進撃の巨人 ―立ち向かう者―   作:遠野雪人

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第14話 トロスト区防衛戦① ―再会―

 

 

 

 

 

「よしよし、よくやってるじゃないか」

 

 満足げに頷きながら見やる先には、森の中にひっそりと立つ食料庫がある。晴れ渡る空の下、木漏れ日がまだらに落ちる空間は人の気配もなく静まり返っていた。

 本来であれば、この場に見張りの教官が一人もいないことはありえない。サシャが上手く見張り担当の教官を引きつけているからこそ、俺は誰に知られることもなくここにこうして立っていられるわけだが、

 

「ま、それくらいしてもらわねえと困るしなあ」

 

 今回、また燻製肉をこっそり戴こうと持ち出したのはサシャの方だ。訓練学校からの卒業を明日に控えた今、面倒なリスクを冒してまで取りに行くことにそこまで魅力を感じられなかった俺は初めは乗り気ではなかったのだが、どうしても、と珍しく押してくるサシャの勢いに乗せられる形で結局こうして来てしまっている。

 時期も時期だ。サシャは馬鹿だが、あいつもあいつなりに思うところがあったのだろう、と思う。

 

 明日の今頃には、それぞれが希望する兵科に配属され、俺達は道を違えることになる。調査兵団と駐屯兵団はともかく、憲兵団を希望する奴らとはそう気軽に会うこともできないだろうし、そう考えればこうして馬鹿なことができるのも今日までだ。そのことについて寂しくない、と言えるほど俺は空気が読めていないわけでもないし、冷血漢でもない。

 

 楽しかった。音もなくそう呟いて、そっと息を吐いた。

 欠伸の出そうなほどに平和な日々。ぬるま湯に浸るような心地よさに満ちた日々を瞼の裏に思い描く。

 ここに入団する前までは、こんな日々を送ることになるなんて想像もつかなかった。楽しいと、そう感じられることなんてあるはずがないと思っていた。

 楽しくて、いつまでもこうしていたいと思うくらいに楽しくて――だからこそ、こうして終わりが来ることは必然だった。

 

 ――何人、生きてられるだろうな。

 

 卒業を間近に控えた今、こんなことを考えるのは自分でもどうかと思う。訓練学校を巣立っていくことを喜ぶべきこの時期に、何もわざわざ悲観的なことを考えて気分を暗くさせることもないじゃないか、と。

 

 ――なんて腐抜けた考え。

 

 そう断じる。それは甘えだ。そんなものを抱いている奴こそが、常に生死の境界線を渡り歩くこの世界では早死にすることになるのだ、と。

 

 確かな予感があった。

 卒業はあくまで始まりに過ぎない。遠からず、俺達は必ず不倶戴天の敵である巨人と命をかけて戦わなければならない日が来るのだと。

 奪われたくないもの。護りたいもの。己の全存在と誇りをかけて戦う日が来るのだと。

 

「《ソフト&ウェット》」

 

 囁く言葉に《力》が具現。異質の従者を引きつれて、鉄の閂によって閉ざされた食料庫に堂々と近づいていく。

 

「悪く思わないでくれよ」

 

 午睡を思わせる、満足感に満ちた温かな日常。

 それはきっともうすぐ終わる。それは逃げることも、抗うこともできない確定された未来事項。

 

 ――だからせめて、最後まで笑顔で。

 

 

 

 

 

「というわけで、そうして朝一で盗んできた肉がこれだ」

「馬鹿だ、馬鹿がここにいるぞ」

 

 掲げて見せた燻製肉にどよめく一同。冷や汗混じりではあったがその衝撃を言葉にできたのはジャンのみで、あとは言葉もなく顔を引き攣らせている。

 

「コニー? コニーなら北側の整備班に割り当てられているはずだが」

「それくらい馬鹿だって言ってんだよこの馬鹿」

「ねえ君達、聞いててかわいそうになってくるからコニーと馬鹿とを同列にして会話するの止めなよ」

「お前のそのブレなさには本当に感心するぜ。俺達の辞書の中にはもう「馬鹿」って単語を引けば「それはコニーである」なんて意訳が載ってるくらいなんだがな」

 

 言葉だけ聞くと酷い苛めが平然と行われているように感じられるが、この認識が生まれるバックボーンを考えればそれもやむなしという奴で、現に同期唯一の良心であるマルコでさえ苦笑いするばかりで反論の言葉を返さない。事の深刻さが窺い知れるというものである。

