別に、南雲満の事を責め立てるつもりは加賀には無かった。そもそも、その時は轟沈した親友の事で頭がいっぱいで、彼女を轟沈させた提督のことなど一切意識を向け用もなかった。
嫌悪はなかったものの、それ自体は決して良いことではなく、むしろ消沈した人間は、悪意よりも無関心のほうがよっぽど心境を打つものがあったはずだ。
だからこそ、加賀はあえて意識を向けなかったという面もある。ただ、それでも話を聞く必要があったから――加賀は南雲の元へと向かった。早朝、まだ南雲機動部隊の主力も戻らない頃のことだった。
話ができるだろうか、と考えた。彼女が沈んで直ぐのことである。南雲自身、錯乱し正気ではないのではないか。
知りもしない人間を――正確には、伝聞でしか知らない人間が、なぜ錯乱しているとかんがえるのか、自分でも解らなかった。ただ、そんな可能性もあるのだろうと思考の片隅で考えた。
だが、思いの外素直に、彼は加賀を受け入れて、司令室へと通した。だがそこで、加賀は思わず目を見張る光景を見る。
そこは、本来整然と清掃がなされた司令室であったのだろう。その証拠に部屋の隅の本棚にある本は、丁寧に分類がなされて置かれている。しかし、その司令室の中身は見るに耐えないものだった。
何せそこら中にありとあらゆる資料、及び本が散乱しているのだから。
デスクでは、二台ほどのパソコンが同時に稼働され、今も電源が付いたままになっている。掃除をする暇もなかったのだろう。中央のテーブルとそこに行くための道だけが周囲の雑多なモノをどけられて片付けられていた。
――おそらくその資料のほとんどは資料庫から持ちだされてきたのだろう。部屋の隅には、台車が一台放置されている。
必要なものだけを整理して、再び作業に戻っていたのだろう、南雲満はパソコンの向こう側にいた。
加賀が入室したのを確認し立ち上がる。――その時の満の姿が、加賀は今でも脳裏にこびりついていた。
その時の彼は、激しく資料庫と司令室を行き来していたこともあってか、上着を脱ぎ捨てていた。ラフなTシャツのまま、艦娘、それも日本を代表するとは思えないほどよれよれの野暮な姿で、目には隈ができていた。加賀が彼女の轟沈を知ってからここに来るまで、すでに一日は経過している。――その間、一睡もしていないだろうことは明白だ。
息を呑んだ。
彼は、それでも何とか取り繕うとしたのだろう、薄ら笑いに近い作り笑顔で加賀を歓迎した。明らかに水分すら補給していないのではないかという枯れた声で、今にもその場に倒れそうなほど。
自身の用事すら忘れ、加賀は彼に何をしているのかと問いかけた。すぐに答えは帰ってきた。
同時、揺らめいた。もはや瞳を開けていることも億劫であったのだろう彼の眼が、見開かれた。決して正気とは思えなかった。――しかし、狂っているとも、思えなかった。
――あの人を救う方法を探している。いいところに来た、手伝ってくれ。
――――と。
圧倒された。
もはや言葉すら消し去るほどの気負いに、圧倒された。だが、そこでただ呆然としている加賀ではなかった。ただし――彼女の心境は一瞬にして変化していた。
南雲満の事をどうでもいい――? いいや、そんなことはない。“こいつ”――“彼”の力は絶対に必要不可欠だ。そしてその“彼”が言うのなら――
――轟沈した艦娘を救う方法は、今のところ存在しないわ。ただもしも、彼女に報いたいというのなら、私のいうことを聞きなさい。
彼は答えた。
――君のいうことを聞くのもいいが、まずは情報をくれ。彼女を救えないことは解っている。今必要なのは君の存在ではない、君がくれる情報だ。
彼は理解していた。加賀がここに来た目的を。おそらくだが、彼女が轟沈した時点でそのからくりを理解していたのであろう。
加賀はそれに応えた。持ち込んだファイルを、パソコンを横にのけた彼の前に差し出す。中には、予てより文通を行っていた加賀が、彼女から受け取った手紙のほとんどが収められている。
ただ、一枚だけこのファイルの中にはいれられていない手紙があった。本来ならば帰り際に置いて帰ろうと思っていたのだが、状況が変わった。これは、また今回の件が一段落してからだ。
――わかってはいると思うけど、彼女を救うには貴方は今の地位にしがみつく必要がある。……そのための“切り札”がここにあるわ。
