その日、南雲満は珍しく、出撃前に司令室を離れ、軍港の海の入口へとやってきていた。目的は単純で、此度の出撃を行う艦隊を、一目直に見るためだ。
というのも、今回のカスガダマ沖海戦は激戦である。何せ西を制覇している敵艦隊の中枢と直接殴り合いを演じるのだから。そのため、戦力は過剰といえるほど過剰となっていた。
普段であれば司令室籠もりの満も、今日に限っては特別だ。此度の南雲機動部隊は大艦隊。それも、日本海軍主力級と言っても良いほどであるからだ。
隣には愛宕がいた。秘書官としての役目ということもあるが、彼女もまた海に立つ勇壮な仲間達に興味が有るようだ。なんだかんだ言って彼女はまだベテランにさしかかろうかという中堅。南雲機動部隊の中では最も新参である。若い、とも言える。
「ほぉー」
そんなわけであってか、両名は波止場から海を切り裂き出港する南雲機動部隊を垣間見たわけであったが、さすがにそれは圧巻としか言いようのないものであった。
――現在時刻、明朝マルナナマルマル。これより鎮守府を出立した南雲機動部隊は、敵大艦隊、東方艦隊中枢を叩く算段だ。
そんな彼らの行末が行幸であることを示すかのように、朝焼けの日差しが彼女たちを照らしていた。水平線の彼女たちから、手前側に伸びる勇姿は、見るものを圧倒させるには十分だ。
「これは……司令室で見るより、一際、ですね」
「全くだな。……艦艇というものは、見るものに圧迫と威圧を与える。それは、艦娘という存在でも変わらないのだろう」
満の言うことは最もであった。
何せ旗艦、島風は最速の駆逐艦。言うまでもなく南雲機動部隊の顔だ。そして同じく南雲機動部隊の顔でもある戦艦金剛。そして北の警備府が主力――榛名。
高速戦艦姉妹がここに、数年ぶりの揃い踏みであった。
そして、それだけではない。歴戦の艦娘。――この中では榛名と並ぶベテランである軽空母瑞鳳。更には日本最強の空母、加賀。
そこに先日改装を終えたばかりの重雷装艦、北上を加え、南雲機動部隊及び北の警備府聯合艦隊は、現時点における最高戦力で持って、カスガダマの敵を撃滅するため出撃するのだ。
ともすればそれは日本海軍第一艦隊とすら見間違うほどの戦力。この世界に転生して五年。間もないといえば間もない時間で彼女たち艦艇娘に惹かれていった満にとって、この浪漫は筆舌しがたい感覚であった。
それは、艦娘としてはまだまだ若い愛宕も同様である。
「提督は、そういった艦艇を見たことがおありなのですか?」
意外といえば意外だ。満はそもそもごくごく平凡な日本で生まれ、戦争等に関わることもなく育ってきたはずだ。何がしかの観光でそういった場所を訪れる機会でもあったというのだろうか。
だが、満の答えは違った。彼は少しだけ恥ずかしげにしながら、事の真相を明かす。
「この間ね。しかも、あれでもまだ大戦当時の大戦艦級には及ばないのだとか」
そう言われて納得がいった。彼が言っているのはこの世界でのことだ。となれば、その目的は愛宕にとっては明白である。
「そうねぇ」
なんとはなしに頷いて、愛宕は再び思い巡らせる世界へと帰っていった。――ふと、満の瞳に、金剛が手を降っているのがうつった。どうやら、見送りに来たこちらに気がついたらしい。
「気をつけていけよー!」
おそらく声は聞こえないだろう。満も、聞こえると思っているわけではない。それでも、声をかけずに入られなかった。それだけこの艦隊は絶大であるからだ。
――同時に、このカスガダマ沖海戦は前哨戦、こんな所で躓いて欲しくない、という思いもまた、あるのだった。
♪
かくして期待を背負い港を出撃した島風以下機動部隊は、西方海域、カスガダマを目指し進撃を開始。道中幾つかの地で休憩をはさみながらも、予定通りの時刻に、カスガダマの端、戦闘開始領域まで到達した。
戦闘開始は昼半ば、ヒトヨンマルマル。島風達が最初に相対したのは戦艦ル級を旗艦とする敵前衛艦隊。
戦いの火蓋はここに切って落とされた。緒戦、ル級の至近弾に北上が肝を冷やすという場面もあったものの、ほぼ損害を出さず勝利。島風達は進撃を続ける。
