進撃の巨人 ―立ち向かう者―   作:遠野雪人

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第4話 適性検査②

 最後はエレンだが……何故か真面目な顔をしている。何か聞きたいことがあるような雰囲気だ。

 

「なぁ、ジョシュア。お前はあの日あの場所にいたんだよな?」

「そうだが、それがどうした?」

「教えてくれ。お前は何を目指してるんだ?」

 

 同じシガンシナ区出身で、あの地獄を経験した者が何を目指すのか。先程の答えを疑われているわけではないようだから、恐らく単純にその答えが聞きたいだけだろう。ならば偽る必要もない。

 

「俺もお前と同じだよ。俺は調査兵団に入るためにここにきた」

「本当か!?」

「何でお前が驚いてるんだよ」

「いや、俺達以外で調査兵団に入ろうとする奴なんて初めて見たから」

「達、ってことは」

「あ、うん僕も」

 

 視線を向ければ、アルミンが片手を上げて頷きを返した。

 

「マジかよお前ら……何でわざわざ調査兵団なんかに」

「ま、コニーの言うことももっともだわな。普通の奴は憲兵団とか駐屯兵団とか目指すものだろうし」

「なら、どうしてジョシュアは調査兵団に?」

「そりゃ、巨人に用があるからに決まってるだろ」

 

 何でもないことのように言えば、全員が目を見開いて硬直した。

 

「……また、冗談か?」

 

 緊張した声でコニーが尋ねる。

 

「生憎と俺は自分の信念に対して嘘は言わん」

「いや、でも巨人に用とか……何の用があるってんだよ」

「決まってる。奪われた分をきっちり取り戻しに行くことだ」

「奪われた……?」

「お前もそうだろう、エレン。いや、エレンに限らずだが――俺達は生まれた時から住む土地を追われてる。中には巨人に身内を奪われた奴も多いはずだ。知ってるか? 奴らは俺達人間みたいに生きるために命を奪うんじゃない。食うために人を殺すんだ」

「……詳しいんだね?」

 

 姉に教わったからな、とアルミンに返す。

 

「生きるために奪われるなら仕方ない。だが「食うために」なんてわけのわからない理由でここまで追い詰められていることが我慢ならない。《マイナス》にされた分はきっちり奪い返す。それが俺の目的だ」

 

 息を呑む面々を置いてエレンを見る。

 

「お前が調査兵団を目指す理由も、多分似たようなもんだろう?」

「……ああ」

「なら、俺からできる助言は一つだ。明日の結果がどちらになるにせよ、覚悟だけは決めておけ。巨人を駆逐すると誓ったんだろう? その誓いが本物ならたとえ立体機動が使えなくても戦えるはずだからな」

「おいおい、無茶言うなよ」

「心構えの話だ、ジャン。人間決して折れない芯が一つあればたいてい何とかなるもんさ。違うか?」

「……言われるまでもねえよ」

 

 なら良かった、と気迫のこもった視線を返すエレンに笑みを返して、背を向けた。

 

「どこ行くんだ?」

「アドバイスはしてやったろう? だから寝る。これ以上長引かせるような話もないしな」

 

 ああそれと、とある一角を指差して、

 

「他に上手い奴なら、あそこのライナーとベルトルトもそうだ。まだ話を聞く気があるなら行ってみたらどうだ?」

 

 

 

 

 

「エレン・イェーガー。覚悟はいいな?」

 

 訪れた審判の日。準備を終えたエレンにキース教官が放った第一声は、奇しくも昨夜俺がエレンにかけた言葉と似通ったものだった。

 

「立体機動装置を操ることは兵士の最低条件だ。できなければ開拓地に戻ってもらう」

 

 いいな、と念押しする声に、緊張した面持ちでエレンは頷いた。

 

「――よぉ。ライナー、ベルトルさん」

 

 気配を殺し、背後からこそこそと目的の二人に声をかける。

 

「何だ?」

「何……って、ベルトルさん?」

「ジョシュア。どうしたの?」

 

 二人が振り返るのに合わせて、アルミンもこちらを向く。

 見れば隣にジャンの意中の人であるミカサもいたが、その視線はまっすぐにエレンに向けられたままだ。声は聞こえているはずだから、エレンのことが心配なんだろう。

 

「二人も昨日エレンにコツとか聞かれたんだろう? どんな話をしたのかと思ってな」

「ああ、そのことか」

「待って。ベルトルさんって何さ」

「お前そこ引っ張るのかよ」

「だって何か妙な略し方だし……」

「俺としては親愛を込めたあだ名を贈らせてもらったつもりなんだが。それにベルトルトって呼びづらくね? 噛みそうだし。最後の『ト』が正直邪魔じゃね?」

「それ七割くらい君の都合じゃないか!」

「正直語呂の良さなら元の名前より上だと自負してる」

「少しは悪びれろよ!」

「いや、だって」

 

