仮面ライダーディケイド Another End   作:オンドゥル大使

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別離

 

 それはまるで巨大な水柱が上がったような光景だった。

 

 尤も空中へと縦長に舞い上がったのは水ではなく、砂であったが、それでも傍から見た者にとって、それは突然に水柱がたったとしか思えないような瞬間だった。人型程度の質量が落下したところで普通ならば、砂の柱など立つはずがない。だが、今回の場合は高度数千メートルからの、速度を伴った落下だ。それは人型とはいえ、巨大質量の、下手をすれば隕石の落下と同義だった。

 

 砂の柱が分散し、砂煙となって周囲を覆い隠す。それが緑色の複眼に降りかかり、ディケイドは顔を上げた。

 

 煤けた天井から覗いた灰色の空が視界の上に重く圧し掛かる。どこかのトタン屋根を突き破ったらしい。トタン屋根には巨大な孔が開いていた。

 

 仰向けになったまま、ディケイドは腕に抱えた体温を確かめた。夏海はどうやら気絶しているようだ。どこにも外傷はなく無事らしい。それにディケイドは安堵の息をついた。上体を起こそうとすると、脳髄が痺れるような痛みが背筋に響き渡った。その痛みにディケイドは苦しげなうめき声を上げる。

 

 翅をクッションにしたとはいえ、あれだけの高さから急速落下したのだ。無論、無傷のはずがない。恐らく骨折程度では済んでいないだろう。身体の奥を鋭く突き刺すような痛みに耐えながら、ディケイドは周囲を見渡しながら状況の把握に努めた。

 

 舞台のように地面から張り出したコンクリートの上に自分は落下したようだ。ディケイドの落下した部分だけが砕け、クレーターのようになっている。すぐ傍には鉄製のレールがあり、先ほど自分が破壊したデンライナーを思い起こさせた。最期の瞬間の電王の姿が網膜の裏にちらつき、ディケイドは逃げるようにそこから視線を外した。

 

 他に何かこの場所を示すものがないかと視線をめぐらせる。すると、レールを挟みこむようにして五メートルほど先のところにある対岸のコンクリートの舞台が目に入った。その舞台の端には、朽ちて変色した陸橋がある。どうやら対岸の舞台とこちらとは、その陸橋で繋がれているようだ。

 

 それでディケイドはここがどこかの駅だということに気づいた。誰の気配も感じないところを見ると、どうやら無人駅のようだ。ディケイドが辺りを見渡していると、不意に腕の中の夏海が僅かに動いた。それに気づいたディケイドは夏海の肩を揺さぶる。

 

「夏海。起きろ、夏海」

 

 その声に夏海の瞼が薄く開かれ、ディケイドを見つめた。夏海は頭を抱えながら起き上がる。まだ意識が判別しないらしく、ブツブツと呟きながら虚ろな眼で今何が起こっているのか思い出そうとしているようだ。

 

「……士、くん。あれ、私、どうして。えっと……」

 

 その時、夏海はディケイドの傍に何かが転がっているのを見つけた。どうやらそれはカードのようだ。夏海はそれを手に取り、手元で見つめた。それは仮面ライダー電王の姿が描かれたカードだった。

 

 それを見た瞬間、夏海は全てを理解し、自分の身体を両手で抱いて「……生きてる」と呟いた。

 

「士くん。私……」

 

 夏海がディケイドへと顔を向ける。それに対し、ディケイドは頷いた。

 

「ああ。生きてる」

 

 その言葉に、夏海はようやく生の実感を持てたのか、笑顔を作ろうとした。だが、手に握った電王の赤い複眼が、それを許さなかった。その眼を見つめ、我に帰ったように夏海は灯りかけた笑顔を消して、沈痛な面持ちで言った。

 

「……また、ライダーが死んだんですね」

 

 その言葉にディケイドは何も返さなかった。殺したのは自分自身だ。ライダーの側についていた夏海にとってしてみれば、自分はただの殺戮者でしかない。今は夏海を護るためという大義名分があったとはいえ、殺したのは事実だ。その現実は誰にも消すことは出来ない。

