「――というわけで、以上が簡単なこの鎮守府における提督の役割になります」
新米提督、南雲満。
そもそも彼は新米である以上に、完全に無知なままこの提督という地位に着いた。よってただそのままでいては無能どころか、存在自体が害悪となることは間違いない。
しかし幸いなことに彼はこの世界に転生直後からして、それを受け入れる程度に頭の回転は早かった。即座に説明を受け、それを飲み込んでしまえば少なくともそこらの無能な提督に遅れを取るということはなくなるだろう。
加えて彼の秘書艦である赤城は非常に優秀だ。説明の仕方ひとつとっても、前も後ろも知らないはずの満を簡単な教育である程度実用に耐えうる提督へ育て上げたのだ。
満自身の優秀さ。そしてなにより師となった赤城の有能が奇跡的に咬み合って、一週間という非常に短い時間の内に南雲満は提督としてのお墨付きを赤城から受けるに至った。
――現在は、その最終試験。提督としての役割のおさらいである。
提督の主な役割は鎮守府の資材運用、この一点に尽きる。
現存の艦娘への燃料補給や入渠。新規艦娘の建造支持や新規武装の開発支持、何より出撃、演習、遠征の支持などなど、これらの指示を提督は行うわけだが、それらすべてにおいて資材は必要となる。これらを有効に運用し、利益を出すのが鎮守府の役目だ。
同時に深海棲艦の撃滅も主な役割となるわけだが、それは基本的には艦娘個人の仕事だ。提督ができるのは進撃及び撤退の指示、夜戦突入するか否かの指示など、ごくごく簡素なことである。
「ある意味、コツさえ掴めば誰でもできるとは言える。とはいえこれは艦娘の命を預かる仕事だ、単なる愚鈍には、できないことだろうね」
赤城曰く、たとえどれだけ大破しようとも、誰一人欠けず帰ってきた艦隊をねぎらうことが提督の仕事だそうだ。これは戦争だ、無理な進撃をすれば艦娘は沈む。だからこそその判断を間違えてはならない。決断こそが、提督という役割に最も必要なのである。
「言葉は悪いですがそうですね。ようは決断力の有無が提督の良し悪しを決めます。慢心し、艦娘の進退を見誤るのが、無能な提督というものですよ」
赤城という秘書艦は非常に優秀だ。それは短い時間だけでもよく分かる。本来提督が身につけておくべき知識を、彼女は最初から有しているのだ。
それだけの秘書艦が最初から配属されている鎮守府。その意味は、満にだって重々理解の及ぶ所であった。
「期待大、だね。正直身も凍るような空恐ろしさを感じるよ」
「こちらに私が着任したのは、私自身の個人的な理由です。それに、経歴のしれない新米提督である貴方は、ある種“試されている”わけですね」
「実験――か。おそらくはこの世界、提督になりうる人材が少ないね?」
――赤城の立てた推測を、まさかこの世界の軍部が立てていないはずもない。しかし彼らはそう簡単には満を提督の座からは引き下ろせないのだ。すでに認可の降りている状態で、それを何の理由もなく異動させることはできない。
その上で提督という、この上なく責任がのしかかる地位に座った満を、即座に彼らは排斥しなかった。しにくかったというのもあるだろうが、多少の期待だってあるだろう。
そう考えて赤城を見る。穏やかな表情は、どこかこちらを観察しているようにも見える。それはきっと、彼女と自分の壁なのだろう。いつか乗り越えることが出来れば――そんな思考を、満は思わずと言った様子でかき消した。
「……その少ない人材で、回せる程度の状態だったのですよ、今までは……そして、今のところも」
だからこそ余裕を持って行えるテストケース、というわけだ。
「うん、大体わかった。まずは僕達の鎮守府が要する戦力を確かめたい」
「そうですね、これから行なっていくことは、艦娘との連携が必須事項です。そのためにも艦娘たちと交流を持ち信頼関係を築くのが第一です」
新設の鎮守府に、まさか正規空母が一隻配属されているだけではないだろう。知識の薄い満だからこそそういった知恵はすぐに回る。赤城は明らかに“歴戦”の艦娘だ。提督を代行しうるほどの知識面を有するとなれば、当然ベテランでなければ勤まらない。
提督は人間でもいいわけだから、わざわざ戦闘を担当する艦娘をその役目を終える以前に提督に育て上げる必要は、ない。
「ではご案内しましょう。まずは我が鎮守府のエース、第一艦隊出撃時の旗艦を務める艦娘――」
言葉に合わせて、満は腰掛けていた豪奢な椅子から立ち上がる。椅子の足が床を引きずる音が、部屋中に響いて消えた。
「――駆逐艦、島風です」
♪
――見えてないか?
