狭間に生きる   作:神話好き

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エピローグ

「そろそろ起きたらどうじゃ。いくらか日差しが心地よいとはいえ、まだ肌寒い時期。体に障る」

「そう言うなって。あの場所に接続するのはかなり重労働なんだ。暫く経ったが、まだ体調は万全とは言い難い」

「自業自得じゃ」

目を閉じたままに軽口をたたき合うと、いくらか体のだるさも薄れてくれる。鳥の囀りや木漏れ日もさることながら、精霊の声はあの黄金図書館で本を読んでいるようでとても安らかだ。夢見心地過ぎて、本当に夢の中なのではないかと錯覚してしまうほど。

「まあ、無茶したことは認めるよ。だけど、答えを出すまでは負ける訳にもいかなかったからな」

「今の妾ならば、歩んだ軌跡も理解できる。随分と永い旅路だったのじゃな」

「本当に。長い長い曲がりくねった回り道だった。重要なのは、死ねない事なんかじゃなくて、生きているという当たり前な事実だったのに……。ああ、僕はようやく胸を張って生きていると言える。お前の隣でな」

瞼を開くと、そこには僕の唯一の家族がいる。姿かたちは大きく変わっても、彼女は彼女だ。ベリウス……いや現在の名をウンディーネ。リタとエステリーゼの手によって、水を総べる四大精霊の一角に転生したのだ。

「ねえ、ちょっと。話し込んでる暇があるなら、こっちを手伝いなさいよ。世界中の魔導器を新しいものにしなきゃならないんだから、いくら手があっても足りないわ」

「それくらい片付けられないようじゃ、僕の弟子を公言出来ないぞ。それに、折角なら家族に甘えてみたらどうだ」

「冗談じゃないわ!誰があいつなんかに……」

「うふふ。一応家族とは思ってくれているのね」

「げっ」

近くに設置してある簡易のテントから顔を出して愚痴を言ってきたリタと、絶妙のタイミングで付近の散策から戻ってきたジュディス。全てが決着したあの日から、僕は約束に従いリタを弟子に取った。これからすさまじい勢いで変革されていくであろう世界の、その先駆けに相応しい技術を伝授するために。

「丁度いいじゃないか。僕の蔵書の中にはミョルゾの言葉で書かれた物も多くある。いずれは習得することになる言語だ。ついでに教えてもらうといい」

「だそうよ。私としては大歓迎なのだけど。かわいい異母妹の頼みなんだから」

「だあーっ!やめなさいってば!アンタ、絶対私の反応見て面白がってるだけでしょ」

リタを弟子に取って最初にしなくてはならないことは、世界に点在している僕の蔵書を巡る旅だった。人の倫理観では多くが禁忌に当たるため、念入りな隠蔽を施した書庫が世界中に点在しているのだ。ダングレストにある黄金図書館の模造品は、言わば目くらましのようなもの。本当に知られてはならない知識は、堅く堅く封じた。例えば、底の見えない海溝や火山の火口の奥底、山の下敷きなんてものもあったか。まあ、兎に角道のりが厳しく、僕が同伴しなくては閲覧もままならない所ばかりな訳である。

「そんな事よりも学長。この本に書いてある術式、自爆前提でとても一般人には使えなさそうなんだけど」

「お前が一般人であるかはさておき、だ。色々と享受すると決めた以上、自衛の力を付けてもらわなくてはならない。全ての人間に信を置くほど、僕は間抜けじゃないからな」

『星喰み』を引き起こした魔導器よりも一段階昇華された技術は、当然ながらより容易に滅びを招くだろう。要は使い方次第、などと楽観視できる代物とは程遠い。必用なものは間違えない事ではなく、間違いから逃げない事。そして、人の最も恐れる死に立ち向かうことの出来た者ならば、その資格は十二分にある。

「世界が急激に変わろうと、人の営みはそう簡単に変われない。実のところ猶予はそれなりにあるんだ。あいつらも今頃世界中を駆け回ってくれてることだしな」

「そりゃ、そうなんでしょうけど……」

「今のリタは魔導士としては頂点だが、人としてはまだ一五年しか生きていない若輩者だ。学ぶことは尽きないぞ」

天才であるが故の思考回路は、凡百の常識とは相いれない。だからこそ変人扱いされたりもしたけれど、これからはそれでは不足する。人がどれだけ聡明で、どれだけ愚かか。深く深く知らなくてはならない。ここから先は知らなかったでは済まされないことばかり。些細な読み違いで大きな戦争が勃発するだろう。翻った善意が世界を揺るがすこともあるだろう。その責任を受け止められるだけの器を、リタは持つ必要がある。

