ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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28-サカズキ

 ノックを戸惑っていた。

 部屋で待っている、といつもの平常に戻し発していたサカズキの顔が脳裏に浮かぶ。

 啖呵を切っている手前、どうしても入りにくかった。

 たらりと汗が頬に浮かぶ。暑くは無い、緊張の証だ。どこか表情も固まっている。両手でふにふにと頬をほぐすが効果が無い。もうこのまま入ってもいい気がした。どうせゲンコツが待っているのだから、無理にほほ笑んで入室しなくても構わないだろうと結論付ける。

 

 (どうかげんこつでありますように)

 

 黄猿艦に乗り込んでいたときは、げんこつであった。しかも命令無視をした場合、共に厳罰を受けてくれる相方がいた。その存在の頼もしかったことを再度認識する。手を伸ばしても空を切る手の先に無言の落胆が落ちた。

 ゆえに神様という存在に会った事は無いが、とりあえず祈った。こうなれば神頼みである。ちなみに報告書はまだ書いてはいない。

 

 兄弟達の寝顔を眺めてから、アンはこっそりと帰ってきた。

 月はまだ頭上にあり、波は静かに、船を潮の道に誘っている。

 ドーン島にふたりを送り届け、久々のダダン宅でわにめしとてんぷら、唐揚げ、照り焼きを思う存分食べてきた。

 食事の最中に眠気がピークを迎えるこの癖は何とかしたいモノの、兄弟間及び義祖父も素敵なタイミングで場所を問わず良く寝落ちてしまう。

 これは一族特有の呪いなのかと思わなくもない。

 焼き飯の中に顔を、兄弟が揃って寝落ちて突っ伏しかけた時はどうしようかと思ったくらいだ。

 以前であればサボと手分けし寝床へと運んでいたのだが、友は今、絶賛行方不明中である。

 今回はなんとか手と足が間に合ったが、次回が上手くいくとは思えない。

 目覚めを数分待ち、片付けようとした途端、起きるや否や、二人とも取り合うように食べ始めたのには笑ったが、ダダンたちに聞けばそれがふたりの平常運転であるらしい。さすがに汁物の時は助けるが、その他であればそのままにしているという。

 変わらない。変わっていないことに安心していた。

 

 「いつまで居るんだい?」

 「明日の朝には戻るの」

 

 今回は帰ると伝えていた訳では無い。最初の頃は海兵の姿で戻ったアンに、ダダン一味が総出で森に逃げ込むなど驚いてくれたものだが、頻繁に帰るようになるとさすがに慣れてくるらしい。突然の帰宅にもダダン達は驚かず、厄介者が増えたと悪態をつきつつも、普通に出迎えられてしまった。しかもおかえり、と言ってくれながら頭をぽんぽんと撫でてくれたのが嬉しくてはにかんでしまったほどだ。

 

 夕食の後は兄弟達と大きな木の桶に湯を張り、風呂へと入った。久々に体や頭を洗いっこし、髪を拭きあった。

 どうしても書いておかねばならぬ書状をしたためているうちに囲炉裏の前で寝落ちていたらしい。掛けられていた毛布に自然と笑みが浮かぶ。

 兄弟たちはツリーハウスで寝起きするのを止め、ダダンの家ではなく、自分達で建てたそれぞれのあばら家で暮らしているのだと聞いていた。家の目の前、すぐ横にあるそれらの出来はそれぞれいまいちだが、雨風はしのげるからいいのだそうだ。しかし今日はアンがいる。今日だけは3人で川の字に、懐かしい小さな小部屋で転がっていた。昔ながらの習慣により目を覚ましたアンは身なりを整え、押し開きの窓から差し込む月光に照らしだされたふたりの頬に口づけを落とし、そのまま艦へと戻ってきたというわけだ。

 

 アンは意を決めノックする。

 もしかしたらもう眠っているかもしれない、そう思いながらも遠慮がちに、小さく叩いてみた。

 「……開いちょる。入れ」

 

 低い声が静かに聞こえてくる。

 (起きてるし)

 

 かすかな望みが崩れ去り、溜息が落ちた。

 船内は見張りに立つ夜番だけが眼を擦りながら、勤めについているだけの時刻だ。

 殆どの海兵が夢の世界に旅立っている時間だった。そう、草木も眠る丑三つ時、一番人間の眠りが深いと言われている。

 

 「失礼します…」

 

