ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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63-蒼穹の白(4)

 戦いを見て学ぶ。

 技の掛けあいや間合いの取り方、そしてその人物特有の呼吸など自分自身の体を動かす際、イメージが可能であればそれを思い浮かべながら何度も反復行動を練習出来る、という話をどこかで聞いた事があった。

 それは友人だったか、近くにあった道場を覗いた時に聞いた話であったのか、はたまた祖父からの言葉だったのか。

 アンには両者の戦いを、会得する事は出来ない。

 なぜなら双方ともが自然系の能力者であり、その力を根本として戦っているからだ。

 

 そもそも雷は刹那、炎は永続と存在する形態が違う。

 エネルが本当に天狗であって良かったと、アンは心の底から思った。

 もし雷というそのものの特性をもっと熟考しており、その力を如何なく発揮できるようになっていたならば、エースはともかく、アンは、即死していただろう。しかも世界のありようを変えるなど造作も無い位の力を保有している。地上では無く、月に意識を向けてくれて本当によかった。

 

けれど、とほんの少し残念におもえてしまう。彼の心が壊れて弾けていなければ友人になれたかもしれない。

 大海賊時代の幕開けを己の命を最大限に利用して大々的に世に公布した父、ゴールド・ロジャーの世代を親に持つ次世代、つまるところアンやエース、ルフィやサボが位置する20代までの若者たちが最も貧乏くじを引いていると断言してもいい。

 

 親に恵まれなかった子が、どれほど多いか。

 

 子供は生まれる前に親を選んでくるとか、生まれてくる子を親は選べないだとか、そういう水掛け論は棚上げする。したうえで未来、最悪の世代と呼ばれることになる各々が持つ因縁のなんと複雑なことか。

 

 アンは小さく溜息をつく。

 ちらりちらりと姿をチラ見させるだけで、まったくアンには接触してこない影が三つほどあるのだ。そのひとつは世界政府にあり、もうひとつは海賊同盟の中にあり、そしてもうひとつは高みの見物を決め込んでいるそのどちらからも独立したモノだ。

 

 世界政府は歴史の空白を作りすぎだし、海賊たちは好き勝手に動いていながらも実のところうまくころころと転がされているし、父ほどさだめを利用しつくした人物も珍しい。アン一人で世界をひっくり返せ、などと言われても承知できかねる。いいところ父の跡目を継いだ世界の小間使いといったところか。世界が今までありえなかった分岐点を作り、そこに繋げるための準備しろとこれでもかと用明を山ほど目の前に積んでいくし、で頭が痛かった。

 

 エースと神を名乗る雷男(エネル)の戦いは続いている。

 もしかすると、エネルは救いを求めているのかもしれない。内に、ではなく外に。そう考えればアンが彼を嫌う理由が浮かび上がってくる。

 アンは内側に求め、彼は外側に求めた。

 似た者同士、この言葉がしっくりと当てはまる。

 生まれる時代と場所さえ違ったなら、きっと友達にはなれただろう。

 

 まあ、現世では無理だが。

 あの性格のまま友人になってみろ。会うたびに拳を交えた喧嘩が勃発する。それに雷自体があまり好きではない。きっかけだったのは認めるが、あの瞬間、自分の身がどうなったのか想像すらしたくない。生まれてくる前の死因や恐怖など、精神衛生上かなりよろしくないのである。

 

 

 さて、と。

 アンもただ単に、エースとエネルの戦いを見ている訳ではない。

 神官ひとりと神兵のほぼ7割を沈め、船もきっちりと破壊したその後、しっかりと観察していた。破壊物はこのまま放置していても白々海から白海、そして青海へと時間をかけて落ちてゆくだろう。神官には最後を手渡したが、神兵に対しては多少手心を加えた。運が良ければ白海から這い上がって来る者も出るかもしれない。そのまま青海に落ちればきっと、波乱万丈の人生が幕を開けるだろう。その後の人生は彼らそれぞれが持つ幸運により、未来の選択肢が示される。

 

 黒薔薇背景のお陰で通過してしまった1隻が町へと至りそうなのだが、ツヴァイが陣取る真っ只中に突っ込んでゆく彼らを密かに気の毒だとおもいつつ、彼らの幸せを祈った。

 副長であるツヴァイは、ある意味、冷淡だ。

 エースがこれくらいでいいか、と判断し、放置する事柄であっても、そのままにしておくと船に乗る仲間に何かしらの実害があると結論したならば、そっと入れ替わって禍根を断ちに行く。

