魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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第百五話 初恋にお別れを

「それにしても向こうから姿を現してくれたのは行幸だったね」

 

 ニュゥべえは再び、人型の姿からマスコットの姿に戻り、僕の肩に飛び乗った。

 

「本当にね」

 

 僕らから姿を隠した旧べえたちを表舞台に引きずりだすために、頭を巡らせていたのが馬鹿みたいに思えるほどあっさりと現れてくれた。

 ニュゥべえだけでは足りないだろうと考え、『魔女の戻し方』なんてものまでニュゥべえと研究していたのが無駄になってしまった。

 いや、無駄にはなっていないか。

 

「ねえ、ニュゥべえ。『魔女の戻し方』の方は無理だったけれど、『魔女の弱体化』なら可能だって話だったよね?」

 

 昨日の夜、織莉子姉さんの家から自宅に帰った後に僕は、ニュゥべえが魔女退治に参加して、魔女を改めて間近から観察した時に得られた情報を報告してもらっていた。

 その際に聞かせてもらった一番重要な話が『魔女の弱体化』だ。正確に言うなら、魔女の穢れを吸うことが可能だということ。

 織莉子姉さんの水晶球を感情エネルギーに変換して吸収したように、穢れを分解して取り込むことができるのなら、穢れの塊である魔女の体積を削ることができるだろう。

 これが『ワルプルギスの夜』にも有効であればいいのだが……現在そこまで確証がない。

 

「そうだね。でも、あまり期待しない方がいいで。まだそこまで検証をした訳じゃないから、効果のほどは分からないんだ。……もっと時間を掛けれたらよかったんだけど」

 

「まあ。君の努力が無駄じゃないって分かっただけでもいいさ」

 

 申し訳なさそうにうな垂れるニュゥべえに「気にしないで」と小さく笑いかける。

 彼女は誰よりも僕のために頑張ってくれていることは、僕が一番分かっている。感謝することはあっても、貶すなんてことはあり得ない。

 

「……ありがとう。政夫」

 

「それはこっちの台詞だよ、ニュゥべえ」

 

 感謝の言葉と共に僕の頬に顔を擦り付けるニュゥべえに僕はそう返した。ニュゥべえが頬擦りする度に軽く触れるハンカチのレースが少しくすぐったかった。

 

 

 

 

 ニュゥべえを連れて、薄暗い路地裏から出ると、沈みかけながらも赤く輝いている夕日の日差しが飛び込んできて、僕の目を焼く。

 急激に明度が変わったからか、少しだけ眩暈(めまい)を感じた。それとも僕がこれから向かおうとしている場所のせいかもしれない。

 肩の上から頭の上によじ登っているニュゥべえを微笑ましく思いながら、内心では沈んで行きそうになる思考を打ち払い、僕は歩を進める。

 どこかへ向かうのがこんなに辛いのは、虐めに合っていた小学校一年生の時の登校以来だ。いや、ひょっとすると、それ以上かもしれない。

 そうして歩いていくと、土地の狭い日本ではあまり見ないレベルの大きな家の前に辿り着く。

 

「やっと着いたね、まどかの家に」

 

 今まで黙っていたニュゥべえが僕の頭上で言う。

 僕としては『もう着いてしまったか』というネガティブな心境だった。できるだけゆっくりと歩いて来たのだかが、夕日が沈み切る前に到着してしまった。

 今日、僕がまどかさんの家の前まで来た理由は一つ。

 告白してくれたまどかさんを正式に振るためだ。

 

 僕はまどかさんに告白され、紆余曲折あって、結局はほむらと付き合い始めた。そのことをまどかさんには告げたが、未だに告白の返事を返していないままだった。

 まどかさんももう理解していると思うが、それでもケジメというものがある。

 真正面から想いをぶつけてもらったのだから、同じように真正面から返答するのが礼儀だろう。

 玄関口の前で大きく息を吸い込み、そして、ゆっくりと吐き出す。

 深呼吸を数回繰り返した後、僕は言った。

 

「良し…………帰りたい」

 

「駄目だよ。何のためにここまで来たんだい? まどかに返事を返すためだろう」

 

 僕の情けない発言にニュゥべえが突っ込む。

 まったくもってニュゥべえの言うとおりなのだが、信じられないほど気乗りしなかった。

 携帯電話でまどかさんとこのことを話すのは流石にあまりに誠意がないと思ったから、こうやって直接足を運んだ訳だが、正直に言うともう帰りたくて仕方がなかった。

 あの優しくて、穏やかで、僕のことを深く理解した上で、好きだと言ってくれたまどかさんを振るのが死ぬほど辛かった。

 彼女に落ち度は何一つないのだ。この一軒に関しては全て僕が悪い。

 それにも関わらず、彼女が傷付かなくてはいけないこの状況が例えようもなく理不尽に感じられる。そして、その理不尽を作り出しているのが他ならない自分だということが辛い。

