進撃の巨人 ―立ち向かう者―   作:遠野雪人

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第3話 適性検査①

「相席いいか?」

 

 テーブルで一人夕食を食べていると声がかけられた。シチューを口に運ぶ手を止めて振り返ると、色素の薄い金髪を刈り上げた目つきの悪い少年が夕食を持って立っている。

 名前は確か、

 

「ジャン・キルシュタインだったか」

「フルネームで呼ぶなよ、ジャンでいい」

 

 呆れた声音で言って向かいの席に腰を下ろす。

 まだいいとは言ってないんだが、どうせ他に誰もいないテーブルだ。断る理由もない。

 

「そういうあんたは何て言うんだ? 確か入団式の時にも名前呼ばれてなかったろ」

「ジョシュア・ジョーンズだ。ジョシュアでもジョーンズでもジョジョでも好きに呼んでくれ」

「最後は何だよ?」

「あだ名だ。ガキの頃はそう呼ぶ奴もいた」

「ジョシュア・ジョーンズでジョジョね。そう呼ばれたいのか?」

「言っといて何だが、正直男から呼ばれても嬉しくない」

「なら言うなよ。んで、ジョシュアはどこ出身なんだ?」

「シガンシナ区だ。予測できるから先んじて言うが、『あの日』も当然そこにいた」

「……へぇ。ってことはお前もあいつらと同郷か」

 

 そう言いながらジャンが指差す先には人だかりのできているテーブルがある。人垣は黒髪の少年をその中心に囲っており、少年が何かを答えるたびに、おおおお、と人垣から歓声が上がる。

 話を聞くに、あの少年もシガンシナ区出身であり、そして周囲の人間が巨人について質問しているらしい。

 

「知り合いか?」

「知らないね。顔も見たことない」

「ま、そういうこともあるか。で、あれの話は本当なのか?」

「気になるのか?」

「そりゃ、人並みにはな」

 

 とは言うものの、その目に言葉ほどの興味があるとは見えなかった。どこか斜に構えたような冷めた目がそれを物語っている。

 だから俺もそれに合わせた。

 

「ご想像にお任せするよ」

「何だよ、教えてくれてもいいじゃねえか」

「俺はお前のためを思って言ってるんだがな。眠れない夜を過ごしたくなけりゃ聞かない方が身のためだぜ?」

 

 あんな風にな、と人垣を指す。

 からん、とスプーンが落下する音が静まり返った室内に響いた。

 先程は戸惑いながらも普通に応答していた人垣の中心の少年が、普通の巨人はどんな姿をしていたのかを尋ねられた瞬間、顔を真っ青にさせて吐き気を堪えるように口元に手を当てた。

 恐らくはあの少年も――俺と同じく、巨人に身内を食われたのだろう。

 

「話して聞かせたところで、あれの恐怖や絶望は当事者じゃなけりゃただの他人事だ。どれだけ言葉を尽くしてもお前らに伝えられるとは思えないね」

「……経験者の言葉は重いな。なら、お言葉に甘えて引き下がらせてもらうか」

 

 流石にそれ以上聞くのは不味いと感じたのか、ジャンはそれ以上追求しようとはせずに口を噤んだ。相手の都合を考慮しない軽薄な奴かとも思ったが、引くべき所はきちんと弁えているようだ。

 黒髪の少年を囲んでいる方もようやく察したのか、いたたまれなさそうに解散していこうとする空気を感じたが、

 

「違うぞ……」

 

 引き留めるように少年が声を上げた。

 

「巨人なんてな、実際たいしたことねえよ。俺達が立体機動装置を使いこなせるようになればあんなの敵じゃない!」

 

 こみ上げる吐き気ごと飲み込むかのようにパンにかじりつく少年の目には再び力が宿っている。本心からそう思っているのか、それともただの虚勢かはわからないが、公衆の面前でそう言い切れるその度胸は称賛に値する。

 

「そんで調査兵団に入って、この世から巨人どもを駆逐してやる! そして……」

「おいおい正気か? 今お前調査兵団に入るって言ったのか?」

 

 何を思ったのか、少年の台詞を切るようにジャンが声を上げた。その場にいる全員の視線が一気にこちらを向く。そのせいで俺にも注目がわずかではあるが集まり、中には入団式のことを思い出したのか、俺のことを指している奴もいた。

 

「お前は確か……憲兵団に入って楽したいんだっけ?」

 

 入団式で教官に目的を聞かれた時、不真面目ともとれることを臆面もなく口にしたのはジャンだけだ。俺がジャンを覚えていたのもその理由だが、やはり他の人間にとっても印象的だったらしい。