 そうして今回、彼が考えて張ったトラップの種類は実に50を超えているようだった。よくぞ30分でこれだけの罠を、最善だと思える場所へ配置し、それを有効に使えるまでに設置したと感嘆すら出る。出来れば屋内、都市戦では敵になりたくない相手である。

 ビルカの方はきっと、大丈夫だろう。兵器を使わなくとも狙った獲物はしっかりと餌に食いついてくれたし、万が一内部にある町まで侵入されたとしても、ツヴァイが全て処理するに違いない。彼の飛び道具の腕はかなりのものなのだ。

 ぱっと見、優男の外見だが、たった一本の弓で首を狙い撃ちし、落とす技量を持っている。任せても不安は、全く感じていなかった。

 長が肉弾戦派で問答無用で最前線に突っ込んでゆくタイプだと、おのずと副船長たちは長距離支援系になるのだろうかとふとおもう。

 

 名を呼ばれ、アンは力を解放した。

 いくら血液を分析してもどういう理由でそうなっているのかが全く分かってはいない、海楼石成分を含む血による空間形成を行う。本人も海軍へ入隊するまで、保有している事実すら知らなかった。発見したのはDr.ベガバンクだ。”なにか”に使えそうだと、何度も血を抜かれたのは、良い思い出と言えるのだろうか。

 この力は能力者にのみ有効で、多くの人間に対しなんの意味も持たない。

 海軍という多くの能力者と出会う可能性がある組織に所属してこそ、有効に使える力だ。航海者となったエースにくっついて来て以来、最小でしか使わなかったその力を、久しぶりに最大範囲で翼のように広げる。

 

 上空で能力をぶつけ合っていた両者は、特異な技能により自然系にまつわるすべてが不使用状態に陥り、弾力のある島雲の上へと降り立つ。

 エネルは黙して居れば端正なその顔を歪め、舌打ちをした。

 なにをしたと仮に尋ねても、きっと目の前の小僧は答えないだろう。

 そう判断する。

 だが何が起こっているのかは把握した。

 いつものように体を雷に変えようとしても、その現象が起きないのだ。

 青海に能力者の力を封じる道具があると聞いた事があった。

 それを使っているならば、それを破壊すればよい。

 持っているのは対峙する男では無く、女のほうであろう。

 エネルはエースに握られ、矛の一部を溶かされたその次には、手元に残っていた金を使い細みの剣を生成していた。それを振るい距離をとりながら着地する。

 「神を不敬に扱った報いを受けるがよい」

 

 エースは雷男がその台詞を言い終わる前に、駆け出していた。

 わざわざ言い終わるのを待ち、正々堂々と戦うなどおかしな話だからだ。それともこの雲の上では口上が終わるまで手出ししてはならないという決まりでもあるのだろうか。

 低い体勢を保ちつつ走り込んだまま、相手のみぞおちに向かい拳を叩きつける。雷男の体はくの字に曲がり、エースは下段からの蹴りを顎に向かって振りあげた。だがエネルも黙って攻撃を受け続けたりはしない。下りていた片腕を咄嗟に首下へと上げ、蹴りが喉元へ到達する前に受け切る。そうして剣を持っていた腕を斜めに薙いだ。

 エースは慌てて体勢を、振っていた足に力を込め月歩を使い宙を蹴った。

 後方に勢い良く引く体から、なびいた髪が一房、エネルの剣に散る。

 「ほう、」

 エネルは能力を封じられたのが自分だけでは無いと、片眉を跳ねた。

 そのまま円を保つ。直線では無く揺らぐこの葉のように自由な曲線を描きながら、エースを雲際まで追い詰める。

 剣の形状は細く平らだ。突剣といった方がしっくりくるだろう。

 薄い唇を歪め最後のひとつきとばかりに力を込めるが、刃の先に炎は存在していなかった。

 エースはアンが転移させた場所で、火炎をいくつも並べ、前方向に打ち出す。しかもそれは3連、連なってだ。

 アンも必死にその火の玉を避ける。どこのシューティングゲームだと思わんばかりの弾丸乱舞だった。これをなんと言っただろう。そう、弾幕だ。縦スクロールの画面で、敵弾を避けてもしくは無効化して出てくる、残機を無情にも次々に減らしてゆく敵に立ち向かうゲームだ。

 閃いての使用だったらしく、威力は均一では無い。ただ幾つかは雲間をつき抜け下に落ちたような気もする。危ない。下の海を航行している船がありませんように。

 