 

「だ、駄目だよジョシュア。バレたらどうするの」

 

 驚愕と困惑、そして滅多に食べられない肉を前にしての葛藤に揺れる同期の中からいち早く抜け出してきたのは慌てた様子でこちらを咎めるクリスタだ。

 

「バレるようなミスをするくらいなら俺は最初から盗んだりしない」

「万が一ってことがあるでしょっ。せっかく次席になれたのに、こんなことで取り消しになったりしたら勿体ないでしょ」

「……やばい。故郷のおかんを思い出して目頭が熱い」

「おかんいねえ奴が何言ってんだ」

「馬鹿野郎。いいか? 男はいつも心の中に唯一絶対のおかんを抱えているもんなんだよ」

「堂々とマザコン宣言してんじゃねえよシスコン」

「ありがとよホモ野郎」

「どこから出てきたそれ!? やめろ、俺は至ってノーマルだ!」

「俺は知っているぞ。以前お前が寝言で『腹筋……腹筋……うへへ』と恍惚とした表情で漏らしていたのを。おかげで俺はその日汗まみれの筋肉男どもに追い回される夢を見たぞ謝罪と賠償を要求する」

「わけがわからんぞ!? 違う、俺が好きなのは腹筋は腹筋でもミカサの腹筋だ!」

「気持ち悪い性癖暴露してんじゃねえよ腹筋フェチ」

「はっ!? て、てめえ、何て卑劣な誘導尋問を……!」

「いや、どう考えてもお前が勝手に自爆しただけだろうに――ああ待て待て、それ以上近づくんじゃない。腹筋がうつったらどうしてくれる」

「うつるかァ! いや、むしろ積極的にうつしててめえを劇的ビフォアアフターする手も……!」

「やっぱり黒じゃねえかてめえ! 誰かこいつを壁から叩き落とせ、俺の貞操が危険だ!」

 

 ほんとミカサが絡むと思考が残念になるなこいつは!

 

「……ねえ、二人って実は仲悪かったりするのかな」

「『喧嘩するほど仲がいい』って言葉の意味を僕はここに来て初めて学んだよ。この三年間の様子を見るに単に似た者同士ってだけかもしれないけど」

「じゃ、じゃあ、やっぱり二人ってそういう関係だったり……?」

「落ち着いてクリスタ。君までボケに回られたら僕は本当にどうしていいのかわからない」

 

 ぎゃあぎゃあと班の連中を巻き込んで取っ組み合いを演じる一方、その裏では密かにマルコが絶体絶命の窮地に陥っていたという。

 

 

 

 

 

「そういえば、君達はどこの兵科を希望してるんだい?」

 

 不意に問いかけるマルコの声に、各々が整備する手を止めて振り返る。壁上に取り付けられた固定砲を黙々と整備するのも飽きてきたところだ。退屈しのぎには丁度良い。

 とはいえ、だ。

 

「俺らはまあ」

「今更だよなあ」

 

 ジャンと顔を見合わせて肩をすくめる。常日頃からそれぞれ調査兵団と憲兵団を志望すると憚らない筆頭だ。わざわざ言う必要もないだろう。

 

「ジャンはともかく、ジョシュアは本当に調査兵団にするのかよ」

「勿体ねえな、せっかく憲兵団に入れるのに」

 

 同じ班の面々は口々に呆れたように言葉を吐く。たった十人しか手に入れることのできない特権を得たにも関わらず、それをみすみすフイにしようとしているのだから当然と言えば当然かもしれないが。

 彼らのように憲兵団に入りたい奴らにとっては、俺やエレンのように与えられた特権を拒むような異常者達は恨み言の一つでも言わなければ気が済まない存在だろう。にも関わらずこちらの身を案じるような言葉をかけられることは素直に嬉しい。

 

 とはいえ、所詮それだけだ。気持ちだけ受け取っておく程度のもので、それを受けて真面目に鞍替えを検討するようなことは断じてありえない。

 こっちは入団する前から調査兵団を志望していたのだ。たかだか成績上位に食い込めたからなんて理由で趣旨替えをするなんてそれこそ恥晒しもいいところ。

 それに、と肩の力を抜いた笑みを浮かべ、

 

「あんなこと言っておいて今更憲兵団なんて選んだら笑われちまうぜ」

 