 なぁ? と視線を他の二人へ向ければ、ライナーとアルミンは互いに顔を見合わせて一つ頷き、

 

「まぁいいじゃねえかベルトルさん」

「そうだよ、あだ名をつけられたくらいでそこまで怒ることないじゃないかベルトルさん」

「もう何も信じられない」

 

 虚ろな目をしたベルトルさんを放置して、さて、と二人に向き直る。

 

「手応えはどうよ?」

「神のみぞ知る、ってな」

「さっぱりか。まぁそりゃそうだろうな」

 

 肩をすくめるライナーに頷きを返す。

 二人も確かに成績はいいが、この適性検査に関しては助言らしい助言はしてやれないだろう。技術云々以前の問題だし、その名の通り本人の適性に依るところが大きいからな。

 

「一応ベルトの調整を見直すことを指摘したが」

「無駄とは言わんが、重要なのはバランス感覚だしな」

「あとはエレンが頑張るしか……」

 

 結局のところ、結果がどう転ぶかはエレン自身の適性にかかっているというわけだ。

 

「……そういや、お前もあいつらと同郷なんだってな」

 

 思いついたようにライナーが呟いた。

 ああ、と頷くと、ライナーはにやりと唇を歪め、

 

「調査兵団志望なんだって?」

「物好きな、とでも言いたげだな」

「そりゃあな。開拓地じゃあ調査兵団は『自殺志願者の集まり』ってもっぱらの噂だし……まして『二年前』を経験した奴なら尚更な」

 

 語るライナーの表情から笑みが抜け落ちる。その表情を見れば、ライナーもまたあの地獄にいたことを察するのは容易い。

 

「何で調査兵団なんだ?」

「売られた喧嘩は買わなきゃ気が済まないタチでね」

「なるほど。納得だ」

 

 笑みが浮かぶ。馬鹿にされている感じではなく、本心からのもののように感じた。

 

「たいした根性だが、もしかしてお前も『あの日』より前からずっと目的が変わらなかったクチか?」

「……どうだろうな」

 

 ちくり、と小骨が刺さるような痛みが胸に走った。

『あの日』が来るまでの話。巨人の恐怖を知らず、優しい姉と一緒に黄金色の夕日を眺めた大切な時間。

 あの頃は純粋に外の世界に憧れるだけだった。世界の残酷な摂理を知らず、外の世界には必ず綺麗なものが――あの夕焼け空のように素晴らしいものがあると信じて疑わなかった。

 思い出は美化されるものなのか、姉が死んだあの日以来一度として俺は姉と眺めたあの夕日より綺麗な夕焼け空を見ていない。

 同時に、俺にはもう決して見ることはできないだろうと思う。目的を黒く塗りつぶす最優先事項が俺の中に生まれてしまったから。

 

「ま、いつまでも子供じゃいられない、ってな」

「何だそれ」

「気にするな、こっちの話だ」

「あ――ねえ、二人とも!」

 

 アルミンの声に釣られて視線を戻すと、すでに適性検査は始まっていた。二本のロープで釣り上げられたエレンは未だ姿勢を正常に保っており、危うげながらも制御することができている。

 だが――それはあまりにも不安定なバランスの上に成り立っていた。正常であれば少なからず感じ取れるはずの安定感が欠片も感じ取れず、崖っぷちでかろうじて踏みとどまっているような緊張感しか感じられない。

 適性検査は一瞬姿勢を制御すれば終わるようなものではない。一定時間姿勢を保っていることが条件であり、その証拠にキース教官は未だ「止め」の声をかけることなく淡々と釣り下がるエレンを見ている。

 

 ――このままだと……。

 

 落ちる、と内心で台詞を結ぶより早く、エレンの姿勢が危うく傾いだ。

 

 

 

 

 

 ――やった……できた!

 

 空中でバランスを取るエレンの顔に笑みが浮かぶ。

 同期生連中に頭を下げ回ってコツを聞き、練習もしたが、結局成果らしい成果は掴めなかった。ぶっつけ本番でどうなることかと思いもしたが、ここで初めてきちんとした制御をすることができた。

 

 ――だけど……くそ!