それが、正規空母加賀、そして南雲機動部隊司令、南雲満の初めての邂逅であった。
――状況はこの時を持って回り始める。ある一つの意思を共にして。
♪
加賀は南雲機動部隊の仲間たち、そして北の警備府司令と共に北方海域の海にいた。目的は、北方海域に出現した敵艦隊の撃滅。――北方海域艦隊決戦。
ついにその時は来た。否、“やって”来た。
問題が起きたのだ。敵は南雲と山口が想定していた以上の戦力を出現させた。本来であれば二艦隊もあれば十分だろうという予想であった戦力が、その数割増しで襲いかかったのである。
――特殊な作戦である、北方海域艦隊決戦の要旨を説明しよう。
まず、この艦隊決戦はひとつの艦隊で行われない。南雲機動部隊と北の警備府第一艦隊合同の作戦である。
行うことは極単純。二艦隊が同時に出撃し、二方向から敵艦隊を襲撃、どちらか一つを敵中枢艦隊に送り届け、敵を殲滅する。
ここでポイントとなるのは同時出撃という特殊なスタイルだ。本来、出撃はひとつの艦隊が行い、もしも同時に出撃する場合は、どちらかが支援のみを目的とした艦隊になるはずだ。しかし、今回の場合はそうではなく、主力級の艦隊が二つ、それぞれ敵艦隊との戦闘を目的に海域に突入するという点が特殊であり、異様である。
そしてここに、今回はさらに別の事情も存在する。それは敵艦隊の漸減が作戦の主旨であるということだ。
今回出現した敵艦隊は、南雲達の想定を超えた。よって、どうやっても二艦隊程度では敵を殲滅することが不可能である。そこで南雲達は考えた、敵を漸減し時間を稼ぐのだ。そして、こういった不測の事態に対する頼もしい味方が日本海軍にはいる。
――主力艦隊、海軍本部第一艦隊である。彼女たちを迎え入れることで、不足した戦力は、容易に補えるのである。
とはいえ、彼女たちの到着には数日を要する。誰もが必要なこととは理解できるが、それでも日本海軍の顔を動かすともなれば、それ相応の根回しが必要になる。しかも今回は、ある要請が山口からなされているのだ。
そういうわけで今回の目的は敵主力艦隊の撃滅ではない。取り巻きを徹底的に削ぎ落とすことに作戦の主眼がある。
本来であれば、可能ならば敵を撃滅することも目標となるのだろうが、今回はある事情からそれはなされない。正確には、南雲や山口が求めていないのだ。
かくして出撃した南雲機動部隊は、緒戦。敵の哨戒艦隊と激突した。
重巡リ級フラグシップを主軸とした敵艦隊。とりわけ意識するのは旗艦を含めたフラグシップとエリートのリ級コンビ。
しかし、的に空母郡が存在しないという事実は非常に南雲機動部隊にとっては優位を作りやすい状況であった。結果、敵艦隊は加賀と龍驤の空母コンビによって壊滅、もはや勝負にすらならなかった。
途中、起死回生を狙ってかリ級二隻が龍驤を狙ったものの、反航戦では狙う時間もさして用意することはできない。さっさと龍驤の反撃を受けリ級は轟沈。勝負にすらならないのであった。
とはいえ、それは敵が御しやすいレベルであったからだ。ここは敵の主力が集中するのである。前衛にも戦艦は存在しうる。――続く戦闘。進撃していた南雲機動部隊を待ちかねていたのは、戦艦ル級二隻を含む敵前衛艦隊。
二隻だ。片方はフラグシップ、片方はエリートである。更には空母ヲ級エリートが一隻――もしも、ヲ級がフラグシップクラスであれば、敵の主力艦隊と見間違うレベル。
「――どうするの!? 空母何とかしないと戦艦に近づけないよ!」
敵の艦載機はほとんどがル級の直掩機であった。敵は加賀の練度と、龍驤攻撃隊という無視できない存在を考慮してか、空で勝負をかけることはしなかった。
島風の叫びは最もだ。敵はあくまで防衛に専念する以上、加賀達では戦艦に手出しのしようがない。
「上はダメです。下をなんとかして下さい」
「空母をってこと!? 了解!」
――加賀はあくまで言葉少なであった。それでも島風はしっかりそれを補完し、了承すると動きを見せる。
愛宕、北上もそれに呼応した。島風は敵軽巡――どららもフラグシップである――の内、軽巡ヘ級に狙いを付ける。たとえフラグシップとはいえ、軽巡程度の装甲ならば、島風の火力でも抜ける。