 

 ディケイドは立ち上がり、夏海に背を向けた。バックルのハンドルを開き、『ディケイド』のカードを取り出した瞬間、紫の鎧は霧散し門矢士の姿が現われた。

 

 士は振り返り、夏海へと手を差し出した。

 

「立てるか?」

 

 その言葉に夏海は電王のカードを抱いたまま、差し出された士の手に視線を落とし、逡巡するような素振りを見せた。ライダーを殺した張本人の手だ。この手は無数のライダーの血で汚れている。それに触れるのはさすがに躊躇われるのだろう。士は手を引っ込め、短く告げた。

 

「夏海。お前は、もうライダー達のもとに戻れ」

 

 士の口から放たれた言葉に、夏海は顔を上げ士の顔を見た。士の眼は冷たく、突き放すような威圧感があった。

 

「俺と共にいちゃいけないんだ。俺は全てのライダーを破壊する。足手まといなんだよ。お前がいたら、俺は全力で戦えない。……それも、お前の持つべきものじゃない」

 

 言って士は夏海の手から無理やり電王のカードを引っ手繰った。それに夏海が何か言葉を返す前に、士は背を向け歩き始めた。その背へと夏海は座り込んだまま、声を張り上げた。

 

「……また、どうして格好つけるんですか! 士くん!」

 

 その叫びに士は足を止め振り返らずに言葉を返した。

 

「今回のことではっきりと分かった。俺には何も必要ない。ライダーを破壊することが、俺の生きる目的そのものだということが。それ以外を望んじゃいけないんだ」

 

 士が発した言葉に、夏海は立ち上がり猛然と口を開いた。

 

「誰が、そんなことを決められるんですか! 士くんは、士くんです! 仮面ライダーディケイドである前に士くんは――」

 

「いい加減にしろよ!」

 

 夏海の言葉を士の怒声が遮った。初めて聞く士の怒りに震えた声に、夏海は言いかけた言葉を詰まらせた。呆然とする夏海へと士は振り返り、強い口調で言葉を重ねる。

 

「そうやって、誰にでも通用する優しい言葉で俺を勝手に飾るな! もう、うんざりなんだよ、夏海! お前のそういう中途半端な優しさで首を突っ込んでくるところが、俺にとっては迷惑以外の何者でもないんだ! もう俺に関わるな! 今すぐに、この場から消えろ!」

 

 畳み掛けるような言葉を吐き終えた士は、荒い息をついていた。突然に士の口から放たれた予想外な言葉の群れに、夏海は翻弄されたように視線を泳がせていたが、やがてその瞳から一筋の涙が頬を伝った。そこから目を逸らすように、士は背を向ける。その背が、もう夏海を必要としていないと無情に告げていた。

 

「――さよなら」

 

 嗚咽交じりの別れの言葉が、背中越しに聞こえてくる。それでも士は夏海へと振り返ろうとも、言葉を掛けようともしなかった。夏海は、その場から静かに立ち去った。静謐に包まれた廃駅の中を、離れていく夏海の靴音だけが響き渡っていく。

 

 その音が完全に過ぎ去り、聞こえなくなってから士は目を閉じ、呟いた。

 

「……すまない。だが、もうこれ以上巻き込めないんだ。夏海」

 

 士は対岸のホームへと身体を向け、声を張り上げて言った。

 

「いるんだろう。隠れていないで出て来い」

 

 その言葉に、陸橋から人影が現われた。黒いスーツを身に纏い、濃い色のサングラスをかけた男だ。そのサングラス越しの視線が、士に突き刺さった。

 

 ――殺気だ。

 

 四ヶ月前ならば臆していただろうが、幾度も死線を越えた今となっては慣れたものだった。士はその殺気の込められた目を真っ直ぐに見返した。その士の様子を見て、黒スーツの男は「ほう」と感心したような声をもらした。

 

「なるほど。この程度の殺気では退かないか。面白い」

 

