進撃の巨人 ―立ち向かう者―   作:遠野雪人

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第15話 トロスト区防衛戦② ―《ソフト&ウェット》―

 

 

 

 

 

 ついに、と。待ちわびたという思いを抱いているのは、何もジョシュアばかりではない。

 

「よう、五年ぶりだな……!」

 

 壁上で二振りのブレードを抜き放ち、いつでも飛びかかれる姿勢を作りながらエレンが唸る。視線の先には人類の仇敵、超大型巨人が薄ら笑いを浮かべながらこちらと視線を合わせている。

 こうして相対していると、本当に冗談のような大きさだ。壁から飛び出た頭だけですでにエレンの身長の何倍もある。常軌を逸した巨躯から発せられる威圧感は普通の巨人のそれではなく、向き合っているだけで肌がぴりぴりと痺れるよう。

 だが――エレンの内側で煮えたぎるどす黒い感情はそれさえも凌駕してみせる。震えを殺し、恐怖を塗り潰し、憤怒の獣が雄叫びを上げる。

 一歩を踏み出してしまえばもう迷いはなかった。壁上を疾走して距離を詰めていくエレンに、黙して佇んでいた巨人がついに行動を起こす。

 

「う、お……っ!」

 

 年老いた大木を思わせる巨腕が唸りを上げて振るわれる。速度はないが、その質量と遠心力でもたらされる威力は現代におけるどの武器をも超越している。それが横薙ぎに――壁上ごとこちらを磨り潰そうとしているのだから溜まったものではない。

 

「くっ!」

 

 反撃による妨害(キャンセル)は間に合わない。溜まらずにエレンは回避のために空に身を投げようと足に力を込め、しかし突然びくりと身を跳ねさせた巨人の奇行に思わず動きを止めた。

 

「はっ?」

 

 間の抜けた声を漏らしてしまう。しかしそれもむべなるかな。

 

 ――何だ?

 

 おおお、と尾を引く絶叫が天を衝く。

 大地を揺るがす重低音は、紛れもなく眼前の超大型巨人の口から迸るものに他ならない。

 人類を絶望に叩き落とした巨人が。

 巨人の中でも隔絶した体格と膂力を持つ超大型巨人が。

 両手で目を押さえて、まるで目にゴミが入った子供のように泣き喚く様は、いっそ滑稽ですらあった。

 

「巨人が、苦しんでる?」

 

 超大型巨人を殺す絶好の機会。そうだと理解していてもエレンは動くことができなかった。先程まで燃えたぎっていた怨恨の感情がそれを上回る驚愕に塗り潰されてしまっていた。

 エレンは何もしていない。

 超大型巨人にも、誰かが近づいた様子はなかった。

 ならば、一体何が――。

 

「死ね」

 

 その時、その場に新たな声が響いた。

 

 

 

 

 

 この力――《スタンド》がどういうものなのか?

 その答えを俺は未だ持ち合わせてはいない。その謎を解き明かすためにありとあらゆる方法を模索したが、わかったことは《スタンド》を持っているのは俺だけだという、ただそれだけのことだった。

 誰にも見えない、理解できない力。そんな異常な事態に対する恐れはなかった。《スタンド》を得た状況が状況だったこともあるが、何よりその力は、この世界に存在するどんな武装よりも有用だということを理解してしまったから。

 

「はは」

 

 我知らず気分が高揚する。

 あの日のことは、偶然に偶然が重なっただけではないのか。

 通常の巨人には効果があっても、超大型巨人や鎧の巨人のような、格が違う巨人には効果がないのではないか。

 胸の奥に生まれていた小さなしこりは、今この瞬間、超大型巨人が無様に悲鳴を上げる光景の前に完全に払拭された。

 

「何も見えない世界ってのは、どんな気分なんだ? なあ、おい」

 

 他の誰にも見えてはいないだろうが、俺の目はしかりと黒いインクで塗り潰されたように虚ろな眼窩を晒す超大型巨人の姿を捉えている。それは俺が超大型巨人から《奪って》やった確かな証だ。

