魔法少女まどか?ナノカ   作:唐揚ちきん

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前回が年内最後の更新と言ったが……スマン。ありゃ、嘘だった。


第八十八話 最後の鍵

~ニュゥべえ視点~

 

 

 

 

 ボクは今の生活が気に入っている。

 まだ四日ほどしか経っていないから、『生活』というには(いささ)か短いけれど、間違いなくかつてよりも心地良いと感じていた。

 落ち着いた色で統一された部屋の窓の(ふち)から、ボクは外に広がる夜空を眺めていた。

 目に映る星空。

 これを『美しい』と思うようになったのはつい最近だ。それまでは何の感慨すら()かなかったものが急に意味あるものに変わった事で、ボクは自分の思考の変化を実感した。

 これが『感情ある生き物』の見る世界なのだろう。

 目に映るもの全てが、ボクに新たな発見をさせてくれる。

 こんなボクになったのは彼のおかげだ。今はこの部屋に居ない彼がボクを変えたのだ。

 

「窓の外なんか見てどうしたの? ニュゥべえ」

 

 ドアが開く音と共に黒い髪の少年が入ってくる。

 穏やかな雰囲気と柔らかな笑みが特徴的な彼の名前は夕田政夫。ボクをインキュベーターのリンクから切り離した人間であり、ボクの生命の安全を保障してくれる大切な友達だ。

 

「夜空を眺めていたんだ。星はこんなにも綺麗に輝いているものだったんだね。初めて、そう思ったよ」

 

 へえ、と面白そうに目を細めた政夫はボクの(そば)に近付くと、優しく頭を撫でた。

 そして、ふざけたような調子でボクに笑って言う。

 

「もしも君が女の子だったら、『君の方が綺麗だよ』と言ってあげられたのに……残念だよ」

 

「政夫。そういう冗談、本当に好きだよね。そういう事ばかり言うから、君の周りの女の子たちは勘違いしてしまうんだよ」

 

「あはは。大丈夫。こういう冗談は場の雰囲気に合わせてしか言わないから」

 

 茶目っ気たっぷりの笑顔でウィンクする。今日はどうやら、いつもよりも感情が昂揚(こうよう)しているようだ。午前中に出かけていたが、そこで何かあったのかもしれない。

 政夫は笑みをふざけたものから元の落ち着いたものに戻すと、ボクにそっと手を差し出した。

 

「お風呂に入ろう。今、ちょうど()いたところだから」

 

「いいね。今日も政夫が洗ってくれるのかい?」

 

 この家で保護されるようになってから、入浴は政夫と一緒であり、彼はボクの体を丁寧に洗ってくれるのが(つね)だった。

 最初こそ、若干の恐怖があったが、優しい手付きで尻尾の毛まで()くように洗ってくれる事が癖になるのに時間はかからなかった。

 

「もちろん。トリートメントもしてあげるよ」

 

 ボクは政夫の手のひらに飛び乗り、腕を伝って肩まで上ると、彼の頭の上で体を弛緩させた。

 ここが一番落ち着く場所だ。男性の割りにつやつやした感触の髪は僅かな温かさと相まって、ボクに安堵感を与えてくれる。

 廊下に出て、壁に掛かっている姿見(すがたみ)でボクを見た政夫は「たれニュゥべえだね」と笑っていたが、何の事を言っているのかよく分からなかった。

 風呂場の脱衣所で衣服を脱いだ政夫は、今度はボクの首に巻いてあるレースの付きのオレンジ色のハンカチを取った。

 このハンカチは昨日政夫が洗濯してくれた時と、入浴する時以外は外さないのでまじまじと見る機会は少なかった。

 『Y.Y.』とイニシャルが縫い付けれているところが目に止まる。たしか、政夫が話してくれた母親の名前は夕田弓子だった。

 疑っていた訳ではないが、これは本当に母親の形見の品なのだろう。そして、それをボクにくれた政夫の「この形見よりも大切な存在になってほしい」という言葉もまた本物なのだろう。

 ボクが視線をハンカチから、政夫の顔に移すと彼は不思議そうな顔になる。

 

「ん? どうしたの?」

 

「……いや、何でもないよ」

 

 胸の内側に広がる奇妙な高揚感を誤魔化すように、ボクは政夫に先んじて、脱衣所の曇ったガラスの引き戸の隙間から風呂場に入った。

 政夫はボクの様子に言及する事なく、引き戸を大きく開けて入ってくる。

 引き戸を閉めるとシャワーの(せん)を捻り、温かいお湯を浴び始める。

 ボクも彼の足元に行き、共にお湯の雨を浴びた。

 体を包む、毛皮が濡れてしんなりと(しお)れていく。

 少しすると栓を再び捻る音が聞こえて、降り注いでいたシャワーが止んだ。

 

「それじゃあ、綺麗に洗っちゃうよ」

 

 政夫がボディーソープではなく、シャンプーを手に垂らして、ボクの体に擦り付ける。すぐに泡立ち、ボクは泡で出てきた鎧に覆われる。

 

