魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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第百二十一話 王子の像とツバメたち

『ねぇ、政夫くん。〈しあわせの王子さま〉って童話知ってる?』

 

 ワルプルギスの夜の頭上に向かう最中、最後に交わした愛しい人との会話が脳裏に浮かぶ。

 あの夜、一つの布団でお互いの体温を感じ合った後に、まどかさんは不意に僕にそう尋ねてきた。

 上がって息も、激しく動いていた鼓動も穏やかになって来た頃に唐突に投げられた問いについ質問で返してしまった。

 

『それってオスカー・ワイルドが書いた短編小説の〈幸福な王子〉のこと?』

 

 すると、すぐ隣で横になっている彼女は天井を仰いでうーんと一つ唸ってから答えた。

 

『絵本で読んだからよく分からないけど、黄金や宝石でできた王子さまの像がお金に困ってる人やお腹が空いて悲しんでいる人たちのために自分の身体を少しずつあげちゃうお話』

 

 当時の彼女はその絵本を知久さんに読んでもらった時、あまりにも救いが無さ過ぎて泣いてしまったのだと話してくれた。

 王子の像に同情して泣き出す幼いまどかさんと、いきなり泣き出した娘を困惑しながらも慰める知久さんの情景が容易に想像できて、つい笑ってしまう。

 

『ああ。じゃあ、やっぱり〈幸福の王子〉のことだね。絵本化される時に名前も分かりやすく変えたんだろうね。それで、その童話がどうしたの?』

 

『その王子さまの像が政夫くんにそっくりだなって』

 

『えっ。僕のそんなに金ぴかなの!?』

 

『違うよ。もう』

 

 当然、ふざけての発言だったが、僕の桃色のお姫様はからかわれたと思って少しだけ頬を膨らまして否定した。

 とても愛らしいむくれ顔を見せてくれた後、まどかさんは少し悲し気な表情を作り、僕の顔を見つめる。

 

『……誰かのために自分を削っていって最後には報われる事もないまま一番辛い目に合っちゃうところ』

 

『僕はそんな……』

 

 大したことはしないよと冗談っぽく続けかけようとして、止めた。

 まどかさんの瞳がとても真剣だったからだ。

 僕のことを本気で心配して、本気で悲しんでくれている。だから、誤魔化すように否定するのは失礼だ。

 だから、僕もまた彼女に真面目に答える。

 

『でも、本当に〈しあわせの王子さま〉は報われなかったのかな?』

 

『え?』

 

 僕の言葉に疑問符を浮かべるまどかさんに、優しく微笑みかける。

 

『絵本ではどうだったかは知らないけれど原作の王子の像はその国の若くして死んだ王子の魂が宿ったという背景があるんだ。生前は幸福しか知らなかった王子が世界の醜さを知り、心を痛め、そして我が身を削って貧しい人たちを助けたいと思った』

 

 綺麗なことや楽しいことしか知らないというのは確かに楽ではあるだろう。だが、世界の本当の姿を知り、辛い思いをしている人々に少しでも幸福を与えることができた王子の像は充足感を懐いたはずだ。

 そして何よりも……。

 

『そんな自分を愛して、協力してくれたツバメが彼には居た』

 

 宝石や黄金が剥がれ落ちてみすぼらしい見た目になっても、王子の像の傍に居てくれた存在。

 ツバメは自分の命まで捨ててまで、王子の像を最後まで見守ってくれた。自分の持っていた全てよりも、王子の像を選んでくれた。

 

『報いがないなんて嘘だよ。ちゃんと報われた。少なくとも僕はそう思うよ』

 

 そう言ってみせるとまどかさんは少しだけ嬉しそうに、そして少しだけ寂しげに口の端を弛めた。

 

『そっか。ちゃんと、報われてたんだ』

 

『うん。十分、幸せだったと思う』

 

 そこでお互いは会話を一度止めて、しばし天井を眺めた。

 布団の中で繋いだ手のひらを握り直す。穏やかな時間の過ぎていく優しい沈黙が心地よかった。

 感じたことのない安らぎだけが胸の奥まで満ちる感覚。ずっとこの気持ちを味わっていたい。そう心から思えた。

 ――このまま、僕はまどかさんと一緒に死のう。きっと、王子の像のように幸せな気持ちでこの世を去れるはずだ。

 だが、そこでふと一つの疑問が(しょう)じた。

 王子の像は果たしてツバメが自分のせいで死んでしまうことに何を感じたのだろうか。

 もしも、ツバメが暖かい南へ行けるチャンスがあるとしたら、王子の像は……。

 目の端でまどかさんの横顔を見つめる。

 優しく、思いやりがあって、行動力があって、心の芯の強い素敵な女性(ひと)