 

「だが、まだだ。まだこんなもんじゃない」

 

 ――そうだろう? 俺も、お前も。

 

 ふわり、とどこからともなく現われたいくつもの泡が空に浮かび上がる。ガスを噴かせ、空気を引き裂きながら空を滑空しているにも関わらず、それらは空気の壁に押し潰されることなく俺と《ソフト&ウェット》の周囲を漂う。

 この泡一つ一つが、《ソフト&ウェット》の最大の能力。触れた対象から何かを《奪う》泡を、《ソフト&ウェット》は無尽蔵に生み出して操ることができる。

 

 自分の身体には効果がない等の制限もあるにせよ、その応用範囲の広さは俺でさえ把握しきれていないほど。その能力を余すところなく駆使すれば、あらゆるものを《奪い》尽くすことができる。全てを《奪い》尽くし、骨抜きにしたところで止めを刺すことも何ら難しいことはない。

 殊更目の前の超大型巨人に対しては、たかが視力を《奪った》程度では到底終わらせることのできない怨恨が積み重なっているのだから――蟻を一匹一匹潰していくように執拗に、あらゆるものを《奪って》から殺していくのも非常に魅力的な考えだ。

 

 だが、だからこそこいつは油断なく、遊びを交えずに一息で斬り殺す。

 超大型巨人をここで仕留めることのできるメリットは絶大だ。壁を壊すことのできる巨人は現在判明している限りでは鎧の巨人とこいつだけ。その片割れを一体でも仕留めれば、人類は戦略的にも精神的にも限りなく優位に立つことができる。

 何より、超大型巨人という一つのシンボルを潰すことで、こちらの士気は爆発的に増加する。これを見過ごす手は断じてない。

 

「死ね」

 

 無防備に弱点を晒すその首筋に渾身の刃を振り下ろす。

 しかしその瞬間、まるでそれから身を守るように超大型巨人の身体から高温の蒸気が噴き出した。

 

「ぅ、おおっ!」

 

 激しい噴流に身体が揺らぐ。あまりにも至近距離でくらったために火にあぶられたような熱さが全身を襲ったが、生憎とそれで怯むような生温い根性は持っていない。

 

 ――散らすか? いや!

 

 奴の位置は把握している。これが何を意図してのものかはわからないが、視力を、それも全く情報のない未知なる手段で奪われた後だ。ならばその意図は反撃というよりは仕切り直しを目的としたものである可能性が高い。

 

「逃がす、かっ!」

 

 アンカーを巻き取る勢いをそのままに吹き飛び、蒸気で防がれた視界の中で勘を頼りにブレードを振るう。しかし肉を引き裂く感触はなく、霧を裂くような不確かな感触しか得られなかった。

 

「ちぃっ……!」

 

 移動した? いや、あの図体でそんな早く移動できるはずがない。そもそもこの蒸気の中で移動したのであれば当然気流が発生するはずだ。

 それが発生しないということは――

 

「《ソフト&ウェット》!」

 

 忸怩たる思いを抱きながらも従者に指示を出す。無数の泡が次々と浮かび上がり、弾けるたびに蒸気が急速に薄れて散っていく。

 だが、蒸気が晴れたそこにはすでに超大型巨人の姿はない。超大型巨人がいた場所を見回すも、そこには壁に開いた穴に蟻のように群がり始めている無数の巨人がいるばかりで、それらしき影はどこにもない。

 

「消えた……?」

 

 そんな話があるか、と歯噛みする。しかし現実に視界に映る範囲に超大型巨人の姿はなく、足跡の形に浅く陥没した地面のみがそこに超大型巨人がいたことを示している。

 唐突に現われ、唐突に消える。もしこれが奴の能力だとすればこれほど恐ろしいことはない。どういう原理かは知らないが、前触れのない出現に対して構えておくことは不可能だし、仮にある程度融通の利く能力だとするならば何らかの手段でもって町中に侵入されでもしたら簡単に地獄絵図ができてしまう。やはりあれは今この場で殺さなければならなかった。

