ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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03-シャンクス

 船が見える。

 ”不確かな物たちの終着駅(グレイターミナル)”からの帰り、エースがその影を見つけた。

 「こっちに向かって来てるな」

 進路が変わらなければいずれフーシャ村に着くだろう。

 立ち止り緑の木々の間から見える小さな影を見つめる。3本マストのキャラック船だ。

 ここ1年ほど、フーシャ村を拠点のひとつにして、東の海を巡っている海賊達だった。

 

 いい船だよな。

 何度目かの寄港の時、港に泊まっていた船を見てエースが言った。

 おれたちも早くこんな船に乗りてぇよな、とも。

 いつか海原へ出る。それは二人に共通した目的だった。否、サボとルフィを含めれば4名、全員が飛び出そうとしている。

 大海賊時代だから、ではない。それぞれが、それぞれの目的の為に海に出ると決めている。明確な理由が出せていないのは、唯一、アンだ。

 

 

 シャンクスは3人を船に招いてくれた事もあった。

 錨は下ろしたまま、甲板の上で食糧の積み込みの手伝いをしたり、貴重な本を読ませてもくれた。

 しかし船への誘いは皆無だ。

 海の過酷さ、危険度、それだけでは無い。海賊と名乗れば最後、海軍から追手がかかる。例え小物であっても、だ。

 敵は海軍だけではない。同業者達にも狙われる。名を知られる前は新人(ルーキー)狩りを楽しむ数多くの賊たちに。名が売れ始めれば賞金稼ぎ(バウンティーハンター)は海軍から出される指名手配書を手に襲いかかって来るだろう。

 海の上では力ある集団だけが航海を続ける事を許される。

 生半端な覚悟では海の藻屑となり消えゆくだけだ。

 お前達にはまだ早すぎる。力を蓄えろ、そう言われているような気がした。

 

 

 「エースは明日もサボのところに行くのでしょう?」

 否定の言葉は無い。最低限、偉大なる航路(グランドライン)を航行出来る船を手に入れようと思うならば、最低5000万と換算しても凄まじい金額だ。それが2隻分、まだまだ資金は足りない。

 「行って来いよ」

 大振りのイノシシと戦いながら、眉を寄せたままのアンにエースは言う。

 「そんなにおれとサボが心配か?」

 「ううん、違うの。ちょっと色々考え事をしてて」

 難しい本ばっかり読んでるからだ。 エースはにしし、と笑う。

 その間にもイノシシは勢いを付け鋭い角牙をエースに向けて振りかざしていた。

 倒木や岩場を飛び跳ね、追撃をかわす。

 「行って来い」

 ただそれだけを、ぶっきらぼうに言った。

 表情は見えないが、きっと口を尖らせているに違いない。

 だがエースは知っていた。アンがどんな夢を見ているかを、だ。月明かりさえもない漆黒の闇の中で目を覚ます度、こぼれた涙を拭い、抱きしめてくれる。

 お互い隠し事はしなかった。否、してもばれてしまうのだ。ならば初めからしないほうが良い。

 岩場の一角に追いたてられたエースは鉄パイプを構える。背には3メートルを優に超える壁石が横たわっていた。

 最後の一撃とばかりに、イノシシは駆けた。脳天を何度も殴打されたせいで一体何をしているのか、分かってはいないのだろう。中に在るのは脳が伝える暴走だけだ。目の前にある全てにその牙を振るう、凶暴性だけが残っていた。

 「うん、ありがとう、エース」

 岩場の上で、持ち運び用の蔦を用意しながらアンは静かに笑んだ。

 「悪りィ、時間かけちまったな」

 「……」

 軽い足場の振動の後、パラリと砂埃が舞った。イノシシは鼓動をゆっくりと停止させてゆく。 

 「じゃあ明日は別行動、させて貰うね」

 承諾の返答は、小さな頷きだった。

 

 

 狩った得物はぺろりと平らげられた。毎日の食事を作らせて貰っている身としては、すっかりと空になるのは嬉しいのだが、毎日の献立を考えるのも一苦労なのだ。ちなみにメニューは鍋にした。

 イノシシと聞けば、やはりボタン鍋だろう。

 自家製の野菜も家の前に広がった畑で採る事が出来る。

 アンに言わせて見れば自業自得と言わざるを得ないのだが、一家は地団太を踏んで悔しがっていた。

 事の発端は1カ月ほど前、に遡る。ドーン島には内陸部に決して裕福とは言えない村がいくつか点在していた。

 壁の内部に在る王都は煌びやかだが、その外は言わずもがな、貧困が人々の暮らしを圧迫している。

 統治する王も壁の内部が潤っていれば、外はどうなっても構わないと言わんばかりの政策ばかりだ。

 

