ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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 義祖父と膝を突き合わせていた。

 ちゃぶ台に用意してあった温かな緑茶も冷めてしまっている。

 「…どうしてもだめか」

 「…だって、3年っていう約束だったでしょう?」

 これで何度目の応答になるのだろうか。アンはそれでもきちんと、義祖父と向きあって言葉を示した。海軍に入隊し、属した数が3年を越えた。

 実際には3年と半年ほどが、ドーン島を離れてから経っている。

 15の誕生日には休暇を貰い、兄弟達と一緒に祝った後、大まかなこれからの鍛錬方法と航海術の確認も兼ねて近場を回る為の出航計画も立ててきたばかりだ。

 

 後十数日で約束の期限が来る。兄弟達はようやくアンが帰って来ると首を長くして待っていた。

 マリンフォードに来てからの月日、それはあっという間だったともいえる。様々な人から教えを受け、人脈も広がった。

 森で過ごせば出会えなかった人物達も多い。特に海軍上層部など、海賊の身分で出会えば、殲滅対象以外の何でもない。やるかやれるかの関係だ。

 しかしあんは海兵となった。そして何気ない会話を交え、心触れあわせながら戦い知った。なんら変わらない、と。

 職業が海兵であるだけだ。誰も彼もが人間だった。人間でしかありえなかった。そして海賊にも、同じ事が言える。

 

 どちらが正しくて、どちらが悪なのか。

 置かれている立場によって変わってくるのだろう。

 そもそも白黒つけて区切らなければならないのは、世界の決まりを作っている政府側だ。

 この"偉大なる航海(グランドライン)"には、海賊が拠点としているからこそ栄えている町もある。犯罪者が隠れ住む格好の地にもなっているが、法や秩序ばかりでは息が詰まる人物達も出てくる。少なくとも全部の町が当てはまるとは言わないが、自治がきっちりと敷かれている島々もあるのだ。

 

 それを悪と断じる事を、アンは良しと出来なかった。

 一方通行だけでは無い視野を得られたのは、海軍に所属したお陰だと思っている。

 まだ教えてもらいたい事は山ほどあったが、ここで一旦切らなければこのままずるずると、引きずり込まれそうな気もしていた。

 その予感は間違いでは無い。

 そして海軍内部の多くが抱く願いは、アンの、ひいてはエースやルフィの身を案じての事でもあると、義祖父は信じている。義祖父だけではない。元帥や大将たち、そしてアンという存在を知っている多くが残留を望んでいる。その筆頭は数ヶ月前に教職を解かれ病院のベットの上に縛り付けられ、今も義手の取り付けの為に幽閉されているゼファだ。

 大の海賊嫌いではあるが、アンの交友関係にまでは口を出さず職務を黙々と遂行するその姿勢を気に入り、両者の時間が合えば教え、請い、彼を教官として慕う生徒達の間に混じり時間を過ごすことを許している。

 サカズキ、ボルサリーノ、クザン、という現三大将をはじめとする海兵を育ててきたゼファーだ。戦友の孫であり、教え子達が気にかけるアンを可愛がらないわけがなかったのである。現役の海兵であるアンの経験は、多くの訓練生にとっても宝の宝庫だ。理論だけではなく現場の判断なども組み込み、戦場に出た際の心持などが広く伝えられていた。教師陣にとっては生きた教材としても重宝されていたのだ。

 

 多くにとってアンは居なければならない存在になりつつある。

 そしてそうなるよう、差し向けたのは目の前に座る中将ではない。モンキー・D・ガープという祖父だ。

 

 義祖父がアンを自らの後継者に推しているのは、未来を憂えての判断である。それは十分、わかっている。分かっているがもう遅い。盃が、兄弟の契りが交わされた時点でもう、この流れは固定してしまったのだ。

 

 「あのねおじいちゃん。わたし…中将の椅子には、座われない」

 アンが繰り返す言葉を飲み込めず、ガープは蛙がつぶれたときのような音を喉から発しながら咳き込む。

 「…うむ、この際、地位にはこだわらん。ここに居続けられん理由があるなら、聞きたい」

 

 内容が変わった。ここに居ろ、ではない。理由を尋ねられている。アンはほんの少し、驚いた。それが表情にでたのだろう。

 もし叶うならば、ルフィーやエースも呼び寄せたいのだと。

 

