話をぶった切ってしまう事になり、申し訳ありませんがお付き合い下さい。
~さやか視点~
「……やか……さやか……」
うとうとと
呆れたような、けれど優しげな声の男の声。
誰だろう? 恭介……?
「ほら、さやか。そんなところで寝てると風邪引くよ? 馬鹿は風邪引かないなんて迷信なんだよ?」
違う。全然違う声だ。さり気なく、失礼な発言をしながら私の肩を揺するこの声は……。
そう、そうだ。思い出した。この声は――。
「ま、さお……?」
目を開くと、私を横から覗き込んでいる政夫の顔が九十度傾いて映った。
腕を枕にして寝ていた私はそれを見て、急速に意識を覚醒させる。
そして、すぐに自分がどうしていたのかを思い出した。私は机で勉強をするつもりがつい退屈で途中、寝てしまったんだ。
そこまで思い出すと急いで背筋を伸ばして、口元を拭う。やばい。寝顔、思いっきり見られた。涎とか垂らしていたかもしれない。
政夫は私の反応から思考を読み取ったらしく、くすりと小さく笑った。
「大丈夫だよ。涎は垂れてなかったから」
「それはよかった……って何で政夫がここに居るの?」
確認のために周囲を見回すが、私が今居る空間は学校の教室ではなく、私の部屋の中だ。
ここに政夫が居るのはどう考えてもおかしい。それとも私はまだ寝ぼけているんだろうか?
「何で居るのって……呼んだのはさやかだろう? もうすぐテストだから勉強見てほしいって」
「え? あれ……そう言えばそうだったっけ」
そう確かに私はそう言って政夫に家に来てもらって、……いや、さっきから政夫は私の事なんて呼んでる?
『さやか』!? いきなり呼び捨て!? それは私だって政夫の事、昔から呼び捨てで呼んでるけどさ。
そこまで考えて私はふと自分の思考に引っ掛かりを覚えた。
別にそれは変な事じゃない。だって、私と政夫は昔から名前で呼び合っていたはずだ。
何故なら、私たちは。
「でも、幼馴染同士とはいえ、もう少し気にした方がいいよ? 性別違うんだから」
そう、昔からの幼馴染なんだから。
*
私が小学三年生の時に隣の家に越してきた同年代の男の子。それが夕田政夫だった。
最初は社交的で温和な温室育ちの男子のように思っていたけれど、交流するにつれて案外度胸がある皮肉屋な奴だと知った。
けれど、思いやりがあり、誰よりも周りの人間を気に掛けているところもあって、嫌な相手とは感じなかった。
むしろ、そういう嫌味なところがあるからこそ、他人のことを本気で大事にしている部分が余計に光って見えた。これもギャップ萌えというやつなのかな。
何にせよ、私にとって長い付き合いの相手だ。
今更、異性として戸惑う事なんて……。
「あ、さやか。寝癖付いてるよ?」
「えっ、どこ?」
「ここ」
政夫の手が伸びてきて、私の髪に触れる。
その指先が私に髪を撫でる感触がした途端、かあっと身体が熱くなった。
は、恥ずかしい。駄目だ、ドキドキしてる。
心音が急激に大きくなる。緊張したように身体が硬直し始めた。
堪らなく恥ずかしいのに、この時間が永遠に続いてしまえばいいのにとも思う。
「やっぱり手じゃ無理だね。机で居眠りなんかするからこうなるんだよ」
すっと髪に触れていた指先が私から離れていく。
あ、と呟きそうになるのをどうにか堪える事ができた。名残惜しい思いで政夫の手を見送る。
自分を誤魔化そうとしても無理だった。私はこいつに恋をしてる。
いつからかは分からない。でも、いつ好きになってもおかしくないほど私は政夫に助けれてきた。
道に迷って迷子になった時も私を迎えにきてくれた。学校でクラスの男子にいじめられた時は私の味方をして助けてくれた。仁美と喧嘩をして悩んでいた時は相談に乗ってアドバイスをしてくれた。
他にも挙げれば切がないほど、私は政夫に助けれた。
今だってそう。勉強が苦手な私のためにテスト勉強を手伝ってくれている。
ちらりと教科書を開いている政夫の顔を顔を見つめた。
目立つほど美形ではないけれど、顔立ちだって整っている。格好いいというよりは、可愛らしいと言った方が正しい。
でも、真剣な顔はきりっとしていてか弱いようなイメージはまるでない。優しげだけど頼り甲斐のあるそんな感じのする顔だ。
少しだけ見とれていると、それに気が付いた政夫は私の方を向いた。
「どうしたの? 僕がちょっと出かけてる間に寝てたんだからもう休ませないよ?」
「いや、そうじゃなくて……えーと、政夫は何しに出かけてのか気になって」
見とれていたなんて口が裂けても言えないから、とっさに誤魔化して思いついた事を口に出す。
政夫はそれに少し言い淀むようにすると、視線を僅かに逸らした。
