ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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43-ゴール・D・ロジャー

 瞼(まぶた)をごしごしと擦る。

 大きなあくびをひとつ、周囲を見回せば闇が広がるばかりだ。

 

 黒一色。

 それなのに自身の体はしっかりと光が当たっているかのように見えているから不思議な気分になる。

 

 よう。

 

 不意に語りかけられ、寝ぼけ眼のまま視線をそちらへ向ける。

 「ああ、お父さんか」

 アンは声をかけてきたその人の名を親しみを込めて呼ぶ。けれどその声が父に届く事は無い。

 海賊王、ゴール・D・ロジャーは既に故人だ。聞こえてくるこの声すら生前に残した思いのかけらに過ぎない。

 

 「エース、エース、起きて。かけらだよ。貴重なお父さんの話聞けるよ」

 半身を呼ぶがぐっすりと眠ってしまっているようだ。なんの反応も帰って来なかった。ルフィーに蹴られながら寝言を言っているような気がする。

 「ふたりとも相変わらず寝相悪いものね」

 自身が入ればいつも団子になって朝を迎える。兄弟揃って布団の上を縦横無尽に転がるからだ。最も苦しい体位は三人がなぜか重なりあうものである。エースの上にアンが、アンの上にルフィが重なった状態で目が覚めるのだ。一番下になり苦しいはずのエースであるが、全く気にならないらしい。最初に目を覚ますのがアンだ。その次にエースである。弟は兄と姉が揃っている場合、朝食の臭いを嗅ぐまでなぜか眠り続けた。

 

 アンはもう一度大きなあくびを放つ。隣にはクザンが寝ていたはずなのにその姿もない。よって時計も見えない。何時であるのか分からなかったが、まだ寝入ってからそう経っていないようにも思える。

 

 「今日はどんな寝物語を聞かせてくれるの?」

 アンは父の影に触れる。

 それは万物の声を聞けたという、ゴール・D・ロジャーが残した足跡だった。

 それは世界中の至る所にあり何に反応するかは分からなかったが、時々こうして遭遇する。

 

 本音を言えばもっと幼い頃に知っていられたら、と思う。

 そうすればエースが父の名を知った時、これが父だと伝える事も出来ただろう。

 

 悪意ある言葉を聞かなくても良かった。聞いたとしてもはねのけることが出来ただろう。

 森からいつも眺めていた高く高く聳え立つあの壁の向こう側には、センゴクを始めとする海軍と政府がねつ造した、偽りの父の影が残されていた。子供心にちくりどころの痛みでは無い、えぐるような言葉を平気で大人たちは放っていた。

 出身地がある海、だったからだろうか。

 ドーン王国内では特に、ゴール・D・ロジャーに対して、敵意を持っている者達が多かった。

 

 何事かはしでかしてはいるんだろうけれど。

 アンは海軍の資料庫で父の足跡を探してみたことがある。結果は散々であった。綺麗さっぱり処分されていたのだ。埋もれていた手配書だけは見つけ出したものの、誰かに見つかればそれも処分の対象になる。膨大な資料が眠る保管庫の中のとある場所に、こっそりと隠していた。

 ローグタウンから始まった父の旅は最果ての島、ラフテルに至ることで終わりを迎えている。終わるといっても海賊団を解散するまでには数年かかっており、その間様々な場所を経由しているのは確かだ。

 

 生まれ故郷でその首が刎ねられ、”ワンピース”の存在を広く世界に知らしめた瞬間までの足跡が、海軍本部から綺麗さっぱりと消されている。

 ちょっと調べればわかろうものだ。これは確実に人為的に仕組まれた意図的なものであろうと。そして疑問を持ち調べた誰かがこの結論に至るまで、父の死を作り出した誰かさんの掌の上でもあるのだろうと。

 

 こんなにも抗っているのに変わらない結末。

 例えるならば太平洋戦争の仮想戦記を読む多くの読者も真っ青な鬱展開というやつだろう。主人公は歴史を知っていて、かなりのアドバンテージを持っている状態だ。こうすれば絶対に歴史が変わると確信されているのに、主人公が動くその先をさらに改悪してい行く未知なるだれかによってなかなか思い通りならないような、気持ち悪さすら感じるのだ。現実が物語のようにうまくいくわけがないとわかってはいるが、これはこれでアンの精神をがりがりと削る。そしてちらちらとその存在感を見せてくるかの人物の影が、アンにある種の悪寒を感じさせていた。