 「ほほう、」

 その口元は面白そうに上がっている。

 どうやって移動したのか、そして全ての場所で能力を使えないかと思いきや、力を具現化出来る地点も存在していると知れば、エネルは距離が開けば開くほど被弾確率が下がるその技を軽々とかわし、青を見上げた。

 次にその目を細めながら見たのはもう一匹の子猿だった。

 面白い能力を持っている。今進めている計画に組み込めば達成が早くなるかもしれない。目的が当初の予定より、早くに実現できるならば使うべきだ。

 思考は早い。

 「小僧、お前を這いつくばらせた後は、あの女を我が飼ってやろう」

 くい、と唇についた汚れを指で拭えば、同等の条件であれば敗者になるはずがない、と言わんばかりの態度をエネルはとる。

 「やれるもんなら、やってみろよ」

 エースはその挑発に乗り、空から急降下した。

 

  アンは視線だけでふたつの色を追いながら、この後どうしようかと考える。

 背筋にぞくりと悪寒が走ったような気がしたのだが、あえて無視した。

 アンにとってみれば、ここでエネルが倒されなくても別に構わなかった。無責任だと言われるかもしれないが、ビルカに手を出されなければここで解放してしまっても良いのだ。スカイピアに住む住人達が、苦難の日々をこれからも続けなければならなくとも、だ。

 支配される事に仕方の無いと抗いもせず、今を受け入れているのであれば、それに対してわざわざ手を出す謂れも無い。助けて、という心からの言葉がなければ手を伸ばせない。

 ただエースとの対決で、どことなしかエネルを強化してしまっているような気がしないでもない。男達の対決(バトル)は、なぜかそれぞれを、良し悪しは別として成長させるのだ。おつむが少々単純明快すぎる弟が果たして乗り越えられるだろうか。不安すぎる。なんとか雷男の他の能力者と戦った記憶だけでも、ゼロの状態に戻したいところではあった。

 「…なんだか時の足跡が聞こえるんだよね」

 未来という時間軸の先は不確実が多いのだが、この予感は確定事実であるような気がした。きっとルフィは仲間と共に、この空へくるのだろう。

 「まあ…ダメだったとしてもルフィとその仲間たちにお願いしよう、そうしよう」

 決めれば早い。丸投げた。過去に投げられたいくつかの賽の目がそろそろ確定しそうな頃合いなのだ。その事象のど真ん中を突っ込んでゆく弟の成長に雷男が必要だったと意味不明な決定を下す。

 強迫観念にも近い月へ至りたいと言う私欲願望を叶えるため、利用されている人々には同情する。けれど被害者に甘んじているスカイピアの民には、もう少し苦難の中に身を置いていればいい、とも思えた。

 英雄が現れて、なんの代償も無く救ってくれるのは、物語の中だけだ。

 例えエネルという神を名乗る不届き者を倒せる技量を持っていたとしても、振るうつもりは毛頭なかった。身にかかる火の粉は払っても、エネルの野望を阻止するのは別の誰かでありアンではないからだ。どこぞの元神様には今回のあらましは気に入らぬだろう。だが今こうしてアンが対応しているのは、ビルカにちょっかいをこれ以上出させないために他ならない。

 目的は欲をかかず、一つに絞るべきでもある。

 

 エネルも環境に翻弄された存在だった。時代が悪かったとしか言いようがない。

 だが今はまだいい時代だ。なりゆきとはいえ父と祖父が組んで堕とした巨星はかなり大きかった。あの団体がいまでも一塊であったなら、世界は阿鼻叫喚の地獄絵図になっていただろう。分裂した今でさえ、アメーバのように増殖し続けているのだ。またくっつくとか身震いしかない。反発しているからこそ、ひびの入った器の中でなんとか保っていられる。

 

 もしあちらの世界で彼が生まれていたらどうだろうか。

 人を惹きつける魅力を持ち、出会いを、関係を招くという福耳の持ち主でもある。

 導く師がきちんとあり、今と違った途を歩んだとしたならきっと、神とは崇められないだろうが、人々から感謝される立場には立っていただろうと思える。

 

 アンから見れば、今の雷男はどこぞの新興宗教のボスにしか映らなかった。

 人をひれ伏す力があっても、自分で神を名乗るのはどこの夢見る少年なのだろうか。しかもエネルの元に集っている者達は、一枚岩でも無いらしい。タットワのような愛情…と言っても良いモノかは分からないが、盲愛しすべてを捧げている者、その力に憧れ帰依している者、恐怖という精神の鎖により畏怖している者、そして威を借るキツネのごとくその力を利用している者、と様々だった。

