司法船到着まで後3日。
アンはフランキーお手製の海王類殲滅艦、バトルフランキーシリーズをアイスバーグの手を借り、最新式を除く全てを解体し終えていた。青い空の元、晴れ晴れとした良い表情でいい汗をかいたと額を拭うふたりに、創造主が非難の声を上げる。
「おい!それは次のに使うんだ!なに切り刻んでんだ、アン!」
「えへへ。やっちゃった、ごめんね」
昨日までの解体作業には造り主のフランキーも参加していたのだが、今日は新作の35号に乗り海王類とガチバトルをして来たのだ。
そしてその成果として、仕留めた海王類をけん引している。
説得は思っていた以上にあっさりと、簡単に進んだ。
いつもの面子だけならばいつもの如く、それぞれ両者言い争いの末、喧嘩別れに終わっていただろう。
だが今回に限って言えばアン、が運良く居た。兄弟間の調停は、サボとアンが引き受けていたのだ。場を収めるのは得意、と言ってもいい。なのでアイスバーグの堪忍袋が切れる前に、アンがほつれた部位を繋ぎ合わせ、かつフランキーの主張もやんわりと取り入れ提案してみたのだ。立場として中立は保ち、両者の意見を対等に聞いたのが項を奏したのだろう。
分解を申し出る前に、アンはよくよく、放置されていたフランキーの作品群を見て回った。そうすると以外や以外、番号が若くなるほど埃が積り、また破損個所が直されぬまま、捨て置かれている船体が多く存在していたのだ。
ここは流れ来る地だ。材料となる廃材はいくらでもある。
だがしかし、作り置かれ、朽ちるに任せている船体がどこか物悲しく思えてならなかった。折角造られたのにも関わらず、使われず、そこにあるだけ、などと造られた船もたまったものではないだろう。だからアンは海を走る船として造られたのに、置きものと化しているのは、本来の目的からかけ離れているのではなかろうか、と疑問符を投げかけてみたのだ。
予想通り最初、フランキーは首を縦に振らなかった。
使わぬものであれば分解しても問題無い。はずなのだが、フランキーはごねた。理由を教えて欲しいと言っても、だめだ、の一点張りを崩さない。いつもこの、我慢比べでアイスバーグがもういい、と突っぱねるのだろう。が、そうはアンが卸さなかった。
じっとフランキーの様子を観察したのだ。そして手掛かりとなる言葉、を探した。
すればなんという事も無い、いわゆる反抗期、というやつだった。アンは深刻な問題が底辺に存在しなかった、それだけで満足、としてもいい。
トムやココロはじっくりとフランキーの話を聞き、それならばやってみろ、と背を押し見守ってくれる。
造り始めはそれでよかった。しかし造り続けて居れば、自分が一体何を造形しているのか、次第に分かってくる。
そして止めてくれる誰か、その言葉、を放ってくれるのが兄弟子だった訳だ。
だがお年頃のフランキーは素直になれず、衝突した。駄々っこの子供ではないのだから、謝れば済む、と思いがちだろう。しかしある程度の年齢に達しているからこそ言えない言葉、も出て来るのだ。
アンはフランキーの、アイスバーグに反発する気持ちが、理解出来ない訳ではない。
十分にわかってはいるのだ。しかし正論ばかり突きつけられると無性に腹がたってしまうのが心でもある。
アンにも経験があった。
通りすぎ、振り返った時にようやくわかる。いわゆる闇歴史というやつだ。
「で。試運転はどうだった?」
「任せろ!ばっちりだぜい!」
フランキーは両腕を空に掲げ、片足を折ってポージングした。
獲物は相当の大きさである、と見ただけで目測できた。海王類にタンコブが出来る程の威力、と伝えてわかって貰えるだろうか。
機械には特別詳しくは無いが、どれもこれも、海王類と戦う力としては過大過ぎるようにも思えた。
フランキーはまるで仇を討つかのように、ただ力を求めている。飽くなき求めては、新たを欲していた。
飢え、なのだろう。
