誰かが妬ましいか、と聞かれれば、そうではないと自分は答えるだろう。
別に他人と自分を相対評価したいわけでは決して無い。重巡洋艦であること、愛宕という艦として生まれたこと、それらに不満があるわけではない。
自分は自分だし、それを否定する理由もない。
ただ自分には何もすることができないという事実が、少しだけ、本当に少しだけ心に響いてしまうだけだ。
それは戦艦ル級とこの鎮守府で初めて相対した時もそうだ。
戦艦榛名に、一撃で大破まで持って行かれたこともそうだ。
かつての鎮守府でのことも、そう。
愛宕という存在は、誰かに思われて存在している。その誰かは愛宕には分からないし、誰も愛宕に教えてくれない。
当たり前だ。ほとんどの人間が知らないのだから、かつての鎮守府で指揮をとっていた提督に話を聞くのも、なんとなく忍びない。あそこは忙しいところだったし、一年して、中々タイミングを見出すのも難しい。
あの鎮守府の工廠で愛宕が生まれて、早二年。今年で三年目に突入し艦娘としても十分一流の域に達している。すでに改装も決まり、これからさらに愛宕はそのチカラを発揮することができるだろう。
しかしそれは、長く艦娘として生きた少女には当然訪れるべきことだ。生き残るのは偶然に近く、幸運に等しい。
もしも艦娘の運命を、女神が気まぐれに選んでいるのだとすれば、それはひどい傲慢であるとは思う。けれども、だからといって愛宕にどうすることもできず、そうでなければ轟沈する艦娘は生まれない。
そう、愛宕には、さして何かができる訳ではない。
相談を持ちかけた時満は、愛宕に対して特別な才能の有無を問いかけた。愛宕はそれをすぐにないと答えたし、いくら考えても思いつくことはなかった。
北上も、答えを持ちあわせてはいないようだ。
――北上といえば、一年と少し前の南西諸島沖へ進出するための制海権をかけた艦隊決戦で共闘して以来、彼女とはそれなり以上の付き合いが続いている。
親友、というほどではないにしろ、友人、と呼ぶには少し不足な程度に、両者の関係は親密だ。現在の状況を借りて関係を表すならそれは“ルームメイト”ということになるのだろう。
とはいえ、艦隊の練度があがりそれぞれの連携が密になった現在は、その関係は主に私的なものになっているのだが。
その北上は、果たして何か愛宕について解ることはあるだろうか。短い付き合いではない、しかし全てが丸裸になるほどの付き合いでもない。
解ろうと、解らずと、北上はなんとも言えない独特の笑みで愛宕を励ましてくれるのだろうが。
気の利いた、優しい友人だ。少しマイペースでずぼらなところが玉に瑕だが、戦闘においても重雷装艦として活躍し、主力としての責務を全うしている。
この鎮守府は、善い場所だ。島風も、赤城も周囲を纏め、それぞれの長所を活かして戦場に執務にと動き回っている、
金剛は日本が誇る高速戦艦であり、満に明確な好意を抱いているのだろうが、どこか一線を引いている感のある、素敵で不思議で、無敵の少女だ。
龍驤も、そんな金剛や島風と共に鎮守府を駆けまわっているのをよく見かける。この三人は基本のテンションが多少ハイなためかよく共にいる。ローテンションの北上と愛宕が共にいるのとは対照的だ。
天龍と龍田、第六駆逐隊の面々もいる。この鎮守府は、とても心地が良い場所だ。轟沈が今まで一度もないのも、当然ではあるが最高だ。提督として満が優秀な証拠といえる。
――こんな場所で、自分は一体何ができるだろう。ただ彼女たちを眺めて笑顔でいるだけ? それは、少し寂しい。輪に入れないことも、輪が遠く感じられることも、全て。
だから愛宕は奮起する。
仲間のために、自分のために。
まずは、艦娘としての愛宕ではない、少女として、人間としての愛宕ができることを、己に可能な、最善の行動を――
♪
海を切り裂き、海面が飛沫を上げる。
六隻の艦娘と同様に浮かぶ六隻の深海棲艦。それぞれが同航戦で、青を挟んで相対している。にらみ合いというよりはそれは、砲撃を始める前の一瞬の沈黙に近い。
両者はそれぞれ、開幕爆撃及び雷撃で、多少のダメージを負っている。
敵主力艦隊の構成は空母ヲ級“エリート”が一隻、通常ヲ級が一隻。戦艦ル級が一隻、重巡リ級が二隻に駆逐ニ級が一隻だ。