 

 あって当たり前。

 当たり前なのだろうが、なんとも世知辛い話でもある。

 それに比べればエネルはまだ、方向性は斜め向いてどうしようも無いとはいえ、まっすぐなのだろう。

 「ほんと何をどうすれば丸く、おさまるかな。清算を未来に託さないでいただきたい、ほんとうに」

 

 そんなもやもやとした感情に、雷男と対峙していたエースが溜息をついた。

 よそ見している余裕に、エネルから剣の薙ぎが連続で仕掛けられる。エースはそれを上半身をそらせて避けた後、ブーツで剣を持つ手を蹴りあて腰を捻り、低い体制のまま足払いをかけた。

 受けて転倒するかと思いきや、雷男は足場の悪い島雲の上で両足を踏ん張り、耐える。

 しかしエースは両の手で支えた体をもうひと回転させ、脇腹を膝を曲げ振り抜くと同時に踵をハンマーのように振り抜いた。大ふんぱつで鉄塊付きだ。

 「、かはっ」

 エネルの眼球が白をむく。

 自然系(ロギア)の体を手に入れてから、痛みを感じない生活を送っていたからなのだろう。随分と苦痛に対して、弱かった。

 東の海で炎の体となってしまった後、絶対に忘れてはならない感覚として、痛みを真っ先に挙げたアンには感謝せねばならないだろう。

 

 (うし、エネル撃沈。いえす!)

 もうひとりの自分と言ってしまってもおかしくは無い半身が、ここまで感情を顕わにするのが珍しかった。それと同時に、一体何に対して心をざわめかせているのかと興味と不安が胸をざわめかせる。双子として生まれたとはいえ、大概の事は秘密には出来ず、共に垂れ流しの状態だが、アンには幼い頃から立ち入れない扉があった。鍵はかかってはいない。だが開いても壁が見えるだけで、その先へは立ち入れないそんな場所をアンは心の奥底に持っている。

 

 いつかそこに何があるのか、教えて貰えるのだろうか。

 そんな事を考えながら拳を握れば、炎が揺れた。

 「おっと」

 エースは掌を振り紅を消す。いつの間にかアンが張ったドーナッツ型の力場から抜け出ていたようだ。

 いつからそういう、能力者の能力を制限するなどという摩訶不思議な現象を起こせるようになったのか、エースとしては不可解でしかない。

 そうそうあれもだ。心を寄せている時、もう一方の体、エースがアンの体を動かせるようになっている時、エースの体はいわゆる仮死状態になっているという。

 

 ひとりでアンを、海軍に行かせたのは間違いだったかと眉を寄せるがしかし。ルフィをひとりでダダンのところに放置するなど、そういえば考えたこともなかった。

 

 「お疲れ様」と下からいつもの柔らかな感情を含んだ声が聞こえた。

 とげとげしい気配ではない。いつもの穏やかな、それでいておおらかな感情のが伝わってくる。傷が開かぬように、船医にぐるぐる巻きにされた白の片手が、大きく振りまわされていた。

 世界が求め生み出した時の平定者。その能力はメラメラの実や、雷男が食べた悪魔の実よりも、えげつないと思うのは自分だけだろうかと、エースは思いながら手を振り返した。

 

 疲れた?

 にこやかに迎えてくれたアンに、エースはがしがしと髪を掻く。

 なにをしようとしているのか。繋がる思考で解ってしまっていた。

 本当にそんな事が出来るのかと、かなりの不審はある。あるのだがアンが言うにはやってみなければわからない、である。もっともではあるが、どうも胡乱な目で見てしまうのは勘弁してもらいたいところだ。

 「…ほどほどに、な」

 「うん、分かってる。ほどほどに、ね」

 本日何度目のほどほどかと、アンは唇を弧に描く。

 そしてゆっくりとエネルへと近づいた。

 

 半ば意識を失っている、自称、神様の耳元へ唇を寄せる。

 とある本には語り始めが大切だと書かれていた。出来るだけはっきりとした言葉遣いを意識して話かける。

 今日あった事は全て夢。

 ビルカという国は、あなたが既に崩壊させあとかたも無く空に消えた。

 生き残りなどいない。なぜならあなたが全て壊したから。

 神兵たちが減ったのは、戦士たちの仕業。シャンディアの戦士たちにより、襲撃を受けた。

 