 蝶番が鳴る。呼吸を整え、中へと入った。

 ランプの光が淡く照らす室内には、様々な書類が几帳面に整理された棚がおかれている。

 視線は書類に向いたままだ。

 沈黙が流れる。

 

 「出過ぎたまねをしました、申し訳ありませんでした」

 

 沈黙に耐え切れず、声を発したのはアンだった。最敬礼まで深く上半身を折り、彼女は謝罪の言葉を口にする。

 赤犬からは小さなため息が漏れ出た。この感覚は困った孫をどうしてくれようか、というガープから放たれていたものと同様の、生暖かい視線を彷彿させる。

 「報告せい」

 「はっ、ビトフェ島トヘロにつきましては付属する王国に書状を既に用意しました。海賊の根城になっていた監督責任の不備を、海軍の連隊を駐屯させ、監視を兼ねるよう…これから報告書を。始末書も提出します」

 

 「畏まらんで構わん、わしも時間つぶしに始めただけじゃけ楽にせい」

 暗に今の時間帯は私的である、だから軍規約に囚われずとも良い、と言われたからと言って、ふにゃりとその場に座れない。

 船に乗っている限りは上司と部下、なのだ。

 マリンフォードの家にいる時は、黄猿の事も名前で呼んでいたが、艦では流石に控えていた。赤犬の艦に乗ってまだ半年も経っていないが、艦内の様子は大体把握している。

 

 この艦は軍隊として一番形がしっかりとした組織が成りたっていた。

 上司の命令は絶対であり、敵前逃亡など許されはしない。臆病風に吹かれた海兵は自害しろと前もって通告されている。

 誰でも死にたくは無い。逃げ出したいときもある。

 だがこの艦では認められていなかった。

 戦闘に続く戦闘が、次第に心を蝕んでゆく。生死に無関心になってゆくのだ。成らざるを得ない、成り得なければ相手を殺せず、自らが死ぬのだから。

 

 生き残りたければ正気ではいられない。

 

 そんな環境がこの艦にはある。

 (比べてはならないことなのだけれど)

 アンは義祖父と黄猿の艦の様子を知っている。義祖父は気安かった。海賊との戦いもあるだろうが、義祖父の元、一丸となって立ち向かう形だ。黄猿の艦も海兵同士の協調がとれ作戦時には一貫性の行動をしていた。それぞれが信頼し合い、役割分担をしっかりと成し、戦う。

 

 赤犬の艦は、どこかよそよそしかった。

 人間はひとりでは生きていけない。それはこの艦に乗る誰もがわかっている。

 だが親しくなるのが怖い、とでもいうのだろうか。

 大将自ら前線に立って戦うものの、死傷率が最も高いのもこの艦の特徴といえるだろう。

 アンが乗り込み、にこにことしていると、周りに人が集った。

 笑顔は敵を作らない。

 どこか安らぎを、心の拠り所を皆が求めているのがわかった。

 アンも出来るだけ前線に立ち、立ち回ってはいる。しかし既にもう何人も、海へ弔いの花と共に流した海兵達の姿を見ていた。

 軍艦に乗る限り、生と死はいつでも背中合わせである。

 その境目は曖昧だ。だがアンは素直に赤犬の方針を受け入れてはいなかった。心を放棄しなくとも何とかなる、正義という言葉を盲信し思考を閉ざさずとも何とか出来る。そう思うのだ。

 力足らず、命を散らす多くが出る。しかし、その数を減らすことは可能であろう。

 人の上に立てる者は、その背を見せねばならない。だが、人を駒に見立てゲームのようにむやみやたらに突撃するのは違うと思うのだ。

 無理を押し通し、やれ、と命じても足がすくむのは当たり前なのだから。

 

 「よう止めてくれた。礼をいう」

 赤犬が書類に落としていた視線をゆっくりと上げる。

 その目尻には微かだが優しさがあった。今ならば、もしかすると教えて貰えるかもしれないと予感がした。

 緊張により高鳴る鼓動に手を添え、上司と部下ではなく、アン個人としてサカズキへと言葉を繋ぐ。

 

 「サカズキおじさん、聞いてもいいかな」

 今までどうしても気になっていた事を尋ねてみた。

 どうしてそこまで頑なに、海賊を滅ぼせと言うのかを。

 