 だが数ヶ月前。

 それは薬として長年、その村では使われ続けていたものだったが、世界を渡り歩き植物の調査を行っている博士が持ちかえり調べた結果、『これは数年に一度流行する伝染病の、特効薬となる!』と発表したのだ。しかも絶滅したとされている希少植物である事、も拍車をかけ国はその村を特別保護区とし、開発が進められている。

 そうなれば当然、物の行き来が生まれる訳だ。当然、ダダン一家はそれらを狙った。

 金だけでは無い。資材や物品、宝石など旨みの詰まった商隊が襲い放題だった。道がたった一つしかなく、そこを通らざるを得なかったからだ。だが山賊はダダン一家だけでは無い。

 数か月間は実入りにほくほくと頬を緩ませていたのだが、山賊が頻繁に荷を襲う事から輸送ルートを山から海に切り替えたらしい。

 そして危険な山道から、海へと路が切り替わればどうなるかは、現状が指し示す。

 

 アンが思うに、ほんの少しでも貯蓄しておけばよかったのだ。

 が、山賊に日越の金は要らないのだと、マキノの店で贅沢の限りを尽くした。

 結果、山道を使う商隊がピタリと止まり、以前よりも逼迫した生活へと転げ落ちている訳だ。

 そのため野菜や果物の苗を裏庭に植え、日々の食へと繋げ無くてはならない状態となっている。

 だがその方が、山賊をするより健全だと、アンは思っていた。

 広がる畑には各々の性格や、好みが色濃く出るため、見ているだけで楽しかったからだ。

 

 ダダン一家の食事風景は、弱肉強食と言い切っても過言ではない。

 保存食にジャーキー作ろうと思ってたけれど。あの大きさじゃ、残らないよね。

 アンは自分に分けられた量を胃に収めてから、夕方までに溜まっていた洗いものを終わらせ家の中に入る。小さな火を熾したままの居間では、寝息を立てた大人達がいろいろ転がっていた。久しぶりに酒が入った為だろう。

 アンは囲炉裏の回りで満足そうにしている寝顔全てにタオルケットをかけ、自分も寝床である小さな物起き床の上で包まる。エースは既に風呂にも入り、寝ていた。そう、不貞寝、だ。わしゃわしゃと黒髪を撫で、伸ばされた手を握り、目を閉じる。

 

 

 朝、夜明けとともにおきだしたアンは朝食の用意を始めた。米粥を炊き日干しした魚を人数分用意して暖炉のところに置いておく。早く起き、食べたもの勝ちだがそこまでは構ってられない。

 家を出る頃にはすっかり朝日が昇っていた。ふたりはもちろん、自分達の分はしっかりと食べて出る。走ってそれぞれの目的地に向かうのだ。体力が尽いてしまえばその場で倒れてしまう。

 北と南、分かれ道で背を向ける。

 「気ィつけて行って来い」

 「サボによろしくね」

 アンは道すがらにある木によじ登り、海が見える高さで目を凝らす。

 船が通る航路は大体決まっていた。村周辺からゆっくりと視野を広げる。

 いた。

 きらきらと輝く青の中にしっかりと見える船影がある。風が順調に吹けば、昼過ぎには到着するだろう。

 

 前回シャンクス達が寄港した時の話は、マキノや村長、弟本人から聞いていた。

 どうしても船に乗り込みたくて、ナイフを頬に突き立てた事や、ヒグマと名乗る山賊が来た事、シャンクス達が手に入れたすこぶる不味い、悪魔の実を食べてしまった事なども、教えて貰った。

 『海の秘宝』とも言われている悪魔の実は食べた者に様々な特殊能力を授ける。

 形状は何らかの果物に似ている事が多いという。唯一共通であるのは果皮、果肉に唐草模様があること、だ。味は共通して二度と口にしたくない、とのこと。

 悪魔の実を集めた図鑑が存在しているのだ。以前、船に乗せて貰った時に閲覧した。

 

 『一目瞭然 悪魔の実辞典』

 