 

「俺は正直者なんでね。心底怯えながらも勇敢気取ってる奴よりよっぽど爽やかだと思うがな」

「そりゃ俺のことか?」

 

 がたりと少年が席を立って気色ばむ。止めるつもりはないが、まさかこんな時に喧嘩を始めるつもりだろうか。

 

「あーすまない。正直なのは俺の悪い癖だ。気を悪くさせるつもりはないんだ」

 

 フォローにもなっていない言葉をジャンが吐いたところで、夕飯の時間を終わらせる鐘の音が響いた。これ以上長引かせるようであれば手痛いペナルティを食らうだろうことは目に見えている。それはどちらにとっても望ましくはないだろう。

 未だジャンを睨む少年を落ち着けるように、先程より声を低くしたジャンが言う。

 

「俺はお前の考えを否定したいんじゃない。どう生きようと人の勝手だと思うからな」

 

 だからこれで手打ちにしようぜ、と少年に歩み寄ったジャンが右手を広げて差し出す。

 見ているこちらがハラハラするほどの軽薄さだが、少年の方もそれほど頭にきていなかったのか、ジャンの手を軽く叩くことでそれに応じた。

 

「悪かったな。空気を悪くしちまって」

 

 少年と別れ、テーブルの皿を回収に来たジャンが俺を見てそう言った。

 とりあえず思うのは、

 

「俺に愛想使えるんならあいつにも使ってやれよ」

「悪い悪い。あいつが面白いこと言ってたんでついな」

 

 口の端を吊り上げながら意地悪そうにジャンが笑う。

 

 確かにジャンの言うとおり、調査兵団に入ろうなんて奴はそうはいない。外に出ることが巨人の腹の中に収まりに行くことと同義と見られるこの世界において、調査兵団を目指すのはよほど自分に自信がある奴か、ただの馬鹿かのどちらかでしかない。

 笑われるのは当然だし、無理だと頭ごなしに否定されるのも仕方のないことだろう。

 だが、それを俺の前で言うのは見当違いだ。

 

「面白いこと、ね。――その『面白いこと』を真剣に目指してる奴ならここにもいるぜ」

「は?」

 

 よほど予想外だったのか、面白い顔をして硬直するジャンを置いて皿を片付けに席を立つ。

 歩きながら思い出すのは、先程語っていた黒髪の少年の瞳だった。

 

 虚勢かどうかは現時点では判別できない。大言に見合った実力があるのかは未だ未知数。

 しかし――

 

「俺以外にも、いたんだな」

 

 あの地獄を経験して尚調査兵団を目指すような大馬鹿野郎。せっかく拾った命を無駄に捨てに行こうとする命知らず。

 世間一般から見れば俺達の評価はそんなものだ。どこへ行ってもそんな話ばかり聞くから、下手をすれば今期の調査兵団志願者は俺だけかと思いもした。

 

 ――いずれにせよ、今後の楽しみが一つ増えたな。

 

 知らぬ間に笑みを浮かべたまま、皿を片付けた俺は食堂を後にした。

 

 

 

 

 

 ――流石に、これは予想外だったな。

 

 眼前の光景を目にして開いた口が塞がらなかった。

 

 翌日、朝一番に集められた俺達が行ったのは立体機動装置の適性検査だ。木の柱に引っかけたロープを腰の両側のベルトに繋ぎ、バランスを取るというもの。

 適性を見るためのものというだけあってそう難しい検査じゃない。事実俺を含め、ほとんどの奴が程度の差こそあれどクリアすることができていた。

 

 目の前にあるのは、それほどに珍しい失敗例だ。

 

 検査が始まった瞬間、そいつの頭がロープに繋がれた両腰のベルトを基点としてぐるりと百八十度回転した。本人も何が起きたのかわかっていないのだろう、釣り上げられた魚のように呆然としている。青ざめたその表情は、恐らく現在進行形で怒鳴っているキース教官の声も耳に入っていないに違いない。

 

「何をやってる、エレン・イェーガー! 上体を起こせ!」

 

 無理だろう、と内心で突っ込む。あの状態から上体を持ち上げたところで、振り子の要領で重力に引かれて元通りになるのがオチだ。どう足掻いたってクリアできまい。

 

「たいしたもんだな、お仲間は」

 

 小声でジャンが話しかけてくる。笑みを貼り付けたその表情は昨夜より二割増しで悪意が濃い。

 その理由も推察のついた俺は淡々と言ってやった。

 

「男の僻みは見苦しいぞ」

「やかましい!」

 