 「どこから話せばいいのか、そうじゃのう」

 息を深く吐き出しながら、サカズキは目を閉じる。

 かつて居た家族の事を、ぽつぽつと語り出した。マリンフォードでは無かったが、"偉大なる航路(グランドライン)"内にある賑やかな都に居を構えていた遠い思い出を。

 

 「わしはこういう男じゃけ、仕事にかまけてしもうての。一緒に行く約束をしていた旅行の事すら忘れとうた」

 

 仕事を懸命に頑張る父親に、娘も息子も、妻も文句を言わなかった。

 父が頑張って海を巡っているからこそ、不幸になる人が減る。

 帰って来ないのは寂しいが、時々かけて来てくれる電話が嬉しい、と。

 

 しかし。

 楽しんで来いと切った電話が、家族との別れとなってしまったという。

 悪い巡り合わせは重なるもので、家族が乗った船が嵐に巻き込まれ、ようやく脱した後に海賊に拿捕されてしまったのだ。近海を航海していた赤犬が救援に向かったが、時は既に遅かった。

 海賊は容赦なく、物を奪い人を嬲り、いずこともなく姿を消していたという。

 生き残りはいなかった。

 赤犬は残されていた娘に送った人形を見つけ、その場で吠えた。

 決して許さない、この命が尽きるまで海賊と名のつくもの全てを殺し続ける。

 そう心に決めたのだと話を結んだ。

 

 「…ご家族の事はとても残念です。私も両親を人の手により奪われていますから、その気持ちは痛いほどわかります」

 

 やめておけばいい。

 ここから先は、言わなくても良い言葉だ。話してくれたサカズキに礼を述べ、退出したほうが賢明であろう。

 だがアンは止められなかった。感情が言うことを聞いてくれなかったのだ。

 

 あちらでもこちらでも。世界は理不尽で溢れている。

 あちらにはもう、血の繋がった肉親はいない。こちらには一緒に生まれて来たエースだけだ。杯を交わし、兄弟となったサボも今はどこにいるのかわからない。ルフィという可愛い弟が出来た事だけが、唯一の救いだろうか。

 

 もしも、エースやルフィまでも失う事態になれば、アンとて正気を保っていられるかどうかはわからない。

 サボが居なくなり、大切に想う人物が喪失した際の悲嘆と痛みを再度教え込まされている。

 だから、赤犬の気持ちに寄り添うことは出来た。

 

 決定的に違う赤犬とアンとの差は、人の繋がりだ。

 サカズキは忌避していた。だからこそ艦の中もそうなっているのだろう。

 痛みを忘れないために、という気持ちも分かるが……続けるには余りにも悲しすぎる。

 

 「死んだ人にはもう、生きているわたし達に何かを伝える術はありません。仇をうって欲しいのか、それともその手を血で染めるなと願っているのか。想像するのは、生きているわたし達なんです」

 

 返して。

 どんなに願っても、叶えられない望みの虚しさはいつまでたっても心を苛む。

 

 「戦う事が、おじさんの生きる意味になっているのだとしても…もう、許してあげたらどうですか。海賊を、じゃないですよ。おじさん自身を。戦い続けることで贖罪にするのはもうやめて、赦してあげてください」

 

 アンは苦笑しながら思いを伝えた。

 要らぬ世話だ。アンもわかっている。これこそ出過ぎた行為だ。

 サカズキはアンの言葉を必要とはしていないだろう。入られたくは無い、人と人の間(ま)にずかずかと入り込むのをサカズキは良しとしない。

 嫌われる可能性もあった。しかしアンは嫌われる勇気を振り絞り、一歩前に踏み出す。

 

 折角こうして出会えたのだ。

 明日は失うかもしれない命だとしても、関係を希薄にしてよそよそしく付き合うより、ぶつかり合って仲を深め、互いの別れの時に泣くほうがきっと、その先に進め立ち直ることが出来る。そう、思うのだ。

 もちろんこの思いを押し付けるつもりは毛頭ない。するもしないもサカズキ自身の選択だ。

 

 ゆっくり歩み寄っていた椅子の横で、サカズキの大きな手に手のひらを重ねる。

 じっと自分を見つめる、生きていれば父親の年齢に近いサカズキの頬にキスした。

 お休みのキスをするような、照れくさいような、親愛の口ずけをした後、ドアの前まで駆け行く。そして振りかえり、アンは敬礼では無く、ぺこりとお辞儀をし部屋を後にした。

 

 ぱたん、と扉が閉じる音を背で感じる。

 

 空を見上げれば東が白んでいた。

 そろそろ船のみんなが起き出してくる時間帯だ。

 お腹が減ったなぁと食堂へと向かう。料理人(コック)達が仕込みを始めている厨房に身を乗り出し、つまみ食いを願った。

 

 「腹減ったんか。アンちゃん、ちょっとまてな。味見さしてやろう」

 「ありがとう」

 

 聞いたぜぇ。赤犬大将を目の前にして引かんかったらしいなぁ。

 その細っそい体で無茶すんじゃねえよ?