 

 

 父はアンにその生涯を見せている。

 旅立ちの日、船も持たずに海に出ようとしていた。運よく港にレイリーが居たから良かったものの……いや、運悪くレイリーが父と出会い、なんとなく父の手管に巻かれてくれたお陰で海原へと飛び出せた、というのが真実である。一体何を話し聞いたのかは分からない。結果的に父とレイリーは海に出て仲間を集めながらラフテルへと至った。

 

 ゴール・D・ロジャーという人物は真っ直ぐな男である。真っ直ぐすぎて面倒でもあっただろう。海賊になりたくてなった男などやっかいに決まっている。だがしかし、弟もそうなのだ。弟も海賊になりたくて仕方が無い男なのである。ああ、エースもそうか。

 やっかいな男達ばかりだ。

 子供の頃に叫びあった夢の大きさで言えば、海賊王になるという弟が一番だ。

 

 「ねえお父さん。ルフィもお父さんみたいに仲間を集めて行くのかな、ラフテルに」

 

 父は面白い男でもあった。冗談を言うわけでも親父ギャグを滑らせるわけでもない。

 ロジャーは周囲を巻き込む男であった。やろうと決めた事柄に対し周囲の助力が集まってくる。そして必ずやりぬくのだ。騒ぎの中心にいながらも、立ち塞がる障害をものともせず颯爽と駆け抜けてゆく。

 

 付け加え愉快であるのは父が『海賊王』の称号をいらない、と捨てようとしたことだ。折角得たのにその次の瞬間にはいらないと言った父に何人もが呆気に取られている。船長らしいやと笑ったのがシャンクスであり、そうだろうなと同意したのがレイリーである。いらなければそのあたりに捨てておけ、と言ったのが船医を務めた人であり、じゃあおれにくれ!と両手を差し出しているのが道化師のような鼻の少年であった。

 

 ……あれ、あの鼻、どこかで見たことがあるような気が。

 

 手配書だっただろうか。アンは半ばぼう、っとした記憶の中を探ってゆく。父の元仲間たちは様々な場所に分かれ生きていた。各々が目立ぬよう生活しているが(シャンクスは別である)、それなりの仕事をし評価を受けていたり地位を築いている者が多い。そうだと知れたのも父からの情報だ。

 

 …まあいいか。あの鼻は忘れようにももう、忘れないだろうし。

 

 父の声がさざなみのように心地よく耳に届く。

 在りし日の記憶を語る、声に誘われるように、アンは眠りの中へ入っていった。

 

 

 

 聞き慣れない声で目が覚めた。今ばかりは身の内から聞こえる、打ち鳴らされた警鐘に素直に応じて飛び起きた。

 見慣れない風景だった。いつもの語り草とは全く違う。うとうととしても続くあの声は無い。

 周囲をそっと視線だけで見回すと、アンは船に乗っているようだった。夢であるはずなのに、波の音もそしてゆっくりと揺れる感覚も現実味を帯びている。

 またどこかへ迷い込んだのだろうか。

 そんな事を背に感じるひやっとした冷たさを感じながらふと視線を動かせば、甲板を掃除していたのだろうブラシが空に向かって突きだされた瞬間だった。

 

 「てんめぇ!! なにしやがる!! おれ様が今そこ、まさしく今!! ブラシかけた直後っておめぇも知ってるだろうが!!」

 「わりィわりィ。もう一回やっといてくれ」

 

 べったりとでは無いが黒い足裏を見せ、そうそう船底へ行ったばかりだったのだと紅が笑む。下はほこりが溜まる。定期的に掃除はしているものの、どうしても後回しにされる場所でもあった。ピエロの鼻をもつ青髪の少年の顔が見る見る赤みを帯び、綺麗な髪がまさに逆立つ。

