仮面ライダーディケイド Another End 作:オンドゥル大使
世界の破壊者、ディケイド
いくつもの世界を巡り
その瞳は何を見る
視界は、一面灰色に覆われていた。
重たく瞼に圧し掛かってくるような濃い灰色が、薄い強化ガラス越しに広がっている。視界だけにとどまらず、呼吸さえ奪ってしまうような密度の濃いその色に、男は思わず息苦しさを覚えた。
だが、それも数分前のこと。
ある一定の高度を超えた瞬間、目の前には青い体色を地平まで伸ばしている空が、簡単に望めた。地平の輪郭線を、太陽の白い光が浮き彫りにする。その景色を、戦闘機のキャノピーから眺めながら、男はため息をもらした。
青白くぼやける地平、世界の果てが望める光景。その上で日々繰り返される憎しみの連鎖。
だが、俯瞰してみれば、世界とはこうも静寂と安穏とした景色だ。空にいるからこそ、世界が平和に視える。
しかし、そんな平和な光景は、こうして重武装に塗り固められた最新鋭の戦闘機の中からでしか望めない。
絨毯のように敷き詰められた灰色の雲海の上を、ただ相手を殺すことだけに特化した亜音速を誇る道具が弾丸の如く滑空する。
「平和」という言葉とは最も縁遠い場所にある空間からしか、本物の平和は展望することができないのである。狭い機器がひしめき合い、身体が機械の一部に挟み込まれたような錯覚を覚える操縦席で、男は自分が思い至ったその考えにまたもため息をもらした。
操縦席に所狭しと備え付けられた機器には、常に外部の状況が表示されている。その中の、円形のレーダーに視線を落とす。機械の眼が、この空域を滞空する三つの影を映し出している。
そのうち二つ、三角形で示されているのは自分の機体と同系統の戦闘機だ。それが男の機体を先頭にして、後方にデルタ型の編隊を組んでいる。そのデルタ編隊の中心にもうひとつ、三角形が存在した。男がそれを見ていると唐突に通信が入った。
『ここから先は私が先行させてもらう』
その声に異議を唱える前に、デルタの中心の三角形がとてつもない速度で、男の機体を追い越していく。その瞬間、男はキャノピー越しに、それの姿を見た。
それは人型でありながら、緑色の体色をしていた。胸から腹にかけてはオレンジ色であり、腰にはベルトが巻かれている。バックルには赤い円形状の核が配されている。
顔にある昆虫のような一対の赤い複眼と一瞬、視線が交錯したような気がして、男は背筋を寒くした。それは男が感じた嫌悪感などは全く意に介していないのだろう、きりもみながら空気の壁を纏い、最新鋭であるはずの戦闘機の速度をやすやすと越えて、先行する。
男は目の前を異様な速度で飛行するそれを見つめながら、後続する戦闘機二機にしか聴こえない通信で呟いた。
「……あれは、何なんだ? 気持ちが悪い」
『確か〝スカイライダー〟と、離陸する前に聞きましたが』
後続する部下からの返答に、男は機嫌を悪くしながら言った。
「違う。そういうことを訊いているんじゃない。そもそもなぜ、人型で、我々の戦闘機よりも速いんだ。それが気に食わない」
吐き気を堪えるかのような不快感を露にして、男は言い放った。
『化け物だと割り切ればいいじゃないですか』
先ほど答えた部下の機体とは別の機体から、応じる声が上がる。
『化け物だと割り切ってしまえば、そんなことは気にならなくなりますよ。現に〝目標が現われた場合の戦闘行為は全て引き受ける〟って離陸前に言っていたじゃないですか。なら、我々は高みの見物と洒落込みましょう』
その言葉を聞いたもう一人の部下が皮肉を込めた口調で『確かにそうだ』と言いながら笑った。
部下達の会話に、男は若干胸が空いたような気分になり、わざとらしく呆れかえってみせた。
「楽観的だな。だが、それもいいだろう。化け物の相手は、化け物にやらせるのが一番いい」
男はそう言って口元に笑みを作り、通信を切った。そして今度は前方を飛行するスカイライダーの無線に繋いだ。
『こちらスカイライダー。どうかしたのか?』
通信機器から聞こえてきたノイズ交じりのその声は、紛れも無い人間のものだ。だが、同時に紛れも無い人間でないものから発せられている声でもある。