 男は口元に笑みを作る。だが、サングラスの奥に隠れた眼は憎悪で滲み、全く笑っていないことが対岸のホームに立っていてもよく分かった。

 

「俺のことを、覚えているか? ディケイド」

 

 男の質問に、士はゆっくりと男の名を紡いだ。

 

「――剣崎、一真」

 

「覚えていたか。なら、この傷のことも覚えているだろう?」

 

 言って黒スーツの男――剣崎はサングラスを外した。一直線の生々しい傷跡が右目に刻まれている。その右目も本来の目ではない。銀色の義眼だった。士はライダー達が自分に襲い掛かった四ヶ月前の荒野で、右目を切り裂いたライダーを思い返した。

 

 剣崎は右目の傷が疼くのか、手で右目を覆いながら忌々しげに口を開いた。

 

「俺は一時たりとも、貴様を忘れたことなどなかった。この右目に刻まれた傷が、痛みが、お前への復讐心を駆り立てた。ジョーカーの摂理すら破壊する呪い。そして今、俺はお前を殺す。世界の崩壊など、もはや関係がない。これは、俺の意志だ」

 

 剣崎が懐から銀色の立方体を取り出し、それを腰にあてがった。瞬間、立方体から伸びたトランプの束がベルトとなって剣崎の腰に巻きつけられ固定される。

 

 その立方体に備え付けられたハンドルに手をかけ、剣崎は言った。

 

「変身」

 

 その言葉と共にハンドルを引く。『Turn up』の音声が鳴り響くと同時に銀色の立方体の中心部が裏返りスペードのマークが現われる。そこから金色の壁が放出され、剣崎の身体を通り抜けた瞬間、剣崎一真の姿はそこには無かった。

 

 あったのは四ヶ月前にディケイドと対峙したライダーの一人。剣のような鋭い角を持ち、黒を基調とした肉体に金色の重厚な鎧を纏っている。その鎧の所々に動物の姿を模したレリーフが十三個刻まれている。仮面ライダー剣、キングフォームだ。四ヶ月前に見た姿と全く同じだったが、ただ一つ違う箇所があった。それは右眼だ。右の複眼に一筋の傷跡が入っている。左眼が赤く輝いているのに対し、右眼は死んだように灰色になっていた。

 

 剣は手に携えた黄金の巨大な剣を持ち上げ、切っ先を対岸の士に向けた。

 

「さぁ、決着を着けさせてもらおう。ディケイド」

 

 その言葉に士は「ああ」と応じ、エンジン音と共に『ディケイド』のカードを取り出した。バックルに挿入すると同時に『カメンライド』の音声が鳴り響く。

 

「いいだろう。決着だ。剣崎一真」

 

 その言葉と共にバックルのハンドルを閉じる。『ディケイド』の音声が反響し、九つの影が士に集束して一瞬の間にディケイドへと変身していた。

 

 ライドブッカーを剣の形に展開させ、ディケイドは構える。剣は半身になりながら黄金の剣の柄を握る両手に力を込めた。

 

「――いくぞ」

 

 殺気のこもった灰色の右眼がディケイドを見据える。それをディケイドは緑色の複眼で返した。

 

「来い。全てを破壊してやる」

 

 その声を合図にしたかのように、両者の足がコンクリートを強く蹴りつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初、溢れ出す感情を振り切るように駆け出した足は、暫くして速度を緩め、やがてとぼとぼとした足取りになった。

 

 力の籠もっていない歩調で、夏海は歩きながら頬にべとついた涙を拭った。それでも、抑えの利かない感情は夏海の瞳から溢れ出す。夏海は手の甲で顔をくしゃくしゃに拭った。廃駅に落下した時に汚れた手で拭ったせいで、引きつった煤のような汚れが頬にこべりついたが、夏海はそんなことは気にしなかった。

 

「……どうして。士くん」

 

 記憶の中の士の背中に夏海は言葉を投げるが、記憶の中の士は冷たく夏海を突き放す。

 

「……嘘、ですよね。ただ、士くんは私を巻き込みたくなくって――」

 

 ――そうやって、誰にでも通用する優しい言葉で俺を勝手に飾るな!