 

「良し…………行くよ!」

 

 気合を込めてインターホンに一指し指を伸ばそうとした。

 すると、そうする前に唐突に玄関のドアが開いた。

 

「あ」

 

「あ……」

 

 顔を出したのはピンク色の髪の女の子。僕が今一番会いたくない相手であり、僕が今一番会わなくてはいけない相手、鹿目まどかさんその人だった。

 お互いに「あ」の形に口を開いたままで硬直している。

 さっきまで入れていた気合が砂時計の砂のようにさらさらと心の外側に落ちていくのを感じた。

 まどかさんの顔を見た瞬間に何を言おうとしていたのかさえ、朧気(おぼろげ)になってしまった。

 どうしようという単語で思考が一杯になりかけたその時、救いの手、あるいは無責任な一押しが僕に差し伸べられた。

 

「やあ、まどか。今日は政夫がまどかに話があるそうなんだ。聞いてあげてくれないかな?」

 

 頭の上のニュゥべえがまどかさんにそう声をかけた。

 第三者のその一言で僕とまどかさんの硬直は解け、止まっていた思考が放り出された。

 何とか、持ち直してぎこちないながらも笑みを浮かべて、僕はニュゥべえに追随する。

 

「そ、そうなんだよ。ちょっとまどかさんに話があって……」

 

「わ、私に? 政夫くんが……?」

 

「うん。そう……」

 

 上擦った声で尋ねるまどかさんに僕は頷いた。

 緊張の二文字が周囲の全て覆い尽くすこの状況に胃袋がきりきりと締め上げられているのが理解できる。

 体温は下がって行きそうなのに背中にはじんわりと汗が滲む。辛い。この状況が凄く辛い。

 

「その、立ったままだと話できないし、家の中に入らない……?」

 

 まどかさんはまだ少し戸惑った様子で僕を家の中に招き入れようとしてくれる。

 本当のことを言えば、ここで立ち話で終わってくれた方が精神的には嬉しいが、まどかさんが望むのなら断ることなどできるはずもなく、

 

「それじゃあ……お邪魔しようかな」

 

 覚悟を決めて入れてもらうことにした。

 

 

 

 まどかさんの部屋に上がらせてもらうと僕は部屋のドアの傍で正座をする。その隣にニュゥべえも座り込む。

 丁度対面するようにまどかさんが僕に習ってか、同じく正座をしている。

 気まずさ以外の空気が感じないこの部屋にひたすら耐えながら、僕は最初に口を開いた。

 

「二回目だね。この部屋に上げてもらうの」

 

「そうだね。一度目は政夫くんに学ランを返した時だったっけ」

 

 まどかさんも幾分落ち着きを取り戻したようで会話に乗ってくれた。思えばあれからそんなに経っていないのだが、随分昔のように感じられる。きっと、僕とまどかさんの関係が変わってしまったからだろう。

 ただの友達とはもう思えない。けれど、恋人にはなり得ない。そんなどっちにもなれない複雑な関係。

 

「あの時からまどかさんは僕のこと分かってたんだよね。誰にも(すが)れない独りぼっちな情けない僕のことを」

 

 あの時は『優しい友達』として突き放したが、きっとあそこでまどかさんは本当の僕の姿が見えていたのだろう。

 

「またそうやって自分に酷いこと言うんだね、政夫くんは」

 

「え?」

 

「頑張っていた自分の事、情けないなんて言うのは止めてよ……。誰にも縋れなかったのは政夫くんが自分にそうやって厳しい目で見ているからだよ」

 

 今までの雰囲気とは一転して少し悲しそうな目で僕に怒り出す。

 それが堪らなく、僕の心に響いた。この子は本当に『僕のため』に怒ってくれているのだと嫌でも伝わってくる。

 

「誰かに優しくできるんだから。自分自身にも同じようにしてあげて。じゃないと……政夫くんのことを好きな人が悲しんじゃうよ」

 

 そっと僕の内面を撫でるような、それでいて(たしな)めるような言葉に想いが揺れる。

 握り潰した初恋が再び、溢れ出さないようにぐっと堪えて、想いを捻じ伏せた。

 熱くなりそうな目頭を指先で摘まみ、目を一瞬だけ(つむ)る。

 小さく吐息を吐き出して気分を落ち着けた後に、にこりと笑顔でまどかさんにお礼を言う。

 

「心配してくれてありがとうね。でも、大丈夫。今は……彼女が、ほむらさんが傍に……居るから」

 