「目標の再確認をさせてもらいたい。我々が倒すべき、目標の再確認だ」
『何度も言ったはずだ。そして君たちも知っている。余計な通信は目標に勘付かれる。控えるんだ』
前方のスカイライダーは首のスカーフをはためかせながら、空気の壁を割り、雲を切っていく。その姿は「黙ってついていればいい」とでも言っているかのようだった。
だが、男はそれが気に食わないのか、通信を切らずに話を続けた。
「勘付かれたとしても我々は具体的に迎撃する術を持たない。あなたの援護に回ろうにもそれなりの対処法がある。もっと詳しく、目標について教えてくれ」
その言葉にスカイライダーは暫時、沈黙した。
その沈黙は、答える気が無いのか、と男に思わせたが、それは誤解だったらしい。スカイライダーは慎重に、言葉を選びながら答えを返した。
『……目標には、現行の武装は恐らく通用しない。私でも、勝てるかどうかは分からない。奴は、全てのライダーを超える力を持っているからだ』
〝ライダー〟という言葉に、男は四ヶ月ほど前のことを思い返した。
それは突然のことだった。世界にそれまで存在し得なかった奇妙な集団が突如、出現し、「ある存在」に対し、武力でもって応戦するといい、全世界に協力を求めた。
その奇妙な集団こそが〝ライダー〟と呼ばれる存在である。彼らは形が様々でありながら共通してある特徴がある。それは昆虫のような一対の複眼を持ち、腰に特殊なベルトを装着しており、そのベルトを核にして体表を鎧で覆っているということである。そして最も驚くべきことは、彼らは同じ人間であり、別の世界からやってきたということである。
にわかには信じがたい話ではあるが、彼らの力を目の当たりにした人間は嫌でも彼らの存在を容認せずに入られなくなる。当初、彼らの存在に疑念を抱いた国家に対して、彼らは『自分たちを認めさせるためのパフォーマンス』と称して、どの国の管理下にもない人工島をひとつ破壊した。その過剰ともいえる行動によって、彼らの存在を疑問視する国家は恐怖によって発言する口を奪われ、告発する指を奪われた。
また、目の前にいるスカイライダーがまずそうだが、彼らの力は得てして人知を超えている。現在に現われたオーパーツとも呼ぶべき代物だ。そして性質の悪いことに、そのオーパーツは意志を持ち、どの国にも与しようとはしなかった。一時は大国の造り出した兵器かとも騒がれたが、そんなことはなくむしろ大国をもってしても彼らを御することは出来ず、逆に世界は彼らにとって利用される側にあった。
彼らの、「ある存在」を破壊するというたったひとつの目的のために。
「全ライダーを超える力か。それが本当ならば我々はお荷物でしかないのではないか? 我々が同行する意味を問いたい」
『奴の目的はあくまで、我々〝ライダー〟の破壊、しいては世界の破壊だ。恐らく、君たちのような人間には手を出しては来ないだろう』
ようは人質か。男はそう解釈し、ため息をもらした。
「……世界の破壊、か。抽象的だな。それなら大国でも襲えばいいだろう」
『違う。君たちの論じている世界の破壊と、我々が直面している世界の破壊とでは意味が大きく異なる。君たちは国家の破壊を危ぶんでいるに過ぎない。奴の破壊はコミュニティの破壊程度には留まらない。君たちの存在するこの時空そのものの破壊だ』
スカイライダーの言葉に、男は酸素マスクの下で馬鹿にしたような笑みを浮かべた。時空の破壊などという、あまりに非現実な言葉に嘲笑を禁じえなかったが、男は笑い声を上げようとはしなかった。
「……了解。引き続き、目標の捜索を行う」
言って通信を切ろうとしたその時だった。突如として狭いキャノピーの中にアラームが鳴り響いた。熱源を探知した警報である。なんだ、と思うと同時にデルタ編隊の右側に位置していた戦闘機が天上から降ってきた三つの赤い光に貫かれた。瞬間、戦闘機から火の手が上がり、炎を纏いながら急速に落下していく。レーダー上に映る編隊の右側の三角が「LOST」の表示に上塗りされる。
――撃墜された。しかし、どこから?