 希少であればある程、収集家(コレクター)達の間では高価なもの、として取り扱われていた。最低額でも1億は下らないという。

 ルフィが食べた実は『ゴムゴムの実』だ。不味かったならば吐き出せばいいのに、口に入れた食べ物は飲み込むのが筋だと、意地で飲み込んだのだという。それは弟らしい言い様だった。

 

 今までに分かっている種類は大きく分けて3つに分かれる。【超人(パラミシア)系】【動物(ゾオン)系】【自然(ロギア)系】だ。

 超人系はルフィが食べたゴムゴムを含む、通常ではありえない極めて特殊な体質になる、何かに作用して魔術的な効果を及ぼすモノが含まれている。3種の中では種類が一番多いとされ、時々、ぽっかりと、海に浮かんでいるのだとか。

 

 動物系はその名の通り動物への変身能力が身に付く。人間よりはるかに力強い動物達の力を手に入れた能力者は、戦いにおいて力関係がノーマルの人間と比べ天と地の差が開く。特別な幻獣種と言われる、希少価値の高い実も中には含まれていた。

 

 そして最後が自然系と言われる、体を自然物そのものに変え、自在に操る力だ。3つある中で最も希少と言われ、自然現象そのままを体現している。そのため物理攻撃を無効化したり受け流せるという絶対防御を得る事が出来るという。

 

 とはいえ。

 実際に能力者、実を食べた者と戦ってみない事にはどういう力を保持しているかは分からない。ルフィのように実物が傍に居るならば、試せようがそうそう簡単に出会える能力者でもないだろう。

 ルフィが旅立つまで11年、運命の輪が回り出す頃には、何かに誘われるように能力者達がとある場所に集ってゆく。それまで生きていられたらいいのだけれど。

 今から心配していても鬼に笑われて終わってしまう。その時が近づいてくれば、その時に必死に考えよう。悔いが残らないよう、生きるしかない。

 

 店内はがらん、としていた。

 昼飯時を過ぎるとPARTYS BARも夕方になるまでは閑古鳥が鳴く。

 アンはルフィを誘い、軽食をマキノに作って貰った後、いつものようにカウンターで本を開きながら会話に耳を傾けていた。

 「もう船長さん達が航海に出て長いわね。そろそろさみしくなってきたんじゃない?ルフィ」

 「ぜんぜん!おれはまだ許してないんだ。あの山賊の一件!」

 グラスを磨きながらマキノはくすりと笑む。もっとかっこいい海賊だと思ってたんだ、と膨れるルフィに、あんな事をされても平気で笑ってられる方がかっこいいと思うわ、と諭すように笑む。

 「マキノはわかってねェからな。男にはやらなきゃいけねェ時があるんだ!!」

 「そう…ダメね私は」

 「うん、だめだ」

 ひとりで村に暮らすルフィにとって、マキノは甘えられる存在だった。アンの事はどちらかと言えば友達、と言った感じだろうか。アンにしてみても、マキノは大切な人だ。料理の仕方や、裁縫も彼女から教えて貰っていた。

 

 窓からは気持ち良い風が入って来ている。

 「ルフィ、もう少ししたら…」

 会話が一段落したところを見て、アンが話し始めようとしたその時、蝶番が鳴る。

 「邪魔するぜェ」

 扉を押しあけて入った来た人物達は濁った眼をした男達だった。ルフィが小さく、「げ」と嫌な顔を露骨にしたことで把握する。奴らが件の山賊達だ、と。

 

 自らを客だと大きな声で叫び、酒を寄こせと荒げる。

 下品だった。飲み方も、食べ方も、言葉ですら。まだダダン達の方がよっぽどましに見える。

 次々と注文を繰り返す男たちに、マキノは酒類を運び続けていた。

 「ルフィ、関わった方が負けだよ。シャンクス達は言っていたのでしょう。こんな事は他愛の無い事だって」

 「けど、けどっ!!!」

 拳を握りしめ、目尻にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 くやしいのだ。大好きな人の悪口を言われて、それでも関わるなと言われ、何も出来ない無力さに唇を噛んでいる。

 気持ちは痛いほど分かった。けれどここで相手の言葉に乗れば、わざわざ相手の土俵にまで下りてやることになる。

 「やめろ!!!」

 ルフィが椅子を飛び降り、山賊達に向かって叫ぶ。

 「シャンクス達をバカにするなよ!!! 腰ヌケなんかじゃないぞ!!!」

 マキノが止めに入る。

 「…ルフィ」

 アンはゆっくりとルフィの前に立った。

 無謀だがまっすぐだ。自分の事ではなく、大切な人をなじられ腹を立てている。悪い事では無い。だが、まだ早い。

 アンは真正面から山賊達の眼光を受ける。

 