 

「おい、ジョシュア!」

 

 アンカーを打ち出して壁上に降り立つと、壁上で構えていたエレンがすぐさま駆け寄ってきた。

 

「エレンか。そっちは無事だったか」

「ああ。サムエルが怪我しちまったが大きな怪我じゃない。他の奴らも皆無事だ」

 

 そうか、とアンカーを巻き取りながら相づちを打つ。

 エレン達がいた場所は超大型巨人の真正面だった。出現した際の突風は離れていた俺達にまで届いたのだから、その直撃を受けたにも関わらず被害がその程度で済んだことは素直に喜ぶべきことだろう。

 

「それより、ジョシュア。お前あいつに何かしたか?」

「どういうことだ?」

「いや……急に目を押さえて苦しみだしたじゃねえか、あいつ。俺には何が起きたのかさっぱりわからなかったから、もしかしたらお前が何かしたんじゃないかと思ったんだが」

 

 眉をひそめながらエレンが言う。それは《スタンド》が知覚できない人間の正常な反応だ。どうして俺が何かしたと思ったのか気になりはしたが、それだけエレンの中では超大型巨人のあの様子は異常なものに見えた、ということだろう。その直後に平気な顔で切り込む奴がいればそう考えもするか。

 だが、その問いに俺は思わずため息を吐いた。エレンの言うことも考えていることもわかる。けれどそれははっきり言ってどうでもいいことだろう。

 

「なあエレン。あの状況でそれを考えることが何かの役に立つのか?」

「は? 何言って」

「お前がそうやって悩んでいる間に俺はあいつのうなじを掻っ切る寸前までいったんだぞ。この結果をよく考えろ」

 

 はっ、と息を呑んで悔しそうに唇を噛んだ。

 超大型巨人の異常に様子身を選んだエレンと、構わずに突撃を敢行した俺。

 どちらにせよ結果がついてこなかったのだから同じことではあるが、次に繋がる失敗がどちらであるかは火を見るより明らかだ。

 慎重に事を進めることを決して間違いだとは言わない。が、――そんな腐抜けた姿勢でどうする。俺達のような鉄砲玉が尻込みするなんてせっかくの強みを殺しているようなものだ。鉄砲玉は鉄砲玉らしく、ただ貫くことだけを考えていればいい。

 

「もっと餓えろよエレン。迷えばそれだけ奴らを取り逃がすぞ」

「……わかってる。わかってるさ」

 

 絞り出すような声。後悔に震える拳が力強く握りしめられているのはあの時動けなかった自分を深く悔いているからだろう。

 

「ま、結局取り逃がした俺が言っても格好つかねえんだがな」

 

 偉そうに説教くさいことを吐いたものの、そもそも俺とエレンでは前提条件が違う。その上で取り逃がしたと知ればエレンも今のように殊勝に肩を落としていることはないだろうが、まさか『お前らの知らない力を使って攻撃しました』なんて言えるはずもない。

 

 大きく脱力して息を吐いて、思考を切り替える。

 壁に穴が開き、超大型巨人を逃がした。開いた穴には次第に無数の巨人達が集まり始めており、それを食い止めるべく駐屯兵団が奮闘している。

 今すぐあそこに飛び込みたい衝動に駆られるが、すでに班員を見捨てて独断行動をとったばかりだ。班員の様子も気になるし、これ以上統率を欠く行動をとるわけにはいかない。

 だが、これ以上はやらせない。眼下の光景に闘志を新たにし、班員と合流すべく行動を始めた。

 

 

 

 

 

「何で今日なんだ……? 明日から内地に行けたっつーのに!」

 