 

 言われるまでもない。誰よりも本人が一番自覚している。たとえるなら今の自分はピンと張られた一本の綱の上に立っているようなものだ。余裕など到底あろうはずもなく、前後に不安定に揺れるバランスを制御するのに精一杯で今にも手放してしまいそうになる。

 

 ――まだか、まだなのか!?

 

 適性検査が始まってからどれくらい経ったのか。あとどれくらい粘ればいいのか。

 視界には何も映っていない。耳には何も聞こえてこない。ただただ精神を研ぎ澄まし、危うく揺れる身体を正常に保つことだけを考える。

 

 ――こんなところで終わってたまるか。

 

 脳裏に浮かぶのはミカサとアルミン。半ばエレンが引きずるように調査兵団への志望を決めさせてしまった大切な二人の友人の顔。

 そして――

 

 ――お前には、負けねえ!

 

 ジョシュア・ジョーンズ。脳裏で不敵に笑う同期にして同郷の黒髪の少年へエレンは声なき叫びを上げた。

 正直なところ、昨夜聞いたジョシュアの答えにエレンはかなり「カチン」ときていた。

 

 ――明日の結果がどちらになるにせよ、覚悟だけは決めておけ。巨人を駆逐すると誓ったんだろう? その誓いが本物ならたとえ立体機動が使えなくても戦えるはずだからな。

 

 どうでもいい、と言われた気がした。

 

 本人にはきっとそんなつもりはないのだろう。純粋にアドバイスをしたつもりだったのだろう。いや、はっきり言って「どうでもいい」と思われていてもそれはそれで正しい。逆の立場であればきっとエレンも同じことを思っただろうから。

 

 だが、それでも――失敗することを可能性として考えられた。その上失敗した後のことまでフォローされた。

 ジョシュアと同じくあの地獄を経験し、調査兵団を志望し、巨人を駆逐することを目的としているエレンにとって、これ以上の屈辱はなかった。

 だから粘る。たとえ適性がなくても、意地でクリアしてみせると、そう意気込んだ。

 

 だが、世界はエレンが望むほど単純にはできていない。

 姿勢を制御する手綱を握る手が次第に甘くなる。身体の内側にある重心の揺れが激しくなり、ついに身体が大きく傾いだ。

 

 ――くそ、くそぉっ!

 

 制御を失った背中が重力に引かれて落ちていこうとしたその時。

 

 

 

 とん、と。背中に何かが触れる感触。

 

 

 

 ――え?

 

 押し返される。再び身体の制御を取り戻して正常な姿勢に戻す。しかしエレンの意識はもはや身体を制御することには向かなかった。

 

「うあっ!」

 

 ぐるりと身体が回転する。いつかの練習と同じように後頭部が地面に叩きつけられて激痛が走る。

 痛みに霞む視界に空が広がっている。それが意味することはただ一つだ。

 

「下ろせ」

 

 キース教官の冷淡な声が響く。

 

「ま、まだ……俺は!」

 

 聞き入れた瞬間全てが終わる。その確信があったからエレンは足掻くように足をばたつかせ、何とか起き上がろうとした。――無駄な抵抗でしかないとわかっていながら。

 

「早く下ろせ」

 

 再び教官の声。エレンはそちらに目を向ける。有無を言わせぬ眼光がエレンを貫いていた。

 

 ――俺は……。

 

 力が抜ける。意志が抜け落ちる。人形のように垂れ下がるエレンの腰から他の教官が淡々とロープを外していく。

 

 ――ここで終わるのか?

 

 腰が落ちる。けれど痛みは感じない。あまりの絶望に身体が感覚を得ることを拒否していた。

 

 ――あれだけ吐いておきながら。結局俺は、何もできずに。

 

 起き上がることもできずに愕然とするエレンの耳に、キース教官の声が響いた。

 

「ワグナー。イェーガーとベルトの装備を交換しろ」

 

 

 

 

 

「ベルトの金具の故障、かぁ。流石に僕もそこまではわからなかったなぁ」

 

 夕食の時間。パンをかじりながら隣の席に座るアルミンが呟いた。

 

「教官も初めてだと言っていた。アルミンがわからなくても仕方ない」

 

 無表情にフォローの言葉をかけるのは、向かいの席に座るミカサだ。とはいえアルミンもそこまでショックを受けている様子もなく、そうだね、と笑顔を浮かべて頷いた。

 

「それにしてもやっぱりエレンは凄いや。壊れたベルトであれだけ持ちこたえるなんてさ。どうやってやったの?」

「ん? ああ、まぁ……適当にだよ、適当に」

「エレン、どうかしたの? さっきから何かぼうっとしてるけど」

 

 明らかに心ここにあらず、という返答のエレンに、アルミンが心配そうに声をかける。

 