 顔を貸せや、と言われ、ルフィとアンは外の路に出た。

 ずらりと賊たちにふたりは取り囲まれる。男達はにやにやと気持ちの悪い笑みを顔面に貼りつかせていた。

 「下郎が、この子に触れるな」

 アンは山賊頭をけん制する。

 しかし子供相手に賊たちが怯む事は無い。

 家々の窓からは村人たちが事の顛末を固唾をのんで見守っている。銃や短刀を持つ賊たちに成す術を普通はもたない。善良な人達だ。

 「くそォ!!!おれにあやまれ!!!」

 「ルフィ、前に出ないで!」

 引っ張られ、殴られ、投げられてもルフィは立ち向かうのを止めない。

 ボスを含めて15人、やって出来ない事も無いだろうが、銃や刀を誰もが手にしている。力を使わずひとりで片すには少々厳しい状態といえた。

 「ちくしょう!!!絶対許さねェ!!!」

 「ルフィ!」

 落ちていた木の棒を拾い、振りあげる。しかし子供の、振りかぶりだ。ゴム人間になっても毎日体を森で鍛えている訳ではない。

 「危ない!!」

 賊頭の足が、転がり込んだアンの背を捉えた。四つん這いになってでも弟を守る。

 「アン!」

 青ざめた顔が歪んでいる。今にも泣きだしそうだった。

 「全くもう、無茶するんだから…」

 アンは肘を張り、背を圧す力に抗う。

 「このガキどもがァ」

 