 図星なのだろう、間髪入れずにジャンが噛みついてきた。

 

 昨夜俺と別れてすぐに、ジャンはたまたま通りがかった美人に一目惚れしたらしい。即座に声をかけるも歯牙にもかけられず、しまいにはジャンと一悶着あった黒髪の少年――エレンと傍目から見ても親密であるという駄目押し。その結果がこれである。

 

「まさかアレだけ袖にされといてまだ勝てると思ってるのか?」

「心底驚いたような顔でこっち見んな! ――はっ、まぁ見てな。奴はもう終わりだ。アレができんようじゃ話にならねえよ」

 

 俺にもまだ勝ち目はあるね、そう嘯くジャンを放置して、未だ釣り下がっている昨日の黒髪の少年を――エレンを見た。

 訓練兵団が巨人を倒す術を学ぶための場所であり、ただ一つ確立されている技術が立体機動装置しかない以上、それを扱う素質がなければここにいる意味はない。キース教官が口にした通り、開拓地に戻されることになるだろう。

 

 耳を傾ければ、ジャンと同じく、エレンの醜態を失笑している奴もいる。昨夜のエレンの啖呵を聞いていた奴らだろう。

 何せ巨人を駆逐するとあれだけ嘯いておきながら、そもそもの適性を疑われ、兵士になるどころか今まさに開拓地に戻されるか否かの瀬戸際だ。身体を張ったギャグかと言われても否定はできまい。

 

 こんなものか、と。思わず零した呟きは問いにも似ていた。

 

 

 

 

 

「コツだって? 悪いけど俺天才だから。感じろとしか言えないね」

「俺は逆に教えてほしいね。あんな無様な姿晒しておいて正気を保っていられる秘訣をよ」

「鬼かお前ら」

 

 見下しきった目をして吐き捨てる二人に、頭を下げたエレンが涙目になっていた。

 姿勢制御のコツを聞きに来たらしいが、前者のコニーはともかく後者のジャンはタイミングが悪かったな。ましてジャンの事情はエレンには当然伝わってないことだろうし、エレンにとっては何が何だかさっぱりだろう。

 

「お、お前ら人がせっかく頭下げて頼んでるのに……!」

「ま、まあまあ落ち着いて。ジョシュアはどう? ジョシュアも確か姿勢制御上手かったよね?」

「突っ込んどいて何だが、こっちにも教えられるようなコツなんてねえよ。コニーと同じ意見ってのが気にくわねえが、考えるな感じろ、としか言えん」

「そっか……やっぱりそうだよね」

「なぁ、今なんで俺の名前が出たんだ?」

「褒めたんだよ」

「何だそういうことかよ、よせよ照れるぜ」

「えっ、どうしてコニーが喜んでるの?」

 

 マジ顔で驚愕したアルミンが答えを求めるようにこちらを向いたので無言で首を横に振った。時には黙って流してやることも優しさである。

 

「それよりお前! 入団式の時に教官に呼び出し食らった奴じゃねえか!」

 

 俺の顔を見て思い出したのか、コニーが俺を指差していきなり叫び声を上げるものだから、その場にいる何割かの視線がこちらに集中したのを感じた。

 

「そうだが、それがどうした?」

「本当なのか? 巨人を立体機動も使わずに殺したことがあるって」

「はぁ!?」

 

 エレンの叫びとともに、ざわり、と周囲の空気がざわめいた。

 

「何だそりゃ、んなことできるわけねえだろうが」

「本当なんだって! 教官から聞いたんだぞ?」

「教官から……? そんな馬鹿な」

 

 信じられない、とアルミンも目を見開いて驚愕を露わにしている。

 だが、俺達だけの噂ならともかく、教官が発信源ともなると信憑性は高くなる。そのせいもあって、周囲の奴らがこちらを見る目にも熱がこもっているように感じた。

 

「で、どうなんだジョシュア。馬鹿が馬鹿なこと言ってるが、本当なのか?」

 

 ありえない、と考えているのか、冷めた目で口の端を釣り上げているジャンは平常運転だ。

 その場の視線が一斉にこちらに集中している感覚がある。よほど噂は広まっていたのか、俺の一挙手一投足を見逃すまいとじっと目をこらしている奴もいる。

 

 ――教官は何を考えてるんだ?

 

 無表情を装いながら思考を巡らす。どう考えても何らかの騒動の種にしかならない――というか現在進行形で騒動になっている――ような話を、どうして軽々しく噂として吹聴したのか。

 偶然コニーが聞いてしまった、という話ならいい。迂闊すぎるだろう、と貶しはするが、俺が否定すれば済む話だ。

 

 ――だが。たとえばもしも、噂を流すことが狙いだったとしたら?