 

 口から出た言葉を、先ほどの士の言葉が強く遮った。鼓膜の奥に残る士の言葉が今も、夏海の心に突き刺さり、そこから滴る感情が涙となってまた頬を濡らした。

 

 思えば全て身勝手な自己満足だったのかもしれない。士が世界の破壊者でないと信じ、自分のイメージ通りの士を無理やり望んだ。それに応えてくれた士に甘んじ、ライダーを破壊した士を拒絶した。結局のところ、自分は本当の士なんて知らないのではないか。ただ、自分に都合のいい士の姿を幻視していただけなのではないかという気持ちが夏海の中で鎌首をもたげた。

 

 勝手に理想の形を望まれて、結局全てを否定された上に切り捨てられる。これではライダー達が士にしたことと同じではないか。

 

 ディケイドとしての役割を道化のように演じさせられ、寸劇の終わりにはその役割を無意味なものだったとされる。士はその痛みに耐え、ライダーを迎え撃つことによって自らの役割に意味を見出していたというのに、自分はその傷跡に塩をぬり込んだだけなのではないか。

 

 その考えに至った時、夏海は足を止めていた。首から提げたままの士のトイカメラに視線を落とし、夏海はそのレンズを見つめて言った。

 

「……私、士くんに謝らなくちゃ」

 

 しかし、その言葉とは裏腹に身体は言うことを利いてくれなかった。踵を返し、士のもとに戻ったとして自分に何が言えるのか。ライダー達と同じように、士を勝手な価値で定義して、否定した自分が。

 

 その思いに逡巡していると、不意に声が聞こえてきた。

 

「――あら。夏海ちゃんじゃない? 久しぶりー」

 

 頭上から聞こえてきたその声に顔を上げると、中空に浮遊する銀色の蝙蝠の姿が目に入った。その姿に夏海は見覚えがあった。最後に見たのは四ヶ月前、ユウスケの首筋に噛み付いた時だ。

 

「……キバーラ。どうして、ここに?」

 

「夏海ちゃんに用があって来たのよ。それより、どうしたの? 目、腫れてるわよ」

 

 キバーラの言葉に夏海は「……これは、その」と声を詰まらせながら、目尻を拭った。それを見たキバーラが訳知り顔で言った。

 

「何かあったのね。ディケイドとの間に」

 

 その言葉に夏海は声を張り上げて反論した。

 

「違います! 士くんは、関係ありません。悪いのは、全部私で……」

 

「じゃあ、どうして泣いているの?」

 

 その問いに夏海は言葉を詰まらせた。キバーラはため息のようなものを小さな口から吐き出し、夏海に顔を近づけた。

 

「夏海ちゃん。いくら夏海ちゃんがディケイドを想ってもこの世界ではディケイドは世界の破壊者。分かり合えることなんてないし、全てのライダーを破壊するまでディケイドは戦いをやめないわ。それはこれまでライダーとディケイドとの戦いを最も近くで見ていた夏海ちゃんなら当然分かるでしょう?」

 

「そ、それは……」

 

 当惑気味に夏海は言葉を濁し、俯いた。確かに、どの世界においても、ディケイドとライダーが全く対立しない世界などなかった。分かり合えたとしても、それは怪人や大ショッカーなどの共通の敵を前にしての話だ。ライダーの敵がディケイドのみになっている今、戦いが平和的に終わることなど期待できない。どちらかが滅びるまで食い潰しあう。それは容易に想像できた。

 

 キバーラは夏海の考えを見越したように、口を開いた。

 

「このままではどちらかが滅びるしかない。世界の破壊者が生き残るか、ライダー達が生き残るか。選択肢は二つに一つ。事態がどちらに転んだとしても、夏海ちゃんは大切なものを失うわ。ユウスケか、門矢士か。そのどちらかをね。もしくは両方失うかもしれない。それどころか、夏海ちゃん自身がこの世界の消失と共に消えてしまうかもしれない」

 

