「おお、やってるな」
青空の下、窪地に作られた訓練場に男の怒鳴り声が響いている。整列し、両手を腰に当てた姿勢を取る訓練兵達の間を歩いて行くのは禿頭の教官、キースだ。
ただでさえ賊も真っ青な強面をしているキースが誰彼構わず「貴様は何者だ!」と怒声を張り上げていることもあり、訓練兵達は皆一様に緊張した表情をしている。入団式からこのような目に遭うとは思ってもみなかったのだろう、中には今にも泣き出しそうな表情を浮かべているものさえいた。
「お前も訓練兵の時は初っ端からあれだったろう」
「懐かしいです。……あの恫喝には何の意味が?」
「通過儀礼だ。それまでの自分を否定してまっさらな状態から兵士に適した人材を育てる。そのために必要な過程だ」
その目的を考えれば、キースほどこの場において適した人材は他にいない。最も、本人はそのことを少しばかり気にしているようだが。
「中には何も言われていない子もいるようですが、あれは?」
「すでに通過儀礼を終えた者には必要ない。恐らく二年前の地獄を見てきた者達だ。面構えが違う」
二年前。それはウォールマリア南端の町、シガンシナ区が巨人によって陥落した時のことを指す。超大型巨人による壁面破壊を皮切りとした襲撃は一晩でウォールマリアを巨人が支配する町に変えてしまい、あれから二年が経った今でも人類はウォールマリア奪還を果たすことができずにいる。
会話をする二人は実際にその場にいたわけではないが、その凄惨な状況は知らぬ者がいないほどに広まっている。その地獄を経験した者達であれば、あの表情も納得というものだ。
「成程。そう考えれば、不謹慎ですが今年は期待できそうですね」
「そうだな。ウォールマリアが陥落するまで、調査兵団を除けば我々はほとんど巨人を見たことがない。実際に巨人に襲われる恐怖を知り、それでも尚兵士となるために志願したのであれば彼らはきっと優秀な兵士になるだろう」
「ですね。……ああ、そういえば」
教官の一人はそこで言葉を途切れさせると、声を潜めるようにもう一人の教官に近づいた。
「本当なんですかね? あの噂」
「何がだ?」
「聞いたことないんですか? 今期の訓練生の中に、あのウォールマリアの地獄の中で巨人を仕留めた者がいるって話ですよ」
「以上で第104期訓練兵団の入団式を終了する。以降は各教官の指示に従い速やかに行動しろ! それさえもできんような役立たずはすぐに私が開拓地に叩き返してやる!」
緊迫した空気に満ちた入団式が終わった。喉を痛めそうなほどに声を張り上げるキース教官の声とともに、周りにいた教官達がそれぞれ声をかけ始める。
「ジョシュア・ジョーンズ」
教官の指示に従い、俺を初めとした訓練兵達が動き始めたところで名を呼ばれた。
「話がある。ついてこい」
断ることができるはずもない。何故なら声をかけてきたのはついさっき訓練兵達の恐怖の象徴として刻み込まれたばかりの鬼教官、キース教官だったからだ。
そのせいか背を向けたキース教官に付き従っていく俺の背中にちくちくと視線が突き刺さっている。何かやらかしたのか、あいつ終わったな。そんな囁き声が耳に入る。
――何かやらかしたか?
