仮面ライダーディケイド Another End   作:オンドゥル大使

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手招

 夏海は橋の下で座り込んでいた。

 

 朽ちたビル群から少し離れた場所にある河原にかかった橋だ。空と同じ色の灰色を身に着けた橋の腹を一瞥し、夏海は視線を目の前に移した。

 

 眼前にはどこかのホームレスが置き忘れた暖を取るための錆付いたドラム缶が置かれている。その中には新聞紙を丸めたものと木屑が詰め込まれている。夏海はポケットからマッチを取り出し、一本のマッチ棒に火をつけた。その火をドラム缶の中に放り込む。火は木屑や新聞紙へと燃え移り、ドラム缶の中をゆっくりと赤く染めていく。夏海は脇に置いたアルバムへと視線を落とした。

 

 それを持ち上げ、名残惜しむようにページを捲った。そこにある写真一枚一枚から思い出が沁み出してくるのを期待していたが、白く色あせた写真は、何も語りかけてはくれない。夏海は写真に収められた人々はどうしているだろうと思いを馳せた。だが、被写体が白く焼け付いた写真の前でのその行為はまるで意味をなさなかった。

 

 夏海はアルバムを閉じ、燻り始めたドラム缶の中の炎を見下ろした。この炎の中にアルバムを投げ込めば、もうライダーの世界を旅した思い出と決別できる。士のことを思い出して辛い思いをする必要もなくなる。

 

 夏海は震える手でアルバムをゆっくりと持ち上げ、ドラム缶の中で燻る炎の口に放り込もうと眼を閉じた。視界を消したのは、一瞬の躊躇いを消すために夏海が無意識的に行ったことだった。

 

 その時である。

 

「――夏海ちゃん?」

 

 天上から声が聞こえた。その声に手を止め、アルバムを抱えたまま見上げると、見知った顔が橋の上からこちらを見下ろしていた。かつて共に旅をした青年、海東大樹だった。口元にはかつてと同じように柔和な笑みを浮かべており、こちらを見つめる瞳には親しみがある。

 

 海東は振り返ったのが夏海だと完全に確認すると、一層笑みを浮かべながら橋の手摺に足をかけ、そのまま飛び降りた。急なことに夏海は息を呑んだが、海東は難なく着地し、指鉄砲で夏海に狙いを定めるような仕草をしながら近づいてきた。

 

「やっぱり。夏海ちゃんだ。何をしてるんだい?こんなところで」

 

 夏海はその質問に対して、答えたくないとでもいうように顔を背け沈黙した。海東はドラム缶と夏海が大切そうに抱えているアルバムを交互に見て、悟ったように「ああ」と声をもらした。

 

「なるほどね。で、それ焼いてしまうのかい?」

 

 海東が顎でアルバムを示す。その言葉に夏海は顔を背けたまま頷いた。それを見た海東は「ふぅん」と興味が無さそうな声を出しながら夏海へと歩み寄り、無遠慮に夏海の手からアルバムを引っ手繰った。

 

「何するんですか? 返してください!」

 

 夏海の抗議に、海東はアルバムのページに視線を落としながら尋ね返した。

 

「もう、いらないんじゃなかったの?」

 

「そ、それは……」

 

 海東の問いかけに夏海は言葉を詰まらせた。確かに、つい先ほどまでそれは燃やすつもりだった。

 

 一通り写真を見終わった海東は、パタンとアルバムを閉じ、見せびらかすように掲げながら夏海に訊いた。

 

「これ、返して欲しい?」

 

「返して欲しいも何も、それは私のものです」

 

「でも、どうせ捨てちゃうんでしょ?」

 

 海東の言葉には、どこか夏海を小馬鹿にしているような響きがあった。夏海は苛立ちながら、声を大にして叫んだ。

 

「確かに捨てますけど、海東さんにあげる位なら自分で捨てます! だから、返してください!」

 

 その言葉に満足したのか、海東は笑みを浮かべながら「じゃあ、はい」と言ってアルバムを差し出した。それを取り返そうと手を伸ばした瞬間、海東はアルバムを引っ込めて言った。

 

「ただし、条件がある」

 

 条件。その言葉に夏海は身を固くした。だが、次の瞬間海東の放ったその条件とは意外な言葉だった。

 

「士と会って欲しい。それがこのアルバムを返す条件だ」

 

 その言葉に夏海は目を見開いて聞き返した。

 

「士くんと? 士くんは生きているんですか?」

 

「ああ、生きている。会いたいかい?」

 

