「うんまぁ、別に君を責め立てようってわけでもないし、あまり気負わないでほしいな」
――話しづらいことを矢継ぎ早に問い詰めることになるけど。そんな必要のない言葉は飲み込んで、満は木曾に席に座るよう促した。
「説教をするのはあの人の仕事だ。僕は単純に君のチカラになれればと思う」
「……はい」
言ってしまえば、適材適所。もともと満は誰かを叱るということが向いていないのだ。叱られ慣れていないというのがまずあるが、そもそも説教は彼の得意分野ではない。
飴と鞭ではないが、満の担当はいわゆる飴。精一杯艦娘の事を慮ればいいと、彼は考えている。
決して安っぽくはない、しかし厭味になり過ぎない程度のシンプルなデザインのティーカップを木曾が受け取る。それを見た満が、
「安物だけど、ごめんね?」
と言う。そうして恐る恐ると言った様子で中に入った紅茶を飲み下す。やがてこくこくと、半分ほども飲んだだろうか。ようやく落ち着いて、木曾は一言ポツリと漏らした。
「……本当に安物だな」
市販のストレートティー、いわゆるアフタヌーンの紅茶というアレだった。手作りですらない。もはや単なるジュースだ。
そんな木曾の一言に思わず満が吹き出す。楽しげに笑う彼に、木曾も毒気が抜けたように肩の力を少しだけ抜いた。
本当に、この少年――提督ではあるが、同時に彼は高校生ほどの年齢だ。青臭いといえばそのとおりなのかもしれないが、そもそも木曾達艦娘は実年齢で言えば一桁未満だ。あまり人のことは言えない。
――この少年は、木曾を責め立てる様子はないらしい。
「人がいい……いや、人が悪いな、本当に」
苦笑した木曾。――それは呆れを多分に含んだものではあったが、満が初めて見た、木曾の笑みだった。
「あはは。まぁそれが僕の役割だから。それに、キツイことは言わないが。キツイことは、聞くよ」
きっぱりと、はっきりと、何ら物怖じもせず満は言った。まっすぐ木曾の瞳を見つめて、言葉を待つように、それから口をつぐんだ。
一瞬、ほんの一瞬だけ揺れた木曾の瞳。しかし即座にそれは見つめ返す瞳に代わって、南雲満と、軽巡洋艦木曾は、ようやく対等に、ようやく何の垣根もなく、言葉をかわす土台にたった。
沈黙はさほど長くはない。体感も、決して長いとはいえなかった。木曾は、少しの躊躇いを持って、言葉を選び始める。
「…………わかってはいるさ」
――軽巡木曾。日本海軍が誇る第二水雷戦隊の元旗艦にして、現在は北の警備府所属。人間の基準で言えばそれは左遷と言えるかもしれないが、艦娘は人でも在り、兵器でもある。兵器は自分の居場所に不満を持たない。艦娘は、そのチカラを振るう場所は選ばないのだ。
そんな彼女が建造されたのは、ある基地の工廠だった。
「俺と島風は、同じ艦隊の所属だった。あいつは駆逐艦としては破格の性能を誇るエリートとして、俺は……どうだろうな。客観的に見ても、それなりに期待されていたのは確かだが、ともかくお互い、それなりに期待される立場にあったんだ」
よくわからんと、木曾は肩をすくめた。建造された彼女はそのまま建造された基地に配属され、そしてその基地を出た後、第二水雷戦隊の旗艦を務めた。つまり、基地に所属していた段階で、彼女はそれ相応に優秀な艦娘だったのだ。
「俺は期待に答えようとしてな、よく島風と張り合っていた。ずいぶん厳しい言葉をぶつけられたな。……思えば、アレは結局子どもの喧嘩みたいなもので、俺も島風も、幼かったってことなんだろうな」
「艦種を超えて競い合う仲間か、いいじゃないか。嫌いじゃない。……おそらく原因だろう僕が言うのも何だが、ウチの艦隊は皆仲がいいからね。言ってしまうと、張り合いがない」
木曾にとっては、島風と張り合うことが日常だった。島風の態度はわがまま放題のエリート風を蒸す生意気ばかりであったが、それ以上に、そんな生意気な少女と、――悔しいことに実力の伴ったその少女と、張り合うことがどうしようもなく“楽しかった”。