 

 突飛な発想だ。だが教官達を信じるのであればそういう発想も可能性の一つとしてはアリだろう。

 

 ぱっと思いつくメリットは士気の向上。デメリットは集団に余計な混乱を生むことか。

 人類は立体機動無しでは巨人に勝てない。それはすでに確立された共通認識であり、事実あの人類最強の兵士と称されるリヴァイ兵長でさえそれは例外じゃない。立体機動なしで巨人に挑むことは、徒手空拳で巨人を倒そうとするようなものだからだ。

 にもかかわらず、その状態で巨人を倒した者がいるのなら混乱を招くのは当然だ。だがそれ故に噂が真実なら、それは即ち『立体機動も使わずに巨人を殺した英雄』の誕生だ。同期にそんな人間が現われたとなれば士気も当然上がるだろう。そこには万年人手不足の調査兵団への入団希望者数を増やそうという思惑も絡んでいるのかもしれない。

 そこまで思考を巡らせたところで、俺は口を開いた。

 

「本当だ」

 

 しん、と空気が凍り付いた。

 

「巨人が襲ってきたあの日、俺は誰かが落としたブレードを手にして屋根の上に登った。そこでじっと息を潜め、何も知らない巨人が近寄ってきたところで奴の背中に飛びかかってうなじを削り取ってやった」

 

 あまりに信じられない話を聞いたせいか、誰もが息をすることさえ忘れたかのように声を殺して俺を見ている。

 いや、一人例外がいた。そいつはいつもの冷めた目で呆れたようにため息を吐きながら、

 

「おい、その与太話はまだ続くのか?」

「お前そうやってネタにマジ返しするの止めろよ。ここから第二、第三の俺の物語が始まるところだったって言うのに」

「そのネタにマジで反応してる奴らがいたから止めてやったんじゃねえか」

「ま、ぶっちゃけ俺も引き際掴みかねてたから助かったけどさ」

 

 ジャンに軽薄な感じに笑みを作って返せば、それで終了。

 

「冗、談?」

「何だ、本気にしてたのか?」

「いや、そういうわけじゃねえ、けど」

 

 恐る恐る尋ねてきたコニーにさも当然のように返せば、まさかすっかり信じ込んでいたとは言い難いのだろう、頬をかいて言葉を濁した。

 

「はぁっ……何だよ、冗談かよ」

「なら、教官達の噂は?」

「所詮噂は噂ってことだろう。あの時のことはよく覚えてないが、どうやら俺は巨人の死体の傍で気を失ってたところを発見されたらしいからな。その噂に尾ひれがついてそんな話になったんじゃねえか?」

「ああ、なるほど」

 

 アルミンもそれで納得がいったらしい。頷きを返して笑みを浮かべた。

 

 ――ま、こんなもんだろう。

 

 上手く話を誘導できたことに内心ほくそ笑む。

 

 教官が何を考えて噂を流したのか、もしくは本当に偶然の産物なのか。気になると言えば気になるが、どちらにせよ推測でしかない話だ。教官から直に指示が下ったのならともかく、そうでないなら捨て置いて良い可能性だろう。

 

 そもそも大前提として、俺は《ソフト&ウェット》の力を誰にも話すつもりはない。

 自分にしか見えない力なんて、話したところで妄想癖のある痛々しい奴と思われるだけだろう。実際に《能力》を使ってやれば信じるだろうが、かといって信じられても困る。

 

 ――誰が敵かもわからないし、な。

 

 身内だけならともかく、どこにどういう風に伝わっていくかわからない現状では俺の《スタンド》のことを教えるのは得策じゃない。現在の俺は《スタンド》以外何の力も持たない子供で、その《スタンド》の力も絶対的なものとは言えない。

 どんな危険が降りかかってくるかわからない今だからこそ、伝える情報には最大限の注意を払わなければならない。俺はそう考えていた。

 

 噂の話を聞いた時には焦ったが、所詮事実無根の噂だ。適当にそれっぽく、若干の真実を交えて話せばこの通り。この場にジャンがいたのも追い風だった。

 

 ――ジャンには感謝しないとな。

 

 黒い笑みを浮かべれば、ジャンが悪寒を感じたようにぶるりと身体を震わせた。

 

 

 

 




 マルコの霊圧が……消えた……?



 予想以上に長くなったんで一度切ります。
 ジャンの登場割合が多めなのはぶっちゃけ作者も予想外。
 でも動かしやすいので多分これからもこんな感じです。

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