 「その子たちを放してくれ!」

 村長の声が聞こえた。マキノが呼んでくれたのだと、アンはそちらへちらりと視線をやる。

 彼女は心配そうに村長の横で立っていた。

 「ルフィが何をやったかは知らんし、あんた達と争う気も無い。失礼でなければ金は払う!!その子たちを助けてくれ!!」

 腕の下で、ルフィが小さくつぶやく。村長、と。

 義祖父が不在の間、親代わりのひとりとなってくれている人物だ。

 「さすがは年寄りだな。世の中の渡り方を知ってる。だが!」

 ふぐっ

 横腹をふいに蹴られ、アンは横倒しにされる。痛みで息が、止まる。その数秒の間に賊頭の足がルフィの後頭部を踏み捕らえた。

 「駄目だ、もうこいつは助からねェ。なんせこのおれを怒らせたんだからな…!!!」

 山賊頭はご立腹だった。山ざる、ルフィの一言はまさしく、その像を言い当てている。

 売り飛ばすのをやめ、ここで殺してしまおう、賊頭がすらりと刀を抜く。

 「ボスザルさん、その子を、放して」

 「あぁ?! ガキがなにを…」

 山賊のひとりが一歩、前に出、立ち塞がる。

 アンは衣服の汚れそのままに立ちあがった。私の弟に、手を出さないで。

 思う事柄はそれひとつだ。目的が果たされるならば手段は厭わない。弟を取り戻すため拳を握った。鮮やかに色づいていた感情が、ゆっくりとあせてゆく。

 遠いどこかで誰かが自分を呼んでいるような気がした。だが誰が呼んでいるのか分からない。

  「おーい、アン!」

 不意に、耳触りの良い声がアンを掬いあげた。底無し沼に沈んでゆくような、感覚から一気に引き抜かれる。

 「港に誰も迎えが無いんで何事かと思えば」

 村長たちの後方より歩みを進めたのは、赤髪の男、シャンクスだった。

 「ルフィ、お前のパンチは銃のように強いんじゃなかったのか?」

 「うるせェ!!」

 「アンも真っ白だな」

 「え、あ、うっ、っ、ちょっとだけ、お、おめかししてみたの、よ?」

 軽口が叩けるなら上等、とばかりに赤髪の唇が弧を描く。

 「何しに来たか知らんがケガせんうちに逃げだしな。それ以上近づくと殺すぜ、腰抜け」

 山賊の言葉などどこ吹く風のように、シャンクスは近づいてきた。

 取り巻きのひとりが銃を抜いて、赤髪の男のこめかみに当てる。下卑た笑いが聞こえてきた。以前と同じように、シャンクスが振る舞う、そう思っているのだろう。

 「銃を抜いたからには命を懸けろよ」

 声音は普段とは変わらない。ただ声に込められた意志が違っている。

 「あァ!? 何言ってやがる」

 「そいつは脅しの道具じゃねェって言ったんだ…」

 直後に響く銃声。引き金を引いたのは誰だろうと見ると、いつも骨付き肉を食べている巨体のラッキー・ルウだ。

 山賊達は突然の事に唖然とし、卑怯だと声を上げる。

 弱者を虐げるのには長けているが、強者と対峙した時、どうしていいのかが判らないのだろう。山賊達の目の前に立つのは、海賊達だ。

 シャンクスはゆっくりと、山賊達にも分かるように言葉を並べてゆく。

 「おれは酒や食い物を頭からぶっかけられようが、つばを吐きかけられようが、たいていの事は笑って見逃してやる」

 麦わら帽子の向こう側にある目が殺気を帯びた。

 「どんな理由があろうと!!おれは友達を傷つけるヤツは許さない!!!!」

 山賊頭は侮蔑の笑いを上げる。そして取りまきたちに指示を飛ばした。

 殺せ、海の上に浮いているだけの海賊が、山賊にたてついた報いを受けさせろ、と。

 

 動いたのは副船長だった。

 抜刀し向かい来る山賊達の初人の額にたばこを押しつけ転倒させると、ライフル銃を構えず持ち手の部分を鈍器に見立て次々と殴り倒した後、改めて銃口を山賊頭に向けた。

 強い。

 邪魔にならぬようこっそりと横手の柵の前に避難したアンは思う。

 船と言う限られた足場の上で、生死をかけた戦いを何度も潜り抜けて来た猛者たちなのだ。陸にくすぶり焼け焦げた山賊達では相手にならないだろう。

 仕掛けてきたのはこのガキどもだとまくしたてる山賊に対し、「どの道賞金首だろう」とシャンクスは切り捨てる。

 話し合いなど対峙し銃を抜けば余地は無い。

 実開かれた血走る目、食いしばられた歯はぎりぎりと音を立てていた。

 

 「ッ・・・!」

 アンは突然襲い来た頭痛と吐き気に膝を付き両手を口に当てる。

 それは最初、ただ、ただ気持ち悪いもの、だった。

 何か大きなものがのしかかり、アンを押しつぶし、そして流されてゆくような嫌な感覚だった。霊感など持ったことなどないが、なにかに乗っ取られてしまいそうな、といえばわかってもらえるだろうか。

 息がつまり、大量の脂汗が噴出してくる。

 

 にらみ合いは続いていた。海賊の数は変わらぬまま、山賊勢は頭目だけを残し、すべて土の上に伏していた。おとなしくルフィを離し、山へと帰るならそれでよし、もしも立ち向かってくる気骨があるならばそれもよし。海賊達は静かにその場に立っていた。

 しかし舌打ち、の後、煙幕が上がる。

 「し!し!しまった!!油断してた!!ルフィが!!どうしよう!!みんな!!」

 シャンクスはたかが小物、と侮っていたわけではない。しかしこの状況で、弱者ばかりを相手にし続けているこの男に足掻けるわけが無いと、見くびってはいた。

 落ちつけとラッキーが肉を食べながら笑う。副船長に至っては呆れつつも、ヤソップと次の手を考えているようだった。

 

 夢を繰り返し、観た。

 それはただの映像だ。手を伸ばしても、叫んでも、ただ上映し続ける。

 水面が揺れる青の中、赤が流れ出す。手にはルフィを抱き、痛みを噛み殺し笑う顔。

 

 繰り返させてなるものか。アンはそれを目的にしていた。

 しかし時は同一を繰り返す。

 

 流し込まれた何かは、未来に起きるだろう数時間後の映像だった。

 山賊を追いシャンクスの仲間たちは手分けをして森に入ってゆく。この村にはまだ2度しか来たことのない彼らのねぐらを洗い出すのは容易ではない。しかし友を見捨てては己の信念に恥じる行為となる。

 

 アンは胃にあったすべてを吐き出していた。寄り添い、背を撫でているのはベンだ。

 「お願い、シャンクスとベックマンは、ここを離れない・・・で・・・」

 