「手垢の付いた言葉だが、壊すのは簡単でも作るのはとても難しい。いきなりヘラクレスを圧倒できるような兵装をばらまいたら、世界は一夜で消し炭だ。過去の帝国のように、管理する存在がなければ、人はきっと滅びへの道を歩んでしまう」

「そうね。あなたの見せてくれた記録でもそうだったように、人間はいつか必ず過ちを忘れ、繰り返す。きっとそこに終わりはないんだわ……」

でも、と過去に哀しみを馳せた後、心からの朗らかな笑顔を作ってジュディスは言う。

「今度はあなたたちがいてくれる。人と精霊は共に歩める。だったら問題ないでしょ。あなたたちがいてくれる限り、どれだけ遠い未来でも私たちは安心して想いを託せるもの」

「そうだな……。時折あんたたちのような変わり者がいるのなら大歓迎か。退屈と孤独は精神を殺す最も強力な毒だからな」

人は、いつか自身の業に焼かれて滅びるのだろう。何度も危機を乗り越え、文明が崩壊し、それでも受け継がれていく何かがあるから。僕は静かに寄りそおう。僕の家族がそうしてくれたように、取り返しのつかない過ちを犯したのなら共に贖いの方法を模索しよう。何かを成し遂げたのなら、共に歓喜しよう。君臨も統治もしない。ただ共に歩もう。束の間の奇跡のような交差の中で。

「そういう事だ、リタ。今しばらくは歯がゆいと思うが、我慢してくれ。目に映る物全てがお前の教材。遍く万象に無駄なことなんか無いのだから」

「流石に長生きしてる学長が言うと、おっさんの胡散臭い戯言とは違って説得力あるわね」

「あれで、なかなか人望に厚い騎士でもあるんだぞ。一応、元貴族でもあるらしいしな」

「世も末ね」

ペラリと手にした本を捲りながら、呆れたようにリタは言う。頬をなでる風も、照りつける日も、今の僕には以前とは別物のように色づいていた。同じ時を生きてくれる家族も、必死になって追いつこうとしてくれる後続も、一瞬の閃光のような輝きで魅せてくれる友も、そして、生きているという実感も手に入れた。時は過ぎ、誰もかれもがいなくなってしまったとしても、その事実はなくせない。一片たりとも漏らすことなく、あの黄金の図書館に記録されるのだろう。世界の一部とは言い難いあの場所に到達してしまった僕は、きっとどこまでいってもほんの少しだけずれた存在。そう、世界とあの場所の狭間で。

「……今度は絶望せずに済みそうだ」

「当たり前じゃ。有限である始祖の隷長の身では叶わなかったが、今の妾ならば言えよう。永久の時を共に行こうぞ、と」

「それこそ言うまでもない。忌々しくも精霊化すら退ける体だが、その点だけは感謝してもいいと思ってるよ」

「……そろそろ、その自虐もお終いにしなければな」

慈愛の笑みを向けてくる彼女も、以前とは違ってどこか嬉しそうだ。

「僕は僕か。だけど、どうにも頭で分かっていても抜けきらない。何せ千年物の悪癖だ」

「ならば、千年かけて強制すれば良い。時間はいくらでもある。妾も、いや妾たちもいつまででも付き合おう」

瞬間、森そのものの息吹を感じた。姿こそ見せてはいないが、それが彼らなりの同意で、感謝で、差し伸べた手の平で。

「世界が見方とは、何とも贅沢な話だ」

思わず口元が優しくゆがむ。なんとも歪な笑顔になってしまったが、初めて心から笑えたような、そんな気がした。僕を打倒した者達が作る世界は、きっと明るい。そんな未来に花を添えよう。誰かの葛藤を、偉業を、希望を。綴って未来の誰かに伝えよう。狭間に生きて、生きて、生きて、生き続ける。

「……いい絵だな」

指で作ったフレームに、今も微笑ましいじゃれあいを続ける姉妹を収める。遠い未来の誰かは、稀代の天才の素顔を知った時、いったいどんな顔をするのだろうか。そんな思考をしている自分が冗談のようで。

「ああ、なんて素晴らしい」

長いようで短かった世界を巻き込む舞台の結末は、少なくとも僕にとっては最上のものとなった。ともあれ、こうして幕は落ちる。森羅万象が小気味よく音を奏でて祝福する中、僕は初めて未来へと一歩を踏み出したのだ。




エピローグなので短めですが、一応完結です。

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