「あなたにそんな過去があったなんて知らなかったわ……。なのに私は……」
「……私、アンタの事、誤解してた」
杏子さんの話を聞き終えた僕らの感想は、
巴さんも美樹も杏子さんへの同情から悲しそうな表情を浮かべている。時に巴さんの方はほとんど泣きそうだ。
「
杏子さんは、気遣うように苦笑いしながら、巴さんを
口調こそ淡々としていたが、自らの辛い過去を語ったのだ。杏子さんの心の中では、そう穏やかではないだろう。
それにも
だが、きっとそれができるのは、彼女が優しい女の子だからというだけではないだろう。他人を気遣うことができる人間は、心に自分のこと以外を考える余裕がある人間だけだ。
彼女にその心の余裕を作ったのは
そこまで考えて思考が一旦止まり、疑問が浮上した。
なぜそのショウさんは今、一言も口を
ショウさんなら、真っ先に杏子さんを
ショウさんは、僕のすぐ近くで顔を
ショウさんの周りだけ妙に張り詰めたような気配すら感じられる。破裂寸前の風船をイメージさせる、そんな不安になる静けさ。
「あの……ショウさん?」
僕が思わず、微動だにしないショウさんに恐る恐る声をかけた。
その瞬間、
「ふざっけんじゃねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!!」
凄まじい怒声が教会に響き渡った。
あまりの唐突さに驚き、僕は呆然とショウさんを見つめる。
それはショウさんを除くみんなも同じようで、何が起きたのかも理解できないといった
しかし、ショウさんはそんなことは気にも止めずに、
「おかしいだろッ!何で杏子が責められて、挙句にそんな想いしなきゃなんねぇんだよ!
ああ……、そうか。
ショウさんは杏子さんのお父さんに対して怒ってるのか。
「『人の心を惑わす魔女』?馬鹿か!?自分の大事な娘だろうが!!何トチ狂った事ほざいてんだよ!たかだか、人に言う事聞かせられるようになっただけじゃねぇか!むしろ、杏子に感謝するのが筋ってモンだろ!?くっだらねぇ!そんな事で家族を道連れに無理心中なんかしてんじゃねぇよ!!」
教会のひび割れて砕けたステンドグラスを睨みつけながら、ショウさんは怒りを声に込めて吐き出して続ける。
その言葉は杏子さんでも、僕らでもなく、亡くなった杏子さんのお父さんに向けられていた。
うーん。ショウさんが、杏子さんのことを何よりも大切にしていることは分かるが、いくらなんでも杏子さんのお父さんを責めすぎな気がする。
奇跡なんて得体の知れないもので人の心が操れるようになったら、誰しも平然としてはいられないだろう。
責めるところがあるとすれば、そこではなく、教義にないことまで説教するようになったことだと僕は思う。
それほど杏子さんのお父さんを擁護する気もないが、あまりにもショウさんが感情的なので
「あの……ショウさん。でも、ある程度杏子さんのお父さんにも同情の余地はあると思いますよ?いきなり人の心が操れる得体の知れない力が手に入ったりしたら、常人なら恐ろしいと感じるのは当然だと思いま――――」
「ねぇよッ!!」
最後まで僕が言い切る前に、ショウさんが言葉を
僕に
「同情の余地なんかねぇよ!!俺だって、カレンの魔法少女の『願い事』のおかげで女の心をある程度操れる力をもらったけど、絶望なんかしちゃいねぇ!カレンが俺のためにしてくれた事だ!俺はこの力をもらった事はカレンに感謝してる!今、杏子の手助けができてるのもカレンのおかげだ!」
そうか……。
ショウさんがここまで怒っているのは、杏子さんのお父さんとショウさんの境遇が似ているからだったのか。
というか、ショウさんの妹さんが魔法少女だったんだ。初めて知った。使い魔を操る能力もカレンさんの『願い事』の副産物なのか?
