進撃の巨人 ―立ち向かう者―   作:遠野雪人

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 久々の一万文字越えです。


第20話 トロスト区防衛戦⑦ ―その刃は誰がために―

 

 

 

 

 

「……おい、ジョシュア」

 

 ひそりと、ジャンがジョシュアに話しかけた。

 

「何だジャン。ここまで来て怖じ気づいたか?」

「違ぇよ。……わかってんだろてめえ。そろそろこのメンツを選んだ理由を教えろや」

 

 浅く眉を立てた表情で言う。苛立ちを多分に、焦りと居心地の悪さを少量含んだ声にジョシュアは素知らぬ顔で言葉を返す。

 

「あの場で選びうる限り最善のメンツを集めたと自負しているんだが、何か問題が?」

「大アリだ馬鹿野郎。どうしたらあの空気の中でこのメンツにしようと思えるんだよ」

「散々言ったが、空気を読んで自重できるほどの余裕はないだろう。人外筆頭のミカサはあの様で、ライナーとベルさんはどちらも不在。そして俺が持ってこれたガスボンベは二人分。……むしろこれ以外に選択肢はなかった。そうだろう?」

「だからってなあ……」

 

 ちらりと、後方、二人とは距離を置いてついてくる小柄な影に視線を送る。

 

「……何?」

 

 その不躾な視線が気に障ったのか、同期一の鉄壁の女――アニ・レオンハートの絶対零度の視線が刃のように突き刺さる。

 下手に爆弾を弄ぶこともない、と見切りをつけたジャンはひらひらと手を振って何でもないとアピールした。きりきりと胃にくる視線の暴力はそれでひとまずの収まりを見せたが、だからといってこの状況で落ち着けるかと言えばそれは否だ。

 かつかつと、蝋燭の明かりが薄く照らし出す階段を三人分の足音が降りていく。下へ降りていくたびに次第に増していくかび臭いにおいと――膨れ上がっていく巨人の気配に鬱屈とする。

 

 ジョシュアとジャン、そしてアニ。補給所にいる巨人を排除するためにこの場に集ったのはたったの三人で、それが全てだ。

 正気を疑うのも無理はない。事実この場にいるジャンを筆頭として作戦を聞いていた面々のほとんどが異を唱えた。しかし残量がほぼ満タンに近い状態のガスボンベは思いの外頼もしく、中でも成績優秀とされた三人がそれを換装する様に次第に同期達の声は尻すぼみになっていった。

 何より――ミカサに勝るとも劣らない力を持ち、尚且つ鎧の巨人と激突して生き延びたジョシュアが決然と作戦の成功を確約した。その力強さは、腹立たしいことだが確かにあの場にいる全員を納得させられるだけの魅力を持っていたのだろう。

 

「しかしよ、確かに俺達104期生の中で言えばてめえのその理屈もわからんでもないが、駐屯兵の中から選ぼうとは思わなかったのかよ」

 

 あの場にいたのは中衛に配備されていた訓練兵達と、前衛で奮闘していた駐屯兵達がほとんどだ。前衛はほぼ総崩れと言っていい状態であったことからその人数は少ないが、立体軌道の経験は当然訓練兵よりも豊富であり、あるいはその中には五年前の戦場を生き抜いた者もいたかもしれない。

 この空気から何とかして逃れたいジャンはちりちりと視線を感じるうなじを擦りながら問いを投げた。

 

「能力も人格もわからん人間から? 馬鹿言うなよ。誰彼構わず背中を預けられるほどお人好しじゃあないぞ俺は」

「まあ、そりゃそうだろうが……なんだ、アニもそうだってのか?」

「見ず知らずの他人よりはよっぽど信用できるさ。アニはあんまりこっちのことは良く思ってないみたいだが、人格自体に問題はないし実力も確かだ。……それにミカサより扱いやすいし」

 

 流石に声は落ちていたが、その内容の無礼さにジャンは思わず背後を振り返った。幸いにしてアニは物思いに沈んでいたらしく、鋭い視線がカウンターで突き刺さるのみであったが、もし耳に入っていればこの程度では済まなかっただろう。

 顔をしかめたジャンが苦言を呈した。

 

「預けた背中から襲いかかられても知らねえぞ俺は」

「そこまで怨み買うような真似はしてないはずだが。まあ、その時はその時だろ」

 