「俺と島風がガキみたいに言い合って、それを龍驤と重巡の艦娘がたしなめるんだ。で、それを楽しそうに遠目から、旗艦の戦艦とあいつが見てるんだよ」
「あいつ……」
ぽつりと、満はそれだけ呟いて、ふと手を伸ばして自身の紅茶を飲み下す。言葉を幾つか同時に飲み込み、それから混ぜあわせて、一つを選ぶ。
そうして、問いかけた。
「……先代の、電のことだね?」
――一瞬だけ、木曾は呆けた顔をして。
「あぁ」
そう、端的に頷いた。
先代の電。伝説と呼ばれた駆逐艦。――その名を確かめた満の中で、急速に一つの答えが浮かび上がってゆく。木曾と島風。両者の間に立つ誰か。それは間違いなく先代の電だ。島風にとって先代の電はとても大きな存在である。
わがまま放題だった少女が、一つ前に進んで今の、優等生な島風になった。そのキッカケは、間違いなく先代の電にある。
先代の電が、轟沈したことにある。
「全てはそこに行き着く……か」
「俺にとっても、島風にとっても、先代の電はあまりに“大きすぎた”んだ。沈むなんてこと、端から考えられないくらい。沈んだことを、今でも信じられないくらい」
要するに、発端は先代電。彼女に起因し、彼女に帰結する。
「本当に、あの艦娘は……」
「……ん? どうかしたか?」
「いや、何でもない」
ひとりごとは、どうやら木曾にまで届いてしまったようだった。別に聞かれて困るようなことではないが、突っ込まれては困ることだ。そもそも、木曾と満の間に、電という存在はあまり必要ない。
「――改めて、此処から先は厳しいことを聞くと思う。嫌だとは言わせないが、心して欲しい」
そうして、改まったように満が木曾へ言葉をかけた。――しかし、再び木曾の瞳が揺れることはない。あくまで真っ直ぐ、満と相対していた。
「……南雲提督」
「なんだい?」
続く言葉は、なんとなくわかる。鈍い満であっても、因果的に今の木曾が何を思っているか、なんとなくではあるが理解できる。
それでも、わからないといった風に問いかけた。木曾は、少しだけニヒルに笑みを浮かべて、満を見る瞳を細めた。
「あまり俺を見くびらないでくれ。……ここまで話をして、いまさら止まれるほど俺は臆病じゃないんだ」
「そうか。じゃあ聞く。木曾、先代電が轟沈した時、君と島風の間に、何があったんだ――?」
過去へと振り返る。未来へと背を向けて、かつての栄光をその体に浴びる。それは、今自分が手に持っているものとは別種のものだ。
木曾の言葉は、満をその世界へと誘ってゆく。
♪
先代の電が轟沈した当初、島風は同じ海域――カスガダマで資源の輸送任務についていた艦娘、響にことの詳細を問い詰めていた。
それはその事実に動揺した島風の、ある種失態のようなものだった。とはいえその時のことは、島風と響の間で、それなりの情感を持って和解が為されている。
そもそも過去のことだ。両者間が納得しているのなら、いまさらその二人のことに、木曾が何かを言うはずもない。満も、特にそこへ言及することはなかった。
両者の間に生じた溝は、ごくごく単純なこと。響を問い詰めた島風を、木曾は龍驤とともに諌めた。しかし、その時木曾は、思ってもないことを口に出してしまったのだ。
――思ってもない、というのはある意味木曾の希望なのかもしれない。木曾にとってその時の事を感情をもって思い出すことは、不可能だったのだ。
あくまで客観的なこととして、木曾はその事実を淡々と述べる。
普段のような言い争いが、電の轟沈という事実でもって必要以上に暴走し、龍驤では止めようもないような事態に至っていた。当時、旗艦の戦艦は雑事に忙殺されていたため往なすことはできず、そもそもそれを、先代電以外に、止める力があったかといえば、首を傾げざるをえないだろう。
そうして行き着いた先。木曾は島風にある言葉を投げかけた。それは誰もの心に楔としてのこり、今に至る。