 すると、見つめていた彼女の唇が付け足すように呟く。

 

『でも、政夫くんがそういう人だったから好きになったんだけどね』

 

『え?』

 

『誰かのために損をしてでも手を差し伸べるところが、政夫くんの素敵な部分だから』

 

 僕の方へ顔を動かして、柔らかい愛おしげな笑みを溢す。

 ああ、そうか……。

 その笑顔を見て、気付いた。最後に王子の像が望んだことを。

 ――生きてほしい。

 自分の分まで。

 その優しさが報われるまで。

 少なくとも、僕が王子の像ならば絶対にそう思う。

 

 

 だから、僕は見滝原市に帰って来た。彼女が生きていくこの場所を守るために。

 惨めに死んでいくことを選んだのだ。

 

 ワルプルギスの夜の上空。

 ニュゥべえの背に乗った僕は、ほんの十数メートルまで彼我距離を詰める。

 ここまで近付けたのは、巴さんたちのおかげだ。僕らだけではここまで無傷で接近することはできなかっただろう。

  

「政夫。……ここまで来たけど、どうするつもりなんだい?」

 

 ニュゥべえが心配そうに僕に尋ねる。

 彼女もまた僕が何をしようとしているか知らない。それにもここまで僕に付き従ってくれた。

 本当に感謝の気持ちしかない。

 こんな僕のためにたくさん苦労を無償で請け負ってくれた。

 

「ニュゥべえ、今までありがとうね。君もまた僕のもう一羽の〈ツバメ〉だったよ」

 

 質問への返答ではなく、感謝の言葉を述べた。

 

「政夫、一体何を……」

 

「後は僕だけの仕事だから、君とはここでお別れだ」

 

 彼女が訝しげに疑問を呈する前に僕は彼女の背から飛び降りる。

 魔力の膜から出た身体は暴風と寒気に晒された。浮遊感を感じながら、指に嵌った指輪を掲げる。

 もう最初の三分の一程度の大きさになった、薄く透けた黒いソウルジェムが姿を現す。

 自分の願いに気が付いた時、僕はなぜこのソウルジェムが不完全なのか理解した。

 決してニュゥべえがミスをした訳ではなかった。

 僕のソウルジェムが消滅していくのは――それが僕の『願い事』だからだ。

 僕はまどかさんに恋をした時から、ずっと魔法のない世界を祈っていた。

 まっすぐに生きる彼女が、魔法なんてつまらないものに邪魔されないように、と。

 自分にできることを必死で頑張る彼女が、奇跡なんて下らないものに汚されないように、と。

 だから、僕は許さない。

 魔法を。奇跡を。都合のいいまやかしを。

 例え、それが自分自身だったとしても。

 黒のソウルジェムが輝き出し、僕の身体を包み込み、密着するように纏わり付く。

 

「僕の魔法(ねがい)は魔法の否定」

 

 一瞬にして衣服が魔力によって変形し、黒い燕尾服へと様変わりする。ふわりとシルクハット落ちて、頭の上に落ち、ソウルジェムが首元の黒い蝶ネクタイの中心部で鈍く輝いた。

 白い手袋で覆われた手には黒のステッキが握られている。

 古典的な手品師のコスチューム。その姿に籠められたのは恐らくタネも仕掛けもない魔法などなくていいという僕の思想だろう。

 片目しか見えなかった視界が両目とも良好に戻り、あれだけ煩かった耳鳴りから解放された鼓膜は嘘のように収まっていた。手には鈍くなっていた感触が帰ってくる。

 代わりに時折訪れるだけだった激痛が全身を隈なく蝕んだ。

 全身の皮膚を剥いで熱湯を被せられたような、あるいは内側からヤスリ状のもので削り取られるような痛み。

 僅かでも気を抜けば、意識すら奪い取られかねない激痛の中、歯を食い縛って真下に浮かぶ魔女へと着地すると同時にとステッキを振り下ろす。

 先端がワルプルギスの夜の歯車に触れた瞬間、薄い氷を踏んだ時の如く衝突部分を中心に四方八方亀裂が入った。

 そして、あれほど強固さを誇っていた最悪の魔女の外殻は――呆気ないほど簡単に砕け散る。

 散った破片は黒い塵のようになり、瞬く間に消滅。まるで最初からなかったかのように消えてしまう。

 消失の手品(マジック)の如く消えた歯車。途端、ワルプルギスの夜が吠えた。

 先ほどまでの笑い声とは違う。怒り狂う感情が伝わるほどの咆哮。

 