フランキーの心、その奥底に染み付いたなにかがそうさせているのか。
アンはなにも言えない。だからそっと目を閉じる。
自分もフランキーと何ら、立場的に変わらないからだ。
アンも力を求め得るために海軍本部へと向かう。
だから戦闘船を造り続けるフランキーの気持ちが良く分かった。手を止めてしまうのが怖いのだ。立ち止まるのが恐ろしいのだ。
とはいえこのまま、危険な船を今の状態で保持させておくわけにはいかない。現実となりうる夢をどうにかするためにも、最悪の芽は摘み取らねばならなかった。
フランキーにとっては、築いてきたものを奪われたような感覚に違いない。
壊される立場で考えるとそうだ。
だが壊す方も、楽しんでいる訳ではなかった。特にアイスバーグはトムやフランキーと同じ造り手、だ。時間をかけ組み上げ、造り出した船を壊される心情を一番良く理解している。それでもなお破壊しなければならないという意見を曲げないのは、起きて欲しくない最悪の状況を恐れているからだ。起らないよう、先手を打つつもりで槌を振っていた。
「ねぇ。これ18についてた大砲なんだけど」
「ああ22号のボーンド砲の試作だったんだ。けどいまいち気に食わなくてな」
弾が回転すると速くなるのだという。フランキーが語り出した専門的な用語が混ざる難解な説明をアンは笑顔で聞き、頷く。はっきり言って、フランキーが話してくれる内容の半分もわかってはいない。だが楽しそうにしゃべり続けている彼、を見ていると自分までうきうきしてきた。
いつかの夢、はきっと果たされるだろう。そう思う。
船の分解も終盤に差し掛かった頃、少しの休憩、とアンは木槌の音を聞いていた。
フランキーは再び海へ漕ぎ出して行ってしまったため、実のところ暇を持て余していたのだ。
本来ならこの後、町への買い物へ付き合ってもらうはず、だったのだが予想外の部品が切り刻まれたのが余程、堪えたらしい。アイスバーグになら鬱憤をぶつけられたが、アンは女だ。しかも年下だ。暴言を吐け無かった。してしまえば男が廃るからだ。よって再び海へ出た。
小波、そして木と木が打ち鳴らされ、かんなによって削られる響きに耳を澄ませる。きれいな音色だ。
その中に踏みしめる雑音が混ざった。姿はまだ見えない。しかし反射的に身を廃材の中へもぐりこませる。森での生活で培った感、だった。
「アン?」
アイスバーグが姿を消した少女の名を呼ぶ。
その時トムも気がついた。此方側に向かってくる幾つかの足音に視線を向ける。
「どうもこんにちは。あなたですか?造船技師のMr.トム、とは」
見知らぬ男たち、だった。黒を基調にした、仕立てのよさそうなスーツを着ている。なぜそんな人物たちがわざわざここに来たのか。見当が付かなかった。
ここに足を運ぶ者たちは知れている。ここは廃材が流れ着くゴミ溜めだ。ウォーターセブンの職人も好き好んでこの場所へは来ない。どうしても、仕方が無く、足を向けざるを得ない場合にだけやってくる。
偉大なる航路(グランドライン)を行く海賊たちもこの場所へはやってこない。船を修理するなら、工房を持った職人をまず、訪ねるからだ。
実際、現在造っている船も孫請けとして造っている状態だった。
本来船は、工房で作れらるのが一般だ。小型船ならば船大工ひとりでの製造が可能だが、大型船ともなれば幾名もの職人の手を渡る。
船は生き物だ。使用される目的により形も深さも、長さも変わる。
今回の船は商船だ。父から独立する子への贈り物なのだという。
注文主を辿ればかつてトムズワーカーズを贔屓にしてくれていた商家に行き着く。しかし世間は風評に左右されるものだ。海賊王となった男が批判されている現状で、その男が乗っていた船を造った技師が手がけた船に乗っている商売人など信用できない。これが世界の常識だ。そのため直接トムに注文を出すと世間の風評が、となり、とある工房からの下請けとなっている。
