鹿目さんと一緒に保健室に向かって、廊下を歩いていると、ふいに鹿目さんがぽつりと言った。
「……さやかちゃん。魔法少女になっちゃったんだってね」
美樹が魔法少女になった後、僕が鹿目さんと巴さんに連絡したので、鹿目さんはある程度大雑把にはそのことを知っていた。
そして『なった』ではなく、『なっちゃった』と言ってるあたり、鹿目さんの中で魔法少女への考え方が変わったのだろう。
「ごめん。止めようとしたんだけど、失敗しちゃった」
言い訳がましい説明は頭の中で百個は浮かんだが、僕は口には出さなかった。最終的に美樹を止められなかった僕にそんなものをいう資格はないからだ。
「政夫くんが謝る事ないよ。十分頑張ってたの私知ってるよ?」
「頑張っても、結果を出さなきゃ意味がない時もあるよ。取り返しのつかないことなら、
そう、取り返しがつかない。
恐らくは美樹は上条君を諦め切れなかったのだ。しかし、願いで心を支配することもできなかった。
中途半端な意志と覚悟。あまりにも不安定すぎる。
巴さんの場合は、その不安定だが力がある。船で例えるなら、タイタニック号といったところだ。よほど大きな
それに引き換え、美樹は泥舟。ちょっとしたことで沈んでもおかしくはない。非常に危うい存在だ。
鹿目さんは僕の顔を神妙な表情で上目づかいで見上げる。
改めて思うが鹿目さん小さいな。下手すると150センチもないんじゃないか。
「政夫くんはさ。もし願いごとができても、絶対にしないって言ったよね?」
「ああ。言ったね」
「どうして?どうしてそこまで言い切れるの?神様とかに祈った事とかはないの?」
鹿目さんの顔は何時になく真面目だ。それでいて、どこか自信なさげだった。
神様、か。僕にとって、あんまり良いイメージはないな。
すごく情けない頃の自分を嫌でも思い出させられる。
でも、正直に答えよう。じゃないと、鹿目さんに失礼だ。
「……あるよ。でもね、『祈ってる』だけじゃ駄目なんだ。自分の手でどうにかしないと人は前に進めない。神に祈ることは否定しないけど、神に
これは、僕が色んな人と出会って、時間をかけて学んで、ようやく気付けたことだ。
幼稚園の頃は心の底から祈れば、神様が助けてくれると思っていた。間違ったことさえ、しなければ必ず報われると信じていた。
でも、それはただの勘違いだった。
どうにもならないことは、どうにもならない。祈ろうが、願おうが、叶わないものは叶わない。
僕は母親の死を通じてそのことを知った。
そして、それが正常で正しいってこと。
辛くて、悲しくて、どうしようもないことがあるからこそ、人は必死で生きられる。
簡単に失ってしまうからこそ、本気で努力できる。
妥協して、割り切れるところは割り切って、それでもどうしても曲げられないところを押し通す。
都合の良い『奇跡』ばかりでは、何も成長できやしない。
きっと、世の中が理不尽だから、人間は強く
「きっとさ、今のままじゃ叶わない願いがあるから、叶えようと思って、努力するんじゃないかな。それの願いが今すぐ叶うなら、きっとそれはもう願いでも何でもないよ」
「うまく、言えないけど…………きっと、それは政夫くんが強い人だから言えるんだと思うよ」
珍しく、というか初めて鹿目さんが怒ったような顔をした。
その眼光は言外に納得ができないと、僕の意見を真っ向から否定しているようだった。
「私みたいに何もできない弱い人間はチャンスがあったら、それに縋っちゃうよ……」
「そうかな?本当に『何にもできない弱い人間』なら、人の意見に批判なんかできないよ。鹿目さんは多分自分を卑下しすぎなんじゃない?」
そうこう話しながら、歩いている内に保健室の前にたどり着いていた。
もう少し鹿目さんと話したいことがあるが、それだとただのサボりだ。鹿目さんもそろそろ教室に帰らないと授業に遅れててしまうだろう。
「鹿目さんは、鹿目さん自身が思ってるよりずっと優しくて強い女の子だよ。僕が保障してあげる」
「……そうかな」
「そうだよ。それじゃ、付き添いありがとうね」
取りあえず、鹿目さんにお礼を言って別れ、僕は保健室に入る。
それにしても、鹿目さんも鹿目さんで悩みを抱えているんだな。何とかしてあげたいけど、今のところは本音が聞けただけでも良しとしよう。
でも、こういうのは普通仲の良い親友に話すべきじゃないのか?