 ああ、と苦笑を浮かべる班員と笑い合いながら、昨日の夜のことを思い返した。

 

 

 

 

 

 成績発表を終えた今、後はそれぞれが志望する兵科に旅立つのを待つばかりとなり、成績や試験といったあらゆるプレッシャーから解放された同期達は皆軒並みテンションが高かった。

 中でも酷かったのは、やはり上位十名に入ることのできた面々だ。コニーやサシャは踊り出さんばかりの様子で、あの物静かなマルコでさえやはり昂揚は隠せないのかいつもよりも饒舌だった。ジャンについては俺との賭けを持ち出して絡み出す始末で、肩を叩きながら煽ってくるものだから周囲のテンションとは逆に俺のテンションは下がる一方で、どうしたものかとほとほと困り果てていた。

 

 そんな時だった。

 

「勝てるわけがない!」

 

 場の空気に似つかわしくない大声に、何事かと全員が振り向いた。視線が集まる先にいたのは頬を引き攣らせて叫ぶアレクとエレン。相手がエレンであるというだけで何となく状況を察することができてしまうあたり、やはり異端者だなと自虐混じりに思う。

 注目が集まったことを察したアレクは気まずそうに視線を彷徨わせる。水を差すような真似をしたことを悔いているのは明らかだったが、けれど言葉はそこで止まらなかった。

 

「お前だって知ってるだろ、今まで何万人もの人類が巨人に喰われてきたのかを。もう、答えは出てるじゃないか」

 

 人類は、巨人に勝てないんだよ。

 

 震える声に今度こそ場の空気が死に絶えた。静まり返った沈黙はこの世の終わりを思わせるほどに痛々しく、居心地が悪い。

 

「何馬鹿やってんだか」

 

 隣でジャンがぽつりと呟いた。

 同感だ。旅立ちを祝うべきこの場で雰囲気をぶち壊すような会話をするなど、空気が読めていないにもほどがある。

 

「……それで? 勝てないから諦めるのか?」

 

 噛みつく言葉にアレクがうろたえる。流石にその言葉はエレンにとって聞き逃せるものではなかったのか、声には確かな熱が籠もっていた。

 

「俺達が今まで負け続けてきたのは、巨人に対して無知だったからだ。負けはしたが得た情報は確実に次の希望に繋がる。――お前は戦術の発達を放棄してまで大人しく巨人に喰われたいのか?」

 

 冗談だろ、と吐き捨てるように。

 

 同期は固唾を呑んでエレンの主張に耳を傾けている。中には熱を込めてエレンを見ている者さえいた。希望を持たせるその言葉に、果たして感化される者がどれほどいることだろう。

 

「俺は! 巨人を一匹残らず駆逐して壁の外へ出る!」

 

 拳を握りしめて叫ぶ、その言葉。その姿は、かつて姉の腕の中に抱かれていた頃の俺とあまりにも良く似ていた。

 美しいものを追えていた頃の俺と。美しいものだけを追えていた頃の俺と。

 

 がたりと椅子を引く音が静まり返った室内に響き渡る。エレンに集まっていた視線が引き寄せられるように俺へと集った。

 怪訝そうに。あるいは戸惑いを投げかける視線に笑みを返して、二人の元へと歩いて行く。

 

「何だよ」

 

 問いかけられる。しかし歩みは止まらない。

 

「おいっ」

 

 何やら嫌な予感を覚えたらしい。慌てた様子でエレンが後退るが、もう遅い。 

 ホップ、ステップ、

 

「オラァ!」

 

 ドロップキック。鮮やかな跳び蹴りがエレンの顔面に炸裂した。机と椅子を蹴倒して盛大に転げ回った末にいつかのアニに蹴倒された時のように珍妙な格好をして沈黙する。

 

「え、エレ――ン!?」

 

 悲痛な叫びを上げたアルミンが慌ててエレンに駆け寄り、

 

「死ね」

「今死ねって言ったよこいつ!」

 

 予定調和とも言うべき速度で懐に飛び込んできたミカサの拳をかわし、襟を掴んでぶん投げ――失敗。掴む手を弾かれ、異常極まる瞬発力で飛び上がった膝が弾丸じみた速度で俺の顔面を潰しにかかる。咄嗟に肘を叩きつけることで事なきを得るも、あまりの痛みに頬がびきりと引き攣った。

 