「目はつむってて。目に入ると痛いから、これ」

 

 政夫の言葉に従い、目を(つむ)る。視界を暗闇が支配し、耳からは泡立った毛が擦られている音しか聞こえてこない。

 体には彼の指先が程よい強さで触れているのを感じた。

 前の総括された意識の集合体だったボクなら、想像も付かない体験だろう。

 かつてのボクにはそもそも自分というものが存在してないかった。人間に例えるならボクは手足、いや……髪の毛の一本に過ぎない存在だった。

 大きな意識のほんの一部に過ぎなかったボクが今、個体として自分だけからしか情報が入ってこない事が一種の奇跡のように思えて仕方がない。

 それにしても心地がいい。神経が(ほぐ)されて行くのが分かる。血液の流れが促進されそうだ。

 ぼうっとしていると水を(おけ)で汲むような音が聞こえた。

 シャワーとは違う緩やかな勢いで掛かるお湯がボクの泡の鎧を流していった。

 

「はい。お疲れ様。目にシャンプー入らなかった?」

 

「平気だよ。ありがとうね、政夫」

 

 政夫も身体を髪を洗い終わると、一緒に湯船に浸かる。ただ、ボクは足が浴槽の床に付かないため、政夫に抱えられるようにして入浴している。

 ちょうど人肌よりも数度高めの水温はとても体に染みた。

 

「いいお湯だね」

 

「うん。そうだね」

 

 この時間がボクの至福の一時(ひととき)だった。

 どうにもボクは入浴という行為が好きらしい。これもリンクを切り離されて見つけた発見の一つだ。

 いや、ひょっとすると彼と一緒に入浴しているからここまで気分がいいのかもしれない。

 ボクは首をずらして、政夫の顔を見つめる。

 

「どうしたの? ニュゥべえさん。さっきも僕の顔を見てたけど」

 

「特に意味はないよ。何となく、政夫の顔を見たくなっただけさ」

 

「嬉しいこと言ってくれるね。ニュゥちゃんは。どう? 感情エネルギーは君の中で生まれそうかな?」

 

 政夫はどこか期待するような目でボクを見るが、彼の望んでいるであろう答えは今のボクには渡す事ができなかい。

 

「ごめんね。感情というもの自体は理解してきたけど、この感情をエネルギーに変換する方法がまだ解っていないんだ」

 

「そっか。仕方ないね。君にすれば初めての試みなんだから」

 

 感情をエネルギーに変える技術の習得。それは政夫がボクに頼んだ事だった。

 魔法少女システムは人間の少女の感情をエネルギーに変換させるシステムだ。インキュベーターは感情をエネルギーに変えて、宇宙の寿命を延ばしている。

 なら、元インキュベーターだったボクが感情を獲得すれば、魔法少女と同様にそれをエネルギーに変えられるのではないか。

 そう考えた政夫の提案だったのだが、実際はうまくいかなかった。

 感情はある。感情エネルギーの運用方法も解る。しかし、肝心の感情をエネルギーに変換するその工程が解らなかった。

 それはインキュベーターと契約した魔法少女が独自に行っている、()わば、ブラックボックスのようなものだからだ。

 ボクらは出来上がったものを運んでいるだけで、魔法少女が行っている独自のプロセスまでは解析できていなかった。

 

「頑張ってチャレンジしてもらっていいかな?」

 

「うん。もちろん諦めるつもりはないよ。時間はあるんだから」

 

 だって、政夫がボクを頼ってくれているのだから、その思いに応えたい。

 でも、政夫の表情はボクが「時間はある」と言った瞬間にほんの僅かに焦りを帯びた気がした。

 すぐに笑顔に戻り、焦ったような顔は消えたので気のせいかも知れない。

 湯船から出て、脱衣所でバスタオルで体を拭いてもらった後、政夫は腰にそのバスタオルを巻きつけて二人で部屋へと戻った。当然、ボクは定位置である政夫の頭に乗っている。

 部屋のドアを開けると、何故か我がもの顔でほむらが政夫のベッドに腰掛けていた。

 

「遅かったの、ね……」

 

 半裸だった政夫の姿を見て、目を大きく見開いたまま硬直した。

 政夫は僅かに震えながら、声を無理やり抑えるように不自然に静かな声で語った。

 

「……なんで部屋の中に居るかはもう今更だから問わない。取り合えず、出て行け」

 

 顔は頭上からでは見えないが、間違いなく政夫の頬は引きつっている事が声から簡単に想像できた。

 

「ちがっ……別に私は……それに窓だって開いてたから……」

 

「いいから出て行け。――今すぐに」

 

 硬直から解放されたほむらが必死に言い訳をしようとするが、政夫は低めの声で一蹴する。

 恐らく、窓が開いていたのはボクが星を見ていたせいだ。

 だけど、口を挟む事はしない。ほむらには尻尾を銃で引きちぎられた恨みがあるし、何よりこうなった政夫に刃向かうつもりは毛頭なかった。だって、怖いから。

 ほむらは逡巡(しゅんじゅん)した後、この状態で何を言っても無駄だと諦めて、窓から外に出て行った。

 今度から、窓の鍵は開けないようにしようとボクは心に誓った。とばっちりでボクまで怒られたら、とてもじゃないからね。

 