 

 既に話は巡り巡ってこんな所にまできているとは思い寄らず、目を見開いた。武勇伝というより、出来ればひっそりと隠しておきたい闇歴史に分類される事柄である。

 「いやあ、まあ、なんていうか」

 

 言い訳が思いつかず、笑ってやり過ごす。

 

 「まかないで悪いんだが、ほらよ」

 口に突っ込まれたのはパンだった。朝食時に並ぶ、ふっくらとした柔らかめパンだ。その中にハムとスクランブルエッグ、レタスが挟まれていた。

 口の中に幸せが広がった。

 

 「アンちゃんはほんとに美味そうに食うなぁ」

 「ほんほおいひいでふもん」

 もぐもぐとリスのように頬を膨らませて、答え。そこで気がつく。

 昨日のわにめしからあげてんぷらてりやき食戦争の余波に、まだ巻き込まれていたのだということを。

 ゆっくりと食べていては自分の取り分が無くなってしまう。そんな食卓に参戦した翌日は、気をつけねばならなかったのをすっかり忘れてしまっていた。

 

 「あの、その、いつもはこんな食べ方しないんですっ」

 ごくりと飲み込んでから慌てて取り繕っても、料理人(コック)達のにこやかでさわやかな笑顔の前に繕う事が出来ず、顔を赤くして飛び出していった。

 

 「面白い子だなぁ」

 「この艦の癒しだな」

 「笑いも含むんだろうけどなぁ」

 小さな背を見送ってから、料理人(コック)達は仕事に戻る。

 しかしアンは知らなかった。こっそりと撮られていた写真があった事を。

 後日、回収作業に奔走するアンの姿をまたパシャりと映す料理人達が目撃されるのだが、それはほんの少し未来の話だ。

 

 

 朝日が昇り海兵達が持ち場につき始める。

 「海賊船発見!! あの旗は懸賞金総計1億3500万、トルツゥーガ海賊団です!!」

 見張りからの声に、海兵達が一斉に動き出す。

 指揮を執っているのは丁度甲板に出て来ていた副長だった。

 

 大砲に弾が込められ、武器を手にした海兵が甲板に集まって来る。さすがに戦闘に特化された集団だけはあった。

 朝日が昇る空に、何十門もの大砲の黒い煙が上がる。

 アンは切り込みを主とする部隊に配置され、海賊船と接触する時を待ちかまえていた。

 「少佐、あんたの後についていっていいですかい」

 「お前、ずるいぞひとりだけ」

 何名もに声を掛けられ、内心慌てながらも黄猿仕込みの集団戦の展開を用意する。

 「うん、お願いします。ペアを組んでお互いの背を守りながら、無茶しないで進んでください。海賊船の頭、船長はわたしが押さえます」

 

 黄猿の船では、背中を守り合う相方が居た。

 しかしアンは海軍での相方は彼ひとりと決めている。

 異動の時もドレークは見送ってはくれなかった。同じ海軍に所属しているのになぜ別れの挨拶をしなければならないのか、と言って背を向けたのだ。

 階級が上がっても、所属する部隊が違っていても、お前以外とは組まん。

 そう断言されてしまっては他の誰かと組むわけにもいかなかった。アンの相方は不器用な男なのである。

 

 接舷し、海兵が海賊船へとなだれ込む。

 "偉大なる航海(グランドライン)"後半へと向かう、海賊達を見くびってはいけない。

 空を抱きしめてアンは飛ぶ。風舞いの名が叫ばれていた。

 黄から赤へ、異動を知る海賊達は少ない。

 

 「トルツゥーガ、お相手願おう!」

 正義のコートが風を受けて音を立てる。海兵へと振りかぶられていた拳を足で払い、嵐脚で周囲をなぎ倒した。そうして敵船の上にふわりと降り立つ。

 賞金首の男達は揃いも揃って大きな体をしていた。大抵は見上げなければ顔が見えない。その為死角がどうしても出来る。あくびを噛み殺した刹那、横殴りの金棒が視野に映る。寝不足を理由には出来なかった。健康管理は最低限の義務である。