 舌が上手く回らなくなり、最後の方は酷くたどたどしい発音になってしまった。

 心が痛い。まどかさんの顔をまっすぐに見られない。

 自分の選んだ選択肢を後悔している訳ではない。でも、胸が詰まるような苦しみはどうしたって滲み出る。

 

「政夫。大丈夫? 顔色悪いよ」

 

「大丈夫だよ。心配しないで」

 

 ニュゥべえが心配そうな目で見つめてくるのを笑顔で制した。

 そして、まどかさんの方を見て、乾燥し始めた口の中で舌を動かし、整えてから喋り出す。

 

「まどかさん」

 

「……うん。何? 政夫くん」

 

 僕がこれから言おうとしている内容が分かっているようで、まどかさんの相槌は穏やかで優しかった。

 声が震えないように細心の注意を払い、僕は言う。

 

「告白してくれてありがとう。おかげで僕は……独りじゃないって本気で思えた。嬉しかった。本当にありがたかった」

 

「……うん」

 

「君に縋って泣いた時、心の底から安心できた。誰かの手を掴んでもいいんだって思った時、抱えていたものが一気に軽くなった」

 

「……うん」

 

「でもっ」

 

 一旦、ここで言葉を区切って、勢いを付ける。そうでなければ、途中で止まってしまいそうになるから。

 安らぎ、喜び、幸せ、そして愛しさ。その四つをくれた女の子の好意を僕は踏み(にじ)る。

 

「僕はまどかさんとは付き合えない。傍に居てあげたい女の子がいるから……僕はほむらさんが好きだから」

 

 全てを言い終えた僕はまどかさんの瞳を逸らさず見つめる。

 髪と同じピンク色の瞳は僕のことを好きだと言ってくれた時と同じ輝きを放っていた。

 

「……政夫くん」

 

 まどかさんが僕の名前を呼んだ。

 目を逸らさないようにして、次の言葉に耳を傾ける。

 どれほどの罵倒が来ても甘んじて受けるつもりだ。好意をもらっておきながら、救ってもらっておきながら、それを踏み躙ったのは紛れもなく僕なのだ。

 彼女には僕を傷付ける権利と資格がある。

 

「ちゃんと返事をしてくれてありがとう」

 

 けれど、まどかさんが言ったのはその一言だけだった。

 台詞の続きを待ち、彼女を見つめても優しい微笑み以外は返って来ない。

 数分間、言葉の続きを待っていたが、痺れを切らして僕は聞いた。

 

「それだけ、なの……?」

 

「うん。付け加えるなら……ほむらちゃんを大事にしてあげてって事くらい、かな?」

 

 僕は(あなど)っていた。自分の初恋の女の子を。この世で初めて好きになった女の子を。

 そうだ。まどかさんは僕の心の壁を、どうしようもなく優しい言葉で壊した女の子だった。

 魔法や奇跡なんてものよりも、ずっと尊くて、素晴らしいものを見せてくれた人間だったことを忘れていた。

 

「まどかさん。僕は君に会えたことは本当に、本当に良かったと思ってる」

 

「私もだよ、政夫くん。きっとこんな風に思えるのは政夫くんが居たからだと思うの」

 

「まどかさん……」

 

 ついさっきまで胸を締め付けていた痛みが静かに緩んでいくのを感じた。

 まどかさんが納得できるように、ケジメを着けに来たはずなのに僕の方が救われていた。

 もう何があってもまどかさんとは恋人同士にはならないけれど、まどかさんを好きになったことは絶対に間違いではなかったと胸を張って言える。

 ――この人が僕の初恋の人で良かった。

 

 そう思った瞬間、ふとさっきからニュゥべえが黙って窓の外を眺めていることに気付き、僕もそちらを向いた。

 夕日が完全に沈んだ外は暗く、何も変わったものは映らなかった。

 

「どうしたの? ニュゥべえ」

 

「いや、何でもないよ。それより、顔色が大分良くなっているよ」

 

 そう言われて、自分の顔に触れる。顔色は当然分からないが、強張っていた頬の筋肉は先ほどよりも緩んでいた。

 

「政夫くんって、真面目で誠実だから自分の事必要以上に追い詰めちゃうんだよ」

 

「そうかな? これくらいは普通だと思うけど」

 

「これだから政夫は……。まどかももっと言ってあげてよ」

 

 窓の方を向いていたニュゥべえはまどかさんの方へ寄って、短い前足で僕を指差して呆れたように言う。

 まどかさんもまどかさんで「ニュゥべえも大変だね」と謎の意気投合を見せていた。

 しかし、この二人が仲良くしているのは不思議な感じがする。

 まあ、でも、きっとそれはいいことなのだろう。

 




一言で言い表すとまどかの事をちゃんと振る回でした。
思ったより長くなったのでびっくりしています。

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