「それじゃあ提督、行きますね!」
島風の声が海に高らかと響き渡る。
島風だけではない、海に行くのは南雲機動部隊、つまり満の鎮守府における主力だ。人的資源がいささか乏しい鎮守府であるため、新たな作戦を実行し、戦線を推し進めるとなれば当然主力艦隊による全力出撃でなければありえない。
金剛の中破や北上の改装など、時間と資源のとられる事象が重なったため、こうして全力で出撃するのは数ヶ月ぶりのことだ。当然その間は演習にも時間を費やした。練度は十分に上がっているはずだ。でなければこの作戦“柳輸送作戦”を実行したりはしない。
というのも、この作戦で制圧する必要のあるパシー島を占領している戦力の中には、エリートと呼ばれる上位存在が確認されているためだ。
エリート。それは深海棲艦の中において発生する突然変異とも呼べるもので、詳しくその全容が解明されているわけではないが、わかっていることは、全ての能力が一段階上のものに変じているということ、そしてそれらが出現するということは、それだけその海域に深海棲艦の戦力が集中しているということだ。
――満は、これらエリートは深海棲艦の性質が“海に沈んだ怨念が転生した姿”であるところから、“深海棲艦の怨念”から生まれたより強固な怨念を持った存在であると考えている。
それが果たして正しいかはともかく、たとえ知っても意味のないことではあるが。
「それでは提督、行ってきますね?」
「故郷に錦を飾るのデース!」
赤城が心配をかけないように、といった声音と、提督を一人にすることを心配するような声音を合わせた雰囲気で。
金剛が、なんとはなしに浮かんだであろう言葉を高らかに呟いた。
「提督が安心できるよう、全力で敵を撃滅します」
「島風には負けへんで!」
愛宕の柔らかい声が響いて、さらに龍驤がそれに続いた。
さらにやんややんやと、その内容に反応した島風とのやりとりも、きっと無線機越しに届いているだろう。そうして、最後の一人だ。
先ほど出撃の合図をしてから、随分と賑やかに艦娘たちは提督に声をかけていた。そこにある意思は、きっと満に向けたものだけではなく、もう一人、北上に向けたものでもあるだろう。
気張るな、そう言っているのだ。
「――まぁ、そうだね。うん」
出だしだけ、上ずって。なんとはなしに自分自身の緊張を自覚する。果たしてこの中で、誰が北上の過去を知った上で、こうして気遣ってくれているだろう。
おそらくは、赤城かせいぜい島風くらい。だれもが、ただ感じ取って、そしてその上で何も言わずに、付き合ってくれているのだ。
やがて言葉を一つ、二つ、三つかさねて、ようやく落ち着いた自分の心に、心にしかならない決着をつける。果たしてそれが、自分の中で何を変えたか。それはきっちり何も解らずに。
ただ、口を開いて音を紡いだ。
「任せておいてよ、提督。……全部、全部だよ」
♪
パシー島周辺に点在している敵艦隊の多くは輸送作戦を行うための輸送艦を伴った艦隊。通商破壊であればそれ相応の作戦をとることとなるが、結果としてそうなるということも多い海域だ。
ただし、その敵艦隊自体が散発し、まとまりが無いため主力艦隊に辿り着くまでに一度の戦闘も起こらないということがありうると想定されている。
事実、偶然見つけた資材――基本的に艦娘の消費する資材は海から拾い上げる。これは深海棲艦の廃材であるとされている――を回収して、そのままパシー島へと乗り込むことになった。
「敵艦見ユ! 重巡リ級二隻。雷巡チ級一隻、軽巡ヘ級一隻、駆逐ニ級二隻! 内リ級二隻とチ級一隻がエリート!」
見据えた先の敵艦は、いささかその様相を変えていた。
エリート。赤染の閃光をまとった、異様というよりも美麗を感じる威圧感。連なるように、横一列に並んでいる。
「回頭! ちゃんとしてる!? このまま単縦陣になるよう、斜めに切り込んで同航戦に持ち込むよ! 空母は艦載機構え!」
その様子は、すでに赤城の艦載機“彩雲”によって伝えられていた。このまま進行すればT字不利での戦いが強いられる。敵への攻撃が分散され、夜戦にまで持ち込まなければ勝利が危うくなるだろう。
当然それは島風達の望みではない。決して脅威的な敵ではないのだ。あくまで通常通り戦えば全滅もそこまで難しくない敵である。
「行きます!」