 冗談めかした様子でジョシュアが肩をすくめる。

 喧嘩を売るようなことを平気でのたまった人間の言葉とは思えないほどの自信に満ちた発言ではあったが、勿論ジャンとてアニがそのようなトチ狂った真似をするとは思っていない。……されても仕方がない、とは思っているが。

 

「にしても、ミカサより扱いやすい、はねえだろ。どう考えてもあいつのが態度きっついじゃねえか」

「あいつはエレン至上主義だからな。そりゃあ理屈が通らない相手よりは理屈が通る相手を選ぶさ」

「……エレン、か」

 

 俄に空気が重みを増す。

 後衛から、未だに撤退を開始しない訓練兵達の様子を探りに来たミカサではなく、単純な成績の差で言えばジャンにも勝るエレンさえもがこの場にいない理由。

 

 ――エレン・イェーガー。そしてその班員三名が戦死した。

 

 あまり褒められた言い方ではないが、戦死などこの状況下においては特段珍しくもない。ジョシュアの班員も二名が戦死していることが確認されており、それ以外にも多くの死者があちこちで出ていることだろう。巨人の進行を食い止めるために奮戦していた前衛からはそれこそ三桁近い死者が出ているはずだ。

 だが、こと104期生という集団の中においてはその影響力は計り知れない。

 エレンの幼馴染みであるミカサとアルミンの沈みようは酷いものだった。ミカサがエレンを何よりも重視していることは同期であれば誰もが知るところだし、アルミンは幼馴染みが巨人の口に呑まれていくところを――それもアルミンを助けたがために――目の前で目撃したらしい。ミーナがアルミンを助け起こしてここまで運んでいなければ最悪の結末もありえたことだろう。

 二人がこの状況下で妙な行動をするとは思えないが、しないとも言い切れない。この人員選抜にジャンは不満こそ漏らしているものの、ジョシュアの選択は英断だったと思っているのだ。それこそ行動理念の根底にエレンを置いているようなミカサを選んでしまえば、エレンの後追いをしかねない危うさがあった。

 

 104期生最大戦力であるミカサと、最優の頭脳であるアルミンには頼れない。ミカサを除けば104期生では最も成績優秀なライナーもどういうわけか不在であり、もはやジャン達には、ジョシュアの策に乗ることしか選択肢がなかったのだ。

 

「で、これから私達はどうすればいいんだい? まさか何の作戦もなしにここに来たわけじゃあないだろう?」

 

 常日頃から喧嘩の絶えなかったジャンは勿論、志を同じくしたジョシュアとて表面上は何でもないように見えてもきっと心中穏やかというわけではないだろう。エレンの戦死を聞いた時には、動揺という言葉とはほとんど無縁そうに見えるジョシュアがわずかな時間ではあったが呆けたような顔を晒していたほどだ。あのような顔を見たのは紛れもなくこれが初めてだった。

 それを思えば、アニも大小はあれど何かしら感じていても良いはずではあるのだが……問いかける視線の鋭さは衰えを知らず、ジャンの胃はしくしくと泣き始める。

 

「作戦、か。作戦と呼べるものかは微妙なところだが、考えならある」

「……なんだいその反応は。まさか本当に作戦も考えずにここまで来たって?」

 

 憤怒の色が声音に滲むのを悟り、ジャンはいよいよ軋む空気に顔を歪め始めたが、とは言ってもな、とブレードを掲げるジョシュアは悪びれもせずにこう言った。

 

「実際、立体機動装置が使えるだけで随分ハードルは下がったと思うぜ? 俺一人ならそれでも苦労したろうが、三人だ。まして俺達三人なら尚更問題はないと思うが」

「そういうことを聞いてるんじゃないよ。もし本当に何の作戦もないって言うなら私は今からでも帰らせてもらう」

「ジョシュア。てめえのことだ、どうせろくでもない考えの一つや二つあるんだろうが……だったら変にもったいぶるんじゃねえ。俺達はお前ほど気の長い方じゃあねえんだよ」

 

 足を止めた二人を振り返り、ジョシュアは困ったように頭を掻く。何故そんな反応をされるのかわからない、といった風情だが、ジャンからしてみればどうしてジョシュアがそこまで自信を持てるのかがわからない。立体機動装置が使えるとはいえ、室内を徘徊する七体もの巨人をたったの三人で討伐するのは決して簡単なことではないはずだ。

 

「もったいぶったつもりはないんだが、お前らがそう思うんならそうなんだろうな。向こうに着いてから話すのも何だし、そろそろ俺の考えを話そうか」

 

 

 

 

 

 燭台の明かりだけがぼんやりと浮かび上がる薄闇を、うろうろと当て所なく巨人が歩き回っている。その数は七体と、事前の情報に変わりはない。出入り口は一つであることからこれ以上増えることもなく――故に作戦は決行される。

 

 ――ああくそったれ、冗談じゃねえぞまったく……!

