仮面ライダーディケイド Another End 作:オンドゥル大使
抜けるような青空の下、大型ビルの残骸がまるで生き物のように横たわっている。
瓦礫によってつくられた坂をよじ登りながら、そのビルの側面、現在は上となっている場所を目指す。帽子を被っているとはいえ、灼熱の太陽がコンクリートで固められた地表をあぶり、下から突き上げてくる熱線が嫌でも首筋や背中に汗を噴き立たせる。
背中に大きなバックを背負っているせいで、余計に蒸してくるのだ。工事現場の人間のように首に巻いたタオルで額に浮かんだ汗と首筋を拭くと、瓦礫に触れたせいで手がいつの間にか汚れていたのか、タオルは黒ずんでいた。きっと、これで拭いたのだから自分の額や首筋も汚れているに違いない。
それにため息をもらしながら、また瓦礫をロッククライミングよろしく手がかりにしてビルの上を目指して上り始める。瓦礫とて真夏の太陽光の下では熱せられており、すすんで触りたくはないが、これをよじ登らなければ目的の場所に辿り着けない。
掌に汗が滲み、掴んだ瓦礫の上に僅かな跡を付ける。だが、それもすぐに太陽光によって蒸発し、瓦礫は元の色を取り戻す。
荒い息を吐き出しながら、足元の細かい瓦礫を蹴飛ばし、ようやく目的のビルの上まで辿り着いた。降り注ぐ太陽光の下で、だらしなく横たわるビルに倣い、長く息を吐きながら座り込んだ。とりあえず一息つこうと、光夏海は帽子を脱ぎ、背負ったバックからミネラルウォーターを取り出し、ラッパ飲みをした。
――おじぃちゃんに見られたら怒られるかな。
そう思いながらも、身体は水分を欲しているらしく、夏海は口元から水滴が伝うのも構わず、一気に飲み干した。
口元から零れた水滴を手の甲で拭き取り、あぐらで座り込んだまま周囲を見渡した。
手前にある広漠としたコンクリートの原の上で、重機が喧しい駆動音を響かせながらのろのろと走っていく。瓦礫の処理をしているのだ。その向こうでは既に復興した街並みがあり、今夏海が座り込んでいるビルからは対比的に両方を望むことが出来た。
世界の崩壊現象から、ちょうど半年。夏海が戻ってきた世界は、怪物に蹂躙されたことやライダーのことなど全く触れておらず、「大地震による被害」として惨状を伝えていた。
これは報道規制などではなく、実際そうなのだろう。全てのライダーが消えた今となっては、怪物など存在し得ない。だが、「怪物が街を破壊した」、「ライダー大戦が起こった」という事実の溝を埋めるために、この世界は「大地震」というとても現実的な事実として人々の記憶に刷り込んだのだろう。
その中で、夏海だけがあの日起こったことを記憶している。甲殻類や昆虫を模した怪物が宙を舞い、ビルを崩して共食いを始める地獄絵図のような光景を。ライダー達が己の命と世界を懸けて戦い、それを散らしていった姿を。
記憶の中にある怪物たちの低いうなり声は、重機の駆動音にかき消され、夏海は現実へと連れ戻された。ブルドーザーが溜まった瓦礫を持ち上げ、処理していく。瓦礫から埃が舞い上がり、それが風に乗って夏海の下にも漂ってきた。夏海は思わずむせ返り、何度か咳き込んで重機を睨みつけた。しかし、重機はそ知らぬ顔で作業を進める。
夏海はこの世界に帰ってすぐに短く切りそろえた髪についた埃を拭い、その場で立ち上がった。首から提げた紫色のトイカメラを構え、ファインダーを覗く。新しい街並みと、瓦礫まみれの更地を対照的に写せるようにレンズを絞っていく。
ちょうどピントの合ったところで、夏海はシャッターを切った。間もなく、カメラの下部から写真が排出される。
そこには新しい街並みと更地がちょうど半々に写されていたが、一部がぼやけていた。恐らく、シャッターを切る瞬間、若干手先がぶれたのだろう。
「……難しいな。写真撮るのって」
夏海は呟き、空を仰いだ。
雲ひとつない青空が広がり、この場所から叫べば声が宇宙まで突き抜けていきそうなほど透明度があった。
「よかったですね、ユウスケ。今日も青空です」