 「待ちやがれ!今日という今日はもう、許さねェ!」

 ブラシを振り上げながら怒りの絶叫を赤っ鼻が上げれば、赤髪の少年が待ってましたと言わんばかりに逃げ出し始める。甲板の上で楽しげに声を絡ませながら甲板をはしゃぎまわり始めた。

 幼馴染、かなにかなのだろうか。随分と仲が良いらしい。と横を何事も無く通り過ぎられた、存在しているはずのアンには全く見向きもしないふたりを視線だけで追う。体が透き通っているわけではない。ちゃんと船を構成する木材に触れているという感覚もあるし、頬をつねってもばっちり痛い。

 

 なのに気付かれないとはどうしたことだろう。父が関係しているのだろうか。

 見たままを判断するのは全く、別段思考に影響を及ぼさない。ただ何かを思い出そうとすると白いもやのようなものがかかった。

 

 甲板上のおいかけっこはまだ続いている。

 赤鼻が大きく棒を振り上げればひょいと赤髪が射程距離外へ逃げ避け、帆の操作をしている乗組員達の間を駆け抜けた。

 日常茶飯事のやり取りなのだろう。船員達の様子を見る限り、彼らのじゃれあいは放っておいても大丈夫なものであるらしい。

 船の上から外へ視線を移し、見回せば広がる碧い海ばかりが広がっている。珍しい色だ。新世界にも何度か行った事があるがこんな海の色を見るのは初めてだった。

 

 そんなに大きな船では無い。

 スループよりは大きい。フリゲートだろうか。

 海軍でも、商船でもなかった。

 真上を見上げれば黒い旗が風に煽られ揺れている。どくろの模様は見えなかったが、この船は海賊船であるらしい。

  

 「おいおいお前達、暴れすぎるなよ」

 ロープを持った船員が赤と青の二人に声をかける。

 (あ、こぼれる)

 樽の上に置かれていたジョッキが追いかけっこによってひっかけられ、中に入っている液体と共に床へと向かう。行動後の結果を予想し自分の体の置き場を変えようと動くが、多少かかってしまうだろうという予測を立てる。しかし、それらは体を突き抜け向こう側へ音を立てて落ちた。

 

 (……これは、どういう?)

 試しにエースの名を呼んでみる。なにも聞こえない。いつもとは違う感覚だ。例えるならばひとりで何もかもをしているような、酷い孤独を覚えてしまう。首をぽてりと傾げ考えるが何も浮かんでこない。状況を説明するなら断線しかけたイヤホンを耳に付けているような、という表現がぴったりかもしれない。

 手のひらを広げてみても透き通っている感じはない。むしろ連なる夏海域ばかりのせいでこんがりと茶色く焦げた肌が碧の海には不釣合いに思える。

 

 船室へと続く扉からほんの少し離れた、飾り柵の上に借りてきた猫状態でちょこんと乗っていたアンは、遊歩甲板の方へと体をひねらせて降り立つ。すぐよこに階段もあったが、行儀良く降りねばならぬ場所でもないだろう。肉体の操り具合はいつもと差が無いようにも思えた。ほんの少し体がふわふわとしているような気もするが差異は僅かだろう。

 

 新世界には雷が降り続ける島や炎が燃え盛り続ける島、氷に閉ざされたまま万年雪が透明になり水晶のように輝き続ける島もある。なので重力が緩和される海域があってもおかしくは無い。アンとて新世界の全てを回ってはいない。世界政府により通行を禁じられている航路もあるのだ。そういう場所こそが海賊の根城になりやすい為、入りたいのはやまやまであるのだがなかなか許可が下りないのである。

 

 「シャンクス?」

 

 顔に傷など無く、幼い顔立ちであるが近場でその瞳を見れば分かった。耳元で低くくゆりアンの心を兄弟以外で唯一振るわせる声の主と同じものだと。ならばピエロ鼻の少年は誰であるのだろうか。眉をしかめながら考える。知っているはずだ。見たことがあると思っている。

 

 「……道化の、バギーだ」

 

 東の海を拠点に面白おかしい面々と共にサーカスを行なっていると聞いたことがある。海賊旗を揚げているもののおおらかな村ばかりを襲うため、良く来てくださったと歓迎され技を披露し多くの金銭と食を得て帰っていくという愉快な海賊団である。