 苦渋に満ちた声でジャンが吐き捨てる。

 つい先程上からの指示が下った。俺達訓練兵団は駐屯兵団の指揮の下、班に分かれて補給支援に情報伝達、そして巨人の掃討を行え、とのことだ。

 卒業試験を終えて事実上の卒業を迎えているとはいえ、兵士としては生まれたての赤ん坊レベルの俺達にも容赦なく任務を与える辺りに深刻な人員不足が窺える。まして不幸なことにこういう時にこそ活躍の期待される調査兵団は壁外調査のため出払っているとのこと。上としても藁にもすがりたい思いだったのだろう。

 

 ――気持ちはわからんでもないが、な。

 

 通達はすでに終了し、作戦は開始されている。何よりこうしている今も襲撃を受けているとあれば愚痴る前に手を動かせ、と詰られてもおかしくはない状況だが、流石に咎める気にはならなかった。周囲に目を配れば、明日世界が終わることを告げられたかのようにうなだれて腰を下ろしている奴までいる。

 

「……行くぞ、ジャン。こうしていても仕方がない」

 

 どう声をかけるか、そもそも声をかけるか否かを悩みに悩んで、結局無難な言葉をかける。肩を叩き、行動を促そうとして、

 

「触んじゃねえッ」

 

 苛立ちを露わにしたジャンに払いのけられる。

 

「班長だろ、お前。頭のお前が動かないでどうする」

 

 基本的に――コニーやサシャのような自他共に認める指揮官として致命的に欠陥のある人員を除いて――班の頭は班の中での成績上位者に委ねられる。二位の俺は勿論、七位のジャンもだ。その頭がいつまでもここで腐っていては他の連中は動こうにも動けない。

 努めて冷静に解く俺の態度が気に入らないのか、ジャンの姿勢はいつもにも増して喧嘩腰だ。

 

「うるせぇ! お前に俺の気持ちがわかってたまるか!」

「気持ち悪いこと言ってんじゃねえよ。俺とお前は違うって、三年間で嫌というほどに理解してきたじゃねえか。そんなことを今更確認して何になる」

「て、め――んだとこの野郎!」

 

 ジャンの手が伸び、俺の胸倉を掴みあげる。憤怒の形相に燃えるジャンの顔が迫るが、反論一つ満足に返せない馬鹿の顔だ。眉一つ動くことはない。

 

「そういえばな、あいつらの弱点がわかったぞ」

「は?」

 

 たわいもない話をするように言った。

 意味がわからないのか、間の抜けた顔を晒すジャンに口の端を釣り上げて続ける。

 

「実際に相対してな、あいつらがうなじ以外に致命的な弱点を抱えていることに気付いたんだ。どうだ? 実際に超大型巨人に立ち向かってみての考察だ。信憑性は高いと思うが」

「何、だと……?」

 

 震える声でそう零す。あまりに衝撃的だったのか、没我の表情でジャンが掴みあげていた手から力を抜く。

 

「嘘だよ馬鹿野郎」

 

 ――その馬鹿面に渾身の頭突きを叩き込んだ。

 

「ぐっ、ぉおおッ」

 

 額を押さえて悶絶するジャン。心構えもできていないところへのクリーンヒットだ。その痛みは相当なものだろう。

 無様に地面をのたうち回るジャンに侮蔑の視線を落として言った。

 

「普段のお前ならこうは容易く騙されなかっただろうな。それだけお前が冷静じゃなかったことを身をもって教えてやったわけだが、どうだ。目は覚めたか?」

「こ、この野郎……ッ」

 

 目尻に涙を浮かせてこちらを睨むジャンに、これ見よがしにため息を吐いてみせる。

 本当に、何馬鹿やってんだか。

 

「いつもの威勢はどうした七位。それともお前が勝ち取ったそのたいそうな成績は何の意味もないお飾りだったのか?」

「てめえと同じにすんなっつってんだろうが! 俺達は人形じゃねえんだよ、こんな状況で何も感じずにいられると思ってんのか!」

 

 ――そうだな、そうだろうとも。

 

 ジャンの言葉は的を射ている。こんな状況だ、何も感じずにいられる方がおかしい。ましてこれが初陣ともあれば、まともな人間であれば怯えを、不安を、恐怖を感じて然るべきだ。

 俺とジャンは違う。その通りだ。

 だが、それに何か問題があるか?