 本音をほろりと義祖父がこぼした。が、遅すぎる。

 今更この、海兵の島に呼び寄せてどうするというのだ。頭ごなしに押し付けて、考えを改めさせようとするのだとしても、エースの意志は既に固まっている。

 そしてルフィも17歳になれば、間違いなく海原へ飛び出してゆくだろう。

 

 「なあ、アン。少なくともわしの艦に配属されるまで、だめかのう」

 …義祖父のしょんぼりした顔に今度こそ驚きを隠せなかった。父親のような最期にだけは。生まれからしてハンデを持っている孫達をどうにかしてやりたいという気持ちだけがある。

 義祖父は今まで生きて来た人生を振り返りながら、今までの生でやったことの無い選択の札をとっている。頭ごなしに、ああしろ、こうしろと拳骨をおとすのではない。自分自身がやりたいようににやり続けるのならば、地位も名誉もいらない。人の決定に口を挟むな。

 

 我が道をただひたすらに歩んできた義祖父が、である。

 随分と弱気な態度で、背を丸めていた。

 

 自分達を心配してくれているのが、痛いほど伝わって来る。

 父であるロジャーが里親として、義祖父をなぜ選んだのかが良く分かった。同郷であり秘密を必ず守ってくれる人物として、また自らの代わりに愛情を注ぎ育んでくれるだろう存在として、信頼していたのだ。

 信じて頼る。立つ位置が全くの逆位置であるのに、ここまでの関係になれた両者は一体どんな戦いを繰り返してきたのだろう。

 相対する立場でいながら、ここまで意志を通じさせられる相手と巡り合うのはそうそうないはずだ。海賊は海賊として、託す相手ならば他にもいたはずなのに、ガープという人物を父が選んだ理由を探してみる。

 

 例えば副船長であったレイリー、親交があったビックマム、白ひげ。

 衝突する度に培ってきた信頼と信用。

 けれど父(ロジャー)は義祖父に打ち明けた。自らの生命と引き換えに、押し付けた。必ず引きうけてくれるという確信めいた自信があったのかもしれない。

 

 意識で繋がるエースも、言葉に詰まっていた。

 断われ。最初はそう言っていた口が、いつの間にか噤まれている。

 放置されていたはずの幼少期を振り返っても義祖父の顔などあまり浮かんではこないが、それぞれの身を案じて、大切に扱おうと思いつつもどう扱っていいのか分からず、照れ隠しに放置していたのだと。元々心優しいエースだ。想像してしまったら、手ひどい言葉が言えなくなるのも至極当然である。

 父と義祖父は似たもの同士であったのだ。だから双子を託された。

 

 出自のしこりは師となったシャンクスからいくつも話を聞いて、大分緩和はされていた。

 町のチンピラや噂しか知らない酒場の男達が、ゴールド・ロジャーに関してどんな中傷を口にしようともエースは手を上げなくなっていた。六式という戦技を身につけ、覇気という使い手を選ぶ才能を開花させたからだろう。手を出せばどうなるか、分かってしまったからだ。

 血に酔ったアンがみせた、狂気を身近で感じとった経験も抑止力にはなっているらしいが、ぼんやりとしか覚えていない出来事だ。多くの血が流れる船内で救助の手を差し伸べる。間に合ったものたちと死に迎えに来られた学友たち。脈がゆっくりと途絶え、ありがとうと口にしながら息絶える。

 悲しくて辛くて、叫んだ。その後の事は、ほとんど覚えていない。自分が自分でなくなったような、夢の中でふわふわと浮いているような、だけれどそのまま湧き出てくる感情に身を任せたまま、行なった行為。

 とめてくれたのはエースだった。なのでエースには最近、頭が上がらなくなっている。

 

 (ねぇ、エース。今のこの思いを、もうちょっと小さいときに聞きたかったね)

 アンは小さく苦笑する。エースからの返答など、求めてはいなかった。

 義祖父がやり方を間違え、双子を放置し、孫までをダダンの住処へ押し付けた後。エースを支えたのは、ルフィだ。

 アンも散々エースから危ないだの放っておけないだの言われるが、弟はそれに輪が掛かる。まっすぐに育ち過ぎている、とも言えない事もない。

 戻って少しは曲がった考え方も教えようと考えていたのだが、自由奔放で捉えどころのないあの性格はあのままにしておいた方が良いようにも思ってしまう。

 

 まっすぐエースとアンを見てくれる存在は、弟しかいなかった。

 だからエースとアン、ふたりにとって弟は唯一の宝、となっている。

 義祖父は不器用すぎた。子供にはその不器用さが、愛情の裏返しだとは想像など出来ないのだ。

 