 バギー一行に関してはモーガンからの報告書が上がっていたはずだ。帰ってから目を通そうと脳の端っこに書き加える。

 

 そういえば。とアンはモーガンから個人的に貰っていた手紙にあった、従兄弟に預けっぱなしになっている息子の成長を危惧する文面が書かれていた事を思い出す。アンが幼い頃ルフィと共に誕生日祝いだと義祖父に放り出された無人島でのサバイバルに付いてきてくれたことが切っ掛けで知己を得た人物である。あれから義祖父の息が掛かった艦隊に編制され、めきめきと頭角を現し追随艦ではあるが任されるまでになっているという。そして彼が所属しているのが155支部、彼の息子が預けられているのが153支部であったはずだ。

 

 155は昨年新規に出来たばかりの基地であったはずだ。その建設には義祖父が関わっている。

 (一度様子を見に行ったほうがいいかな。でもおじいちゃんの管轄だしでしゃばるのも。どうしたものか)

 

 考えながら赤の髪を知らず内に目で追っている自分に苦笑した。

 思いのほか眼福であった。実はシャンクスがこんなに童顔であるとは思っていなかったのだ。

 アンがそもそも知るシャンクスは、格好いい大人である彼だ。地上にいるときは気安くルフィと騒げるまでの精神年齢まで落ちるが、海の上にあるときはかなりの男前であった。一味を束ねる大頭としてのシャンクスは渋さも備え、アンが何も知らぬ乙女であったならちょっとくらいはくらりとしていただろう。

 

 海軍としては困った事案であるが、周知の為に刷られる手配書がとある女性層でブロマイド化しているのである。

 それぞれの嗜好だ。とやかく海軍が口出しすることではないが、それでもたまにがくりと気が抜けてしまう。今現在人気であるのはダントツで白ひげ海賊団の面々だ。刷っても刷っても足りないと情報部の将校から愚痴を聞いていた。ならば刷らなければいいのだが、張り出す掲示用までもが欲しいとねだられ消えてゆくのだと。

 

 海兵も人間である。しかも絶えず生死の境目を彷徨う職業だ。欲を刺激されたら逃げようも無い。

 

 (世知辛い…もうちょっと海兵にも休息があればいいんだけれど)

 

 希望はしょせん、希望なのである。実情とはイコールにはならない。

 シャンクスとバギーが休戦条約を結んだようである。追いかけていたバギーが先に音を上げたようだ。

 アンは小さく声を出して笑う。ああこの話をシャンクスにしたならば、どんな顔をしてくれるのだろう。どんな話を追加で聞かせてくれるのか楽しみになった。

 

 (シャンクスはお父さんの船に乗っていた。ならばこの船の名は、オーロ・ジャクソン。トムさんが造ったものだ)

 

 手のひらから伝わってくる温かな木目から、いくつもの新たな過去が浮かび上がってくる。船は家だ。使い手が想い入れを強くすればするほどモノに憑く存在の目覚めが早くなる。オーロはまだ赤子だ。眠っている。だからこそ素直にアンの注文を受け付けてくれていた。

 この船は向かっている。多くの名を立たせた海賊達が集った海を突破しロジャーを筆頭に掲げる海賊団が今、最終目的地に向け進んでいた。

 

 当時ロジャー海賊団に所属していた多くの船員の消息を海軍は掴めていない。なぜなら”D”の名を持つ者がラフテルに至ったなど公表出来るわけが無かったからだ。”D”を消す作業を優先したため、その仲間たちの詳細をも闇に葬ってしまったのだろう。

 普通は残る。というか残すだろう。

 海賊としての悪名をほしいままに轟かせた、王の船に乗っていた人物の名前が綺麗さっぱり抹消されていることからも容易に想像できた。アンがこうして情報を持っているのは、紛れも無く全て父から教えて貰ったものである。

 本当の名が隠されている理由は義祖父から聞いたが、天竜人が聖地に隠しているあるものを動かさなければ、動かす意思を持たなければ、脈々と続き重ね続けられている”D”の時限爆弾に火は点らないようになっているのだ。