「俺はカレンが魔法少女だった事も、俺が女を操れるのもカレンのおかげだって事も、最近になるまで知らなかった……!カレンが何も言わずにいなくなってからも、ずっと自分がどれだけカレンに助けられてたのかも知らないで生きてた。でも、杏子の馬鹿親父には、娘と……杏子と話し合うチャンスがあった!なのに、なのに何で杏子を傷つけるような事ばっかすんだよぉ……!!」
最後の方は涙を流しながら、ショウさんは叫んだ。
その叫びに含まれているのは、『悔しさ』と『憤り』だろう。
今までの断片的な情報から察するに、ショウさんの妹のカレンさんは魔法少女になり、女性の心を操る力(これのおかげでナンバー1ホストにまで上り詰めたのだろうか)をショウさんに与えた。そして、カレンさんは恐らく魔女との戦闘で命を落としたか……もしくは、魔女となってしまい、他の魔法少女に駆逐されたか、どちらにしてもすでに亡くなっているらしい。
最近になるまで知らなかったという発言からみて、『魔法少女』や『奇跡』のことは杏子さんと出合ってから知ったのだろう。
多分、いや間違いなく、ショウさんなら、カレンさんが『魔法少女』に関することを打ち明けていれば、全て受け入れていただろう。
だからこそ、その和解のチャンスがあったにも
悔しくないはずがない。許せないはずがない。
自分がどうしても得られなかったチャンスを、汚らわしい物のように捨てた男の話を聞かされたのだから。
「すみません……。僕の見解だけで物を述べてしまって」
僕はショウさんに頭を下げて謝罪した。
失敗したな。知らなかったとはいえ、その人物にとっての背景の事情も省みなければ、一般論を説いても何にもならない。
まあ、だからって言って杏子さんのお父さんが何でもかんでも悪いとは思わないが、少なくてもショウさんにとっては、杏子さんのお父さんの境遇なんて『大したことないもの』以外の何物でもないのだから、ショウさんにまで僕の意見を押し付ける気は起きなかった。
物事を客観的に見すぎてしまうのは、僕のくせだな。これからは、ほどほどの度合いを見極めなければないないな。
「…………いや、俺もちっとばかし柄にもなく、取り乱しちまった。悪い……」
感情を吐き出して大分落ち着いた様子でショウさんも、謝ってきた。バツが悪そうに乱れた前髪を
「杏子や他の嬢ちゃん達にも見っとも無いところ見せちまったな。すまねぇ。こん中で一番年上なのに、何やってんだか……」
「い、いえ、最初は驚きましたけど、それだけあなたが杏子さんを大切に思っている事を知れて良かったと思います。何でここまで杏子さんが素直になったのか、少しだけど分かりました」
ショウさんに頭を下げられ、巴さんは少し恐縮したように首を横に振った。
そういえば、この二人は面識がなかったな。今の叫びが、第一印象だとちょっと戸惑うだろう。
だが、ショウさんがいかに杏子さんのことを大切に思っているかを聞けたから、元友人として巴さんも安心できるだろう。
「こんなに優しいお兄さんを持っているなんて、ちょっと
巴さんはそう言って、からかうように微笑みながら杏子さんに話を振る。
「…………」
杏子さんの答えは沈黙だった。
なぜなら、彼女は必死でこぼれ落ちそうになっている涙を押し留めることで精一杯だったから。
「杏子……」
ショウさんは、杏子さんの元へ歩いていく。
対照的に、そっと巴さんが空気を読んで二人から離れていった。先ほどの汚名を見事に返上する空気の読みっぷりだ。
僕の方を向いて、「どう今度はちゃんとやったわよ」と言わんばかりのどや顔で巴さんはウィンクをした。……それがなければ綺麗に決まってたのに。だが、そのお茶目なところが巴さんらしさでもあるけれど。
「……アタシがやった事は……家族を……親父を苦しめて、傷付けただけだった……」
「絶対に違う。杏子は、自分の親父の夢を叶えようとしただけだ。杏子の親父がそれを受け入れられなかったのは、度量が狭かったからだ。お前のせいじゃねぇ」
「でも、アタシのせいで……」
ショウさんからすれば杏子さんの行動は間違っていないのだろうけど、杏子さん自身は自分のせいで家族が心中したという思いが強いのだろう。ショウさんの擁護の言葉に納得できていないようだった。
そんな簡単に罪悪感は拭えないのは仕方ない。これは流石のショウさんでも無理だろう。
時間をかけてゆっくりと杏子さん自身が納得していかなくてはいけない問題だ。
「うるせぇよ」
ショウさんは杏子さんを深く抱きしめて、言葉を遮る。
「ぁ……」
「俺が良いっつってんだから良いんだよ!杏子に文句付ける野郎がいたら、俺がぶっ飛ばしてやる。だから、もう自分を責めんな。いいな?」
感情だけで作られたような凄まじい理論で杏子さんでやり込める。
むちゃくちゃも良いところだ。だが、ショウさんの中では筋が通っているのだろう。
「でも……」
「でももクソもねぇよ。ほら、返事」
「う、うん。分かった」
戸惑いながらも勢いに押され、杏子さんは頷いてしまう。
それを聞くとショウさんは嬉しそうに笑って、杏子さんの髪をくしゃくしゃにするように撫でた。
「おし。じゃ、この話は終わりだ。
「え……うん」
「リンゴでも買ってくか。お前がいっつも食うせいで、もうなくなっちまってたし。アップルパイ作ってやるよ。大好きだろ、アレ」
理屈も正当性もないごり押し問答だけで、無理やり解決させてしまった。
絶対に僕には真似できない方法、というより、ショウさんと杏子さんの信頼関係だからこそなせる業だな。
仲
「おお……」
いつの間にか晴れて、教会の外に広がる空は夕焼け色に彩られていた。
ようやく、杏子編が一旦終わりました。
途中、どうやって収拾つけるか悩みましたが、最終的にはショウさんが全てを持っていく感じにまとまりました。
というか、政夫以上に主人公してますね、ショウさん。