 (……、アン。判断はお前に任せる)

 

 ルフィのことは気にするな。姉ちゃん大好きすぎて文句を垂れ流すだろうが、アンが持ち帰ってくる様々なお菓子を食べられなくなるのは嫌だろう、とでも言えば納得するだろう。とエースがため息混じりに嘆息した。

 アンの表情にも笑みがふわりと浮かぶ。

 

 「ねえおじいちゃん。わたしがおじいちゃんの艦隊に配属される確率って、20人の中将プラス、3名の大将、また今年もセンゴク元帥がボール入れてきたら、合計24個。24分の1の確率なんだよね。わたし引く自信ないよう?」

 

 ぎりぎりまで海軍に所属するとしてもあと2年だ。どう考えてみても、空理空論としか思えなかった。

 

 だがしかし、孫娘が残留の意を示してくれたそのことこそが嬉しかったのか。

 ガープは思わずその両の手を伸ばし、孫娘を抱きしめる。

 

 (エース、ごめんね。ありがとう)

 (ただしおれもルフィもそちらには行かねェ。ジジイが実力行使してきたら、本気で戦うからそう言っておいてくれ)

 

 昔から義祖父は口癖のように、強い海兵になるのだと繰り返してきた。

 「あのね、おじいちゃん。孫とはいえ上から目線からああしろ、こうしろって言われたら反発しちゃくなっちゃうんだよ」

 父とは違う路を進んで欲しいと強く強く願っていた。追われ、いつ死するかも分からない生ではなく、誰かを守り生を繋ぐ生き様を望んでいた。

 「わたしはおじいちゃんに、もうちょっと、お願いしてもらいたい、かな」

 

 そうすれば素直に心の内を話すことが出来る。

 くすくすと抱きしめられながら身を小さく震わせる孫娘の言に、耳を澄ませていた。

 「アンがそうせい、というならそうしよう」

 「わたしだけじゃないよ。ルフィやエースにも、だよ」

 「わかった。もし駄目じゃというなら、向こう脛でも蹴飛ばしてくれい」

 

 義祖父の意向に同意し、アンはエースとの会話を再会させる。

 

 (ということで、もうちょっとこっちで頑張ることにするね)

 (んなことになるだろうって、思ってたよ。ただおれが海兵になる、ってのだけはなしだ。なんかこう、似合わねェし、海軍のやり方も気に食わねェ)

 

 けれど、とエースは続ける。

 一番嫌なのは、アンに無理させることだ。嫌になったらとっとと帰って来いよ。おれはアンの泣き顔が一番見たくないんだ。お前は自分の意思より、おれやルフィ、まわりのことを先に考えるだろう? それで一番いい方法を探す。今はまだ未熟で、頼りないだろうケドさ。お前から頼られても大丈夫になるから、安心してわがまま言えな?

 

 アンは顔を赤らめる。

 なんということだろう。双子の、半身がえらく男前になっているのだ。

 女を落とすに必要な文言が、散りばめられている気がする。

 

 (うん、ありがとうエース)

 

 それ以上の言葉は互いにはいらない。

 エースとしては、アンが海兵を続けたいのであれば、別に今戻ってこなくとも構わないと考えていた。なぜなら出航までまだ2年もある。だが自身が海兵となるのは否定している。アンを通し海軍が抱える、散々な矛盾を知ってしまったからだ。それに無理を重ねて泣き眠るアンの姿も何度となく見てきた。その中へ入りたいとは全く思えないでいたのだ。

 それにもしも、だ。

 海兵にエースがなったとして、その後、胸の内に抱え続ける想いはきっと、彼を苛み続けるだろう。そして海軍というトリカゴから、救い主を求めて止まなくなる。現時点での筆頭は師だ。弟子であるふたりを大いに煽り、誘ってきている。

 海の子は、海へと戻る。眺めているだけではきっと、満たされない。たゆたう波間に、身を浸すために、手を伸ばしてしまう。とシャンクスも言っていた。

 

 (無理はするな。っていうか、そろそろ離れろ。ジジイがうつる)

 ……うつるってなに? ちらりと含まれた本音に、目をぱちくりとさせる。

 もしかしておじいちゃんを独占しているこの状況に腹を立ててるの? 私じゃなくおじいちゃん? おじいちゃんにLOVE?