 義祖父やアンの行動が導火線を長くしている、という事実もある。実際に世界中に散らばる”Dの血族”の中で忌み名として隠しているものたちはそう多くは無い。あけっぴろげに名を出している一族のそれぞれの役目は、天竜人を始めとする世界政府の抑止である。動くなよ、動けばDの名を隠したままにしている者達が動くぞ、と牽制しているのだ。

 

 それをデイハルドは理解している。理解したからこそアンを天竜人たちに披露までしたのだ。

 全く以ってあの子供はどこまで先を見通しているのか。恐ろしい限りである。

 

 世界政府は歴史に刻まれるべき”D”の一文字を隠した。そのことで生まれた枝葉がどうなるのか全く想像だにしていないだろう。普通の人間は未来を知らない。知らないから生きていけるともいえる。いつどこで自分が死ぬのか分かっていたなら、日々を生きることがとてつもなく苦痛に感じてしまうだろう。だから人は真っ白な未来を向いて行き、過去を作りながら生きる。

 

 名を変えられても残った、最後の言葉にだけは感嘆を覚える。

 何の為に自ら自首したのか。海軍は捕らえたのだと声高に発表しているものの、父と同じ時代、あの海を生き抜いた多くの海賊達は気付いていたのだろう。だからしたいようにさせた。己の命を以って、大海賊時代の幕開けを宣言させたのである。

 我が父の言葉であるが、よくもまあおもちゃ箱をひっくり返せたものだと賞賛に値する。

 探してみろ、とはなんという上から目線であるのか。嘘ではない。ラフテルは存在する島である。そして宝と父が称したものが島にあり続けている。

 

 ただラフテルに至るには、ちゃんとした手順を踏まなければならなかった。それをきっちりと周討(しゅうとう)している者たちが果たしてどれ程いるのか。怪しいものである。我武者羅に新世界を彷徨っても見つけられないように仕組まれているあの島にたどり着くのは一体誰なのか。興味は、ある。あるに決まっていた。

 希望の言葉と想いを詰め込んで封じられたものがかの地にはあるのだ。長きにわたる時といびつなほど作りこまれてしまった世界を股に掛けたパズルゲームを制する存在を父と同じくアンも待ち望んでいる。

 

 「…いい風だな」

 船室から凶悪な悪人面をした男が出てきた。頭にかぶった帽子には旗と同じ海賊印があり、特徴ある口髭を蓄えている。

 子供がそのまま大人になったような印象を受ける男だ。船員からは船長、と呼ばれていた。

 

 生前の父である。三白眼が良い味を出していた。エースの眼元が悪いのは父が原因であると確信したアンは、男の子は母似のほうが格好良くなるって言うジンクスがあるのだと天国に居るだろう母に毒ついた。

 「今日は面白いもんが乗ってるな」

 男がちらりと視線を動かした先は、甲板に下る階段下に突き刺さっている飾り塀の上に座っていたアンだった。

 「ロジャー、調子が良いからと言って無茶はするなよ」

 ひと仕事を終えたような表情をして出てきたのは、花弁のような髪型をした男だった。

 「こいつはクロッカス、この船の船医だ」

 

 誰に話しかけているのかと訝しげに思う顔をクロッカスは浮かべている。

 (お父さん、ちょっと。変な人になってるよ)

 娘の声は父に届かない。ぱくぱくと何かを話している口元は分かるのだが、声までは無理であったかと舌打ちする。

 

 未来が過去に物申せる訳もなく、アンは身を躍らせ甲板へ下りた。

 その姿をロジャーが追う。

 

 「また変なモノを見つけたな」

 クロッカスに並ぶように立った男が口角を上げる。振り向いて見れば、若かりし冥王そのひとであった。

 「放っておけばいい。その内飽きるだろう」

 

 (いやいやいや。そこの副船長、レイリー。お父さん止めようよ。この人、未来からわたしを引きずり込んだんだよ。時間軸どうするつもりなの。わけわかんない。何するかわからないよ、どうにかして)

 この突っ込みもレイリーに届かないと分かっていても、突っ込まざるを得ない。

 

 父の存在感が強烈なのはさておき、冥王もかなり凄い部類に入っていた。シャボンディにてちらりと本人を遠くから眺めたことがあるが、彼であると一目で分かった。上手く周囲に紛れ込んでいるとはいえ、アンの目にはくっきりと浮かんで見えたのだ。気配を殺しても湧き出てくるその人の生命力はゼロに出来ない。