この内龍驤の爆撃が突き刺さりル級がかすり傷程度のダメージ、そして赤城の爆撃でニ級が大破直前の中破だ。
対して島風達南雲機動部隊は、島風が通常ヲ級にかすり傷を負わされ、エリートの一撃で龍驤が小破にならない程度のダメージだ。
加えて北上と愛宕も、ここに来る前の戦闘で少しばかりのダメージを負っている。しかし、これは龍驤のそれよりも小さい損傷で、行動に支障は殆ど無いと言ってよい。
「――砲雷撃戦、始めるよ!」
ル級の射程、金剛の射程。両者がそれぞれ敵艦を狙う。互いに目視で認識することも難しいこの距離で、狙いを付けられる射程を持つのは彼女たちのみ。ル級は金剛を狙い、金剛はヲ級エリートを狙った。
放たれる砲火。閃光を伴った朱色の線条は敵艦隊を焼きつくすべく空を走る。雨あられ、隙間を見出すことも困難な砲撃の群れが、敵と味方をそれぞれ襲った。
降り注ぐ砲丸の隙間に身体を潜り込ませるように、身体を揺らして遠心力を得る、回転し、即座に向きを切り替えのだ。
目的は一つではない、ヲ級エリートの回避行動により、射線上からヲ級エリートが消えた。まるで掻き消えるように、高速で前方へ飛び出したのである。
向きを変え、新たに狙うは空母ヲ級通常形態。金切り声の通り過ぎる音を聞きながら、金剛の砲塔が揺らめいた。爆発――炎上。ヲ級に一撃が突き刺さる。
爆発音は、それから聞こえた。
リ級と愛宕、それぞれが敵艦隊を射程に捉え、砲戦を交える。
海面に突き刺さった弾丸が水柱を作り、それがお互いの射程を短くするにしたがって吹き上がる。敵リ級のみならず、ニ級も、そして愛宕のみならず、北上、そして島風も主砲に赤と灰色を垂らした。
北上の耳元を砲弾の閃光がかすめる。音速で叩きつけられる暴力じみた爆音が、北上は思わず耳を押さえる。体を屈め、続く砲弾を回避した彼女が、切り返すように主砲を弾幕の一部としてばら撒いた。
吹き上がった煙が、その後方を駆け抜ける。艦隊の左手側に吹き抜けて、そして空白の海へと消えていった。
風が愛宕を揺らし、その髪をはためかせる。足元に砲撃が突き刺さり水しぶきがあがる。幾つもの跳ね上がった海水が愛宕を切り裂き、吸い付き、海へと還る。その中の幾つかが、突如として飛び出た主砲の爆発に、吹き飛ばされて掻き消える。
その横、赤城と龍驤がそれぞれ艦載機を構える。龍驤は召喚型の飛行甲板を、赤城は弓矢型の艦載機の切っ先を。
戦場の空に、赤城達の刃が舞った。
すでに通常ヲ級が轟沈しているため、残る敵はヲ級エリート一隻、とはいえそれはこの南西諸島海域にて初めて会敵した大型艦種のエリートである。
当然、その強さは語るまでもなく、ヲ級の比ではない。
今、これを沈める必要はないだろう。南雲機動部隊本来の目的は南西諸島海域への進出。制海権の奪取である。戦術的に勝利といえる状態で敵艦隊を撤退に追い込めば。それは十分な勝利と言えた。
しかし、ここでヲ級エリートから逃げる訳にはいかない。かつての赤城はそうであったが、ヲ級エリートは強大な壁ではあるが、敵が潜む海域のの深部に進むにつれて、その壁は必ず超えなくてはならない壁に変わる。
今ここで逃そうと、いつか戦う必要があるのだ。
それを、今、この状態で越えていくことが、まず第一の前進と言える。
空を舞う爆撃機、艦戦の制空権をくぐり抜けるように、ヲ級のそばを目指し飛行する。
機銃が舞った。リ級エリートだ。それだけではない、艦戦も艦爆を叩き落とそうと奮戦している。それでも、その艦載機が向かう先は変わらない。
そこに、ヲ級エリートの艦載機が殺到した。揺れ動く艦爆、振り払おうとするも、それが正確に務まらない。艦爆は数機で隊をなしていた。隊列が、異様なほど大きく乱れる。
それでも、エリート艦載機は何ら問題なくそれに吸い付く。艦爆一機が、海へと消えた。
「なんちゅーアホな練度。せやけど……ここで振りきればこっちの勝ちや! 赤城、頼むで!」
――任せろと、言葉は決して聞こえなかった。しかし、即座に龍驤の感覚に答えが映る。赤城の艦戦がヲ級エリートの艦戦を貫くように交差した。直後爆発、それは全てヲ級エリートのものだった。
制空権を確保、ヲ級エリートが即座に回避行動を取ろうとするが、遅い。すでに上空には龍驤艦爆隊が到着している――!