 

「教えてくれよジャン。今までお前は俺と同じように、俺の真似をしてこの三年間を過ごしてきたのか?」

「何……?」

 

 察しの悪い奴め、と毒を吐く。

 イマイチ要領を得ない顔をするジャンに指を突きつけて言った。

 

「お前の言うとおり、俺やエレンの最大の強みは奴らへの復讐心から来るクソ度胸かもしれん。だが、お前は違うだろう?」

「っ!」

 

 得心がいったように目を見開く。

 別にジャンが俺と同じ行動をとる必要はないのだ。俺には俺の、ジャンにはジャンの、それぞれに合ったやり方があるのだから。

 挑発するように口の端を釣り上げて言った。

 

「姑息に立ち回れよジャン。減点はなく加点の必要もない、ただ生き残るだけの簡単な試験だ。どうだ、試験で七位取るより簡単だと思わないか?」

「……うるせぇよ。そんな簡単にできたら苦労はしねえ」

 

 尻を払いながらジャンが立ち上がる。口調こそ荒っぽいが、その目には先程までにはなかった理性の光がある。

 この分ならもう大丈夫、か?

 

「――逃げ回れよ、必死にな。俺達は所詮尻尾のとれてないカエルだ。期待されてるわけはねえ。何体逃がして何体後ろに通そうが、お偉いさんが全部引き受けてくれるさ」

「わかった、わかったっての。そう何度も言うんじゃねえ」

 

 迷惑そうに手を振りながらジャンが言った。

 

「っていうか、この作戦始めようって時に何言ってやがんだてめえは。逃げ回れとか、上が聞いてたら殴られるどころじゃ済まねえぞ」

「何だ、戦略的な撤退も命令無視に入るのか? それは知らなかった。以後気をつけよう」

「棒読みでしれっと言いやがって……くそ、言ったことには責任持てよてめえ。こっちに来る奴全部お前に押しつけてやるからな」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないか。任せろ、全部食い尽くしてやるさ」

「躊躇なく頷いてんじゃねえよ。ったく、本当に嫌味の言い甲斐のない野郎だ」

 

 がりがりと頭を掻きながら歩いて行こうとする。随分肩の力も抜けたようだ。応答にも余裕が出てきたようだし、これなら問題ないだろう。

 本人には口が裂けても言わないが、俺はジャンを高く評価している。立体機動装置に精通していることもそうだが、それはむしろ二の次だ。

 

 ――似てるんだよな、こいつ。

 

 初日から憲兵団に入ると言って憚らず、そして有言実行したその意志の強さ。たとえその目的が内地に行って平穏に暮らすためだったとしても、それを否定されるいわれはどこにもない。むしろその貪欲さをこそ評価すべきだろう。

 目的を意識し、そのために必要な判断をすることのできる能力は紛れもなく才能だ。指揮官向きであるといっていい。ましてそのジャンが頭についたとなれば、並の巨人であれば問題なく切り抜けられることだろう。

 

「負けんじゃねえぞ」

 

 班員を探しに行こうとしたところで、声がした。

 振り返ることはしない。ただ、任せろ、と手を上げて返した。

 

 

 

 

 

「ジョシュア!」

 

 班員を探して歩き始めると、こちらに駆け寄ってくる小柄な姿が見えた。

 

「クリスタか。他の班員は……?」

 

 尋ねようとしたところで、その背後に伴っている長身に気付く。そばかすの浮いた顔にこちらを睨みつけるような鋭い目。

 

「お前は班員じゃなかったはずだよな、ユミル?」

「当たり前だ。お前みたいな死にたがりと同じ班なんて死んでも御免だね。生きた心地がしない」

 

 嘲るように口の端を釣り上げる。

 

「そうか。何か用だったか?」

「何、だからこそ釘を刺しにきただけさ。――なあ、わかってるよな?」

 

