夜、僕は夕食を食べ終えた後、机に向かって宿題をしていた。
えーと、この数字をここに代入して、展開してと……。
なかなか難しいな。僕が数学を得意じゃないことを差し引いたとしても、問題のレベルが高すぎる。
ちょっと気分転換しよう。
僕は外の空気でも吸おうと窓に近づくと、窓の外には黒髪の少女が無表情で
「うッぎゃああああああああああああああ!!」
絶叫を上げて
何これ? ホラー? ホラーなの? 教えて稲川淳二!?
恐怖でおろおろしていると父さんが僕の叫び声を聞きつけたらしく、すぐに僕の部屋にやって来た。
「どうかしたのかい?今、すごい声が聞こえたんだけど」
「ま、窓の外に女の子の幽霊が・・・」
「窓の外?誰もいないけど?」
父さんは窓を開けて、外のようすを見てくれたが、何も異常がないらしく
僕も続いて窓の外を見るが、父さんの言った通り、外には物陰一つなかった。
見間違いだったのか?いやそっちの方が僕としては嬉しいが。
「今日は色々あったから疲れているんじゃないかな?まあ、僕は部屋にいるから、何かあったらまた呼んでくれて構わないよ」
「ごめんね、父さん」
父さんは自分の部屋に戻っていった。
僕も数学の宿題の続きに取りかかろう。無駄な時間を過ごしてしまった。
そう思って、ふと何気なくまた窓に目をやると、『いた』。
幻覚ではない。はっきりとそこに黒髪の無表情の女の子が……ってよく見たら暁美じゃないか!
「な、何してるの?こんな
暁美はさも不満そうな表情で僕を睨む。
「……何もあんなに大きな声を出さなくてもいいじゃない」
第一声がそれか。
だが、明らかに自業自得だろう。こんな時間に窓の外を無表情で突っ立てたら普通は驚くぞ。
「少し貴方と話したい事があったのよ。入れてくれる?」
「それ、電話かメールじゃ駄目なことだったの?」
「……………………とにかく部屋に入れてもらえる?」
「おい。何だ、今の間は。忘れてたんだな、携帯の存在を。文明の利器を」
恐らく、友達がいない
……悲しい子だな。というか、せめて玄関から入って来いよ。
仕方がないので暁美を窓から部屋に
靴を平然と窓の
「ちょッ、靴は!……ちゃんと外に置いてね。それで話って何?」
「病院にあったグリーフシードの件についてよ」
あー、あの僕が、孵化する前に支那モンの背中に突っ込んだグリーフシードのことか。かなり危険なことだったとこいつに大激怒されたのは、よく覚えている。
でも、その話は終わったんじゃなかったのか?
僕の疑問に答えるように暁美は、続けて言う。
「今までの時間軸通りなら、巴マミはあのグリーフシードから生まれた魔女に、頭ごとソウルジェムを
「そ、それはかなりヘビーだね・・・」
僕は『その光景』を想像した、が、僕の精神衛生上よろしくないので早々に打ち切った。
でも、まあ、結果的に巴さんが助かったのなら、それでいい。命を張った
「それで?」
僕が聞くと、暁美は神妙な顔で頭を下げた。
「本当にありがとう。心からお礼を言うわ。貴方のおかげで巴マミの命が救われた。ううん、それだけではないわ。巴マミとの協力関係まで築く事ができたわ。これでワルプルギスの夜と戦う戦力が増やせた」
「……その言い方はないんじゃないかな?まるで巴さんのことをただの戦力としか
感謝の言葉よりも、巴さんの命を軽く見るような言い回しに意識が行く。
もしそうなら暁美との協力関係を改める必要があるかもしれない。暁美は、鹿目さんを大事にしているのは構わないが、その他の人間の命を軽く見ているのだとしたら、それは支那モンと何一つ変わらない。
すなわち、僕にとっての『敵』だ。
「そう聞こえるなら、そうなんでしょうね。私にとってまどか以外の事はどうでもいいの」
「最低だね。君の嫌いなインキュベーターと
「……ッ、貴方に何が……!」
またそれか。都合が悪くなると、そうやって不幸な過去を盾にする。
そんなものはただの言い訳に過ぎない。辛い想いをしたからといっても、それで他人の命を値踏みする理由になんかならない。
「分からないよ。分かりたくもない。人の命の価値を勝手に決める下種な思考なんて」
しばしの間、僕と暁美は無言で睨み合いを続けた。
ああ、こいつのことがどうしても好きになれない。会話をしていると腹が立つ。どうにも冷静でいられなくなる。
暁美の表情は、抑え切れない感情が詰まったようだった。
その中でもっとも大きいものは、『理解されない苦しみ』だろう。自分だけが真実を知っている孤独感。自分の事を信じてもらえない疎外感。
どれも、僕は知らないし、知ったところで理解することはできない。それは暁美自身が背負うべきものだ。結局のところは、自業自得なのだから。
それが、最初に『鹿目まどか』の想いを踏みにじったこいつの罪だ。
「……私だって。私だって!精一杯やってるのに!どうしてそんな事言うの?まどか達には優しくするくせに、どうして私だけはそんなに厳しいの?ねえ、どうして!」
「……言い過ぎたよ。ごめんね」
こいつもこいつで
何だかんだ言ったって、こいつも中学生。自分以外のことに責任を背負える年齢じゃない。
でも、気に食わないものはしょうがない。僕とこいつは根本的に馬が合わないのだ。
「暁美さん、きっと疲れが
意訳すると『面倒くさいのでさっさと帰れ』と言う意味になる台詞を吐いて、ご退場願う。
父さんに見つかったら、説明に困る。客観的に見れば、夜遅くに自分の部屋に女の子を連れ込んでいるとしか見えないからな。
若干、いつもの無表情よりムスっとした顔で暁美が呟いた。
「……やっぱり優しくないわ。私にだけ冷たい」
「じゃー、どーすればいいんですか?頭でもなでましょうかー?それともハグの方がいいですかー?」
暁美はまだごちゃごちゃ言うので、適当な態度で聞く。切れるかとも思ったが、切れて帰ってくれるならそれでも構わなかった。
「……じゃあ、頭の方で」
暁美は椅子に座っている僕の前で女の子座りすると、頭を僕の方へ突き出した。
……暁美流の冗談だろうか。だとしたら、非常に反応のし辛いギャグだ。
僕が戸惑いながらも、僕は恐る恐る手を暁美の頭に伸ばす。
ここで暁美がすくっと立ち上がって、「冗談よ」とでも言ってくれないかと願ったが、そんなことは起きなかった。
そっと前から後ろにできるだけ優しく暁美の頭を
だが、心理的には凶暴な肉食獣か、不発弾に触れているような感覚だった。
理解不能な要求をされたせいで、僕の中の暁美ほむら像が崩壊しつつあった。本気で何を考えているのだろう。
考えの読めない人間ほど怖いものはない。
「えっと……どうでしょうか」
恐怖心からか、意図せず敬語になってしまった。
暁美はそれに対して気にしたようすもなく、少し陶酔したような声で答える。
「そう、ね。もう少し強くてもいいわ」
暁美は頭を突き出しているのでどんな顔をしているか見ることができなかったが、少なくても不快そうではないようだ。
要求通り、もう少しだけ撫でる強さを上げる。
「……………………」
「……………………」
何これ?
お互いに無言で、時を過ごした。
何と言うか、
政夫の謎の役得。
本人にしてみれば、軽く罰ゲームかも?