『ァ、アァ――――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――』

 

 空間が破裂する。既に崩れた砂の城のような様相をしていたビルの残骸の辛うじて残っていた窓ガラスが一斉に割れた。

 身体を激しく揺らして、僕を纏わり付いた虫か何かのように弾き飛ばすと、玉虫色の火炎を噴きかける。

 邪魔なものを無造作に払うような魔法少女たちとの戦闘とは明らかに威力と規模が違う、明確な敵意を懐いた目も眩むような灼熱の劫火(ごうか)

 ……だが。

 

「そんな魔法(もの)は許さないよ」

 

 燕尾服に付いたポケットから黒い布を引きずり出し、劫火をひらりと被せるように(あお)ぐ。

 布が僕の視界から劫火を覆い隠した次の瞬間には、玉虫色の火炎は跡形もなく消滅していた。

 これが僕の魔法、僕の願い。

 魔法を壊すためだけの魔法。

 玉虫色の火炎を消した即座にステッキで追撃を放り込む。

 紺色のドレスにも似た外皮が剥げ落ち、失せた。その下にある大小の歯車もまた同じように砕けて散る。

 息継ぎすら止めて、力の限り何度となく打ち据える。打擲(ちょうちゃく)に次ぐ打擲。その都度、ワルプルギスの夜は砕け、削られ、体積を徐々に失っていく。

 同時に否定の魔法を行使する度に僕のソウルジェムの損耗も加速する。文字通り、命を削る連撃だ。

『―――――――――――――――――――――――――――っ‼︎』

 

 悲鳴にも似た絶叫がワルプルギスの夜から(ほとばし)った。

 懐いている感情は痛みか、恐怖か、あるいは慟哭だろうか。

 それに対して哀れみを感じる余裕も必要性も僕には持ち合わせてはいない。

 僕にある感情は二つ。

 それは後悔と絶望。

 死にたくない。もっとまどかさんと一緒に居たかった。彼女と同じ時間を過ごしたかった。

 魔法など使いたくなかった。例え、死んでもこんな都合のいい力に手を伸ばしたくはなかった。

 死が確定している事実と魔法などというふざけたものに頼らなければいけない状況への絶望。

 愛しい人が居て、その人が自分を愛してくれているのにもう二度と会うことのできない後悔。

 その二つが激痛よりも苛んでいる。心が砕けそうなほど負の感情が僕の中を駆け巡っていた。

 皮肉なことにその負の感情エネルギーが僕の魔法の出力を上げている。頭がおかしくなるような絶望が僕を強くする。

 脅威だった巨体は今や単なる当てやすい的とかし、魔法少女に恐れられていた伝説の魔女は一方的に(なぶ)られていた。

 

『アア、アアアアアァァァァァァァ――――――――!』

 

 見滝原の空に悠々と鎮座していたワルプルギスの夜は後方へと身体を揺らして移動した。とうとう後退してまで、僕から逃れようとし始めたのだ。

 

「逃がさないよ。こっちには時間がないんだ……」

 

 身体中を駆け巡る激痛を押して、追い縋ろうと僕は高く跳ね上がる。

 直後にコンクリートやアスファルトの残骸が宙に舞い、追跡をしようとしていた僕へと念動力で今にも振り降ろさんばかりに浮いた。

 

「なるほどね。それなら僕にも有効だよ」

 

 確かに魔力によって持ち上がった瓦礫は物質。直撃すれば僕の魔法では消すことは不可能だ。

 しかし、それも当たればの話。

 

「でもね、それを浮かしている魔力はやっぱり魔法の一部なんだよ?」

 