 もう一度聞き返す前に、エースが一方的にだんまりを決め込む。

 (そっかぁ。じゃあ、うん、今度のお休みはおじいちゃんを連れて帰るよ)

 

 解かれない誤解のまま、後日、孫ふたりが義祖父の餌食になるだろう未来が決定する。

 思案して無口になったアンが、突然えへへへ、とめ笑み始めれば、ガープはその頬に触れた。

 「なにを悦に入っておる。どうかしたのか」

 

 げんこつで語るのが常である義祖父があえて、こうして座って話す方法を選択してくれるようになった。

 これから以降も実力行使ではなく、会話の席をもってくれるだろう。

 誠意には真正面から嘘偽りなく応えるべきだ。そうアンは心を奮わせる。

 

 おじいちゃん。

 腕をゆっくりとほどき、正面に座りなおして義祖父を真っ直ぐ見つめる。

 

 「17歳。わたしは17歳になったら海に出る。海軍も辞める。エースと一緒に果てある海に向かう。それでも良ければ、あと2年ここに留まる。これは、誓いだから。誰にも止めさせはしない」

 それは海賊になるという宣言か。

 義祖父の目が厳しく細る。

 「わからない。でもこの世界では自由に海へ漕ぎ出す全てを海賊と称する。ならばきっと、そうなっちゃうのだと思う」

 嘘は言わない。

 思う心だけを伝える。

 

 「そうか」

 義祖父が足を崩し、冷えた緑茶に口をつけた。

 「余り遠くに行くと、守ってやれんのじゃがのう」

 絞り出される声にアンは、知ってる、と微笑みを浮かべて義祖父が胡坐をかくその上に再び腰を下ろした。

 

 「ねぇおじいちゃん。わたしもエースも、ルフィも、いつまでも守られている子供じゃ、いられないよ」

 子供のまま親の側に居続けるのは、確かに楽だろう。だがエースもルフィも男だ。オスが巣穴から出ず、己の領域を作らない動物などいやしない。戦いを挑み、自分の領土を増やしてゆく。そして強くなり、一己の主へとなってゆくのだ。

 

 エースは、父の背中を意識し始めている。海への渇望を、抱いてしまった。

 知ってしまった。この青にごぎ出さない選択を捨てることなど出来はしない。

 

 アンはエースとともに生まれてきた。双子だから同じ道を歩まなければならないわけではないだろう。

 だがアンはエースとともに在りたいと願った。だから共に、往く。

 

 「あと2年か。短いのう」

 げんなりとした声柄が落ちてきた。

 「海軍か海賊かの2択しかないっていうのが、おかしいし辛いところだよね」

 革命軍は最初から除外だ。

 少なくともエースは、海賊としての生き方しか選択出来ないだろう。散々忌み児と言われ、自分の存在を認められない世界を見て来ているのだ。

 海賊王の称号や自由を探しに行くのは方便でしかない。

 彼は自分を必要とし、受け入れてくれる誰か、を探しに行きたいのだ。

 

 もう既に手元にある、と本人は気付いていなかった。余りにも近すぎると見えないのだ。

 気付くまで待つべきか、それともひっぱ叩いても既に手にしていると分からせるのが早いか。

 海への渇望欲求に関して、ルフィの場合はシャンクスの影響が大きいのは言うまでも無い。

 

 「おじいちゃん。2年で海賊じゃない、別の何かって作れないかな。航海者ってどう? 探検家は歴史の本文(ボーネグリフ)に関係してちゃうし」

 「全く、親子共々手を焼かしおって」

 大きなため息が降ってきた。だがいやいやではない。

 「おじいちゃんを頼りにしてる」

 返答はくしゃくしゃと撫でられた不器用で大きな手だった。

 2年後に向けて全力で引き留め工作をすると宣言されてしまったが、今から足掻いたとてどうなるわけでもない。そのときが来るまでどっしりと構えていよう、と決めれば案外不安など感じないものである。

 義祖父の大きな、しわくちゃな手がアンの甲に乗った。今更ではあるが、義祖父の温かみにくすぐったさを感じ、笑む。

 

 

 翌日、義祖父に連れられ向かったのはセンゴク元帥が難しい顔をして座す部屋だった。

 そう、海軍本部で最も高い位置にある、元帥室である。なぜか3名の大将も同席しており、内心ではあるが暇人たちめ、と毒を吐く。アン一人の動向にそんな敏感にならないでいてもらいたいものだ。もっと重要な仕事が山と詰まれているはずだろう。