その商家の男はトムの人柄と腕をかっていた。しかし商売には一番、必要の無い、出来れば遠ざけたい存在でもある。
それでも、とトムはその下請けを快く引き受けた。
竜骨にトムが造った船である、という刻印が入らなくとも、自分が造った船が必要とされている事が嬉しい、と請け負ったものだ。
アイスバーグは静かに拳を握り締める。
・・・どこか遠くで糸を引くような音が伸びてゆく。
アンは物陰に隠れながら、それがいったい何の音であるか確かめようとした。
危ないものではない、と思う。思うがしかし、この音が思い出させたのは、花火大会で玉が打ち上げられ、落ちてくる時のそれ、だ。男たちの視線から刺客になる場所を探し、そして青を見上げる。
すればどういうことだろう。
丸くて黒いものが見えた。真上ではないが、放物線を延ばせば近くに落ちるような気がする。黒い点は重量に見合った引力を受け、その速度を上げていた。
そこの人、危ないよ。そう声をかける暇も無い。
「いやァ、捜しました。すいませんが…」
トムの目は、話しかけてくる男では無く、黒い丸を追っている。
「少々お話を」「させて頂きたい」「わ…」「たしは」「サイファーポールNO5のスパンダヴァ」
お見事!と絶賛したいほどの命中だった。
しかも会話が細切れでよく分からない単語と化し、その爆風に乗り吹き飛ばされる姿は、体を張って笑いを取る、どこかの芸人とそっくりだったのだ。含み笑いを噛み殺し、じっとそちらを見る。
直撃したその場所は火薬特有の黒い煙がもわもわと空へ立ち上ぼっていた。
まるでアニメのようだと思ったのはアンだけの秘密だ。
弾はトムに話しかけていた男だけを吹き飛ばし、落ち行く体は廃材の中へと頭から突き刺さった。
そのさまはまるでコントだ。どこぞに仕掛けがあるのかと、飛び出して突っ込みそうになり、アンはぐぐっと自重する。
最初は何が起こったのかと唖然としていた付添の4名だが、ひとりがぎこちなく動き出せば、名を呼びながら助けに駆けつけた。
よくもまあ、見事に突き刺さったものだとアンは影から見る。しかも爆風の最中になにか叫んでいなかっただろうか。助け出された彼、はところどころ傷を負っているようではあったが、致命的な怪我はしていないようだった。どれだけ頑丈な体をしているのだろう。
「おう!悪ィ!! 誰だか知らねェが祝砲が当たっちまった!おーい、アン!見ろ見てくれ!見るんだぁぁぁぁぁ!!って、あいつどこ行きやがったんだ」
バトルフランキー35号再び帰還。
朝仕留めた海王類よりもさらに大きな固体を引っ張って来たようで、波間に巨体がぷかぷかと浮いている。
あー。あれ焼いたらきっと美味しいだろうなぁ。
アンはゆるりと口元を緩ませた。朝の獲物は毒袋を持っている種類だったため、ココロがきれいに処分していたからだ。
軍艦での整えられた食事は美味しかった。船で出される3食は栄養価だけでなく、味も抜群だ。しかし長年の食生活により野性溢れた食事が主だったアンは、無性にそれらが恋しくなっていた。ジャンクフードと置き換えてもいいだろう。ダダン一家と食べていた、塩コショウを振りかけただけの肉が懐かしく思う。
あとで捌こう。焼いて食べよう。尻尾の辺りが多少減っていても気づく人は居ないだろう。うん、それでいこう。拳を握りしめ、喉を鳴らす。
「あのバカはまた…性懲りもなく……!!!」
アイスバーグがハンマーを振りかぶり、帰港したばかりの35号を打つ。
その一撃は直すにも手間がかかるだろう凹みを作りだした。
今回は良かった。損害が無かったからだ。しかし一歩間違えば、自分や師匠、友人にあの玉が当たっていたかもしれない。
「何度言わせるんだ!次から次へとこんな戦艦造り続けやがって!!! これもおれが処分してやる!!!」
「だー!! てめぇやめろアホバーグ!!!」
最新艦に手を出すな!