 すっとステッキの先端を上に翳し、円を描くようにくるりと回す。

 念動力が消え、持ち上げられていた瓦礫は力を無くしたように元あった場所に落下した。

 ワルプルギスの夜は自分の攻撃が通用しないことを理解したのか、もはや叫びすら上げない。

 先が二股に分かれた道化師のような帽子は片側が剥げ、身体の方は小さめの歯車が三つ四つ、鈍い動きで回っているワルプルギスの夜。

 満身創痍と言った風情を晒している。かつての迫力はそこにはなく、貧弱さしか伝わって来ない風体だ。

 ――あと、一押しで勝てる。

 そう思い、僕は奴のすぐ傍まで接近し、狙いを定め、ステッキを振り上げる。

 その時、ごぽりと水気を含んだ何かが排出される音が耳に入ってきた。

 ワルプルギスの夜からではない。音を発したのは僕の口だった。

 真っ赤な血の塊が唐突に喉から競り上がり、口内と鼻腔から胃液と混じって零れ出る。

 空中でバランスを崩した身体が、重い(かせ)でも付けられたように真下へと墜落した。

 瓦礫片が散乱し、凸凹に隆起した地面に身体を打ち付けるが、最初から痛みが激し過ぎて、どれが激突による痛みなのか判別できなかった。

 ――時間切れ。タイムリミット。限界。

 最悪の単語が脳裏に浮かぶ。急激に重力が増したように立ち上がることもできず、不格好な姿勢のままで地面に手を突き、這い蹲った。

 

『政夫、今すぐボクが助けに……』

 

「ごふっ……ぐ、来るなっ……」

 

 ニュゥべえの声がソウルジェムを通して聞こえたが、即座に拒絶の意を示す。

 僕の身体からは魔力を打ち消す魔法が滲み出ていている。ワルプルギスの夜の劣勢になっているのも僕の近くに居るだけで魔力が削がれているからだ。

 当然、この魔法の影響は魔法少女はもちろんのこと、ニュゥべえにまで及ぶ。

 僕の傍まで飛んで来れば、足手まといどころかそれだけで死にかねない。

 敵味方構わず、今の僕は魔法を使うものにとって猛毒以外の何物でもないのだ。

 魔法の武器を生み出すこともできず、己の命を磨り減らすだけにしかならないだろう。

 この状況を打破できるのは自分一人。身体中の骨という骨を熱した鉄に置換したような激痛に焼かれる身体に鞭を打ち、立ち上がろうと足掻く。

 しかし、口と鼻からは信じられない量の血液が溢れてくるだけで一向に腕に力が入らない。恐らくはいくつかの(けん)がちぎれ、関節が機能しなくなっている。加えて、吐いた血液の量から察するに重要な臓器の数個は破裂したと見ていい。

 僕の魔法は、死んだ自分が生きているという状態すら許せないらしい。……我ながら強情だ。

 だが、それでもここで死ねば、すべてが水の泡だ。

 何のために最後の幸福な時間を捨てて来たのか、分からなくなる。

 動け。動いてくれ。あと、一分、いや四十秒でいい。その後ならお望み通り、ゴミのように死んでやる。

 だから……。

 

「うご、けえええぇぇぇぇぇぇ!」

 

 手足に力を入れて吠えるが、全身が鉛になったように鈍く碌に動いてくれない。

 

『―――――――――――アハッ』

 

 沈黙を保っていたワルプルギスの夜が(わら)った。

 事態が好転したことを理解した、押さえきれない喜びを籠めた声だった。

 

『アハハハハハハッ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ‼』

 

 逆さまの道化師を模した姿の魔女は愉悦に満ちた笑い声を上げながら、その場で中空で縦に回ろうと動き出す。

 即ち、逆位置から正位置に。

 ここに来る前にニュゥべえから聞いていた。ワルプルギスの夜が正位置になった時、文明が終わるほどの破壊を(もたら)すと。

 ワルプルギスの夜は自身の持つ最大の力で僕を滅ぼすつもりなのだ。天敵たる僕を完膚なきまでに滅ぼし尽すために。

 

「やめっ……げほッ……」

 

 声すら出なくなった喉からは血の混ざった咳だけが外へ流れた。

 最悪の魔女はそれを見下ろすように頭を上に上げようとして――吹き飛ばされた。

 飛来した何かが着弾した瞬間、爆発を起こし、ワルプルギスの夜の巨体を弾き飛ばしたのだ。

 

「魔力で武器を生み出せない魔法少女だった事をこんなに感謝したのは初めてだわ」

 

 声が聞こえ、辛うじて首を動かして視線を後方に向ける。

 そこにはロケットランチャーを肩に担いだ暁美が姿があった。

 

「暁美……。お前……」

 

「言いたい事は山ほどあると思うけれど、それでも今は」

 

 僕の傍まで来ると、手を差し伸べて言う。

 

「貴方を助けに来たわ」

 

「僕に触れれば、お前のソウルジェムも磨り減る。この距離まで近付いているだけでも激痛が走ってるはず……」

 