 まなじりを釣り上げてこちらを見る。強い視線だ。目を逸らしたりでもしようものならすぐさまこちらに飛びかかってきそうな獣の眼光を思わせる。

 班員でもないユミルが、この状況でクリスタについて俺のところまで来る理由。

 言うまでもない。何の理由からかクリスタに執着しているこいつのことを思えばそれだけで察せられるというものだ。

 

「任せろ。これ以上奴らに《奪わせて》やるつもりはない」

 

 強い言葉に、二人の様子を困惑した様子で見つめていたクリスタまでもが驚いたようにこちらを向いた。

 この状況だ。人の命一つなど、容易く保証できはしない。本人の技量もそうだが、今まさに人類を襲っている窮地のように何事も想定外の事態というものは存在するのだから。

 そんな状況で簡単に請け負うことなどできるはずもないが、ユミルが求めている言葉はそうじゃない。

 釘を刺しに来た、とユミルは言った。

 巨人に深い怨みを持つ俺が暴走することのないように、ということだろう。

 ふん、とユミルは鼻を鳴らした。眼光を潜めたその表情に浮かぶのは、いつもの不真面目そうな笑みだ。

 

「ならいい。死ぬ気でクリスタを護れよジョシュア。むしろクリスタのために死ね」

「もう、ユミル! そういうこと言わないの!」

「クリスタも危なくなったらこいつじゃなくて私を呼べよー? 巨人なんて蹴倒してすぐに駆けつけてやるからな」

 

 用は済んだ、ということだろう。冗談のように笑いながらユミルが背を向けて立ち去っていく。それが冗談のように聞こえないのは流石、というところか。

 

「男前な奴め」

「もう……ジョシュアも、ごめんね? ユミルには私から言っておくから」

「言っておく、ね」

 

 思わず笑ってしまった俺を、クリスタが不思議そうな目で見上げてくる。

 

「どうしたの?」

「いや、いいことだ。そうだな、あいつのブラックジョークは心臓に悪い。クリスタからきつく言っておいてくれ」

「本当だよ、もう」

 

 クリスタが疲れたようにため息をつく。

 やはり気付いてないか。いつ死ぬとも知れないこの状況で、『次がある』と思えることがどれほど楽観的であるのかを。

 まあ、そこがクリスタらしいと言えばクリスタらしいのかね、とその純粋さに微笑ましい思いを抱いていると、複数の足音がこちらに駆け寄ってきた。

 

「ジョシュア。ここにいたか」

 

 現われたのは、今作戦で俺が命を預かる残りの班員。クルトにエドガー、そして、

 

「……チッ」

 

 最後尾を不機嫌そうに肩を怒らせながら歩いてきた、デリック。

 この班に決められた時、何度も班を変えて欲しいと直談判しに行ったらしいことは聞いているが、ここにいるということはそういうことだ。まあ、一個人の嗜好で変えて貰えるほど甘くはないだろう。俺としては連携のことも考える必要が出てくるから、変えて貰えるならその方がいい、程度の考えではあったが、変えられなかったのなら仕方がない。

 

「揃ったか」

 

 班員の顔を見渡す。緊張と不安、そして恐怖に彩られた顔が並んでいる。これからのことを思えば無理もないが、これでは作戦を伝えたところで耳に届くかどうかも怪しい。

 

「肩の力抜けよ、お前ら。そんなんじゃいつもの力の半分も出せねえぞ。エドガー、愛しのクリスタが隣にいるってのに何て顔してんだお前は」

「ああくそ俺だってこんな顔したくてしてんじゃねえよ畜生めッ」

 

 上擦った声を上げて顔を覆うエドガー。青ざめたその表情は平常時の精神状態とはほど遠いもので、今にも膝から崩れ落ちそうだ。

 

「何なんだよくそっ……卒業もしてねえ訓練兵に何を期待してるんだ? どう考えたって勝てるわけねえじゃねえかッ」

「エドガー、それは」

 

 悪態を吐くエドガーを諫めようとしたのか、クルトが口を開く。しかしその言葉は喉の奥に消えていく。エドガーの葛藤はクルトにとっても、そして他の班員にとっても他人事ではないということだろう。

 ジャンも同じだった。あれだけ優秀で不敵な奴であっても、これだけの極限状態では臆病の虫が顔を出す。

 ならば、彼らと俺の違いは何だ?