志筑さんは仕方ないとして、美樹あたりが……。いや、あいつもあいつで自分のことだけで精一杯か。
僕は養護教諭に腕を見てもらった後、保健室のソファでそのことを思案していた。
もちろん、養護教諭には許可を頂いている。
随分、痛いなと思っていたら、身体のあちこちが肉離れを起こしていたらしい。急な激しい運動は身体に毒だということを身にしみて理解した。
休みの日も全然休めなかったので、ちょっとゆっくりしようと神経をリラックスモードに移行していると、保健室のドアが開いた。
「失礼します。体調が悪くなってしまったので少し休ませて下さい」
疫病神がこの場に降臨した。ドアから顔を出したのは暁美だった。
僕が心休まる場所はみ存在しないのか……。暁美は、僕をいじめているのかい?
「うむ。許可しよう」
養護教諭は軽く頷くと、机に向かってデスクワークの続きを始めた。
僕の時もそうだったが、つくづく無口な人だ。
恐らく、養護教諭が許可したのは、暁美が入院していたことを知っいるからだろう。
暁美はさも自然に僕の隣に座った。
「……ここなら、落ち着いて話ができるわね」
「……それで何しに来たの?」
暁美が小声で話しかけてきたので、僕もそれに合わせて小さな声で聞いた。多分、聞かれてはまずい話なのだろう。もっとも、あの寡黙な先生が生徒の会話などに耳を傾ける姿など想像できないけれど。
「あの編入生、魅月杏子は魔法少女よ」
またか。もういいよ。魔法少女は、お腹一杯だよ!
心底嫌そうな顔で暁美を見たが、それに気付くほどのコミュニケーションスキルなど暁美が持ち合わせてるわけもなく、淡々と話を進める。
「彼女は私の知っている限り、家族は皆心中して天涯孤独の身だったはずよ」
「え?待って。たしか兄がいるって、魅月さん教室で話してたよ?」
意味が分からない。
僕自身、彼女の兄である魅月ショウさんに会ったことがあるのだ。
「彼女の本名は佐倉杏子。『魅月』という姓は『この時間軸』以外では名乗っていなかった」
「じゃあ、魅月ショウさんに引き取られたってことなのか……」
一度会って話しただけだが、良い人らしいのは見てとれた。僕は人を見る目には自信がある。
あの人なら、居場所のない少女に居場所を作ってやるぐらいのことはやりそうだ。
「え……?貴方は佐倉杏子が言っていた『兄』の事を知ってるの?」
「一度、病院で会ったことがあるだけだけどね。上条君とも知り合いらしいよ」
上条君の名前を出した途端、暁美は複雑な表情を浮かべた。
そういえば、彼の告白の件については暁美の中ではどう処理されたのだろうか。気になるところだ。
「そう……上条恭介の……」
「で、暁美さん。上条君の告白の返事は決まった?」
「うう……。胃が痛くなってきたわ」
暁美はぐったりとして、ソファからずるずるとすべり落ちた。
恋愛でここまで悩むとは、意外に乙女チックなところがあるんだな。
僕はもう少し踏み込んで聞いてみる。
「上条君のこと嫌いなの?」
「……貴方は人の事をヴァイオリンの化身扱いする人間に好意を抱けるのかしら?」
「う~ん。そう言われると厳しいかもね。でも上条君は話してみると結構面白いよ?」
「他人事だと思ってるわね……」
暁美はじと目で僕を睨む。
そりゃ、人事ですもん。真剣に考えるわけないじゃないか。
「でも、真面目な話、そろそろ上条君は学校に復帰するよ。左手も治ったわけだし」
本格的に暁美は身の振り方を考えなければいけないだろう。下手をすれば、それが美樹が魔女化を決める決定打になる。
生半可な気持ちではいけない。
「分かってる。でも……」
「だから、いっそ付き合っちゃえばいいじゃないか。美樹さんのことは、僕と鹿目さんで慰めるとしてさ」
「そうじゃないわ。私が好きなのは!……ま……」
急に顔を赤らめて暁美は目を泳がせながら、もじもじと人差し指をこねくり回す。
別に今更そんなに恥ずかしがる必要なんてないのに。
「知ってるよ。まどか、つまり鹿目さんだろう?でも、鹿目さんはレズじゃないんだ。ここら辺で君も現実を見ないと…・・・ゥッ!!」
僕は最後まで言葉を言い切ることができなかった。
なぜなら、暁美の右拳が華麗に決まったからだ。舌を噛まなかったことは本当に幸いと言えよう。
痛いという以前に意味分からなかった。
急に視界に保健室の天井が映し出された後、次の瞬間には暗転した。薄れ行く意識の中で、僕は『保健室の天井って案外綺麗だな』と思った。
あまり内容は進んでいないです。申し訳ありません。