男が状況を確認しようとレーダーに眼を凝らす。その耳にスカイライダーの声が響き渡る。
『上からだ! 各機、回避行動を取れ!』
前方を先行していたスカイライダーが、回転しながら空中でUターンし、空気の壁を踏み台とするかのように、宙を強く蹴りつけた。瞬間、スカイライダーの身体が重力を無視して、一直線に上空へと突き進んでいく。
その離れ業に目を奪われる前に、またも警報が鳴り響いた。男は反射的に機体のレバーを引いた。それに従い、両翼に付属したフラップが駆動し機体が傾く。その機体の腹を、先ほど味方機を撃墜した赤い光が掠める。反応が遅れていたらどうなっていたか。男は肝を冷やすと同時に機体の角度を修正し、目標がどこから撃ってきたかを計測するために計器に目をやった。
途端、男の背筋を怖気が走った。
円形のレーダーサイトに映し出された緑色の三角形と、目標と思しき熱源反応が空中で激しく交差している。レーダーが動きを追いきれないのか、その熱源とスカイライダーはまるで瞬間移動するかのように、レーダー上を端から端まで動き回る。つい今しがた右にいたかと思えば、次の瞬間には左に二つの熱源がある。
「……なんだ。何が起こっている」
男が言い知れぬ恐怖にそうこぼした瞬間、スカイライダーで無いほうの熱源――レーダー上では赤い三角で示された目標から、新たに多数の熱源が放射された。
それは残っていた左側の戦闘機を貫いた。乗っていた部下の断末魔が爆発音とともに男の鼓膜に焼きつく。
一瞬のうちに二機の最新鋭戦闘機を撃墜された。その事実に男は戦慄し、キャノピーの外を見渡しながら、必死に呼びかけた。
「ス、スカイライダー! 応答してくれ! 一体、何が起こっている? 目標との戦闘状況を報告してくれ!」
その声にスカイライダーは応じなかった。一体、どうなっているのか。レーダーサイト上ではスカイライダーと目標が依然、交戦しているようだが、動きが早すぎて目視がついていかない。
その時、男の乗る機体前方を見覚えのある緑色の身体が斜めに降下した。スカイライダーだ。男は残る希望にすがるようにその姿を認めた。
その瞬間、スカイライダーの身体が上空から突如として伸びてきた何かに拘束され、空中で動きを止めた。スカイライダーの身体を縛り付けたそれは、四角形の形をした光で構成されたカードだ。そのカードがスカイライダーの身体を貫き、空中に固定している。スカイライダーはそこから逃れようともがくが、まるで身動きが取れない。
その身体へと目掛けて、上空から目標が飛来してくる。男はレーダー上でそれを見た。スカイライダーへと幾つもの正体不明の熱源が伸びており、友軍機を示す緑色の三角を赤く塗りつぶしている。これが恐らく光のカードだろう。その光のカードを貫き、流星のように目標が向かってくる。
それがスカイライダーの身体を射抜く瞬間、男は目標の姿を見た。
それは紫色の体表をしていた。スカイライダーとは若干形が異なる、一対の緑色の複眼。鎧のような身体。その手には、刃と柄に本のような四角形の部分を挟んだ奇妙な剣が握られている。その剣の切っ先が、スカイライダーの無防備な背に突き刺さった。
瞬間、スカイライダーを縛っていたカードの光が飛散し、男の眼を刺激した。それと同時に腹の底に響くような爆音を感じ、男は反射的に操縦レバーを握り、思い切り引いていた。
急激な機体上昇に、臓器が押し潰されるような強い圧迫感を感じた。肺が悲鳴を上げ、心臓が今にも弾け飛びそうな痛みだ。それに耐えながら、男はレーダーに目をやった。そこに表示されているスカイライダーを示す三角が「LOST」の文字によって上塗りされていた。
――やられたのか。スカイライダーまでも。
男がそう感じた刹那、またも耳を劈くような警報が鳴り響いた。今度は何事だ、とレーダーを見ると、赤い熱源が急速にこちらに向かってくるではないか。
狙われている。奴は生き残った敵をみすみす見逃すような生易しい存在ではない。男が慄き、急旋回をするためにレバーを握る手に力を込めようとした瞬間には、もう遅かった。
先ほどスカイライダーを殺した目標は、目の前のキャノピーに取り付いていた。
今一度、男はその姿をまじまじと見つめた。
紫色の体躯。
頭部を貫く角のような無数の黒い板。
鎧のような逞しい身体には、十字の刻印が斜めに左肩まで刻まれている。右肩口から右胸の下にかけて一直線に入った巨大な傷跡がある。背中からは、バーコードのような黒い無数の筋が幾重にも形成され、まるで翅のようになっていた。緑色の複眼が鋭角的な眼差しを向ける。
それはまさに、悪魔と呼ぶに相応しい姿だった。
「……これが、世界の破壊者。ディケイド」
男はその緑色の複眼に射竦められたまま、呟いた。この眼で見るまでは信じていなかった。世界を破壊する存在。全てのライダーを超える、最強最悪の悪魔。その名を今、男は初めて呟いた。
ディケイドは、左手にある先ほどの剣が変化した奇妙な形の銃の発射口を男に向けたまま、右手に何かを握っていた。それに男は視線をゆっくりと移動させる。
男がディケイドの右手に握られているものに気づいた瞬間、驚愕に目を見開いた。
ディケイドは先ほど葬ったスカイライダーの上半身を握っていた。ぐったりと首を項垂れ、赤い複眼からはもう光が失せたスカイライダーは最早、もの言わぬ死体だった。ディケイドの剣が刺さった部分から下は砕けたのか、まるで元から無かったように綺麗に消滅していた。
ディケイドの向ける銃口の奥が赤く光る。
――殺される。
男がそう確信したその時だった。突如として警報が鳴り響く。その瞬間、男はディケイドの背に向けて放たれた火球を目にしていた。ディケイドがそれに気づき、振り向いた瞬間、レーダーでも正確に捉えきれないほどの熱量を持つ火球がディケイドごと、男の乗る戦闘機を貫いた。一瞬にして、膨大な熱が装甲板ごと身体を溶かし、思考を白く焼け焦がす。その焼ける景色の中、こちらへと向かってくる赤い龍の姿を男は蒸発する網膜の中に視た。