そして第二戦。潜水艦の哨戒とぶつかった島風等は、これを単横陣で警戒突破。こちらも損害を出すこと無く、敵潜水艦三隻を轟沈。一隻を中破に持ち込んだ。完勝とは言いがたいが、被害が出なかったことは大きな勝利と言える。
そして第三戦。敵空母機動部隊と島風等は激突。ここでは空母加賀、空母瑞鳳両名が映えた。敵ヲ級二隻のうち一隻を即座に海に還すと、制空権を確保、戦闘を一方的な形で進めた。
結局これまた敵に手を出させる暇もなく、気がついてみれば、小破すらでないまま戦闘は終了。まさしく快進撃であった。
――そして。
“そこ”には、もはや要塞としか形容しようがない深海棲艦が、待ち受けているのであった。
眉目秀麗。真白の肌はさながら遊郭の女であるかのような、まさしく“魔性”。このよのものではないかのように思える。一結びの髪が海風にたなびき、前傾の姿勢とその瞳は、敵を射殺すかのようだ。
しかし、異形。人の姿を彼女はしていた。しかし、彼女が人でないことは端から見て明らかだ。
彼女の下半身は、偉業のそれにそまっていた。深海棲艦らしい黒の化生は、更に死を伴う幾つもの砲塔をもって、艦娘を喰らい尽くすべくその瞬間を待っている。
――通称、“装甲空母鬼”。本来の命名規則を伴わない、通常の深海棲艦とは完全に一線を画するワンオフ型超弩級空母。
空母ではある。しかし、その飛行甲板を模したと思われる“口部”には機銃とは思えない口径の砲塔が備わり、さらに“彼女”の後方にも、全四門の単装砲が鎮座している。
「思うに、あの砲塔、単装砲ですけれど、口径こっちの『41cm』と大差なくないデスカー!?」
「変なこと言ってないで、直ぐに戦闘開始ですよ!」
金剛の雄叫びがこだまする。榛名はそれをたしなめながら、装甲空母鬼の異様を目の当たりにしていた。声もどことなく緊張が見える。
らしくないといえばらしくないが、あくまでそれは声だけだ。表情は、いつもどおりの榛名である。
「――行きます!」
「全部まとめて叩き潰してやるネー!」
金剛姉妹、数年ぶりの共同戦線。懐かしさを感じつつも戦意十分。南雲機動部隊は、装甲空母鬼との戦闘を開始させた――
♪
敵編成。
旗艦、装甲空母鬼。
戦艦タ級エリート。
軽空母ヌ級エリート。
輸送ワ級エリートに。
駆逐ロ級フラグシップ各二隻。
戦況は、開始早々混迷の色を見せていた。
「ちょっとー! 駆逐艦のくせにすばしっこいんだけど!」
島風の声が、波にもまれて消えてゆく。駆逐ロ級がフラグシップは高速であった。そも駆逐艦とは全艦種最大速度を誇るのであるがため、島風のそれは戯言にも程があるのだが、とまれ、敵駆逐艦も恐ろしいほどの回避性能であった。
二隻の駆逐艦が島風を狙う。対して島風は一隻で駆逐ロ級二隻を相手取っている。
輪形陣を組んだ敵艦隊の端と端を、高速で撹乱するべく動き回っていた。
敵の外周を、回転するように島風達は回る。ただし、島風のみは艦列を離れ、一人敵駆逐を釘付けにしていた。太極を左右するわけではないが、憂いを断つためである。
「ちょちょ! 輸送艦のくせに撃ってこないでよ!」
北上が焦りを見せながら、ばら撒かれた輸送ワ級の砲撃を回避し続ける。そもさんワ級の攻撃は大した火力でもないのだが、装甲の薄い北上には無視できないシロモノだ。これが原因で、タ級の攻撃を中破で持ちこたえられないということにでもなったら目も当てられない。
「――あんまり、無茶はしたくないんだけど」
言いながらも、瑞鳳は無数の艦載機を空へと浮かべていた。ここまで消失した分を除けばほぼ全機。加賀にも負けじと放っているのである。
狙いは明らかだ。瑞鳳は装甲が薄い、装甲の厚い加賀よりも先に中破になる可能性は高い。故に、先に飛ばして、たとえ艦載機を消耗してでも、と全力方向に傾いているのである。
空は、装甲空母鬼の艦載機が待っていた。決して大群ではない。だが、恐ろしいほどの練度であり、おそらく空母ヲ級二隻分に比肩しうるのではないか。
「……っ! 次!」