 海東の言葉に夏海は静かに頷いた。

 

「でも、士はもう夏海ちゃんの知っている頃の士じゃなくなっているかもしれない。それでも、いいかい?」

 

 海東の問いかけは夏海の心の中の不安を全て見通しているようだった。もう、夏海の知る門矢士はいなくなっているかもしれない。アルバムに収められた写真を撮っていた頃の士は消え、世界の破壊者ディケイドとしての士しかいないかもしれない。それは夏海が常に考えていたことだった。

 

 もし会ったとしても、拒絶されるだけで以前のような距離には戻れないという可能性。そんな不安が夏海の脳裏を過ぎる。

 

 しかし、夏海は海東の言葉に頷いた。

 

「……はい。それでも、会いたいです」

 

 それは夏海の本心だった。

 

 それを聞き届けた海東は満足げにひとつ頷くと、夏海にアルバムを返して手を差し出した。

 

「じゃあ、連れて行こう。士のもとへ」

 

 夏海は広げられた掌を見つめ、そこに自分の手を重ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユウスケは朽ちたビルの屋上に座り込んでいた。

 

 ビルは地面から斜めに突き立っており、本来の高さの半分も無かった。そこからユウスケは空を見上げていた。

 

 灰色に閉ざされた無機質な空だ。ユウスケは自分の世界で最後に見上げた空の色を思い返すように目を閉じた。

 

 それは抜けるような青空だった。〝未確認生命体〟を全て倒し、大切な人に自分の思いを伝えた夏の日の晴天。

 

 だが、その大切な人はもういない。ユウスケがいつも笑顔でいて欲しかった人、八代藍はユウスケの最後の戦いを見届ける前に命を落とした。その日のことをユウスケは昨日のことのように鮮明に思い出せる。病室のベッドに力なく横たわる姿。いつもそこにあった険しい表情が消え、全てを終えた者だけが持つ安らかな寝顔を。

 

 ユウスケは青空の下、八代藍の墓前に誓ったのだ。これからは世界中の人を笑顔にするために戦う、と。ユウスケは幾年月経ったかのような懐かしさを覚えながら、瞼を開いて空を見上げた。だが、空は依然灰色のままだった。

 

 果たしてこの世界に青空が戻る日は来るのだろうか、とユウスケは考えながら、それはディケイドがこの世界から消えた日に他ならないと感じた。世界が灰色に満たされ、色を失ったのはディケイドがライダーを破壊し始めてからだ。ならば、ディケイドを破壊するしかない。それが世界の人々を笑顔で満たし、八代藍との誓いを果たすことに繋がるなら。

 

 その時、ユウスケを呼ぶ声がビルの下から耳に届いた。ユウスケは立ち上がり、屋上の縁から声の主を探した。すると、ビルの近くに立つ黒スーツの人影が目に入った。

 

「剣崎さん。どうかしましたか?」

 

 その言葉に剣崎は何も返さず、ユウスケを手招いた。ユウスケは剣崎の行動に妙な感触を覚えながらも、ビルの階段を降りて剣崎のもとに駆け寄った。

 

「どうしたんですか?」

 

 ユウスケが発したその質問に、剣崎は重苦しい口調で答えた。

 

「カブトがやられた。もう、後がない」

 

 その言葉にユウスケは息を呑んだ。まさかカブトまでやられるとは思ってもみなかったのだ。

 

 カブトは全ライダー中最速を誇るライダーであり、『Clock Up』という時間を操る能力を持っているはずである。昨日の今日でそう簡単にやられるはずがないと思っていただけに、ユウスケの感じた衝撃は大きかった。それは剣崎も同じのようで、焦るように早口で言った。

 

「残るライダーは四人。だが、渡は当てにできない」

 

「どうしてですか? 渡さんはこれまでも上手く俺たちをまとめてくれました」

 

「緊急事態だ。渡の悠長な指示を仰いでいる暇はない」

 

「緊急だからこそ、渡さんの指示に従うべきじゃないんですか?」

 

 ユウスケの言葉に剣崎は痺れを切らしたように舌打ちをし、叫んだ。

 

「あいつの指示のままに動くのは、もうたくさんだと言っているんだ! 現にあいつの指示で動いたライダーは全てディケイドに殺されている。これは、あいつの指揮能力の低さを示しているだろう! もう俺たちは、誰かの指示のままに戦うなんていうゆとりは無いんだ!」

 