「それは……ちょっと野暮用だよ」
とっさに聞いただけの言い訳だったが、嘘を吐く時でさえも視線を逸らさない政夫の珍しい態度に私は食いついた。
「野暮用って何?」
「そんなのどうだっていいだろう? ほら、勉強しようよ」
「気になって勉強に手が付かない! ねえ、教えてよ」
握っていたシャーペンを手放して、聞かせてくれるまで勉強しないという態度を取る。
自分から頼んでおいて勝手だとは思うけれど、政夫の隠し事の方がテストよりも私にとっては重要だった。
渋るような様子の政夫だったが、私が一度言い出したら聞かない性格である事を誰よりも知っているので、大人しく折れて話し出た。
「まどかさんと出かけてたんだよ。ちょっと買い物を付き合ってもらってたの」
政夫からまどかの名前が出て、少しだけショックを受けた。
まどかは私にとって親友と言ってもいいほど仲が良く、小学校時代からの友達だ。
政夫とも仲がいい事は知っていたけれど、それは友達としてで異性としての間柄ではないと思っていた。
……少なくても私はそう思っていた。
「そっかー。二人っきりで出かけるなんて政夫もやるね~。まどかの事好きなの?」
あえて明るくそう聞いた。笑顔を作ってからかうように政夫を見る。
もちろん、虚勢だった。でも、虚勢を張らなければ耐えられないくらいの事だった。
幸せだったさっきまでの気持ちが冷えていくのが分かった。
まどかの事は大好きだし、とても優しくて良い子なのは私が一番知っている。
だからこそ、辛かった。
「いや、そういう意味じゃ……」
政夫の言葉を遮って、話を続ける。
「いやー、浮いた話のなかったけど、まさかまどかを狙ってたとはね。まあ、まどかは可愛いから仕方ないね。うんうん、何たって私の大親友だし」
言えば言うほど、自分の心に爪を立てるような痛みが広がるのに言葉が止まらなかった。
喋り続けていないと傷付いた顔をしてしまいそうになる。
私の政夫への気持ちを知っていたまどかの事を恨みそうになる。
何より、そんな情けない自分が堪らなく嫌になる。
「ちょっと僕の話を……」
「でも、隅に置けないね、政夫も。私に一言相談してくれてもよかったのに。まどかの好きなものとは趣味とかさ。それともずっと前から付き合ってたりした……」
「さやか!」
政夫が私の名前を大きな声で呼んで無理やり会話を断ち切らせた。
「ちょっと一人でヒートアップしないで僕の話を聞いてよ」
嫌だ。聞きたくない。
「この際だから全部話すけど、僕とまどかさんは……」
絶対に聞きたくない。聞いた瞬間、私は親友も大好きな幼馴染も同時に失ってしまう。
政夫が決定的な言葉を言う前に私は椅子を倒して、逃げ出すように部屋から出た。
「待って! さやか!」
後ろで政夫が私を呼ぶ声がする。
けれど、私は立ち止まらずに階段を駆け下りた。
そのまま、玄関の方に向かうと、置いてあった靴に爪先を入れて、
走って、走って、走り続けた。どこかに行くというよりも、一刻も早くその場から逃げ出したかった。
視界が涙でぼやけたまま、私はずっと足を動かし続けた。
しばらく、走り続けた後、私は立ち止まって呼吸を整える。体育の授業でもここまで走った事はなかった。
息が苦しく、横腹が痛くて堪らない。それに靴下も
荒い息を吐きながら、周りを見回すと自分が今居る場所が川の土手である事が分かった。
私はいつの間にか川の傍に来ていたらしい。隣の街の風見野の方だろうか。あまり見覚えのない場所だった。
その時、ぽつりと頬に何かが触れた。
それは小さな雨の雫だった。
最初の一滴を皮切りに急に雨が降り出してくる。そう言えば、今日は雨が降ると天気予報で言っていた事を思い出す。
弱かった雨は少しずつ強くなり、私は雨宿りするために近くの橋の下に避難する。
あまり大きくない水道管を通すための橋だったが、それでも私一人が雨宿りするには十分な大きさだった。
振りし切る雨が川の水面にたくさんの波紋を作る。
その雨音を黙って俯いたまま聞きながら、私は昔の事を思い出していた。
そう言えば、迷子になった日もこんな雨の日だった。
小学三年生の九月ごろ、遠足の帰り、私は浮かれて皆とはぐれてしまった。途方に暮れ、その時も今と同じように雨に降られ、一人で雨宿りしていた。
寂しくて、怖くて、見っともなく泣きそうになっていた時に政夫が見つけてくれた。
『よかった。やっと見つかった。もう、勝手に一人で行くから迷うんだよ』
文句を垂れながらも、その顔は優しげで、それを見た途端に私の中の不安が掻き消えていったのを今でも覚えている。