満が彼女を始めてみた時の感想が、それだった。特に感慨はない、元々枯れたところはあるが彼のストライクゾーンから彼女は割りと外れている。ムリもないことだ。
そして、満がそう思わざるをえないほど、彼女の姿は特徴的だった。
うさぎの耳を思わせるような特徴的なリボンに、明らかに“見えている”ほど腰元で留められたスカート、際立った容姿と目の前で浮かべている子どもらしい笑みが、彼女を彼女たらしめているのだろう。
「駆逐艦島風です。スピードなら誰にも負けません。速きこと、島風のごとし、です!」
――名を、島風。
駆逐艦は本来水雷艇の撃滅を目的とした艦だ。加えて輸送船団の護衛や対潜対空、――潜水艦や航空機との戦闘を目的とした艦船で、一隻では軍艦として認められない。数隻の艦隊を組むことで、他の軍艦――正規空母である赤城や軽巡、重巡洋艦、戦艦などと同等に扱われる。
島風は特異な駆逐艦だ。速度――と言うよりもこの場合は“最強”と形容するべきだが――を追い求めたこの島風型は量産に向かず、前提とされていた艦隊同士の戦闘が行われなかった当時の情勢などにより一隻しか作られていない。さらに言ってしまえば島風は艦隊を組む駆逐艦でありながら“単艦で艦隊を組む”唯一の駆逐艦なのである。
「まーもちろん、私自身が単独で行動したわけではなく、あくまで部隊に編成された駆逐隊の一つだった、ってだけですけどね」
「さすがにそれは、どこの主人公だと問いたいね」
「当然、速さという世界の主人公ですよ! 島風は一番なんだから!」
――主人公ではないのだな、と言いたかったのだが、どうやら彼女は相当な自信家のようだ。今世紀最大級のどや顔でもって返された。ここは彼女の個室なのだが、開け放たれた窓からちょうど流れていった風が島風の髪をはためかせ無色の空白に溶けていった。
「それで? 貴方がこの鎮守府の提督? 今日来たばっかりで挨拶に行けなくてごめんね? それにしてもこの島風が先手をとられるなんて、ちょっと悔しい!」
「いや、君がここに来たのはほんの数時間前のことだろう? 明らかに片づけが終わっていないじゃないか。……手伝おうか?」
そもそも、赤城が顔を見せたのは一週間前のこと、その時点では鎮守府事態が正式に稼働しているわけではなかった。簡単な提督の仕事に関する講習を終え、ようやく今日から本格的な鎮守府の活動が始まる、というところだったのだ。
むしろ島風は、誰よりも速い。最速だ。
「いいんですか!? でもそうだなー、これから時間もあるしせっかくだから私の留守を頼んでいいですか?」
中々荷物の多い室内だ。ダンボールが空のもの含めて三十は周囲に放り出されている。おそらく彼女の私物以上に、仕事上必要な物も多いのだろう。すでに設置されている本棚には、いくつかのファイルが詰め込まれていた。
内容は――速力アップ1と書かれている。
そんな訳もあってか、島風はパッと顔を輝かせると、それからすぐに考えるようにして窓の外から覗く太陽を見上げる。
「……留守? 君はいったい何を言っているんだ?」
「これから出撃してくるんです! 演習でもいいですけど、まずは軽く体を慣らしたいですから!」
――戦闘がしたい。端的に島風はそういった。キラキラしい笑顔で、極上の楽しみを今か今かと待ち続ける子どものごとく満を見上げていた。
「……む、」
隣に立つ赤城に目をくれることはなく、腕組みをして満は一人思考にふける。端的にそれは、島風の出撃に意味はあるかないか。
気圧された、というのもあるが何より彼女の実力というものに興味があった。艦娘と深海棲艦の戦いそのものにも、また。
軽く島風を見れば、今にも走り出しそうな雰囲気でゆらゆらと体を揺らめかしている。
気が急いているのだろう。彼女を止めようとすればぶうたれた島風を相手に面倒な説得を試み無くてはならないかもしれない。
利はあるのだ。それに対して、時間を消費してまでそれを差し止める理由はあるか、問題はそこだ。
「ここらへんはさほど海域に脅威はないのか?」
ここで初めて満は赤城へ助けを求める。内容は単純、いくつかの質問だ。
「鎮守府周辺の警戒程度であれば、第一艦隊の旗艦がわざわざ出撃するまでもないかと。出撃にかかるコストもほとんどない、と言っていいですね」