 海賊の面々は事の始まりをマキノから聞いた後、は森に向けてつま先を向けていた。山賊ならば、勝手知ったる領域の中に逃げ込むだろうと判断しての事だ。

 「・・・お頭」

 シャンクスは頷く。

 意識を失い、力なくその体をベンに寄りかかっている小さな体を見ながら、赤髪は指示を出す。

 何かを感じたのだ。信じるべきだと。

 「森はお前らに任せる、行ってくれ」

 その声に任せろ、と口々が応え、ヤソップを残し海の賊が走り出す。

 

 時計の針が時を刻み、太陽の光も橙を帯び始めた。

 何事かが起きている時ほど、待つという行為は忍耐を必要とする。

 「・・・アン」

 弛緩していた体が力を取り戻し、瞼がゆっくりと開いた。すでに口元に残っていたものはマキノがきれいに拭い取っている。

 「シャンクス、あの賊と、ルフィは海に」

 そして主が二人を狙ってる。

 よろりとふらつきながら、アンは言葉した。黒の瞳は虚ろに近く、いつものような穏やかな光はない。

 

 「今から向かっても間に合うか」

 ベックマンの問いに、ゆっくりと首を横に振る。

 「だから、跳ぶ」

 とぶ、と言われ、最初は空を行くのかと思ったが、それでも数分の時間は掛かる。

 「ベックマン、ヤソップ、迎えの船、よろしくお願いします」

 シャンクスをほんの少しだけ、お借りしますね。

 

 二人はその視線に、肌が泡立った。もしここに時計があったならば、秒針がたてる音がいつになく、大きく聞こえただろう。黒の虚ろの中にある、言いようのない悪寒とでも言うべきものを見たのだ。

 いつも本を読み、静かに笑っている少女の面影はなりを潜め、例えるならばまるで舞台の上を支配する演者のようなえもいわれぬ雰囲気をまとっていた。

 どうすればいい?

 シャンクスは膝を折り、小さな存在と視線を合わせた。

 アンは乾いた喉に無理矢理唾液を落として発する。

 「運べるのはひとりだけ、皆は走って。みんなの船の近く、主が小舟を狙う」と。

 そして小さな手がシャンクスの指を握った。

 

 瞬間、眼前に青が広がった。否、何かを通り過ぎたような感覚を得た。それは今まで生きてきた中で経験したことのない、形容しがたい何かだった。しかし、目標は捉えた。アンが持つ能力については、また後日でもいいだろう。まずは友の救出が優先だ。

 

 「「ルフィ!」」

 「アン!シャンクス!!」

 空からアンとシャンクスのふたりが落ちてくる。嬉しさの涙だろうか、弟の目尻に大きな粒が出来上がっていた。首元を掴まれている弟は、今まさに海へと投げ入れられようとしている。

 アンは背筋に走る、悪寒に身を震わせた。

 「ッ、ぁ・・・ぁあ」

 向かってきているのだ。悪夢、が。

 

 山賊は子供の声に何事だと空を見る。

 何か、を認識した時には、腕にかかっていた重力が失われている事に気が付いた。

 波が立てる音に混じり、水しぶきが立ち上る。

 アンがルフィを抱き、アンをシャンクスが抱く。

 悪魔の実を口にした能力者は、一生かなづちになるというハンデを負う。しかも海に身を浸せば、足をばたつかせることすらできずに沈んでしまうのだ。もともと水という水に溺れていたルフィは、余計水に嫌われた体になっていた。出来るだけ弟の顔を肩の上までくるよう、抱きしめる。

 「大丈夫よ、ルフィ」

 アンは必死にしがみついてくる弟を抱きしめた。

 海面が大きく盛り上がる。滝のように流れる海水は、空気を含み白く落ちてゆく。赤の口は既に開かれていた。山賊が乗る小さな小舟が大きな顎口に噛み砕かれる。

 主、だ。

 ぎろり、とその眼光が人間3人を捉えた。

 まるで本当の主食は、お前達なのだ、と主張するように、だ。

 すでにアンには主とやり合う体力は残ってはいない。

 

 「失せろ」

 静かな一言が走る。それは畏怖の力を持っていた。野生の中にあれば、己より強いものが持つものである、と本能で知っている。びくり、と海王類は身を硬直させた。

 腕の中にあるルフィは震えている。何がそうさせているのか。分かってはいないだろう。アンとてそうだ。無視出来ない背から感じる圧迫感に意識を手放したくなる。重圧はどんどんと増し、黒く塗りつぶされそうだった。これを真正面で受けている海王類は生きた心地がしないだろう。

 主は本能に抗えなかった。どぽん、と沈み込むように巨体は海の中に消える。

 