 接触は怖くて出来ていなかった。少なくともアンは海兵の身分を持っている。そのアンが接触すればどうなるか。少し考えれば分かろうものだ。お互いが見聞色の使い手であるためか、意識的に触れてはいる。

 

 ……できれば独りきりで彼と会うのは御免こうむりたい。

 

 とアンは心の底からそう思う。出来れば矢面にはエースを押したかった。冥王に関する先入観を持っていないエースであれば、萎縮することなく自然体で彼と話せるだろう。

 

 「娘か息子か。分かんねェな、折角掴まえたってェのに面白くねェ」

 「わざとか、このくそ親父」

 

 船首へ歩いていたアンが足を止め振り返る。

 「ほう、いい度胸してやがる。だがそんな可愛い威嚇だと怖くねェぜ。心地いいくらいだ」

 くつくつと笑う凶悪面にアンは思わず頬を膨らませる。これでも海軍将校なのだ。義祖父にも大分貫禄が付いてきたと言って貰えたばかりなのである。それを可愛いとは親の欲目か。

 

 「生きて会えないのは残念だな。予定は調和通り進むのか」

 ゆっくりと伸びてきた手がアンの頬の辺りで止まる。

 「追いかけてくるつもりがあるなら、辿って来やすいようにしておいてやろう」

 

 「なあ船長、なに話してんだ。分かる言語でおれにも教えてくれよ」

 

 シャンクスがロジャーの視線の中に入り込み、にかっと笑う。

 ふとアンは気付いた。父と交わしていた言葉がいつも使っている共通言語ではなかったことを今更ながらに自覚する。

 

 「気が向いたら教えてやろう。ああ、やっぱり今夜だ。気が変わった」

 「やったぜ、絶対だからな」

 

 シャンクスを追い返せばすぐにアンの瞳をロジャーが射抜く。

 「あいつもお前に関わってくるんだろう。いいぜ、たっぷりと仕込んでおいてやる」

 

 勘弁してください。

 シャンクスがどうしてあそこまでスパルタなのか。その一端が見え涙目になる。

 元凶は父か。お前なのか。いや、引きずり込まれた自身が原因か。

 アンが生きる時代には既に故人となっている父に文句など言えはしない。過去に引きずりこまれた今とて同じだ。

 熊の前にちょこんと座らされた兎、それがアンである。

 

 「くっそお前の中、面白すぎるな。殺されてやるのはやめるか」

 

 どういう手段を用いているのか全く分からない。だが父はアンの中からいくつも情報を引き出しているようである。

 不安げな表情をしていたのだろう。心配するな、物事はなるようにしかならないと理不尽の塊に諭される。

 

 

 船首像付近ででなにやら独りで楽しそうにする船長の姿を、多くの船員(クルー)達が見ていた。

 偶にある奇行である。多くが見慣れ気にしない程度にはなっていいた。

 語りかけている言葉もそうだが、誰の目にもそこに何かがあると見えないし、触れる事も出来ないだろうが船長には何かを感じとれているらしいのだ。

 らしいというのは、副船長の言だ。

 「ロジャーは…万物の声を聞ける。今回もその類だろう」

 

 船員達はそれだけで、納得した。

 いらぬ邪魔をして逆切れさせると後々慰めるのが大変なので放って置くのが一番良い。だがいつもよりも今日は楽しそうにしている。注文や文句を言うのではない。珍しくも女を口説いているかのような雰囲気である。

 

 一体なにと、なにを話している?