 「で、どうなったんだ。ガープ」

 アンはそっと武装色の纏いを厚くする。3大将の視線が痛いくらいに突き刺さって来ていたからだ。いつもは直立不動で立つのが軍規に記され、その通りにしていたのだが、今日ばかりは義祖父の後ろへと隠れた。

 そして万が一の場合を考える。いつでも飛べるように心積もりしておかねばならないくらい、張り詰めた空気が冷たくなっている。

 

 「引きとめには応じてくれた。ただし…」

 元帥が腕を組む。

 「今年含め2年じゃ。それ以降はわしゃ知らん」

 

 どうやら義祖父がものの言い方を変えるのは、孫だけに限るようである。

 青雉の周囲が白く煙始めていた。気に食わない文言があったようだ。が、アンは無視する。

 

 「永久的、では無いのだな?」

 真一文字に結んでいた唇が、言葉を紡いで元に戻る。

 「センゴク、こう見えてもアンは女じゃ。嫁入りも考えてやらねばなるまいて」

 

 ん?

 

 義祖父は今、何と言っただろう。表情筋を動かさぬよう意識しつつ、止まった思考を再稼動させる。

 理解したくないと、脳が瞬時に反応したのだ。

 だがそれは誰もが同じだったようで、ぴたりと動きを止めている。

 

 (……嫁? 結婚? まさか、わたしが?)

 

 どの国も大概は親の許しさえあれば、大抵は16歳から結婚は可能だ。

 「………」

 義祖父と赤犬以外は独身を貫いている。その二文字は考えていなかったらしい。

 確かに、アンは生物学上女である。男であれば海兵であり続けることは難しくない。おつるのように子を成し現役に復帰する女性も中にはいるが、決して多い数ではなかった。だがしかし。

 センゴクは相手を問おう唇を動かそうとしたが、言葉を飲み込む。

 海軍本部、へはそのような通達がまだ、来てはいない。だが個人的に要請されているとするならば、どうであろうか。祖父と孫という関係にあるふたりである。上司と部下よりは今後に関わる深い話もするに違いない。センゴクとて多くの養子を育ててきた身だ。子からの相談事は多く受けてきた。

 

 

 「…2年、やむを得まい、か」

 唸るようにセンゴクが口を濁した。アンが天竜人のお気に入りと知っているからこその呻きであった。

 世界会議の席でなにがあったか。青雉から、そして幾人もの口からも聞き及んでいる。狭い、ごく狭い範囲内ではあるが、アンは、アン・D・ポートガスという個人は、デイハルド聖の個人的な資産として認められてしまった。彼女が言を許されたときも、『デイハルドに危害を加えない限り、昔話にあるような力は振るわない』と断言している。その後のことは想像しやすいだろう。何度も聖がこのマリンフォードを訪れ、アンを指名し、闊歩している姿が目撃されるようになった。町のカフェテラスなどで多くの人々が彼、を見かけても最近はさほど驚かない程度にはなってきている。天竜人としては別格として扱われるようになっている聖だが、密かに一般市民達から信仰のごとく仰がれる存在として支持を集めているとも聞いている。

 

 アンが聖地へ召し上げられるかどうかは別として、2年は貴重な戦力が手元に残るのだ。問題が先送りされる形となるが、今すぐ消え失せる訳ではなくなった。今はそれだけでも認め喜ぶべきである。

 ガープの説得には応じる姿勢を見せた若き幹部候補生に打つ、次の手を考えなければならないが時は幾分か稼げはした事に、妥協の意を示す他ないだろう。

 

 革命軍の動きも活発になってきている。

 幹部のひとり、エンポリオ・イワンコフを捕らえインペルダウンへ投獄出来、暴君を七武海へと招き入れ内部からの鎮圧を行おうと謀略をしかけてはいるものの、世界の情勢は安定しない。

 

 政府から隠せと注文される事件も数多くもみ消してきている。その殆どを過去1年に至っては、ガープの孫である、ポートガス・D・アンが中枢に入り込み行っていた。精神力の強さはCP9のロブ・ルッチにも引けを取らないだろう。ここまで適正を見せてくれるとは意外であった。世界政府の方でもなにやら活発な動きが見て取れるが、コングからは何も通達が来ぬままだ。それにしても、とセンゴクは暗部を知っても弛まぬ意志を持っている、貴重な人材を見る。

 

 ガープの後ろに隠れた存在が気にしているのは、冷気を発し続けているクザンだ。

 赤と黄色はその表情を崩さぬまま、されど精神を安定させて座している。

 青の憤りはCPのとある部署から眉唾物として上がってきている報告をちらりと見られてしまったのが原因であろう。

 この少女は、やっかいな相手だと周囲が思う存在をよほど周囲に呼び寄せる特技を持っているようである。

 