斜めに身体をかしげながらも、全く問題のない様子で、ブレのない赤城の指先から、無数の艦載機が躍り出る。一発、二発、三発。怒涛のごとく敵を襲う。
同時に、龍驤の飛行甲板もはためいた。
敵艦隊を叩き潰すべく空を行く艦載機。敵に空母はいない。縦横無尽に飛び回る、空は赤城達の独擅場だ。
降り注ぐ爆雷の嵐。無限にも思える火炎の煙は、駆逐ニ級二隻と、軽巡ヘ級一隻を何らくもなく海へと沈めた。
「ッシ、大分楽になるで!」
龍驤は軽く握りこぶしを作ってガッツポーズをする。とはいえ楽になるとはいっても“大分”完全勝利も見えるだろうか、という程度。
無論それでは、
「次、行くよ!」
――終わっていられない。
北上が雷撃のために魚雷を構える。敵を穿つという目的のため、直線上に構えられた砲門。
なれた手つきで構えられたそれは、何ら問題もなく、旗艦リ級を射程に捉えた。――一泊、砲撃が遅れる。それはテンポを崩すものではなく、テンポの中で最良が良に変わる程度のもの。
「全門、斉射ァッ――!」
どこまでも北上は優秀な艦娘だ。数ヶ月どころか、数年近いブランクを持ってしても、正確に、迷い一つなく――ただ一回の感慨だけを加えて――撃ち放つ。
爆発は、
後を追うように続いた。
「すっごーい、この距離から当てた!」
「甲標的は中に妖精がいて、そこから更に魚雷を撃つんだよ。だからそこまで距離は関係ないかな」
おそらく、重雷装艦という存在と、ないしは開幕で遠距離から魚雷を放つ艦娘と同時に出撃をしたことがないのだろう、島風が感心したように言う。
北上はなんとでもない様子で、特に気にした風もなく言う。無関心で言えば、ようやく調子を取り戻してきたような感触だ。先ほど打った魚雷も、どことなく懐かしく、手に馴染む。
「悪くない……かな」
「むしろ、良かったと思うわよ? 旗艦をキッチリ落としたのだし、ね?」
北上のつぶやきを、偶然愛宕が拾ったのだろう。そうやって返されると、少しばかり気恥ずかしい。聞かれたことそのものに加えて、返された内容も。
長距離から、すでに金剛が主砲の狙いをつけている。もうここは戦いの場だ。あまり軽口も付けなくなる。気合を入れなおして、北上は意識を切り替えた。
敵はすでに壊滅状態。残るエリート二隻を沈め、完全勝利で敵を殲滅するのだ――
金剛の射程に追いすがろうと、重巡リ級が狙いをつけているのが金剛には見えた。しかし、接近を続けながらも両者の距離は思うよりも遠い。
それこそ甲標的や艦載機のような特殊な兵装が、今敵には必要なのだろう。
「少し、甘いデス。私は戦艦金剛。貴方のような下賎な輩に、手出しさせるつもりはありません。そして、私の仲間たちにも――!」
両者の主砲は、直線上にあるように思えて決定的に違う。それはその主砲の角度。前方に、ただ向ければ良い金剛と、前に突き出しても、突き出しても届かないリ級。仰角もまた、金剛の方が前を向き、すべての準備を終えていた。
「ハァアアアト、バァァニィィング!」
声を砲撃の爆音に見合うほど張り上げて、金剛は敵を撃ち抜くべく主砲を放つ。抉るように空間を破壊し、放物線を描いた一撃は、爆発。リ級を大破にまで追い込む。
――リ級は即座に選択を切り替える。この状態で主砲を放ったとしても戦艦相手に大したダメージは見込めない。だとすれば、狙うべきは――? 装甲の薄い北上か空母。リ級が選んだのは隊列の前方を行く北上。
同時に、雷巡チ級もまた、北上に砲塔を向けた。
「……ッ!」
すぐさまそれを察知した北上の顔が、一瞬険しくなり、すぐさま元の物へと戻る。迫り来る砲弾はすでに発射されている。気を張ってもどうにもならないものはどうにもならない。
リ級の放つことのできるギリギリの射程。二発の砲弾が迫るのだ。本命は二発目、健在のチ級による一撃である。
雷巡はさほど火力のある艦種ではないがそれでも、同一の装甲の薄い重雷装艦程度なら、問題はない。腐っても、敵艦は深海棲艦のエリートなのだ。
一発目。急速に速度を低下させる北上。前方にあがった飛沫に一瞥をくれた直後、瞳を凝らして敵艦を見据える。
正確にはその上方。飛来する敵の砲弾。もはや回避には一切の余裕はない。直撃するか、なんとか身をかばって小破程度で済ませるか。
――北上は、
「……甘いよ!」
その、どちらも取ることはなかった。