「では、演習を行う場合の準備にかかる時間は?」
島風が提示したのは二つの方法、演習か出撃か。出撃であれば軽く手慣らしになるような海域はあるか。演習であれば、それにかかる時間とコストはどうなるか。
「予定の開いている艦隊はいくつかありますが、開戦するまでに数時間かかりますね」
答えは非常に端的だった。
「……日が暮れるな」
演習は不可能、そういうことだ。ポツリと漏らした満の言葉に赤城が沈黙と首肯でそれに答える。島風は少し首を傾げていたが、少ししてなんとなく理解したように思えた。
条件を整理して、思考。
そこから導き出される推察と、可能であることを願う希望を込めて、赤城に加えての質問をすることにした。
「となると赤城、僕達は新設の鎮守府と艦隊だ。周囲からは未熟と思われているだろうし、そうなれば“それ用の”なにか任務のようなものがあるんじゃないか?」
「……ありますよ。ちょうどこの辺りの――“鎮守府正面海域”を警戒するよう、上層部より通達が出ています。島風さん単独でも十分可能な任務です」
「むしろ、普通の艦娘でも可能よね。……私でも下手すりゃ中破して失敗する可能性があるのは否定しないけど」
簡単な任務であるが、注意は必要。当然のことではあるが、中々意識の向きにくい部分だ。実際に目の前で艦娘が中破してすぐであればともかく、やがては意識から薄れていってしまう部分だ。
かと言って、恒常的に艦娘を中破させるつもりはない、意識が薄れれば問題が起きるということはつまり満が常に意識していれば何の問題も置きないということなのだ。
「資材は、定期的に補給されるんだよな?」
「そのとおりですね。ボーキサイトは他よりも配布の数は少ないですが」
燃料、弾丸、鋼材、ボーキサイト。それぞれ燃料は艦娘を海で稼働させるために必須であるし、弾丸は武器だ。鋼材は艦娘の入渠建造に必須である。ボーキサイトは空母の運用が必要になるまでは気にする必要はない。
「一度の出撃で、使う燃料、弾丸はさほどではないだろう。その間に消費された分もおおよそ補給されるはずだ。出撃に対するコストの問題はほぼ無いといっていいな」
「おぅっ!」
腕組みをして、口元に手を当てての満の言葉。それに島風が少し驚いたようにしながらも、意味を察して嬉しそうに跳ね上がる。
「島風に不備はない……ようだな。となれば撃沈の可能性はないと見る。更に任務事態の難易度も島風であれば十分なんとかなるレベル。でもって――」
沈黙。そして思考。ゆっくりと間をとるように思い出すのはここに来るまでの赤城との会話。実のところ今この鎮守府に、赤城と島風以外の艦娘は“配属されていない”のだ。
つまり、単純に人手が足りていない、挨拶に行く艦娘もいない。
「本来だったらここに着任してくる第六駆逐隊も、軽巡三隻と重巡一隻も、何もかもまだ足りていない状態だからな。今日やれることは、それこそ島風に試験的に出撃してもらって、僕自身の経験を積むしか無いんだ。だから――」
すでに島風は満の言葉を理解した上で待っている。満も言葉を選んで使おうとして、一度淀んでそれから放つ。――緊張しているのだ。この言葉を口にすることでどこか現実味を感じていなかった自分の撃鉄を起こす、火薬の煙を実感させるのだ。
故に、少し待った。少し待たせた。
そして、
「――慢心だけはするなよ、島風」
その言葉に、島風は元気よく応えてみせる。
「はいっ!」
側で赤城が見守って、満と島風は、約束を取り交わすように、言葉を交わした。
「――第一艦隊、出撃します!」
響き渡る声は、水平線の向こう側、深海棲艦の待つ会場へと、伸びているかのようだった。
ヒトロクマルマル。提督の皆さん、宿題の終わっていない学生の皆さん、こんにちわ!
今回は島風ちゃんも登場なのです!
次回から本格的に出撃、バトルとなります。
ちなみに今回フレーバー的に出てきた駆逐隊なんかの話は、大体こちらがわの話になります。加えて個人的に調べた知識なので、間違っていたら申し訳ないです。
次回更新は明日、9月1日の同時刻、ヒトロクマルマルとなります。島風出撃が終われば連日更新はおしまいです。詳しくは明日のあとがきで!