蒼の世界を切り裂く刃がそこにある。駆け抜け、上方から下方。急降下爆撃で迫る一撃がヲ級に一斉に降り注いだ。
爆発音、二度、三度、ヲ級エリートに突き刺さる。
「――ヲ級エリート小破! 中破目前、これなら戦艦の一発で沈むで!」
たった今、赤城の艦戦のサポートを受けて攻撃を叩きつけた龍驤が、金剛に向けてそう叫ぶ。一発で沈める。そのために、必要な準備はもう行った。
「はいネ! 提督への想いと、こないだ補給した榛名分を全部込めて、もう一発行くヨ!」
その横、後方の赤城が最前列の島風に言葉を向ける。
「ル級を大破“させます”。島風はサポートを!」
「オッケー、止めは任せて!」
そうして大型を赤城や金剛らが駆逐するなか、北上達もまた動きを見せる。
「駆逐撃破、後は重巡二隻だよ!」
愛宕の砲塔から煙が上がっていた。少しだけ微笑むように頷くと、そのままその砲塔を愛宕が回転させた。
――ここまで南雲機動部隊は至って順調に戦闘を進めていた。後はヲ級の艦爆、ないしは艦攻が一撃を加えるか――加えたとしても大打撃には至らないだろうが――ル級の砲撃が急所に突き刺さるかのどちらかでしか反撃の方法は残されていない。
優勢の島風達艦隊と、劣勢のヲ級エリート達艦隊。
その状況を覆すべく、重巡リ級うち一隻が行動を起こし、回頭を始めた。
「……え!?」
愛宕が思わず叫び声を上げる。驚愕、茫然とするかのような言葉の音色に、北上がすかさず発破を入れた。
「止まらないで愛宕っち!」
「え、えぇ、わかってるわ」
即座に冷静さを取り戻したものの、状況は変わらない。互いに単縦陣で構え、同航戦を行っていた艦隊のうち、リ級が隊列を唐突に見だしたのだ。
通常ならばありえない。しかし、状況は上手く彼女に味方している。
金剛、龍驤、赤城といった打撃力の主力が、現状ヲ級エリート等敵艦の主力に向いている。良くも悪くもリ級はノーマーク、行動を阻害する枷がなかった。
だからこそ動いた。そしてその狙いは明瞭だ。
「まさか、左舷に乗り込んで乱戦に持ち込むつもり……!?」
はっとしたように愛宕がつぶやく。
要は単純なことだ。現在南雲機動部隊の右舷に敵艦隊がいる。しかし左舷にも艦隊がいれば、挟み撃ちの様相を取ることができる。
どちらにも意識を向けることはできないし、そうした場合、必然的に乱戦となる。
焼け石に水ではある。しかし、決して効果が無いわけではない。結局のところ、敗北必至の状況における特攻のようなものだが、それでも、敵艦隊が上手く対応しなければ、万に一でも勝機は見える。
「中々、奇抜な選択肢してくれるね!」
北上が主砲を叩きつけるように放ちながら、怒号混じりに叫ぶ。しかし放たれた主砲はリ級に回避され、海に水柱となって掻き消える。
深海棲艦は非常に単純な思考能力をしている。突飛な奇策は通常生まれ得ない――ように思える。がしかし実際のところ、彼女たちの思考能力は初心者のそれと言える。定石の定まったゲームで初心者がありえない選択をするのと同様、彼女たちはありえない選択で艦娘を翻弄することが稀にある。
ただし、これは個体規模であり、それらが数百、数千と集まった艦隊の頭脳は、思いの外合理的な手法を取ることが多い。ミッドウェイ海戦でもそうであるし、大きな海戦の中には、深海棲艦の思惑があることがほとんどだ。
一瞬の判断。何をしようにも、このまま通す訳にはいかない、しかし敵は北上の主砲を回避した。そうでなくとも、すでに金剛達に弾が流れかねない位置にいる。
(何か、位置を特定してそこに撃てれば――)