 

 梁の上に身を潜めながらジャンが愚痴を吐き捨てる。あまりの不安と緊張に目の前にある梁を思い切り殴りつけたい衝動に駆られるも、当然そんなことをすれば気付かれてしまう。細く長く深呼吸をして誤魔化そうとするが、別の生き物のように跳ね回る心臓は如何ともしがたい。見下ろす先にいる巨人のぎょろりと不気味に見開かれた目に、分厚い歯を並べる巨大な口に、丸太のように太い手足に……じっとりと嫌な汗が噴き出してくる。

 無理もない。すでにして十体も殺しているどこぞの馬鹿と違い、ジャンの討伐数はたったの一体だ。それも班員全員で協力して、尚且つはぐれの巨人の不意を打って殺したに過ぎない。奇襲という意味では今回も似たようなものだが、あの時とは個人にかかる負担が違う。一人がミスをしても他の人員でカバーできるほど余裕のあった以前とは違い、今回は一つのミスがそのまま自身の死に直結する。そんな状況下で、落ち着けという方が土台無理な話だ。

 

 ――本当に、大丈夫なんだろうな……ッ。

 

 同じく梁の上に身を潜めるジョシュアに視線をやりながら思う。

 ああ、ジョシュアの言う作戦は確かに――確かに、考えもしなかったものだった。

 考えを聞いた上で良く見渡してみても、成程、ジョシュアの言葉に間違いはない。ならばきっと、あの馬鹿はやり遂げるのだろう。ジャンが失敗しても、アニが失敗しても――まるで関係ないとばかりに、涼しい顔で斬殺するのだろう。

 それがどう、ということはない。別にジョシュアが全て片付けてしまえるならそれでもいい。むしろリスクを背負うことなくこの状況を打破できるのであれば、ジャン自身のプライドなど安いものだ。

 

 ――ああ、糞食らえだそんなもんッ!

 

 プライドなんて高尚なものも、ジョシュアに全て丸投げしようなんて腐抜けた考えも。

 これだけお膳立てされておいて、これだけ勝利条件が揃っていて――手を抜こうなんて考えはただの阿呆だ。そんな余裕を持てる奴は一秒だって生き残れはしない。

 勝てる状況だからこそ――必死に。全力で生にしがみつく。格好などつける必要はない。どんなにみっともなくとも生き残れば勝ちだ。

 

 息を殺して機を窺っていたその時、音もなく梁を蹴ってジョシュアが飛び降りた。作戦決行の合図は、一閃。振るわれた二振りの刃が鮮やかに一体目の巨人を仕留めたのを皮切りとした。

 その場にいた巨人の視線が、突如として現われた暗殺者に一斉に向く。

 全員の意識が集中する瞬間。あまりにも致命的な隙を晒したそのタイミング。

 震える手を握りしめ――今、新たに二人の暗殺者が飛び降りる。急速に接近する無防備なうなじに二本の牙が突き立てられ、吸い込まれたかと錯覚するほどにあっけなく二体の巨人がまた後を追った。

 

 ――やった……!

 

 ガスを噴かして落下の衝撃を緩和し、着地すると同時に周囲を素早く確認する。巨人達は新たに現われた二人に注意を引かれ、完全に体勢を崩されている。ジョシュアと、後から現われたジャンとアニ。挟み撃ちの格好となり、注意を分散されたのか、それぞれがてんでバラバラの方向を向いている。

 その動きは先程まで対峙していた巨人と同一とは思えないほどに、こんな奴らに苦戦させられていたのかと思うほどに――酷く、遅い。

 

 

 

 

 

「――いいか? お前らはしきりに作戦作戦と言うが、あの場所なら別にたいそうな作戦なんてものは必要ないんだよ」

「必要ない? そんなわけあるか。俺達は経験も積んでないただの訓練兵だぞ。ミカサじゃあるまいし、七体もの巨人を相手に三人で立ち回れるほどの実力は持ち合わせちゃいねえよ」

 