 直接、魔法を行使する僕ほどではないだろうが、弱っているとはいえ、否定の魔法によって暁美の命を削ることになる。

 だが、暁美はそんな僕の言葉には耳も貸さずにロケットランチャーを捨て、地面に這い蹲っている僕を無理やり引き擦り起こした。

 

「っぐ……」

 

 予想通り、触れた途端に彼女は苦悶に表情を歪め、小さく(うめ)く。

 

「ほら、だから……」

 

「関係、ないわ……貴方はずっとこの痛みを抱えて戦っていたのでしょう?」

 

 暁美は僕に肩を貸すように抱くと、そのまま、ワルプルギスの夜の元まで跳躍する。

 その間も彼女の左手に付いた紫色に輝く菱形のソウルジェムが端から粒子にとなって天へ上がっていく。

 ソウルジェムに直接来る痛みは、痛覚を遮断しても直接雪崩れ込んでくる。だというのに彼女は弱音一つ吐かずに僕を運び続ける。

 だから、僕はもう彼女に何も言わない。そんな時間はお互いにとって無駄だ。

 最悪の状況を打破する三羽目のツバメが舞い降りた。

 残り寿命はあと数十秒。僕らは標的の眼下に迫る。

 最後の足掻きとばかりにワルプルギスの夜は瓦礫を散弾のように放ってくる。僕に触れた状態では暁美も魔法を使えない。

 

「暁美。僕を投げろっ!」

 

 ほんの一瞬だけ肩を貸す彼女の瞳が僕の瞳と絡み合う。

 すれ違ってばかりの想いが今だけはお互いに届く。

 彼女は迷わず、渾身の力で僕を放り投げた。

 ステッキを掲げた僕は散弾を浮かす魔力を打ち消しながら、ワルプルギの夜へと突貫。

 黒い先端が割れた歯車の隙間に潜り込む。

 

『――――ァア……』

 

 僅かな静寂の後、巨大な魔女は影も残さず、その身を散らした。

 

「さようなら。僕の……僕らの勝ち、だ」

 

 僕は慣性の勢いを殺せぬまま、地面へと転がり、大きな瓦礫に背をぶつけてようやく静止する。

 いつの間にか、身に着けていた衣装は見滝原中学校指定の白い制服へと戻っていた。

 魔法を使った反動だろうか、耳はまだどうにか最低限の機能を残していたが、両目は完全に光を失っていた。もう目蓋を開いているのか、閉じているのかさえ分からない。

 水溜まりを踏む足音が聞こえる。きっと暁美だろう。

 

「政夫」

 

「な、に……?」

 

 喉が潰れたのか、耳がおかしいからか、それとも両方か、自分のものとは思えないほど罅割れた低い声が出た。

 数秒にも満たない逡巡の後に暁美は言い放つ。

 

「私にはもう……貴方なんて要らないわ」

 

 溢れ出しそうな感情を必死で押し留めたような震える台詞。

 

「私にはもう上条君が居る。貴方よりも優しくて、ハンサムで、ずっと私の事を想ってくれる。だから! ……だから、私は貴方が居なくなっても平気よ。……何も、問題は、ないわ……」

 

 振り切るような叫びは、僕への謝罪でも、感謝でもなく、拒絶の言葉。

 あの僕に依存するばかりだった彼女が、今僕と決別しようとしているのが感じ取れた。

 だから、僕はつい口元が綻ぶ。

 暁美が僕のことを考え、自分にできる精一杯をしようとしているのが分かったからだ。

 

「そっか……安心、したぁ……」

 

 遠退く意識の中、複数の足音が近付いてくる。

 魔法少女たちだろう。彼女たちにも世話になった。何か二三言くらい残してあげたいが、全員には無理そうだ。

 ニュゥべえに手筈通り、ソウルジェムを肉体に戻してもらっているだろうか。

 皆、普通の女の子として生きていけるといいな。

 駄目だ。思考が上手く纏まらない。ぼんやりとしてちぐはぐになっていく。

 まどかさんは……どうしているだろうか。起きたら一人になっていてさぞ心細いだろう。

 ああ、会いたいな……彼女の顔を最後にもう一度……………………ま、どか……さん…………………………………――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。

 

 

 

 

~ニュゥべえ視点~

 

 

 すべてが終わった。

 この見滝原という街にとっての、魔法少女たちにとっての、ボクにとってのすべて。

 瓦礫に背を預け、政夫は目を見開いたまま、動かない。口元は真っ赤な血で汚れ、微かな息遣い一つ聞こえてこない。

 僕や残りの魔法少女たちが彼の前に来た時、ほむらだけが彼の前に既に居り、顔を押さえて声を押し殺すように泣き崩れていた。

 魔法少女たちは彼女を除いて、目の前に広がる光景に理解が及ばず呆然としている。

 