思考し、一瞬、ぱっと光が灯るように発想が浮かぶ。
行動までに、数瞬の間すらなかった。
「――北上さん! お願い!」
軽く振り返り北上に告げる。一瞬、呆けた顔が覗いたものの、受けた北上も即座に理解した様子で頷く、彼女はトリックタイプの戦闘スタイルを持つ、理解に時間はかからない。
ただし、それでもその発想はなかったと言わんばかりに、愛宕に呆れた眼を向けていた。
対して、
「何してるの!?」
愛宕と重巡リ級、“接近していく”両者に島風が声をかける、彼女は愛宕が何をしようとしているのか、理解すらしていない様子だ。
彼女はとにかく正統派のスタイルを得意とする、理解できないのが当然と言えた。
身をかがめるようにして、速度をあげてゆく愛宕、重巡リ級が刻一刻と迫る。海を掻く音、風を切る音。
気がつけば、手のひらほどのだったはずの黒が、目前に、覆い尽くすように広がっていた。
重巡リ級が警戒を強める。愛宕の目的が超至近距離からの砲撃であるというのならわかりやすい。それを回避する事に集中していれば、他にリ級を穿てる砲弾はない。愛宕が壁になってくれるのだ。
一瞬だけの交錯。視線と視線が、睨み合うようにぶつかった。
愛宕がそうであるように、リ級には艦娘を鎮めようという殺意があった。貫くような、気配であった。
そして、
愛宕は主砲を――構えない。
深海棲艦でなければ、声が漏れていたことだろう。
止まらないのだ。愛宕が、衝突すら構わないという様子で、回避も不可能な状況で、さらに愛宕は“加速”した。
ぶつかる。そう思考した時にはリ級の身体は動いていた。思考回路が単純故の即断即決、それがリ級を救った。――それが愛宕の狙いだということも気づかずに。
そも、この状況でリ級が取れる選択肢は限られる。愛宕を回避するために前進する勢いをそのまま移して、回転するように弧を描く他にない。愛宕の前方を通って、右舷から左舷へ突き抜けるのだ。
前方でも、後方でもいい、しかし勢いのついたリ級は、愛宕の左舷に回るしかない。そしてその位置は、愛宕のほぼ真横で固定される。
だが、そこに据えられた主砲がある。
待ちわびていたように、北上が黒煙を吹き上げる。
そう、愛宕の狙いはこれ。回避できない状況を作り出し、北上、そして即座に主砲を構えた愛宕で狙う。回避のできない状況は、仕組まれていたと気付いてももう遅い。
爆発は二度にわたって拡がった。響き渡って、海を震わせた。
♪
たった一人の鎮守府司令室。赤城が出撃を行うようになって、一年と少し、大分静かな個室にも慣れてきた。
満はその中で、先ほど行われたばかりの戦闘に思いを馳せる。
「なんとなくわかったけれども、なるほどこれは、中々厄介で愉快な素質だ」
戦闘自体は初めて進出する海域の主力艦隊とはいえ、それなりに練度の上がった艦隊での殲滅戦だ。さほど面倒なことではない。
ただ特筆するべきは敵艦隊の取った突飛な行動と、それに対する愛宕の対処。
「自分の損傷を怖れない。というのは、まぁあくまで合理的な判断の一つだろうけれど――」
“中破”ないしは“大破”で戦闘に突入しない限り艦娘は沈むことはない。戦意高揚による一種の補正といえよう。それ故、愛宕の行動は別に無茶ではあっても無謀ではない。
その上で、損傷の危険を怖れず取った作戦を、実行しうる素質。これがおそらく、愛宕がこの艦隊に来ることを決定づけた才能というわけだ。
満の“厄介だ”というのはその才能自体に対してではない。厄介なのは言うなれば“戦術的な”才能が“戦略的に”艦隊行動として行われる可能性だ。