 キバーラが発した予想外の言葉に夏海は驚いたように顔を上げた。

 

「……それって、どういうことですか?」

 

 夏海の言葉に、キバーラは「あれ? 気づいてなかった?」とわざとらしく言い放った。

 

「夏海ちゃんはこの世界の住人じゃないでしょ? 夏海ちゃんが戻るべき世界にはライダーは元々いなかったみたいだけど、ディケイドの出現によって一度破壊されかけた。その崩壊現象をライダー達が食い止めていたのよ。でも、ライダーが全て破壊されれば、夏海ちゃんの世界は自動的に崩壊する。ディケイドが生き残っても、夏海ちゃんが消える可能性だってあるのよ」

 

「……じゃあ、私は最初からライダーの側の人間だったってことですか?」

 

 困惑した様子で夏海が問いかけた言葉に、キバーラは笑みを浮かべながら「それもちょっと違うのよね」と続けた。

 

「あなたはディケイド同様、世界崩壊の影響を受け付けない存在になりつつある。それはあなた自身の資質にも原因があるし、ディケイドと長く居すぎたことも影響しているわ。つまるところ、ライダーが全て破壊されたらあなたの世界は消滅しても、夏海ちゃん自身は消滅を免れる可能性があるって言うこと。逆にライダーが生き残ったら、夏海ちゃんの世界が元に戻るかというとそうじゃない。この『ライダー大戦の世界』が崩壊の危機にあるのは、世界が混在し、中核にディケイドという歪みを抱えているからなんだけど、仮にディケイドを倒したとしても時間までが元に戻るってわけじゃない。時間と世界は同義じゃないのよ。ディケイドやライダーに殺された人はそのまま。ライダーという例外的存在を除いて、蘇るなんてことはありえない。つまり、夏海ちゃんの世界はライダーが勝ったとしても、崩壊の危機が迫った状態からの再スタートになるわけね」

 

 キバーラの説明に夏海は閉口していた。つまり、ディケイドとライダー、どちらが勝っても自分の世界は救われないということではないか。突然のことに、夏海は眩暈のような感覚に襲われた。

 

「……そんな。そんなことって。……じゃあ、私たちの旅の、意味は?」

 

 よろめきながら、夏海は常々思っていた疑問を口に出した。

 

「あなた達の旅で得をするのはライダーだけよ。ライダーは真の目的のために、ディケイドを、いえ自分たちの仲間の死すら利用していたに過ぎない」

 

「真の目的? それはなんですか? 教えてください」

 

「知りたいの?」

 

 キバーラは夏海に顔を近づける。赤い異形の眼が、夏海の視界いっぱいに映し出される。その眼に気圧されまいと、夏海は強く頷いた。

 

「教えてください。そうじゃなきゃ、士くんが報われません」

 

 その言葉にキバーラは近づけていた顔を離して、訳知り顔で呟いた。

 

「……士くんが報われない、ねぇ。まぁ、いいわ。ライダー達の真の目的、教えてあげる。じゃあ、手を出してもらえる?」

 

 キバーラの口から放たれた言葉に、夏海は疑問を感じながらも素直に手を差し出した。キバーラは差し出された指先を見つめ、うっとりした表情で言った。

 

「綺麗な手。それじゃ、少しだけいただくわ、夏海ちゃん。悪く思わないでね」

 

 その言葉を夏海が理解する前に、キバーラの小さな口先が夏海の薬指に噛み付いた。一瞬、注射器で刺されたときのような鋭敏な痛みが指先に走る。その痛みを脳が認識した瞬間、ぐしゃりと視界が捩れた。

 

 何が起こっているのか。それを理解しようと努めるも、脳髄が痺れたように上手く働かない。額が熱くなり、思考がぼんやりと形をなくしていく。

 

「……キバーラ? 一体、何を?」

 

 不定形に歪んでいく思考の中、ようやく搾り出したその言葉に、捩れた視界の中のキバーラが薄く嗤いながら応えた。

 