「北上はヘ級をよろしく、愛宕はハ級エリート! そっこーでね!」
「ウチがサポートするから、気負わず行くんやでー!」
龍驤が付け加えた。島風含む三隻が敵を討つ、その撃ち漏らしは龍驤が仕留める。かくして話はまとまった。戦艦の相手を完全に金剛へ押し付け、島風は無数の砲弾をホ級へばら撒く。
連打であった。その速度で敵の砲撃を寄せ付けず、かといって自分は正確無比な射撃でホ級を追い詰める。それは北上も同様であったか。
どちらが速いかのタイムアタックと化した砲弾の打ち合いは、やがてヘ級への直撃弾と相成った。とはいえ一発では終わらない。中破、そして続けざまの一撃で――轟沈。
「――提督ゥー!」
金剛の悲鳴がその瞬間、轟いた。思わずそちらを向きたくなる衝動を、島風は必死に抑える。意識をかけている場合ではないのだ。――そんな余裕、どこにもない。
『被害は!?』
「小破ネー! まだまだ行けるけど、ちょっと痛いデース!」
ほっと、胸をなでおろす自分が心のどこかにいた。全員がそうだろう。安堵のこもった何がしかを、その瞬間覚えたはずだ。
「私が金剛さんのサポートに回るわ! 空母ヲ級をお願い!」
すでにハ級を轟沈していた愛宕が島風と北上に言う。二人は即座にそれにうなずき、軽く視線を交わしてそれから砲塔を回転させる。
自身を狙う敵に気がついたのだろう。ヲ級の艦載機、ル級直掩の一部が島風達へ向けて飛び出す。
だが、それを許す愛宕と金剛ではなかった。上方を飛んだ艦載機を機銃の餌食とする。元のヲ級がエリートということもあってか練度は高くはない、あっという間に火の手を上げたそれらは、ほとんどその場で四散するか、ないしは止める間もなく海の中へと消えてゆく。
そして島風が、主砲と魚雷を、ぶちまけられるだけぶちまける。ヲ級はその間を右往左往し、島風は更にそれを追い立てる。直ぐに魚雷は使いきったが、十分だった。本命、北上はすでに、ヲ級へ狙いを定めている。
――ヲ級の元へ、北上が即座に潜り込む。狙いは単純、魚雷を絶対にはずさないためだ。加えて、そこまで行けば島風の援護はもう必要ない。
結局、ヲ級が轟沈した時点で敵は連携を逸し、加賀の編隊に殲滅させられた。ル級二隻も龍驤の爆撃、及び金剛の砲撃によって海に帰った。
金剛の小破はあったものの、全体としては大きな被害もなく、南雲機動部隊は進撃した。
続く戦闘は激戦が予想される。――敵中枢艦隊防衛網。つまり、敵主力前の前哨戦だ。
♪
南雲機動部隊。かつて、自身の相棒が名づけた艦隊に所属して、加賀は久方ぶりに実戦に出た。実のところ、彼女は最近、前線に出ることがなかったのである。
これはある艦娘――現在は艦娘は休業中であるが――から、“提督にならないか”と誘われたからだ。
何も珍しいことはない。艦娘は、特に秘書艦を経験した艦娘は提督としての業務のいくつかを受け持つことがある。これは秘書艦と提督の連携によってその内容が変わってくるのだが、とりわけ加賀は秘書艦として提督の仕事の代役を務めることが多かった。第一艦隊の提督が変更されてからは、大体秘書艦をしている。
提督自身が老齢ということもあってか、提督としての業務のうち半分は加賀の担当である。結果、ある知り合いが言った。それが提督にならないかという提案。
加賀は悩みながらも、それを受け入れた。すでに提督としての道を歩んでいたある空母艦娘の後輩として、そのうち、その空母艦娘と同様に、出撃よりも指揮をすることの方が多くなるのだろうと、ぼんやりと考えていた。
よって、加賀にはそれなりのブランクがあった。――それでも、一切問題は起こらなかった。満の指揮力というのもあるのかもしれないが、それ以上にこの艦隊が、空母との連携に慣れていたということが大きいだろう。
――やはりここは、“あの人”が所属していた艦隊なのだ。鎮守府のいたるところに、その気配というものが見て取れた。
“彼女”が作り上げ、そして満と艦娘達が育て上げた場所。
改めて思う。ここは悪くない、決して悪くない居場所である、と。そして同時に――どうしてあの人は、そんな居場所からいなくなってしまったのだろう、と。
「……必ず、助けます」
――だから待っていて下さい。私の大切な、唯一無二の親友。
言葉は、飲み込んでかき消した。