 今日あった事は全て夢。

 あなたに仕える神官は4人、タットワはあなたの心の中だけにあるあなたの下僕。

 目が醒めれば忘れてしまう。

 眠りの中だけの存在。

 

 神であるあなたに敵うものは居ない。

 無敵ゆえ、神。

 誰もがあなたを怯え、崇め、奉る。

 不可能などありはしない。あなたは全能なる神、なのだから。

 あった事は全て夢、うつつでは無く、夢よ。

 

 「……ゆ…め…」

 

 「そう、これは現に見る夢」

 囁く声は温かさに満ちていた。母が子供に語りかけるような、優しげな抑揚に、エネルは思わず耳を澄ませてしまった。

 「ビルカという都市はもう、存在しない。声も聞こえない。そこにあるのはただの虚空」

 

 あなたには見えない、聞こえない。幻の中にあるものなのだから。

 

 

 人間は誰しも、消し去りたい記憶を持っているものだ。

 幼い頃に遡るほど、後から聞けば身悶えしてしまうような、本人が覚えていない恥ずかしい話が飛び出してくる。特に自分より大人で見守ってくれる立場にあった人物が、そう言えばこんな事もあったよね。そう話し始めたら危険信号だ。両耳を塞いで終わるのを待つしかない。無理矢理止めさせても、後日、あの時の続き、となってしまう事が多い。

 アンは自らを最強と豪語していた自尊心を崩され、朦朧とした意識状態にあるエネルへ、暗示する言葉を伝えているだけに過ぎない。外界からの刺激や概念が締め出され、心そのものが真っ白になっている状態だと思えばいいだろう。

 アンが知識と知っている催眠術は正確な技では無かった。

 見かじりの、似非ともいえる。

 だからかかってくれるかどうかは、はっきり言って賭けだった。

 効いてくれれば御の字で、もしだめだったとしても、何らかの形として精神に作用してくれれば、当分は攻めてくる事は無いだろう。とも思う。

 勝手に思っているだけなので外れるかもしれないが、そうなったときはなんとかビルカの民だけで応戦して貰うしかない。

 

 エネルが座す椅子があるだろう場所へ、アンは男を跳ばした。現地に行った事が無いため適当に転移させたが、あちらでなんとかしてくれるに違いない。柔らかなベットの上に優しく送れるほど、アンはスカイピアの立地を知らなかった。間接的に知った、神の社なるソラマメの蔦のようなねじれた蔦の上にある島雲に上くらい、としたから、たぶん到着はしているだろう。

 

 そしてふたりはビルカへと戻る。

 

 待ち構えていたのはツヴァイだった。

 両腕を組み、テンポよくリズムを刻む片足がなぜか怖い。

 トラップマスターという称号を短時間帯で会得していた副船長に、アンは賞賛の拍手を送った。

 「たった3つの罠で7人を仕留めたんだ」

 「すげェな」

 双子は興奮冷めやらぬビルカの人々から出迎えを受け、どういう風に侵入者を沈めたのかを教えられた。

 しかし雲上での様子をエマから聞いていたらしく、敵の群れに飛び込んだふたりへ説教が開始される。船長であるエースと、その同腹であるあなた方を失えば、私たちがどうなるか分かっててやってますかと、正論を聞かされ続けて早数十分。深々と下げたふたつの土下座謝罪と今後の改善策提出を引き換えに解放して貰えた。

 お目付け役として着いてきたのに意味が無いと言われ、物珍しさ故の随行では無かったのかと冗談めいて言えば、また諭されてしまう。

 「まあともかく効けば僥倖、そうでなくとも牽制にはなってたらいいかなぁ」

 アンは広場の椅子に座りながら、あくびをかみ殺す。彼との結末を住人達へ話していたのだ。

 能力の使い過ぎは睡魔を呼ぶ。黄猿をはじめとする大将達や義祖父に鍛えられ、大分保つようになっていたが、今日ばかりは限界がきてしまったらしい。持ち得る殆どの力を全て出しきった。

 

 ウォーターセブンへ戻るのは明日でもいいかなぁ。一日くらい、大丈夫だよね。アイスさん居るし、フランキーも生きてたし。会いに行きたいなぁ。でもでもそうしたら、ルッチが気付きそう。意外とカリファも鋭いしな。あー、ココロさんとも飲む約束してるんだった。トムさんからの言づけも話さなきゃ。