「言ったでしょ。真実を教えてあげるって。でも、真実を受け止めるにはそれに相応しい形が必要なのよ。夏海ちゃん。あなたはこれから、真実を知るに足る相応しい存在となる。それはとっても喜ばしいことなのよ」

 

 キバーラの銀色の身体が歪み、その背後に灰色のオーロラが揺らめいた。それが自分とキバーラを覆っていく様を見たのを最後に夏海の意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅渡はビルの側面に座り込み、星空を眺めていた。

 

 固定され、時を止めた星空。それはまるで束縛され、光ることのみを強制させられた哀れな姿にも映る。天蓋を覆う星空に歴史はない。人間のこの身では、彼らの歴史を知ることなど到底かなわない。彼らの瞬きは所詮、とっくの昔に生涯を終えた者たちの残り火に過ぎないからだ。それは墓標を眺め、綺麗だの可憐だのと評しているのと同じことだ。

 

 渡は天を埋め尽くす星空に、全く興味がなかった。ビルが無軌道に突き出し、物理法則に反発するこの世界において、星空を眺め評することほど無価値なものはない。視界に届き、脳が認識している星の光さえ、物理法則に則っているわけではない。ともすれば、星空は全て脳が作り出したまやかしなのかもしれない。渡は作り物臭いこの世界にいればいるほどに、その思いが強くなっていくをの感じていた。

 

 その時、渡はこの世界が一瞬、軋むような音を立てたのを聞いた。ほんの一瞬、鼠の鳴き声のように小さなものだったが、その音に渡は立ち上がった。

 

 ビルの縁まで歩くと、中央部の地面に灰色のオーロラが揺らめいているのが見えた。そのオーロラから誰かがこちらに向けて歩いてくる。

 

「誰ですか?」

 

 渡は片手を挙げ、金色の蝙蝠――キバットを無意識的に呼びながら尋ねた。その言葉に澄んだ女の声が応える。

 

「あたしよ。渡くん」

 

 その声に渡の手元に飛来してきたキバットが口を開いた。

 

「キバーラか?」

 

「そ。でも、あたしだけじゃないわ。特別ゲストを連れてきてあげたわよ」

 

 灰色のオーロラが薄らぎ、近づいてくる人影が鮮明に見えてくる。渡はその人影を見つめた。長い黒髪、華奢な手足、どうみてもライダーの仲間ではない。そう断じて、渡は思い当たる名前を言った。

 

「夏海さん、ですか」

 

 渡の声に夏海は肯定も否定もしなかった。それどころか、ずっと俯いたままである。意識があるのかないのか、足取りもおぼつかず、まるで不出来な操り人形にでもなったかのようだ。

 

「キバーラ。夏海さんに何を?」

 

 渡が強めの口調で尋ねる。しかし、キバーラはおどけたように言葉を返した。

 

「別にー。大したことはしてないわ。夏海ちゃんが〝真実が知りたい〟って言うもんだからここに連れてきてあげた。ただそれだけよ」

 

「真実、ですか。そんなものは知れているでしょう。ディケイドを破壊しなければ、世界は救われません。これが真実――」

 

「嘘。詭弁だわ」

 

 渡の声を遮り、夏海が言った。いや、正確には夏海が、ではない。キバーラが夏海の口を借りて言っているのだ。

 

 夏海の声で、キバーラの言葉が続けられる。

 

「ライダー達は何かを隠している。世界の破壊者、ディケイドを倒すことが本来の目的じゃない。ディケイドを倒すことはあなた達にとって手段でしかない。その先にあなた達、いえ、紅渡は何を目論んでいるのかしら?」

 

 その言葉に渡の表情は硬直した。先ほどまで温厚であった眼つきが徐々に殺気を帯びていき、キバーラと夏海を見下ろす。

 

「……鳴滝さんですか? そんなことをあなたに吹き込んだのは」

 

 いつものように冷静沈着な言葉を装いながらも、その声はどこか震えていた。キバーラは「さぁね」とその言葉をかわした。

 

「どちらにせよ、真実を聞かせてもらうわ。それが夏海ちゃんの望みだもの」

 