 畳み掛けるような剣崎の言葉に、ユウスケは何も言い返せなかった。確かに渡の指示通りに動いて、ディケイド討伐に成功したライダーはいない。このままでは全滅は必至だ。

 

 ユウスケの心境を悟ったかのように、剣崎は静かに言った。

 

「俺は、これからディケイド討伐に打って出る。もちろん、俺の独断だ」

 

「……そんな。無茶です。たった一人でなんて」

 

「一人ではない。電王も俺の策に乗ってくれた。俺はこれから向かう。それだけを言いに来た」

 

 剣崎がユウスケの横を通り抜け、歩き出す。その背へとユウスケは振り返り、言葉を掛けた。

 

「俺も、一緒に行きます!」

 

 その言葉に剣崎は立ち止まり、振り返らずに冷たく言い放つ。

 

「駄目だ」

 

「……どうして。俺の力じゃ不安なんですか?」

 

「違う。お前の力は分かっている。俺が不安なのは、お前の心だ」

 

 剣崎が振り返り様、サングラスを外した。瞬間、ユウスケは息を呑んだ。それと同時に、何故今までサングラスをしていたのかが分かった。

 

 剣崎の右目にはディケイドにつけられた傷が生々しく残っており、右目は義眼だった。その銀色の眼に射竦められたように、ユウスケは動けなくなっていた。

 

 視線を彷徨わせ、ユウスケは覚えず自分の手を見つめていた。この手でディケイドを殺すことに、まだ一片の迷いがあることを剣崎は見通しているのだ。

 

「お前がいれば足手まといになる。俺たちだけで十分だ」

 

 剣崎はサングラスを掛け直し、その言葉を言ったきり一度も振り返らなかった。離れていく剣崎の背を見つめながら、ユウスケはもうこの姿を見ることはないだろうと内心感じていた。

 

 そして、それは剣崎も理解しているのだ。生きて戻る気など毛頭ない。だからこそ、ユウスケには剣崎の足を止める言葉を見つけられなかった。死地に自ら赴く戦士に、安全圏から発する言葉が一体何の意味があろうか。それに自分も剣崎の立場ならば、恐らく同じ行動を取っているだろう。

 

 だが、自分には士と共に旅をしたという記憶が、この戦いに臨む上での枷となっている。それを承知しているからこそ、渡も剣崎も自分を頼ってはくれない。

 

「……何でだよ、チクショウ!」

 

 その現実に対して苛立ちをぶつけるように、ユウスケは近くのビルの壁を殴りつけた。罅割れたコンクリートの壁に孔が開き、ビル全体が僅かに揺れ、細かい埃が舞い上がった。

 

 ユウスケは今しがた壁を殴りつけた拳を眺めた。この拳は何のためにあるのか。誰のために振り上げるべきなのか。ユウスケは瞳を閉じて問いかけるように呟いた。

 

「……姐さん。俺は、どうすればいい?」

 

「――簡単なことだ」

 

 不意に聞こえてきたその言葉にユウスケは眼を開いた。すると、眼前に灰色のオーロラが現われ揺らめいているのが視界に入った。そのオーロラを抜けて、誰かがこちらに向けて歩いてくるのが見える。ユウスケは警戒して身構えた。それを察知したように、オーロラから近づいてくる人物は言った。

 

「安心しろ。私は君の味方だ」

 

 その声にユウスケは聞き覚えがあった。オーロラが消え、歩み寄ってくる人物の姿が明確になってくる。その人物はベージュ色のフェルト帽を被り、同じ色のコートを身に纏った壮年の男であった。しかし、眼鏡越しの視線は年齢を感じさせない射抜くような鋭さがある。

 

「……鳴滝、さん?」

 

 その男の名をユウスケは口にした。鳴滝と呼ばれた男は「覚えていてくれたか」と呟き、ユウスケの目の前で立ち止まった。

 

「忘れるわけが無いじゃないですか。あなたは俺に〝クウガ〟の力を与えてくれた、いわば恩人だ」

 

 鳴滝によってユウスケはクウガの力を宿したベルトを託されたのだ。それが無ければ今頃、自分は未確認生命体に殺されていただろう。それに八代藍や士に出会うことも無かった。

 

 恩人、という言葉を聞いた鳴滝は一瞬笑みを浮かべたが、それはすぐに険しい表情の中に消えていった。

 

「小野寺ユウスケ。君は先ほど、自分はどうすればいいのか、自問していたね?」

 

 その質問にユウスケは頷いた。

 

「ええ。鳴滝さん。あなたはそれに〝簡単なことだ〟と答えた。……俺は、どうするべきなんですか?」

 