 

「勝つ必要なんてない」

「は?」

 

 声を上げた俺に視線が集まる。何を言ってるんだこいつは、と真意を疑う目つきばかりだ。

 

「他のことなんてどうだっていいんだ。作戦のことなんて頭から捨てろ。なあエドガー。お前にとって一番奪われたくないものってなんだ?」

「それは、どういう」

「故郷か、家族か、思い人か、それとも自分の命か。別にどれが一番大切かとか、どれが一番尊いかなんて話をするつもりはない。重要なのは、お前は自分に決して奪われたくないものがあるかどうかを認識しているかということだ」

 

 吐き出す言葉が脳を揺さぶる。五年前の地獄。奪われたもの。赤い血に染まった大切な人の手が痛みを伴って脳裏に焼きつく。

 

「はき違えるなよ。俺達にとっての敗北は作戦が失敗することなんかじゃない。自分が掲げる“誇り”を奪われることだ。一度奪われた“誇り”は決して戻らない。どれだけ望んでも、どれだけ悔いても返ってくることはない」

「わかってる、わかってるんだよそんなことは! 戦わなきゃいけないってことくらいわかってるさ! だけど、どうやって戦えって言うんだ? こっちはどう戦えばいいのかさえわからないってのに……ッ」

 

 エドガーの頬を涙が伝う。血を吐くような絶叫に誰もが何も言えずに押し黙っている。

 俺達は戦う方法は叩き込まれていても、それを活かすための戦い方が――実戦経験が決定的に欠けている。班を組んで行動しろと言われても、班での戦い方を学んでいないのだから満足に連携などとれるはずもない。ましてこれが初陣であれば尚更だ。

 誰も口を開く様子がないのは、エドガーが吐き出した不安を班員全員が等しく抱いているからだろう。

 ならばその不安を払うのは、班長である俺の役目だ。

 

「作戦ならある」

「え?」

 

 再び、全員が驚いた様子でこちらを見た。

 

「さ、作戦? それって」

「班で動くと決まってから、自分ならどう動かすかをずっと考えてた。……とは言っても経験の少ない素人考えだ。練習もしてない。上手くいくかどうかもわからん」

 

 だが、と。言葉を切って、不安そうにこちらを見る目に強い視線を返していく。

 不意に、以前アニに言われた言葉を思い出した。

 

『あんたにとっちゃ、別に他人なんてどうでもいいことでしかないんだから』

 

 そうかもしれない。

 俺の一番の目的は巨人への復讐であり、それ以外は二の次だ。『それ以外』をさして必要のないものとして切り捨ててきた俺にとって、他人というのは確かにどうでもいいことなのかもしれない。

 けれど――それが『他人』ではなく、『仲間』であれば。

 三年間同じ学舎で、同じ釜の飯を食い、笑い合ってきた仲間であれば――みすみす巨人共の餌にさせるような真似ができるはずもない。

 

「お前らと俺の思いが一緒なら、きっとできる。――やるぞ。これは“誇り”を護るための戦いだ」

 

 




 さりげなく固定砲無事だったので原作よりも護り固いです。まあそれでも突破はされてしまうわけですが。
 超大型巨人については多分S&Wが本気出せばここで決着ゥゥゥ―――!!だったことでしょうが、原作でのあの逃げっぷりだともしかしたらそれでも逃げられるかもですね。まあ《水分》最初に奪ってしまえば恐らく詰みなんですけども(震え声

 ちらほら独自ネタ出てきてますが、次回は独自ネタ中心で原作だとあまり描写のなかった集団戦です。

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