 と考えていると瞼が自然と落ちてきた。こっくりこっくりと船を漕ぎながら体を支える腕に力を入れるが、もう抗えない。無意識の向こう側から延びた手につかまってしまった。

 

 後ろへ反りかえった体を支えたのはエースだった。空に浮いた手を掴み損ねたツヴァイが安堵の息を吐く。突発性ではなかったが、双子は揃いも揃って心配をかけさせるのだ。それだけ周囲を認め、必要としてくれているのだろうが、如何せんところ構わず意識を失うそれだけはいつも勘弁願いたかった。

 「おっさん、悪ィが寝かせられる場所、あったら貸してくれ、じゃねェ、ください」

 

 いつもこう言えばいいよ、と教えてくれる存在は現在、夢の住人と化している。なんでもかの船長は目上の人物と会話することがほとんどなかったのだという。年上であっても感謝はしても尊敬できない大人ばかりだったとか。島から海に出て来、一発本番の実地研修を経てようやく、必要であると実感したらしい。

 

 意図は伝わるものの、敬語であるかと聞かれたら微妙な選択だと言わざるを得ない語彙に、副船長を任せられた男は苦笑する。

 

 独学で学んだとは思えないほどツヴァイの目から見て、アンは礼儀をわきまえていた。しかも船長から聞いた話によれば、生まれてからずっとそうなのだというのだから、かなり特殊な家庭環境であったのかと邪推してしまったほどだ。

 

 時すでに遅しの状態ではあるのだが、海賊という言葉にこびりついてしまった粗暴感はどう足掻こうとも払しょくできないほど浸透してしまっている。長い時間をかけて形成され内包された固定観念ゆえに、多くから海賊とはそういうものだと最初からおもわれてしまうのは致し方ない。

 とはいえある程度の規律があるほうが人間、動きやすいのも確かである。縛られすぎると窮屈だが、無ければ迷ってしまうものなのだ。海軍にも所属していたアンが居るためか、なんとなくではあるもののスペード団ではいただきます、ごちそうさまの挨拶と感謝と謝罪のやりとりは頻繁だった。あとは外食の際にも後片付けがしやすいように食器をカウンターまで持っていくおりこうさんまで発生している。

 

 「こっちに連れておいで」

 エースは老婦人に呼ばれ、とある家のベットを借り、その姿を横たえた。質素ではあるが掃除の行き届いた気持ちの良い部屋だった。聞けばいつも空島を訪れた際、泊っていく部屋なのだと言う。

 不意にエースのハーフパンツが弱弱しい力でくいっと引っ張られた。

 「お兄ちゃんの炎…とても綺麗ね」

 包帯の少女がその碧の目を見上げていた。

 エマだ。

 かつて雷により発生した炎により全身の皮膚が焼けただれ、食事をで使う火ですら怖がっていたという少女が笑む。

 「きて?」

 エースは呼ばれるままに少女へついて行く。

 そうすれば温かみのある木製の家具が置かれた一室へと入った。

 少女の部屋なのだろう。

 可愛らしい人形がベットの上に幾つも置かれている。

 

 「これ、お兄ちゃんにあげる」

 差し出された物は連なった赤の貴石だった。老夫人がドアから顔を覗かせれば、白々海でも滅多に獲る事が出来ない大炎貝が育てる赤の珠だという。

 少女の両親は、海に出て漁をする狩人だった。

 「私のところにあるよりきっといい。これは星の色。空に瞬く、命の色」

 

 お兄ちゃんを見たから、もう怖くない。

 だからあげる。

 背伸びをする少女に、エースは被っていたテンガロンハットを脱ぎ、膝を折って首を下げた。

 エマはありがとうと言いながら首飾りをエースの頭に通す。

 

 「炎に強いから。お兄ちゃんが燃えてもきっと平気なの」

 エースは首にかけられた赤珠に触れ、そしてくしゃくしゃと包帯から出る茶の髪を撫でる。

 「くすぐったい」

 エースはその頭に、ぽすん、と帽子を乗せた。

 「くれるの?」

 「いいや、貸すだけだ」

 「じゃあ、取り返してみて! それまではわたしの!」

 声を上げて笑いながら走りだす少女に、なぜアンがここまで入れ込むのか、なぜあちらを冷酷なまでに切り捨てるのか。ほんの少しわかったような気がしながら、少女を追いかけ、その家を後にした。

 

 やすらかな眠りを邪魔せぬように。

 


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