 いかれてんのかコイツは、と眼を剥くジャン。

 104期生の中でも群を抜いて優秀である自覚はあるとはいえ、経験の少なさはどうしようもない。まして一体二体ならともかく、七体、それも屋内戦だ。せめて最低限の方針なり決めておかなければ、狭い室内のこと、互いのアンカーが阻害しあって共倒れになることも考えられる。

 それを思えばジョシュアの発言は驚愕の一言では片付けられないほど常識外れなものだったが、いいや、とジョシュアは力強く首を振った。

 

「あの場所に限っては、その心配は全くもって杞憂だ。……なあ、ジャン。お前、巨人がどういう性質なのか覚えているか?」

「性質? 何でまた」

 

 訝しがるも、催促を繰り返すジョシュアに押され、渋々とジャンは記憶にある巨人の知識を引っ張り出す。

 頭を吹き飛ばされても、唯一弱点であるうなじを削り取られなければすぐに再生してしまう驚異的な生命力。その肉体構造は人間とは大きく異なり、体温は高温、死ねば高温の蒸気とともに消滅するなど未だ未知なる部分が多い。

 何より謎なのが、他の生物には一切の関心を示さないこと。襲うのも人間のみであり、傾向としてより多くの人間が集まっている場所に集まる。補給所が狙われたのも恐らくはこのためだろう。そのことを思い出すと我が身かわいさに抗戦をすることなく籠城を選んだ防衛班に対する怒りがふつふつと湧き出してくるが、すでにキツいお仕置きをくれてやったので良しとする。……最も、連中にとっては物理手段に訴えたジャンのそれよりジョシュアからの一言の方がよほど心に響いたようだが。連中の下を去る直前、ちらりと窺った顔色はどれもここへ来た時よりも蒼白に彩られていた。本当に、この手の心を折る手管についてはあいつには及ばないなと嫌な意味で感心してしまった。

 

 話が逸れた。ようは巨人には弱点らしい弱点というものがうなじくらいしかなく、そのうなじにしても少しでも狙いを逸れてしまえばすぐに再生してしまう、極めて高い生命力を持った難敵だということだ。

 しかしジョシュアの口ぶりでは、そんな奴らにも付け入ることのできる隙があるらしい。そんな都合の良い性質が果たしてあっただろうか。

 

「おっと、忘れてた。そういやお前、補給所に入ったことはあるか?」

「あん? まあ、実地研修に来たときに一度だけだが」

「そうか。なら尚更わかるはずなんだがな」

「ああ? 尚更ってお前、あんな暗くてかび臭いだけの部屋に一体何が――」

 

 ふと、言葉を止めた。自身の言葉に、口にして何か引っかかるものを感じたせいだ。

 まさか、と思いジョシュアを見れば、我が意を得たりとばかりに頷く悪友の姿がある。

 

「――日光、か?」

「そうだ。どうしてわざわざあの部屋に入り込んだのかはわからんが、あの部屋であれば奴らを倒すのはそう難しくはない。何せあの部屋は奴らの活動に必要な日光が一切差さないんだからな」

「待てよ。確かアレには個体差があるって話だったろう。そんな一か八かに期待していくのはあまりにも思考停止が過ぎねえか?」

 

 日光を遮断した部屋、あるいは夜の間は巨人の活動が鈍くなる。その知識は確かにあったが、検証の少ない仮説であることも同時に教わったはずだ。そんな不確かな情報を頼りにしていくのは流石に承服しかねるものがあったし、腹黒いコイツにしては随分とお粗末だと感じた。

 故に問いかけは確認の意味合いの方が大きかったが、その狙いに違わずジョシュアは「勿論だ」と頷きを返した。

 

「話を聞いた時からずっと疑問に感じていたことがあった。そして実際にここへ来てみて、もしかしたら、と仮説を立てていることがある」

「何だ、その疑問ってのは」

「おかしいと思わないか? 補給所に巨人が押し寄せてきているのを見た奴の話じゃあ、補給所に入り込んだ巨人の数は七体きりなんだろう? ならどうしてそいつらは全員この部屋に留まったまま動かない? 上にはあれだけ防衛班がいたんだ。巨人の性質を考えれば、どう考えたって人のいないこの場に留まっている理由はない」

「……つまりお前は、奴らはあそこから“動かない”んじゃなく、“動けない”んだって言いてえのか? 日光を遮られた部屋に入ってしまったがために、活動が鈍って?」

 

 ジョシュアの言い分を整理しながら、悩ましげに眉をひそめるジャン。

 