「――どう、しようも無い。“役立たず”じゃあないか!」
半ば自身に向けた言葉だっただろう。しかし、島風に対しても向けてしまった言葉であることに違いはない。
木曾はそれを悔やんでいる。電の事を上手く呑み込めなかったあの時に、それを島風にぶつけてしまったことを悔やんでいる。
ようは、そこに全てが行き着く。
潜水艦に対し異様に執念を燃やすことも、“どう”することもできない“役立たず”ではないことを証明するため。それ以上に、島風を先代の電と重ねて、島風の轟沈を恐れているのだ。
島風が、自分のわがままを収めて、優等生となったように。
木曾は、自分の中の役立たずを殺し、優秀であろうとした。
先代電への想いを胸に、それぞれは前へ進もうとしていた。
♪
「まぁ、島風もそうやろうけど。……ウチにとっても、やっぱ電はんは大きかったんよ」
――かつて、島風と響がそうしていたように。島風の部屋には、今、龍驤が訪れていた。数年前、響と会話を交わしたように、同じベッドに腰掛けて、二人は肩を並べ合う。
「空を舞うウチの編隊は、ちょっとさびしい。けど、小さな小さな編隊が舞う空は、とんでもなくって素敵なんやって……初めてウチにそう言ってくれたのは、電はんやった」
「やっぱりそれが、龍驤にとっての“空”なんだ」
「せや。ウチの空は大きな空や。身体がちっこい分、いっぱい飛んで、いっぱい走れる。そんな空が、ウチの描く空なんや」
直線的に伸ばした右腕を、揺らめかして回遊させる。楽しげに手を揺らす龍驤を、島風は横目に、眩しそうに眺めた。
そうしてしばらくして、龍驤はその手を引っ込めて倒れこむように後方へ体重をかけると、憂いを持ってため息をこぼした。
染みこむように沈黙が広がって、その後ようやく、龍驤達は本題へと入った。
「――木曾と島風のこと、やっぱウチになにか言う資格なんてないって、思ったん」
龍驤には、あの時の木曾の言葉が重く、突き刺さっていた。ちょっとやそっとじゃ抜けない楔として――五年もその言葉を、忘れずにいたのだ。
「ウチかてやっぱ、――役立たずなんやから、って」
「……、」
少しだけ、息を呑むように島風は言葉をつまらせた。出てくる言葉が何もない、かける言葉が浮かばない。何かを言わなくてはならないという焦燥だけが先行し、龍驤に向ける意思には、重みがない。
それでも、譲れない一線があった。退いてなならない一瞬があった。島風はそれを間違えない。彼女の意思は、重みの消失程度でためらっていられるほど軟ではない。
島風は駆逐艦、艦娘だ。彼女が持ちうる鋼鉄の魂は、今は南雲機動部隊とともにある。
――龍驤が言葉を続けようとした。
「せやから、」
それを、
「――まって!」
後も先も考えること無く。
即座に言葉で、遮った。
「違う! そうじゃない! そうじゃないよ!」
一度、言ってしまえばそれで良かった。
言葉は後から追いついた。島風の速度に、寄り添うように二の句は継いだ。
「龍驤は役立たずなんかじゃない! そもそもアレは、私がいつも木曾にひどいことを言っていたからであって、誰も気にするようなことじゃ……」
「いや、でも木曾かていつもの調子が、あの時は止められんくて、それが気に病んで今が……ん?」
「気に病んでって、そんなこと木曾がする必要……あれ?」
マシンガンのごとく会話のやり取りを繰り広げようとしていた――少なくとも言わずして両者はそのつもりだった――はずの島風と龍驤が、急ブレーキでそれを止める。
違和感。
そう、違和感だ。なんとも言えない小骨が刺さるような感覚に、思わず二人は難しそうに眉をひそめる。
「……あれ?」
「……ううん?」
二人揃って首を傾げて、振り子のように左右にそれを揺らし続ける。そんな様子を何分も、何度も何度も繰り返し続けた。やがて答えにたどり着くまでに、島風たちはどうにも言い切れない感覚を伴って、それこそ広大な海のごとく拡がる疑問をこねくり回し続けるのだった。