 避けられなかった。咄嗟の事で鉄塊も間に合わない。

 骨が折れるのを覚悟で、腕でガードする。

 「なにしちょる。ひとりで突っ込むなと指示したのはお前だろうが」

 溶岩の拳が海賊達を襲う。

 「赤犬大将!!」

 海賊達が口々にその男の名を呼ぶ。絶望が戦意を鈍らせた。

 「えええい、惑うな!! おのれら!!」

 トルツゥーガが海賊達を鼓舞する。仮にも一億を超える賞金をかけられた人物だ。荒波を超えてきた、幾度もの海戦を切り抜けてきた海の男としての矜持がある。

 

 質量のある焔の塊が人の形を崩してゆく。

 恐怖に引きつる声が周囲からひっきりなしに聞こえてきた。今までは耳に届くことさえなかったものだ。

 赤犬にとって今までは海賊を滅することのみが正義だった。

 唖然、という言葉が最も相応しい。

 憎み続けてきた全てが、溶けることの無いと思っていた心のしこりが娘のような子供の一言で融解してしまったのだ。思いがけない贈り物にも多少だが、自分自身で驚いていた。許し、そして知る。

 これからも決して、海賊に同情も容赦もしないだろう。

 家族の代わりでは決してない。しかし心の空虚を確かに埋めたのは、鉄砲玉となり海賊の真っただ中に、自らの姿と見間違えてしまうほど無謀にも身を投げ込んでいた少女だったのだ。

 

 「わしの部下に手ぇ出すとはいい度胸じゃのう」

 今までとは違う言葉の温度だった。海兵達に無理を強いて来た、海賊に背を向ける事無かれ、とはまだどの海兵も言われていなかった。負傷して後方に引いても、生き恥を晒すなとなじりもしない。

 

 それどころか仲間を庇い後方から前線へと加わろうとする海兵に、助力すら差し出していた。追い打ちをかけてくる海賊の前にマグマが立ち塞がる。

 

 赤犬の艦に所属する海兵達にとっても、初めての戦いだった。

 新たな扉が開かれたと言ってもいい。

 良い変化である。が、海賊にしてみれば、運のつき、であった。

 猪突猛進一辺倒であった集団が、個と個を繋ぎ戦略的に動き始めることを覚えたのである。

 海軍の目線であれば強化された、であるが、海賊たちからすれば、恐怖の肥大だ。

 

 「おじさんの過保護」

 

 アンはすること成すこと全ての先回りをされ、思わずつぶやく。

 

 紙絵を使い海賊が撃つ銃を避けようと動くが、岩石の壁に全て飲まれ届かない。

 ぼそりとつぶやいた言葉に、にい、と赤犬が笑んだ。

 「そんな所にぼさっといつまでも立っとるからじゃろう。行動が単純ぞ」

 今まで見た事の無い表情だった。眉間にしわを寄せ、難しい顔をし続けてはいない。

 海兵のひとりが目を疑った。思わず目をこすり、確かめた位だ。

 

 その顔は反則すぎた。そして変わりすぎであった。

 

 アンは思わず片手で顔を覆った。もう一方の手では海賊からカタールを奪い取り、顎にその柄で打撃を叩きこみなががら、ちらりと赤犬大将を見る。指弾を放って複数の相手をしながら、もう一度確認のためにサカズキを見た。

 どうやら見間違いではないのだと認識できた頃には、サカズキの参戦もあり、あっという間に海賊船の清掃が終了となっていた。

 海軍側の死者は零に抑えられ、帰還する海兵達の顔にも勝利を祝う笑みが浮かんでいる。

 

 大きな手のひらが頭に乗った。

 「ようやった」

 戦線指揮をやり抜いた小さな娘を労う。

 万人心を異にすれば、則(すなわ)ち一人の用無し。

 それが形となった戦いだった、それだけだ。

 「赤犬大将、それはわたしではなく、是非ともみんなに伝えてあげてください」

 そうじゃのう。

 大きな指を握り艦へ戻りながら、アンは聞いた。驚くような一言を。

 

 目を見開き、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたアンをその場に、赤犬が意気揚々と船に戻ってゆく。

 数十秒の後、表情を取り戻したアンがその背を苦笑を浮かべながら追いかけた。

 


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