表現するには色々と、問題のある語彙が飛び交う。これがココロさんが言っていたいつもの喧嘩の風景、なのだろう。
「別に人を攻撃するわけじゃねぇだろうが!!!」
今、当たりましたが何か。そこは突っ込んでおくべきだろう、とアンは思う、が声は出さない。
「お前の意思どうこうじゃねェ!!! 凶器を存在させた責任を問い掛けてんだ!!! バカンキー!!!」
戦艦も道具だ。使い手によって左右される。存在しているからには、使われる。フランキーしか使わない、のではない。もしもフランキー以外の手で、扱われた場合どうするのか、とアイスバーグは聞いているのだ。しかし二人の論点は合致しない。
「トムさん、何とか言ってくれよ!!! わが社の面汚しだ、こいつは!!」
「たっはっ…!!…!!…!!…!!…」
豪快な笑いは必死の形相で叫ぶ男の声さえもかき消していた。
そうして何度目かの叫びでようやく全員が気が付く。
「あんた、だれ?」
「聞いてなかったんかい!!!」
ええ。全く。聞く気など最初からありませんでした。
とは誰も思わないだろう。意図的に無視していたわけではないが、トムにとっては黒服の男は単なる野次馬でしかなく、アイスバーグにとっては見る価値もない、フランキーに至っては居る事すら認識してもらえなかったレベルだった。
アンはそっと息をつく。これから始まるであろう、修羅場に向けて心落ち着かせるために。
時はゆっくりとだが確実に流れ行く。
黒服の男たち 政府の役人が帰った後、トムはアイスバーグとフランキーを夕食の後、部屋に来るように呼んだ。ココロが作ってくれたシチューも、照り焼きも、会話無く胃袋に収めた男たちは、ココロの帰宅と同時にトムの元へやって来た。背中にひっついて離れないアンも含め部屋の中はどことなしか冷たい空気が漂う。
男たちの話は要領が得なかった。
設計図とは何か。アイスバーグは考える。
海列車のそれ、とは違うだろう。なぜならそれは公開されているからだ。
向かい合わせの椅子とテーブル。
そこに甘い香りの飲み物が置かれた。トム特製の蜂蜜湯だ。
「大切なものをお前達に預けたい」
そう言って机の上に置かれた紙の束を見て、アイスバーグは驚愕する。
「これは造船史上最悪の"バケモノ"だ」
そこに描かれている線を見ればわかった。有り得てはならぬもの、であると。だがしかし、これは人の手で造れるもの、なのだろうか。
アイスバーグがまず思ったのはそこ、だ。そして耳を疑った。
「これ、造っても・・・いいのか」
目を輝かせて見入っているフランキーが信じられなかった。そして真横から聞こえた、ありえない声にアイスバーグの感情は荒立つ。テーブルに両手を打ちつけ、大きな音をたたせながら、
「まだ分かんねぇのか!! こんなもんこの世に存在させちまったら…」
叫ぶ。
ちらりと現在の所有者はどこ吹く風か、笑みを崩さずにいる。
「ああ、世界は滅ぶ。たっはっは……!!」
師匠の陽気な口調に、アイスバーグは額を押さえた。
だがしかし。
「造ってみようと思う気概は、たいしたもんだ」
トムの笑顔は変わらない。
これは遥か昔からこの地に伝わる大切なもの、だ。この島に暮らす人々の手によって、秘密裏に受け継がれてきた。
政府がこの設計図の存在を嗅ぎつけ動き出している。
何のために、かは今日の会話内容では分からなかったが、自身が持っていては危ない、と新たな世代に手渡す事を決めたのだとトムは言った。
沈黙が流れる。
蜂蜜湯から立ち上っていた湯気は、消えていた。
怖いけれど受け取る。冷や汗を浮かべながら口にするアイスバーグとは真逆の反応を示したのはフランキーだった。
にこやかに笑うトムの後ろから、淡々とした声が響く。
「違う、世界は一度、半分滅んだのよ。その戦艦の名はプルトン。冥界の王の名を冠した戦艦兵器。製造されたのは大昔のここ」
がたりとアイスバーグが立ちあがる。