「……俺が悪いのは全面的に認めるところだが、仮にも同期に対して本気で殺しにかかるのはどうなんだよ、ミカサ」

 

 おおいて、と肘を擦るこちらに対して、ゴミを見るような目でミカサの一言。

 

「失礼なことを言わないで。私にだって本気を出していいのとそうでないのとの見極めくらいはつく」

 

 三年間同じ釜の飯を食ってきた同期に送るものとはとても思えないコメントだった。

 

「つぅ、いきなり何しやがる!」

 

 じりじりと構えをとりながらにじり寄るミカサと間合いの攻防を繰り広げていると、衝撃から復活したらしいエレンが赤くなった鼻を押さえながら抗議の声を上げた。

 

「馬鹿野郎。何しやがる、はこっちの台詞だ」

「はあ!?」

「お前な、今は宴の席だぞ? わざわざ言い争いなんてして空気をぶち壊す奴があるか」

「っ、言い争いなんてしてねえよ! ていうか、お前だってそう思ってるんだろ!」

 

 俺の言い分にエレンは一瞬鼻白むも、すぐさま語気を荒げて噛みついてきた。

 

「何が」

「お前も俺と一緒のはずだ! お前だって、人類はまだ負けてないって思うだろう!?」

 

 あの日互いの志を知った日からずっと、意志を同じくしてきた俺とエレンだ。唯一の同士と呼べる相手に注ぐエレンの視線にはそうであってくれという懇願が多分に含まれている。

 だが、俺はそれを否定するように首を振った。

 

「違うね。負けてないのは『俺』と『お前』だ」

「――は?」

 

 呆然と口を開けてエレンが言葉を失った。俺の言葉の意味を理解できてないんだろう。

 

 ――まあ、ここまで来たら何を言おうと変わらないか。

 

 嘆息を一つ。いいか? と指を一つ立てて、何でもないことのようにその場にいる全員に向けてこう言った。

 

「たとえば。俺は巨人を駆逐するためなら、たとえ腕がもげようと足が喰われようと躊躇いなく戦い続ける『覚悟』がある」

 

 場の空気が凍り付く。

 先程のそれとは違う、あまりにも異質な空気に誰もが息をすることを忘れた。

 周囲に居並ぶ面々の青ざめた顔をたっぷりと見渡して、目を見開いて固まるエレンを見る。視線が合わさったその時、微かにエレンの気配が揺れた。それは驚愕か、畏怖か、それとも別の感情からか。

 

「それはお前も同じはずだ。俺達は巨人に何もかもを蹂躙されたあの日、絶望に震えて命乞いをすることなく只管に復讐を願った大馬鹿者どもだ。だがな、生憎と『人類』は俺達と同じじゃないんだよ。お前がいくらお前の理論を説こうと、それは巨人に説法をするようなものだ。根本からして同じじゃないお前の思想が『人類』に届くことはありえない」

 

 それが誤り。それがエレンにとっての致命的な勘違い。

 エレンの言葉はこいつらにとっての毒だ。エレンの言葉は正しく、だからこそ同期達はそれを完全に否定しきることができない。

 だがそれは、ただ受け入れただけだ。聞こえの良い言葉だけを聞き入れて悦に入っているだけに過ぎない。

 当然だ。この場にいるほとんどの同期達は、そもそも巨人を見たことさえないのだから。

 巨人に生きたまま喰われる絶望を知り、それでも心折れることなく立ち向かおうとする『意志』がなければ、情報など何の意味も持たない。エレンの言うところの希望は、そういう『意志』ある者達が繋いできたものだ。

 

 だから届かない。届くはずがない。届いてはならない。

 茨の道を進むべきは、最後まで己の意志に殉ずることのできる者達だけであるべきだ。

 

「だから、お前の理想に他人を巻き込むな。俺達は、『俺達』だけであいつらを駆逐しなきゃならないんだからな」

 

 

 

 

 

「ねえ、ジョシュア」

 

 砲塔内の掃除をしていると、背後から声をかけられる。振り向けば、そこには濡れ雑巾を手にしたクリスタの姿がある。わざわざ掃除の手を止めてこっちに来たようだ。

 

「クリスタか。どうした?」

「えと、別にたいしたことじゃないんだけど」

 

 わずかに視線を彷徨わせる様子に首を傾げる。まるで言いにくいことを言い出そうとしているかのような、躊躇いのようなものを感じさせる仕草だった。

 