「半信半疑、ってところか?」

「巨人の思考なんて読めるはずもねえからな。どうして自分が不利になるようなところへわざわざ飛び込んでいったのかってのは結局わからんままだ。お前の言うとおりかもしれねえし、あるいは何の考えもなしにたむろしているだけかもしれねえ」

「何か考えがあるかも知れない、とは言わないんだな」

「よせよ。奴らに戦術的思考があるなんて、考えるだけでうんざりする」

 

 もしそうだとしたら、人類にとっては最悪の知らせだ。ただでさえ地力が違いすぎる相手に戦術を考えられる知能まであるとなれば、恐慌が起きてもおかしくはない。

 

「まあ、そういうことだ。お前の言い分に否やはねえよ。だが全部鵜呑みにするつもりはねえ。そんな都合の良いことばかり見て、実はそんな美味い話はありませんでしたじゃあ笑えねえからな」

 

 腕組みをして斜に構えるジャンに、肩をすくめてジョシュアは応じた。

 

「お前らしいな、本当。まあとはいえ、俺だって実際に見てもいないのにそうだと決めつけるつもりはない。個体差があるって話もそうだが、全員が全員その理由で留まってるわけじゃあねえかもしれねえこともわかる。だから当然、作戦らしいものも考えてはいるさ」

「先にそれを言えよてめえ」

「今の考えが作戦の着想なんだよ。正しいかどうかはともかく、お前らにも意見を求めるべきだろう」

「強引に連れ込んどいて意見も何もねえだろうに……そういや、アニはどうなんだ」

 

 一切口を開くことのなかったアニに水を向ける。

 アニはじっとジョシュアを見ていた。そこに感情はなく、まるで何かを探るかのよう。それが何かはわからないが、何故か一瞬即発の空気を感じてジャンは知らず身構える。

 ひりひりとする長い沈黙を経て、アニはこう言った。

 

「……作戦次第だね」

 

 

 

 

 

 最初の奇襲で、日光が遮断されたことによる影響を受けていない三体を倒した。残りは一体きりだが――その一体もすぐに後を追うことになるだろう。

 奇襲の波状攻撃により巨人達の注意は分散された。それはつまり、目の前の相手への注意を疎かにしたということ。手負いの猛獣を前によそ見をするような真似をすれば、その結末は火を見るよりも明らかだ。

 

「こっちを見ろ、うすのろ」

 

 地を這うような低い声。隠しようのない怨嗟が混じる声に、味方と知りながら凍り付くような寒気がした。

 経験の少ないこちらへのフォロー。そうだとわかっていても、溢れ出る殺意の中を気にすることなく動き回れるかといえばそれは否だ。

 幸いにして、声のせいなのかそれとも殺意のせいなのか、巨人の注意は余すところなくジョシュアへと惹きつけられた。巨人も理解したのだろうか。今自身達にとって最も危険な存在が、一体誰であるのかを。

 

 バネをたわめるように姿勢を低くしたジョシュアからアンカーが射出される。二つのアンカーは、吸い込まれるように巨人の両肩に突き立てられる。

 

 ――何やってんだ、あの馬鹿!?

 

 まさか、とその先を推測するより先に結果が現われた。ガスを噴射したジョシュアが弾かれたような勢いで地面から吹き飛ぶ。

 立体機動装置の性質上、空中で急に機動を変えることなどできるはずもない。当然その身体は吸い込まれるように巨人の顔面に激突し――しかし直後に響いたのは肉が激突する鈍い音でも巨人の口に飛び込む粘着質な音でもなく、肉を裂くような湿った音。

 

 ――目を……!

 

 おおお、と絶叫を上げて巨人が仰け反る。その目からは夥しい量の血が噴き出しており、眼球があったのだろうそこは目を覆いたくなるほどの惨状を晒している。

 

「首を曲げるな、狙いがつけにくい」

 

 反面、ブレードについた血を払うジョシュアは巨人の苦痛などどこ吹く風とばかりに涼しい顔だ。刃を抜いて落下していく身体を立体機動を行使して回り込み、うなじを刈り取る様には一切の迷いがない。

 