人間としての身体を持ちながら、水上を行き、軍艦としての戦闘能力を有する。故に取りうる、通常では考えられない回避方法。
それ以前に、人間でもある以上、考えても実行できないような方法。するならばむしろ、それは芸術の域といえるだろう。
回転した。
北上はその場で、舞うように、身体を思い切り滑らせたのだ。
円を描くかのように、“体制を崩す”北上。数十センチの砲弾が、その横をまるで最初から空を切る射程であったかのように駆け抜けて行く。
片手に添えられた身体を振り回す北上の後を追う主砲。
「イロイロまだ、全部に答えを出せたわけじゃない。でも、答えを出さなくても問題ない程度には、ここにいる自分が恵まれているから――あたしは、そのための居場所を、守ってやるんだ!」
敵を、捉える。横殴りに叩きつけられるように急停止した回転は、そのままリ級へと砲塔を向ける。北上の瞳が、迷いから意思へ、意思から敵意へと変化する。
彼女らしくないほどに声を張り上げて。
彼女だからこそ持ちうる全ての言葉を紡いだ。
北上の、絶叫が地平線の向こうへ、響き渡る――
「――――ッテェェェェ!!」
一撃、それだけあれば十分だ。大破したリ級エリートをキッチリ一撃ぶち当てて轟沈させる。あとに残るのは、雷巡チ級。
「任せた!」
すでに、その目前に島風がいた。
北上の叫びを背中に受けて、真正面から、砲撃を恐れることすら無く連装砲を構え、島風が軽く笑む。
「これで、おっしまい!」
一発。クリティカルの大破。
二発。外すこと無く、キッチリチ級を轟沈させた。
結局この海戦。
誰一人としてダメージを負うこと無く、島風たちは勝利を海に刻むのだった。
♪
「と、言う訳で、本作戦における一切の被害はなし。完全勝利で敵深海棲艦“エリート”を撃破、帰投しました」
「ご苦労様、よくやってくれたね。特に北上は敵のエリートを二隻沈めてくれた。今回の一番は間違いなく君だろうね」
赤城の報告を受けて、ねぎらうように満は言う。どことなく安堵が見えるのは、未だ彼が未熟であること、そして何より艦娘を思っているということだ。
言葉を受けた北上が幾度か首肯し腕組みをする。
「ま、これが重雷装艦の実力ってやつよ」
どこか鼻高々にしていうものの、それを島風が覗きこみ、からかうように笑んで言う。
「あっはは、すっごい安心したって顔してるね」
「……やっぱ、駆逐艦って、嫌い」
茶々を入れられてげんなりした様子で北上が言う。島風は気にした様子もなく更に笑みを深めてパタパタとその場を去ってゆく。その後に龍驤と金剛が続き、三人は司令室を退出するようだ。
龍驤と金剛は最後に「凄かった」と率直に北上へ告げると、両開きの扉を開け放ち部屋の外へと消えてゆく。
更に、満と軽く言葉をかわし、何やら用を頼まれたらしい赤城がその後に部屋を出る。お疲れ様です、と最後に声をかけたのは、やはり北上であった。
「これからもお願いね?」
「あはは、任せてよ」
当たり前のように言葉をかわし、愛宕も部屋を後にする。結局、北上は机に積まれた書類に手を付けようとする満とともに、司令室に取り残されることとなった。
沈黙が流れる。満が北上に意識を向けていないこと、そしてそれに対してどこか北上が居心地の悪そうにしていることからそれは、どこか気まずいものとなっていた。
無論、満はそんなことに察する節すらみせないが。
「あ、あのさ?」
「……ん? どうした、北上?」
話があるのかと、ようやく北上が何やら言いたげにしていることに気がついたらしい。満がふと顔を上げる。しかしそもそもそれは、北上が声をかけたことから明白な事実だ。
「重雷装艦になったあたしは……どう思う?」
「いいんじゃないか? 開幕に攻め手が増えて制圧力が増した。その分他の艦娘が楽をできる。ありがたいことにね」
あくまで一個人ではなく、提督としての答えに、北上はどこかがくりとうなだれる。別に期待していたわけではないが、こうも予想通りだとどこか呆れと共に心配が去来した。
「それに……」
「――ん?」
「北上も悩んでたんだろう? それがこうして重雷装艦になって解決したんならいいのだけど。どうにも単純な問題じゃなさそうだしさ」
結局それも、提督という立場からの言葉だったかもしれない。しかしそれでも、満はなんでもない様子で、北上の予想に反し気遣うように言葉をかけた。