「さっきの話を聞いてて思い出したんだけどさ。昨日、どうしてあんなこと言ったの?」

「あんなこと?」

「『覚悟のない人はこっちに来るな』ってことでしょ、昨日の言葉って。あんな風に突き放すような言葉を使うなんて、何だかジョシュアらしくないなって」

 

 手の中で雑巾を弄びながらクリスタが言う。こちらの意図がきちんと伝わっていたようで嬉しい限りだが、らしくない、というのは不思議な感想だった。

 怪訝そうにしているのが伝わったのだろう、そうだよ、とクリスタはこちらを上目遣いで見て、

 

「ジョシュアって、皆より一歩引いたところで付き合ってるような印象があるから。ああやって強く自分の意見を押しつけるのって、何だか凄く意外だった」

「ああ……」

 

 成程、と思う。抽象的な言葉だが、クリスタの言いたいところは理解できた。

 

「普段の俺ならまあ、好きにすればいい、って言うだろうな。いや、そもそもああやって割って入るのが意外か?」

「そうそう。だからどうしてなのかなって」

 

 意思の疎通がとれて嬉しいのか、子犬を思わせる仕草でクリスタが頷く。その様子を見てそっと嘆息した。

 

 ――一歩引いた、ねえ。

 

 それはお前だけには言われたくない台詞だ、と思いつつ。骨を与えられるのを尻尾を振りながら待つ子犬に答えを返した。

 

「恥ずかしながらな、あの時イラっと来ちまったんだよ、俺は」

「イラッと? ……宴の席、だったから?」

「それもあるが、そうじゃない。……なあクリスタ。巨人に挑もうなんて考える奴が正気だと思うか?」

 

 答えは、言葉にするのを躊躇うような気まずい沈黙。

 正直な奴め、と苦笑を声に出して言葉を続けた。

 

「異常者なんだよ、俺もエレンも。俺達の考えが一般人と比較して相当にズレてることなんて誰に言われるまでもなく理解してるさ。だから俺は別に誰に理解されようなんて思ってないし、理解される必要もないと思ってる。俺がしたいから。俺がそうしなければならないと感じるからやるんだ。理解者なんて必要ないだろう?」

 

 だけど、と言葉を切る。続く言葉は浅く眉を立てたもので、

 

「クリスタも、昨日のエレンの言葉を聞いてこう思ったんじゃないか? 『確かにそうだ』。『あるいは』、『もしかしたら』、なんてな」

「それは……」

「だからだよ。放っておけば、あいつは確実に意志の弱い奴らを地獄へと引き込んでいた。本来死ぬべきはずじゃなかった奴らまで、な。だからこそ俺達は理解を求めちゃならない。異常者は異常者らしく、最後まで理解されないまま死ぬべきだろうよ」

 

 万年人手不足の調査兵団には恨み言を垂れ流されそうな考えだが、それこそ知ったことじゃあない。

 

 ――壁の中の安全な場所でぬくぬくと過ごしたいから、憲兵団に入る? 大いに結構。

 ――巨人にわざわざ会いに行くような危険を冒すくらいなら、駐屯兵団に入る? 全くだ。是非そうしてほしい。

 

 誰が好きこのんで調査兵団なんて選ぶものか。侵略者の脅威に晒され続けるこんな世界だからこそ、人は誰もが平和を追い求め続けるべきだ。わざわざ命をベットにリスクを背負うような真似をする必要なんてどこにもないのに、敢えてそれを選ぶ方がどうかしている。

 

「私は……私は、ジョシュアは異常者なんかじゃないと思う」

 

 くたびれた吐息を漏らす俺にクリスタがそう訴えかける。胸の前で両手を組み合わせるその姿は神に祈る敬虔な信徒のよう。

 その言葉に笑みを零した。

 

「悪い。気を遣わせるつもりじゃなかったんだが」

「そうじゃなくて。――私は、私よりずっとジョシュアの方が……こうして皆のことを考えられるジョシュアの方がずっと、人間らしいと思うから」

「……? どういうことだ」

 

 同期の誰に聞いたところで、クリスタの人間性を疑う奴なんていやしないだろう。俺も、クリスタが何か抱えているのだろうことは気付いているが、だからといって俺より異常な奴だとは到底思っていない。