 数秒の後、ルフィがぼろぼろと涙をこぼし始めた。緊張がとけたのが一番の要因だが、自分を抱くアンから力がゆっくりと抜けていたのだ。それに顔色も白い。

 「おい、泣くな男だろう」

 しゃくりあげる声は止まらない。海は青いまま、横たわっている。

 「それにしても凄いな、今の」

 「…せつ、めいは……秘密、に、…して…」

 「ジャングズ!!! アンが!」

 意識を保つのが困難になりかけて来た時、確かに聞こえて来た。小舟を出しシャンクスを助けに来た賑やかな声の数々が近づいてくる。

 もう大丈夫。未来は、変わる。悪夢は、もう見る事はない。

 アンは何かに誘われるまま意識を手放した。

 

 

 ゆっくりと目を開く。体がだるかった。まだ布団に包まっていたいというまどろみの気持ちを押しのけ、むくりと上半身を起こし周囲を見る。しらない部屋だった。大きなベットの上でぼーっと周りを見回す。簡素な部屋だ。必要最小限にとどめられた実用的な一室、とでも言おうか。重厚な机の上には地球儀と海図が一枚置かれている。

 覗きこんでみると東の海にある島々の名前があった。

 「すごいな、さすが双子だな」

 声に顔を上げる。立っていたのはシャンクスだった。

 聞けば3日も寝ていたという。

 「怪我…したの?」

 「ああ、大事ない」

 左腕には包帯が巻かれていた。山賊が乗っていた小舟の木片が左腕を直撃したのだという。骨も折れていないし、ただ少し傷ついただけだと笑った。

 アンはシャンクスにゆっくりと近づき、怪我をしたという掌を取る。

 「痛く、ない?」

 「ああ、おれの船に乗る船医はすげェからな」

 致命傷となる怪我をしても、あっという間に治してくれる。

 シャンクスはそう言って、包帯がある掌を握った。

 「そっか、よかった」

 アンはほっと息を吐く。

 未来は変わった。予定調和を乱せば何らかの修正、が働くだろうと思っていたのだが、考えていたよりも事が上手く運んだようだ。しかし、油断は禁物だった。いつもこう、だとは限らないからだ。

 「エースに聞いた。おれを守ってくれたんだって?」

 夢の事を話したのか、と小さく意識の向こう側に尋ねた。すると我関せず、とばかりに口笛を吹いているエースが居た。あんなに秘密だと言っておいたのに。むくれはするが、責めはしなかった。

 それだけ意識を感じられなくなったエースが焦ったということなのだろう。アンであっても、エースが消えたと感じたなら確実に慌てふためく、と断言できた。

 「アンが消えたってそりゃもう凄い険相で飛び込んできたんだ」

 当の本人は眠り続けるアンの様子を心配しながら、今日も元気に飛び出して行ったという。サボが待つ"不確かな物の終着駅(グレイターミナル)"へ向かったのだろう。ダダンの家からと比べ、距離的に約2倍の行程を走破している事になる。早めに出発しないとひと仕事する時間も無い。なので身の安全を一応、守ってくれているシャンクスにそろそろ起きそうだから頼む、と言い残していたらしい。この3日間、シャンクスはベットを奪われただけではなく部屋を追い出された事、その間は副船長であるベックと一緒にむさくるしい夜を明かしたと笑いながら教えてくれた。

 「マキノさんが昼飯を用意してくれたんだ、食べるだろ。ルフィも来てるぜ」

 「うん、お腹ぺこぺこだよ」

 賑やかな食事の後、物資が運び込まれた船は岸を離れた。船影はゆっくりと遠くなってゆく。見送りの人は手を振り、航海の無事を言葉していた。

 ルフィは流れる涙そのままに、夕焼けの空をいつまでも見ている。

 この場に集っている一味以上の仲間を集めて海賊王になるというルフィの宣言にシャンクスは自身の麦わら帽子を預けた。

 かつて父からシャンクスに譲られたいわくがついている、年季の入っている帽子だ。何度も修繕され、大切に使われているのが分かった。

 弟の目が、遥か未来の蒼に向かっている。それがなぜかくすぐったく、待ち遠しく思えてならなかった。

 「これはおれが預かったんだ、アンにもやらねェからな!」

 「うん、それはルフィが大切に持っていてね」

 "偉大なる航海(グランドライン)"の軌跡が次の世代に手渡され、時は進む。

 


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