瑞鳳の一群が、装甲空母鬼の艦載機一群に背後を取られた。またたく間の惨劇、“すべて”の艦載機が即座に火の手を上げ散る。もしも搭乗者が妖精でなければ、果たしてどれほどの人命が喪失したことか。
空は完全に劣性で膠着していた。空母鬼をいかんともしがたいのである。その高い装甲は僚艦であるタ級エリートにも引けをとらない。
――金剛の砲弾が、今まさに着弾した。しかし、それは彼女を貫きもせず、単なる煤とかして海へ消えた。返す刀の砲弾が金剛を遅い、至近弾。――金剛、小破であった。
「下がって下さい! お姉さま!」
「ノー! ここで下がったらせっかくの直撃弾が!」
「装填間に合いません! 装甲空母鬼は全弾をばらまいていない! 次は夾叉弾です。避け切れません!」
榛名の懇願に近い進言もあってか、金剛は一度自身をひかせた。変わるように榛名が砲撃、直撃とは行かないものの、のろまな装甲空母鬼をその場から遠ざけた。
輪形陣で周囲に散った艦隊は、それもあってか足が遅い。タ級ですら速力低であるのに、そこに図体のでかい装甲空母、もはや身動きなどとれようもない。
対するは南雲機動部隊。速力高速で固めた艦隊は、縦横無尽にその周囲を駆けた。
とはいえ、それがアドバンテージであるかといえば、あまりそうとは言えないものがある。空母鬼の装甲が非常に絶対的であるのだ。
金剛の直撃弾ですら小破にいたらないその装甲、もはやどの艦娘が砲弾を直撃させようが意味が無い。であれば魚雷は――? 通るだろうが、そもそも輪形陣を取られては、虎の子の魚雷も装甲空母鬼に届かない。
手詰まりとも言えた。
空も、海も、あまり良くない空気で、膠着が生まれていた。
当然、誰も手を打たないはずはない。
『金剛、榛名は装甲空母鬼から離れて、駆逐艦二隻を何とかしてくれ! 島風の支援をすれば、後は勝手に島風がなんとかしてくれるはずだ!』
満が、割って入るように通信を入れた。
『瑞鳳と加賀は装甲空母の艦載機に惑わされるな! 軽空母ヌ級をたたけ、空の鬼からノイズを蹴散らすんだ』
「――了解!」
瑞鳳が即座にそれに応答する。続けて、ワ級を相手取っている北上以外の艦娘からも、続々と了承が入った。
『とにかく、あの空母と脇のタ級を浮き彫りにしないことには状況も変わらない。現状の膠着も長く続くはずもない。――終わればこちらが窮地に陥る。なんとしても、現状打破は急務である!』
状況は完全に切迫していた。このまま戦闘が長引けば、消耗した南雲機動部隊が押し込まれる。とにかく空の状況が一方的であるのだ。決して空から押しきれないわけではない、だが、このままではいずれ無茶が出る。それだけは間違いない。
加賀の艦載機――第二次攻撃隊が収容されていく。加賀の左舷に展開された水平線の飛行甲板。そこをめまぐるしく艦載機が着陸し、妖精たちがその収容を急いでいる。
続きざまに発艦した加賀の攻撃編隊は、軽空母ヌ級に狙いを定め、一目散に駆け抜けてゆく。
金剛達も動きを見せた。――榛名との短い会話で、支援射撃は一度と決めた。タ級と装甲空母の砲撃弾幕は、絶対に無視できない。それを無視してまで駆逐艦を狙えるのは一度だけ。
仕留め切れずとも良い――一度でもロ級が金剛達に意識を取られれば、島風が仕留める。その手の“仕事”は島風の領分なのだ。
戦況は、次なる状態へと変化を見せ始めた。敵は強大なれど、決して無敵の要塞ではない。攻略可能な代物なのだ。
それに、何も悪い報告だけが重なるわけではない。
満が指示を出した直後、北上が報告を上げた。
「敵ワ級を仕留めましたよー! 私は魚雷ばらまいてタ級狙います! 近づくから支援よろしく!」
それは戦艦群及び空母郡へと向けられたものであったが、これでとにかく北上の手が空いた。彼女は艦隊決戦能力の高い高火力艦。――この膠着に風穴が生まれれば、そこから一気に敵を押し込めるだけのポテンシャルがある。
さながら戦場はシーソーゲームの様相。なれど、決して南雲機動部隊に不利が偏るわけではない。
激戦の行方や、いかに――