 味方ではあるが、ぞっとする。あの動きはとても訓練兵の動きとは思えない。ベテランの兵士にだってあんな動きはできないだろう。ジョシュアの頭の中ではそれはきっと合理的な動きなのだろうが、巨人の顔面に向けて飛ぶなんてどう考えても正気の沙汰ではない。望んで自分の命を危険に晒しているようなものだ。ワイヤーを阻害されてしまえば、吹き飛ぶ先で手や口を広げて待ち構えられてしまえば――たちまちのうちに不利な状況に追い詰められてしまうことは想像に難くない。

 

 にも関わらず、それを実行する勇気――否。それは勇気などと生温いものではない。

 死を恐れぬ――死を厭わないほどの強い覚悟。躊躇なく命をベットできるその精神の前に、意志を持たない巨人如きが抗えるはずもない。

 七体もの巨人は、ただ一人の怪物の前に瞬く間に殲滅された。

 

 

 

 

 

「終わった……か?」

 

 七体の巨人が全員地に倒れ伏し、全身から蒸気を立ち上らせる光景にジャンが呟く。おそるおそる、といった様子なのは一度張り巡らせた緊張感の名残だろう。

 

「みたいだな。お疲れさん」

「――ッぶっは! ああ、終わったぞ畜生め!」

 

 ジョシュアの肯定の返事を聞くや否や、張り詰めていた身体中の力を一気に抜いて地面に身を投げ出した。大きく深呼吸をすると巨人の生臭い蒸気の臭いが微かに鼻を抜けるも、それさえも今は気にならない。

 

「怪我はないか?」

「ほとんどお前がやったのに怪我も何もねえよ。ったく、今ほどてめえが味方で良かったと思ったことはねえな」

 

 七体の巨人を三人で倒したわけだが、そのうちの四体はジョシュアによって倒されている。作戦が功を奏したのは確かだが、それを差し引いてもジョシュアの技量は凄まじいものだった。同期一と目されるミカサに全く見劣りしないどころか、戦闘中の冷たい殺意を思い返せば、事によるとその執念はミカサにも勝るのではないかと思わずにはいられない。

 

「これもお前に言わせれば、万事作戦通りって奴か?」

「まあな。だがそれもお前らの協力あってこそだ。信頼はしていたが、あれだけ見事に陣形を崩せたのは紛れもなくお前らのおかげだよ」

「お前からそんだけ衒いのない言葉が聞けるなんてな。明日は槍でも降るか?」

「……忘れてた。そういや、ここにいる連中はどいつもこいつも人の言葉を素直に受け取れない奴らばかりだったな」

 

 とても複雑そうな顔をしてため息をつくジョシュアに、日頃の行いだろ、と口の端を釣り上げて笑うジャン。

 と茶化しはしたものの、確かに珍しいことではあった。

 

 本質的には、ジョシュアは人に頼ることを良しとしない人間だ。巨人に支配されたこの世界で巨人を滅ぼすなんて大言壮語を吐くくらいだ、そうでもなければそんなことを口にする資格はないのだろうが……だからこそ、ジョシュアがそれを口にすることはあまりにも珍しい。

 

 ――放っておけば一人で突っ走っていきそうなこいつの口から、『信頼』なんて言葉を聞くとはな。

 

 それは成長なのか。それとも、狂犬から牙が抜け落ちたと言うのか。

 柄にもなくセンチメンタルな気分に浸っていた自分に気付き、顔をしかめてそれを振り払う。やめだやめ、と上半身を起こしながら、この場でただ一人会話に混じろうとしないアニに問いを投げる。

 

「んで、お前はどうなんだ?」

 

 怪我はないか。そう尋ねたつもりだが、アニはジャンを見向きもしない。どころか、その視線はジョシュアに固定されたまま身じろぎもしない。

 どころか――歓喜に浸っていたジャンはついぞ気付くことはなかったが――アニは最初から、戦闘が終わってからも、戦闘をしている時も、ジョシュア一人を見ていた。

 恋、などと浮ついた感情ではない。好奇、とは似ているようで決定的に違う。

 

「どうしたよアニ。俺の顔に何かついてるか?」

 

 微かに探るような視線を乗せてジョシュアが言う。視線を向けたまま一言も喋ろうとしないアニに、ついにしびれを切らした様子だ。

 ジョシュアの問いに、アニはぽつりとこう言った。

 

「あんたはまるで、餓えた犬のようだ」

「あん?」

「目の前に餌を釣られれば、それが罠であろうと飛び込んで牙を立てる。次から次へと、際限なく、その腹が満たされるまで。……あんたのその執念は、本当に憎悪から来てるのかな」

 