「なぜ知っているかは聞かないでね。どうして知っているのか、わたしにも説明が出来ないから」
トムの背から降りたアンが人差し指を唇にあて、静かに笑んだ。
この設計図は世界のどこかに眠る、同型船がもし使われそうになった時、対消滅させるために残されたものだと言葉を繋げる。そもそも大昔に作られた戦艦が今、残存しているほうが驚きとなるだろう。鉄は錆びる。錆びた鉄は崩れてゆく。
しかしそれは今現在もとある場所に保管されていた。オーパーツ、と呼んでも支障ないだろう。
「そうか、この駆動の並び、見たことがあると・・・」
収納されていた蒸気機関車の設計図を取りだし、アイスバーグが受け取った古紙の一枚と並べた。
「世界政府は異端知識として封じた技術を欲している」
図を見比べていた視線がアンを厳しい表情で問う。憂いを浮かべた瞳は、到底11歳の少女の物とは思えなかった。
「過去は既成事実だから、変えられない。変化するとすれば、これからの時間なの。わたしは世界政府を擁護している訳じゃない。トムさんをロジャーの船を造ったからと言って断罪するのは間違っていると思うし、プルトンをはかりごとをしてでも手に入れようとするあの男の事が大っ嫌い」
年相応な表情に戻ったアンはトムの横に座る。
「大海賊時代で一番苦しんでいるのは、普通に暮らしている人々だよ。兵器を手に入れた世界政府が、戦禍を拡大させるのは目に見えてる」
バスターコールという、海軍による無差別虐殺方法も実在しているのだ。
それで十分であるはずなのだ。それなのに過去の力までも保持して何をしたいのだ、とアンは思う。
眠り続ける兵器を、無理矢理叩き起こす必要など無い。伝説という夢物語は伝説のままにしておく方が良い時もある。
二人の目が、疑惑の色を浮かべる。
それはそうだろう。
十一歳の小娘が、何を偉そうに物を語っているのか。
アンが二人の立場ならば、きっとそう思う。
だから二人にはアンの秘密を暴露することにした。世界政府に伝えれば、報奨金は思いのままとなるだろう。
だから秘密を告げる。プルトンの秘密を共有する者として仲間に加えてもらうために。
「わたし、本当の名前、あるんだ」
ポートガス、はお母さんの名前。父の名前は……。
音が連なった後、ぽんぽん、とつむじを撫でられる。どうやら眉が八の字になっていたようだ。見上げればトムがにこやかに笑んでいる。
懐かしい名前を聞いた。その瞳が語るのは、悪意ではない。
「…あのなぁ、そんな爆弾おれ達に投げるなよ」
肘をついたフランキーが大きくため息をつけば、
「ンマー、一蓮托生ってことにしておいてやる」
アイスバーグも苦笑した。
「ついでだ。わしの不安要素も二人に言っておこう」
しきりに笑った後、そう言ってトムが提示したのは、幼い少女の写真が写る手配書だった。
△▽△▽△▽△▽△▽△▽
海鳥が鳴く。
窓は開け放たれ、白のカーテンが風に揺れた。
清潔に整えられた室内には、この部屋に似つかわしくは無い幾つかの黒が運び込まれている。
それらを開き、元ある形に戻している男達の表情は総じて無、と言っていい。
感情を押し込めたか、はたまた殺したか。
唯一その中で異色であるのは、若紫の柔らかな髪を逆立て歯を力の限り噛み耐えている男だろう。
名をスパンダムといい、世界政府諜報機関CP長官の息子だった。幼い頃から偉大な父の背を見て育ち、父からじきじきにその考え方と人の使い方を指導されてきたサラブレットだといえよう。
彼の任務はただひとつ。
空白の100年を生み出した、とある兵器の設計図を入手すること。
ただそれだけのはずだった。
命令に忠実な部下達が集めたとっておきの情報なのだ。間違えるはずが無い。
世界政府直下でありながら独立した諜報機関サイファーポールには世界中から様々な報がもたらされる。
その中でもCP5はあらゆる武器に関する情報を扱う部署だ。古今東西で新たに作られるそれをも秘密裏に入手し、製造者を政府に仇なす危険人物だと判断された暁には、対象者(ターゲット)をすみやかに処分する。