「嘘だよね……だって、政夫言ってたもんね。皆で生きて帰ろうって……」

 

 瞳に涙を溜めてさやかが声を震わせた。

 

「……美樹さん」

 

 沈痛な表情のマミが彼女の肩に手を乗せると、さやかは振り返って皆に言う。

 

「な、何かの冗談ですよね……? ほら、マミさんも政夫に何か言ってやってくださいよ。こんなところで寝てるなんて……」

 

「夕田君は……もう」

 

 目を伏せて、頬から涙の雫を流すマミだが、さやかはそれに気付かない振りをして政夫の方に歩み寄る。

 

「ほら。起きてよ、政夫。もう皆で帰るよ」

 

 無理をして明るい調子で政夫の肩を揺する。

 

「い、いい加減にしないと、私怒るよ……ホントだよ?」

 

「さやか」

 

 キリカが彼女の傍に近寄って声を掛ける。

 振り向いたさやかはキリカにおどけた風に尋ねた。

 

「呉さん。酷いんですよ、政夫。私の事、無視してるんです。いつだったか、前に怒らせたちゃった時もこんな風に……」

 

「政夫は、死んだんだ……もう政夫の目は覚めないんだよ!」

 

 ボロボロと涙を流してキリカは彼女に決定的な言葉を発した。

 

「嘘、ですよ。だって約束、したんですよ? 呉さんだって聞きましたよね? 皆で生きて帰ろうって」

 

 台詞とは裏腹に溜めきれなくなった涙が決壊して、目の端から流れ落ちる。

 キリカは抑えきれなくなった感情をぶつけるようにさやかを抱き締めた。さやかもそれで残酷な現実をとうとう認めたように声を上げて泣き出した。

 声だけは挙げなかったマミと織莉子も限界だったようで彼女たちの抱き合って泣く姿を見て、同じように(むせ)び泣いた。

 杏子は一緒に来た魅月ショウの胸板に顔を押し付けて、彼の服を落涙で汚した。

 だが、ボクだけは涙を流すことは許されない。やるべきことがまだ残っているからだ。

 泣き出している彼女たちから、人型に戻ってからボクはソウルジェムを奪うように引っ手繰る。

 

「政夫との最後の約束、果たさせてもらうよ」

 

 彼女たちが何かを言う前に、それぞれのソウルジェムを持ち主の胸の中に押し込んでいく。

 聞かれなかったから懇切丁寧に説明はしなかったが、彼女たちは自分の身に何が起きたのか感じ取ったようで、ソウルジェムが消えた胸を触っていた。

 

「これで君らはただの少女だよ」

 

「もしかして、もう魔法少女には……いえ、魔女にはならないの?」

 

「そうだよ。どれだけ絶望してももう君らは人間のまま、変わる事はない」

 

 問いかけたマミに返すが、彼女たちは誰一人喜びを表す者は居なかった。いっそ、あのまま、絶望のあまり魔女化した方が本人たちは幸せだったのかもしれない。

 魔女になれば、何も考えずに済むのだから。

 ボクは空を仰ぎ見る。重厚に立ち込めていた暗雲は切れ間ができ、青空が顔を覗かせていた。

 太陽の光と共に、一匹の獣形態の『ボク』が飛び込んで来るように現れると傍に降り立つ。その背中には桃色の髪の少女が乗っていた。

 彼女は『ボク』の背から降りると、政夫の方へと進む。

 後ろからでは彼女の表情は推し量る事はできなかったが、足取りはしっかりしていた。

 ほむらやさやかたちの間を通り、政夫のすぐ前まで来ると膝を曲げて彼の首に優しく抱き着いた。

 優しく彼の頭を撫でて、囁くようにこう言った。

 

「よく頑張ったね。政夫くん」

 

 その声を聞いた瞬間、ボクは理屈でしか納得できていなかった事実が、すとんとパズルのピースが嵌るように受け入れられた。

 政夫は死んだのだ。ボクの愛した彼はもうどこにも居ないのだと。

 

 この日、夕田政夫はこの世を去った。

 享年十四歳。人類の寿命から見ても短すぎる一生だった。

 




これで書きたい事は大体書けました。あとは多分短いエピローグでも書いて終わりになると思います。

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