「ああ、いや……ちょっと考え事をな」

「……何か悩み事?」

 

 尋ねるミカサも相変わらずの無表情だが、その声音にはエレンの身を案じる色が含まれている。

 

「そんなんじゃねえよ。ただ……」

 

 一息。口にすべきかどうか迷うように視線を彷徨わせてから、意を決して口を開く。

 

「なぁ。そのさ、変な話なんだが……今日の適性検査の時さ」

「うん」

「あの時、俺がバランスを崩しそうになった時に……何か、背中のあたりになかったか?」

「え?」

「何かって……何?」

「いや、俺にもわかんねえんだけど」

 

 何て言うのかな、と頭をかきながら呟く。

 正直エレン自身にもあの時何が起こっていたのかはよくわかっていない。それを考えるほどの余裕はなかったし、必死だったのだから当然だろう。

 ただ、あの時背中に感じた感触を言葉にするなら、それは。

 

「あの時……一瞬だけ、背中に誰かの『手』が触れた気がしたかも、なんて」

「『手』……?」

「それはきっと、エレンの勘違い。私達はずっとエレンの様子を見ていたけど、エレンに近づいた人は誰もいなかった」

「いや、そういうことじゃなくてさ……」

 

 誰かがエレンを落とすまいと、それこそミカサあたりが駆け寄ってエレンの背中を押さえたというのであれば、まだ納得できる。

 だが、エレンが感じた感覚はそういうものではなかった。あの時感じた状況を率直に言葉にすれば、まるで何もない空間から『手』が現われてこちらの背中を押し返したような――

 

 

 

 

 

「……絶対、気付かれたよなぁ」

 

 夕食の時間を迎えている食堂から離れ、訓練場を何とはなしに歩きながら一人呟く。

 勿論、正体がばれたとか、《スタンド》の存在に気付いたとか、そんな可能性は万に一つもない。しかし自分の背中を押し返した《手》――まるで幽霊の如き感触についてはエレンはしっかりと覚えているはずだ。

 

「忘れててくれねえかなあ」

 

 あの時はきっと必死だったろうし、気のせいだろう、と考えてくれているのが一番いい。《スタンド》のことを隠し通したい俺としてはそのことを切に願ってやまない。

 

「――何やってんだ、俺」

 

 後悔をため息とともに吐き出した。

 はっきり言って、エレンの合否に興味などなかった。同郷といっても所詮他人であり、元々の友人でも知人でもない。助ける上でのメリットとデメリットを並べ立ててもデメリットの方が圧倒的に多いし、何より俺の目的にエレンの存在は関係がない。つまりエレンへの個人的な執着がない俺には、エレンの合格を願う理由がなかった。

 

 アドバイスをしたのも最低限の義理というやつで、心底エレンに受かってほしいという思いからのものではない。

 まして《スタンド》という反則じみた力を用いてまで助けるなんて夢にも思わなかった。

 なのに――エレンが落ちそうになったあの瞬間。気付けば《ソフト&ウェット》を呼び出していた。

 

 何でだろうな、と夜空に浮かぶ月を眺めながら自問自答する。

 理由なんてない。助けることにデメリットしかない。

 それでも、あの時文字通り《手》を伸ばしてしまったのは――

 

「ああ……そうか。そうだよなあ」

 

 嘆息する。俺は自分で自分を損得勘定で動く合理的な人間だと考えていたが、どうやらその認識は少し間違っていたのかもしれない。

 

「『友達』を助けるのに、理由なんていらないんだよな」

 

 嬉しかったのだろう。あの地獄を同じように体験して、同じような目をしている奴に出会えて。

 それは今まで感じたことも、考えもしなかった可能性だが、その可能性を考えた時、不思議と足りないパズルのピースがはまるような納得を得た。

 

「ま、あちらさんがどう思ってるかはしらねえけど」

 

 適性検査前にあれだけ挑発したんだ。正論を吐いただけとはいえ、敵意を持たれていてもおかしくはない。

 だが、まぁ――それならそれで、これから親しくなっていけばいい話か。

 

 何せ、これからいくらでも時間はあるのだから。

 

 

 




 ベルトの金具ってどういう壊れ方してたんですかね。外見的に見てわかるようなら流石に気付きそうなもんですが。
 その辺がちょっと不明だったので無難に原作をなぞりましたが、正直主人公と立場入れ替えてても面白かったかなーと思います。

 ミカサはガン無視でしたがとりあえずライナーとベルトルさんとの接触に成功。
 ベルトルさんは犠牲になったのだ……。

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