「……あははは、どうだろうね」
それに対して北上は、あくまで曖昧な笑みを浮かべた。何かを返してもらえるとは思っても見なかったから、言葉に詰まったというのと、実際に語る言葉に迷ってしまったためだ。
結局のところ、いまも北上は答えを出せそうにない。かつて隣にいた少女が今はいない。それは北上にとって、ずっと引きずっていかなければならない問題であるからだ。
とはいえ、言葉を返せないわけでは、なかった。
「別に、全部の悩みが解決したわけじゃないし、解決することを、望んでいるわけでもない。あたしはこれからも悩んでいかなくちゃならないから。……でも、その悩み方も、少しだけ肩のこらないものになった、かもね?」
つらつらと、漏れだすのは本音。
今まで、語ることもできなかった自分の楔。北上はマイペースな少女だ。そしてそれゆえに“掴みどころ”がない。掴んでいるべき、何かもない。
それでも、
「――だから、これだけは言わせて?」
その時、北上は笑った。
普段のような笑みではない、誰かに見せるような笑みでもない。純粋に、子どものような無垢な笑み。そして少しだけ、それが自分に似合わないという思いもあるだろう。
「……ありがとねっ!」
気恥ずかしさに、困ったような。
嬉しさに、手放しでそれを表現するような。
優しくて、そして少しだけ幼い。そんな小さくて、まっすぐで、いつまでも心にとどまり続けるような笑みを、北上は浮かべた。
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4
「それでは、自己紹介をしてくれたまえ。これから背中を預ける仲になるのだから、まずは印象を悪くさせないように、頼むぞ?」
――そんな、老年の提督がかけた言葉を皮切りに、集められた六人の艦娘は互いに視線を向け合って互いの顔を見る。
最初に口を開いたのは、黒染めの髪が特徴的な凛とした少しだけキツ目の雰囲気を受ける女性。
「長門型一番艦、長門だ。普段は聯合艦隊旗艦を務めるが、このたびは日米連合軍旗艦を務めることとなる。おそらくさほど問題はないと思うが、あまり緊張せずに接してくれると助かる」
長門型は日本の誇る現行最強の戦艦だ。史実においてはビックセブン――当時世界最強とされた七隻の戦艦の一隻とされ、その時の日本の象徴であった。
この世界の日本においても同様で、建造当初から日本の聯合艦隊旗艦として象徴的な扱いを受けている。
そのためかどうにも駆逐艦や軽巡洋艦などの艦種の艦娘からは萎縮される傾向が長門にはあるようだ。仕方ないといえば仕方ないが、それはどこか寂しそうに見える長門に対し、言えることではないだろう。
「同じく長門型、二番艦の陸奥よ。短くて長い付き合いになるでしょうけれど、これからよろしくお願いするわね?」
この艦隊は、ミッドウェイに出現しつつある大量の深海棲艦を撃滅するための主力艦隊だ。よってその作戦が終了となれば解散である。が、それを成すためにこれから過ごすこととなる時間は密度のある忙しい時間になるだろう。
短いが、長い。そしてその長さと同等の信頼関係もまた、必要となるのだ。
「航空母艦、蒼龍です。一航戦の方には劣りますが、正規空母としての実力を発揮できるよう、がんばります」
一航戦、というのはこの場合、史実――赤城や加賀のもととなった世界における彼女たちの呼び名を、そのまま尊称として使用しているのだ。いわば二つ名、ないしは通称とされる。実際に彼女たちが一航戦に所属しているわけではない。
これはニ航戦の蒼龍、そしてもう一人の正規空母である彼女も同様だ。
「飛龍です、皆さんのお役に立てるよう、精一杯がんばりますね?」
ここに立つ面々は、海軍本部にて聯合艦隊旗艦を務める長門とその相棒を務める陸奥、本部直属第一艦隊の旗艦である加賀の三名を除けば全員が初対面だ。
それぞれが思い思いに言葉をかわす。
これから命を預ける相手、探りこむように、身を委ねるように、六人の会話はそのまま続いた。
ヒトロクマルマル、提督の皆さん、コンニチワ!
北上さまが詰まったお話でした。
この作品に於ける彼女の魅力を、あらん限り尽くせたのではないでしょうか。
次回更新は12月1日、ヒトロクマルマルです。良い抜錨を!