言って夏海は空へとカメラを向け、シャッターを切った。通算二十五枚目の青空の写真だった。
戻ってからの半年間、夏海はあらゆる場所を旅し、あらゆる景色を写真に収めてきた。
士が求めた世界というものがどのようなものなのか。本当に撮りたかった世界はどこにあるのか。それだけを考えて夏海は、瓦礫にまみれ、まだ復興もままならない街々を歩き続けた。
蒼い月光を受け止め、少女のように眠る街並みを撮った。荒ぶる赤い夕陽に焼かれ、閑散とした瓦礫の塊を撮った。復興を手伝う人々の姿を撮った。瓦礫に押し潰された家を眺め呆然とする人々を撮った。
生きようとする意思と、生きていたいと願う意地が滲み出るその姿を。
背負ったバッグの中には、幾つもの時間と風景、そして人々の感情がごちゃ混ぜになっていた。その重みを背負いながら、この日、夏海は街から少し離れた場所にある海岸線にいた。
まだ夜は明けておらず、水平線と空を薄くぼやけた青が僅かに区切っているだけで明確な境界はない。
朝でもなく、夜でもない時間帯。昨日と今日が交差する時間が停滞した瞬間。
波打ち際で何度も反復運動を繰り返す白く穏やかな波に、夏海は視線を向けた。静寂の中をほのかに潮の香りが漂い、夏海は深呼吸をひとつした。目の前に広がる海岸線の息吹が肺に収まり、少しだけ被写体との距離が縮まったような感覚を覚えた。
夏海は目の前の光景を写真に収めるために、首から提げたトイカメラを構え、ファインダーを覗き込んだ。
レンズを絞り、慎重にピントを合わせていく。この半年間で何度も行った作業だがこれがやはり難しい。入ってくる光の加減を調節し、シャッターボタンに指をかけようとした瞬間、背後でシャッターの下りる音が響いた。
夏海は押しかけたボタンから指を離し、振り返る。暗がりの中で、いまどき珍しい巻き取り式のインスタントカメラを持った人影が目に入った。
「いい風景だな」
カメラのフィルムを巻き取りながら、その人影が言った。歳若い青年の声であった。
夏海はその声に、一瞬面食らったような顔をしていたが、すぐに笑顔で「ええ。そうですね」と返した。
青年は下を向いてジリジリとフィルムを巻き取る音を立てながら、夏海の隣に立った。そしてもう一度、海と空が交わる場所へレンズを向ける。それに併せるように、夏海も同じ場所をレンズの中に捉え、シャッターボタンを押した。
静寂に包まれた早朝の砂浜に、二つのシャッター音が響き渡る。
下部から排出された写真を、夏海は見つめた。そこには目の前の風景がそのまま切り取られた写真があった。空と海とを区切る絶妙なラインもしっかりと収められている。
「上手いじゃないか」
隣に立つ青年が夏海の写真を見下ろして言った。夏海は胸を張ってそれに応じる。
「この半年間、毎日練習しましたから。あなたが見たがっていた世界を写すために」
その言葉を言い終えると同時に、夏海は青年へと向き返った。
青年もそれと向き合う形で夏海を見つめた。黒いコートが潮風に揺れる。青くぼやけた水平線を切り裂いた一筋の光が、砂浜を白く照らし出す。二人の姿がその光に照らされ、白い砂浜の上に二つの影を落とした。
「ずっと、言おうと思っていた言葉がありました。帰る場所がない、って言っていたあなたに、言わなければならないと思っていた言葉が」
夏海はそう言って、首から提げていたカメラを青年へと差し出した。
「――おかえりなさい」
夏海は笑顔でそう言った。青年はそれに返すように口元に柔らかな笑みを浮かべ、差し出されたカメラを受け取った。
「――ああ。ただいま。夏海」
眩しい陽の光が、波間の青に乱反射して水平線から一直線に二人へと繋がる。それは二人を夜明けへと導く新しい旅路に見えた。
『仮面ライダーディケイド Another End』
Different people have different interpretations of this issue.
完
明日、あとがきをもって終わりとします。