 レイリーはロジャーの視線の先を観察する。視覚にはなにも像を結ばないが、そこには確かに何かがあるような気がした。しかもロジャーと似て非なる何かだ。

 

 もしかすればこの航海の終わりが見えてきたのかもしれない。

 リーヴァス・マウンテンを超えた先にある灯台守をしていたクロッカスに請い、ロジャーの苦しみを和らげてもらいながら目指した終着点が近づいてきているのか。

 

 それは願いだった。

 

 「そうかそうか、お前等に会う為には南の海に行けばいいんだな。そして彼女を口説くと」

 「何処からその情報を読み取ってるのか、不思議でならないんだけれど」

 

 いつの間にか複数形になっている呼称とルージュという母の名にアンは愕然とする。

 「お前にもあるな。芽吹くかどうかは半々っていったところか」

 「なに?」

 「出ちまったらおれを恨め。分かったな」

 

 一体何のことであるか分からない。分からないがこくんと頷く。

 いいことではない。悪いことである。二分の一の確率とはまるでコインゲームのようだ。

 そういえば父は病を患っていたと聞いたことがある。まさかそれのことかと眉を顰めているとすぐ目の前まで父の髭が迫ってきていた。

 

 「お父さん、顔、ちょ、怖い」

 

 父は既に故人である。なにを言ったところでやり返しはされない未来、という安全圏に居るのだ。やった者勝ちであろう。

 ということで反抗期の娘が父に言うとされる件を並べてみた。しかし父は面白そうにそれを眺め続けている。

 突然、真面目な顔をした父とエースの顔がふと重なる。目元だけは本当に良く似ていた。固く癖毛なところも父譲りだろうか。

 

 「教えておく。だから忘れるな」

 

 楔を打ち込むように囁かれる小さな音の羅列にアンは目を見開く。

 なぜ、と問いを口にする前に父はさらに凶悪な笑みを浮かべ言った。

 

 「さあ、いい子はそろそろ起きる時間だ。ガープによろしくな」

 手のひらが頬に伸びぐいっと頭を掴まれたと思ったや否や、その胸元に押し付けられた瞬間、周囲の景色が目まぐるしく変わる。

 

 

 落ちて、いた。

 重力がアンに早く大地へ戻れと呼んでいる。ゆっくりと瞼を開けば、登ってくる太陽が見えた。

 朝焼けの光を受け、温かい始まりを告げる太陽が黒の闇と星の瞬きをゆっくりと覆い隠してゆく。

 寝衣(ねまき)に使っている膝下まで隠れるTシャツが風を受けて大きな音を立てていた。ひんやりとした空気が肌を刺す。痛みがここが現実だと知らせてくれていた。

 「空はベットじゃないよ、お父さん」

 眼下に見える景色は夢で見上た色だった。海に向かって落ちて行く身を捻らせ体勢を整える。頭から海に飛び込むなど冗談では無い。

 普通の人間ならば能力者でもそうだが、この高度から海に落ちれば確実に命を失うだろう。知っていたのか知らないでか。こんな場所に放り出すとは酷い親だ。

 「なぜ…教えたの?」

 

 長い文章ではない。万物から大量の情報を与えられる者同士であったからこそ判る暗号のようなものだ。

 

 父の軌跡を娘が目で追う。父ですら2周しなければたどり着けなかった幻の大地。

 なるほど。誰も気が付けないはずだ。あんなところに島があるなんて誰も考えつきはしないだろう。真の歴史の本文が4つである意味もようやく腑に落ちた。

 水先星島(ロードスター)で振り出しに戻らされ、折れない不屈の心を持てる海賊など後にも先にも父だけかもしれない。

 

 「あそこがLaugh Tele」

 全ての言葉が集まり、そして新たな始まりが生まれる場所を眺める。

 海賊という特別な、この島へと至ることができる片道切符を交付された存在を待ち続ける島に手を伸ばす。まるでパンドラの箱のようだった。この世に存在するありとあらゆる悪徳の底に、たった一つ残された本当に見つけてほしい願い。

 

 父が持て余したはずである。そしてアンの手にも負える代物ではなかった。

 

 「ああ、あそこがALL BLUE、全ての青とはそういう意味なんだ」

 4つの海の全てがある場所の秘密を知ってしまった。探す楽しみが奪われたような気もするが、無駄ななぞ解きをしなくて済むのだ。役得とおもうことにした。アンがこの島の情報を流布するつもりは無い。先バレされるほど冷めてしまうものは無いからだ。探しもとめる夢は己の足で歩き手探りでもいい、その手に掴むべきものである。そして手に入れたものの重さと価値を知るべきなのだろう。

 

 