 なのに、クリスタは顔を苦悩に歪めて俯いている。

 組み合わせた手に力を込めて、言葉を探すように間を置いて。

 ねえ、ジョシュア。震える声で、問いかける。

 

「奪われたままでいるのって、駄目なこと、なのかな」

 

 瞬く間にその問いの意味を、今ここで俺に話しかけてきたクリスタの真意を理解した。

 クリスタが抱えていたもの。察することはできても、ついぞ答えに辿り着くことはできなかったその秘密を。

 如何なる理由からか、彼女は今、それを吐き出すつもりでいるのだと。

 

「ジョシュア、私――」

 

 ――その時、空に雷鳴が轟いた。

 

「え……」

 

 初めに聞こえたのは、耳を聾する轟音だ。

 火薬庫が爆発したような巨大な音とともに、地盤を揺るがす強い振動が高い壁を衝き上げる。髪をなぶる突風は爆風のように、ありうべからざる勢いと熱量を持って壁の上を蹂躙する。

 

「あ……」

 

 風が吹き荒れる基点を見やり、そして誰もがその威容に言葉を失った。まるで砂でできたお城を眺める子供のように、常識を逸脱した高さから悠々と見下ろすその巨体。

 5年前に惨劇の火蓋を切って落とした50メートル級の超大型巨人が、今再び壁の外にその姿を現した。

 

「う、うぉおおおおっ!?」

「か、壁が! 壁に穴がぁッ!」

 

 突然の事態に班員達はパニックに陥っている。何の前触れもなしに巨人が現われ、更には人類最後の領土を防衛する壁が破壊されたのだ。これで落ち着けという方がどうかしている。

 

「ジョ、ジョシュア! 早く逃げないと――ジョシュア?」

 

 ――なのに。不思議と心は静かだった。

 

 心の水面は凪いだように静かで、けれど奥底で次第にふつふつと滾るものがある。

 正気ではないという自覚はある。

 けれど、無理だ。この状況で、待ち望んだこの瞬間を馬鹿面下げて見守っているだけなんてありえない。

 

「ジョシュアっ」

 

 湧き上がるものを抑えることさえせずに、溢れる衝動をそのままに俺はクリスタの制止を振り切って壁の外へと身を躍らせた。今は壁の上を走って行く時間さえ惜しい。それよりもっと速度を上げていける最短のルートがここにある。

 下から上へ吹き上げる風に翻弄されながらも、身体を捻りアンカーを射出。壁から突き出した縁を穿ち、振り子の要領で超大型巨人の元へと文字通りの勢いで吹き飛んでいく。壁を蹴り、反動を利用して速度を上げていく俺の口元はいつの間にか裂けんばかりに大きく吊り上がっていた。

 

 次第に迫り来る超大型巨人の姿に身震いがした。サイズ比はすでに大人と子供どころか、人と蟻だ。視界一杯に広がっていく圧倒的な存在感に身体中がひっきりなしに警鐘を鳴らしている。

 正気の沙汰ではない。こんなデカブツに人類が立ち向かうなんて無謀の極みだ。

 

 ――だからこそ滾る!

 

 待ち望んだその瞬間。

 こんな化け物から全てを《奪う》ことができたなら、それはなんて痛快なことだろう。

 

「《ソフト&ウェット》……ッ」

 

 万感の思いを込めてその名を呼んだ。眩い黄金色に輝く《力》は精神の昂ぶりに呼応していつもよりその存在感を増している。

 自身に付き従う従者の姿に、一瞬のうちに走馬燈のように記憶が流れた。

 

 これは復讐であり、今まで奪われてきた全てへの弔いだ。奴らから《奪い》尽くした何もかも、あまねく全てを捧げよう。

 

 超大型巨人はこちらを見向きもしない。壁に手をかけたまま、高い位置から蹂躙されていく町並みを嘲笑うように睥睨している。

 絶対的強者。紛れもなく人類にとって最大の絶望。

 その喉元に――今、研ぎ続けてきた刃を突きつける。

 

「《奪い》尽くしてやる」

 

 さあ、狩りを始めよう。

 

 

 

 

 




 ここからが本当の地獄だ……!(誰のとは言ってない

 エレンにドロップキックかますシーン、差し挟む余地がなかったので描写はしませんでしたが実はさりげなく《S&W》が活躍してたりします。
 でないとそもそもミカサに止められて終了という実に格好悪いことになってたので……。

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