それから政夫と手を繋いで家に帰って、お父さんとお母さんに怒られた。何故か、迷惑を掛けられた政夫がそれを宥める事になっていたのを今でもよく覚えている。
ああ。やっぱり、私、政夫の事好きなんだ。
昔の事を思い出して、なお更自分の中の想いが強い事を自覚できた。
まどかの事は大好きだけど、それでも政夫を取られるのは堪らなく嫌だった。
それが自分がもっと早く自分の想いを伝えなかったせいだと分かっているのも辛かった。
惨めで、情けなくて、また涙が染み出してくる。
「……まさお。……好きだよぉ」
「それ、面と向かって言ってよ」
俯いていた顔を見上げると、傘を差した政夫が私を見下ろしていた。
呆れたような、ほっとしたようなそんな表情で私を見ている。
「……どうして、ここに?」
「全力疾走で駆け回る青髪の女の子って目立つんだよ。知らなかった?」
私の姿は色んな人の目からも止まったいたらしく、政夫はその証言を聞いてここまで辿り着いたのだと教えてくれた。
それでも、こんなに早く着いたのは走って追いかけてくれたからだろう。
語り終えると、政夫は額を押さえて疲れたように溜息を吐いた。
「まったくもう、君の早とちりに振り回される身にもなってよ」
「早とちりって……」
「まどかさんと買い物に出かけてたのは君に渡すプレゼントを一緒に選んでもらってたから」
「え!?」
驚いたまま、固まる私に政夫は傘を持つ手の反対側の手で掴んでいた小さな紙袋から、音符のようなデザインのヘアピンを取り出した。
そして、その可愛いそのヘアピンを私に渡す。
「本当は君の勉強を教えた後に渡そうと思ってたんだけどね」
「で、でもプレゼントって、何で急に?」
自分が早とちりで逃げ出した事が分かって恥ずかしいやら、急にプレゼントをもらって嬉しいやらで思考が纏まらなかったけれど、それの疑問だけは口から出た。
その問いに政夫は少し恥ずかしそうな顔をした後に私に言った。
「今日は記念日だから。僕が始めて、さやかに会った日。覚えてない?」
「あ」
そうだ。政夫が隣の家に越してきた日は六年前の今日だ。
あまり記憶力はよくない私だから、言われるまで気が付かなかった。
「後ね、僕もさやかのこと、好きだから」
「え? あ? ええ!? ちょっと待って、そう言えばさっきの……いや、今なんて言ったの!?」
私が政夫の事好きって言ったのを聞かれた事を思い出し、そして、さらりと告白された事で私の脳の情報を処理できなくなり、オーバーヒートしそうになる。
「駄目。僕はそういうの一度しか言わないから。ほら、帰るよ」
「ええ~!? 何それ!?」
もの凄いクールな対応にさっきの言葉は聞き間違い何かのように思えてくる。
でも、傘を差し出してくる政夫の頬は少しだけ赤かったのを見るとさっきの言葉が幻聴でないと分かった。
向こうもそれなりに照れている事が分かると、こっちも少しだけ落ち着いてくる。
私は買ってもらったヘアピンを早速付けて、政夫に聞いた。
「どうかな、似合ってる?」
「うん。値段分は元取れるくらいには」
普段はさらりと恥ずかしい事をやってのける癖にこういう時は照れるようで視線を逸らす。
こうなってくると私の方も反撃ができるくらいになってきて、政夫の腕を抱くようにくっ付く。
「ちょっとくっ付きすぎじゃない?」
「こうしないと雨で濡れるから」
クラスではそこそこ大きい方の胸をぎゅっと政夫に押し付ける。
政夫はそれ以上何も言わなかったが、確実に顔の赤みはさっきよりも増していた。
「政夫」
「……何?」
「私の胸、どう?」
「……ノーコメントで」
潔癖症の政夫はそういうのが苦手だと前から知っていたけど、これを期にもっとアプローチするのもいいかもしれない。
「さっき、政夫も好きって言ってくれたから……これで恋人同士だよね?」
「まあ、そうなるね」
「じゃあさ、私の胸とか触りたくならない」
「話そこに持って行くのやめない!? 大体、さやかはね……」
雨の降る中、アイアイ傘で帰る私の心は人生で一番幸せだった。
隣で私に文句を言いながらも、こうやって助けてくれる大好きな幼馴染が居る。
好きな人に好きだと言ってもらえた。それが何よりも嬉しくて仕方がない。
きっと、私は今この地上で一番幸せな女の子だと思う。
「政夫」
「何?」
「大っ好きだよ!」
僅かに黙った後に政夫はこう返した。
「僕もだよ」
一位の政夫と二位のさやかのお話でした。
どんな話にしようか悩んだ結果、パラレル世界の話にしました。
上条君も出そうか悩んだんですが、それだと一話に収まりきらなくなってしまうので泣く泣く諦めました。
クソっ、絶対に本編で上条君書いてやる!