 アニの言葉に、ジョシュアは怒りを露わにするでもなく肩をすくめた。それはアニの表情や声音に、悪意が含まれていないことが大きいのだろう。

 

「よくわからんな。作戦に不満でもあったのか?」

「いいや、不満なんてない。どころか見事な作戦だった。その後のあんたの動きも含めてね。流石は普段からあれだけ大口を叩いている人間だと感心したよ。……だから思うのさ。あんたのその恐ろしいまでの殺意は、本当に巨人にしか向けられないのかってね」

 

 ジャンの脳裏に、不意にジョシュアと腹を割って話し合ったあの日のことが蘇った。

 覚悟はとうの昔に決めている。そう告げた時の、ジョシュアの目。暗く澱んだその色に、ジャンは頼もしさを感じるより先に恐怖を感じた。

 

「何が言いたいんだ?」

「もし――仮にもし、今見えているものが真実ではないとしたら。巨人達に事情があったとしたなら。巨人達が誰かの意志の下で動いているとしたなら。その誰かがあんたの親しい人だったなら……あんたはそれにさえも牙を向けられるのかな」

 

 淡々と語るアニの静かな声に、ジャンは思わず息を呑んだ。

 アニの語るそれはどれも荒唐無稽な世迷い言に過ぎない。思考能力を持たない巨人に何かしらの事情があるなんて信じられるはずもないし、誰かの意志の下で動いているなんて到底ありえないことだ。

 

 そんなことをして一体誰に何の得がある? 何の理由があってここまで人類を追い込む必要がある?

 

 考えるだけ無駄な戯言。そう切り捨てるべきことなのに、にもかかわらずアニの言葉を笑えないのは……常であれば皮肉げな笑みを浮かべているだろうアニの表情が、まるで仮面を剥いだかのように真剣そのものだったから。

 

「面白いな。まるで何か知っているような口ぶりじゃあないか」

 

 言葉通り、本当に面白い冗談を聞いたとばかりにジョシュアは笑った。その笑みにひやりとした悪寒が背筋を伝う。

 常と変わらぬ人を食ったような笑み。しかし三年間ジョシュアとともに過ごしたジャンにはすぐにわかった。

 

 笑みは本来攻撃的なものであるという。――アレは、本気でキレかけている時の目だ。

 

「……仮定の話さ。何せわからないことばかりなんだ。にもかかわらずあれだけ苛烈な殺意をまざまざと見せつけられれば、ね」

「興味本位にしちゃあ、随分とお喋りじゃないか。なんだ、心当たりでもあんのか? そうなら是非教えてほしいもんだ」

 

 言葉の端々に憤怒が滲んでいる。腹の底の激情が到底隠し切れていない。

 ここでアニがその挑発に乗れば血を見ることさえありえただろうが、幸いにしてアニはそれ以上語るつもりはないらしく口を噤んだ。

 失敗した、と思っているのだろうか。無言になったアニを見てジョシュアが大きく深呼吸を繰り返した。

 

「どちらにせよ、関係ないな。事情があるかないかなんて、俺にとっては心底どうでもいいことだ」

 

 気分を落ち着けてから呟かれたその声は静かに――しかしむしろ、そのせいでよりいっそう冷えた殺意が寒風のように足下を這う。

 

 ――牙が抜け落ちたなどと、この男に限ってはまかり間違ってもありえないことだった。

 

 目の前の男はすでに完成されている。変わったように見えたのはただ、その刃の隠し方が上手くなっただけに過ぎない。

 ひとたび鞘から抜き放たれれば、その刃は躊躇いもなく――

 

「ただ、《奪い》尽くすだけだ。……たとえ誰が立ちはだかることになろうとも」

 

 底なしの渦のような目で、ジョシュアは笑った。

 

 

 

 

 

 

 




 独自設定盛り盛りです。
 場所の設定はアニメ見て発想を膨らませました。正直、巨人の性質考えると人が一人もいないあそこにいつまでもたむろしている理由はこれくらいしか考えつかないのです。
 加えて立体機動装置もあるなら、まあ、これくらいの無双は当然かと。

 初めて目の当たりにしたジョシュアの苛烈さにアニも驚きを隠せない模様。
 地雷に足をかけたことにも気付かないあたり内心の焦りっぷりが窺えますね。

 比喩表現って難しい。
 色々と試してはいますが、よりよい表現目指して頑張ります。


 ……さて、フラグを重ねに重ねた主人公の命運や如何に(

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