一体誰が、満の鎮守府に対する方針を描いたかは知らないが、愛宕と北上のペアを見るに、必ずこの鎮守府を思い描いた者がいるはずで、その人物は、よっぽど聡明であるということになる。
「まぁ、今はいいか」
ともかく、愛宕の才はなんとなくわかった。
「今はそれを喜ばないと、ね」
喜ばしくないはずがない。だから、少しだけ笑みを浮かべて、満は見慣れた天井を仰いだ。
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朝、ヒトマルマルマル。作戦はすでに決行されていた。後に「ミッドウェイ海戦」として世界に知られることとなる作戦は、日の登りきろうとしている時間に始まった。
とはいえ、長門たちは未だ所定の港を出ていない。
ここから、戦いの舞台となるミッドウェイに到達するまで、ほぼ数時間の猶予が在った。むろんその猶予は全て移動に費やされることとなるが。
この作戦の肝は、米軍主導で行われる敵艦隊の漸減作戦だ。現在ミッドウェイにはおぞましいほどの――それこそ、米軍の総戦力に匹敵するほどの艦隊が押し寄せている。
無論それらは米軍のそれとは練度が雲泥の差ほどあるために、米軍が投入する戦力は総戦力のおよそ六割ほどだ。それでも、これが殲滅されれば米軍は壊滅、太平洋の制海権は全て深海棲艦に奪われることとなる。
さすがにそこまで追い詰められることはないだろうがしかし、もしも日本が作戦をミスすれば、この「ミッドウェイ海戦」は決着に数年を要する泥沼の持久戦となることは想像に難くない。
作戦の核は米軍にある。しかし、戦力の核は日本の主力艦隊。特に長門達六隻にあるのだ。
「……それでは、これより私たちは戦闘区域に入る。激しい戦いとなるだろう。皆、心してかかって欲しい」
長門の演説めいた言葉に、日本の水雷戦隊全ての艦娘が、一斉に返事を返す。
整然と組まれた隊列は日本軍の練度を示し、美しいという他にない。
手を振り上げ戦線を鼓舞する長門の横では、加賀と陸奥がじゃまにならない程度の声で会話を行っていた。
「それで、やはり提督は戦線の後方で指揮を取るというのですか?」
「ええ、前例はないでもないけど、それにしてもその前例は、通信機器の性能が悪かった数十年前よ? 現代で、それをする必要性は考えられないわ」
今より数十年も前は、戦線の最後部で、提督が軍艦――艦娘ではない、鋼鉄の、文字通り“船”だ――に乗艦し、指揮を執るということもあった。
しかしそれは通信機器の性能が悪かった時代において、情報の伝達に齟齬を生じさせない措置だ。
ミッドウェイ海戦が行われた時代は、すでにインターネットなどが確立されており、情報もまったくミス無く伝達することができる。
「まったく、骨董品そのものとしか言えない軍艦を持ちだして、一体何をするつもりかしら」
現代にも、商船を護衛する軍艦は存在する。深海棲艦に直接打は与えられないものの、視界を利用する彼女たちに、護衛艦は煙幕や光で対応をする。
しかし、この時提督が持ちだしたのは数十年前まで利用されていたいわゆる戦艦だ。骨董品という形容はただしく、そうとしか言い用のない代物である。何せ動くことが奇跡とすらされているのだ。
「そうですね、……示威行動、というのはどうです?」
「意味が無いわね」
「では、砲戦で一戦交えるというのは?」
「あの戦艦、主砲なんかはもう取っ払われてるわよ? それに通常の兵器は深海棲艦に通用しないわ」