 

 

 ******

 

 

 

「それで何の用ですか。ほむらさん」

 

 パジャマに着替えた僕はニュゥべえの体毛をドライヤーで乾かしなら、窓が開いていれば勝手に侵入してきてしまう困ったちゃんに話しかけた。

 窓の外の庭から、いつもよりも威勢のない暁美の声が聞こえる。

 

「もう、入ってもいいかしら?」

 

「…………」

 

 僕の質問をことごとく無視した彼女の意見に少しだけ腹が立ったので、無言のままでニュゥべえを一昨日買った猫用のブラシでブラッシングする。

 すると、暁美はその無言を肯定の意と受け取ったらしく、またも窓から部屋へと入り込んできた。多分、暁美は僕の部屋の窓を自分専用の入り口とでも思っているのだろう。もう何も言う気が起きない。

 

「……さっきのあれは不可抗力よ。そういった(やま)しい意図はないから安心して頂戴(ちょうだい)

 

 何を言ってるんだ、この人は。あってたまるか、そんなもの。

 

「それに一番大切な部分はタオルに包まれていたし、隙間の部分も僅かだったから、あまりよく見えなかったわ」

 

 うん? 暁美の言い訳がどんどんおかしな方向に向かっている気がするのは僕の気のせいだろうか。

 

「そう……一瞬だけチラリとその暗がりの隙間から、突起物のようなものが目に焼きついた。本当にそれだけだから」

 

 僕にブラッシングされていたニュゥべえがのそりと体を起こして、暁美に言った。

 

「目に焼き付けたって、それは、しっかり見たって事だよね」

 

 僕の気持ちを代弁する台詞を言ってくれたニュゥべえをお礼の意味も込めて撫でた後、冷めた目で暁美を見つめる。

 

「……言いたい事があるなら言えばいいじゃない。大体、あんな格好で部屋に入ってくる貴方にだって落ち度が……」

 

 開き直って逆に僕を糾弾し始めた暁美を何も言わずに責めるように見つめ続けた。

 最近、彼女の態度は目に余るものがある。僕との時もだが、人との対話の際、少しばかり遠慮が足りない。

 鹿目さんと分かり合え、目下の敵とも和解している現状、テンションが舞い上がってるのも無理ないが、物事には限度というものがある。ある程度は自重していただきたい。

 

「……悪かったわ。もうこんな事が起きないようにするから許して」

 

「これに懲りたら不法侵入は止めてね。それでさっきも言ったけど何しに来たのさ?」

 

 僕は自分の髪をドライヤーで乾かしながら最初の質問を再度問い直した。

 内心、またデートとかだったらどうしようとか考えていたが、顔には一切出さなかった。

 それに冗談抜きにもうそんなことをしている時間もない。

 

「ワルプルギスの夜について、貴方の意見をもらいたいの。一週間後に来る最悪の魔女の事を」

 

 そう。僕も暁美に聞いただけだが、あと一週間後に見滝原市に巨大な魔女が来るのだという。

 見たことがないから、具体的なスケールが想像できないが、とにかくこの街の住民を皆殺しにできるほどの圧倒的な質量を持っているらしい。

 

「ワルプルギスの夜が見滝原に来る!? 何でそんな事を君が知っているんだい!?」

 

 僕よりも過剰に反応したのはニュゥべえだった。暁美が時間遡行をしていることをしらない彼には理解不能な話だろう。

 しかし、暁美はニュゥべえには一瞥しただけで身の上話をする気はないようだった。

 

「今日、集まった杏子と貴方以外にはワルプルギスの夜の話は伝えたわ。美国織莉子が居たおかげで話がスムーズに纏まった」

 

「そうなんだ。皆何か言ってた?」

 

 分かっていたが、あえて聞いた。こんなことを聞かされてノーコメントで居られる奴など、限りなく少ないはずだ。

 

「私に協力してくれると言っていたわ。……あんな温かい申し入れは初めてだったわ」

 

 暁美は目を伏せて、柔らかい表情を浮かべた。

 他の世界ではこのことを打ち明けた彼女への反応は相当なものだったことは容易に想像できた。

 

「良かったじゃない。それで今の総戦力なら勝てるの?」

 

 僕がそう聞くと暁美は表情を曇らせた。

 

「分からないわ。あいつは物凄く強い魔女だから」

 

 そうか。やはり今のままでも不安なのか。

 なら、やはり――第二段階はクリアしなければならないようだ。

 僕は話について行けず、困ったような表情を浮かべたニュゥべえを見つめた。

 




ニュゥべえ編始まります。その後でワルプルギスの夜との決戦があるので、舞台装置の魔女を心待ちにしている人はもうちょっと待ってくださいね。

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