 

 「では引いて貰おう」

 

 溜息を隠さずアンは出された箱の中へ手を突っ込む。

 アンがひとりくらい海軍から去っても、世界の情勢が変わるとは思えないのだが、何をそんなに仰々しくするのだと、アンは苦虫を噛み潰していた。

 義祖父には伝えたが、17になるまでは島に帰ってもひっそりと大人しくしているつもりだった。多少は友人に会いに行ったり、新世界へ遊びに飛んだりはするだろうが、海に出るつもりは無かったのだ。毎日目まぐるしくあっちに行ったりこっちに行ったりし続けてもいる。3年という約束があったからこそ全力疾走できたようなものである。だからこそ長期休暇を本当に、心待ちにしていたのだ。

 アン自身は海賊、になる気などさらさらないし、例え世間があれは海賊だ、と指さし叫んだとしてもきっぱり否定するつもりでいた。

 海を渡るのに称号はいらないからだ。デイハルドの威を借りれば、まかり通らないかと本気で考え始める。

 権力などはここぞという時に使ってこそだと聖も言っていた。どうにもならなくなった場合は、その通りにさせてもらおうとこっそりと思う。虎の威を借る狐状態になる。心の底から借りをこれ以上作りたくないと思うものの、使うと決めたからにはこの苦い感情を飲み込むしかない。

 

 青の海を往けるのは、海軍所属の戦艦と世界政府から渡航許可を受けた商船、或いは未開地調査船、そして海賊船だけだ。

 あちらの世界のように、国毎の領海など制定されていない。

 世界の基礎を作った20人の王達は海を誰のものでもないとした上で、誰もが平等にこの海を争い無く渡れるように設定された航路を往く許可証を発行した。所持した船とそうでない船が衝突した場合、どちらが正しく、どちらが不正であるかを明確にするためだ。どちらも持っていれば痛みわけ。どちらも持っていなければ、その富は全て船が沈んだ地域を支配する王の取り分となる。

 だがしかし政府の意図はもっと根深い場所にあった。海を往く船を把握し、渡航許可を渡す代わりに税を納めさせ貿易を操ったのだ。

 それは王達に莫大な富をもたらした。

 金銭だけでは無い。近寄らせたくない各地を遠ざける為にも利用されたのだ。

 

 800年前の体系は今も残っている。

 形を変え、名を変えて維持され世界貴族たちの生活を支えていた。浪費される金銭は全て青海に住む人々から搾取されているが、これを知るのは世界政府内でも高官となった者だけである。青海でも各国の王と天上金に関わる少数だ。このことを外部へ漏らせばどうなるのか。青海の王たちは先祖代々口伝にて伝え聞かされている。

 『天竜人に仇なせば、4番目栄光を命じられた狼が、お前を食べに来るよ』と。

 

 今回の世界会議ではその姿までは披露されなかったものの、4番目の狼の末を天竜人が手なずけた。と広く周知されたのである。

 一体誰のことであるかは明白だ。

 

 義祖父がまた今回も膝をつく。

 ガッツポーズを決めたのは青雉だった。

 

 アンの表情がみるみるまに曇る。

 「元帥、135秒だけ私的な時間を頂けますでしょうか」

 にっこりと微笑んだ幼子の口元がひくひくと引きつっている。

 「許す」

 

 センゴクがそう短く断じた瞬間。

 凄まじい速さでピンポン玉がアンの手から放り投げられた。その先は青雉の頭部である。

 凍った一部がピンポン玉を受け止めようと、いつものように結晶を大きくする、が。

 大きさに比べ、余りにも可愛くない音が後頭部を直撃し音を立てる。

 

 「人に、あんなあからさまな殺気を放っておいて!調子乗るな、いい加減にしろ、クザン! 添い寝なんかもうしてやらないから!ゼファー先生から聞いてる、あれとかこれとか、恥ずかしい話をみんなにばらしてやるんだから!」

 

 元帥より与えられた私的な135秒のうちにあった出来事は、全て黙殺される。

 次々とピンポン玉を取り出しては投げつけられ、青が体中から白い煙を上げている様を、黄色と赤が視線をちらりと交わし、ほくそ笑む。

 大切に大事に育てた幼子は、随分と真っ直ぐ育ってくれたものだと手をかけたふたりが小さく唇の端を持ち上げた。

 


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