自問自答してもまったく心当たりがない。先程の恫喝でも声はかけられなかったし、特に問題になるような行動をした覚えはないんだが。
自身の行動を振り返りながらついていくと、キース教官は訓練場の端に来たところで足を止めて振り返った。
「貴様は何者だ」
低く静かな声は、先程の恫喝を聞いた後ではむしろ違和感を抱いてしまうほど穏やかだ。
「ウォールマリア・シガンシナ区出身、ジョシュア・ジョーンズです」
敬礼とともにそう答える。
「貴様は何をしにここへ来た」
入団式での恫喝と同じ問いかけ。
あの時は聞かずに、今この場で聞くことに疑問はあるが、どのみち俺の答えは変わらない。
「巨人から……俺から何もかもを奪い取った奴らから、何もかもを《奪い》返すためです」
「復讐か? お前の目的は」
眉をひそめる。こちらを見下ろすキース教官の言葉は、まるでこちらの事情をすべて把握しているかのようだ。
「姉をご存じなのですか?」
「ああ……やはりか。やはりお前の姉は、あのマリアか」
そう言ってキース教官は目を伏せる。その仕草はまるで姉の死を悼んでいるようだった。
「教官は、姉の?」
「教え子だ。出来のいい生徒だったよ」
「そう、ですか」
考えてみれば当然の話だ。駐屯兵団に入団しているのであれば訓練兵団は誰もが通る道だし、姉の歳は俺の六つ上だ。当時の訓練兵団にキース教官がいたとしても何らおかしいことはない。
そして、教官のような立場にいる人間があのウォールマリアの地獄で出た犠牲者のリストに目を通していないとは考えづらい。
「お前は、見たのか」
何を、とは聞かない。
「姉は、俺を護るために戦って、そして死にました」
「……そうか」
淡泊な返答だが、それは溢れ出しそうになる感情を抑えるためでもあるのだろう。言葉以上の揺らぎをその声に感じたこともあり、怒りのような感情は湧いてこなかった。
大きな吐息を吐き出し、キース教官が再び俺に視線を据える。
「改めて問う。お前の目的は復讐か?」
姉を奪われた怨み。姉を奪った巨人を殺すためにお前はここへ来たのか。
キース教官の問いは恐らくそういうことだ。俺を見下ろす視線に感情は感じられないが、姉の教官であったキース教官は俺にどういう答えを求めているのだろう。
俺の答えは決まっている。
復讐か否か、そう問われれば、
「復讐です。俺は、俺から何もかもを奪ったあいつらに復讐をしたい」
強い口調でそう断言した。
「姉の死は俺にとってのきっかけでした。姉を奪われたことで今、俺自身が本当に奪われたくないものはこの命一つっきりになってしまった。なのにあいつらは今も我が物顔で俺が生まれた町を、俺がまだ見たこともない場所を蹂躙している。何も知らない無知な子供が畑を荒らしていくように」
言葉が教官に向けるものではないことに気がついてはいた。しかし一度吐き出し始めた感情は止められない。
「許せない。俺から何もかもを奪ってのうのうと生きている巨人も。それをどうすることもできない無力な自分も。復讐は俺の目的ではなく、生きる意味です。そのための力をつけるために俺はここにいる」
「できるのか。未だ立体機動装置さえ扱ったことのないお前が?」
「たとえ素質がなかったとしても、俺は戦うことを止めるつもりはありません」
「――良く言った。ならばその言葉が虚勢ではないことを明日からの訓練で示せ。東の教場でこれから説明がある。お前も速やかに合流しろ」
失礼します、と告げて背を向けて歩き出す。
言葉通り、言葉以上の失礼な言動だった自覚はあるが、結局そのことに対するお咎めはない。
それはキース教官の望む答えを返せたからか、それとも別の理由からか。
「最後に一つ聞いておこう」
歩き出した背に教官の声がかけられて、振り返る。
「先程の答えは、二年前のあの日の経験からか?」
瞬間、脳裏にあの日の光景が過ぎる。
姉を食った巨人が迫り、姉の形見のブレードを手にして立ち向かったあの日のことを。
そして――あの日、俺が手にした《力》の姿を。
「正直なところ、よく覚えていません。でも――」
――あいつらから確かに《奪って》やった。その感覚だけは今でもよく覚えている。
カチリ、と意識のスイッチを入れると、音もなく背後に気配が現われた。
二年前のあの日、そしてそれから幾度となく俺を助けてきてくれた圧倒的な《力》のイメージが形となって具現化する。
黄色い骨を組み合わせて作った球体関節の人形のような姿は一見華奢で頼りないイメージを与えるが、それが巨人に勝るとも劣らない力を持ち、巨人を凌駕する異常な《能力》を持っていることを俺は知っている。
突然現われた異質な存在にキース教官が反応する様子はない。それはこの二年間、様々な実験の末に得た俺の結論に反しない。
――この《力》は、他人に見えない。
初めの頃はついに狂ったか、とも思った。後に実験を続けていくうちにそれは幻覚ではなく、明確なルールによって存在している《力》のイメージだと理解した。
文献を漁ろうにも漁る文献自体が少なく、そして当然誰かに尋ねることもできないことから、俺は勝手にこの不思議な《力》を定義づけ、こう呼んでいる。
そばに現われ、立ち向かう者――『スタンド』と。
そして現われたスタンドのヴィジョンを、その異質な《能力》にちなんで――『ソフト&ウェット』と。
「どちらにせよ、止める気なんてありませんよ」
素質があったとしても、なかったとしても、戦うことを止めるつもりは毛頭ない。
この《力》は、そのために与えられた力だろうから。
頂いた感想のほとんどで答えを言い当てられていて笑うしかなかった。
まぁこれだけ強調してれば無理ないですかねー。
それにしても、二話時点でおっさんしか原作キャラが出ていない件について(←
内容としてはオリジナル会話が多めなので設定的に不安ですが、何か違和感ある描写があれば指摘していただけると嬉しいです。