加賀はそれからつらつらと合っているはずもない推論を幾つも並べ立てるが、ことごとく陸奥に否定される。もとより加賀もそれが正解だとは考えていないのだろう。特に感慨もなく最終的にはお手上げだと結論を出した。
「……ねぇ」
しかし、陸奥は少しばかり訝しげな声で加賀に更に問いかける。
「何か隠し事してない?」
――と。
対する加賀はあくまですまし顔で、
「いいえ」
と即座に否定した。表情は揺るがない。こういう時に、嘘を付いているかどうか、そう判断するときの材料すら、加賀は与えないのだ。
沈黙は肯定と言えないことはないが、加賀はそもそも否定自体はしている。断定するには、その否定によどみがなさすぎた。
「……はぁ、わかったわ。貴方は何も知らない、そういうことね」
「そういうことにしておいて下さい」
加賀は何かを知っている。しかしその何かを引き出すための土俵に陸奥は立てなかった。これが仇とならなければよいのだが。
――そう嘆息気味に思考する陸奥の、少し薄暗い心境とは裏腹に、空は雲ひとつ生まれない蒼の快天が広がっていた。
『ミッドウェイ海戦』の作戦的な主役は間違いなく米軍であった。何せ敵戦力のほぼ九割を引き受け、殲滅作戦を展開するのだ。しかし、残り一割を日本軍水雷戦隊が、そして敵主力を日本軍主力艦隊が叩く手筈となっている。つまり、作戦という記録的な主役は米軍が担い、艦隊決戦という記憶的な主役は日本軍であったのだ。
これは日本軍の艦娘が“練度”を武器にしていたのに対し、米軍は“数”を武器にしていたことに起因する。無論、全体的な軍としての練度は間違いなく米軍が上だが、個々の技術、いわば達人的な戦闘能力は世界において日本に比肩する国がほとんどないとされる程のものだった。
戦術的に見れば、日本は強固であるが、戦略的に見れば日本は脆弱だ。それを補うように、戦術的に無難な強さを持ち、世界最強の戦略的戦闘能力を持つ米軍がそれに味方した。
この海戦はいわばそういった体裁なのである。
かくして始まった海戦は、全体で見れば終始日米軍の優勢に進んだ。当然といえば当然だ。何せ敵の戦力が日米軍と張り合うのに、最低でも三倍の戦力が必要だ。無論、エリートを超える種別にあたる“フラグシップ”の戦艦であれば、日米軍の戦艦とも渡り合えるだろうが、そんなものは本当に戦力の中心にいるだけだ。しかも、二桁には届かないだろう。
『第一駆逐艦隊、砲雷撃戦に入るのです!』
『第二水上打撃艦隊、砲雷撃戦始め!』
『敵艦見ユ! 第三機動艦隊、これより戦闘を開始します!』
旗艦、長門の元に無数の宣言が絶え間なく響き渡る。米軍の開いた道程を、日本軍が突き進み、水雷戦隊が道を作っているのだ。
「まもなく、敵主力艦隊へ到達する。気を張れ、とはあえて言わない。勝つぞ、それだけを心にとどめておいてくれ」
長門の言葉に、おそらくは無線の向こうでそれを聞いている艦娘達も同意する。長門他五隻、全員の顔を見比べて、それから満足気に長門は頷いた。
「――――敵艦見ユ!」
宣言。
見えたのは、戦艦ル級フラグシップ二隻。ル級エリート二隻。そして空母ヲ級エリート二隻。
「行くぞ、暁の水平線に勝利を刻め!」
天へ、海へ、敵艦へ。
長門の咆哮が、砲閃の轟砲とともに響き渡った。
ヒトロクマルマル、提督の皆さん、コンニチワ!
今回で南西諸島周辺海域は2-3、オリョール海域までをクリア。
ここまで駆け足でしたが、実際のところ第一部後半はこれで半分ないしは3分の1が終了になります。
次回からは夏の暑さに負けないよう(!)冷気マシマシでお届けします。
次回更新は12月9日、ヒトロクマルマルにて、良い抜錨を!