを恐れ、露骨に見て見ぬ振りをするその他のクラスメイト。
責任を押し付けられることを嫌がり、僕の受けている仕打ちを虐めじゃないと言い張る担任教師。
幼稚園で仲良くなったが、保身のために僕に嫌がらせをするようになった元・友達。
小学校に入学した僕には、笑えるくらい味方が居なかった。
傷を付けられ、裏切られ、人間の汚さと弱さをまざまざと見せつけられた。
それでも、僕は周囲の人間と仲良くなろうと努力した。自分を生んでくれた母さんと、自分を立ち直らせてくれた父さんへ少しでも報いることができるならと、頑張った。
例え、大人数で一方的に殴られようと。
例え、上履きや筆箱を隠されようと。
例え、給食に虫の死骸を入れられようと。
例え、買ってもらったばかりのランドセルを画鋲で穴だらけにさせようと。
泣き出しそうになりながらも、どうしてこんなことをするのかと自分を虐めてくる連中に聞いた。自分に非があるならば、直そうと思っていた。
『でしゃばりなんだよ。かあちゃんいないくせに』
『それにおまえ、からだひょろくてヨワソーだし』
『ザコならザコらしくしてろよな。ウッゼーんだよ』
好きなだけ理不尽な言葉を投げつけた後、彼らは笑いながら僕に暴力を振るった。
意味などなかった。理由など不要だった。
彼らは、ただ単純に弱者である僕を虐め、
僕は彼らとの対話を諦めた。
学校に行くのが嫌で嫌でたまらなくなった。父さんに相談して助けてもらおうかとも思った。
けれど、それはできなかった。
父さんに情けない台詞は吐きたくなかった。もう一度頑張るという台詞を嘘にしたくはなかった。
僕は虐めっ子たちが虐めに飽きるまで耐え続けようと決心した。
逃げ場がなく、精神的に追い詰められた僕だったが、そんな僕にたった一人……いや、一匹だけ心を許せる友達ができた。
ある日の放課後、追ってくる虐めっ子たちから逃げていた僕は、川原の背の高い雑草が群生している場所に逃げ込んだ。そこでじっと息を殺し、虐めっ子たちをやり過ごすことに成功した。
ほっとしていると、ミャーミャーという鳴き声が僕の耳に届いた。声のする方へ、行くとそこには小汚いダンボール箱の中に入った小さな黒猫を見つけた。
僕が恐る恐る子猫を撫でると、嬉しそうに鳴いて、僕の手にじゃれついてきた。
その時、僕は涙を流した。ただ僕を許容してくれる存在がいることが嬉しかった。
それから、僕は放課後になると子猫と遊ぶために川原に行くようになった。家で飼えれば一番良かったのだが、父さんが重度の猫アレルギーだったため断念した。
学校の図書室で猫の飼い方について調べて、子猫には牛乳ではなく、粉ミルクの方がよいこと学んだ。
僕が赤ん坊の時に飲み残した粉ミルクの粉をお湯で戻し、
いつまでも名前がないと不便だったので、国語の授業で習っていた『スイミー』という小さな黒い魚が仲間と協力して大きな魚を撃退する物語から取って、スイミーと名付けた。
スイミーは僕によく懐いていて、ゴロゴロと喉を鳴らして足元に擦り寄ってくるところが可愛かった。
『なあ、まさお』
今まで僕に嫌がらせや無視をしていた元・友達の一人、アキラ君が教室で僕に急に話しかけてきた。
「……なに?あきらくん」
『おまえ、なんでさいきんそんなにたのしそうなの?おれにもおしえてくんね?』
小学校に入ってすぐ僕を裏切ったアキラ君に軽蔑していたが、その頃の僕はまたアキラ君たちとも仲直りして、友達に戻りたいという思いがあった。
だから、簡単に教えてしまった。スイミーのことを。
その日から二日後、僕は学校に登校して自分の下駄箱の中に変なものが入っているのを見つけた。
赤茶けた色をしたビニール袋だった。
散々、虐めを受けていた僕は、虐めっ子たちが入れた芋虫の死骸か犬のフンだろうと思ったが、ビニールの中を開いた。
僕が甘かった。
奴らの悪意の大きさを見誤っていた。
中に入っていたのは、スイミーだった。
手足がおかしな方向に曲げられて、血にまみれ、顔には大量の画鋲が突き刺さっていた。
「……え?…………う、うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
一瞬、自分が見ているものが理解できなかった。その場にへたり込み、袋の中のスイミーを抱きかかえ、僕は絶叫していた。
『あはははははは!だいせいこー!』
『いやー、おもしれー!』
『ほーんと、おまえのおかげでさいこうにおもしろいもんがみれたぜ。さんきゅー、アキラ』
『そーだろー。あはははは!』
下駄箱の陰から僕を指差して出てきたのは虐めっ子たちと、アキラ君。
それを見た僕は、スイミーの時とは違い、即座に理解できた。
アキラ君が虐めっ子たちにスイミーのことを教えて、四人でスイミーを惨殺したのだ。
『いやー、まさお。ごめ~ん。そのねこ、ビニールにつめてサッカーしてたらしんじゃってさー』
『だから、わるいとおもってがびょうでトッピングしたんだぜ』
『あははは!トッピングってなんだよー』
楽しそうな下劣な笑い声が響いた。
僕の中にある感情が爆発しようとしていた。
悲しみではなかった。そんなものは当の昔に越えてしまっていた。
絶望でもなかった。そんな大人しいものとはかけ離れているものだった。
憎悪ですらなかった。そんな
脳髄を焼き、思考が真っ白になっていた。
拳が握り締めすぎて、いつの間にか変色していた。
虐めっ子たちが何やら僕に言っていたが、そんなものは耳に入っていなかったので覚えていない。そして、覚えている必要もないほど下らないものだっただろう。
僕の中にある感情は殺意だった。
取り合えず、こいつらを殺そう。
それが当時の僕の最後の思考。
無言で僕は飛び掛り、殴りかかった。誰を殴ったかは覚えていない。
ただそいつの顔面に自分の指の骨が折れるほど威力で、何度も拳を振り下ろした。
殺そう、と。ただただ殺そうと。
後先も考えず、脳内から湧き出る殺意に身を任せて。
その後はまったく記憶に残っていない。
霧がかかったようによく思い出せない。
ただのその小学校、というかその地域に居られなくなり、父さんも職場を移るはめになったのだけは覚えている。
ただ、僕はこの一件から人間の悪意というものが存在しているということを身を持って知った。自分自身も感情に身を任せれば、理性のないケダモノのに変わるということも。
だから、僕はそれ以来、柔和な笑顔の仮面を付けて、周囲の人間を観察して生活するようにした。
いつ、誰が、どのように、僕に対して悪意を向けてきても、事前に対処できるようにするために。
僕は人間不信に……いや、人間の根底にある悪意という存在を誰よりも信じるようになった。
<信じる者はすくわれる>
神様や人の悪意を信じた僕が『すくわれた』のは足元だけだった。
政夫の幼少時代の話ですが、本当はもっと長いです。
何度も何度も人の悪意に押しつぶされそうになって、今のひねた少年になってしまったわけですが、後は本編に絡められる形で書きたいと思います。
政夫が孵化寸前のグリーフシードを握っても、おかしくならなかったのは絶望に多少耐性があるからです。