多くの実績を上げてきた。
それなのに。
スパンダムの胸中に繰り返されるのは、自分を存在しないものであるかのように振舞った、魚ごときの態度だった。
調べは既に済んでいるのだ。"司法船の約束"などどうでもよい。素直に認めれば良いものを、知らぬ存ぜぬと嘘を重ねた。
大罪である。
それだけで万死に値する。
世界政府に属するスパンダムが正しいのだ。正しくなくてはならない。そうだとも、政府が定めている民法では司法の権威が高く、それに従うよう記されている。だがしかし、スパンダムはその民法に縛られない立場にあった。彼を縛せるのは世界政府高法だけなのだ。
五老星は言った。
やってみるがよい、と。
それはスパンダムにとって好機だった。と同時に崖っぷちに立ったともいえた。
司法は光の正義だ。無くてはならない法だ。
しかし闇の正義もまた必要不可欠なものだ。それをスパンダムは施行できる。だがそれはまだ小さな正義だ。もっと必要だった。もっと闇の正義を手にするために、設計図を手にいれなければならなかったのだ。
【危険なものほど、政府が管理しなけりゃなぁ。】
こんなところで時間を潰している暇などはない。
父のようにこの手に掴む。その期待には応えなければならない。張り切るべきだろう。
父が座していた椅子の座り心地はよさそうだった。
親の七光りといわれても構わなかったが、同僚に実力を見せ付けるのもまた必要不可欠な行為と知っている。なぜならばスパンダムは選ばれた人間だからだ。
CPとは言え五老星と直接会うなど出来るのは己くらいだろうと自負している。
会ってくださるのはスパンダムが長官の息子であり、さまざまな手柄を立ててきたからだ。
上司にお伺いを立て、承認されるもを待つのが苦痛だった。
だから約束した。
【罪状なんざ、作り出せばいいだけの話なんだよ、魚ども。】
父が美酒に酔いしれながら話してくれた武勇伝を思い出す。
それはオハラと呼ばれるとある島の話だった。その真相を上機嫌で語ってくれた、成功したそれを聞いた時の高揚感は忘れもしない。
脚本を書くのだ。そしてその上で、何もかもが踊る。道化となる。
涙も笑いも、演出を取りまとめるスパンダムにだけ捧げられる、一回きりの公演だ。
【今回も楽しませろ。オレ様を。】
思い通りにならなかった事など、ひとつもなかった。
全てがスパンダムにひれ伏すようになる。その光景を想像するだけでなんともいえない高揚感が湧き出てきた。
そうだ、そうでなくてはならない。
世界を支配する政府の暗部を担っている己に、誰もが敬意を示すのが当たり前なのだ。
【このオレ様を怒らせた罪、その身で購ってもらおうか。
誇りに思うが良い。哀れな魚どもよ。正義のための尊い犠牲に選んでやったのだから。】
スパンダムは脳内で脚本を練り始める。
世界を丸く、滞りなく治める世界政府の影、その執行者である自身がより富むために。
散々部下が苦労して調べ上げた情報だ。待つ時間が苦痛だった。その苦い思いすらも舞台に上がる役者達へと擦り付けてゆく。
そうして思うのだ。
10年以上続くこの大海賊時代に終止符を打ち、政府の中枢がある天空の台地に座す役に就任するのだ、と。
ああ、使える。廃船島には船がいくつも転がっていたはずだ。
工作部隊がそろそろ到着する。光の正義である司法船が襲われるなど前代未聞の事態となるだろう。
CPは中央政府の中でも厳格な組織だ。
まさか、とは思いもしないだろう。目当てが無くとも、あつらえば良いだけの話だ。
指示を、出す。
黒服の男達は黙ってうなずいた。
「さあ、始めようか」
スパンダムがゆっくりと立ち上がる。
その胸中はT・ワーカーズに属する魚どもに光と闇の裁きを、その鉄槌を叩きつける事のみがあった。
すぐに身をもって味あわせてやろう。
楽しみにしていろ。
怒りを押し固め、いびつな狂気を表情に、スパンダムは動き出す。