 その問いに、鳴滝は僅かな間を置いてから端的に答えた。

 

「ディケイドを殺せ。それが君のすべきことだ」

 

 その答えをユウスケは予期できていないわけではなかった。なにせ『クウガの世界』でディケイドが世界を滅ぼす悪魔である事を吹聴したのは他ならぬ鳴滝であったからだ。それ以降も、鳴滝は他のライダー世界に事あるごとに現われ、ディケイドに対して憎悪をむき出しにしていた節がある。

 

「……何故ですか? 何故、あなたはそこまでディケイドを憎むんですか?」

 

「ディケイドは世界の破壊者だ。それは君も知っているだろう。自分たちを滅ぼすかもしれない存在を憎むのに、理由が必要か?」

 

「それでも、俺にはあなたが私怨で動いているように見えてならない」

 

 ユウスケの発したその言葉に、鳴滝は暫時沈黙した。目を伏せ、「なるほど」と一言呟いた後、ようやく言葉を返した。

 

「……確かに。そう見られるのも無理はない。だが、信じて欲しい。私はあくまで世界の平和のために、ディケイドを破壊することを望んでいるのだと。それは君たち、ライダーの世界を救うことにも繋がる。決して、君たちの敵ではない。最初にも言ったとおり、私は君の味方だ」

 

 その言葉には力と切実さが籠もっていた。ユウスケは鳴滝の目を見つめた。その眼には確かな意志が浮かんでおり、嘘を言っているようには見えない。

 

「……分かりました。ですが、俺には躊躇いがある」

 

 ユウスケは自身の掌に視線を落としながら、独白するように言った。

 

「この手でディケイドを殺すことへの躊躇い。本当にこれで世界が救われるのか、という躊躇い。俺はディケイドを、門矢士を迷い無く倒すことなんて出来ない」

 

 門矢士という言葉を発した直後、黒い憎悪が頭痛となってユウスケを苛めた。また心理プロテクトが発動したのだ。ユウスケは顔をしかめながらもそれに耐えようとするが、鳴滝は全て見通したように言った。

 

「それはディケイドを殺さなければ解けない呪いだろう。君はディケイドを倒し得る究極の力を手にした代わりに、これまでの思い出を棄てなければならない。そうしなければ、自分自身の力に殺されるぞ」

 

「……でも、俺は、理由なしで戦えるほど強くない――」

 

 苦しげに呻きながら発したその声に、鳴滝が言葉を被せる。

 

「強かろうが無かろうが、君にしか出来ないことならばやるべき義務がある。君は、ライダーの一員だろう? だというのに、仲間がむざむざ殺される様を黙って見ていると言うのか?」

 

 責め立てる様な鳴滝の口調に、ユウスケは頭を抱えながら膝を折り、その場に蹲った。頭痛のせいだけではない。ユウスケの中で整理しきれない感情が沈殿し、重い蟠りは鎖となって、身体中を縛り付けている。身動きできない苦しみと息苦しさに苛まれ、ユウスケは瞼を強く閉じ、自身の内に答えを求めた。

 

 ライダーとして戦うべきか。それとも――。

 

 その迷いを予知しているかのように、鳴滝の言葉がユウスケの思考を貫いた。

 

「戦え! 小野寺ユウスケ。君の道はそれしか残されていない。それは明白だ! 君の願いは何だ? 世界を救い、笑顔を取り戻すことだろう? 八代藍に誓ったのではなかったのか?」

 

 その声にユウスケは眼を開いた。何故、この男が八代藍との誓いを知っているのか。

その疑問に顔を上げると、眼前に鳴滝の手が差し出されていた。鳴滝はユウスケの眼を見つめたまま、続けた。

 

「誓いを果たすんだ、小野寺ユウスケ。今が、その時なんだ」

 

 ユウスケがその手を握る。すると、今まで感じていた重みが嘘のように消えていることに気づいた。

 

 鳴滝の手に引かれて立ち上がり、ユウスケは真っ直ぐに鳴滝の目を見据えた。

 

「覚悟は、決まったようだね」

 

 鳴滝の言葉にユウスケは頷いた。

 

 灰色のオーロラが鳴滝の背中から迫ってくる。オーロラが鳴滝とユウスケを包む瞬間、鳴滝は言った。

 

「では、連れて行こう。ディケイドのもとへ」

 

 その言葉と共にオーロラが消える直前、鳴滝は口角を吊り上げ嗤っていた。

 


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