 ここにきてようやく、エースとアンの宿命を握る人物と同じ位置に立ったわけだが。届かないと思い知らされた。足掻いてきた年期が違ったのだ。しかしあきらめるつもりは毛頭なかった。

 

 

 

 

 ゆっくりと瞳を閉じる。再び開けばまだ、その空は暗かった。

 見張り台に立つ海兵に朝の挨拶をし、降下の勢いを殺しながら甲板へと降り立った。

 

 今なら言える。父は紛れもなく自由に生きた人だった。そしてゴール・D・ロジャーは運命に抗い続けた人であったのだと断言できる。

 誰よりも、なによりも定められた宿命を裏切り続けたのだろう。だから不確定要素の強いアンを呼び寄せたのだ。

 万物の声を聞く。未来を事前に知ることの出来ない多くにとっては喉から手が出るほど欲しい情報だろう。だがそれをずっと、世界が望む予定調和の未来を見せられ続けている者からすれば、生きることが退屈になってくる。淡々と過去が未来に進む。ただそれだけである。未来が読めなくとも刺激が欲しいならとあるバカのように戦場真っ只中に飛び込めばいいし、平穏な生活がしたければ何事も起こらない場所をゆらゆら移動すれば良いだけの話だ。

 

 若かりし頃の父はだからこそ飽いていたし諦めていたのだろう。麦わら帽子が手元にある、その意味を知った瞬間に。だからあそこまで凶暴で短気、わがままにふるまったのだ。

 未来を知れても境遇は変わらない。変えようと動いたところでその全てが砂の上に描いた線と同じく波に飲まれ消えてしまう。

新たな道を作ることなどもはや雲の上の誰かさんを楽しませるだけの行為だとしたならば、諦めてしまうのが普通であろう。が、父はやはり普通ではなかった。やろうと思っても実際には出来ない未来改変をやり遂げたのである。そうでなければアンが存在しないからだ。父の中にあった未来にはアンは存在しなかった。

 

 父は成功させたのだ。

 世界という名の遊技場で自らの名を道標に、歴史の本文(ポーネグリフ)と同じく色褪せずに後世に残るよう、己が全うしなかったことによって生まれてくるアンだけの為に様々な場所に仕掛けを置いて逝った。

 

 本当にやりたいように動き、成し、思うがまま死んだのだ。あの人は。

 「……くそ親父め」

 

 泣いてなんかやるものか。眼球に溜まった涙を奥歯を噛んで耐える。

 こっちへ来い。さあ早く。お前の選択を見せてみろ。

 ありえないはずの未来へ進んだ今をもし覗いているならば膝を叩いて悦んでいるに違いない。

 

 エースは父の背を見ている。称号に関してはどうでもいいと思っているが、ラフテルには行ってみたいと言っていた。

 弟は世界を手に入れる為に海賊王になるという。ルフィは大魔王になるつもりでいるらしい。光あるところには闇も生まれる。アンとエースが表裏一体であるように、ルフィにも対となる人物が存在している。しかもその境遇はとても似ていた。とても、なんていう言葉では言い表せないほど、そっくりな。

 

 夢の先はとてつもなく面白かった。なんだかんだとしているうちに世界を手に入れた先がこれまた傑作なのだ。共には行けないが、そばで見続けることはできる。弟の未来だけは複雑に入り組み読もうと思ってもこんがらがりすぎていて良くわからない。未来が不確かだから弟と居るのがとても楽しいのだろう。

 可愛い子には旅をさせろというものの、もしアンが海兵になるという選択をしなかった場合どうするつもりだったのか。

 全くくそ親父にも程がある。

 

 「うん、確かにそうだ。わたしにはひとつだけ欲しいものがある」

 

 きっとそれもあの邂逅の際、父に知られてしまっているのだろう。ああ怖い。一体どんな形でなにを用意されているのか見当も付かなかった。

 ふと桃色のなにかが視線の中に舞い込んできた。追えばさくらの花びらである。風に吹かれ、舞い、青の空に上がった。

 朝日が照らすマリンフォードの島影が朝もやの中から姿を現す。最期の一年を過ごす場所が決まる運命の選択がやってくるのだ。

 再び巻き起こるであろう阿鼻叫喚地獄絵図を想像しアンは苦笑した。


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