「言ったでしょう? 真実などとっくに知れていると。ディケイドを破壊し、世界に調和をもたらす。それが我らライダーの使命です。それを阻むのなら」

 

 渡の手が宙で静止していたキバットの身体を掴む。その牙を左手にあてがい、渡は言った。

 

「貴女とて、敵と見なします」

 

 渡の頬にステンドグラスのような色合いの皹が入る。渡は静かに言い放った。

 

「変身」

 

 キバットを腰のバックルに吊るす。キバットから放たれる音波が渡の体表に銀色の膜を形成し、それが渡の身体を覆った瞬間ガラスのような音と共に弾けた。そこにいたのは既に紅渡ではない。赤い鎧と黄色い複眼を持つライダー、仮面ライダーキバ。

 

 キバはビルから飛び降り、夏海達の前に立った。キバが動くたびに、全身の鎧に巻かれた鎖が鈍い金属音を立てる。

 

「真実など、元々あなた方は知る必要がありません。ディケイドが破壊されればそれでいい。あなた方はそういう認識で生きていれば幸福なんですよ」

 

 キバが黄色い複眼を夏海達に向けながら言った。

 

 その言葉に、キバーラは「ふぅん」と訳知り顔で言い、夏海の周囲を舞い踊るかのように浮遊した。

 

「やっぱり、そういう答えなんだ。なら、仕方ないわね。――夏海ちゃん」

 

 名前を呼ばれ、夏海がようやく顔を上げる。しかし、その眼は生気を宿していなかった。虚ろに開かれた眼には、意識があるのかないのかそれすら定かではない。

 

「出番よ。さぁ、あたしを掴んで」

 

 キバーラの声に導かれるまま、夏海は空中のキバーラを掴んだ。それを前方に突き出し、キバーラと混在した声で静かに言った。

 

「変身」

 

 瞬間、夏海の身体を薄桃色の光の膜が包んでいく。それが全身を覆った瞬間、薄桃色の光が弾け、桜吹雪のように舞った。

 

 そこにいたのは光夏海ではない。細い体躯を白い鎧で固め、右手には中世のレイピアを思わせる刀剣を携えている。バックル部には、キバーラが逆さ向きに接合され、キバと同種の赤い複眼が妖しく輝く。

 

 その姿を呆然と眺めるキバに、キバーラの声が響き渡った。

 

「驚いた? これがキバーラの本当の姿よ。この世界には存在しないはずの、ライダー。仮面ライダーキバーラ」

 

 ふふ、と笑い声を交えながら放たれたその言葉に、キバはようやく理解したようにキバーラを見据えた。

 

「……そうですか。ディケイドの破壊対象に入らない、カテゴリー外のライダー。ディケイドと同じ、起点の世界のライダーというわけか」

 

「起点の世界? 何よ、それ」

 

 キバーラが放った疑問に、渡はぴしゃりと言い放った。

 

「知る必要はない。あなたは危険な存在だ。僕が、ここで破壊する」

 

 キバが右手を宙に掲げる。すると、灰色のオーロラが右手付近で揺らめき、次の瞬間には灰色のオーロラの中から取り出した長剣をその手に握っていた。鍔と柄が金色の剣であり、銀色のしなやかな刀身が星々の光をその身に反射する。

 

 キバは切っ先をキバーラに向けて、その剣を構えた。キバーラはそれを見据え、口を開いた。

 

「……知る必要はない、ねぇ。じゃあ、いいわ。できるだけ穏便に聞きたかったところだけど」

 

 レイピアの鋭い切っ先を真っ直ぐにキバへと向け、キバーラは言い放つ。

 

「四肢を斬ってからのほうが聞きやすそうだし、そっちにさせてもらうわ」

 

 ふふ、とキバーラは含み笑いを発した。

 

 キバはその言葉には何も返さず、強く地面を蹴って駆け出した。それに併せてキバーラもキバに向けて走り出す。相手の姿が眼前に迫った瞬間、両者は剣を振るった。

 

 鋭い金属音が、星空しか映さない空白の世界に残響した。

 


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